『山本出さんとの出逢い』

箱根やまぼうしで、備前 「山本出・周作・領作 父子展」が27日(日)まで開催されています。

千年もの伝統を受け継いでいる備前焼。
「絵付けをしない」、「釉薬を使わない」、その窯の炎の中から生まれた備前焼はまるで魔法にかかったように神秘的です。
今回は父子展。若いお二人も真摯に備前焼と向き合い、今の生活にあった作品を生み出し、新たな息吹を吹き込んでくださいます。

今回の展覧会は、私自身深い感慨に浸ります。
出さんに出会ったのは、もうかれこれ40年にはなるでしょうか。
お互い年を重ね、子供たちが成長し今回のような展覧会ができるなんて当時は想像もできませんでした。窯だしの日に真っ先に駆けつけ、ワインで乾杯をし、作品を前に至福の時を迎えたことがまるで昨日のことのようです。
でも・・・
何よりもの思い出は、「アフリカの夜明け」と名づけた一本のトックリ。
あれは36年前のこと、もう寒くなってきた秋の終わり。
いま思えばなにか不幸なことが起きてもおかしくないような、重い雲がたれこめる日のこと。妊娠6ヶ月の私はある方の個展を見にでかけました。秋の陽射しがコスモスの一本一本に頼りなげに照射し、咲き乱れるコスモスは儚げにみえて、けっこうしたたかな茎を持ち、風にそよがれている・・・そんな風情に心ひかれてその一枚の絵を買ったのです。
その帰り道、彼は死んで生まれました。
六ヶ月の生命は、人間としてこの世に存在することを許されませんでした。
悲しみの底に落ち込んでしまった私は、どんな慰めの言葉も虚ろにひびくばかり。
偶然、アフリカの取材の仕事が入りました。
三人の子どもたちの、それぞれへの配慮、留守中のこまごましたことを含めて主婦がいなくなると家中のリズムが乱れることは必致。
でも・・・
「結局ひとりで立ち直るしかない」・・・そんな思いでアフリカに向かいました。
ヨハネスブルグの取材は、相当ハードなものでした。
泊まったホテルは鉱山の町。
窓の外には鉱山に向かう蒸気機関車が走っていました。
早朝ボタ山にオレンジ色の朝日が射し、私はこの色に魅せられてベッドを飛び出し、いま燃え始めんとするボタ山に向かって走り始めました。
朝一番の蒸気機関車も山に向かいます。
シュッシュッと白い蒸気をはきながら、走る私と肩を並べる黒い固まり。
やがて蒸気機関車は私を追い抜き、ボタ山は高く昇り始めた太陽にいよいよ赤く輝き、あらゆる力をこめて走り続けました。
あのとき、私をつき動かした力は何だったのか。
太陽だったのか、山だったのか、機関車だったのか、広大な南アフリカの大地だったのか・・・人よりはるかに大きな無限の包容力に、私は全身でぶつかっていたのです。
帰国した私を待っていたように、山本出さんから一本のトックリが届けられました。トックリの口の部分から下にかけてなんとあの夜明けのような赤があるのです。土と炎で作ったひとつの器に閉じ込められた赤がアフリカの夜明けと同じ色とは・・・。人生の不思議なめぐり合わせを感じました。

あれから36年が経ち、出さんは数々の賞を受賞され、伝統をふまえながらも、たえず新たな作品へと挑戦を続けています。(3月には岡山県重要無形文化財の認定を受けられました)
そして、息子さんたちにその心と技はしっかりと受け継がれています。
今回は周作さんの「ヒダスキのビールカップ」と領作さんの「小鉢」をもとめました。備前焼のグラスで飲むビールはきめ細やかな泡で、なんとも美味しいのです。小鉢は料理でももちろんいいのですが・・・私は最初は焼酎のロックを。
備前焼は使えば使うほど落ちついた味わいを楽しめます。
備前焼にカジュアルフレンチ・・・も素敵でした。

そして会期中、お互い年を重ねる幸せをかみしめました。
『出逢いって素敵』です。

石川梵写真展 「人の惑星」

素晴らしい写真展に行ってまいりました。
石川梵写真展「人の惑星(ほし)」です。


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石川さんには以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」にもご出演いただき素晴らしいお話をうかがいました。
石川さんは1960年のお生まれ。
AFP通信社、東京支局のカメラマンを経た後、フリーランスになります。辺境の民と、その祈りの世界をライフワークにこれまで撮影してきた国々は60ヶ国以上。「ライフ」や「パリマッチ」をはじめ、国内外の主要誌で作品を発表しています。
1997年に発表した写真集「海人(あま)ザ・ラストホエール・ハンターズ」では、日本写真協会新人賞。2012年度日本写真協会賞作家賞を受賞なさいました。
また、インドネシア・レバンタ島の村人が銛(もり)一本で鯨を仕留める姿を綴った「鯨人」を去年出版され、読者を(私も)興奮の世界にいざなうと評判を呼びました。石川さんが19年もかけて取材した、インドネシアの東にあるレバンタ島は、日本から5000キロも離れていて、到着するのに最短でも3日かかるとか。島の大きさは沖縄本島くらいだそうです。そこのラマレラ村で暮らす人々が、銛一本で鯨を仕留め古くからの生活を守っています。そしてクジラ漁の撮影に成功してから「クジラの心」を撮りわすれていたことに気付き、また村へと出かけます。命がけの取材だったそうです。
そして、石川さんは、去年の東日本大震災で、震災の翌日から現地に入り2ヶ月間取材を行いました。
「THE DAYS AFTER」では、「いったい何でこんなことになったのか。神の怒りか、自然のきまぐれか、地球の怖さをだれよりも知っている自分が、目の前で繰り広げられた光景を受け止めることができなかった。」と語っております。
ニュースカメラマンではなく、ジャーナリストとして「静かに永く、この出来事を後世に伝えたい」と今でも現場に通っています。
今回の展覧会は「人の惑星(ほし)」です。
魂が揺さぶられるような、心をわしずかみにされるような・・・しかし心が温かくなるような写真展です。石川さんはおっしゃいます。
「荒ぶる地球と、それに対峙し、生きてきた人間。実はそれは、今回の震災にも通じるものです。地球とはどんなに恐ろしく、優しく、人間は自然に翻弄されつつも、こんなに強い生き物か、その先にある祈りの心まで一緒に見つめてほしい。そんな願いを込めた今回の写真展です」と。
『石川梵写真展「人の惑星(ほし)』
2012年5月8日(火)~6月13日(水)
キャノンギャラリーS
開館10時~17時30分
休館・日曜・祝日
入場無料
品川駅から港南口に出て右手に真っ直ぐ進み徒歩
約8分ほど、右手のキャノンビルの1Fです。

