富山の豊かさ

先日「富山県食品衛生協会創立60周年記念」に招かれ、記念講演で「健やかで豊かな人生を・食と健康」をテーマにお話をさせていただきました。会場はほぼ中高年の方々でした。”食・健康”はどなたも関心のあるテーマですね。
人生100歳!の時代が・・・と言われるようになりました。年齢を重ねることを怖がり、老いを疎む風潮がありますが、私は今が一番幸せです。
もちろん70代に入り、体の声に耳を傾ける機会も増えました。しかし、命に限りがあることを実感したことで、生きていることに感謝する気持ちが湧き上がり、日々がさらに輝きを増したような気がするのです。
会場の皆さまと一体となり、人生「下山の時期」についても考えました。穏やかな空気間、笑顔、至福のときをいただきました。この頃は”ささやかな幸せ”をみつける名人!になりつつあります(笑)
富山はもう何十回も通う街です。時には足を延ばして…世界遺産になる前に伺った五箇山合掌造り集落、黒部渓谷でトロッコ電車に乗ったり、八尾の街並みであったり、工芸では井波彫刻、高岡銅器を拝見したり…45年ほど前に壊される運命にあった合掌づくりの家を譲り受け、箱根のわが家の大黒柱になっていたり…。
食も豊かなところです。四季折々の富山湾で採れるホタルイカ・シロエビ・ベニズワイガニ等など。食の宝庫です。そして地酒も美味しい!
今回も前日入りしぜひ伺いたいと思っていた、富山市ガラス美術館と図書館に行きました。

立山連峰を感じる隈研吾さんの設計による建物。外観は御影石、ガラス、アルミの異なる素材が組み合わされています。内装は富山県産材ルーバ(羽板)が活用されているので温もりが感じられ、市民の憩いの場になっています。

3フロア、なんと言ってもこれだけのゆったりしたスペースがとられている図書館はなかなかないでしょう。長い冬など図書館で時を過ごす。快適でしょうね。「こども相談口」もあり夏休みなどは宿題の相談に母子できたり…文化・芸術が暮らしの中にある。いいな~豊かだな~と思わずつぶやいておりました。

「ガラスの街とやま」を目指した背景には300年の歴史をもつ「富山のくすり」があるからなのですね。図書館の上のガラス美術館では、現代ガラス美術の巨匠デイル・チフリー氏のインスタレーション(空間芸術)が展示されており堪能いたしました。


街の中心から”路面電車”に乗りホテルにもどりましたが、今回の目的その2が路面電車なのです。「路面電車の謎」を書かれた小川裕夫さんの本を読むと、この富山県は路面電車が3つも運行されている路面電車大国なのです。


新幹線を降りると目の前が南富山駅で雨の日でも濡れずに乗ることができます。富山地方鉄道はいくつかの会社が合併し、富山市電へと改組され現在にいたり「コンパクトシティー」には欠かせない市民の足となっています。買い物バッグを持ちお年寄りが”ちょい乗り”にはもってこいです。沿線には病院、スーパー、大きな薬やさん…など。


翌朝は北口から乗り日本海が眺められる岩瀬浜まで約15分乗りました。

まず歩いて岩瀬大町に。ここは旧北国街道に面しており、北前航路が最盛期の明治初期に建てられた廻船問屋が建ち並ぶ街並み。「まち歩きマップ」を片手に持ちの散策でした。古き文化も残しての町づくり、そこに人の暮らしを感じ、匂いを感じ、素敵な町づくりです。


歩いて日本海の海岸に立ちました。11月15日でした。この日は新潟市で40年前に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された日でした。『娘を返してください』とご両親が会見で語られておられました。遠く対岸の北朝鮮に「ひとめでもご両親のもとに返して差し上げて」と祈りました。
帰りも岩瀬浜から路面電車で市内に戻りました。一駅一駅、興味深いパネルがあり『電車の中にあなたの暮らしがある』と書かれていました。サービス付き高齢者住宅も目の前に見えます。過疎化、空き家対策、高齢化、様々な問題を抱える日本列島。ひとつのヒントを住民の足になり暮らしの要になっている路面電車に乗りながら考えました。

