日本の食

先日、新聞を読んでいたらカラーで美味しそうな”春の豆ちらしずし”が掲載されていました。「わぁ~春、旬、食べたいな~」ということで、作ってみました。

家ごもり状態で、何が楽しみってやはり料理することですね。「大切なものは、土と太陽の匂いがするもの。」と常々感じております。このような時には『免疫力アップ』が大切です。旬のものを食べて免疫力を高め、この状況を元気にすごしたいですね。

「風味豊か楽しい食感」ということで、ソラマメ、スナップエンドウ、サヤインゲン、グリーンピースの4種の豆。そして、菜の花、ホワイトアスパラガス、ゆでたエビに卵焼き。レモン。豆のうまみを余すことなく味わうために一工夫。沸騰した塩水に豆の筋などを入れてダシをとり順番に菜の花や豆類をゆでていきます。

ゆでた野菜を汁に漬ける。これが旨みをまします。すし酢はレモンやオリーブオイル油も加え好きな味に。まさに春爛漫!私の場合は小田原の地元の野菜が入手できるのは有難いです。今は自由に買い物には行けませんが、行く時にはメモをして、薄い手袋、マスクをしっかりして短時間に人となるべく接触をさけて買い物をして戻ります。売り場は春の息吹を感じます。

そして、沖縄からやはり今が旬の”もずく”を友人が送ってくれました。酢の物、味噌汁や雑炊・・・友人に「お好み焼きも美味しいわよ!」と教えられ作ってみました。モズクの食感がやはり春を感じます。

久しぶりに本棚から1994年に出版した「娘たちへ 毎日の幸せおかず」を取り出しました。もちろん西洋料理もいいのですが、お芋の煮っころがしやきんぴらが得意な女性になって欲しい・・・との思いから。私の娘たちだけでなく、若い女性たちにも、と願いをこめてつくりました。

一度も料理学校にさえ通ったことがない私が、毎日の暮らしの中で、見よう見真似で作り続けた料理ばかりです。若狭に茅葺の家を移築し、畑を作り、野菜や果物の育つ様子をこの目で確かめながら暮らしたい。

子供たちに、蛍がりや小川のせせらぎ・・・故郷の原点のような田舎を経験させたい。そんな思いからでした。現在は私が受け持った近畿大学の学生たちが田んぼで米作りや畑で野菜作りに励んでいます。もう10年の歳月、学生たちは時間の許すかぎり汗をかいています。

本の中に「乾物って、ホントに重宝です」というページがあります。今回のように買い物にも制限がある時など乾物ってとても重宝するのです。私の食料品のストックコーナーには常備食として乾物類がぎっしり詰まっています。

切り干し大根、ひじきにわかめ。大豆に乾麺、こうや豆腐など等。もともと、こうした乾物は長い越冬の季節の常備食として、日本人の生活の知恵から生まれた栄養価の高い食品です。

大豆などはたんぱく質や脂質、カルシューム、ミネラル分たっぷり、畑のお肉と呼ばれています。一晩水につけて(時間がなければ熱湯に2時間くらい)いろいろな料理につかえます。3食の料理を作らなければならないこのような時期、作り置きができる料理は大事ですよね。

さて、少し硬いテーマですが、先日(4月3日)の日本農業新聞のネット記事に「新型コロナウイルスの感染拡大により、一部の国が小麦や米などで輸出制限措置をとった」という内容の記事がありました。

世界最大の小麦の輸出国「ロシア」は、通常は無制限である小麦を、4月~6月の間は上限を700万トンに設定。世界最大の米の輸出国「インド」は、国内の貧困層向けの配給を優先し、米や小麦の輸出を制限した。カンボジアも米の輸出を制限し始めた。とありました。

新型コロナウイルスの感染がこのまま拡大した場合、日本の食糧はどうになるのでしょうか。日本の農業の在りかた、危機管理、など考えておくべきではないでしょうか。

日本の食は輸入に頼っている部分が大きいのです。『地産地消』を農業従事者などは積極的に取り組んでおります。今回のように突然「休校」になり、給食がなくなり、農業、酪農、漁業など破棄せざるを得ない食品、又、自粛により花農家の方々のせっかく育てた花を廃棄せざるを得ない状況にあって、「買い支え」の状況も生まれてきました。特に若者がネットなどで呼びかけています。素晴らしいことですね。

