楠目ちづさん

先日素敵な華展にお邪魔してまいりました。
横浜の港が見えるホテルで一日だけの会でした。
“第十八回いけばなむらさき会華展” 家元 楠目ちづ

楠目先生は 95歳 大正二年のお生まれ。
相変わらず美しいお姿。初めてお会いしたのは今から21年前。
楠目先生の名を人づてに耳にするたび憧れはふくらむばかり。
花という、それ自体が天によって造られた物をさらに自らの手と感性で造形していく・・・しかも景気に走らず茶室の空間にピンと張りを感じさせるものに生けていく・・・そんなお仕事を続けられる先生に一度おめにかかりたいと念じておりました。
逢いたいと強く念じれば必ず会えるというのが私の信念です。
楠目先生とお逢いして初めてとは思えなかったのも、あまりにも多くの知己ある人々が先生と私の間に介在していたのです。
それもこれも花のご縁。
  日本の美しさを花で表そう
  自分自身を花で表そう
  おしゃれを花で表そう・・・
  満足できない茶花です
美そのものを幾世代もしみこませた気品と威厳を合わせもった方だと思いました。
楠目先生は母上と二人、小倉から逗子へ転居します。
絶対安静を必要とするほど病が進んでいたので気候も温暖な海辺の家に引越したのです。
はじめてお邪魔した楠目邸の玄関。
ハッと息をのむような静寂があり、そこには花はなく、花の気配だけが漂う壷が待っていてくれたのです。
部屋には古い常滑の鉢に庭のかえでを手折って生けてあります。
晩秋の陽がさしこんで美しい影をつくっていました。
空間全体が一枚の絵のようです。
「小さな茶室に入りますとそこは俗世とは一線を画した小宇宙です。静かに爐にはお湯が煮え、仄かに湯気がたなびいて風の気配を知り、ふと生けられた花に目がとまります。古い瓢箪掛に吾亦紅と女郎花、茶室に秋がふっと舞い降りたような景色です。利休の言葉”花は野にあるように”の真意に茶花の精神がかくされています。野に咲く花の真実をとらえなさい・・とでもいうのでしょうか。この解釈と実践に修業のすべてがあるという茶花」・・・とおっしゃる楠目ちづさん。
私などにはその極意など分かりません。
「茶室に生ける茶花の姿は二時間余りの存在です。心が洗われるひとときと共にあり、終わりと共に永遠に消えてしまう。はかなさと哀れさ。そこに花の美しさのすべてがあります」
先生は植物という自然と向き合うときたくさんの距離をもっていると思いました。接近してみる。手元で見る。かざしてみる。離れて、ぐーんと離してみる。遠くに見る。茶花の精神は花材の最も美しいところを引き出すこと、だからでしょうか。
私は野歩き、山歩きが好きでよく歩きまわります。
早朝に咲く花は早朝に、夕暮れの花は夕暮れに見てこそ最も美しいと思います。花一輪、枝一本、これは神様がお造りになったもの。
それらが天から授かった美を生かすように・・・。
3年前雑誌「いきいき」で先生はわざわざ箱根の我が家にお越しくださり、私の好きな器にそれはそれは素敵に花を生けてくださいました。

「どうしたら美しいかたちができるかと、今でも毎日悩むのですよ。そして、自分を表現できるようにならなくては、人まねでは、こころ打つものはできません。繰り返し悩み失敗する。そうして感覚は身につくものです」・・・と。
久しぶりにお逢いした楠目先生。透明なまなざしと優しい笑顔が白いおぐしにはえて本当に美しいのです。
30年先を歩んでいらっしゃる先生のお姿に、勇気づけられる思いでした。
私はこれから30年あります。
まだこれからたくさんの経験を積んで先生のように背筋を伸ばして生きていきたいと思います。

家の光 JA食・農オープンフォーラム in ぎふ

家の光 JA食・農オープンフォーラムinぎふ
 「食のたいせつさ!農のすばらしさ」
が9月23日岐阜市内で開催されました。
今回が5回目で全国を回っております。
このフォーラムの趣旨は生産者と消費者という枠組みを取り払い、「食と農」に心を寄せる「生活者」が集い、お互いに学びあい、語り合い、刺激しあって交流を図ることが目的です。
私、浜美枝が第1回からコーディネーターをつとめゲストをお迎えし、語りあいます。

