沖縄・・・「ブクブクー茶」

みなさん!沖縄のブクブクー茶ってご存知ですか?
先週、沖縄に伺ってまいりました。「沖縄伝統ブクブクー茶創立15周年」を記念し”ブクブクー茶の会”にお招き頂きました。
明治、大正、昭和の初期に主に那覇で飲まれていた、伝統文化の一つであり、庶民の間で親しまれていたお茶を、見事復活にご尽力なされた、新島正子先生はじめ安次富順子先生、保存会の皆さま、そしてこのお茶を愛する、お仲間250名ほどの会でした。
一度聞いたら忘れられない・・・名前。ユニークですよね。ブクブクー茶!山盛りの泡には驚きました。泡の上にふりかけられた落花生。泡の下にはご飯。立て方、飲み方、なんと、おおらかなのでしょうか!
しかし、今日を迎えるまでには、皆さまの大変なご苦労があったことでしょう。
〇 水を選び、泡立てが難しいこと
〇 小豆ごはんを煎るのに大変な時間がかかること
〇 当時の道具がなかったこと
〇 戦後、清涼飲料水が普及し、お茶を飲まなくなったこと
など、とくに「泡立つ水を探して」・・・玉城村(たまぐすくそん)垣花桶川(かきのはなひーじゃー)の水はサンゴ礁を伝わって採れる地下水。カルシュームをたくさん含んでいる硬水に出会います。戦後姿を消した”幻のお茶”の復活です。
私も茶せんで泡立てを体験させて頂きましたが、普通のお茶をたてるのとはチョッとコツが違い盛り上げ方が難しいのです。きめ細かな固い泡は10分から20分大きな茶せんを振ります。
ブクブクー茶には人を和らげ、ふれあいを大切にするお茶と伺いました。
特に女性に好まれ、家族の誕生日、旅立ちの祝、内輪の祝などに飲まれていたようです。
何かと殺伐とした世の中にあって、この沖縄のお茶の果たす役割はさらに大きくなるのではないでしょうか。
私と沖縄のご縁はずいぶん前にさかのぼります。
私が始めて沖縄に行ったのは今から45年ほど前のこと。まだパスポートが必要な時代でした。
10代で「柳 宗悦の・民藝運動」に心惹かれ、心の師と仰ぎ、その書の中に「沖縄こそが日本の民藝のふるさと」と記されてあると、何がなんでも沖縄に行ってみなければ、と向学心いっぱいの10代の終わりの私でした。
素敵な出逢いもたくさん頂きました。そのお一人が今回のブクブクー茶の復元にご尽力なされた
沖縄調理専門学校校長でもある新島正子先生。戦後、沖縄の郷土料理の復元にも取り組まれました。
「苦闘の歴史を経てなお、人々の記憶の底に郷土の味が残っていた。文化はけっして滅びない。占領されない」との言葉はわすれられません。今年92歳。かくしゃくとなさっておられます。
なぜか沖縄を訪ねると故郷に戻ってきたかのような安堵感を覚えます。その理由は人・・・。
特に沖縄の女性たちの、辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。面倒見がよくて、働き者で健康的な気質。そのすべてに強くひきつけられるのです。
暑い日ざしの中を歩いていても、木陰に入るとほっとします。そんな時、ビールもいいですが、
“ブクブクー茶”がほしくなります。
沖縄伝統・ブクブクー茶保存会の皆さまのご活躍を心よりお祈り申し上げます。


NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・明治神宮」

六月の杜(もり)は花菖蒲が見事です。今夜ご紹介する場所は東京、原宿にある明治神宮です。
都会に緑がないなんてウソ、と、思えるくらい鬱蒼とした森が東京のど真ん中にあるんです。
私はこの森が大好き。ニューヨークのセントラルパークや、パリのブローニュに負けない、いや、勝っているかもしれない美しい森です。
先週、私は行ってまいりました。原宿駅に降り立ち、神宮橋を渡り、右手奥に第一鳥居が見えてきます。この鳥居をくぐると、もう一瞬のうちに森に抱かれる感じがして、心がゆったりとしてきます。椎の木、樫の木、楠の木などが、豊な葉をしげらせて私たちを迎えてくれます。
この明治神宮は、大正九年(1920年)今から88年前に、明治天皇と昭憲皇太后を祀るために造られた神宮です。面積約83、000平方メートル。当時、この辺は代々木御料地のあった所で武蔵野の一部だったそうです。
おしゃれの町、原宿も原宿村だったんですね。この辺り一帯は、農地や草地で林は少ししかなく、荘厳な神社を造るためには、林の造成が必要だったのですね。樹木の多くは全国の篤志家の献木だったそうです。
荘厳な森林というのは、すぐにできるわけではありません。神宮造園のために、当時の最先端の林学・農学・植物学者から造園家まで、多くの人々がこの神宮の森造りに参加しました。
テーマは「永遠の杜づくり」だったそうです。今でこそ車や電車、地下鉄で多くの人々が行き交う原宿ですが、その頃、この辺りは畑と雑木林の淋しい寒村だったといいます。農業を営む人もおりました。
庭園というより、もっと昔の森林の状態を再現する方向ではじまりました。植木の寄付というのが全国規模であったそうです。当時の資料によると、東京市の小学生児童の献木が五千件以上あったそうです。それらの樹木が、今の神宮の南北両参道に植えられたそうです。参道を歩いていると、88年前にここに木を植えてと、小さな手でこの造成現場に献木を持って行った小学生の姿が目に浮かびます。
今、鬱蒼たる樹木がこうしてあるのも、多くの人の献木のお陰なんですね。”昔、昔のみなさん、ありがとう”今、明治神宮の豊かな樹木を見ると、思わず大正時代の多くの先達に感謝したくなります。

