紅茶

皆さまは紅茶はお好きですか?


私は大好きです。でも、若いときには「ちょっとマナーがあって難しそう!」とおもっておりましたが、その思いが一変したのは10代の時にインドを旅したときに飲んだ紅茶です。
ニューデリーから列車に乗り込み5~7時間かけて田舎の石仏を見に行くときなど、一日に数本しか入らない列車がホームに入ると、子供たちが『チャイ!チャイ~!』と舗装されていないホームの横で作りたてのミルクとお砂糖たっぷりの紅茶を売りに来てくれるのです。
素焼きの小さなカップに入れて、たしか5円くらいでしたか・・・とにかく甘くて美味しいミルクティーにぞっこん!体と心が満たされ幸せな気分で旅を続けられました。それからはインドに行くたびにその「チャイ」を飲みました。忘れられない味です。
そして、映画007の撮影のときは10時と3時のお茶の時間はどんな状況でも手を休めティータイムです。日本人の私などは「もう~後ちょっとでこのシーンは終わるのに・・・」などとブツブツ思っておりましたが、慣れてくると「紅茶タイム」の意味、必要性がよくわかるようになりました。ただお茶を飲む、ということだけではなくコミニケーションの場であり、心身をリラックスさせてくれる効用があります。ロンドンの水は硬水ですから紅茶には良く合います。色は濃いのですが、飲むと渋みが少なく、後味に渋みが残りません。
イギリス人にとって最高の紅茶とは、カフェでもホテルでもなく、一家団らんで楽しむ紅茶が最高とのこと。友人の家に招かれて伺うと「ティーウィズミルク?」と聞かれます。そう、私はミルクティーが大好きなのですが、イギリス人はミルクにこだわります。「どんな紅茶もミルク次第」だそうです。そして入れ方は、ミルクが先か、紅茶の後か。
本題にはいります。素敵な本に出会いました。『紅茶の手帖』磯淵猛著(ポプラ新書)です。
磯淵さんは紅茶研究家で1951年生まれ。28歳で紅茶専門店「デンブラ」を開業し、スリランカなどの紅茶の輸入販売を手がけ、各地の紅茶の特色を生かした数百種類のオリジナルメニューを開発しておられ、世界各国を今でも訪ね、実際茶畑での試飲もされています。
大ヒットした「キリン 午後の紅茶」にはアドバイザーとして今でもかかわり、30年に及ぶロングセラーに導いています。
紅茶の効用にはインフルエンザや口臭の予防、骨粗しょう症の改善などにもいいそうです。
そこで、ラジオのゲストにお招きし「紅茶」の素敵なお話をたっぷりお聴きいたしました。そうそう磯淵さんにお聞きした「ティーウィズミルク」の美味しい淹れ方だけお教えいたしますね。
◎ 茶葉はブラックティーよりさじ加減を多めにする。
◎ 先に注ぐミルクで冷めないよう、カップを温める。
◎ 紅茶はカップの9分目まで注ぎ、温かさを保つ。
紅茶の歴史や意外に合う料理、ティーパックでの美味しい淹れ方等々、楽しいお話でした。ラジオをお聴きください。
文化放送『浜美枝のいつかあなたと』
放送は4月10日(日) 10時半~11時


