モリコーネ 映画が恋した音楽家

イタリア映画の魅力を改めて知りたいと思い、先日、見逃せない作品に会ってきました。

私がイタリア映画に憧れたのは、10代の頃に見た『終着駅』でした。あの映画に出てきたローマの中央駅ホームに一度は立ってみたい。そして、チネチッタ撮影所に行ってみたい。そんな思いが私の映画ファンとしての出発点でした。

今、見逃せないと思った作品の主人公はエンニオ・モリコーネ。
3年前に91歳で亡くなった映画音楽の作曲家です。

クリント・イーストウッドが主演した『夕陽のガンマン』シリーズは、軽快だけれど乾いたあの名曲によって、多くの人たちの心を揺さぶります。半世紀以上も前に、この大ヒット映画のテーマ曲を作ったモリコーネは当時、まだ30代後半でした。父親がトランペット奏者だったこともあり、モリコーネは子供の頃からトランペットの手ほどきを受け、作曲の勉強をしていました。しかし、本当は医者になりたかったと、晩年になっても述懐しています。病に苦しんだ父親の影を引きずっていたのかも知れません。

そのモリコーネの”全体像”を描こうとしたドキュメンタリー、『モリコーネ 映画が恋した音楽家』は質量共、大作と呼ばれるに相応しい厚みと重みを備えた作品でした。2020年に亡くなるまで、5年にわたり本人へのインタビューが繰り返されました。そこでは彼の音楽、とりわけ映画音楽に対する率直で複雑な思いが語られています。ローマの音楽院で学んだモリコーネでしたが、第2次大戦後のイタリア社会の混乱もあったのでしょう、生活のために編曲の仕事を中心とした音楽活動に邁進するのです。

この映画に登場するのは、モリコーネを取り巻く多くの仲間たちです。クエンテイン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』で、モリコーネはアカデミー作曲賞を受賞しました。

また、歌手のジョーン・バエズ。フォークの女王と呼ばれた彼女は、『死刑台のメロディー』でモリコーネが作曲した主題歌「勝利への賛歌」を歌っています。

そして、プロデューサーで作曲家のクインシー・ジョーンズ。彼はモリコーネに対するアカデミー賞の受賞式ではプレゼンターを務めるなど、モリコーネの評価確立に大きな貢献をしました。

こうした、80人近くの友人たちとモリコーネ本人が語る”作曲家像”は、極めて興味深いものでした。その一つが、”映画音楽”を区別すること自体が無意味で不当だったのです。”映画音楽”は映画の添え物ではない、独立した存在なのだとという強い信念でした。彼はそれを証明するために生涯、戦い続けたのです。

私も青春時代から感じていたことがありました。映画の魅力の半分は、やはり、スクリーンから溢れ出る音楽なのだと。心躍らせる映画音楽が、見る人の人生に伴走してくれるのだと。

”マエストロ”(巨匠)とも称されたモリコーネを描くドキュメンタリー映画は、ジュゼッペ・トルナトーレによって作られました。あの『ニュー・シネマ・パラダイス』でモリコーネと初めてコンビを組み、カンヌやアカデミーで旋風を巻き起こした監督です。これ以降、トルナトーレが作る全ての長編作品は、モリコーネが音楽を担当しました。この関係は、およそ30年にわたりました。

そして、2人による最後の”創作活動”は、イタリア映画の魅力を再確認することにとどまらず、世界の映画界というスクリーンに映し出されたスケールの大きなメッセージとなって実を結びました。

`映画公式サイト
https://gaga.ne.jp/ennio/

「モリコーネ 映画が恋した音楽家」への1件のフィードバック

  1. 私も浜さん同様映画の魅力の半分は、やはり、スクリーンから溢れ出る「音楽」だと思います。何故ならば、どんなに人気がある映画でも「ストーリー・設定・音楽」この3つが欠けてしまうと白けてしまうと考えるからです。(これは私個人ですが、「ゴジラ」なら伊福部昭さんのテーマ曲、「007」ならジョン・バリーの「ジェームズ・ボンドのテーマ」というように)

    あと、私は今小学6年生の時の担任の先生と交流しているのですが、その人も映画好きなのでこういうお話もしてみようかなと浜さんの投稿を拝見し思いました。

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