『たのしい生活のうつわたち』

箱根の我が家・やまぼうしで素敵な展覧会が始まりました。

たかはししょうぞう&永順
たのしい生活のうつわたち ~ 花の器・食の器・草の器
一昨年に続き、2回目の展覧会です。
森の静寂の中に天使が舞い降りてきたような・・・
身近にある美しいもの、淡いいのちをいとおしむ感性、
それがお二人の作品です。
前回の展覧会のときに省三さんはひらめいたのだそうです。
「この森の苔の生命力を器に盛ってみたい・・・」と。
花器も、大皿・小鉢・お抹茶碗などなど、そして野の草を活けこんだ鉢。
壁には永順の素敵な花の絵。
ラブリーな空間に身を置いていると心から幸せを感じます。
でも、省三さんはおっしゃいます。
「昨年の3月に起きた大震災の後遺症は今なお癒えることはありません。
僕のような「アトリエ陶芸家」としては電力事情などで焼成に躊躇が
ありましたが、皆さんに強く背中を押された感がありました」と。
“美しいものに出逢う”それは、とても大切なことですね。
箱根は山桜が満開です。
会期中は省三さんも永順さんも会場におられます。
ぜひお遊びにお越しくださいませ。
2012年4月25日(水)~30日(月)
11:00~17:00(最終日は16:00)

毛のない生活

幻冬舎でプロデューサー、編集者として文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し、数々のベストセラーを世に送り出した元敏腕編集者・山口ミルコさんをスタジオにお迎え致しました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
生放送の時代から数えるとこの番組も4月で14年目になります。
誰にとっても人生は出逢いの連続です。
誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!
自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるようなことがあると思います。私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。
多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えます。
この番組では毎回素敵なゲストをお招きしております。
この番組は私の大切な”宝もの”です。
山口さんは1965年、東京都生まれ。
今から3年前に幻冬舎を退社し、その直後、乳がんが発覚しました。
スタジオに現れた山口さんは溌剌となさり、「毛のない生活」からは卒業。
笑顔がチャーミングな素敵な方。
現役時代、山口さんは五木寛之さんの「大河の一滴」、さくらももこさんの「ももこの おもしろ健康手帳」といった話題の本をたくさん世に送り出しておられます。
ご自身の闘病生活を綴った「毛のない生活」(ミシマ社)を上梓。
絶望の淵から希望を見出し、毎日を真摯に生きる姿が読者の共感を呼んでいます。会社を辞めてフリーランスになってからの闘病生活。帯にはこのように書かれています。
「毛=髪の毛、陰毛、自分を守ってくれるものたち(会社やお金)のある生活」から「毛のない生活」へ。再び、「毛のある生活」へ戻ったとき、著者は別人になっていた。
山口さんはおっしゃいます。
「これまでとは違った生き方をするの。乳がんの手術を受けたとき、もう今まで続けてきたクラリネットとサックスの演奏は無理・・・だと絶望したけれど、強引に復帰したの」。時には「どうして私にはこんな試練があるの?」・・・とも思ったそうです。
華やかな世界から取り残され、「もう自分は誰にも必要とされていないのではないか?」そんな不安にかられたこともあるそうです。
分かるような気がいたします。
治療は過酷だけれどガンは血液の病気で、見つかったなら、死なずに済んだのだと喜ぼう。そして死なずに生きているのだから、きっと何か使命がある。
そうおっしゃる山口さんの笑顔が輝いていました。
詳しくは番組をお聴きください。 放送は4月22日です。

美の里づくりコンクール

ものの豊かさが貨幣価値のみで測れないことを知ることが文化ではないでしょうか。私は仕事がら日本中の農村や漁村、山村を訪ね歩いてきました。
多くの深訪から、ものの豊かさは、生産・消費されたものの貨幣価値のみでは測れない・・・と気づかされます。
旧国土庁が主催した「農村アメニティーコンクール」から、現在では農林水産省、農村開発企画委員会主催の「美の里コンクール」の審査委員を続ける中で、農村地域の活性化と農村の快適環境を保全し形成するという運動を応援し続けてまいりました。やがて25年がたちます。
現在、さまざまな景気の影響によって多小の傾きはあるものの、暮らしの質への追求はこれからさらに進んでいくでしょう。
今、自分たちが手にしているこの土や緑を大切に暮らしながら、自分たちの町や村を愛して、そこに未来の可能性を見出していこう・・・そんな気運が感じられます。
過疎化や後継者問題、たくさんの悩み、問題山積しているのも事実ですが、地方の皆さんのお顔が輝いています。地域住民の熱心な村・町おこし運動によって見事に再生している事例を、尊敬と感動のうちに拝見しています。
今年入賞した中から優秀な3事例をご紹介いたします。
『山形県 白鷹町』 いきいき深山郷づくり