今回は俳優の永島敏行さん。
永島さんは大変農業に強い関心を持ち自ら実践し、子供達の「食育」にも積極的に取り組んでおられます。今回は「なぜ食料自給と地産地消が大切なのか」について話し合いました。
ご存知のように食料自給率は先進国のなかでも最低の40%。(カロリーベース)1965年には73%あったのにです。
戦後工業分野を発展させ、食料を世界中から安く買い上げてきたこと、食生活の変化など様々な要因があげられます。産地偽装や汚染米の不正転売などで、食が大きく揺れています。
「表示さえ信頼するにたるものでなくなった。一体、何を信じて判断すればいいのか」子どもに安全なものを食べさせたいと思う親たちの切実な声が全国から聞こえてきます。
日本の農業と食は、もうぎりぎりのところまで来ています。
けれど絶望するわけにはいきません。問題意識をもち私たち一人ひとりが変えていく以外には道は開けません。
会場を埋め尽くした方々からのご質問も多く寄せられました。
〇 子供達に安心できる食べ物をどのように選べばよいか?
〇 観光と農業は両立可能か?
〇 農業生産者をどのようにサポートできるか?
〇 日本で消費しきれないものを発展途上国の人たちに寄付できないか?
〇 今の日本では農業だけで生きていくことはできません。
   このことに対して何ができるか?
等など・・・活発なご意見を伺いました。
永島さんも丁寧にお答えくださいましたし、私も思うことをお話させて頂きました。
生産者からのスピーチ。岐阜県JA女性連絡協議会の会長からは地元小中学校や保育園の給食に、手作りの味噌の供給「みそ玉一玉運動」など、食育のお話。広島県の校長先生が取り組まれた「ほんとうの食育」のお話など。
不要なもの、害するものを食べつづけたら、体が悲鳴をあげます。
体と心はつながっています。
体がほんとうにほしがっているものを食べていたら体も心も安心して、健やかに成長していくことができます。だから、お母さんには、子どもたちのために、何がよくて何を避けたほうがいいか、食の良し悪しを見分ける目を持ってほしいと思います。
食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしいものです。
食べ物によって私たちの体はつくられ、食べることは生きることであり、食べ物は命そのものです。食べ物にたいしては、もっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合いたいと思います。
そんな思いを強くもったフォーラムでした。
フォーラムの後は地産地消ミニパティーが開かれ、永島さん・私の岐阜の食材によるレシピを岐阜グランドホテルのシェフが料理してくださり、またシェフのメニューもだされ皆さん大満足してくださったようです。

私のレシピは、「ドライトマト、ナス、菌床シイタケのキッシュ」「贅沢!飛騨牛のコロッケ」「ダイコンたっぷり炊き込みごはん」。
お腹もいっぱい・・・心も満たされ、生産者、消費者といった垣根を飛び越え、日ごろ感じていることはもちろん、食や農を巡る問題にも、生活者の視点から語り合えたと思います。
     すべてに答えがでないかもしれません。
     でも、問題を私たちが共有することで、
     いつか必ず、灯りが見えてくると、私は信じます。
食と農のこれからに、希望が見出せますように、子どもたちに、本当の意味で美しく豊な未来をてわたせますように。
このフォーラムはそのような思いで開催しております。
次回は12月20日奈良で開催されます。

フォーラムの前に産地直売所”おんさい広場”に行きました。
岐阜市産の採れたて野菜農産物・花・米粉のパン・果物、地元大豆のこだわり豆腐など、朝採れたての野菜の美味しそうなこと!大勢のお客さんで賑わっていました。
「地産地消」は顔の見える関係・・・。
これからはこの安心感が大事ですね。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~日本のふるさとを歩く」

今夜ご紹介するのは、秋田県横手市増田町です。

横手・・といえば「かまくら」。
以前冬の「かまくら」を見にうかがったことがありますが、今回は、お隣の増田町です。平成17年10月1日に、平成の大合併により、横手市・平鹿郡の1市7町村が合併し、新横手市増田町となりました。
秋田県の東南部に位置した、人口8351人の町です。雄物川水系の成瀬川と皆瀬川の流域及び合流点に開けた東西4km、南北19kmの細長い町です。平坦部は水田、東部山麓一帯は広大な果樹園がひろがります。
美味しい「平鹿りんご」の産地でもあります。
増田の歴史は古く、物資、物産の集散地として栄えてきました。大きな特徴として商業の繁栄を今も偲ばせる建造物の数々。古代(1000年以上前)から岩手県を通じて中央とつながるための交通の要衝でした。
そして「くらしっくロード」と名づけられたエリアがあります。ここには、明治~昭和初期に建てられた重厚な蔵をはじめ、古き良き日本の姿が残るレトロな建物が立ち並んでいます。とくに、驚いたのは「内蔵」といって贅の限りを尽くしてたてられた「蔵」です。通りに面した家々は質素な構え。ところが一歩家の奥に進むと、それはそれは見事な蔵。

