聞香の会

先週末、箱根「やまぼうし」で「お香の会」があり私も初めて参加いたしました。
かねてより「お香」には興味があったのですが、なかなかチャンスがなかったので今回、楽しみに参加いたしました。

第一部は聞香(もんこう)の会。
伝統的な香道では、香りは嗅ぐとは言わず「聞く」というのだそうです。
そこからして「難しいのかな・・・」と思いつつ椅子に座りました。
埼玉、東京からもお越しくださり参加者は7名。
渡辺先生は分かりやすく「香」の成り立ちからお話しくださいました。
西洋のアロマセラピーの研究は進んでいる一方で、東洋の香りに関する調査は盛んではなく、古代文明の時代からの「香り」をもっと皆さんに知ってもらいたいと渡辺さんは仰います。

香炉の灰作り(灰手前)から始まりますが、これがなかなか美しくは作ることができません。灰をかきあけ、押さえ、呼吸を整えます。
香木は全て天然。
伽羅から始まり沈香、香十徳、白檀はティモール島周辺が原産地。インドやインドネシアでも多く産出されていましたが、現在は少なく貴重品になっているそうです。栂(つが)、安息香(私はこの香りが一番好きです)のバニラのような甘い香りは呼吸系に薬効があり、タイ、ベトナム、マレーシア、ジャワ島から産出されます。
20種類くらいの香木から3種類の香木を聞かせていただきました。
「嗅覚がきく人は健康なのですよ、ほら鼻がきくって言うでしょ、つまりそれは自己防衛なのです。」
テーブルと椅子での会なのでリラックスして「香りを聞く」ことができました。
香りと自分がひとつになれるか・・・。
興味深かったのが、それぞれの香木の持つ柔らかな香りが沈静作用、安定作用、頭痛の緩和など様々な効能があるからでしょうか、30分くらい聞いていると精神が落ち着き、心が満たされてきます。
そう、幸せな気分になってくるのです、不思議と。
室町時代に生まれた「香道」。
ひとりひとり感じ方が違うそうです。
参加者全員で「香・満ちました」と言って第1部は終了。
昼食は湘南エリアの地野菜をふんだんに使ったヘルシーで美味しいフレンチのランチボックス。

第二部は匂い袋と塗香(ずこう)づくり。
僧侶は法要の前に、修行僧は修行に入る前に、塗香を口に含み、手や身体に塗って、煩悩、汚れ、邪気を除き心身を清めたそうです。一般の人が読経や写経をする前にもよく使われるそうです。
先生が「浜さんはどんな香りがお好きですか?」と仰られたので「ちょっとラブリーで優しい香りがすきです」と申し上げました。
先生おすすめのブレンドと自分の好きな香りをブレンドして出来上がり。
私は白檀、安息香と丁子を少々。
先生いわく「成熟した大人の女性の香り・・・です」と。
手の平に塗ったらやわらかな香りに心が休まります。
匂い袋にそっと入れ、旅の最中、ひとり夜、音楽でも聴きながら香りを楽しみましょう。
蜩が鳴き、風がそよそよと部屋をぬけ心地良い一日でした。
渡辺えり代先生、ご一緒した皆さま、ありがとうございました。
また秋には「やまぼうし」で講座が開催されます。
ご興味のある方はHPでご覧ください。

『日本の花火』

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
お客さまに花火写真家の小野里公成(おのざときみなり)さんをお迎えしました。
小野里さんは1957年、東京のお生まれ。
カメラマン、デザイナーとして早くから活躍をされてきましたが、花火の魅力に魅せられ、1992年に写真集「花火賛歌」発表。以来、毎年、数十回にわたって花火大会の撮影を続けられています。