集落78戸、深山地区では全戸が「深山活き生き行きたくなる郷」をめざして~のどかな暮らしと風景づくり~に取り組んでいます。地区に残る自然や景観、伝統や技術、農業や食など、日常の暮らしに磨きをかけ来訪者との出逢いの場をつくり、まず住民が気持ちよく暮らし続ける環境を整備し、その魅力を外部に発信しています。
「深山の色」を決めよう!と考え美しい集落となっています。
○ 地区内の環境整備
○ 石仏の調査復元
○ 深山和紙の伝承保存
○ 農家民宿の運営
○ 耕作放棄地対策
○ 国重要文化財「深山観音堂」の保存
など等、様々な取り組みが行われています。
この地域ほど少子高齢化という課題をうまく解消した地域はありません。
現在78戸の世帯に対して30戸が後継者と同居し、内17戸が三世代同居。
大きな理由として、同世代の仲間が地域に残ったり戻ったりしていること。
暮らしやすい環境に努力しているのでしょう。
のどかな風景を維持管理するのは大変なことです。
「標識がひとつも無い自慢をまもれるか」
これは集落、皆さんの大変な努力です。
田植えが終わったあとの棚田の田んぼもさぞ美しいことでしょう。
『奈良県・明日香村』

石舞台古墳の背後の高台からの眺めがまさに「美しい日本の郷」です。
古代史の舞台となった明日香村の景観を修復・保全することを目的に内外のボランティアが活動しています。6集落で計21ヶ所の景観を修復・保全しこの10年間で延べ2,300人が参加し、歴史ある郷を守ってくれています。
「国際作業キャンプ」が見事に成功しています。
この目的は、英国ナショナル・トラストの作業キャンプ(ワーキング・ホリデー)のように、歴史的文化遺産のある風光明媚な場所で、ちょっぴり汗をかきながら、古代ロマンに思いをはせつつ、泊り込みで作業し、景観保全・修復に貢献する。そうした達成感は素晴らしいことですね。
日本人の心の故郷・・・明日香。
川沿いの草刈、雑木の伐採、清掃、荒廃した竹林を伐採して山桜を植え・・・とこうした活動なくして”ふる里”は守れません。この村の方々はオープン・マインドで外からの方々を暖かく向い入れ、お互いに文化財を守っているのでしょうね。素敵な活動です。
『北海道 鶴居村(つるいむら)』

鶴居村は、道東の太平洋の釧路市の北西部40キロに位置し、南部は釧路湿原です。酪農を基幹産業とし美しい村です。村の名前が示すとうり、特別天然記念物タンチョウの生息繁殖地で、普通にタンチョウの飛来を見ることができます。村民一丸となって「クリーン作戦」にも取り組み美しい村づくりに積極的です。

何といっても”美味しい村”です。
「鶴居のむらレシピ」を見ると、わあ~食べたい・美味しそう!と思わずゴクリ。じゃがいも、キャベツ、玉ねぎ、人参、ズッキーニ・・・畑でとれたての野菜に牛乳、そして大好きなチーズ。カボチャのリゾットや、ミルクチーズフォンデュ、デザートには牧草ロールケーキ・・と牧草地に大きな布を敷いてピクニック。
ここには日本有数の広大な自然環境があり、丘陵地帯が織りなす景観は、フランスの田舎を旅しているような気分になります。
鶴居村は2600人の小さな村です。
一人ひとりがこだわりを持ち活動しているのです。
欧州にも引けを取らない牧歌的酪農郷です。
たまには長期休暇をとって、のんびり観光ではない滞在をしたいですね。
そんなことを思わせてくれる理想郷です。
この3例だけではありません。
日本全土に、美しく心やすまる”故郷”がたくさんあります。
そんな故郷を守っている地域の方々のご苦労を思う時、心から感謝いたします。

