新しい女性の時代へ

浄土真宗本願寺派が出版している「御堂さん」という冊子で女性論の特集が組まれ、私もその中に原稿を書かせていただきました。2008年5月号
新しい女性の時代へ
最近「女性の品格」が流行語になりました。
それだけ女性の品格がなくなったということでしょうか?
でも、一体品格とは何でしょう。
好きな言葉はたくさんありますが、中でも私が大切にしているのが、月並みではありますが、「ありがとう」と「どうぞ」という言葉です。どちらも、相手に感謝と敬意の気持ちをこちらが抱いていることを伝える言葉です。
私は、仕事柄、旅に出ることも多いのですが、はじめての土地であっても「ありがとう」あるいは「どうぞ」というたったひとことがきっかけで、暖かい人と人の絆が生まれます。それは国内だけには限りません。
世界中のどこであっても、「サンキュー」「プリーズ」「メルシー」「シルブ、プレ」と声にするだけで、人は笑顔になり、その場に、優しい空気がふんわりと生まれます。そうしたときには、こんな優しい言葉をもっていることのありがたさに、感謝の気持ちが私の胸にあふれます。
でも、最近、「ありがとう」や「どうぞ」という言葉を使わなくなった人が少なくなってきたような気がしませんか。また、たとえば肩と肩がぶつかったときにとっさに「失礼!」「すみません」という言葉が出ない大人も、残念なことに最近、増えてきているようです。
スーパーや駅などで、誰とも会話をしなくても、ことがすむ時代になったからでしょうか。まるでそこに他人などいないかのようにふるまう人が少しずつ増えてきているようです。それと時期を同一にして、新聞報道などによると、突然、感情を爆発させる人も増えてきたといわれます。
顔と顔を見つめて会話を交わすという、生のコミュニケーションを、私たちは、もっと大切にしなくてはならないのではないでしょうか。生のコミュニケーションは、私たちを切磋琢磨してくれます。相手の気持ちを汲み取ることを訓練すると同時に、自分の感情をコントロールする力をはぐくんでくれます。
家庭で、学校で、仕事場で、あらゆる場にコミュニケーションは不可欠なものであるはず。それでも、自分の感情を適切な方法で開放したり、抑えたりすることが難しいという人が増加していることを考えると、不幸にもそうした機会に恵まれなかったり、自らその機会を放棄してしまうケースが、現代では少なくないということなのかもしれません。
けれど、自分の感情に自分自身が翻弄されてしまい、相手に感情をぶつけてしまうようでは、何より本人がさびしく、幸せな状態とはいえません。
家庭で、あるいは学校で、もう一度、コミュニケーションの大切さを再認識する時期がきているのではないでしょうか。
ところで、感情をコントロールすることは、感情を出さないということとは違います。大切なのは、ひたすらおとなしくして我慢を強いることではなく、その人、そしてその場にあったもので、伝えるべきことをきちんと伝えることだと私は思っています。
私は4人の子どもの母親として、長い子育てを経験しました。子どもの心をはぐくむだけでなく、この時期、子育てを通して私自身も多くのことを教えられました。たとえば、同じ言葉であっても、相手(子ども)が受け入れられない状態ではなく、受け入れられる状態になるまで待って、はじめてその言葉をかけることで、水が大地にしみこむように、こちらの思いが伝わっていくことも、失敗を通して学びました。
そうした発見や学びの数々が、それ以降の私の人生をより豊かなものにしてくれたのは、いうまでもありません。育児は育自だといわれますが、まさにそのとおりでした。そして、いくつになっても人は学ぶことができるということも、改めて感じさせられました。
人はひとりでは生きられません。互いに支え、支えられて、生きていきます。穏やかに、心優しく暮らすためにも、温かなコミュニケーションが不可欠です。感情が激したときには、直接誰かにぶつける前に、どんな理由でこれほど感情が揺れているのかを考えてみてはどうでしょう。厳しい言葉は、その場を暗く沈ませてしまいます。そうした言葉をなるべく使わず、思いを伝えるために、言葉を選ぶようにしませんか。
そして「ありがとう」「どうぞ」という言葉を、意識して日に何度も声にしてみてほしいのです。声にすると言葉が相手だけでなく、自分自身をも優しく包んでくれるのを感じるはず。その場を明るく暖かく照らしてくれる言葉をいつもあなたのそばにおいてください。
写真は本日の散歩で訪ねた箱根湿生花園にて
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NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・小豆島」

香川県瀬戸内海に浮かぶ美しい島、小豆島
“小豆島”・・・といえば皆さま、どんなイメージを抱かれますか?