六月はなんといっても菖蒲です。
ここの菖蒲は明治26年(1893)年、明治天皇の思し召しにより昭憲皇太后のために、植えられました。優秀な品種を集め、当時は、江戸系の48種だったそうですが、現在は150種にも増え、大株が1500株。今こそ見にいらしてください。
あまりの美しさに息を飲む、そんな感動が体験できます。
花菖蒲といっても一様ではなく、素敵な名前がついているんですよ。
王昭君(おうしょうくん)、立田川(たつたがわ)、九十九髪(つくもがみ)、鶴毛衣(つるのけころも)、五湖遊(ごこあそび)、(写生区域のところに植えられています)雨後の空(うごのそら)、小町娘、江戸自慢、加茂川、利根川、小豆島、酔美人(すいびじん)。この酔美人は、花は小さめですが、白と薄紫が楚々として美しく、私は大好きです。ほかに朝神楽とか大江戸、浦安の舞いなど。
日を追うほどに次々といろいろな菖蒲が咲き誇ります。この菖蒲園を管理し、あれこれお世話なさる方に、感謝したい見事に丹精された菖蒲園です。今週、来週にかけてが一番美しいと思います。私のお勧めタイムは、やはり朝。
私は箱根を早朝に出て開門と同時くらいに行きました。(菖蒲苑開門・8時半)静かでゆっくりお花を見ることができるでしょう。写真を撮る方、写生する方・・・皆さんの眼差しの優しいこと。

さて、明治神宮をお参りしてから、表参道をぶらりぶらり明治通り方向へ行くと。『浮世絵・太田記念美術館』の看板があります。その看板の所を左へ行くと左手にすぐ見つかります。
6月26日まで特別展「蜀山人 大田南畝(しょくさんじん おおたなんぼ)-大江戸マルチ文化人交遊録」が開催されています。
大田南畝は、狂歌師や戯作者、また学者として活躍した多彩な文化人。
絵師、戯曲者、狂歌師、詩人、歌舞伎役者など、さまざまな人々との交流関係が分かる素敵な展覧会です。午前10時半からですから、明治神宮で花菖蒲をゆっくりご鑑賞されてから、こちらに回るのも一興です。(広重も『名所江戸百景』浮世絵の堀切小高園の花菖蒲を描いておりますね)
旅の足
JR山の手線「原宿」駅「代々木駅」
小田急線「参宮橋駅」
地下鉄千代田線「明治神宮前駅」
大江戸線「代々木駅」

食アメ・ネットワークの会 ”鳴子の集い”