箱根美術館の紅葉

見ごろ到来の強羅にある「箱根美術館」に行ってまいりました。


今年は10月の長雨の影響で、一斉に赤のもみじのだけではなく、黄、緑のなかに真っ赤な紅葉が見事です。


200本のもみじと苔の庭。周囲の山々に囲まれたこの庭には四季折々の美しさがあります。
“きっと混んでいるでしょうね”と思い我が家からはバスを乗り継いで朝一番で行きました。11月は9時半開館なので10時前に行ったらもう行列ができていましたが、スムーズに入館でき、青空に映える紅葉を堪能し、本館では展示室に多くの窓があり、自然美と一体になった空間で作品を鑑賞できます。
“中世のやきもの”を中心に、縄文時代から江戸時代までの日本陶磁器が常設展示されております。
創立者・岡田茂吉(1882~1955)の「美術品は決して独占するものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯(たの)しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する」という精神のもとで生まれた美術館だからでしょうか、写真も撮れて”生活の芸術化”が感じ取れる親しみある美術館です。
箱根湯本駅からは登山電車で強羅駅まで。
またはバスで観光施設めぐりに乗り換えて「箱根美術館」前で下車。
今週末から来週いっぱいが見ごろでしょうか。
どうぞ、私の住む秋の美しい箱根にお遊びにいらしてください。

映画「女神の見えざる手」

ワシントンの辣腕ロビイスト、エリザベス・スローン(ジェシカ・チャスティン)は自分の信じることに果敢に挑む。政府を陰で動かす、といわれる”戦略の天才ロビイスト”を見事に演じている。
でも正直に言って映画が始まった15分はあまりのテンポの速い演出についていけず、私の頭は混乱していました。
「何なの・・・これって!」状態でした。
でも気がつけば2時間12分のストーリーに引き込まれ、したたかな女性スローンに”あっぱれ”と拍手でした。
私がびっくりしたのは脚本です。何と初めて執筆した脚本が映画化され、もともとはイギリスの弁護士だったジョナサン・ペレラが映画学校などには通わず、手に入った脚本を片っ端から読み、そして学びこの作品を完成させたとのこと。
弁護士だった彼女はBBCのニュースで、不正行為で逮捕された男性ロビイストのインタビューに着想を得ての執筆だったそうです。そのロビイストを女性に置き換えた、その着想が素晴らしいです。
現代社会において女性が実際このような仕事の仕方がゆるされるのか・・・マシンガンのようにしゃべりまくり、何よりも大切なのは仕事、絶対に勝つ、「女性のステレオタイプを打ち壊すような物語を伝えられるなら、喜んで引き受けるわ」とジェシカ・チャスティンは語っています。
原題は「ミス・スローン」
エリザベスの人生は、仕事がすべて。パーティーに顔を出すのも、戦略の根回しや、裏事情をつかむのが目的。眠る時間がもったいないので、眠気止めの強い薬を飲む。私生活での交友はほぼゼロ。もちろん恋人もいない。男性への欲望は高級エスコートサービスで満たす。部下さえも裏切る、目的のためには。
全米500万人もの銃愛好家がいるといわれるアメリカ。その背景には政治の世界が大きく関わっていることが映画でよくわかります。私の全く知らない世界。作品自体はフィクションですが、実際のエピソードの数々がヒントになっているそうです。そして「アメリカの銃規制を実現するには、ミス・スローンが何人いてもたりない」と言われます。
監督・製作総指揮はジョン・マッデン。
「恋におちたシェイクスピア」(98)がアカデミー賞作品賞を受賞。そして私の大好きな「マリーゴールドホテルで会いましょう」など数々の名作を世に送り出している監督がこう述べています。
「がむしゃらで刺激的なエネルギーが爆発するように展開させる。そして、勝利への執着心からくる虚しさに主人公が気づいたとき、それまでのスピディーな流れを、均衝状態と沈黙で途切れさせるような作りをめざした。」と。
トップ・ロビイストを完璧に表現したファッションを見事に着こなしているジェシカ・チャスティン。
でも、私がとても印象深く感じた繊細な演技。
フッとした瞬間の表情、目の動き、人間味ある主人公を演じた彼女に堪能しました。
映画ですから、あまり詳しいストーリーは申しませんが、もしご覧になられたら『ラストシーン』の最後の最後に見せる目はだれに向けているのでしょうか?私なりに勝手に想像をしましたが、さて。
映画公式サイト
http://miss-sloane.jp