オリーブとそうめん、醤油、佃煮。そして二十四の瞳。
美味しいものがたくさん生産されていて、気候温暖な、けがれのない島・・・
多くの方がそういうイメージを抱かれるのではないでしょうか?
私にとっても、小豆島という響きは、とても優しいイメージの場所なのです。
そんな小豆島に先日お邪魔してまいりました。

「オリーブ植栽100周年」記念の行事に参加してまいりました。
小豆島のオリーブの起源は、苗木の試験栽培を始めた1908年、明治41年なのだそうです。それから数えて、なんと100年。当時、農商務省は小豆島だけではなく、三重県や鹿児島県などでも、アメリカから持ってきたオリーブの苗木を試験栽培行ったそうです。けれど、他の地域では、木の成長が思うようにはいかなかったそうです。小豆島の西村地区に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正の初めには搾油が出来るほど実をつけるまでになったとか。
農業の現場を40年近く訪ね歩いてきた私には、わかります。こちらの島で実るオリーブの実は、多くの方々の努力と、苦労のたまものに他ならないと。
日本になかった植物を栽培するのは、並大抵のことではなかったはずです。文字通り、手探りで、一生懸命、試行錯誤を重ねて、今日があるのだと思います。そのご苦労を想像するだけで、胸が熱くなってしまいます。
私は緑の葉を茂らせているオリーブ園をお訪ねしてまいりました。

何千本と植えられたオリーブの緑の中を歩いてまいりました。木々の間からは美しい瀬戸内の海と青空が垣間見え、不思議な穏やかさに満ちていました。
オリーブの葉の中に、本来なら二枚になるはずの葉が一枚に融合し、ハートの形になるものがあって、それを「幸せのオリーブの葉」と呼ぶのだそうです。ご存知ですか?
さらにオリーブの緑の風に吹かれながら、歩いていますと、この一枚一枚のオリーブの葉に、傷を治し、肌を活性化する成分が含まれ、それゆえに、古代ギリシャ・ローマ時代から生命の象徴とされているということも、思いだしました。
オリーブ園の中には樹齢65年の木もありました。その姿に触発され、イタリアに行ったときに出会った樹齢1000年を越えるオリーブの老木を思い出したりもしました。
イタリアのその老木は、私が見たとき、本当にたわわに実を実らせていたんです。心にわいてくる様々な思いを反芻しながら、のんびり歩みを進めていると、いつしか、小豆島の穏やかな時間の流れになじんでいる自分に気づかされました。
オリーブはご存知のように、ヨーロッパでは、古くから、神様がくれた不思議な力を持つ果実の樹「聖なる木」とされ、平和と安らぎの象徴とされてきました。古代エジプトにおいては、オリーブの枝が、ファラオやツタンカーメンの胸元を飾り、オリーブオイルは清油として神事に用いられたとされています。
古代のオリンピック競技会では、優勝者に授ける冠は野性のオリーブの葉で作られたそうです。
その故事にのっとり、アテネオリンピックのマラソン優勝者には特別なオリーブの冠が贈られましたよね。女子マラソンで優勝した、野口みずきさんにはギリシャ・クレタ島のイエラペトラにある古いオリーブの木から作った冠が贈られたそうです。
「勝者たちは金品ではなく、高い精神性を表すクレタ島のオリーブの冠を得た」
と言われた古代オリンピックにのっとっていたんですね。
“オリーブ大好き”な私。太陽に愛された食卓・・・といわれるイタリア料理ですが、今回お訪ねしたレストランにも、色鮮やかな野菜、豆、新鮮な魚などにも、小豆島のオリーブが使われていました。
小豆島は、瀬戸内海からの島で2番目に大きな島であり、四国の港からも、本州の岡山からも船で渡れる、アクセスだって、とてもいいんです。フェリーも高速船もでています。土庄町、小豆島町どちらにも、ホテル・旅館・ユースホステル、国民宿舎もございます。
小豆島とれとれ市場や、ふれあい産直市場など”美味しいもん満載”の小豆島です。
あの名作「二十四の瞳」の舞台になったロケのためにつくられたオープンセットや壷井栄文学館もあります。
