エミール・ガレ 自然の蒐集

ゴールデンウイークも終わり、また日常の生活にもどりましたね。皆さまはどのようにお過ごしでしたか。

私は日ごろ行き届かない掃除や読書。早朝のウオーキングは毎朝約1時間、芦ノ湖の周りを歩きました。皆さん、もう6時前から釣りを楽しんでいました。

富士山を見ながらのウォーキングは最高に幸せなのですが、もう少し出かけたくなり、強羅近くのポーラ美術館へとバスを乗り継ぎ、初夏の風を感じながら行ってまいりました。

観たかった『エミール・ガレ 自然の蒐集』です。

開館以来初となるエミール・ガレ展です。植物学や生物学など自然をモチーフに作品が素晴らしいガレ。今回、『ガレが魅せられた「神秘の森」「驚異の海」』と書かれています。

ガレが活躍した19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは日本植物ブームが起っていました。ガレは自邸の庭で、2500種あまりの植物を栽培していたとのこと。浮世絵などによる日本趣味だけではなく、「園芸のジャポニズム」も芸術に大きな影響を与えたことが良く分かる展覧会です。

日本の植物を持ち帰ったドイツ人の医師であり博物学者であったフリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の存在は大きかったと思います。マツ、ソテツ、タケ、フジ、アジサイ、モミジ、ウメ、そしてユリにも魅せられたようです。ガレの植物リストにはテッポウユリを度々購入した資料もあります。ガレのガラスの作品の中で日本の花が見事に開花されています。

今回の展覧会でとても興味深かったのは、作品を彩るモチーフはただの装飾ではなく、ガレ自身の科学の観点からも捉えられているところです。

鉱物標本、昆虫、植物などの標本は「東京大学総合研究博物館」からの出品です。自然のかたちから多様なモティーフを工芸へと生み出された背景がとてもよく分かる展覧会なのです。

58歳という若さで白血病のために死去しますが、晩年のガレの作品からは、”自然の偉大さと生命の神秘”へのかぎりない愛が存在していたのでしょう。私たちより100年以上前にガレは環境保護の必要性を訴えています。

ガレの工房の扉には『わが根源は森の奥にあり』という言葉が掲げられていたそうです。

ときには喧騒を離れ、神秘の森に身をゆだねてみてもいいですね。

箱根はこれからアジサイが咲き、新緑のなか、箱根湯本から登山電車に乗り、終点の強羅で降り、「観光施設めぐりバス」に乗ると美術館の前に着きます。

そして、美術館を見終わったら、敷地内の「森の遊歩道」がお進めです。のんびり歩いても20分ほど。ブナ・ヒメシャラ(花は7月初旬に咲き、開花期は1週間ほど)ですが、5月~7月にはヤマボウシの花がまるで夏、真っ白の帽子をかぶったような姿がみられます。

初夏にかけてはメジロ、ウグイス、キビタキ、など美しい歌声が聴こえてくるでしょう。ペット連れの方もこの道はリードを使えばOKです。

「エミール・ガレ 自然の蒐集展」は7月16日(月)までです。
会期中は無休
開館時間午前9時~午後5時

美術館の公式ホームページ
http://www.polamuseum.or.jp

樹木医 和田博幸さん

今年は全国的に桜の開花が早かったですね。
みなさん、おひとりお一人に桜についての”想い”があるのではないでしょうか。

私もず~と昔、岐阜と富山の県境に400年もの樹齢を誇る老桜樹がダム建設のために水没してしまう・・・ということになり、数人の男たちの桜へのひたむきな想いによって移植され、今もなお季節がめぐるたびに美しい花を咲かせてくれる桜を何度も見に行きました。

『桜守(さくらもり)』という小説を読んでのことでした。自ら土になって木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。私にそういう男たちの存在を教えて下さった・・・作家、水上勉さん。

初版は昭和43年。御母衣(みほろ)の桜を初めて見たのは移植して何年も経っていましたから、もうしっかり根づいている印象でした。

“あ、これが、あの桜・・・”と、小説世界とだぶらせて思い入れもひとしおでした。老樹とは思えないほど花が初々しかったのが印象的でした。あれから何度も何度も御母衣の荘川桜を見に旅にでました。

そう、40年近く前のことです。ある時、仕事で水上先生と対談をさせて頂く機会に恵まれ「桜守」の話になりました。小説の中には、木と人間の様相が重なったり、木で人を語ったり木の中に人の真実をみたりで、大変興味深く拝読しました。と申し上げ、なぜ私たち日本人はこのように桜に惹かれるのでしょうか、と伺いました。

「散る」とは「咲く」こと。
桜の生命の長さに私たちはひきつけられるのです。・・・とおっしゃられました。

そうですね、散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに憧れるのですね。人間の生命のほうがはかないかもしれませんね。桜は日本の国花ですね。と申し上げたら、先生はこうお話になられました。

「そうです。国学者の第一人者であった本居宣長さんが、『敷島の大和ごころにたとうれば、朝日に匂う山桜』とうたいました。そこからきていると思います。万葉の歌人たちはみんな桜を愛し、西行も含めてこの世の諸行無常をいう人たちも、無情のひとつのヒロインとしての桜を愛でた人が多いのですね。」

「桜というのはせっかちな日本人の気質にも合っています。360日辛抱して、六日ほど咲いて、見に行ったら雨で、二~三日おくれたらもうあかんしな。一生に一度めぐり会えるかどうか。素晴らしい桜とはそういうものだと思いますよ。」と。

