日本酒で乾杯 推進会議

「日本酒で乾杯 推進会議」のフォーラムに参加してまいりました。
この会は「100人委員会」がメンバーとなり、日本酒の消費拡大・・といったことが目的の会ではありません。現在、会員は全国2万4千人を超えました。
代表は国立民族学博物館名誉会長の石毛直道氏。
委員には酒を愛し、日本文化を考える各界の方々。
私も末席におります。
「最近のニッポン人には日本がたりない」と危惧し、日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していくべき作法や風習、そのような素晴らしい文化をしっかりと守り育てていきましょう、というような趣旨です。
「日本酒で乾杯!」という言葉の背景には特別の宗教心ではなく、私たちの人知や人間の力を超えたすべてに対して謙虚に祈るのではないか。
石毛代表は
「日本酒を通して日本文化を考えましょう!」
「酒は神さまと人さまの縁を結ぶ」
「人と人の連帯を深める」
そこには「作法と振舞いがある」とおっしゃいます。
フォーラムでは冒頭に神崎宣武氏(民俗学者)のプレゼンテーションがありました。
「酒は私たちが神に捧げる・授かるもの。日本文化の中核に日本酒がある。酒・祭り・祈祷・なおらい(清め)・芸能。無礼講の前には礼講があり、現代社会は無礼講から始まることが多いのではないか・・・」というお話もありました。
そして津軽三味線演奏家の高橋竹山さんの素晴らしい演奏。今年は初代・高橋竹山生誕100年にあたります。私は以前文化放送の番組に初代にご出演いただき感激したことを覚えております。
演奏の後は「伝えたい言霊文化」をテーマに西舘好子さんと竹山さんの対談。初代竹山さんの知られざる一面や、2代目を女性が継ぐことへの想いなど興味深いお話を伺えました。私は新潟 糸魚川に住む竹山さんの大ファンなのです。
飛び入りで小沢昭一さんが壇上にあがられ相変わらず、洒脱なおしゃべりに会場は笑いの渦でした。
その後は日本全国の「日本酒」で懇親パーティー。
あらたまった礼講からにぎやかな無礼講に移るとき、私達は「乾杯!」します。
ほろ酔い気分で小田原からバスに乗り箱根の我が家に戻りました。
この国に生まれ暮らす幸せをしみじみとかみしめた宵でもありました。

ぱしふぃっくびいなすの船旅

船旅
船旅に 擬えるなら 兎に角に 私の船は
甘やかな  港を後に 帆をたてて 錨を上げて
海へ出た 荒ぶる海へ
小椋 桂
そう、私、船旅をしてきました。
と、言っても仕事でですが2泊3日の。
「ぱしふぃっく びいなす・秋の日本一周クルーズ」に横浜港から乗船。このクルーズは、海からめぐる日本の風景。歴史を紡いできたその風景に浸るをテーマに、横浜から、神戸、明石海峡大橋、瀬戸大橋をくぐり、ゆっくりと瀬戸内海を通って佐世保港へ。