詳しくは、小豆島オリーブ百年祭 観光情報を「小豆島観光協会」にお問い合わせください。
0879-62-6256です。
旅の足は
関西方面からですと  大阪南港・姫路港~
岡山方面からですと  新岡山港・宇野港・日生港・・・等々
いろいろ小豆島へのアプローチはございますし、島内はレンタカー、レンターサイクル、バイク、定期観光バスなどを自由に選択できます。
私は今回、高松港から高速船で土庄港まで。およそ30分でした。
5月の下旬ころからオリーブの可憐な白い花がみられるとか・・・。美しい情景が目に焼きついております。
今夜は香川県小豆群小豆島をご案内いたしました。

「環境農業と都市農業」について

5月10日東京都庁で、「都市農地保全自治体フォーラム」が開催されました。
東京の農地が、この10年間で約1、400ha減少しているそうです。食の安全が揺らぎ始めた今、自分たちの健康にたいする危機意識から農業に高い関心を持つ人が増えてきました。近年になって、東京近郊の市民農園などが活況を呈しているのは、その表れではないでしょうか。
都市の農地を守ることは、私たちの緑の環境、食の環境、ひいては健康を守ることです。これから私たちは生産者・消費者の垣根を越えて、何より自分たちのため、未来の子どもたちのために、都市農業を盛り立てていかなくてはなりません。官民一体となってヘルシーで美味しくて、心地よい、農的生活を積極的に楽しんでいきたいですね。
都市住民にとってかけがえのない存在である都市の農地を守るにはどうしたらよいか・・・そんな、話をさせて頂きました。
環境保全とか、都市農地というと、なんだかとても難しいことのように思われがちなんですね。でも、実は、まったく難しいことなんかではなくて、私たちの暮らしにとって、環境保全も、都市農地も、とても身近なものだということを、まずはじめに知っていただきたいんです。
たとえば、今朝、みなさん、何を召し上がっていらっしゃいましたか?
納豆ご飯? ハムエッグにサラダに、トースト?鯵の干物に、豆腐の味噌汁?
こうした私たちが毎日何気なく食べるものとも、密接に関係しているのが、環境保全と都市農地なんです。なぜかといいますと、食をはぐくむのが農業であるからなんですね。そして農業は環境の中に含まれる……。
つまり、食と農、そして環境は切っても切り離せないものなんです。
食といいますと、今、多かれ少なかれ、みなさん誰もが、日本の食に不安をお感じになっているのではないでしょうか。
たとえば中国の農薬入りギョーザ問題。
この問題は、昨年、日本中の食卓を文字通り、震撼させました。
中国産野菜の残留農薬問題が改めて明らかになったんですね。日本では使われなくなった危険な農薬が使われているとか、特定の農薬を禁止しても、広い国土すぎて徹底できないとか、収穫前の本来ならば農薬をかけてはならない時期に、何度も農薬が使用されている現状があるとか、中国でもお金持ちは健康のために、自国の野菜を食べず、輸入したオーガニックの野菜をもっぱら食べている、それほど農薬のついた野菜は恐ろしいとか、農薬をとるための特殊な洗剤が、中国では自衛のために人気を集めている、などなど、様々な情報も入ってきました。
そして、問題は、ギョーザだけではなく、野菜から加工食品にまで問題が及んでいるという現実が、徐々に浮かび上がってきました。いつのまにか、本当に多くの農水産物・加工食品が中国から輸入されていたことにも驚かされました。
あまりに多すぎて、実態もなかなかつかめず、いったい、どの食べ物に、何がどのくらい使われているか、まったくわからないというような状態だということもわかってきました。さらに、家庭で食べるものばかりではなく、外食産業では中国からの原料を使わずに調理できないほど、浸透していることも明らかになりました。しかし、ことは中国だけではありません。