とにかく「美しい」のです。
小野里さんはおっしゃいます。
「花火と対話しながらシャッターをきっています」と。
事前に打ち上げられる花火を下調べし、プログラムなどで順序を調査。夜の撮影に午前中からスタンバイし、万全を期してもその通りにはいかない場合もあるとか。
鉄道ファンが全国を旅するように「花火おたく」の世界もあり、花火を追っかけ旅する人もかなりいるそうです。
おススメの花火大会も伺いました。
競技会系は大曲、土浦。
新潟の長岡(川)、柏崎(海)、片貝(山)。
などそれぞれのロケーションで花火もまったく違って見えるそうです。
片貝の場合は神社への奉納が目的。
土地の雰囲気で音をふくめ微妙な違いが楽しめます。
今年は、三月の大震災の影響が「花火業界」にも及んでいますが江戸時代から続く「隅田川の花火大会」(川開き)は慰霊や厄払いの意味を込めて始まりました。今年は8月27日(土)午後7時5分から開かれます。
以前にテレビの生放送の中継で打ち上げを真下から見上げたことがあります。やはり、花火は風や匂い、そして音も楽しみたいですね。そして、「日本の職人の技・魂」をしっかり見たいものです。
小野里さんの主宰するウェブサイトに「日本の花火 (ちくま新書)」があります。
こちらには美しい花火の写真もUPされています。
ぜひご覧ください。

楽しいお話、放送は8月14日です。
お楽しみに!

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金沢への旅

「NHK金沢放送局」の番組出演のため金沢に行ってきました。
昨年放送した「ためしてガッテン 今夜解禁!加賀百万石 涼感超うま新メニュー」を見ながら、その時の料理を担当した老舗料亭「つば甚」の料理長・川村浩司さんとご一緒でした。
新メニューは「夏おでん」
金沢市はおでん屋さんの数が人口あたり日本一だそうです。
知りませんでした。
石川県は食材の宝庫。
ご当地料理といえば「加賀野菜」がかかせません。
「夏おでん」にも加賀野菜がたっぷり使われていました。
私は金沢に行くとまず朝一番で近江町市場へ向かいます。

野菜や魚、もうもう・・美味しいのです。
収録当日の朝も行きました。
なんとばったり料理長と出会いました。
「毎朝くるんですよ」とのこと。
料理人はご自分の目でしっかり確かめ食材を買われるのですね。
私が買った野菜は「加賀太きゅうり」、「打木赤皮甘栗かぼちゃ」、そして大好きな「金時草」。そうそう「ヘタ紫なす」も今が旬です。
「加賀きゅうり」は大きいもので長さ30センチほどもあり、果肉は厚いのですが、やわらかく、食味、日持ちも良く薄くスライスして酢のものや煮物に使います。夏は特にむくみやだるさをとる効果があります。
皆さん、「いしり」ってご存知ですか?これは絶品の調味料。
イカや魚を原料とした「魚醤油」で、能登半島では刺身や煮物の隠し味として使われています。
私も昔、真冬の能登・輪島で鍋料理を食べたときにこの「いしり(いしる)」に出会い、真イカの内臓を使ったたまらない美味しさに感激して、以来、我が家の冷蔵庫には必ず入っています。
今回、川村料理長から新しい食べ方を教えていただきました。
「カルパッチョに一滴たらすと美味しいですよ」
「とうもろこしやカブに一筆さっと塗って焼くとこれも美味しいです」と。
「いしり」には動脈硬化を防いだり、疲労を回復させるアミノ酸が普通の醤油の二倍以上あるそうです。
もちろん「夏おでん」の隠し味にも使われています。
こうして伝統的な製法が今に伝えられているって素晴らしいですね。
今回は収録があるので魚はいつも行く魚屋さんで覗くだけにしました。
のどぐろや甘エビ、メギスも美味しそうでした。

