年末年始のご挨拶

皆さまにとって今年はどんな年でしたでしょうか。
私は今月はじめに『子供の「おいしい!」を育てる―大切にしたい親子の食卓』(すばる舎})を出版いたしました。
この本は私にとって初めての、若い母親向けのものです。日本の未来を作るのは子供たち。その子供を育てている母親が食を大切にしはじめたら、日本は変わると、私は常々思い続けてきました。
といっても難しく考えるのではなく、ほんのちょっとの工夫や気配りで、食はがらりとかわります。食が変われば、農に注がれる眼差しもやがて大きく変化していくはず。そうしたムーブメントになってくれたらと、祈るような気持ちで、書きました。
日本の食卓を本当の意味で豊かにするためには、消費者、生産者ともに意識変革が必要だと思います。そのために来年も、食と農の両面から私も活動していくつもりです。また、いくつになっても日々の暮らしを楽しみつづけるために、どう素敵に年齢を重ねていくかということも、模索していきたいと思います。
どうぞ来年も宜しくお願い申し上げます。

子どもの「おいしい!」を育てる―大切にしたい親子の食卓
子どもの「おいしい!」を育てる―大切にしたい親子の食卓 浜 美枝

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 “良いお年をお迎えくださいませ”

NHKラジオ深夜便-「青森県津軽平野」

今回ご紹介するのは青森県津軽平野です。
今夜あたりの津軽は雪がしんしんと降っているのでしょうか。
私は先週、津軽を旅してまいりました。青森の冬の風物詩といえば、ストーブ列車なのですが、今回は残念ながら、その時間がとれず青森空港に降り立ちました。
友人の西津軽の酪農家、安原栄蔵さんのご案内で津軽平野、浪岡町、黒石、弘前・・と回りました。安原さんとの出会いは「あ、これが本当のアイスクリーム!」と思わず一口、口にした途端、もうぞっこん惚れ込んでしまいました。
安原さんは、青森県では珍しいジャージー牛を導入。自家産の新鮮な牛乳を使ったアイスクリームを作っています。まず向かった先は、一度は訪れたかった津軽の画家「常田健」のアトリエでした。浪岡町でりんご園を営農しながら、生涯農民の暮らしを描き続けてきた常田さん。銀座の画廊で目にした「絵とその画家」展での作品に出合ったとき、感動を覚えました。
胸がキュンどころか、涙があふれんばかりの感動に包まれたのでした。生涯、中央画壇に躍り出るどころか、自分の絵すら売る事もせず、公開することも稀だったそうです。NHKテレビのドキュメンタリーで拝見した常田さんの日常生活は、穏やかなものでした。バッハやムスログスキーのCDを聴きながら絵筆を持つ手を休めず、ひたすら故郷、津軽の人々を描きつづけました。
常田さんは、明治43年生まれ。89歳で亡くなるまで、アトリエで過ごされたそうです。
「土に生き土と暮らし」「「紅いりんごと白い雪ノ下で、ただ絵を描いていれば幸せだった・・・」という常田健。
旧制弘前中学校卒業後、上京して川端画学校やプロレタリア美術家同盟研究所で学び、郷里に戻り、多くの反戦画を描いたことで弾圧も受け、その後は農民が一心に労働する姿を描いてきました。その一点一点に、私は涙せずにはいられませんでした。
1939年の「母子(おやこ)」と題する作品を今回もアトリエで拝見いたしました。頬杖する手は節くれだっています。疲
労困憊する母のそばの赤ちゃんはもるまると太っています。不幸と希望がそこにあるような気がしました。
「土地を守る」という作品は、農民が警官の楯に手をついてふんばって土地を守っている姿が描かれています。常田さんの作品は、反戦や戦いを描くのではなく、淡々と人間を描いているのです。しかしその淡々とした中に、言いようのない人間の苦しみと、さらにそれに屈しないたくましさも描かれているのです。
平凡社から出版されている「土から生まれた」の中の常田健さんの詩を読ませていただきます。
「満足」
冬、春、夏、秋
何回くりかえしてもいい季節だ。
ただくりかえしていてくれれば
それで満足だ。
ただこのくりかえしだけしかないように願う。
「木」
てっとりばやいところ
りんごの木を見るがいい。
音楽などを
かれこれ言うには
