箱根の自然に魅せられて

私が女優になりたての頃、(60年も前のこと!)ある日、芦ノ湖で一人の女性が、一本スキーで颯爽と湖を滑走するのを見てもうそのカッコ良さに夢中になりました。


私も水上スキーがしたい。でもお金がかかるんですね。私は女優になりたてでしたから、まだまだ水上スキーなどやれる身分ではなかったのです。そこで、ボート屋さんでアルバイトをして、水上スキーに熱中した思い出があります。箱根は、水上スキーに通ううち、本当に馴染む町になっていました。商店街のおばちゃんも、どこに何があるかも。

何よりもその自然の美しさに魅せられていました。「住むなら、この箱根!」と決めていました。東京での仕事を考えると「不自由よ」とも言われました。今のように”移住”という言葉もあまりありませんでした。なんと無謀なことでしょうね。

そして、失われていく古民家を再生したい…との思いもありました。ずいぶん旅をしました。古民家との出会いもその頃からでした。東北・北陸、富山や福井など、家や暮らしを訪ねる旅を重ねました。

ヨーロッパの旅の中でも、影響を受けました。がっしりとした骨格の家、暖かな木の感触、そして、ミセスたちが作ったカーテンやクッションなど、手作りの暖かさに目を開かされました。多くの人々が、何年もかけて家を自分たちで造るということも聞きました。サラリーマンが十年かけて基礎工事をやり、さらに五年かけてレンガを積み、なんてことはざらにあることを聞き、憧れました。山の中なら時間は待っていてくれる感じがしたのですね。50年前のことです。

『植物に囲まれた子育てがしたい』親も子も、穏やかな関係でいられる、そんな気がしたのです。小学校を箱根で過ごした子供たちは、おかげさまで、みんな植物好きな子に育ちました。箱根で暮らしながら、子供たちとしょっちゅう行っていましたのが、これからご紹介する「湿生花園」です。

湿生花園は、仙石原地区に位置します。この仙石原は、江戸時代「千石原」とか「千穀原」と呼ばれていました。古文書によると、慶長十六年(1611年)には五名の村人が二町歩余りの土地を耕していて、「耕せば、千石はとれる」ということが、ここの地名の由来だそうです。

今、この地に立つと、昔の人々の苦難がどんなものものだったか、千石の米を収穫することの困難さが偲ばれます。千石の収穫を夢みた人たちがいたんですね。

山に囲まれた仙石原は、二万年前は湖の底だったそうです。今は干上がった状態ですが、一部残った湿原が湿生花園として、箱根町によって昭和五十一年に開かれました。日本の湿原植物を中心に約千五百種の山野草が収集されています。川や湖沼など水湿地に生育している日本の植物や、草原や林、高山植物、めずらしい外国の山草も含めて多様な植物が四季折々に繁り、花を咲かせ、私はここにくるとえもいわれぬ「至福の時間」を体験します。

夏休みになる前に、行ってまいりました。山の花や植物を見にいらっしゃるのは殆ど、女性です。仲良しグループが、楽しそうに花と一緒に写真を撮ったり、木陰で俳句を詠んだり、スケッチをしたり、皆さん楽しそうに草原を歩いていらっしゃいます。中年のご夫婦連れ、最近は若いカップルも増えました。

今なら
シモツケソウ
ヤマアジサイ
ヒメユリ
オカトラノウ
などが強い日射しに心地よさそうに群れています。

秋になると
ワレモコウ
オミナエシ
ホトトギス
リンドウ
サギソウ
等が咲き乱れ、湿生花園全体が巨大な「寄せ植えガーデニング」のようです。


9月3日まで、園内ではめずらしい「世界食虫植物展」が開催されています。
https://hakone-shisseikaen.com/

箱根の植物は、私の子供たちの、もう一人のお母さんだったのかもしれません。

箱根に住んでよかったなぁ、と、しみじみ思うひとときでした。植物とふれあって帰る道すがら、気持が癒されているのを感じました。