かつてそこは数多くの企業や地主が暮らし、繁栄を極めた町から”蛍町”とも呼ばれていたそうです。町をホタルに例えたのでは・・・という人もいます。これほど見事な「内蔵」を拝見したのは初めてです。なぜ、あのような見事な蔵があるのでしょう。

内蔵は、壁面や屋根が風雨などで傷まないようにつくられております。
「醤油味噌蔵」「酒蔵」「食器や家財道具、帳簿の保管などを目的とした「文庫蔵」「座敷蔵」など。私が拝見した蔵も磨き黒漆喰が光沢を放ち、杉の磨き丸太、栗の柱。酒の国秋田の歴史と伝統を引き継ぐ造り酒屋、「日の丸醸造」の蔵は有形文化財。
一尺間隔に整然と並ぶ五寸五分角のヒバの通し柱は見事です。漆塗りの階段。それにしても見事な職人技です。
七代目当主の佐藤謙治さんは語られます
「文庫蔵が建てられて丁度百年、この蔵には歴史がたくさん詰っています。蔵を守るということは実際問題として、大変なことですが、次の百年に向けて大切にしていこうと思います。先人の残した単なる文化遺産としてではなく・・・。なぜなら、文庫蔵は私どもをずっと見守り続けて来ている訳ですから・・・」と。
増田の町では「内蔵」を競うように建て、これらの建造にあたった工匠たちもまた競い合うように技術と個性を表現しています。
内蔵はそこに住む人の生活の一部です。ですから、常時公開しているのは一ヶ所だけですが、増田町ではその歴史文化価値を生かしたまちづくりを目指し、平成18年5月に蔵の所有者らが、「蔵の会」を発足。1年に1回だけ公開することになりました。
“いにしえの蔵史(くらし)じっくり味わいませんか ”
第3回 蔵の日が10月4日(土)、5日(日)9:30~15:30まで
中七日町商店街・くらしっくロードで開催されます。
公開蔵は18棟(一部扉まで・庭まで含む)
お出かけの方は、この内蔵は持ち主が生活をする家の中にあり、貴重品を保存する場所です。本来、当主と当主の許可した人しか入ることのできない特殊な場所です。無償で公開してくださる蔵、マナーを守ってご覧になってください。
そしておすすめは 360年の歴史がある朝市、2・5・9のつく日に開かれます。春・秋の山菜のシーズンは特に賑わうそうです。四季折々の特産物、野菜、山菜、果物など、地元のおばちゃんたちとお話ができるのも嬉しいですね。
歴史探訪もいろいろできます。
増田町には歴史の面影をそのまま伝える神社・仏閣が多くあります。
月山神社・万福寺。
また樹齢6百年以上といわれる二本杉など、銘木が町内にいまも多く残っています。
黄金色に輝く稲穂 田んぼの横には、「黒坂兵衛門の碑」があります。
享和元年(1652年)から8年がかりで水田をうるおす農業用水路「黒坂堰」を開さくした業績をたたえる碑が建っています。
東方に高くそびえる奥羽の山並みと、そこから流れる清流。
大地に刻まれた昔人の想いを受け継いでいる町・・・益田。まさに、おとなの旅が楽しめることでしょう。
旅の足
☆列車ご利用の場合
東京から東北新幹線で北上まで(3時間)
北上線で十文字町まで(1時間30分)
増田町までバスで(10分)
東京から山形新幹線で山形まで(2時間30分)
奥羽本線で十文字まで(2時間)
増田町までバスで(10分)
秋田から奥羽本線で十文字町まで(1時間)
増田町までバスで(10分)
☆自動車ご利用の場合
東京から東北自動車道で北上JCT(約5時間)
国道で湯田IC、秋田自動車道から横手JCT、十文字ICから増田町
秋田南ICから秋田自動車道(約45分)横手ICTから十文字IC、増田町
☆飛行機ご利用の場合
秋田空港へは、大阪・名古屋・東京・札幌からでています。
空港~増田町までは自動車で(約1時間10分)
宿泊は町内に旅館また温泉旅館・・・近郊には多くの温泉もあります。
詳しくは
増田町観光協会までお問い合わせください
TEL、0182-45-5515
くらっしっくロードを散策する場合は観光案内人がご案内くださいますので予め予約をしてください。(所要時間は約2時間)

