映画 ボヘミアン・ラプソディ

伝説のバンド「QUEEN」

60年代後半から70年代。私はロックバンドの音楽やコンサートにはあまり行っていないし、聴く曲も何となく”聴いたわ、知っている・・・CMや映画で”程度のまったくの未知の世界でした。

今回映画を「IMAX」で観ました。音響、映像、なによりもワンフレーズを耳にした途端に鳥肌がたつような想いにかられ、吸い込まれていきました。

1970年、ロンドン、複雑な生い立ちや、容姿のコンプレックス、セクシュアリティを抱える若者フレディのスタート。

彼は1991年45歳という若さで他界しています。彼らを演じるのは現在活躍している俳優たちです。

正直に言って映画の中盤からでしょうか・・・なぜか涙が止まらない、バックからハンカチをそっと取り出し目頭をおさえ、エンドロールになってもその感動を抑えることができません。

ヴォーカルのフレディ・マーキュリー。魂が乗り移ったかのようにフレディを演ずるのはエミー賞にも輝いたラミ・マレック。音楽総指揮は、「フレディの意思を守るため」に全てに関わったというQUEENのメンバー、ブライアン・メイとロジャーテイラー。

観衆、人々に寄り添い続けた名曲の数々はこれほどまでに人の心を揺さぶるものなのでしょうか。ひと目で恋に落ちるフレディ。数々のヒット曲を世に放ち、大スターになっていく「QUEEN」そしてそこから生まれるフレディの苦悩の数々。

『これは伝記映画ではなく、純粋なアート』。

家族や人間関係、希望、夢、悲嘆や失望、そして最後には勝利と達成感が誰にとっても共感できるものがたりです、と語っていますし、制作したクラハム・キングは『この映画で私たちがやり遂げたことを誇りに思う』と。

10年近い歳月をかけて制作した彼の思いには尊敬いたします。そして、私はフレディ役を演じたラミ・マレックに拍手喝采!です。彼は語っています。彼の曲に共通するテーマは『愛だね、愛を求め、愛を見つけることへの切実なニーズ。そして、かなわない、その願い』・・・

フレディは大変な日本贔屓で、7回の来日のうち1回はプライベートできて、美術関係に造詣の深いフレディは日本の骨董品もずいぶん買われたようです。

1975年の初来日の羽田国際空港。大勢の日本人女性の歓迎をうけます。私は・・・といえばその頃、羽田空港国際線ターミナルからニューヨークやインドなど、また日本国中の旅の下。

ほんとうに残念です。当時のライブを生で観られなかったことが・・・。映画館にはその「QUEEN」のコンサートやCDなどを楽しんでいらした女性たちや若者も多く、すでに興行収入は100億を超えたとか。

この年齢で知ったロックの魂に触れられた幸せをかみしめながら、近じかもう1回観に行こうと思っています。

小さな旅・鎌倉

小雪舞う箱根の山はそれは美しいです。先日も早朝いつものようにウォーキングをして芦ノ湖の畔まで行くと雪もやみ霊峰・富士が見え”キレイ”と思わず手を合わせていました。

しばらくすると青空も見えてまさに「三寒四温」。厳しい冬の中にわずかに寒さがゆるむ日。このような日は一番ウキウキする日なのです。

春を待つことば、「三寒四温」。このような日の私の頭は”小さな旅がしたい!”でいっぱいになります。『そうだわ・・・あの幻想的な竹林で美味しいお抹茶をいただきたい』、ということで山をバスで下山し大船乗換えで鎌倉へ。

鎌倉は娘が営んでいるアンティークショップ「フローラル」があるので時々訪ねます。

鎌倉駅から鶴岡八幡さままでの小町通りなどは観光客で賑わい歩けないほどですが、脇道に一歩入れば、細い路地にかつて文士たちが暮したであろう往時の気配が残る魅力ある街です。

そこで、まず私はかねてから気になっていた、鎌倉駅のホームからも見える「チョコカフェ」に行きました。西口から徒歩1分。1階奥には木のぬくもりが感じられるカフェとショップ。2階席ではカフェから電車を見たり外の景色を見ながらホットチョコにエスプレッソを入れた飲み物をいただきながら、のんびりと寛ぎます。