スーパーやデパートの食品売り場に行くと、いつもつやつやした野菜がバラエティ豊かに並んでいますよね。赤や黄色のパプリカ、青々としたアスパラガスやブロッコリー、大きなしいたけや水煮のたけのこや、袋にいっぱい入ったニンニク……。けれど、その表示を見ると中国だけでなく、タイ、チリ、韓国、エクアドルなど、遠くの国から輸入されたものが実に多いんです。しかもこうした輸入品は運搬の料金をプラスしても国産品よりも安かったりします。
こうしたことから想像できるのは、人件費の安い国で栽培されたものなのか、或いは、できうるかぎり、機械化して大規模に作られたものであろう、ということ、なんですね。
そして、そのひとつひとつの野菜がどこでどう育てられたものかということを、消費者には知るすべがないという意味において、問題となっている中国野菜と同じなんです。
いまや、日本の食糧自給率は、カロリーベースで39%。食料自給率が低いということは、極端にいいますと、こういうことなんだなぁと、現実をつきつけられたような気がしました。
食べ物を人に、他の国にゆだねるということは、たとえ量は確保できても、どんなものかというクォリティに関するところまでは、なかなか把握しきることができない。いってみれば、どんなものかわからないものを食べなくてはならないというリスクが極めて高い状況を作ってしまうということなんですね。
しかも、これからの世界状況のことを考えると、その量さえ、将来にわたって確保できるかどうか。本当のところは誰にもわからないのではないでしょうか。
世界には、現在、食料不足の国がたくさん存在しています。
洪水や旱魃、天候不良、それから内乱といたような問題のために、収穫があがらず、緊急援助を必要としている国もあります。
先日、大型サイクロンに襲われ、何万人もの人的被害を出したミャンマーなどは、まさにそれにあたりますよね。本当に大変お気の毒なことだと思いますが、同時に、人事ではないと感じます。
国連世界食糧計画(WFP)が国際連合食糧農業機関(FAO)の統計に基づき作成したハンガーマップという地図があるんですね。
これは世界の飢餓状況を表した世界地図で、栄養不足人口の割合により国ごとに5段階で色分けされています。
飢餓人口の割合が最も高い赤色に分類された国では、全人口の35パーセント以上もの人々が栄養不足の状態に陥っているのですが、なんと世界には飢餓状態の国が20カ国以上あり、現在でも多くの人々が飢餓に苦しんでいるというんですね。
さらにこの地図によると、国民の3人に1人が栄養不足状態にある国が、世界に20カ国以上もあり、特にアフリカ大陸や、中央アジアに集中しているということも、ひとめでわかります。
飢餓の原因として、自然災害や紛争だけでなく、HIV/エイズの蔓延による労働人口の減少等も深刻化しています。
国連人口基金は2006年版の世界人口白書で世界の人口が65億4,030万人を突破したとする推計値を発表していますが、その5人に1人、子どもも含め、12億人がひどく貧しい状態で、1日1ドル未満で生活し、 5億人が飢餓か、栄養不足に苦しんでいるといわれるんですね。
そして、世界の人口は今このときも、発展途上国を中心に大変な勢いで増加していて、2,050年には世界人口が90億7590万人に達すると推計されています。
こうした人口の増加、そして発展途上国の消費水準の向上から、世界の食料需要は、今後、大幅に増加すると見込まれているんですね。では、それら食料需要を満たすために、何らかの手が打たれているかというと、世界の耕地面積および穀物収穫面積は、ほぼ横ばい。
今後、大幅に増加する可能性は低いと見込まれているんです。つまり、このままでは食料がますます不足してしまうということが考えられるわけです。
その上、近年、バイオエタノールの材料として食料が使われるようになり、そこに投資のお金が流れ込んで、食料品の値段が世界的に大幅に上がっています。小麦、バター、マヨネーズなど、次々に食料品がこの春、値上げになりました。1品についてはたとえ10円の値上げであっても、いくつもの食べ物が一度に値上げされたのですから、本当に驚きました。
これから電気やガスなども値上げだといいますから、家計にとっては大打撃ですよね。これは日本ばかりではありません。