アンニョンハセヨ

韓国から帰国いたしました。
福岡・熊本・関西空港・中部空港・羽田からと総勢40名の女性達がソウルに集合いたしました。

この研修旅行も今年で15回目。
12回はヨーロッパでの民泊・グリーンツーリズム研修。
そして、韓国では農村女性グループとの交流を目的に、農家民宿やキムチ作り体験など盛り沢山の内容で、3年目の今年はさらに絆が深まりました。
澄みきった秋空の下、 コスモスの花が沿道に咲くなかソウルからバスで約1時間の場所にある八堂(パルタン)に向かいました。この八堂はソウル市民の飲み水となる川の水質を守るために有機農業が行われています。漢江(ハンガン)の上流域に位置しています。

車窓の景色はビル郡から農村風景へと変化し、ビニールハウス、緑の山々。
「わぁ~うちの故郷の風景に良く似ているわ」・・・との声も聞こえてきます。
私はこの八堂での「親環境農業」という言葉に興味を覚えました。
「新」ではなく「親環境」・・つまり環境に親しむってどういうこと?
一同を出迎えてくれた組合長「八堂 生命 暮らし」の代表は有機農業の団体と30年来交流を続け、日本にもしばしば訪れているとのお話。
農薬の使用を減らすため、土づくりからしっかり取り組み、堆肥を多く施用し、「農村の環境を守ることが消費者の安全」につながるとの思いから「親環境農業」に取り組んでいます。(生産者会員・約90農家 消費者会員・約1800人)
彼らの生産する有機農産物はソウル市内のスーパーで販売されています。
韓国もソウル市への一極集中で経済発展を遂げ、農家の高齢化も日本以上に深刻です。
そんななかで八堂には新規就農者も徐々に増えてきました。
「都会で仕事をしてきましたが、ストレスもあり、今は自分達の生きがいを見出し幸せに過ごしています」と語ってくれたのは30代後半のご夫妻。昨年は奥さんのお腹に赤ちゃんが。今回は可愛い女の子を抱っこしていました。
ここまで来るのは大変な道のりでした。
それを支えているのが、都会の人たちです。ソウル市民は八堂の農産物を買い支えているだけではありません。市民が負担する水道代には、「水利用負担金」という項目があり、水源地域の農業を支援するために使用されます。だいたい一戸あたり月に三千ウォン(300円)、農家が堆肥など購入する費用にあてられます。
私は市内の市場のおばちゃん、学生さん、若い女の子にも聞いてみました。
「八堂の活動って知っている?」と。
「知っているよ、私達の飲み水を守ってくれているんだ」・・・と。
八堂にダムができたのは、1973年。間もなく、行政によって周辺に住む農家に農薬や科学肥料の使用が規制され、八堂周辺の農家とソウル市には軋轢もあったと聞きました。
何が成功へと導いたのでしょう。
「都市の消費者との交流で農村が元気になり誇りがもてたこと」と組合長は語ります。
この気持ちが市民の信頼を得、また健康志向も背中をおしてくれているのでしょう。このような考え方は、日本も参考にしてすすめていくべきテーマではないでしょうか。
ソウル支庁前で「ろうそく集会」が行われたのは5月初旬からでした。米国産牛肉の輸入規制緩和策に抗議する人々の中には幼い小学生まで参加していました。
ソウル市民は国産、地場産にドライになりつつある・・と言われる中で「親環境農業」が今後さらに国民的に認知され韓国の「農・食」を守ってほしいと願いました。
八堂で栽培された有機農産物を使った料理は美味でした。
昼食後「冬のソナタ」のロケにも使われた美しい景観の南怡島を見学し、華川郡のトゴミ村では廃校になった小学校に宿泊。ここでは地元のお母さんたちが結婚式等の祭事に出される料理を作ってくださいました。