及ばないのだ。
木の構造は
生命そのものだ。
そのうねり。
そのわん曲。
その枝。
そのひと枝にまさるものは
ほかにあろうか。
これにまさる音楽もまたないのだ。
底冷えする蔵のアトリエは、お孫さんがストーブを炊き暖めてくださっていました。直前まで飲んでいたであろうカップ、ベッドの横に掛かっていたズボン、ジャケット。壊れかけた土蔵でひたすら絵筆を握り続ける常田がそこに佇んでいるような錯覚が生まれてくる。
制作途中のキャンバス。2000年4月26日突然帰らぬ人となった常田健さんが、そこに笑みをたたえ、背中を丸めストーブに手をあて思索している姿さえ見えてくるのです。ダイナミックな構図に、タッチに、主題に、深くて感動的な思いを味わい、少し戸惑い、作品に歳月があり、その時代に生きてきた人たちの多くの悲しみや痛み、そして喜びや愛も伝わってきたのです。
土蔵の扉を閉めると青森県の信仰の山として有名な岩木山が寒風の青空の中、くっきりとそびえておりました。
「常田健 土蔵のアトリエ美術館」は月に3、4日開館しております。
お問い合わせは  電話―0172-62-2442
交通
町内を縦断する形で国道7号とJR奥羽本線がほぼ並行しています。
鉄道
奥羽本線  大釈迦駅駅~浪岡駅下車
バス
青森市営バス  弘南バスが出ています。
そして、こちらも以前から訪れたかった商店街・・・黒石市の「こみせ」
こみせの町並みが続く「中町こみせ通り」全国同じような町並みの中で、ごく普通の小さな町が普通の暮らしを守り、人々の暮らしを支えています。幅1、6メートルほどの屋根つきの歩道が美しく、立ち並ぶ屋敷も立派で、国の重要文化財に指定されています。
「こみせ」とは、木製のアーケードのことだそうです。江戸時代の情緒を残し、市民に親しまれております。毎年8月には、日本三大流し踊り「黒石よされ」が三千人の踊り手による「流し踊り」も壮観とか。黒石は温泉郷で、山間に五か所の温泉があります。
次回はゆっくり秘湯に浸かってのんびりしたいものです。黒石町までは弘南鉄道弘前駅から30分。
お問い合わせは 黒石観光協会  0172-52-3488
そして、最後に一度は食べてみたかった「津軽そば」を食べに弘前市内に向かいました。江戸時代に生まれた伝統あるそばの特徴は、大豆をすりつぶした大豆粉を使い練った生地を熟成させてから打ち、出汁は昆布と焼き干しでとった
津軽の素朴な汁。今はあまり食べられなくなったとか。弘前・三忠食堂で前もって予約すればたべられます。小ぶりのどんぶりなので、私はおにぎりと一緒に注文いたしました。
料金は480円  電話  0172-32-0831
弘前市和徳(わっとく町)164
人と出会い心を賜(たぶる)そんな人情豊かな冬の津軽平野を旅してまいりました。

アンチエイジング医学を学ぶ

先日”健康長寿を目指して”アンチエイジング医学を学ぶ”という市民公開講座が東京三田でNPO法人「日本抗加齢協会」の主宰で開催され私も招かれ伺いました。
アンチエイジング医学とは?       講師  米井壽一氏
健康で豊かな骨を守るために       講師  鈴木敦詞氏
アンチエイジングのための栄養と食事 講師  白澤卓二氏
お三方の先生の後、私は私のアンチエイジング生活~「明日を素敵に生きる」をテーマにお話させて頂きました。
会場は専門分野の方、若い方々、そして私達世代。熱心にお聴きになられておりました。その時の内容を記します。
このたび、ここでお話させていただくにあたりまして、改めて、自分の生き方を振り返り、年を重ねること、いつまでも若々しくあることなど、様々なことを考えてみました。
若々しくありたいというのは、女性のみならず、多くの人が望まずにはいられないことでしょう。一方、年を重ねることの豊かさも、みなさま、お感じになっているのではないでしょうか。
実は、あさってが、私の誕生日で、……64歳になるんですね。20代のころ、60代の先輩方を見ると、雲の上の年齢という感じがしましたが、いまや、私もその年齢になっているわけです。
でも、それは、私にとって、決して、悲しいことでもさびしいことでも、ないんですね。若いときには見えなかったことが見えてくる、本当にそういうありがたいことが、たくさんあるんですね。