私たちの「食」は他国に頼りすぎておりませんか?
冷蔵庫の中身をチェックしてください。
食品ロスの多さを考えましょう。
家庭からでる食品ロスがこんなに多くて大丈夫でしょうか。

日本はこれまでひたすら国の発展と経済的な豊かさを求めて突っ走ってきました。国土が小さく資源の少ない小国が、敗戦の痛手から見事に立ち直り、世界の列強に肩を並べる経済力を持つ国になったのもそのお陰でしょう。

けれど、一方で、わたしたちはそのかわりに、暮らしや食の根幹である農業を易々と放棄してしまう、そういう愚を犯してしまっていないでしょうか。

1960年代の人口は30億人でしたが、わずか50年ちょっとで2倍になりました。日本だけを見れば少子化で人口の減少が危惧されていますが、地球規模でいえばまさに人口爆発です。2050年には、世界の人口が89億人になると予測されています。

しかも、温暖化、地球環境のさまざまな異変、洪水や干ばつなどの自然災害、アフリカの砂漠化、食料を生み出す耕作地帯に大きな影響を及ぼす出来事が起きています。そして、『新型コロナウイルス』が世界中感染拡大が続いています。治療薬の開発が一日も早いことを願わずにはいられません。

新型コロナの感染拡大が収束し、不自由なく外出ができるようになったら、改めて「日本の食」を見つめ直したいですね。そして、私たちの暮らしを見つめ直したいですね。

中原淳一の世界

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、社会全体に不安が広がっています。

まず、医療・福祉に携わる方々、食料他生活必需品に関わる方々、流通、運輸、通信その他たくさんの方々が休むことなく働いてくださっております。心より感謝申し上げます。

厳しい自粛要請のなか「日常を失う」痛みと不自由を多くの方が味わっております。「日常」がどれほどありがたいことか・・・と、思い知らされている毎日です。いつか終わりが来ると信じて、感染を広げないよう生活することに心がけている毎日です。

私は、箱根の山に暮しておりますので早朝のウォーキングは日課となっております。足元をみると土筆がのびのびと太陽に向って伸びています。みずみずしい土筆を摘み「佃煮、酢の物、卵とじもいいわね~」などと思い、帰ってから袴除り。爪は真っ黒。「いいわ、どこにも出かけないのですもの」などとつぶやき野草の生命力に励まされます。

しばらく歩いていると「白木蓮」が満開です。紫木蓮よりひと足早く咲きます。蕾は天を仰ぎ、開花から散るまでの寿命は短いのですが、花びらの散っていく様子はそれはそれは美しいのです。

こうして「閉じ篭り」状態を少しでも楽しく過ごしたい。そうね、日頃できなかった掃除や植物の手入れ、そして書庫の整理。知り合いが堀りたての筍と蕗を届けてくださいました。蕗のスジをむいていると”春の香り”が手に広がります。孫とお嫁さんが筍の皮をむいてくれます。自然界はこんなに春の到来を告げているのに・・・。

そうそう、嬉しい発見がありました。

この数十年、何度も何度も探していた大切な本がみつかりました。大事にしすぎて本棚の奥に入っていたのですね。『中原淳一画集第二集』第一集は買えませんでした。

昭和52年1月20日第1刷発行です。私世代の方ならばご存知だと思いますが、「ひまわり」「それいゆ」など憧れの本でした。私はまだ幼く、画集や本は買えませんでした。

ようやくこの画集を手にいれ有頂天になってページを食い入るように眺めておりました。女優になってまもなくの頃でした。”お逢いしたい先生に”ようやく夢がかないチャンスはやってまいりました。

昭和21年に「それいゆ」が発刊され毎号、爆発的に売れ、全国に中原ファンが広がりました。先生は雲の上の存在でした。中原先生のお描きになった挿絵はすべて好きで、さまざまおしゃれのヒントを本から頂いたものです。仕事の合間をぬって「中原淳一展」へも何度も通いました。あるとき展覧会で改めて、以前気づかなかった中原先生の文章に素敵な人間哲学がありました。そんな文章をご紹介いたします。

