『美の法門』 柳宗悦の美思想

寒さがゆるみ、春の訪れを感じる午後、打ち合わせを終えその足で渋谷駅へと向かいました。井の頭線に乗り換え2つ目の駅「駒場東大前」で下車し、住宅街をのんびり歩いて10分ほどで「日本民藝館」に着きます。歩きながらミモザや梅の花など見ながら”あ~やっと春が動きはじめたわ”とウキウキしながら道。40年近く何度も歩いた道です。
創設80周年特別展が開催されています。
3月21日までは「美の法門」
4月2日~6月12日までは「朝鮮工芸の美」
6月21日~8月21日までは「沖縄の工芸」
9月1日~11月23日までは「柳宗悦・蒐集の軌跡」
そして最後は来年1月8日~3月26日まで「柳宗悦と民藝運動の作家たち」です。


私にとっては夢のような1年間です。
中学時代、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちにいわれるままに振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」を繰り返しよみました。
柳さんは、大正末期に興った「民藝運動」の推進者として知られた方です。西洋美術にも造詣が深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊にも携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民藝」に美の本質を見出していきました。
柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのです。
私は中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、すっかり感激してしまったのです。もちろん中学生ですから、むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、たしかなものだったように思います。
さらに年月を重ね、工芸の美から、仏教美学へと興味がわいてきました。この世を「美の国」にしたいという願いを抱き「手仕事の工芸」は「精神生活」にもつながるもの・・・と感じました。難しい宗教の話ではなく『美の法門』(岩波文庫版・新編・美の法門)を読み冒頭から「美と醜との二がないのである」で始まり、なんだか私の頭はこんがらがってしまいましたが、『美しさは何も他力的なもののみではない。いわば自力美の一道も別にあるはずである。』という言葉に深くうなずけました。
名もなき人々の生む器への深い愛情と畏敬の気持ちは、こうした仏教・仏への道なのでしょうか・・・。
本館、西館の建物は(登録有形文化財)そして、西館の石屋根長屋門の建物は柳宗悦が最後まで暮らした建物です。民藝仲間と語りあったであろうリビングのテーブル・椅子、そして蔵書の数々。西館(旧柳宗悦邸)も展覧会開催中の第2水曜・第2土曜・第3水曜・第3土曜は入場できます。2階の部屋からは梅、椿の花が美しく咲き誇っていました。
阿弥陀仏・円空仏や柳のコレクションの陶器や布など、”美の空間”に身を置くのも素敵ですね。
10代のころの自分に出会えたような時間でした。

映画 CAROL

「キャロル」を有楽町のTOHOシネマズみゆき座で観てまいりました。
私はキャロル役のケイト・ブランシェットのファンです。オーストラリア・メルボルン生まれ。「エリザベス」でイングランド女王エリザベス一世を見事に演じ、ゴールデン・グローブ賞など数々の賞に輝き、大人の女を見事に演じられる演技者です。また大女優キャサリン・ヘップパーンを演じアカデミー助演女優賞を受賞するなどの実力者です。最近では「ブルージャスミン」(13年ウディ・アレン監督)で主演女優賞に輝いています。
日本経済新聞(夕刊)シネマ万華鏡には「近年まれな、しっとりとした情念をたたえた恋愛映画の秀作である。題材は女性同士の愛だが、これ見よがしの描写はいっさいなく、にもかかわらず、切迫した人間的エモーションを生々しく伝えてくる。本年屈指の一本。」と書かれていました。
舞台は1952年のニューヨーク。その時代の背景・美術、きめ細やかなセット。衣装は華やかではないのですが、シックでその時代の上流社会の大人のエレガンスを堪能できます。
原作は「太陽がいっぱい」で有名パトリシア・ハイスミス(私はこの原作者が女性であったことを知りませんでした)。ミステリー作家で今回の「キャロル」は彼女の唯一の恋愛小説だそうです。心理描写が繊細で、女性にしか書けない・・・と思わせる見事さ。脚本はすべて原作に忠実かといえばそれは違い、トッド・ヘインズ監督の繊細な計算されつくした描写は見事です。
このように書かれています。原作では(ふたりの視線が出会ったのは、ほぼ同時だった)しかし監督は、この出会いの場面で、若きテレーズにキャロルを見つめさせ、その後キャロルが彼女の視線に気づく。監督の言葉をかりれば”視線と視点”「視点の変化」が効果的に観客をこの映画を自然に導いて”心の旅”へと誘ってくれる。
クリスマスを間近に控えた高級百貨店の玩具売り場でアルバイトをするテレーズ役のルーニー・マーラー。彼女の美しさと演技力に魅了されます。二人の出会いはキャロルの忘れた手袋を届けたことから、お礼に昼食に誘われます。初めての会話なのに互いの境遇を知ります。キャロルには別居中の夫がいますが、離婚すれば娘の親権を奪われる可能性があります。ただ飾り物のように振舞うことだけを求められているような上流階級の妻の座。テレーズには結婚を求める恋人がいますが、なにか人生の方向が見出せません。
“心に正直に生きるための旅に出るふたり”
画面展開が素晴らしいのです。
映画ですから詳しくは書きませんね。
ただ、レスビアン・・・とかたずけられない人間のガラス細工のような繊細でもろくで、しかし”真実”に向かう姿勢には感動をおぼえます。
舞台となった1950年代はまだ世の中には偏見があり受け入れられなかった愛。
ちなみに原作者のパトリシア・ハイスミスもレスビアンだったとか。それにしても主演女優の二人の素晴らしい演技。人間が自然に恋におちてお互いを必要とした世界が見事に表現されていて、女性の心理をよく理解している監督が見事です。
ケイト・ブランシェットのファンの私には贅沢な映画でした。
仕事で東京に出かける時は、時間を作って映画館や美術館に足を向けます。ほんとうは舞台もコンサート、落語にももっと行きたいのですが、限られた時間の場合はこの二つが至福の時間に変わります。
今を大事に丁寧に生きたい・・・と切に思うようになりました。
やりたいと思ったら、いつかと先送りせず、即、行動する・・・それが、この頃の私です。
映画公式HP