私は瀬戸内海、小豆島を航行中あたりで乗船されている皆さまの前で、この四方を海に囲まれた日本の豊かな自然や暮らし・・・などを話させていただきました。
佐世保、萩、能登半島、秋田の男鹿半島、室蘭を回り横浜に戻ってきます。それぞれの寄港地では九十九島や日本海に面した萩では伝統と文化、情緒溢れる城下町など、輪島では朝市や漆塗り、千枚田。男鹿半島では美しい夕日に出逢えるでしょうか。
そういえば私もいつからか「夕焼け探し」の旅にでるようになりました。ある所へ仕事があっていく時、前の日の午後に出かけ、ちょうど夕焼け時にその地にいるようにすののですが、これが実は大変なのです。”運がよけりゃ、いい夕日に会える”・・・と思いつつ列車に乗り込みます。
男鹿半島の夕焼けは今でも忘れられないのです。太陽が沈む直前のあの真っ赤な光りに包まれた太陽。津軽線に乗って見た夕焼けの素晴らしさも忘れられません。
どこかで夕焼けに出逢ったら、その夕焼けのドラマは、今、自分が地球のどこにいるのだろうと、呆然とすることがあります。
たくさんの旅をしながらいつも思うのです。
旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・。
日常の生活時間とは違う時間と空間の中に飛び込むと、私という旅人は、現実の私から旅立ったもう一人の自分と旅しているのに気づきます。
旅する先が、何百年もの歴史が現在も色濃く漂う場所に立つと、私はタイムマシーンに乗ってきたトラベラーという感じになります。
北前船の航路をたどったこともありましたっけ。
海路をたよりに流通された交易。
港、港にドラマがあります。
北前衆の表むきの仕事を支えているのは女たちだったのです。
「でも、過去帳に、女の名前はございませんね」と、ぽつりと語ったおばあちゃん。
このひと言が私の胸にひびきます。
海を見ながら思います。
生物を育てるあらゆる出発点に水があります。
水は生命の命綱であり、その命綱は森です。
その森をこれ以上壊していいのでしょうか。
目の前の経済的な利益を優先して、森を壊していいのでしょうか。
壊れるのを知っていて、そのままにしていいのでしょうか。
森、山、川、海、生物の命、そして私たちの命。
その全てが連鎖しています。
ほんとうに美しい日本の海。
日本一周をするお客さま、クルーの方々。
素晴らしい2泊3日の海の旅をご一緒させていただきました。
皆さま楽しい10日間の旅を!Bon Voyage!
いつの日か ゆったりと列島を巡る船旅をしたい・・・と心から思いました。

奈良・唐招提寺へ

サントリー「セサミンE」のコマーシャル撮影で奈良・吉野に行ってきました。
全国各地の「郷土ごはん」を訪ねて。
番組は10月から1年かけて、全国各地で放映されます。
今回、私はナビゲーターをつとめます。
日本の郷土料理を知るたびに先人の知恵、磨きぬかれた技に感謝の気持ちでいっぱいになります。
奈良は「茶がゆ」(茶がい)を訪ねて。
撮影の始まる前日、少し早めに奈良入りして「唐招提寺」を訪ねました。
ご承知のように奈良は「平城遷都1300年祭」で大変な賑わいです。
私はお寺を巡るときは開門すぐか、閉門間際に行くようにしています。
「唐招提寺」も閉門1時間前。
ほとんど人はおらず、奈良時代建立の金堂(国宝)は10年の歳月をかけ
創建以来最大規模の大修理が行われ、南大門の正面を静かに進むと、
息を呑んでしまいそうなダイナミックな立ち姿、そして簡素ななかに優美な姿。

「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」(会津八一)
本尊乾漆盧舎那仏、薬師如来、千手観音、梵釈二天、四天王。
内陣の仏が静かに佇んでおられます。
これら全てが国宝です。

JR奈良駅からわずか10分ほどの郊外にある唐招提寺。
唐の国から来朝した高僧鑑真大和上によって創建された建物。
御影堂には和上尊像。そして、画家東山魁夷画伯の障壁画「山雲」「濤声」などが奉納されております。
私は以前NHKの番組で和上尊像、そして壁画を拝見したことがあります。和上の波乱にみちた人生を想う時、おのずから襟を正したくなり、また心穏やかに迎えてくれた仏像に感謝しました。
鐘楼、講堂、舎利殿、そして和上御影堂へと進みました。

帰り道、蝉時雨の鳴くなか、蓮池には淡い色の蓮がそっと見送ってくれました。紅葉の季節、雪景の季節、それぞれ素敵でしょうね。
中秋の名月には、ライトアップされた金堂三尊が闇に浮かびあがるとか。

イギリスへの旅 ~ Part2

今回の旅は先週も載せましたように、10月からオープンする「やまぼうし」のアンティークショップの買い付け。と言っても小さなショップ。こちらは娘の担当です。友人の天沼寿子さんのご案内で、ライやペトワーズの美しい田舎街へ私はバカンス気分です。

どこも印象的でしたが、中でも素晴らしかったのはピーターシャムナーサリーでのランチ。ガラスの温室の中で昼食。足の下はもちろん土。ダリアが満開で、あまりの素敵さに天沼さんとシャンパンで乾杯!
電車でロンドンに戻ってきました。