「愛すること」 中原淳一

女性は愛情深い人間であって欲しいのです。朝食の支度をするのなら、その朝食を食べてくれる人の一人一人に愛情をこめて作って欲しいのです。窓を開けたら新鮮な空気を胸いっぱいに吸って、幸せを感じ、窓辺の植木鉢にも愛情をこめて水を注ぎたいし、掃除をするならそこに住む人はもちろん家具、柱、壁にも愛情をこめられる人であって欲しいのです。世の中がどんなにめまぐるしくなっても、そんな悠長なことは言っていられないなんて言わないでください。生きている限り、愛情深い女性でいてください。そういうことを知っている女性が必要でなくなることは、ないはずです。

ファッションだけではなく、暮らし、そして生きること全般に美を追求されてきた中原先生の、心底、思うことがこの一文に現れているのだと思います。「それいゆ」や「ひまわり」はまさに女性のありとあらゆる「暮らしの技術」を教えていることに気づかされます。

現代社会はこの時代とは大きく変化いたしました。今回のコロナウイルスのことで、もう一度日々の暮らし方を考えるのも大切かも知れません。

C・Wニコルさん

作家で環境保護活動家、探検家のC・Wニコルさんが3日、亡くなられました。

ニコルさんにはじめてお会いしたのは、35、6年前のこと。ニコルさんが荒れた森を再生させるために長野の黒姫に移り住み、自らの手で森づくりをはじめたまさにその頃でした。

「豊かな森は生きる力を与えてくれる。森は心の再生」というニコルさんの考えに、深く共感し、雑誌の取材で黒姫の家にお邪魔いたしました。

「美枝さん、木を切ってはじまる文化もあるけれど、それによって文化を失うこともあるよね。森を失ったら文化は滅びます。森の再生、復元にはたくさんの時間、手間、そして愛情が必要だけれども、誰かがやらなくてはならないんだ」と。

ニコルさんは、以来、黒姫の荒れ果てた土地を、私財を投じて、少しずつ買い集め、ウエールズのアファン(ケルト語で「風が通るところ)という意味)の谷のように、日本でも美しい森を蘇らせようとなさってきました。朽ちた木を間伐するという気の遠くなるような作業を繰り返しました。そして、太陽の光が地面にさしこむようにして、その土地になじむ新しい苗木を植え続けてきました。

ニコルさんとブナの原生林を歩いたある夏のことでした。

そのブナは、天をつくかと思えるほどの高さ。その幹の太さは、巨漢ニコルさんもスリムに小柄に見せるほど。私はブナの木にふれました。水をたっぷり含むその木は、太古からの生命の循環を奥深い胎内に受けとめ、耳をあてると満々たる水のたゆたいが聞こえてくるような気がしました。その木の肌、木の下のあらゆる生物が生き、蠢くさまは、まさにつね日頃、ニコルさんがいう生態系そのものでした。

「放置されたままの状態を森とはいわない。原生林を切り倒して落葉樹を植えてお茶をにごしていると森はジャングルになって、木はヒョロヒョロ不健康になる。原生林は日本列島の大昔の歴史を語り、無数の生き物の原点、そしていい水の原点なんだ。日本人の元気の源・・・・」

沢から流れる水を汲み冷たいお抹茶をいただきました。その幸福感は身体の隅々までいきわたりました。

いい山の見分け方もニコルさんに教わりました。山をみて、尾根に針葉樹がはえているから、遠くに緑がみえるから、それが森林だと思ってはいけません。多くの原生林を切り倒したあとの飾りのようなものというのです。

ちょっと地方に行って、”わあ、自然がいっぱい!”とすぐ感動しがちな都会に住む私たち。無知であり傍観者であり、そのうえ浅はかにも緑色というだけで自然がいっぱい、と感動しているうちに、原生林だけが刻々と姿を消している姿にニコルさんは心をいためていました。環境問題に対して真正面から向き合ってきた活動家として知られるニコルさんはこの日本の現状をどのようにみていらしたのでしょうか。妥協を許さない厳しさでも知られています。