若い頃に比べて、気持ちのコントロールも上手になりましたし、自分が必要としているもの、していないもの、興味を持つもの、もたないもの、楽しいこと、楽しめないことが、年を重ねるごとにわかってきたようにも、感じます。
経験を重ね、考えを深めてきて、自分の輪郭というものが、くっきりとしてきたと言い換えてもいいかもしれません。そして、自分というものがわかってくると同時に、若いときよりも、もっと優しくなれるような気がします。
たとえば人の気持ちを慮ることもできるようになってきたような気がしませんか。若い頃は私を含めみなさん、自分のことでいっぱいいっぱいで、人のことまでなかなか気が回らないでしょう。そういう余裕がないのが、若さの一面だと思うんです。
でも、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、たくさんの経験を重ね、そのたびに、考えを深め、人間として弾力をそなえて、自分自身のことも少しずつ見えてくると、人は、他の人にも自然に素直に心を開くことができるようになるのではないでしょうか。
でも、年を重ねるということには、身体が老いてくるという誰もが避けられない厳しい一面もあるんですよね。あ、身体も心も変わったな、と私が始めて意識したのは、40代前半のころだったと思います。
今は、夫婦で協力して子育てを行う時代になりましたが、当時は、子育てと家事は女性の役目。男性ばかりではなく、女性も、もちろん、私もそれを当たり前のこととして思っていました。けれど、4人の子どもを育てながら、女優の仕事を両立させるのは、実際には並大抵のことではありませんでした。
私は実の両親に同居してもらい、子育てを手伝ってもらったのですが、それでも、次には何をして、その次には何をして……という具合に、しなくてはならないことと、時間においまくられることが続いていたんです。その疲労が、40代の前半に、ピークを迎えてしまったのだろうと思います。
もちろん、そこには私の個人的な状況もあると思うんですね。体がふたつ欲しいような日常だけれど、この幸せは絶対に手離してはならないと、私はすごく強く思っていたんです。ですから、心にも身体にも相当、力が入りすぎていたのかもしれません。
その上、私は不器用なくせに、完璧をめざしたがるところがあって、しかも、あのころの私は今よりもずっと融通がきかなかったんですね。いいわ、もうここまでにするわ、ということができなかった。
ピンとはりつめていてばかりでは疲れてしまうのがわかっていても、自分を緩めることができなかったんです。そのために、忙しさの中で、自分自身が磨耗してしまったのでしょう。
それまでずっと前に向かって走り続けてきた私が、ある日、立ち止まり、一歩も進めないような状態になってしまったのです。身体に鉛が入ったようで、動くことさえ辛く、お日様が大好きだったのに、外にも出て行きたくなくなりました。
子どもたちの話を聞くことも辛くなってしまったのですね。
たぶん、今にして思えば、欝っぽくなっていたのでしょう。それでも、仕事はありますし、子どもたちには待ったなしでご飯を作って食べさせなくてはならない。それが仕事を持っているということであり、母親なんですね。
夜、倒れこむようにベッドにたどり着いたり、子どもたちが眠った後、女友達の家に車を飛ばして、少し休ませてもらったりもし……思えば、数ヶ月のことなのですが、長く暗いトンネルの中を手探りで歩いているような気がしました。幸いなことに、すべてを受け入れてくれる年上の女友達がいてくれたおかげで、少しずつ元気を取り戻すことができました。
女性の身体は40歳を過ぎる頃から、女性特有の精神的、肉体的変化を左右するふたつのホルモン、エストロゲンと呼ばれる卵胞ホルモンと、プロゲステロンと呼ばれる黄体ホルモンの分泌が変化するために、微妙な変化を感ずるようになるということを、私はその後になってしりました。
40歳を過ぎる頃から、徐々に排卵をしなくなると、エストロゲンの生産が次第に減少し、黄体の形成もなくなり、黄体ホルモンの分泌もやがてなくなっていくのですね。けれど、エストロゲンと黄体ホルモンの分泌を司る脳下垂体前葉は、従来どおり、機能が減退してきた卵巣に対して、よりいっそうの刺激を与え、機能を回復せよと命じるんです。