この春、エジプトでパン不足が深刻化したというニュースが届きました。パンを買う順番が来るのを待っている間にいらだった人々が争って、大変な事態に陥ったとも伝えられています。政府補助を受けていないパンの価格は場合によっては50パーセントも上昇しており、社会が暴発しかねない危険域にまでパン危機が到達したことを示しているといわれています。
また、世界最大のコメ輸出国であるタイでは、輸出を拡大することで国内消費用のコメの不足する危険性が指摘され、今後、米の価格上昇、輸出拡大が続くようであれば、今年後半にも輸出規制が必要といわれはじめました。タイの米が輸出されなくなるわけです。
コメ輸出については、インドやカンボジアが禁止、中国やベトナムは輸出制限措置をとっています。ひしひしと、これからの時代、食料確保が難しい時代になりそうな感じがしませんか。
フランスの故ド・ゴール大統領は、かつて「食糧の自給できない国は独立国ではない」といいました。みなさんは、その言葉をどうお感じになりますか。
1960年には、穀物の自給率はイギリス、ドイツ、イタリア等のヨーロッパ諸国と日本は約60~70%と、そう変わるものではありませんでした。
しかしながら、現在では先進国はのきなみ増産し、100%以上、自国で穀物をまかなうことができるようになっています。
国連の2,003年の食糧需給表によりますと、
オーストラリア 272%、
フランス 176%、
ドイツ 132%、
アメリカ 127%。
そしてわが国の穀物自給率はといいますとわずか24%なんですね。
必要な分の4分の1に満たない数字です。
先進工業国は食糧自給ができるというのが、いまや世界の常識なのに、日本は農産物自給率をあげるどころか、大きく引き下げているんです。
日本は目の前の経済的豊かさを求めて走って来た結果、敗戦の痛手から見事に立ち直り、経済力を持つ国になったけれども、その繁栄と引き換えに、農業をおきざりにしてしまったということが言えるのではないでしょうか。
けれども、私たちはあきらめるわけにはいきません。私たちは、自分たちのみならず、子どもや孫の世代のためにも、農業を、この国によみがえらせなくてはならないんですね。
農業は人が生きていくうえでもっとも基本になる技術であり、食料の安定なくして社会の安定、さらには国民の安心と健康もありえないからです。
また、土と水、生物によって支えられる農業生産は、自然の循環機能を基礎とした、社会活動の動脈とも言える存在です。
ですから、農業に従事する人が減り、耕作地が減り、生産量が減ったといっても、こと、この問題に関しては、絶望して放棄するわけにはいかないんですね。
農業をよみがえらせるために、何より大切なのは、国民のコンセンサスだと、私は思っています。私たちひとりひとりが、消費者とか生産者の垣根を取り払い、自分たちのために、日本の農業を守り、育てていくという気持ちを持ち、行動を始めるということが、絶対に必要なんですね。
そして、この問題を解決するキーワードは、「地産地消」という言葉ではないかと、私は思っています。
地産地消とは、「地域生産―地域消費」を短くした言葉で、その地域でとれた作物を、その地域で消費するというのが、食の基本だという考え方です。
「四里四方(約16km四方)で取れるものを食べることが健康に良い」という「身土不二」(しんどふじ)の考え方が地産地消の原点とも言われています。 「地産地消」そして「身土不二」には、その土地に住む人が、その力湧き出た水を飲み、その土地でその水で育った食べ物を食べることこそ、自然の摂理にかなっているという思いもこめられています。
なんと言っても、近くで栽培されたものなら、生産者の顔が見えますし、どんな栽培されたものなのかもわかります。また、近くで栽培されたものは、旬のもののはずですから、栄養価が高く、季節感を大切にして、四季を楽しむことで、健康につなげることもできます。
さらにそれぞれの地域には、地域で生産された産物を使った伝統的な郷土料理や家庭料理など、地域特有の食文化が多く存在しています。