この頃思うのです。
私は太平洋岸と日本海側が体に必要な気がするのです。
豊かな日本の食文化があるから私たちは生きていけるのですね。
素敵な金沢の旅でした。

答志島へ行ってきました

私が初めてこの島に伺ったのは16年ほど前でしょうか。
この島には「寝屋子制度」が日本で唯一残っていると聞いたからです。
「若者宿」
若者宿とは、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りする集団です。
仲間を作り、頼んでどこかの家を宿にし、毎晩そこに寝泊りします。
その宿を提供する家の主人をネヤオヤ(寝屋親)と呼び、寝泊りする子を(ネヤコ)と呼び、血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合います。
寝屋子が結婚する時は、本来の仲人と一緒に寝屋親も仲人となり、2組の仲人がたつことになります。
なぜ寝屋子制度は出来たのでしょう。
漁業は、板底一枚下は地獄とも言われる危険な仕事。
いざ、という時に、理屈より先に身体が海に向かいます。
事実、私の知り合いの漁師歴50年の山下正弥さんも、荒波の中で奥さんが海に落ち寝屋子に助けられたということです。
この制度は、今も答志島の住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤となっています。
「無縁社会」が話題になる現代社会ですが、この島は違います。
答志の島に生まれ、育ち、寝屋親をし、海で働き抜いた正弥さんは言います。
「漁業が元気でなければ、この制度もなくなる・・・」と。
学生達と授業を終えて近鉄に乗り鳥羽へ。
フェリーで島まで約25分。
船から降り立つと、磯の香りが漂っています。
古くから、潮流の関係で身の引き締まった魚貝が獲れる”海産物の宝庫”
です。伊勢えびや鮑はもちろん、ちりめんは絶品です。
鮑は海女さんたちの見事な仕事。80代で現役の海女さんもいらっしゃいます。

夕暮れ時、民宿に向かう路地から夕餉の良い匂い・・・。
「懐かしい、子供の頃の匂いだ!」と学生が言います。
私は大阪という大都会で暮らす彼らが「何か」をつかんでくれると思っています。夜更けまで漁師さんの話を聞き、語り合いました。
特に今年は東北・三陸の厳しい現状について、苦しい思いと支援の気持ちについての話はつきませんでした。

翌朝、早朝私はひとり港に行ってみました。
タコツボを磨くおばあちゃん。
真夜中の漁から戻る夫婦。
「今日は鰆が20匹獲れたよ~!」と元気なお母さん。
油の高騰、魚の値下がり、食卓の魚離れなど、被災地でなくても漁業全般にも厳しい一面があります。
島の人々の優しさに触れ、民宿、食堂の美味しい料理を食べ、色々なことに思いをめぐらせながら家路に着きました。