はじめは中心から少し離れたハムステッドのB&Bに宿泊しました。
小さいけれどスタッフも優しく家庭的な宿でした。

最後の日だけは、ロンドンの中心、コペントガーデン近くにあるとてもお洒落なホテルへ。「お互いこれまで頑張ってきたのですもの・・・1泊ぐらいちょっと贅沢しましょう!」と。
インテリアがとても素敵なホテル。
ここでのイングリッシュ・ブレックファーストは素晴らしかったです。
食事中、室内がざわざわ・・・ある有名な俳優さんが入っていらして隅のほうで食事をしていらっしゃいました。
ロンドン・・・といえば、たくさんの思い出がつまった街です。
もう、43年も前のことになります。
映画「007は2度死ぬ」の撮影で約7ヶ月滞在した街。
この007の経験は降って湧いたような、おとぎ話のような経験でした。
私の22歳から23歳にかけての仕事でした。
ショーンさんは当時、30代半ばくらいだったでしょうか。
まだ若かった私にとって”おじさま”という印象でした。
苦労なさった方でしたから、スタッフにも私達にも絶えず気をつかってくださいました。
ただ、辛かったことは007に出演する女優はロンドンでも最も由緒ある「ドーチェスターホテル」に泊まることになっていました。女王陛下もお泊りになるようなホテルでしたから、ジーンズで入るなんてとんでもない。きちんとハイヒールを履いていなければなりません。当時のイギリスでは、格式というものがとても厳密だったのです。
その上、私には英国の映画に出演するにあたって、いかめしい英語の教師がつきました。毎日、毎日レッスンが終わると泣きべそをかいていましたっけ。とうとうストを起こし、ホテルを台所付きのフラットに変えてもらうこと。英語の先生を若い女性に変えてほしいと訴えました。
それでハイドパークの近くに移りました。
ようやく自炊生活をすることが出来ました。
でも、「ドーチェスターホテル」での忘れられない思い出。そう、悲しくなってロビーに下りて行きボーとしていた時のことです。回転ドアが回り美しい女性が入っていらっしゃいました。辺りをオーラが輝き笑みをたたえた女性(ひと)・・・は、オードリーヘップパーンさんだったのです。
「なんて美しいの、なんてエレガントなの・・・」
悲しさなんて飛んでいってしまいました。
と、ロンドンにはたくさんの青春時代の思い出がつまっています。
ホテルの内装はすっかり変わりましたが、ロンドンに行く度にホテルの前に佇む私がいます。

今回感じたことは、ロンドン市内にオーガニックを扱うショップやカフェやレストランが増えたこと。そこには単なる流行ではなくきちんとしたポリシーがあること。そこが素敵です。しかも、しっかりした味、お洒落なディスプレイ、健康な土、太陽、水。世界的に地産地消の時代になってきたのでしょうね。

最後はスコーンと紅茶のクリームティーでお茶をし、機上の人となりました。

イギリスへの旅 ~ Part1

イギリスへ行ってきました。
今回は友人の天沼寿子さんと娘の3人旅でした。
「箱根やまぼうし」が秋からオープンする小さな「アンティークショップ」に置く商品を見つけに。私はもっぱら観光。娘は「デポー39」を長年経営していらした
天沼さんに教えていただきながらの商品選び。

ロンドンから100キロあまり、約2時間で行ける田舎町。
RyeとPetworthに行きました。
英国の魅力はなんといっても大自然に囲まれた田舎が美しいですね。
Ryeは中世の街に迷い込んだような佇まい。
レンガや木組みの家々がならび、窓には美しい花が咲き、本当に素敵。
もう、町全体がアンティーク。
高価な骨董品ではなく、どこの家でも使われていたような品々。
娘は一点一点、丹念に探していきます。
ライ・・・。愛らしい名前にふさわしい町でした。
Petworthは2,30分も歩けば町を一巡りできる小さな小さな美しい街。
ヴィクトリア時代のカップ&ソーサーやリネン、アクセサリー、
彼女は古い本も買っていましたっけ。

「もっぱら観光」・・・なんて言っていた私。
やはりアンティークを目の前にすると心がトキメキます。
丁寧にひとつひとつの物を大切に後世に残すイギリス人のアンティーク
に対する想いを感じた旅でもありました。
イギリスは私にとって思い出深い街でもあります。
来週はロンドンをご案内いたしますね。