韓国への旅

3泊4日の旅でした。

明日4月7日(土)、全国ロードショーにさきがけ、池袋コミュニティ・カレッジで映画『道~白磁の人~』(監督・高橋伴明)を観ながら、淺川巧の話しをいたします。ナビゲーターは近衛はなさん、私はゲストとして出演いたします。
変革の今が求める”真のグローバリズム”淺川巧。
歴史に秘められたヒューマンストーリーが、明かされる!とあります。
何度も何度も通い続けた韓国。
7年前、コスモスの季節にも韓国に行き、ソウルのインチョム空港から東に80キロ、忘憂里(マウーリィー)の丘にある淺川巧の墓に詣でました。
朝鮮人を愛し、朝鮮人に愛された人・浅川巧。
朝鮮の土となった日本人」(高崎宗司著)を読み、どうしてもお墓参りがしたかったのです。巧は1931年4月2日、40歳(1891~1931)の若さで世を去ります。
民芸の創始者である柳宗悦に朝鮮の器や鉢、そして白磁の美しさを紹介し、「用の美」に対する目を開かせたのは、淺川巧だといわれています。
朝鮮総監府の技手であった巧は、緑化運動に成果を上げるかたわら朝鮮民族文化の美を見出し、朝鮮陶磁器の研究家である兄伯教と共に朝鮮半島の何百もの窯跡を調査し「朝鮮の膳」「朝鮮陶磁器名考」といった本を著し、日本に紹介しました。
私は、美しい暮らしに惹かれ、道具を愛するひとりにすぎません。
しかしこれらの体験の中で、ひとつ思ったことは、朝鮮の美はやはり民族の歴史と無縁ではないということ。巧は、普段から朝鮮服を身につけ、朝鮮料理を食べ、朝鮮語をマスターすることにより朝鮮の人からも慕われ、時には朝鮮人と間違われることもあったそうです。巧は荒廃した山野に植林をし、山林を緑化復元し、わずかの給料から貧しい子供たちに与え学校に通わせました。
7年前に訪ねた林業試験場。
住んでいた家の前でお話を伺ったり、真冬の零下15、6度の寒空の下で偶然出会った淺川巧の墓守をしている韓さんからのお話。あちらでは人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があるのですが、巧の葬儀の日、大勢の人々が見送りにきてくださり、ソウル中の煎餅がすっかりなくなったという逸話を聞きました。それほどまでに人々に愛された人でした。
私が韓国を訪ねる際にまず行くところは下町の「銭湯と市場」です。
私が子供時代に銭湯に行くと、母が娘の、娘が母の背中を流す姿を目にしました。その光景が今の韓国にはそのまま残っているのです。
懐かしさと暖かさで心がいっぱいになります。

市場では元気なお母さん達に出会い、屋台で欲しいものを指さし、いただく・・・
大満足です。

かつて景福宮の中にあった「朝鮮民族美術館」は現在「韓国民族博物館」として内外の人々が多く訪れます。蒐集された「陶磁器」などは「国立博物館」へと移されていました。
懐かしいソウルにに出会いたくて「北村韓国村」(プッチョン・ハンオクマウル)を歩き、韓国刺繍を展示する私設博物館や食堂で韓国のり巻きを食べたり・・・と巧ゆかりの土地を訪ね、彼がみたであろう山や川を目に焼きつけ、風の匂いを感じました。かつて彼が通った林業試験場はテニスコートになっておりました・・・。

命日の前日、巧が眠る忘憂里の丘でお墓参りができました。
李朝白磁の壷がかたどられて巧の墓の傍らに『韓国の山と民芸を愛して、韓国の人の心の中に暮らして生きて去った日本人。ここ韓国の土になりました。』とハングル文字で刻まれています。
墓には韓国の人が献花されていました。
民族の美はその民族固有のものですが、国境を越え、厳しい政治状況さえ超えてその美を味わい、敬愛することはできるのですね。
美というものは、変わることなき人類の共通言語だと感じることのできた旅でした。