目の前は桜の樹。春も素敵でしょうね。1階のショップでは美味しそうなチョコが並んでいました。ここのチョコレートはカカオバターや乳製品が入っていないとのこと。

カカオ豆の風味が楽しめます。
お店の名前は「ダンデライオンチョコレート」。

何でも発祥の地はサンフランシスコとのこと。『朝焼きたてのチョコレートクロワッサン』も美味しいそうですが、ボリューム満点。次回、挑戦してみましょう。

今回はチョコクッキーをおみやげにして東口に地下道を通り、駅前のバス乗り場へ。京急バス。(23・5番)太刀洗行きか(24・5番)金沢八景行きなど。

浄明寺下車(約15分)そして坂を少し上ったところが(徒歩3分)『報国寺(ほうこくじ)』。

足利氏、上杉氏の菩提寺として栄えた禅寺です。美しい参道に続く「薬医門」が迎えてくれます。苔むしたアプローチが美しく目を楽しませてくれます。茅葺で趣のある鐘楼(かねつき堂、)鎌倉将士の墓五輪塔郡、本堂には本尊、釈迦如来坐像、川端康成が「山の音」を執筆したといわれる小机が残されているそうです(ともに非公開)。

日曜日7時半から座禅会も開かれ初心者にもていねいに指導してくれるようなので、ご興味のある方はお調べください。

入場込み、お抹茶とお菓子付きで700円。木漏れ日が差し込む竹林の散策路を通り、「休耕庵」でお茶をいただきながらの午後のひとときは至福のときです。

美しい竹の庭には約2千本の孟宗竹が一年を通じて美しさと力強さが堪能できます。目を瞑りしばし・・・非日常的な空間に身を置くことで、身体の力が抜けていきます。『好きです私、こういうひとときが。』風の音、竹の葉のすれる音、日本の美ですね。

そして、またバスにのり娘のショップでひと休み。彼女のショップの品々はセレクトが私の好きな商品が多く、行くのが楽しみです。今回は友人へのプレゼントにカップ&ソーサーを選びました。

そして、日も落ちかけた夕暮れ時、行くと毎回うかがう「ガーデンハウス」へ。西口から歩いて3,4分のところにあり朝は9時~22時まで。朝のパンケーキ、フレンチトーストも美味しいの。一度早起きしてパンケーキを食べにいきましたっけ。

こうして、私の小さな旅は終わりました。東海道線とバスを乗り継ぎ帰路に着きましたが、この頃思うのです。この年齢になったら、思いついたら行動し、風や匂いに癒され、自分自身を解放してあげる・・・大事なことのように思います。

心にしみわたる映画と芝居

まずは映画から。

家に帰ろう

私は映画を観終わってからパンフレットを必ず買います。そして、帰路につく新幹線の中で、また家に帰ってからじっくり読み余韻に浸ります。出演した俳優、監督、スタッフ、プロダクションノートなどなど、映画を2度観たような気分になれます。

今回はプログラムを開いたと同時に目に飛び込んできた方、十代目・柳家小三治師匠のお名前。

誰にでも観てもらいたいけど
誰にも教えたくない気持ちもある。
たまたま観た人と良い映画だったねと
言えたら嬉しい。

泣けて笑えるアルゼンチン映画です。多数の国際映画祭で観客賞を受賞した感動的なロードムービー。

アルゼンチンから故郷・ポーランドへ向う88歳の仕立て屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。ナチスのホロコーストを生き延びた男性が、70年越しの約束、自分が仕立てたスーツを届けに最後の旅にでます。

家族から老人施設に入るように言われ、その予定の前夜にポーランド行きの列車に乗ります。カードに「ドイツを通らず」と書き。

スーツの届け先は、第二次世界大戦中にホロコーストから命を救ってくれた親友。でも70年の歳月がたっています。

寝坊して電車に乗り遅れたり、旅費を盗まれたりとトラブルの連続ですが、そこで出逢う人々とのユーモア溢れる、人情味あふれるシーンの数々に、涙がこぼれたり、笑いがこみ上げてきたりします。