小商いのすすめ

「日本よ、今年こそ大人になろう」と提案している平川克美さんを文化放送・「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きしお話を伺いました。
小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ」(ミシマ社)を上梓。
実業家、文筆家の平川克美さんは1950年、東京のお生まれ。
早稲田大学理工学部を卒業後、翻訳を主とするアーバン・トランスレーションを友人らと共同で設立。
現在は、ベンチャー企業を支援する会社の代表取締役の他、立教大学MBA特任教授や文筆業でも活躍され、「株式会社という病」、「経済成長という病」などの著書では、右肩上がりの経済成長の信奉者に警鐘を鳴らしています。
私は「小商いのすすめ」を読ませて頂き、タイトルだけみると「ビジネス書かな」と思ったのですが、まったく違い「これからの日本、そして日本人の生き方のヒント」が詰まった一冊で、分かりやすい哲学書のような感じをうけました。
平川さんの生まれ育った町は、町工場の並ぶ京浜工業地帯の小さな街・大田区。みんなが貧しかった昭和30年代の日本の風景。「貧しかったがゆえの豊かさ」を感じられる時代。
まさに私の川崎の長屋での暮らしはそんな豊かさを感じられる子供時代でした。多摩川で水泳を教えてもらったり・・・は平川さんと同じです。
「昭和39年を境に日本の光景ががらりと変化しました。東京オリンピックです。オリンピック以降の高度経済成長の時代に、町の規模、匂い、暮らす人びとの繋がり方、雰囲気・・・以前と以後では、人間と自然との関係が180度転換したということかもしれません」・・・と。
そうです・・・三十年代の町の風景は、「商店街のある暮らし」でした。
私は、小学生になる前からカマドの番を託され買い物かごをさげて近所の商店街にお買い物。魚屋さんでイワシを買い、八百屋さんでキャベツの外側をタダで頂きそこには人々の温もりや匂いがあり、まさに「小商い」の街でした。
平川さんはおっしゃいます。
「ここらで、いったん立ち止まって、自分たちが求めてきたものが何であったのかを考えてみてもいいのではないか、と思っているのです。”立ち止るのには勇気が必要です”」
「拡大均衡の時代は終焉を迎えました、日本人が採用すべき生き方の基本は、縮小しながらバランスする生き方以外にありません。だから「小商い」なのです。」・・・と。
『震災と原発事故』は私たちの暮らしを見直す大きなきっかけになりました。
「小商い」という言葉は、「ヒューマン・スケール」という言葉の日本語訳です。
とおっしゃいます。
スタジオで平川さんのお話を伺っていると、何だか元気がわき、”大人になろう”と心から思えてきました。
たくさん・たくさん素敵なお話を伺いました。
是非ラジオでお聴きください。

放送は5月20日 日曜10時半~11時です。

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嬉しい初夏の贈りもの

皆さまはゴールデンウイークをどのようにお過ごしですか。
私は4月28日が今期初めての近畿大学の講義だったので大阪へ。
新たな学生、昨年講義を受けてくれた学生たちとの再会・・・と素敵な出会いがありました。そして帰りに、新緑の美しい京都へ寄り道をして箱根の山に戻ってきました。
『初夏の訪れ』を感じさせてくれる美味しい、野の味、山の味がどっさり届いておりました。
美しい山と書く地、美山からの贈りものです。
女性たちが元気で美しい山間の町です。
こちらの農村女性たちとのお付き合いももう随分と長い年月が経ちます。
食や暮らしや環境に興味のある女性たちと、ヨーロッパ研修に出かけ出逢った方々です。
岐阜県美山町は、美山町、高富町、伊自良村の三町村が合併し山縣市になりました。
美山は品と豊かさとセンスのある町です。
以前にも訪ねておりますが、、古代から美濃森下紙が漉かれ、貴族や寺院に尊ばれたという町。自然豊かで、その地に初めて降り立ったとき、町のみなさんの笑顔があちらこちらから私を包んでくれたこと・・・今でも忘れられません。
『ふれあいバザール』の女性たち。
生産から加工まで幅広く行い、そして食堂でいただく手打ちそばや天ぷらなどの美味しいこと・・・愛情たっぷりの味は忘れられません。
そんな彼女たちが季節毎にそれはそれは美しく、美味しいモノを送ってくださいます。手打ちそば、桑の木豆みそ、蕗みそ、クッキー・・・そして旬の新鮮な野菜の豊かさに感動します。テンプラの多彩さにもびっくり。
「つくし」はハカマをしっかり取り、卵とじや佃煮風に煮ました。
『あ~~幸せ!』とつぶやいてしまいました。
バザールの皆さま、”ごちそうさまでした!”
6月14日に一泊で伺いますね。
その時にはまた美味しい「おふくろの味」を楽しみにしております。