脳下垂体前葉は自立神経中枢とも密接な関係を持っていますから、そのために自律神経の働きに狂いが生じて、様々な、私が味わったような症状に悩まされてしまうこともおきうるのだということも、知りました。
まさに疲労がピークに達したその時期に、身体のほうにも変化が訪れたというダブルパンチだったわけです。そのために、40代前半で私はうつうつと悩んでしまったというわけなんですね。
悩んでいる真っ最中のあのとき、そうしたサジェスチョンがあったら、少しはラクになれたのかと思いますと、ちょっと残念なんですね。自分の身体に何が起きているか、それを知るだけでも、心構えが違うではありませんか。
原因がわからないと、こんな風に鬱々してしまうのは、自分が悪いからではないかと、さらに自分をせめたりもしがちですよね。いや、そうではなくて、身体に変化が起きているために、心のコントロールがうまくいっていかないのだと、わかれば、それなりに別の対処があったと思うんです。
最近になって、女性の身体の変化、特に40代以降の身体の変化についての、研究と情報開示が進み、私、本当によかったと思っているんです。今、更年期という言葉を、なんのてらいもなく口にすることができる女性たちが増えてきていますよね。
私たちの時代は、まるで「生理がなくなると女も終わり」みたいな風潮があって、更年期などとは、とても口にだせなかったんですもの。今、そんなこと思う女性は少しずつ、少なくなっているのではありませんか。
更年期は女性なら必ず通らなければならない生理的変化の過程ですが、それは同時に、女性に与えられたすばらしい、女の一生の中でもっとも華やかな時期でもあるという認識が、だんだん広がっているんですね。
それは、その年齢の女性に対する社会的偏見、医学知識の誤解などを今、きれいに払拭しつつあるからだと思うんです。
そして今、女性としての自信、社会人として自信が、更年期以降の女性を生き生きと輝かせ、年齢を超えたその人独特の人間的魅力になるという考え方に変わってきているのではないでしょうか。
老化に対する考え方も変わってきているように思います。対処法を知っていれば、無駄な心配をしなくてすむからでしょう。
仕事でおつきあいのあるたとえば女性誌の編集者などは、「私、更年期で、ホットフラッシュがひどいんですよ。そろそろホルモン療法を始めようかしら」と、なんでもない表情でおっしゃるんですよ。
すると隣にいる同年輩の女性たちと「あら、私も」「どこの医者にかかっている?」「いい先生、いる?」という具合に、話がはずんだりもするんです。
そういう女性たちの姿を見るにつけ、自分の身体の状態を的確に把握し、それに対して対処するすべを知っているということが、いかに大切かということを考えさせられます。と同時に、医学の情報を精査して、きちんとキャッチしておくことが、本当に重要だなぁと思うんですね。
少し、私の個人的なことをお話させていただきます。
私が、老いを最初に意識したのは、50歳を超えたあたりだったでしょうか。まず、私は目に異常を感じました。「緑内障」の初期だったんです。幸い、点眼薬で治ったのですが、目に不安があるというのは、非常に精神的に重いものがのしかかったようなものだと感じました。
そこで、いろいろ考えまして、それを機に、車の運転をやめることにいたしました。私は、こう見えましても、運転にはちょっと自信があったんです。我が家は箱根ですので、箱根から箱根新道をとおり、東名を飛ばして、仕事に毎日行っていたんですね。
また我が家は12件の古民家を譲り受けて作り上げたものなのですが、古民家を訪ね歩いていた時期には、地方に古いぼろぼろのマークⅡをおいておき、それに乗って、どんな山道も走り歩きました。それが出来なくなるという寂しさ、足回りが悪くなり、世界が縮んでしまうような怖さもありましたが、私は私ひとりの身体ではないんですよね。
何より先に子どもたちの母親であり、子どもたち4人が社会人となり、独り立ちをするまで見守っていかなければならないわけです。その役割を果たすためにも、安全第一をとったわけなんです。