ですが、一方、日常をとても大切にし、さらに繊細で優しく、愛すべき茶目っけを持ち合わせている素敵な方でした。

アファンの森を歩いた数々の日のことが走馬灯のように脳に蘇り、胸が熱くなってきます。これから森のことをどなたに教わればいいのですか、ニコルさん。うかがうと書きかけの小説もまだ半分だったとのこと。

最後にニコルさんは「ぼくたちの望んでいる森は見ることはできないでしょう。でもいま可能性を与えることで必ず望むような森ができると信じています」とおっしゃいました。未来を夢見て、ひたすら歩み続けた二コルさん。

ニコルさんなんて他人行儀な呼び方ではなく、やっぱりいつも私たち仲間がそう呼んでいるように、「ニック、安らかにお眠り下さい」  合掌

写真は黒姫に住みニコルさんを何十年も、寄り添うように、撮り続け深い友情で結ばれていた南 健二に提供して頂きました。私とのツーショットは来日50周年、日本人になられたお祝いのパーティーの二次会で仲間たちと一緒の赤ら顔のニック。生まれた故郷、英ウエールズの美味しいスコッチを飲みながら。

老いてこそデジタルを。

『アナログ時代を生きてきたわたしたちシニアが、デジタルのスキルを身につければ鬼に金棒です。』とおっしゃるのは、85歳のプログラマー・若宮正子さんです。

私はどちらかといえば”アナログ”人間です。もちろん携帯電話は一番簡単なスマートフォンです。メールや多少の検索、家族とのやりとりはLINEを使います。でも、とても使いこなしているとはいえません。

家の時計は全て「アナログ時計」です。デジタルの数字でみるのは”美しい”と思えないからです。(もうここで、アナログ人間!)

部屋に飾ってある写真もセピア色をしています。そのほうが”美しい”と思えるから・・・負け惜しみなのかしら。

パソコンも使いますが、原稿を書くとき、メールのやりとり、検索、Facebookもみます。でも、パスワードを入れるのも苦手、アドレスも間違いそう。つい息子に「入れて~」と頼んでしまいます。でも、若宮さんのご本を拝読し考えは変わりました。衝撃です!

若宮さんは、1935年、東京のお生まれ。

東京教育大学付属高等学校を卒業後、三菱銀行に入社。定年をきっかけにパソコンを購入し、楽しさにのめりこみました。シニアにパソコンを教えているうちに、エクセルと手芸を融合した「エクセルアート」を思いつき、これが大好評。

その後、アイフォンのアプリ「hinadan(ひな壇)」を開発し、アメリカ・アップル社が開発する世界開発者会議にも出席なさいました。しかも海外での会議に登壇して英語で講演したりする場合はGoogleコンピュータ翻訳だそうで、日常会話も「ダメなのよ」とか。

Google翻訳には、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語など主要な100ヶ国語はほぼ網羅されているとのことです。

最近は若者たちは「スマホ決済」で買い物をしていますよね。私などは「嫌だわ~お財布から現金で払わなければ買った気分になれないわ」などと思っておりますが、近い将来「スマホ決済」でしか買い物が出来なくなるかもしれませんね。

そこで、ここは直接お話をお伺いし『老いてこそデジタルを』の醍醐味をお伺いしたくラジオ番組にゲストとしてお迎えいたしました。

私より8歳年上の若宮さん。背筋を伸ばし、ベリーショートがお似合いで、ご自分が考案したエクセルアートのデザインの素敵な洋服で颯爽とスタジオにお越しになられました。

インターネットに繋がるといいこと、老人クラブは20年前からアクティブに活動していること、危機管理にも役立つこと、注意点、指で操作するのが難しくなったら”声”でサポートしてくれること、など等。

何よりも『ボケ対策にはクリエイティブなことをするのがいちばん』とおっしゃられます。詳しくはラジオをお聴きください。

コロナウイルスの影響で、自宅にいる時間が多くなりました。料理や掃除、読書、そして私もこの一冊で”デジタル”を学んでみようと思います。さあ~て、どうなりますか、理解できるようになるのでしょうか。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 4月19日
9時30分~10時
※時間が変更になりました。