これらは、季節のうつろいとともにもたらされる様々な農林水産物をぜいたくに使ったものが多く、まさにその土地の風土を感じることができる貴重な文化です。
こうした食文化も守ることができるんですね。
地産地消、身土不二のよさは食の面だけではありません。
農業には、産業としての面だけでなく、水源のかん養、洪水調節、大気の浄化などの自然環境の保全、美しい景観の形成、文化の伝承等の多面的な機能があるんですね。このように、地域の環境を保全する機能を持つ、自分のすぐ近くにある農業を守ることもできるんです。
では、これから私たちはどうしたらいいのでしょうか。
私は、10年間に渡って毎年夏、全国の農村の女性たちと共に、ヨーロッパのグリーンツーリズムの研修旅行を行ってきたのですが、その中で、ひとつ強く感じたことがありました。
それは都市に住む人に、農業の魅力、農地の大切さを感じてもらうには、現地に赴き、そこの空気を呼吸し、風をほほに受け、農家の人たちと触れ合うに限るということです。
まさに、百聞は一見にしかず、なんです。アルプス地方から始まったグリーンツーリズム運動は、今ではイギリスやドイツ、オーストリア、イタリアなど、ヨーロッパ各地に確実に根をはりました。
さわやかな緑の風が吹き渡り、牛や羊がのんびりと草を食む丘。
とれたての新鮮な野菜や果物が並ぶ食卓。
農家のキッチンで自家製のバターやヨーグルト、ジャムを作る楽しみ。
田舎の親類の家に遊びに行くような気軽さで農村に出かけ、しかも自然の中でのんびり低料金で過ごすことができるグリーンツーリズムは、いまや、ヨーロッパの人にとって、非常に人気が高いんですね。宿泊するだけではありません。たとえばフランスなどでは、日帰りで楽しむ人もとても多いんです。
私にはフランスのパリに住んでいる友人がいて、ヨーロッパに行くたびにそこのお宅に遊びにうかがったり、メールでもしょっちゅう連絡をとりあっているんです。彼女を通して知ったことなのですが、実はパリは、農業を非常に身近に感じることができる町なんですね。
たとえば今、パリで人気なのが、オーガニックのマルシェなんです。
毎週日曜日だけ開かれる「ビオ・マルシェ(オーガニック市)」には、大勢の人々が集まります。パリ郊外のオーガニック農家の人々が自分たちの作ったものを直接売る、いわゆるファーマーズマーケットが多いんです。
旬の野菜、果物、ベリー類などがたくさん並びます。
私も、時間が許せば、このマルシェにいつも足を伸ばします。
日本のお友達へのお土産をここで買うこともあります。それがとても喜ばれたりするんです。
買物せずにのんびり歩いたとしたら、15分くらいで通り過ぎてしまいそうなところですが、さっと通り過ぎる人はほとんどいないんじゃないでしょうか。すごく楽しいんです。買物や試食、お店の人とのおしゃべりで、立ち止まったり、笑ったり。2時間くらいは優に楽しめてしまうんですね。
そして、そこに並べられているものの、素晴らしいこと。 野菜やハーブなど植物は、その土地の土と水と空気で育つんだなぁということが、よくわかります。美しい水、透きとおった空気をたっぷり食べて育った植物は本物の味がするんですね。
そしてこのマルシェに集う人は、嬉しいことに、何を食べるか、どこのものを食べるかということを、自分で積極的に選択している人たちなんです。マルシェには野菜類だけでなく、本物のハムやチーズ、オリーブオイル、さらにはバラの香りのバスソルトや蜂蜜など、どれも欲しくなってしまうくらい、美味しくて、おしゃれで、楽しいんですね。そのためビオ・マルシェは、他の市場より少々お高めなのですが、可愛くて安全・安心なものが沢山あると、老若男女とわず、人気がどんどんあがっています。
また、フランスでは最近、パリから車で1時間ほどいった農園に休日、多くのパリジャン、パリジェンヌが集まるんだそうです。農家といっても、野菜、果物、畜産、それにワイン用のブドウ畑など、いろいろあります。そういった農場を紹介する特別のガイドブックもいろいろ出版されているとか。
家族で訪れる人もいるし、10代の子供達のグループが訪ねたり、グループ、あるいはカップルで楽しむ人もいます。
