夢を入れる筥(はこ)

春が近づくと心がウキウキしてきます。
「さあ~何を入れましょう・・・」
それは、「箱」と書かずに「筥」と書きます。薄紅色に染めたガラスの表面に、金箔を桜の花びらを散りばめたように貼り込んだ六角形の飾り筥。私が大切にしているものたちのなかでも、特に気に入っている宝ものの一つです。
そういえば、遠い昔の少女の頃にも、そんな風に大切にしていた宝ものの箱がありましたっけ。
季節の花々を形どった色とりどりの練り菓子は、どれもきれいで美味しかったけれど、私にはそれ以上にお菓子の入っていた箱の方が、もっと魅力的だったのでした。幼い日、私の家を訪ねてきたあの美しい和服姿のお客さまは、いったい誰だったのでしょう。
きれいな和紙でできた、淡い桜色の箱。
おはじきや、千代紙や、ビーズの首飾りや・・・自分がほんとうに好きな物、
美しいと思える物だけを詰め込んで、大事に、大事に持っていたのです。
嫌なことがあって気が沈だときなど、その箱を開ければ幸せになれたの。
そして大人になって、ある時ガラス造形家の藤田喬平先生の桜色をした飾り筥が私を待っていてくれたのです。私は、その筥の美しさにみほれているうちに、子供の頃の和紙の宝箱のことを思いだしました。
もうすっかり大人になった私にも、ただ眺めているだけで嫌なことが忘れられるような、心に潤いを取り戻させてくれるような、そんな宝の筥が必要に思えたのです。
出会った瞬間に私は藤田喬平先生に
「これは何をいれるための筥ですか?」
とたずねました。
「あなたの夢を入れてください」・・・と。
先生はきっと、箱は物をいれるもの、そして、筥は、美意識とか思いを閉じ込めておくもの、と区別していらしたのかも知れません。
三月三日が近づくと、だからウキウキするのです。一年に一回だけ”夢”を入れる筥に料理を盛り、お雛さまをします。
今年は何を入れましょう。
すっかり大人の私は女友達とシャンパン・・・。筥には”いちご”、いえいえ、
やはり食いしん坊の私は料理を入れ夢を語りあいましょう。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~、新潟県村上市」

今回ご紹介するところは、新潟県村上市です。
村上は新潟県最北の市。村上藩の城下町として栄え、城跡、武家屋敷、町屋、寺町が残る、かつての面影を感じさせるしっとりとした町でもあります。人口は約7万人で、鮭で有名な三面川が流れています。実は、私には村上にはひときわ深い思いがあります。村上はかつて、私の心の宝物である村、奥三面の玄関でした。

話は30年以上も前に遡ります。
奥三面というマタギの村がダム建設で湖底に沈むという小さな新聞記事を見つけました。深い山の懐に抱かれた村の写真も載っていました。私は、なぜか、その村に強くひきつけられ、奥三面に行ってみたいという気持ちが抑えられなくなってしまったのです。やがてその村を記録していた民族文化映像研究所の姫田忠義さんにお会いすることができ、私はその村を訪ねることになりました。
以来、奥三面を何度お訪ねしたことでしょう。夏には、子供たちを連れて3週間過ごしたこともありました。そこには、はるか遠い昔から続けてきた日本の、厳しくも美しい暮らしがありました。自然と共に生き、自然に生かされた暮らしでした。
そして私が村に通うようになって3年目の1985年の11月1日。閉村式が行われました。その日、私はキイばあちゃんと呼ばせていただいていた伊藤キイさんとともに8時間、キイばあちゃんの家の茅が外され、梁が倒され、柱が倒されるのをじっと見守りました。
「前山がかわいそうだ、川がかわいそうだ、これからどうやって生きて行ったらいいんだろう」
キイばあちゃんはそうつぶやきました。しかし、最後にきっぱりとおっしゃいました。
「まあ、子供たちの幸せのためなら我慢するよ」
そしてお孫さんが運転する車に乗り、私に「遊びにおいでね、村上に」と大きく手をふり、去って行かれました。今でもまぶたを閉じると、美しい奥三面の風景が浮かびます。芽ぶきの春、深緑に囲まれ、カンナやダリアが軒先に咲く夏、赤や黄色の色づく秋。さらさらと流れる三面川の透明な水、頬をそっとなでる春風、澄み切った夏の光、リンと冷えた秋の朝……。
先日、村上を訪ね、奥三面ゆかりの矢部キヨさんとお会いしてきました。キヨさんは創業天保10年という大きなお茶屋さんに、同じ町内から嫁がれて55年。教壇にも立たれ、多くの人々を導きつつ、町民文化・民族研究を続けていらした女性です。ちなみに、村上でとれるお茶は北限のお茶であり、北前船で運ばれていったそうです。
キヨさんは「奥三面の人たちが今、村上にすっかり溶け込んでいること。山の厳しい生活を知っているためなのか、奥三面の人々は辛抱強くがんばりやで、村上の人々に高く評価されている」ことなどを語ってくださいました。
また、奥三面がダムに沈む前の話もしてくれました。毎年、1月10日の十日市には、奥三面から村人が山の幸をいっぱい背負ってキヨさんのお茶屋さんに遊びに来て、飲み、食べ、語り、ときには泊っていったというのです。そして三面川が秋、上ってくる鮭で川面の色が変わるほどだったとも教えてくれました。今は3~5万匹ほどですが、大正時代は15万匹を超える鮭がとれたのだそうです。
「村上は三面の川の恵み、森のめぐみをいただいていた」
とおっしゃる表情が、とても懐かしそうでした。