それからもいろいろありました。中でも、ショックだったのが、60歳になって、転倒しまして、背骨を骨折してしまったことです。あの日、私は会合がありまして、ピンヒールの高い靴を履いていたんです。ちょうど、雨上がりで、建物の床が濡れていたんですね。
そのときに、何かの拍子にバランスを崩してしまったんです。しかも転んだ後、すぐに病院に行けなかったんです。背中が痛くて、本当に辛かったのですが、講演の仕事がずっと詰まっていまして、しかもそれが地方だったんです。私たちの仕事は代わりがないものですから、穴をあけるわけにはいきません。
飛行機で地方に飛び、それから今度は電車で別の地方に向かい、それぞれのところで仕事をし、それからまた飛行機に乗って帰ってまいりました。それから病院に直行しますと、即、入院といわれました。「すぐ入院してください! 安静です!」と。
最初に無理をしたのと、年齢的に骨がもろくなる時期だったのが重なって、なかなか骨がくっつかず、完治まで長くかかりました。そのときに、骨粗しょう症にならないために、できるだけのことをしようと、決心しました。
女性は、ホルモンのバランスが大きく変化する閉経後、骨の量が急激に減るため、骨粗しょう症になる人の割合が高くなるそういう知識は、持っていたのですが、まさか、自分がそのために準備をしなくてはならないなんて、思わなかったんです。
けれど、背中を痛めて、それが現実味を帯びて、迫ってきました。骨粗しょう症(骨粗鬆症)とは、皆さん、ご存知だと思いますが、骨がスカスカになり骨折しやすくなる病気です。骨全体が弱まってしまうため、骨折してしまうと、折れてしまった骨が元に戻るまでにさらにさらに時間がかかるようになってしまうのだそうです。
また、骨折が原因で日常生活行動(ADL)の低下を起こしたり、さらには寝たきりになってしまうことが、今や大きな社会問題となっているんですね。お年寄りが、転んで、足の骨を折ったのがきっかけで、寝たきりになって、痴呆が進んでしまったという例を耳にしたことはありませんか。そういう例が、本当に多いのだそうです。
背中を痛めたのを機に、私がはじめたのが、毎朝の山歩きです。箱根の山を私は、箱根にいる限り、毎朝、1時間から1時間半、歩いているんですね。山ですから、アップダウンもあり、足元も平らではなく、最初は1時間歩くと、へとへとだったのですが、今ではもっと歩きたいと思うほど、体力が戻ってきました。
自然に抱かれて、きれいな山の空気を呼吸する喜びもしみじみと感じられるようになりました骨折が直った直後は、もうヒールの高い靴をはくのはよしましょうと思ったのですが、体力の回復と共に、そうしたお洒落心もまた目覚めてきました。
街を歩くときには歩きやすい靴をはいていますが、パーティや会合などには、私の好きなピンヒールの靴に履き替えて出ることも、このごろではたびたびです。
人生、塞翁が馬(さいおうがうま)といいますが、まさに、私は、骨折のおかげで、骨の老化に気づき、それをストップするべく、早めに手をうてたのではないかと思います。また、50代で車をやめたことも、むしろ、私にとってはよかったと思うんです。
車では通り過ぎてしまう風景を見ることができるようになりましたし、電車やバスを楽しむ喜びも改めて味わっています。
この会のテーマは「アンチ・エイジング」ですが、やはり、年をとれば失うものもあるんですね。
それを認めないのではなく、むしろ老いをもしっかり受け止め、その上で、カバーしていく手段を講じて、いつまでも生き生きと生きていくことが大切ではないかと、私は思います。
それには心の健康と、正しい情報と、ホームドクターの存在が、絶対に必要だと思うんです。
私には、信頼するウィメンズクリニックの先生と、整形外科の先生がおりまして、おふたりに会うだけで、私はホッとするようなところがあるんです。特に、ウィメンズクリニックの先生とは20年来のお付き合いで、私の体のことなら、私よりもよくわかっていらしてくださるんです。
その先生のところには、3週間に1度、伺いまして、チェックしていただいています。身体の悩みから心の状態まで、お話しすることもありますし、同じ女性の先輩でもあるその先生から、これからの女性の身体の変化を実体験としてうかがうこともあります。