近畿大学の学生と若狭でのフィールドワーク

4月から始まった近畿大学での授業も無事終了し、福井県若狭の我が家でのフィールドワークをしてきました。2泊3日、好天に恵まれ学生達は大阪から直通バスで我が町まで。町の中の移動は全て自転車です。
我が家は福井県大飯町三森にあります。
ここは近くの村から農家を移築した家です。
授業では「「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマにしました。
私自身これまで素晴らしい先人から、たくさんのことを学んできました。
こうした魂に響くような出会いが、今の私を作ってくれました。
授業では
「現場を歩く大切さ」
「食は命」
「食料の自給できない国は独立国ではない」 故ド・ゴール大統領
「寝屋子制度」
など優れたビデオ作品を見ながらの勉強でした。
自然に囲まれた我が家の囲炉裏端では、米農家を営む私の農業の先生、松井栄治さんから農業の現状をじっくり伺えましたし、松井農園、酪農家を見学したり、夜は農家の若者にも参加してもらいバーベキューをしながら、若者同士、和やかななかにも現場で働いている彼らの話は学生達にとって意義ある話でした。
何よりも満天の星空・天の川も見え、流れ星に感激し、虫の鳴き声を聞きながらの夜。松井さんご一家や集落の方々の優しさに学生達は”何か”を感じてくれたことでしょう。

朝の山歩き

心と頭の調整が音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩きです。骨祖しょう予防を兼ねて、始めた箱根の山歩き。木々の枝の間から朝の光りがスーッと差し込んで、とても気持ちいいのです。

ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきり目覚める朝ばかりではありません。身体を動かすことによって身体が活性化して、不調の部分が解消されます。

そして、毎朝歩くことで、箱根の山のエネルギーをもらっているような気がします。
背中を痛めて、身体の筋肉を鍛える大切さを知り、必要に迫られて始めた山歩きでしたが、筋肉作りだけではなく、心身の調整にまで役立ってくれているようです。
「この場所が好き!」と思える散歩コースがあると、それだけで元気になれますよ。この楽しみにはお金はかかりません。歩きやすいスニカーが一足あればそれで十分ですものね。

亜麻の花咲く町

北海道・当別町に行ってまいりました。
「浜さ~ん、亜麻の花が咲きましたよ!」とのお誘いを頂きました。
“亜麻色の髪の乙女”という歌がありましたよね。どんな色なのかしらと、ず~と思っておりました。亜麻色の髪というのは花の色ではなく、花が散ったあとの種子と茎が栗色、あるいは金色で、花は薄紫にブルーがかかったような色です。この美しい一輪の花の命は はかなく早朝から半日で散ってしまいます。
亜麻の種が日本に入ってきた年代ははっきりしないのですが、2つの説があると言われています。一つは元禄時代に薬物植物として江戸王子の薬草園で栽培されていた。もう一つはキリスト教伝来時(1549年)、西洋医術と同時にオランダ船により輸入されていた。どちらの説とも古い歴史があります。
古代ギリシャの医学の父、ヒポクラテスは「亜麻種子」を食べると胃腸の不快を解消するとして栽培を推奨したようですし、古代エジプトでは亜麻の布は「月光で織られた布」と呼ばれ広く神事にも使われていたそうです。かつてエジプトではミイラを包む布として、また女性の下着やシーツなどリネンとして肌触りがソフトだったので使われていたとか。
じつはこの町は、私も審査委員をしております”美の里づくりコンクール”で審査会特別賞を受賞されているのです。途絶えてしまった亜麻をもう一度復元させようと、農家の若手が立ち上がり、民間企業と農家が連携して亜麻の生産が始まりました。それを行政がサポートする。無農薬での栽培ですから、雑草や害虫との闘い。熱心なリーダーのもとで様々な活動が評価されたのです。
亜麻を全国に発信し、収益も上げ始めたそうです。札幌の大学生も時には除草の手伝いにみえるとか。
地域づくりはこうした連携プレーが大事なのですね。今後、亜麻の花を見に来る方、亜麻のオイルやリネンが全国に知られるように・・・と願っております。
私が伺ったときも初夏、花の開花期に合せて「亜麻まつり・イン 当別」が開催され、都市と農村の交流が行われていました。
よみがえれ!亜麻の花