7月11日追記
答志島へのフィールドワークへ参加した学生から感想の言葉が届きました。皆さんがそれぞれ貴重な経験をこの島で得てくれたことをとても嬉しく思います。
荒木靖彦
この島は何か雰囲気が違う。着いたときからそう思っていたが、さっき外を歩いて分かった。この島は静かだ。電車の音も車の音もしない。こういう静かなところにいると、時が進むのが遅くなったような気がする。いや、むしろ時が戻ったような気もする、朝の連続テレビ小説に出てきそうな町だ。「古き良き日本」という言葉が似合う島だと感じた。
後藤大輝
島についてすぐ、知らない島の人にあいさつをされておどろいた。知らない人にもあいさつをするくらいつながりや絆を大事にしている島であるということをあらためて知った。とてもあたたかい島だと思った。
家ひとつひとつにも前に見た2、30年前のビデオに映っていた「マルハチ」のマークがしっかりとあって、この島の文化がまだまだうけ継がれているのがとてもよくわかった。
波多瑠衣子
私がこの旅を通して感じたことは、温故知新の大切さです。今の若い人たちは「日本の特徴は?」「日本の伝統は何?」と聞かれても細かなことは何も言えない気がする。
新しいもの、外国のものばかりについ目がいってしまう。しかし、日本の良い所を知らない人が外のことを知ってもあまり深いところまで学べない気がした。
歴史を知ることは自分につながることで、すばらしいと感じた。
この旅を通して、日本の漁業、農業、酪農の未来に携わりたいと感じた。若い者の力で変えないといけないし、変えたい。
そして、この島にはコミュニティが非常に強く、島民の人たちがキラキラしていた。
久保佑真
いろんな風景を見て都会にはない空気を感じおいしい料理を食べいろんな話を聞き、すばらしい体験をしました。島から人が出て行き、寝屋子制度がなくなってしまうのは本当に避けなければならないことだと思います。こんなにいい島に来れて、いろんなことを感じることができ、本当に良い体験ができました。
小森健太
それぞれの人達が自分達の仕事に誇りを持っているように感じた。
島独特のゆったりとした時間の流れがあると思った。
漁獲量の減少の中で、競りはとても活気があり、地場産業としての漁業のさかんさを感じた。
漁師の人達が植林もしていると聞き、海と山は共に密接な環境においてあると思い、森林を守ることが海を守ることにつながると思いました。そして、実際に目で見て、海もきれいで、緑も豊かであったことが、答志の漁業を支えていると思いました。
平田淳
今回、私は1年ぶりに2回目の答志島に来ました。この1年間でまず変わっていたのが答志島へ行く前の鳥羽の町並みでした。連絡船用の待合室や船着き場は1年前と大きく変化し、モダンな雰囲気の新しい建物に生まれ変わっていました。
答志島では島民の心の暖かさやお互いを助け合う絆の強さ、魚介類の新鮮さ、自然環境などはほとんど変わっておらず、保たれていました。
前回のように、朝6時に島のチャイムが鳴り、夜18時にチャイムがなる以外、時間はゆっくりと過ぎていき、都会と違って忙しさに苛まれることなく、時間感覚を忘れていました。
また他の漁師さんや山下さんの話を聞いて、今の漁業の存続自体が厳しいものになり、答志島の寝屋子制度自体が困難な状況となっている、国を頼ろうにも農業とは違い、支援があまり無いことを伺いました。
それ以外にも1回目に来た時と違って別の観点から答志島を見ることが出来ました。
今回は特に人々の動きと時間の流れを見ていました。
私は今回この旅行に参加した1つの理由として、『原点に戻り、自分を見つめ直す』ことを考えていました。
課題や学部の講義活動、、課外活動、部活での動き、人々の相談にのるなどをしていて、まるで機械の如く日常を過ごしていたので、両親や友人との衝突も絶えなかったので、1度リセットしようと思い、参加しました。
今回、参加したことで少しは自分を取り戻し、リフレッシュ出来ました。
本当にありがとうございます。
花立智司
一年ぶりに答志島に来てみました。あまり風景や雰囲気は変わってなく、のほほんとした所で良かったです。去年答志島に来た時は何もかもが新鮮なので、現場で学べる事が多かったです。今回は新しい事もたくさん学べましたが、二回目なので去年と違う視点で物事を捉える事ができて大いに楽しむ事が出来ました。特に去年より山下さんとたくさん話をする事が出来たのが一番嬉しい事です。
今回この答志島に行く計画をして本当に良かったと思います。
宮田
今まではいつも映像や教科書を使って勉強していて、それで分かったつもりでいたりしたけど、今回初めて教室を出て実際に現地を歩いてみると、教室では絶対に味わえないいろんなものを感じました。山を登るしんどさ、登りきった時の涼しさ、島の幸、人とのつながり、本当に小さい島ならではの、都会では味わえない体験が出来ました。

近畿大学

昨年4月から近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持っています。
前半期、月に2回の講義です。
そして私が最も取り組みたかったフィルドワーク。
机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界がある・・・と常々考えています。
明日の授業は、南日本放送  『やねだん・人口300人、ボーナスが出る集落』を見ながら、集落のあり方、特に今言われている『限界集落』について話し合いをします。
今回のような大震災の津波で崩壊した太平洋沿岸の集落。そして福島原発で避難を余儀なくされて人たち。人間がふるさとへの郷愁、郷土文化への想いなど”人のつながり”を考えます。
そして、昨年同様に授業が終了したら学生たちと三重県答志島に行ってきます。そこには「若者宿」とよばれる「寝屋子制度」が日本で唯一残っているのです。民宿に泊まり学生達との合宿が楽しみです。次回ご報告いたします。