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孤独だからこそ人生を深く愛することができる

1年前、「浜さん、これまでの人生を振り返る本を書いてみませんか」とある編集者からご連絡をいただきました。
「孤独って素敵なこと」というタイトルがつけられた新聞の私のインタビュー記事を目にとめられたとのことでした。老いの辛さ、孤独に向かいあうことの苦しさが取り上げられることが多い現代にあって、孤独を楽しむような私の生き方考え方に興味をもってくださったのです。
老いの孤独というものは、年齢を重ねた人が必ず出会わざるを得ない根源的なものであると、私も感じます。若い時のように体がしゃきしゃき動かなかったり、何か記憶するために時間がかかるようになったり。人生の残り時間を意識させられることも少なくありません。環境も変化していきます。
わたしを導いてくださった人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。この年齢になると、孤独はもはや友人のようなもの。墨を流したような漆黒の箱根の夜、針を落とす音さえ聞こえてきそうな静寂の中で、囲炉裏の火を眺めていると、自分で自分を抱きしめたいような気持ちになることもあります。
孤独であるからこそ、自分と対峙する時間をもて、自らの考えを深め、ポジティブに生きることができると感じています。
本を書くにあたり、なぜ、私はこういう考え方をするようになったのだろうかと、自分の人生を振り返ることから始めました。
長屋暮らしの子供時代。中学を卒業してバス会社に入り、翌年女優デビューしたこと、芸能界に慣れることができず、息苦しさを感じていたこと・・・遠い記憶は時とともに淡く薄れてゆくものと思っていたのに、改めて過去に向き直ると、セピア色の写真にふわりと色がのるように、その時の空気の匂いまでが蘇り、当時私が抱いた感情がどっと胸にあふれてきたのに驚かされることもたびたびでした。ときには、ぐさりと心にナイフが突き刺さるような痛みを覚えることもありました。
自分の心を整理し、少しずつ文字に綴り・・・すると自分はどのように形作られてきたのかということがおぼろげながらわかってきたのです。
6月発売予定の「孤独って素敵なこと」、本の表紙は写真家の篠山紀信さんが撮影してくださいます。先日スタジオにお邪魔しご挨拶をしてまいりました。37、8年ぶりでしょうか、お会いしたのは。同時代を呼吸してきた篠山さんとはあっという間にお互いに距離が短まり、来月箱根での撮影が楽しみになりました。
昨日(17日)は「箱根やまぼうし」に20名ちかい同世代、少しお若い方、先輩がたが短い”旅”を楽しんでくださいました。部屋を掃除し、花を活け、お待ちする・・・こうした時間が私にとって至福のときです。
こうして箱根の家はいつも、私を包み、そっと支えてくれています。

甘酒茶屋

箱根の森の中に家を建てて、もう40年になろうとしています。
ここでの暮らしは日時計がなくて、年時計があって、春がくるたびにひとまわりするような大きな時計に支配されているような感覚があります。淡い春の訪れが、樹々の色味の変化でしらされます。若葉がチラッと目につく前に、全山ぼおっとうす赤くなるんです。
芽吹く前の一瞬のはじらいを見せるかのような、こんな季節のひとときが好きです。毎朝、台所から見える富士山も、その姿を刻一刻変化させます。この季節を迎えると身体が、足が自然に動きはじめます。
箱根の旧街道沿いにある、石畳の細道を登っていくと一軒の杉皮葺きの建物が見えてきます。『箱根甘酒茶屋』です。


店主である12代目の父達雄さんとともに息子さんの聡さん親子やご家族の方々が旅人を暖かく迎えてくださいます。400年という気の遠くなるような年月、店を守ることは並大抵のことではなかったでしょう。
「今から400年程前の江戸初期に箱根の関所を行き来する旅人のために、先祖が甘酒茶屋をはじめたと聞いています。当時は軒を連ねていたのでしょうが、今ではうちの店が箱根峠唯一の茶屋となりました」と聡さんは語られます。


茶屋で供されるのは、麹の発酵によって生まれる自然の甘みだけで仕上げた伝統の甘酒と、臼と杵でつきあげた「黄な粉」と「いそべ」の力餅。そして、自家製の味噌おでんや、ところてんなど真っ正直なメニューに限られています。
店内には囲炉裏が切られており、そこでゆっくり足を延ばす、街道ウオッカーや箱根散策の観光客で早朝から賑わいます。
伺うとこの400年前の建物を維持しておられるのかと思ったら、つい7年前に建て替えられたとのこと。全てをその当時のように復元しているのです。私は「古民家再生」がどれほど大変なことかを知っておりますので息子さんの聡さんに「これは新築を建てるより大変でしたね」と申し上げました。土間をつき、囲炉裏を切り、古いタイルで流し台を作り、まるでずうっと前からの茶屋のようです。本当に貴重な文化遺産といってもいいかもしれません。心がぽっと温かくなる甘酒茶屋。

営業時間は日の出から入りまで。連日、朝3時から仕込みを開始し、冬でも7時には店を開けます。小田原から旧街道を登り、寄木細工で知られる畑宿の近くです。春の訪れを感じながらぜひ箱根お遊びにおいでになりませんか。
ちなみにわが家『箱根やまぼうし』では4月に3年ぶりに京都のニットアーティスト・石井麻子さんの展覧会を開催致します。
ひとつひとつ丁寧に編まれた石井先生のサマーニット達が春の箱根にやってきます。大人の女性が身につけるにぴったりなラブリーなものばかり。初日には石井さんとのギャラリートークも開催致します。
ぜひ箱根まで足をお運びください。
詳細は公式ホームページをごらんください。
http://www.mies-living.jp/events/2016/knitart0402.html