近畿大学・答志島へのフィールドワーク

三重県鳥羽市にある離島、答志島に行ってきました。
4月から近畿大学の客員教授として講義を受け持っています。
テーマは「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」
一回目は「現場を歩く大切さ」についてでした。
机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界があり、現場を足で歩かない限り見えてこないことがあることを、40年以上農山漁村を歩き回ったフィールドワークから私は実感しました。
現場を歩くなかで、人は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、学生に感じとってほしい・・との願いがあります。他者を理解することは、自分を理解すること。大地を歩き、人に出逢い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導きだされた問題解決法にこそ、真の力が宿るということを知ってほしいのです。
そこで、以前授業で観た民族文化映像研究所の「寝屋子」について「現場に行きたい!」との要望が学生からあり行ってきました。この島の歴史は古く、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂が
「釧着く答志の先に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」
と万葉集で詠んだ地です。
そこに「若者宿」とよばれる「寝屋子制度」があります。かつては、中学を卒業した男子が仲間を作り、頼んでどこかの家をヤド(宿)にそこに寝泊りするのです。日本には古くからあるシステムでしたが、大正期を境に減少。現存するのは、答志地区のみになってしまいました。

血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合う。
寝屋子同士も死ぬまで兄弟同然。
その背景には漁業という命をかけた仕事には、地域の人びとの関係性、共同性、結びつきが大切だということがあります。今も島ではこの制度は住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤になっています。もちろん時代の流れの中で少しの変化を経ても、「住民が助け合う」文化は受け継がれています。
インターンシップのレポートでは
「寝屋子の制度は日本の宝といえる文化だと思う」
「日本で薄れてしまっている人と人との関わりの大切さを実感した」
「子供たちに限らず大人たちにも人のつながり、仲間はすごく大切な存在なんだと改めて感じた」
「現在、農村や漁村では少子高齢化によって、後継者となる子供が減少しており、より一層過疎化が進むなかで寝屋子制度にヒントがあるかもしれない」
など、皆さん感想を寄せてくれました。
さて、ビデオを観て感じたことを実際に「現場を歩き」どのような思いがしたでしょう。次回の授業で聞かせてもらいます。
梅雨の中、当日は眩しいほどの太陽が海を渡ってくる風も心地よく、船着き場でかつて寝屋親であり大勢の子供たちの親だった山下正弥さんが、船が見えなくなるまで手をふって見送ってくださった姿に、暖かな人のぬくもりを感じた答志島の旅でした。

木の実ナナさんの主演ミュージカル「イカれた主婦」

先日の18日の夜、木の実ナナさんの主演ミュージカル
イカれた主婦~ANGRY HOUSEWIVES」を観てまいりました。
ひと言・・・「カッコ良かった!」
他の人たちとの”ぶつかりあい”の爆笑ミュージカル。
ロックン・ロール!!って!?
60年代聴いたローリング・ストーンズ?
初演は20年前とか。
その時には残念ながら拝見しておりません。
先日ラジオのゲスト(文化放送・浜美枝のいつかあなたと)にお越し頂きお話を伺いましたが、もうスタジオでもロックン・ローラーだったナナさん。いつも変わらぬ全力投球!のナナさん。
ナナさんのもつ魅力が十二分に発揮されており、明るいパワーだけでなく、女(母親)の悲しみや優しさ、切なさ、それでいて周りの人をあたたかく包み込むベヴの人間的魅力が舞台いっぱいに広がり、共演の木村緑子さん、彩輝なおさん、浦嶋りんこさん、山崎育三郎さん、川崎麻世さん、ROLLYさんたちとのハーモニィーも最高でした。
客席のお客さまもノッテいましたね。
「イカれた主婦」に客席は「イカれていました」。
オフ・ブロードウエイでの上演が日本に上陸し、素晴らしい舞台となっていました。東京(ル・テアトル銀座、5月23日まで)が終わると名古屋、金沢、大阪公演まで、全国に爆笑とロックン・ロールが響きわたることでしょう。
ナナさんそして皆さん!元気を、愛をありがとうございました。
PS 料理家の枝元なほみさんは来週にいたしますね。