出発したところが”家”だったのか、向う先が”家”なのか・・・

70年ぶりの再会ははたせるのか。
そして迎えるラストシーン。

パブロ・ソラロス監督は、お祖父ちゃんがポーランド人で、アルゼンチンに移住し仕立て屋をしていて、監督が5、6歳の頃に「ポーランド人なの?」と聞いても沈黙が家族の中にはあったそうです。作品を観ることなくお祖父さんは亡くなっています。

物語の中盤で、ドイツを毛嫌いする頑固なアブラハムに手を差伸べるのが、ドイツとポーランドの女性という設定もニクイ!うならせてくれます。

少しづつ心を開いていく主人公。旅する中で他者との出会いによって、暗く深刻になる話がユーモアのある人間味あふれる映画になっています。

小三治師匠の『たまたま観た人と良い映画だったねと言えたら嬉しい』とのコメントに深くうなずく私。

旅の終着点で見せる主人公アブラハムの表情がすべてを語っています。親友に出逢えたのです。街灯で親友のポーランド人と出会って心ゆくまで抱き合って泣きます。

人はどこに生まれ、どこに帰りたいのでしょうか。泣かされました。人って愛しいと思いました。国境を越えて。

銀座シネスイッチで。

そして芝居

蝋燭の灯りだけの舞台に、ゴザをまとった老人が中央に静かに静かに歩いてきます。腰は曲がり、盲目のひと。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」。

民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」のなかの「土佐源氏」を戯曲化した独演劇。

著書の冒頭に「あんたはどこかな?はぁ長州か、長州かな、そうかなあ、長州人はこのあたりへはえっときおった。長州人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕ききで、みなええ仕事しておった。」で始まる宮本常一の「土佐源氏」。

私がこの本に出会ったのは20歳くらいの時だったと記憶しています。

日本全国をくまなく歩き、古老から話を聞き、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在。私にとって『宮本常一』という方の存在は驚きでした。

生涯地球を4周するほどの行程をひたすら自分の足で歩き続けた民俗学者。机上の空論ではありません。でも・・・私自身若かったから、どこまで理解できていたのかは定かではありませんが、本を読みあさり、足跡を追って旅に出て、土地の古老から「宮本常一」の人となりを聞き、故郷の山口県周防大島に通い、私の旅の原点になったのでした。

芝居の話にもどります。

演ずるのは初演から51年。1200回を超えてなお舞台に立ち輝きを放つ役者『坂本長利さん(88歳)』

1月5日と6日、座・高円寺で1200回突破記念公演がありアフタートークのある5日に行ってまいりました。
https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

(写真出典:和の心を伝えるイベンドプロデュース響和堂

はじめて拝見する芝居。
”圧倒されました”

初演は1967年、新宿のストリップ劇場だったそうです。それから今日まで「どんなところでも、その土地、その場所が私のひのき舞台」とおっしゃり出前芝居のはじまりでした。

ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、エジンバラ、最初はポーランドだったそうです。字幕ナシ、開演前にポーランドの俳優が、ポーランド語と英語であらすじを朗読したのです。すべて日本語での舞台。

ボン(ドイツ)では劇場支配人が舞台上で「サカモトが、私の劇場の床に汗を落としてくれた。こんなに嬉しいことはない。また是非来てくれ」といわれたとあります。

「土佐源氏」について坂本さんは語られます。「演り始めた初期のころ、あまりのつらさに爺さんを殺してしまいたい、と”殺せぬものへの殺意”をいだいたことが二度三度あった。」と。

四国山中に実在した者からの聞き書きです。

それを30代の坂本さんがなぜ、どこに惹かれ舞台にあげたのでしょうか。「役者の業の深さと言えるかもしらんが、人間の修羅場にひかれてしまったのだろう。」とも仰います。

盲目の老人、牛や馬を売買する商いに従事する姿。70分の舞台をひとり演じ続けます。客席は250席くらいでしょうか、満席です。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」・・・

