喜寿をむかえて

全国の100歳以上の人口は7万人を越え、その数はさらに増加しつつあります。

ついこの間までは、人生80年といわれていたのに、すでに「人生100年時代」は始まっているのですね。

私は今月、喜寿を迎えました。
この世に生を受けて77年。

大病をすることなく、仕事にも恵まれ、折々に学びの機会を得ることもできました。4人の子どもたちもそれぞれ独立し、孫の笑顔にも触れる喜びも味わっています。

平坦な道ではありませんでしたが、ここまで無事に歩んでこられたことに、今、感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、急激なデジタル化、未曾有のコロナ禍と、変化の激しい現代にあって、これからの日々を生きるための指針のようなものが必要だと改めて感じています。

私にとっては、ひとつは「学び」でしょう。
私の半生は常に民芸とともにありました。

民芸の柳宗悦先生を心の師として、私はその足跡を何十年もかけてたどってきました。民芸の故郷と柳先生がおっしゃった沖縄に足繁く通い、韓国には2年間部屋を持ち、古民家の美しさを呼吸したいと12軒の古民家の材料をすべて使い作り上げた家に住んでいます。

そして今、柳先生の著書をもう一度読み直しているのですが、何十回も繰り返し読んだにもかかわらず、新しい気づき、発見があることに驚かされています。

真に美しいものごとの本質に近づく―――その道程にゴールはないのでしょう。心をまっさらにして、今後も学び続けたいと願っています。

二番目は「つながる」ことです。

これまで仕事やボランティアを通して、様々な人たちと出会い、信頼関係を築き、自分の可能性が広がることを実感してきました。

中でもJAグループが提供してくださっているラジオ番組(文化放送)『浜美枝のいつかあなたと』は、私にとって最高のつながりの場であり、宝物です。多様な体験をしてきた人々の活躍を伝え、現場ならではの経験を持つ人たちの思いをすくいあげ、ラジオに耳を傾けて下さる人々との共感を深くしていくこの場を、これからも大切にしていきたいと思っています。

三番目は「健康」。

これまで私は日本の農業と食を考え続けてきました。農業に携わる女性たちとのネットワークもつくり、女性の地位向上と新しい農業のあり方を求め、活動してまいりました。

農業の実際を知るために、10年間に渡り米作り畑作りにも挑戦しました。身体は食べたもので作られていると考え、家族の食にも気を配ってきたのですが、60代のある雨の日に、パンプスで濡れた床を踏み、ついバランスを崩し、背中を強打してから、運動の必要性を感じさせられました。

以来、箱根の家で過ごすときは、朝のストレッチと、すがすがしい空気を呼吸しながらの散歩が習慣となりました。整形外科、歯科、産婦人科……それぞれ信頼する医師に定期的に診ていただいています。

近ごろでは必要に応じ、サプリメントもとりいれる大切さも感じています。また、清潔なおしゃれと、艶のある肌を保つ心がけを忘れないようにしたいとも思います。

いくつになっても食と運動、身だしなみに気を配れる自分であるようにできることはしていきたいと、心をひきしめています。

数年前の冬、「高野山」の「生身供(しょうじんぐ)」を拝見したくて、朝まだ暗い中、空海が入定された奥の院を目指したことがありました。

そのときに、杖をついてやはり奥の院に向かって歩く高齢の女性が私の前を歩いていらっしゃいました。杖に頼りながら一歩一歩、ゆっくり足を進める、その巡礼のような姿がそのとき私の胸に深く刻まれました。

なぜそんなにも印象的だったのか、ずっとわからなかったのですが、もしかしたら、これからの私の歩みをその高齢の女性の姿の中に見たからかもしれないと、今、思っています。

映画 アイヌモシリ

スクリーンに映し出された阿寒湖はどこまでも静謐でした。湖を取り巻く森や集落も、ゆったりと時を刻んでいました。主人公の少年は14歳。中学を卒業したら村を出て、高校に進みたいと考えています。多感な少年の澄み切った瞳が、画面いっぱいに広がります。

映画「アイヌモシリ」は、静かな熱気をはらんでいました。そして1時間半、ドキュメンタリー作品と勘違いするような不思議な感覚に包まれました。

少年はアイヌコタン(アイヌの人々が住むムラ)で民芸品店を営む母親と暮しています。学校ではバンド活動に夢中ですが、自分はアイヌとしての誇りを持ちながら、これからどう生きていくのか?自分が自分であること、つまりアイデンティティーを求める旅を始めたばかりの揺れ動く少年なのです。

この映画がなぜ真実味をもって迫ってくるのか?主人公の少年も、その母親も、そして多くの登場人物も、アイヌの人たちが演じているのです。母親役と息子役の二人は、実の親子です。作り込んだ”芝居”を軽々と飛び越えた世界が、そこにありました。

この映画を作った福永荘志監督は、「特別な演技指導はしていない」と語っています。「できるだけ普段の言葉で話してもらった」とも振り返っています。これこそがリアリティの源泉であり、出演した方々を全面的に信頼していたのですね。

福永監督は北海道生まれですが、20年近く前からニューヨークで映像制作を続けてきました。今回はその経験を活かして、カメラや音声、そして照明などスタッフをニューヨークの友人たちで固めたということです。アイヌに対する固定観念を持たない人たちが必要だ、という強い思いが伝わったのでしょう。出演者やスタッフに共通する姿勢は、国際性も相まって、作品に幅と奥行きをもたらしています。

少年の母親が営む店には、「あなた、日本語うまいね!」という無邪気に話しかけてくる観光客が登場します。母親は、「一生懸命、勉強したから!」と微笑んで返します。これはおそらく、実話を元にした挿話でしょう。あまりに自然すぎるシーンなのです。

熊の魂を神さまの元へ送り返すという厳粛な儀式に、少年は複雑な思いを抱きます。なぜなら、そのために人の手で熊の命を奪わなければならないからです。映画の最後には、「制作にあたり、いかなる動物も危害を加えられていない」旨の字幕がでました。

これからの時代を生きる主人公の少年は、これまでの歴史と文化にどう向き合っていくのか。悩みながら、躓きながら歩んで行く、彼の決意なのかもしれません。単なる静けさだけではけっしてない、凛々しさも感じさせる旅立ちと受け止めました。

とても示唆的なエンディングの映像、心憎いスタッフの感性です。

映画公式サイト
http://ainumosir-movie.jp/

ショーン・コネリーさん

10月31日 ショーン・コネリーさんが亡くなられました。
90歳でした。

ボンドガールとして渡英し、右も左もわからない撮影現場に戸惑っていた私に、「大丈夫? 心配事はない?」と毎朝、声をかけてくださったのがショーン・コネリーさんでした。

あのときの人を包みこむような優しいまなざし、深みのある穏やかな声を今も忘れることができません。

下積み時代が長く、労働階級出身のショーンさんは、弱い立場の若いスタッフをさりげなくフォローするような、人間的魅力にあふれた人物でした。

ボンド役に安住することなく、その後は数々の映画に出演。さらに晩年は母国のスコットランド独立運動にも携われました。

役者として、ひとりの人間として、気骨のある生き方を貫かれたその生き方に、どれだけ励まされ、勇気づけられたでしょう。

ショーンさんとの出会い、一時、ご一緒できたことに、今は感謝の気持でいっぱいです。

ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
浜 美枝