先週末、宮城県北の鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山、そして栗原市に行ってまいりました。
全国から80名の仲間が集まりました。
“食アメニティー・コンテスト”がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は、アメニティーという言葉さえ、まだまだ市民権を得ておらず、「アメニティーってなんですか?」というご質問いただくことも度々でした。それから18年。
今や、多くの農山漁村の女性の方がコンテストに感心を抱き、自分たちの活動を見てほしいと、応募も積極的になされるようになりました。
農家の女性達が、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したことにより、地域全体が活性化するようになったのです。そんな女性たちの強さ、優しさ、未来へとつなげていくしなやかな力を、改めて認識した今回の旅でした。
食アメニティー・コンテストで自然発生的に生まれたのが、「ネットワーク会」です。第1回目ヨーロッパ・(ドイツ・イギリス)にグリーンツーリズムの研修旅行が終わってしばらくしたころ、参加者からもう一度、集まりたいということで、箱根の我が家にほぼ全員が集合しました。
わずか10日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあります。
仲の良い姉妹のように、話に花が咲きました。
せっかく集まるなら、そこで同じ問題にみんなできちんと取り組み、勉強をしたいという思いが大きくなり、「食アメ・ネットワークの会」がスタートしました。今年が9回目。
いつの間にか9年の月日が経ち、毎回、地産地消、食育、ファーマーズ・マーケットでの活動、地域の活性化などといった、テーマでディスカッションを行ったり、会場は女性たちの熱気でむせかえるほどです。全国での開催ですから、地域を視察し、お仲間も増えます。この頃は消費者の方、学生さん、農のサポーター・・・など、横の連帯を大切に出来るパワーも生まれました。
「浜さん、私、この会で一生付き合える友人と出会えたのよ」
何人から、この言葉を聞いたことでしょう。大人になってから、心の本音をうちあけられる友人にめぐり合うのは大変なことです。何も案ずることなく、心の奥底にしまっておいた事まで打ち明けられる・・・そんな気持ちにしてくれる、なごやかさと優しさがこの会の特徴だといえるでしょう。
「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいる。その友も同じ青空をきっと見ている。だから、頑張れる!」と参加者からお手紙をいただいたこともありました。
実は私も同じ思いです。日本の農業と食はもうぎりぎりのところまできているといわれます。
しかし、彼女たちの顔を思い浮かべると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。
食料の争奪が世界中で始まっています。ムラ存亡の危機も問われています。
日本の農業は再生可能でしょうか?
しかし、女性が必ず変える農業・農村・・・だと私は信じております。
「食は命に直結しています。農は国の根幹です」
命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いでしょうが、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう。
彼女たちは、日本の”美しく善きもの”を象徴していると私には思えます。
「食アメコンテストの会」「ネットワークの会」会長として、微力ながらこれからも皆さまと共に歩んでまいりたいと思います。
“未来の子どもたちのために”
今回は鳴子温泉、鬼首の方、岩出山の方、そして栗原市の方。大勢の方々から美味しい料理、優しいおもてなしをたくさん頂きました。現場で頑張っておられる方に勇気も頂きました。
何度、嬉しさで胸が震えたことでしょう。
ありがとうございました。心より御礼申しあげます。
また、再会できる日を楽しみに致しております。

地震 お見舞い申しあげます
本日14日 8時43分ころ、岩手、宮城で震度6強の地震がありました。先週末、お邪魔した所です。栗原市、鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山。
鬼首はブナ原生林に囲まれた1,000m級の山々が連なっており、鳴子温泉から国道108号で入っていきます。たった一本の山道、がけ崩れなど心配しております。
地震に遭われた方々にお見舞い申しあげます。
被害が広がらない事を心よりお祈りいたします。

「美の里づくりコンクール」~こんなに美しいむらがありました

昭和61年にスタートした「農村アメニティーコンクール」から19年。
装いも新たに「美の里コンクール」がスタートして今回が第3回目。
主催
農林水産省
都市と農山漁村の共生・対流推進会議(オーライ!ニッポン会議)
(財)農村開発企画委員会
私は1回目から審査委員として参加しております。表彰対象は、農村漁村の美しい景観を生み出す活動や取り組みをしている団体です。
今回、農林水産大臣賞を受賞したのは福井県越前市 安養寺町(あんようじちょう)です。
“自然を奏で、未来を創造するまち”・・・をキャッチフレーズに、素晴らしい活動をしています。
集落内に自生する「さぎ草」を守り育てる活動、「さぎ草王国」、地域住民と市民とともに里山の保全活動を行う、「郷の森・里楽(りらく)」、恵まれた自然を生かした保全活動は地域住民の想いがあればこそ・・・できるのです。
住民が一丸となって取り組んできた活動が今回の受賞につながりました。
森づくり活動・ビオトープづくり・ため池整備・遊歩道整備・小学生も巻き込んだボランティアによる無理のない活動。けっして派手ではない地道な活動は今の時代、もっとも必要とされています。
私がこの町を訪ねたのは晩秋のころ、静かな佇まいを見せるこの集落には爽やかな風を感じ、人々の優しい心が伝わってきました。
作業にあたっては、
〇 機械を入れない、基本は手作業で!
〇 自己責任で行動を!
〇 持ち込まない、持ち出さない!
〇 ゆっくり、ゆっくり無理なく作業!
をキャッチフレーズに取り組んでおられます。
集落内に生息する絶滅危惧種の「アベサンショウウオ」「ハッチョウトンボ」などの保護活動も積極的に行われています。
表彰式に臨まれた方々のなんて素敵な笑顔。
「今日、東京に来るまで、『まさか・・・』と信じられませんでしたけど、喜びと同時に、これからの町づくりのプレーシャー(笑)になります。10年ほど前、若者たちが町に出て行くのに、何とかせないかん!との思いが集落の個人個人に生まれ”遊び心でやろう!”との思いからスタートしました。しかし、どんなに頑張っても山の中はゴミ捨て場になってしまう・・・困ったものです」・・・と。
日本列島全体でみますと、空洞化する集落が増えています。
耕作放棄地も広がってきました。
「限界集落」という言葉に抵抗を感じつつも、中山間地域に占める限界的・危機的集落はグローバル化の流れにのみこまれそうです。
そんな時代だからこそ、安養寺の皆さん・・・ありがとう!と申し上げたくなります。
子供たちが植えた”ひまわり”に未来を託したいと思います。