『激安食品の落とし穴』

昨年から今年にかけて、日本の農業についてマスコミをはじめいろいろな所で議論が盛んに交わされてきました。それは皆さまもご存知のTPP(環太平洋パートナーシップ)の大筋合意がなされたからです。「人・モノ・お金」が原則自由になることです。
私は40歳から環境・農・食の問題を勉強してまいりました。この20年あまりで農業の現場も大きく変わりました。将来に農業者の人口は減り続けます。農業就業者の平均年齢は66歳です。50歳未満の農業従事者は25万1千人、5年前から比べると23%も減少しているのです。もちろん一部には優れた農業者もいます。輸出にも力をいれ成功している人もいます。「足りなければ輸入すればいい、そのほうが安くすむ」という声も聞こえてきます。
“食は命に直結しています”
そんな環境のもと、私は心配なことがたくさんあります。全国各地を自分の足で歩くと耕作放棄地のなんと増えたことか。美しい景観が大きく変化し、このままだと日本の農業、食はどうなってしまうのか・・・。日々の暮らしに目をやるとスーパーなどでの安売り競争。たしかに安いにこしたことはないのですが・・・。
「新鮮でおいしく、安全でしかも安い」そんなことはありえないのです。私の子供のころの暮らしには、庭先に鶏が走り回り、牛舎で牛のお乳を搾る光景など生産現場を身近に感じることができました。現代は、たべものを巡る不祥事も取りざたされています。考えたこともない破棄すべき食品を流通に流す。こんなことってあるのでしょうか。私達台所を預かるものとして考えてしまいますよね。『これってどういうこと?』と。
そこで出会った本『激安食品の落とし穴』です。
お書きになられたのは、農畜産物・流通コンサルタント山本謙冶さんです。山本さんは、1971年・愛媛県生まれの埼玉育ち。慶応義塾大学・環境情報学部在学中、畑サークル「八百藤(やおふじ)」を設立。キャンパス内外で野菜を栽培し、この活動は今も後輩に引き継がれています。これまでの著書に「日本の食は安すぎる」「無添加で日持ちする弁当はあり得ない」があります。私も山本さんの本は以前に読んでおりましたので、現在の「農・食、そしてわれわれ消費者」のことなど伺いたくラジオのゲストにお迎えしました。
安くて美味しい食品は家計を助け、一見、理想的ではありますが、これが「安すぎる」となると、生産者や食品メーカーは生産行為を続けられない状況に追い込まれます。「今の事実を伝えたい」と、全国各地の食の現場で取材して書かれたのがこの本なのです。
本の中で「消費者は弱者であり、守られるべき存在というのが日本の消費者運動の趣旨だが、果たしていまの時代に合っているだろうか。いまや消費者が最も強い立場にいるのではないかと思うほどだ」と。(第一次産業からみた)買い手側が圧倒的パワーを持ってしまい、価格を支配している。
そうですよね・・・この安さで安全?だれか泣いている人がいるのでは?と思うことがあります。皆さんはどのように思われますか?たしかに昭和のころとは環境が変容しています。賞味期限は自分達で判断していました。食べ物にたいする基礎知識が変化している・・・というか、頼りすぎていて期限切れは破棄してしまう。破棄する量も日本は桁外れに多いのです。テレビや雑誌に取り上げられると、スーパーではその商品が瞬く間に棚やカゴからなくなります。
山本さんはおっしゃいます。「日本人はたまごが大好きだ。ひとりあたりが年間に消費する個数は世界でトップクラスだし、しかも生たまごを食べる文化がある!」そのたまごは「物価の優等生」といわれてきた。でもそうでなくなる時代がくるか?
私はスーパーでの納豆とたまごの「激安競争」を見ていて心配になります。たまごの生産者は激減しています。わずか2600戸しかありません。農家戸数の0.1パーセントなのです。「激安」にさらされ商売にならないのです。
日本は競争社会になり合理化と大規模化が進んでいます。最初に述べたようにTPPでの合意によりさらに競争社会になっていくでしょう。でも、私達消費者だけが「食」のあり方を変えることができるのです!食卓を守ることができるのです!そして生産者と消費者がお互いを理解しあうことができるのです。
ぜひ放送をお聴きください。
そして「激安食品の落とし穴」(KADOKAWA)をお読みください。
未来を担う子供たちのために私達ができることからはじめませんか。
文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
2月28日放送 日曜10時半~11時まで。