何も変調がなくても、そんな風に私は通い続けているわけです。病気になってから病院へ行くというのが、これまでの常識でしたが、私の場合は、病気にならないために、病院に通っているという感じです。状態をひどくしないために、先生に対処法を教えていただいていると、いいかえてもいいかもしれません。
ホームドクターからはもちろんですが、私は雑誌や本を通しても、新しい医学情報を積極的に取り入れようとしています。
40代のあのとき、自分の身体の状況がわからなかったために、症状を重くしてしまったのではないかという、反省があるからなんです。また、私は仕事柄、たとえば肌の状態などにとても敏感にならざるをえないところがあるのですが、そのおかげと申しましょうか、心の健康と身体は密接につながっていると、日々、感じさせられるんですね。
撮影の前に、仕事や家庭でごたごたしたときなどは、肌がたちまちつやを失ってしまいます。夜更かしや、不摂生も、端的に肌の状態に表れます。そうかと思いますと、何か楽しいことを控えて、心が明るく踊っているようなときには、肌は生き生きと輝き始めるんです。
今は美肌ブームで、洗顔やマッサージの重要性が指摘されない日はありませんが、もちろん、ご興味のある方はそれをしっかりやっていただいて、でもそれだけに気を使うのではなく、心の持ち方に留意することも必要ではないでしょうか。
ありあまる物質、過剰な情報、あおられる競争意識……現代は、このようにめまぐるしく、非常にストレスの多い生活環境であることは事実です。人と比較することなく、自分のペースで、自分流に生き、瑣末なことは「気にしない」ようにして、そして「謙虚である」ことを大切にするスタンスが、この現代を明るく生きていくために、私は必要だと思っています。
また、食も大切です。
私は、農と食を今の自分のテーマにしているのですが、ときに「女優なのになぜ、農と食がテーマなのですが?」と聞かれることがあります。それは、食べたもので人は作られるからなんですね。農と食は、私たちの命と密接に結びついているものだからなんです。
若々しく美しく生きるために、私がもっとも大切にしているのは、食といって過言ではないかもしれません。そして、食べるということは、人生最大の楽しみのひとつでもありますよね。
今は、これが美容食だ、健康食だという情報がテレビをはじめとしたマスメディアから流れっぱなしの時代ですから、多くの人がそれに翻弄されている面もあると思うんです。
でも、ちょっと後になって、それが断片的な知識に過ぎず、それだけ食べるのはむしろ弊害が多いことがわかったりもします。何十年も食べてきたもので、私たちの身体は作られているわけで、劇的に変化させようというほうが、無理があるんですね。
大事なのは、もっと当たり前の普通の食事ではないでしょうか。野菜をたっぷり、精製された、たとえば砂糖などは少なめにする、そして栄養バランスの取れた食事こそが王道だと思うんです。
そして、野菜なら、なるべくケミカルを使わずに素直に栽培されたものを、食べたい。そしてみなさんにも、ぜひ、それをおすすめしたいんです。
それから睡眠。年齢を重ね、無理がきかなくなり、疲れやすくなったら、ちゃんと睡眠をとり、身体をやすめてあげることが本当に大切だと思います。
そして若々しくあるために、もっとも大切なのは、限りある人生を一生懸命に真剣に、前向きに生きていこうという意欲を持つことではないでしょうか。そういう意欲を持っていれば、身体の不快、心の不快に対しても、いち早く、懸命な対策をたてて実行して、自分の生きる内外の環境を整えようとするのではないでしょうか。
先ほど申し上げたように、私はもうすぐ64歳ですが、今が本当の意味での青春だと思っているんですよ。人から見たら、足りないところがまだまだたくさんあるでしょうけれど、20代よりはるかに今のほうが理解力、応用力、判断力があると実感できますし、身の丈を知っているので、無理をせず、自分のペースで進んでいけます。
この青春は、数々の人生経験が培ってくれた贈り物、あるいはご褒美のように感じます。今の青春を、これからも私は一生懸命、歩いていきたい。そういう仲間がどんどん増えて欲しいと思っております。
みなさん、これからも一生懸命、前向きに一歩一歩、歩いていきましょう。