田舎の広い農場は、森や山、川がすぐ近くにあるから、都会での仕事に疲れた人にとっては、自然に接する絶好の機会なんですね。中でも、オーガニックの農場はダントツの人気なのだそうです。
話がちょっと横にそれますが、ヨーロッパでオーガニック農業がさかんなのは、農業を身近に感じている消費者が多いからではないかと、私は思っているんです。
農業で生産されたものが自分たちの命を守り、育ててくれると実感しているからこそ、健康を維持するために、積極的に意識的に「本当に体にいい食べ物=オーガニックフード」を選んで買う、グリーンコンシューマーとなるのだと思うんです。
こうして消費者と生産者との関係が近くなると、美味しくて安全なものを生産する農家を消費者がさらに積極的に応援したり保護したりする動きが、自然に生まれてくるんですね。そのため、フランスのみならず、オーガニック先進国のイタリア、イギリス、ドイツでは、オーガニックファームの耕地面積は、増えつつあるんです。
生産者と消費者ががっちりタッグを組んで、自分たちがいいと思う農業を発展させているわけなんですね。
ところで、日本ではまだまだ、農家民泊を経験した人は多くないので、農家で消費者がどう過ごすかということを想像するのは、ちょっと難しいかもしれません。それをわかっていただくために、まず消費者にとって農家で過ごすメリットは何かということを考えてみたいと思います。
私は、やはり第一のメリットは、生産者と直接会って一緒に食事をしたり、交流することではないかと思うんです。いつも自分が食べている農産物を栽培する農家で、それらがどうやって作られているかを見たり、体験したり。農場でとれたての食材を思いっきり味わったり。さらには、ジャム作りなどを楽しんだり。
そうした時間を過ごすことで、農家の人がどんな気持ちで作物に接しているかもわかり、信頼関係や食への理解が深まります。食べ物に対する見方が大きく変わる人も少なくありません。食べるときは、感謝して、味わって食べるようになる人も少なくありません。
またいろんな作業を体験しながら、自然環境全体=人と大地、動植物、空気や水のつながりを体感できます。一方、農家の生産者にとっても、消費者との交流はメリットがいっぱいあります。
まず、自分たちが作ったものを、目の前で味わってもらえる喜び。生産現場を見てもらいながら、消費者の本音や、普段どんな基準で食材を選んでいるかを知ることもできます。また生産者たちの本音や思いも、ふれあいを通して直接消費者に伝えることができます。訪問者がいることで、より安全、安心に心がける決意が強まるし、手を抜かないよう、努力を重ねるので、作物の質もアップするんですね。もちろん、農業とは別の現金収入も生産者にとっては大きな魅力です。
さらに、都市農地は、生産者と消費者のみならず、東京に暮らす人々にとっても、多くの恵みを与えてくれます。たとえば、ヒートアイランド現象に代表される都市の温暖化が顕在化し、社会問題となっている現在、都市農地はそれ自体が持つ気候緩和機能の面でも注目されているんですね。
農地が持つ気候緩和機能というのは、農地がその周辺大気の温度・湿度等をより快適に調整する機能のことです。農地で栽培される作物には、光や熱吸収により、周囲の気温を低下させる働きがあるんですね。水田はもちろん、畑などの緑地でも、そうなんです。
緑地には、二酸化炭素を吸収し酸素を発生させるだけでなく、大気汚染物質である亜硫酸ガスや二酸化窒素等も吸収し、無害な物質に変える働きがあるんです。 また、住宅密集地に隣接する農地などですと、畑が、風の通り道となり、熱がたまるのを防いでくれます。 その心地よさは、都市農地に隣接する市街地や住宅密集地にお住まいの方なら、実感されているのではないでしょうか。
温暖化が問題になっている今、今なお残る都市農地を維持することは、都市の温暖化の有効な対策の一つとして、本当に重要なんですね。今、東京の様々な地区で、農業の生産者と消費者とが手をつなぎあう試みがたくさん行われています。農家の生産支援ボランティアの育成を目指して研修をしたり、市民農園を農家に開設してもらったり、子どもたちの体験農業、あるいは体験型農園の開設など、実に多彩なプログラムが繰り広げられているんですね。