現在、村上には「町屋人形巡り」と「町屋の屏風まつり」があり、年間10万人もの方々が訪れます。そのまつりの担い手のおひとり、小杉イクさんにもお会いしました。イクさんは多い時には700~800人も見えるお客様に「お茶でも飲んできな」と気さくに声をかけます。お客様……旅人を、イクさんはごく自然にお客様と呼ぶんですね。
イクさんは次のようにいいます。
「人と出会えるから楽しい。偉い先生も見えるし、勉強になる。ためになる。ふるさとに帰ってきたみたいといわれると本当に嬉しくなる」と。家にある屏風が良寛さんの筆であることも、「町屋の屏風祭り」がきっかけでわかったともおっしゃっていました。
キヨさん、イクさん、ともに80歳。おふたりとも素敵に年を重ねられた女性です。
お話を伺った後、私はまた村上の町をそぞろ歩きました。歩きながら、キイばあちゃんのこと、奥三面のことを思い出しました。キヨさんとイクさんの笑顔も思い出しました。この町は奥三面とつながっていて、ここに奥三面が今も息づいていると感じました。そして今も、新たな歴史がこの町で綴られているとも感じました。
旅の醍醐味は人との出会いだと私は思います。目と目を見て話し、ふれあい、笑い、うなずき、肌でそこに住む人の営みを知ることこそ、旅の最大の楽しみではないか、と。
女性たちが、自分たちの文化を、歴史を、自分の言葉で語り継ぐ村上は、そんな旅の醍醐味を、誰もが味わえる場所なのではないでしょうか。そして、この土地のように、日本のどこにも暮らしの語り部がいてほしい。暮らしの担い手である女性の語り部がさらに育ってほしいとも感じました。
町を歩いた後、松尾芭蕉が奥の細道の途中で2泊したというゆかりの宿に併設されたクラシックなカフェに入りました。この宿は国の登録有形文化財でもあり、明治期の町屋の風情を味わうことができます。そしてもちろん夜には、旅をさらに思い出深いものにしてくれる、美味しい地酒もいただきました。

東京からは新幹線を利用し新潟駅経由で、JR羽越本線に乗り換え、約2時間30分です。
本日は、新潟県村上市をご紹介しました。

わが人生に乾杯

1月末にNHKラジオ「わが人生に乾杯」の生放送に出演いたしました。
司会は山本晋也監督、パートナーは出光ケイさん。(20:05~21:25)
なにしろ生放送です。箱根の山から渋谷のスタジオへ。1時間前に入り、打ち合わせを兼ねてのおしゃべり。さすが、山本監督、映画時代の話からこれまで歩んできた私の人生、緊張を和らげてくださりながら、番組は進行していきました。
子供時代の私。小さい頃から、家事を手伝い、親に甘えることの下手だった事、貧しくとも心豊かに過ごせた時代。少女時代の私は、男の子みたいにおてんばで、気が強く、でも泣き虫でした。かまどの炎を見ながら、ふっと寂しくなり涙がポトポト。そんなとき、昔の人たちや昔のことを知りたいな・・・と思ったこと。
そして、中学生で出会った「柳宗悦の民芸」の世界。
バスの車掌から女優へ。女優をしながらも「このままやっていけるのかしら?」と才能のなさに途方にくれた日々。そんな時に出会った写真家・土門拳先生の「本物に出会いなさい」というひと言。
10代でのヨーロッパひとり旅。
「007は2度死ぬ」出演のエピソードやそこで出逢った俳優さんたち。
ショーン・コネリィーさん。スタジオでお会いしたシドニィー・ポアチエさん。
偶然ホテルでお見かけしたオードリィー・ヘップパーンさんの美しさ、など等。
私の青春の一ページです。
そして、40代からの「日本の食・農・環境問題を考える中で、日本古来の手仕事や暮らし」への思い。食の安全や安心に関心をもつ人も増えてきた時代、生産者、消費者の垣根を越えて「食・農」を考える時代になり多くの若者が取り組み始めたこと。
私は自分の足で現場を歩き、自分の目で見、自分の肌で感じ、農に生きる人たちと語りあってきたこと、などを話させていただきました。
「自然は寂しい、しかし人の手が加わると暖かになる その暖かなものを求めて歩いてみよう」