キムチ作りを体験し、昼食は村の食堂で冷麺を。北に近いからでしょうか、これが美味しいのです。ソウル市内では食べられない味。

そして、ユ・チョン村へと移動し、各民家へ別れての宿泊。食事をしながら韓国伝統芸能「サムルノリ」太鼓を打ちながら農家のお母さんたちが見せてくれました。お返しに日本からは浴衣を着ての盆踊り。素晴らしい交流がもてました。

農村滞在を終え市内に戻り、昼食は石焼ビビンバ。景福宮、仁寺洞など見学し、最後の夕食はサムゲタンとチジミでお別れパーティーを。

わずか5日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあったからでしょうか、さながら懐かしい同級会の旅のようでした。
「浜さん、私、この旅で一生つきあえる友人とであえたのよ」
「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけれど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいてくれる」・・・そんな声も聞こえてきました。
日本の農業と食は、もうぎりぎりのところまできているといわれますが、彼女たちと一緒にいると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。
“この笑顔があるのだもの、日本は捨てたものじゃない”・・・心の中でそうつぶやいていた私です。
「食アメニティーを考える会」を立ち上げて18年。海外研修(15回)
食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしいものではないでしょうか。
食べ物によってわたしたちの身体はつくられます。
食べることは生きることであり、食べ物は命そのものです。
自分の身体にたいするように、食べ物に対してはもっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合わなくてはならないのではないでしょうか。
生産者と消費者、そして流通に関わるすべての人々がともに同じ思いで食べ物を大切に思う時代こそ、”豊かさ”という言葉がふさわしいのではないかと私は思います。

韓国の旅

「食アメニティーを考える会」の第15回「韓国で農村女性グループと交流する研修旅行に9月4日から8日まで行ってまいります。ヨーロッパを12回、韓国は3回目です。
共通点の多い日韓の農業・もっとも近い国で、文化の共通点も多くあります。帰国したらご報告いたします。
私が韓国に通い始めて15年がたつでしょうか。
きっかけは津田塾大学の高崎宗司先生のご著書「朝鮮の土となった日本人」(草風館)を読ませていただいて、淺川巧の偉業を知ることができたのです。
このご本は民藝ばかりか、人はどう生きるべきかを知らされる本として、心に響きました。
韓国の山と民藝に身を捧げた日本人、淺川巧の足跡をわずかでもたどりたい・・・との思いから始まった旅です。最初はコスモスの咲くころでした。
旅先で知り合った、巧の墓をお守りしてくださる方、韓(はん)さんにお話をうかがいました。
「私は淺川巧とは会っていませんが、彼がいかに朝鮮を愛し、朝鮮人ばかりか、朝鮮の美術、言葉、生活、文化のあらゆることを大切にした人だったとゆうことは、みんな知っています。いろいろなお話を大人から聞いているからです。たとえば、韓国では人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があります。淺川巧が亡くなった日、大勢の方々が見送りにきてくださったために、ソウル中の煎餅がなくなったという話は、未だに語り草です」
お墓を守っていてくださる韓さんは、この話をお父さんから聞いたそうです。
それほど、朝鮮の人々に敬愛された日本人がいたことを、私は書物で知って以来、気になり旅が続いております。
朝鮮白磁の美しさを目にして、まあ、キレイというのは簡単ですが、その美しさに秘められたものをたどっていくと、そこに関わった人間が現れてくるのです。
韓国は、確かに不況なんだなあと、目に見える様子も見えますが、日本だって同じようなもの。
生活は待ったなし。庶民は日韓ともども、いろいろな工夫でどんどん新しくなっているんですね。
ソウルの町には、新しいセンスのいい店がふえたなあと、思います。
ときには泣きたくなるほど、完璧なカタチを与えられた壷の前では言葉を失います。感動のあまり、動けないことさえあります。ソウルの美術館で、あるいはさりげない骨董屋の前で、最近できたと思われる道具屋さんでも、すぐれたカタチに会えます。
韓国、そして韓国の人々も元気いっぱい。日本も負けてはいられません。
暮らしの変化がいろいろ起きていますが、”美しく暮らす”気持ちだけは捨てたくないですね。
不況でも、”美の国”の文化はしなやかに健全”であってほしい・・・と願います。
今回は総勢40名の旅です。
トゴミ村、ヨンホリ村の皆さんが待っていてくれる・・・村の市場で真っ赤な唐辛子の粉を買いましょう。キムチの漬けかたも教えていただきましょう。
おみやげ話を楽しみにしていてくださいね。