こうした取り組みに、さらに多くの人が参加するようになってほしいと願わずにいられません。より多くの人に、農業が素晴らしい生業であることを知ってもらい、都市農地で過ごす楽しさを味わってもらい、消費者生産者の枠を超えて、農業のサポーターを増やしていきたいものですよね。そのために、こうした取り組みをひとつにつなぐネットワークのようなものが必要なのではないでしょうか。
手をつなぎあい、情報を共有し、励まし高めあうようなネットワークを作り上げてほしい。それが私の願いです。
私は、先ほど農業をあきらめないといいましたが、今は本当に大切な時期だと思っています。将来に農業や都市農地をつないでいくために、一時もムダにはできない重要なときなんですね。
今、何をできるか、何をするかで、将来が変わってしまうといえるほど、過渡的な時期なんです。万が一にも、手遅れになってしまうようなことがないように、今がギリギリの時期だということを念頭にいれ、アクションを起こしていかなくてはなりません。
官民一体となって、台地に根ざしたあらゆる知恵を出し合い、都市農地を守り、育てていきましょう。私たちのために、私たちの子や孫のために。
消費者の方々は、まずは、都市農地を、ぜひ訪ねてみてください。都市農地を楽しみ、味わいつくしてください。そしてリピーターになってください。
生産者の方々は、そうした人々を快く受け入れ、緑の中で過ごす楽しみを、そして農業の奥深さを少しずつ伝えていってください。
写真はパリ在住のカメラマン・斉藤より子さんの提供です。

作家のC・Wニコルさんの「アファンの森」で


ゴールデン・ウイークの最中、ニコルさんの森に行ってきました。
素晴らしい天候に恵まれ黒姫も美しく、穏やかな風が森を吹きぬけます。
「アファン」とはケルトの言葉で”風が通るところ”という意味だそうです。
今回は5月16日放送のNHK「生活ほっとモーニング」の収録です。
この森にはじめて伺ったのが、20年ほど前。息子森(シン)と一緒でした。
20年経った森は光が燦燦と降りそそぎ美しい森となっていました。
ニコルさんは、ご自分の森の片隅に炭焼き窯を設けて、ご自分の手で炭を作り、その炭火の恩恵の中から日本の暮らし、文化を見出していらっしゃいました。その時、彼が私に語ってくださった忘れられない言葉があります。それは、
「浜さん。木を切って始まる文化もあるけれど、それによって文化を失うこともあるよね。森を失ったら、文化は完全に滅びます。」
その時ニコルさんはとても分かりやすく、森の大切さについて私に語ってくれました。日本の面積の約7割は森林です。原生林はわずか1%、日本列島の大昔を語る大切な証言者です。無数の生き物の原点です。戦のさなかも、木を切り、それを炭に代えて、無数の家の復興に使い、森は一心に人間に寄与しました。国破れて山河ありですね。自然にたすけられたのに、私たち人間は傲慢になっていないでしょうか。

ニコルさんは黒姫の森林の中に家を建て、森を守り、子どもたちの未来へと繋げていっているのです。”日本の森は病んでいる”・・・との思いから。
私はニコルさんの考えに深く感動し、自分なりに愛する樹木に何ができるかを、いつも考えてきました。壊されて、燃される寸前の民家の磨かれた柱や、芸術的なカーブの梁なども、あわやのところで、多少救うことができました。これらもかつては樹木でした。
 ”木には精霊が宿っている”と、私は信じています。
20年たった森は見事に甦っていました。
森の中でニコルさんの焼いてくださった長野産そば粉の”・パンケーキ”にたっぷりのラム酒いりのフルーツをのせ・・・美味しかったこと。「ごちそうさまでした」。

そして、これからもニコルさんの描く森は深化し続けるでしょう。
後ろ髪をひかれつつ、黒姫を後にしました。
帰りの電車では黒姫にさよならしながら、ビールで乾杯!です。
ぜひ、番組でご覧ください。