宮本常一ご夫妻も1971年の7月、水道橋の喫茶店で演じたときにご覧になり「お前さん大変なことを始めたもんだなあー。(以下略)」と。

舞台終演後、素顔に戻っての対談の椅子に座った坂本長利さんにまた驚き。若々しい!ダンディー、チャーミング、その優しいまなざし、役者魂の姿。2011年に胃がんの手術後も毎朝散歩し、木刀を100回振って体を鍛えていると新聞に載っていました。

精力的に舞台に立ち続け、呼ばれたら全国どこえでも出かけて「出前芝居」を続けておられます。

”人を愛するこころ” がどれほどのものか”情”の大切さも教えられ、観終わり心地よい気持ちにさせられました。

『百歳になったら、もっといい芝居ができるんじゃないかと思う。それが楽しみ。』と坂本さん。

素晴らしい映画と芝居に出逢いました。

松の内

皆さまはどのようにお正月を過ごされたでしょうか。今日から「御用始」。挨拶回りや新年会、という方。まだもう少しゆっくりお休みという方。主婦の方は年末年始はゆっくりできませんね。ご旅行に出かけられた方もおいででしょうね。

「松の内」は関東では元旦から6日または7日まで、関西では14日または15日まで。

『初夢』はごらんになられましたか。元旦の夜から2日の朝にかけて見る夢。「一富士、二鷹、三茄子」は、縁起のよい夢の代表。私はこの古伊万里の大皿で元旦を迎えます。

年にたった一回、お正月の朝だけ、おせち料理の取り皿として使います。一年に一度の出番なんて贅沢のようですが、晴れがましい気持ちになりますし、心のなかでウフッとしてしまうような楽しさがあります。

初夢のめでたいもの尽くしのお皿一枚一枚、家族一人ひとりの前に並べながら、家族の息災と幸せを祈ります。調べてみましたら「一富士二鷹三茄子」の節はいくつかあることがわかりました。ひとつは「不死、貴、成す」つまり日本人お得意の語呂あわせからきているという節。またかつては冬のナスは高価な贅沢品なので、初夢に出てくるのは縁起がよいとされた説など・・・

平成最後の元旦、私は夜明けとともにわが家から歩いて30分ほどの箱根神社に初詣に向かいました。うっすらと茜色に染まった雲、山の稜線、澄んだ空気。元旦の初空は晴ればれとしています。

2019年が、災害のない平和な年になりますように。そして、家族の無病息災を祈願いたしました。

そして2日は箱根駅伝を沿道で観戦。小雪舞う芦ノ湖に選手が次々にゴール。あの山を上ってのゴールです。3日は早朝、まだ月、星の見える時間にスタート地点に行き、応援団の皆さん、「箱根駅伝」のスタッフの皆さん。地元わが町の皆さんのお手伝いする姿、スタート前にインタビューを受ける監督など。富士山の美しい姿も芦ノ湖の向こうに見えてきます。

一年間この日のために頑張ってきた選手、スタッフのみなさん!頑張れ!ゴールするまで応援を続けます。

そして、今日4日は毎年恒例の上野鈴本演芸場に新春の落語を聴きに行きます。お正月ならではの出し物。華やかな寄席です。自称”おっかけ”の小三治師匠もご出演なさいます。トリは柳家三三師匠。

こうして私のお正月は終わり、仕事始めは6日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」がスタートします。新年最初のお客さまは、政治学者の姜 尚中(カン・サンジュン)さんです。

この度、『母の教え 10年後の「悩む力」』をお書きになられました。姜さんは来年(2020年)、古希を迎えられます。これまでの生活をリセットされ軽井沢へと移住されました。

この放送は収録なので、年末にお話は伺いました。ご著書の中に『私は今、極寒の厳しい冬が巡ってくるにしても、「高原好日」の環境のなかにいる。生々しい下界の世界に片足を置きつつ、他方で、高原の緑に身を潜め、世界を揺るがすような出来事をじっと見つめている』・・・お母さまからの教えについてもたっぷり伺いました。放送は2回にわたります。ぜひ、直接、姜さんのお話をお聴きください。

放送は1月6日、13日
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。