『人はなぜ旅に出るのか・・・旅の歴史と民俗』

大変興味深いフォーラムを聴きに行ってまいりました。
「旅の民俗」シリーズ出版記念フォーラムでした。
(旅の文化研究所編 現代書館)
1:基調講演 「宮本常一の旅学から」
神埼宣武さん(民俗学者・旅の文化研究所所長)
2:「津軽三味線ひきがたり」
二代目・高橋竹山さん
3:パネルディスカッション 「旅の民俗ー行商・芸能・観光」  
パネラー:岡村 隆さん(作家・探検家)、亀井好恵さん(成城大学民俗研究所研究員)、山本志乃さん(旅の文化研究所研究主幹)
コーディネーター:佐伯順子さん(同志社大学大学院教授)
「旅は憂いもの辛いもの」
「かわいい子には旅をさせよ」
「袖振りあうも他生の縁」  
人はなぜ旅をするのか?
人間にとって旅とは何なのか?
記録や体験者の記憶を収集し、社会変化などを実態的にとらえた、新たな「旅行史」・・・とあります。
第一巻 生きる

第二巻 寿ぐ(ことほぐ)

第三巻 楽しむ

読み応えのある本です。
“人に逢う”・・・仕事であろうがなかろうが、私はこれがとても好き。いったいいままで何千人の方、何万人の方々とお逢いしてきたでしょう。お逢いした人から多くのことを教えられ、そこからまた、人の暮らしの深遠をたずね、好奇心は際限なく募るばかりです。
それもこれも根っこはひとつ。
宮本常一(1907-1981)の一冊の本に出会ったからだと思います。
忘れられた日本人
中学生の時に図書館で手にし、「スゴイ人がいる!」と夢中で読んだ本でした。民俗学者で、農村指導者であり自分の足で地球を4周するほどの行程をヅック靴とこうもり傘をリュックに引っかけ、半世紀にわたり訪ねた村々は3000以上。日本の僻地離島を隅々まで歩き、離島振興に情熱を注いだ人。これが、私の最初の情報でした。
この日のそれぞれの方のお話は大変興味深いものでした。二代目高橋竹山さんの津軽三味線。先代はまだ”門付(かどつけ)”をしながら盲目の身を全国行脚されておられ、後に二代目と一緒にニューヨークやパリでの公演も大成功でした。目をつぶりながら音色を聴いていると日本の風景が浮かんできます。
神崎先生の「宮本常一の旅学から」も勉強になりました。
〇 旅に出なさい そして、タスキを繋ぎながらそのタスキを若い人に繋いでいく。その場所に行ったら高いところに上ること。などなど。
先にもお話いたしましたが、私は仕事がら出会う人も多く、出会った方から多くの心もいただきもしました。実際、学校というのは社会のいたるところにあり、田んぼで作業する腰の曲がったおじいちゃんに日本の農業の絶望を昔聞いたことがあります。海辺で網をつくろうおばあさんに、港町の歴史を聞き、山また山の奥の木地師の古老に山の掟を学びました。
日本のいたるところに師がいる。私の旅はそういう無名の師に出会う旅だったようにも思います。私に話してくれたことを折りにふれ思いだします。
海外からたくさんの観光客の方々が日本にお越しくださいます。かつての旅と現在の旅は大きく変化しています。かれらが求めているほんとうの『日本』の旅とは何んなのでしょうか。
私の好きな岩手県遠野。柳田国男の遠野物語の世界は、ないと思えばなく、あると思えばあるのです。地方の至るところで、良き文化を必死で守っている人たちがいます。
宮本常一が歩いたように、私も一人でポツポツと歩きたくなりました。そう誰も行かない寒い寒い季節に行けば、もう遠野はすっかり民話の宇宙。
この日は一日、フォーラムで旅をしておりました。