お花見が終わると、どうしても私たちは桜のことを忘れてしまいがちです。咲き終わった後の桜の木の手入れはどうされているのか・・・。とても興味がありました。そこで出会ったのが、樹木医の和田博幸さんです。

和田さんは、山梨県北杜市の山高神代桜を復活させたことでも有名です。ぜひお話を伺いたくラジオのゲストとしてお越しいただきました。貴重なお話でした。

和田さんは、1961年、群馬県のお生まれ。東京農業大学卒業。最初は草むしりのアルバイトがきっかけだったそうです。「草むしりはとても奥深い」とおっしゃいます。「丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。」そんな仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員を経て、たちまち桜に魅了されていきました。

2015年には、和田さんが手がけた神奈川県座間市の緑道(りょくどう)の桜再生プロジェクト「相模が丘 仲良し小道さくら百華の道」が完成しました。他にも数々の桜のお医者さんとして、全国をめぐっておられます。

私も人生一度は行きたいと思っている鹿児島県・屋久島の屋久杉などのお話。樹齢1000年を越す木が全国にありますが、長生きする木とそうでない木のお話などなど時間を忘れて伺ってしまいました。

みなさん、ご記憶ございます?
2010年に鎌倉の鶴岡八幡宮のオオイチョウが倒れてしまいましたが、倒れた後に根元から新しい芽が出てきた、と報道されましたよね。その生命力に私は感動致しました。

今日もまた、桜の再生請負い、日本全国を飛び回る和田さん。

「手を差伸べれば桜は応えてくれる」とおっしゃいます。
お花見で桜が終わっても、散った後にも想いをはせたいですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
5月13日 放送
10時半~11時

おにぎりと日本人

大型連休もあと2日で終わり。この連休中、おにぎりを握ってどこかえ出かけた、あるいはコンビニで購入してお出かけ、というご家庭もあったのではないでしょうか。

お子さまのお弁当に、受験の時の夜食におにぎりを握ったというお母さんもいらっしゃいますよね。いえいえ・・・この頃はお父さんが、という方もおられますよね。

私もお弁当作りはずいぶん長い期間いたしましたし、子どもが小さい頃は土曜・日曜などは庭にゴザを敷いて、おにぎり・卵焼き・ウインナーなどカゴにいれミニピクニックを楽しみました。

ところで”おにぎり”って日本にしか存在しない・・・って知っていました?

知っているようで知らない、日本人のソウルフード『おにぎり』について書かれた本に出会い、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在していたのか。稲作が中国大陸、あるいは朝鮮半島から伝わったことを考えると、中国や韓国にも当然おにぎりは食べられていたはずですし、「おにぎり」と「おむすび」の呼び方が違うのは何故?と謎は深まるばかりです。

そこで出会った素晴らしい本が、増淵敏之さんの『日本人とおにぎり』(洋泉社)です。

増淵敏之さんは1957年、札幌市のお生まれ。東京大学大学院・総合文化研究科 にて博士課程を終了。以前はFM北海道、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテイメントなどに勤務され、現在は法政大学大学院・政策創造研究科の教授。地域の物語性を観光資源として活用するコンテンツツーリズムの専門家でもあります。

海外、日本国内をフィールドワークする学者であり、歴史や地域性を研究する方でもあり、ぜひラジオでお話を伺いたいとお招きいたしました。

コンビニで販売しているおにぎりの具材の多さにびっくりしますよね。鮭・昆布・梅干など昔ながら定番に加え、炙りサーモン、大葉味噌、チャーハンむすびに、あさり混ぜご飯など。よく聞く”ツナマヨ”を私は食べたことがなく、先日買って食べてみたら美味しい!のですね。この商品の生まれたエピソードも伺いました。

さて、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在したのか。

1987年11月、石川県中能登町にある弥生時代の遺跡「杉谷チャノバタケ遺跡」から、奇妙な物体が出土されたそうです。真っ黒に炭化した、手のひらに載るくらいの塊で全体が円錐状になっていて人為的なもの。塊が蒸した米であったことから、増淵さんは「おにぎり」である、とおっしゃいます。

弥生時代中期から後期、水耕稲作が大陸から日本列島に伝わり、定着したころのものと増淵さんは推測されています。

「原始的なおにぎり」と現在の「おにぎり」とは異なり、私たちが食するおにぎりは炊いたお米を握ります。しかし当時は、殺菌効果がある笹の葉に巻いて加熱したようなのです。

それらは「お供えもの」、つまり神事に使われていたようです。日本文化のお米は、信仰の対象なのですね。そうか・・・。私たちが日ごろ食べているおにぎりは、実は神聖な食べものであることが本を読むとよく分かります。

『源氏物語』にも「握飯(にぎりいい)」として登場します。

稲作が中国大陸(または朝鮮半島)からやってきたならば、なぜ中国には「おにぎり」がないのか。それは、中国人は冷えた食事をする習慣がないから、とおっしゃいますし、韓国にも「おにぎり」としてはなかったそうです。

鎌倉時代、承久の乱では幕府の武士におにぎりが配布され、戦国時代に全国に広がり、江戸時代には庶民の食べものになったとか。そこで、「おにぎり」と「おむすび」の違い!は?地域性なのか、他の理由があるのか?

答えはぜひラジオをお聴きください。

みんなが大好きな”おにぎり”には物語があるのです。私たち独自の素手で食べる「おにぎり」や「お寿司」って、人の温もりが感じられますよね。

”お母さんの握ったおにぎり”

やはり子供達にはその温もりが、愛が大切なのではないでしょうか。
増淵先生からいろいろなお話を伺いました。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
5月6日 日曜日
10時半~11時の放送です。