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愛しき人生のつくりかた

映画「愛しき人生のつくりかた」
なんて優しくて、ウイットにとんだ映画なのでしょうか。
これぞフレンチ・コメディーですね。
パリで暮らす、ごく普通の家族、そして普通の暮らしのなかでの人間模様。
クリスマスを目前に最愛の夫に先立たれ、冒頭は葬儀のシーンから。モンマルトル墓地。この墓地には、小説家スタンダールや画家のドガ、多くの有名人が眠っています。そして、映画作家フランソワ・トリュフォーも眠っています。監督は「普通の人々の日常が私を魅了するのです」と語るジャン・ポール・ルーヴ(監督・脚本・(ホテルの主人役)主人公の祖母を演じるのは(マドレーヌ役)アニーコルディー。1928年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ベルギー国王よりパロネス(女性版「男爵」)の称号を贈られています。
彼女は、ある日突然、姿を消してしまいます。親友のように仲の良い孫をマチュースピノジ(ロマン役)が演じています。彼はこう語っています。脚本のどこに惹かれましたか?
「普遍的なテーマの数々に感動しました。生、死、時間の流れの速さ、生命の危機、世代を超えた関係が描かれ、考察されています。それらは僕自身のことと響きあっています。台詞は軽快で可笑しくて、原作よりコミカルです。」と。
そのロマンの両親、退職したことを受け入れられず、自覚できない父。多くの女性が自己投影できるユーモアと感受性豊かな現代女性の母。夫婦の溝。そして再会。
フランス語の分からない私にはそのユーモアのニュアンスが分からず残念ですが、原題は「思い出」「記憶」「かたみ」」などとなっています。人生の哀しさや、理不尽さを主人公のマドレーヌは自分の望みを妨害されることには我慢ができなくなって自由を選び、少女時代の思い出の場所に旅に出ます。年をとったからといって、生きることをあきらめなければならないことはありません。フランス式の「家族の絆」とは日本とは少し違いますね。マドレーヌには3人の息子がいますが、息子たちは老婆(といっていいのかいら・・・)引き取ろうとはしませんし、彼女もそれを望みません。
この潔い生き方に共感できます。
振り返ると、私は人生の節目のときに、よくパリを歩きました。美しい街並み、美術館の数々。マルシェをのぞき食材を買い「暮らすように旅する」ことが最高の贅沢な時間です。そして、思うのです。日本人の慎ましさ、思いやりといった美徳だけでは通じない、個人主義の厳しさ。街ゆくひとがかもし出すぴりっとした雰囲気・・・。適度な緊張感。
この映画はまさにそうした家族のありよう、自分自身の生き方、家族の喪失を乗り越え、新たにつながる絆の予感を感じます。さわやかで温かさのこもる映画。孫が愛する祖母を捜しにノルマンディーへと向かいます。その美しい海辺の町、「エトルタ」その美しい風景に魅せられ画家モネ、クールベらが作品に残しています。
渋谷の文化村の”ル・シネマ”の午後の回で観て、そのままエレベータで地下に降り、吹き抜けになったテラスで白ワインを一杯飲み山に戻ってきました。
孤独って素敵なことですね。
映画の公式HP