宮本常一のこの言葉に背中を押されての旅。そして、この番組ではゲストが、自分の人生を振り返り、その気持ちを文章に綴り読むことになっているのです。
「私にとって人生とは、自分というものを探す旅のようなものかもしれません」
多くの人に導かれ、先人にも教えをいただき、あるいは骨董や民芸に手を携えてもらいながら、これまで歩んできました。たくさん笑い、たくさん勇気をもらい、たくさん楽しい時間を過ごし、たくさん学び・・・辛さも悲しみもエネルギーに換えてきました。
ひとつ山を乗り越えるたびに、新しい自分を発見したような気がしました。経験を積み、年齢を重ね、知恵も少しずつ身につけました。大きな山を目の前にしても、以前のようにたじろがなくなったのはそのせいかもしれません。がむしゃらに乗り越えるだけではなく、回り道をしたり、時に休んだり、ときに人の助けを借りたりすることも覚えたからです。
そして、旅の道程がもっと深く楽しいものにと変わって行きました。私はこれからも明るい光が差し込む方向に歩いていきます。道端に咲いている野の花の可憐さや頬に受ける風に微笑みながら、一歩一歩、明日、どんな自分に出会えるのかを楽しみに、丁寧に生きていきたいと思います。
こんなことを話させていただきました。
そして、山本監督から
「浜さん・・・貴女のわが人生とは」の問いかけに
「限りある命だということを、実感としてわかる年齢になったからこそ、自分が本当にしたいことを探し、納得できる人生を過ごしていきたいと思います」
と申し上げました。
山に戻ると星が輝いていました。そして「わが人生に乾杯」とグラスをかたむけ、今回も幸せな仕事との巡り会わせに感謝した夜です。

浜美枝のいつかあなたと ~小椋桂さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10:30~11:00)のゲストにシンガー・ソングライターの小椋桂さんをお迎えいたしました。
(放送日1月10日・17日)
小椋桂さんは1944年、東京・上野黒門町のお生まれ。四半世紀にわたって銀行勤務と音楽活動を両立され、71年にはファーストアルバム「青春・砂漠の少年」を発表。「シクラメンのかおり」、「夢芝居」、「愛燦燦」など数多くの歌を世に送りだされました。その数、2,000曲以上。1月20日、40周年記念アルバムの「邂逅(かいこう)」がリリースされました。私もさっそく入手いたしました。
私は小椋さんのメロディーはもちろんですが、美しいことばに惹かれます。
「邂逅」・・・思いがけなく出会うこと、めぐり逢うこと。
さよならだけが 人生さ
そんな言葉が 真実の
色を濃くして 腑に落ちる
気持ちが少し 暗くなる
今もこうして 夢創り
祭り創りに  悔いの無い
汗かく二人 浮かぶ笑み
出逢い一つで変わる 軌跡道筋
何よりも 幸運な 巡り会い
ああ それは君
ラジオの中でも素敵なお話を伺うことができました。
自分の軌跡・・・
「自分の人生を考えると、重要なことは めぐり逢いです。
生きていくことだけではなく  生きてあることを大切にしたいです」
とおっしゃていました。
“生きてあること”・・・
そして、私は先週日曜日のNHKホールのコンサートに伺いました。3階席まで満員のお客さま。
同時代を生きてこられた世代、少し下の世代、会場が小椋さんの優しさに包まれ幸せな気分に浸れました。
私は曲の中でも「泣かせて」が特に好き。擦り切れるほどCDを聴いています。
ラジオのリスナーの方々からも
「聴きました、心に染み入る言葉、日本語の大切さを思いました」
などたくさんお手紙をいただき感謝いたしております。
これからも、皆さまの心に届く番組をお届けいたします。

小椋桂さん「邂逅」