『フェルメール』

六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーで「フェルメールとレンブランド・17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を観に行ってまいりました。
フェルメールの傑作『水差しを持つ女』が日本初公開です。「日本人はフェルメールが好き」とよく言われます。私もそのひとりです。静謐な朝の光が射しこむ窓辺でひっそりと控えめに佇む女性。テーブルの上にはシックな赤の厚手のクロス。身支度前なのでしょうか、箱からのぞく真珠のアクセサリー。思ったより小さな絵画は、フェルメールが部屋に飾れるように描いたからでしょうか。私達日本人がフェルメールに惹かれるのは『日常』を美しく、また画家本人が愛おしく日常を暮らしていたからでしょうか。
10代の終わりの頃、ヨーロッパ一人旅をし、オランダ・アムステルダムの国立美術館で観た「牛乳を注ぐ女」を観た時の感動!厨房の窓辺で体格のいい女性が器にミルクを注いでいる姿。テーブルの上には硬くなった古いパンが置かれ、青のスカート・・・。「小路」では古い街並みの小路に女性が洗濯でもしているのでしょうか、質素な生活感の中にフェルメールが暮らしたデルフトの街の風景が素敵だったことを思いだします。そして、お金がなかったからですが、街角の屋台のようなところで食べた「スープ」の美味しかったっこと。豆と玉ねぎとベーコンがことこと煮て作られたスープにパンをつけ立ったまま食べました。あのスープはもう一度食べたいです。
フェルメールといえば『真珠の耳飾りの少女』でしょうか。窓からの光を受け、赤い唇の光沢、そして真珠の耳飾の反射光(これはハーグ・マウリッツハイス美術館蔵)も私達を虜にしますね。
17世紀オランダは「黄金時代」でした。スペインから独立したばかり。世界の海へと乗り出していったオランダはプロテスタントを国教として栄え、世界中の品々が運びこまれ豊かな国へとなっていきますが、人々の暮らしは慎み深く、堅実で労働を美徳とされてきました。そのような姿をフェルメールは描き続けたのですね。そして、絵の中に描かれている”箒”をみると、この国の人々の掃除好きで清潔感のある暮らしぶりが分かります。
フェルメールは1632年、画商で宿屋を営む家に生まれ、デルフトの町中で育ち、結婚をし、11人の子供を持ち、30代で多くの絵を描き、43歳で亡くなります。市内の新教会で洗礼を受け、旧教会に眠っています。オランダ人らしく大変几帳面な人だったようですね。何よりも暮らしを大切にした画家だと思います。そうした人柄が絵画の中から読み取れます。
私の友人のKさんご夫妻はデルフトの町から車で15分くらいの町にお住まいです。日本人のご主人にオランダ人の奥さま。もう40年来の友人です。彼女にオランダ人気質を伺うと興味深いお話が聞けます。オランダ人は家は、何といっても居心地の良さを大切にします。贅沢はせず自分達で古い住宅を買ったらドアを外し、ペンキ塗り直し、トイレやバスルームを新しくし、徹底的に快適な家に自分達でリホームします。壊したり、作ったり、ペンキをぬったりということは、たいていの人は自分でします。むしろ新築を買うより高くついてしまうのですが、歴史ある建物を大切にします。
そして、多くのオランダ人は3週間位の休暇をとりますが、ホテルなどに泊まらず車に食料をいっぱい詰めて込んでキャンプ場に宿泊する人たちも多いそうです。倹約家で、”生活を豊かに楽しむ達人”かもしれません。コーヒー好きで知られていますが、カフェでのお茶より家でゆっくり飲み、そのお金はお花にかけます。ほんとうに花好きな国民性です。ここにもフェルメールの時代から”日常の美”はかわりません。もちろん若い人たちは変化してきているのでしょが・・・。日照時間が短く、暗くて長い秋冬の日が続くので、人々は太陽や光に敏感なのでしょう。今回の展覧会でフェルメールの絵を観ながら、前回のブログ『民芸』と共通点があるように思いました。
7、8月はバカンスで町も静かになるそうです。デルフトの町は以前一度だけ行ったことがありますが、短い滞在だったのでフェルメールの世界に浸れませんでした。伺うとアムステルダムのような大都会でなければ古い街並みの中の小さなホテルの屋根裏部屋などは朝食付きで5000円くらいで泊まれるようです。いつものように”暮すように旅する”ことができそうです。
そう・・・夏休みはデルフトに行き、朝の光を思う存分味わってみたい、と思った展覧会でした。
3月31日(木)までです。3階のチケット売り場では30分ほど並びました。
六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリーの公式サイト