都庭園美術館~艶めくアール・デコの色彩

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日 9時半~10時)が始まって、もう20年がたちます。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるような、そんなことが多々あります。私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。

多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えるのです。気がつけば、77歳!

ラジオでゲストの方々をお迎えし、お話を伺う。人生でこんな幸せな仕事を(と、思ったことはありませんが)出逢いをさせていただけて何と幸せなことでしょう。

アートもそうです。

ラジオ収録は、だいたい午後1時には終了いたします。その後は「映画か美術館」へと足をはこぶ。それが、この20年間の変わらない私のリズムです。

今はコロナ禍で、制約はありますが、映画館は最善のコロナ対策をとっています。美術館も予約制だったり、やはり同様です。「日常生活」のリズムを崩さず、ストレスをためず、心豊かに暮す・・・何とかそうしたいものだと心がけています。

”美しいものを愛でる”とても大切なことだと思うのです。このような時期はとくに。

と、いうことでスタジオのある浜松町から電車で目黒まで行き、駅から徒歩7分ほどのところにある「都庭園美術館」に先日行ってまいりました。

都心にあって緑豊かな庭園。1933(昭和8)年に朝香宮の自邸として建てられました。2年半余りのパリ生活を経て邸宅を建設されました。ちょうどその時代は”アール・デコ”全盛の時代。(アール・デコ様式:1910年から30年代にかけてフランスを中心にヨーロッパを席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど全ての分野に波及した装飾様式の総称)

フランス滞在中、その様式美に魅せられた朝香宮夫妻は、帰国後自邸の建設にアール・デコの清華を取り入れ、漆喰天井の白色、漆が塗られた柱や建具。当時の最先端の素材や技法の確かさにおどろかされます。

光の取り入れ方、多彩なガラスの使い方、窓辺から望む庭園の緑豊かなこと。私は庭の見えるテラスの椅子に1時間近く座り華やぎと落ち着きのある空間を堪能いたしました。90年の時を経ても魅了し続ける建物。

今回の展覧会では建物の隅々まで拝見することができました。部屋の内装にアンリ・ラパンやルネ・ラリックらフランスのアール・デコ様式における著名なデザイナーが起用され、また日本の匠の技にも魅了させられます。

2015(平成27)年 国の重要文化財に指定されました。他の展覧会の時でも、室内のアール・デコ様式の数々は見られます(撮影可)入り口のルネ・ラリックのガラスの作品は光があたると外側、内側両方から見ると表情が変わり素敵です。

お天気のよい日など、事前予約して、のんびりお出かけになれたらいいですね。帰りに外のカフェ(レストランではなく)で緑を見ながらコーヒーを飲み、幸せ気分で山に戻ってきました。

日常を取り戻せるまで、もうしばらくの しんぼう  頑張りましょう!

東京都庭園美術館
https://www.teien-art-museum.ne.jp/

箱根湿生花園

箱根に住んで40年が過ぎますが、何が嬉しいって、様々な植物や花に出逢えることです。四季折々のその季節ならではの植物。

湿生花園はススキで有名な仙石原にあります。交通の便も良くて、小田原駅又は箱根湯本駅からバス(湖尻・桃源台行)で仙石案内書前で下車して、徒歩約8分。新宿駅からは小田急箱根高速バスが出ています。または湯本駅から登山電車に乗り強羅駅下車、バスで(湿生花園前行き)。東名御殿場ICから車で約20分。

3月20日~11月30日
9:00~17:00まで。

コロナが落ち着いたらぜひ、お越しください。密にもならず日帰りの旅でもじゅうぶん。もちろん1泊していただきゆっくり温泉に!ね、素敵でしょ。

湿原をはじめとして、川や湖沼など水湿地に生息している植物など、園内には低地から高山まで湿地帯の植物が約200種ほか高山植物が1100種ほどだそうです。3月から11月まで園内はいつ行ってもその季節の花が楽しめます。

6月20日までですが、ヤマアジサイの魅力を伝える「あじさい展」が開かれています。野生種や改良されたアジサイ約200種500点あまりが見られます。(今回は私の撮った写真でお楽しみください)

アジサイのイメージより小ぶりで可憐で色鮮やかな品のある色彩の花々。一般のアジサイの半分以下で色、形もよく最近は愛好家の方も増えているそうです。

会場には湿った岩場を再現し、箱根山中に白く咲くヤマアジサイの野生種はじめ八重咲きの富士の滝、など初めて目にする上品な姿にうっとりしてしまいます。この梅雨の季節のうっとうしさなど、この可憐さで飛んでいってしまいます。

そうそう、入り口を入ってすぐに珍しい「ヒマラヤの青いケシ」の花が迎えてくれました。

この季節の園内には ニッコウキスゲ、トキソウ、ササユリ、アサザ、サンショウバラ、シモツケ、ヤマボウシ など150種近くの花が可憐に咲いていました。

仙石原湿原植生復元区のこの場所は江戸時代から続く草原の維持管理を実践していて湿原の復元を試みた場所です。ミズトンボも沼の上を気持よさそうに飛んでいました。落葉広葉樹林区にはコナラやケヤキ雑木林とその中に咲く草花が可憐です。

7、8月にはサギソウ、ヒメユリ、ノハナショウブ、ミズチドリなど等。秋にはホトトギスやワレモコウなど何度きても季節の花が楽しめます。足もとは木の歩道になっていますから車椅子でも大丈夫です。

「ヒマラヤの青いケシ」はいつごろまで咲いているのかしら。画家の堀文子さんは、この花が描きたくて生前ヒマラヤまでいらしたそうです。この絵は元箱根の成川美術館で観られます。

箱根湿生花園
https://hakone-shisseikaen.com/

成川美術館
http://www.narukawamuseum.co.jp/

映画「やすらぎの森」

”隠遁者”

世間から遠く離れ、隠れるように生活している、そんな後ろ向きのイメージが目に浮かぶ言葉です。でも、映画「やすらぎの森」の登場人物は自身の生き方、そして人生の幕の引き方にあくまでも誠実な、魅力溢れる”世捨て人”たちでした。

舞台はカナダのケベック州。森と湖に囲まれた大自然の奥深くに3人の男性が暮していました。彼らは皆80代で、画家、ミュージシャンなど、経歴は様々です。自分らしい人生を求めながら、相手の領域には立ち入らない。そんな暗黙のルールをお互いに守ってきたのです。

そこに同じ世代の女性が、ふとしたきっかけで入ってきました。若い頃、精神疾患という理由で施設に預けられたその女性は、外の世界をほとんど知らないまま、これまでの長い時間を過ごしてきました。

ある時、親戚の集まりで外出した彼女は、もう二度と施設には戻りたくないと、”隠遁者”が暮す森の住人になる道を選んだのです。しかし、慣れない世界での日常は不安が募ります。これまでの人生、これからの生活、そして、周囲との触れ合い方。

”自立をめざす生活”が遅まきながら始まります。

戸惑いは3人の男性も同じでした。しかし、彼らは女性を否定することは決してしませんでした。薄い皮を一枚一枚剥がすように、女性の心の扉を開いていきました。日々の生活の中では、メンバーの死に遭遇しました。しかし、それは自然の一部であり、また、意思的な死さえも目撃したのです。

そして、”生の歓び”とも称すべき、男女の心の機微も知りました。いかに生きるかを人生の最後まで求め続けることは、結局、未来への希望につながるのでしょう。それは、前向きで率直な生き方と言えるのかもしれません。

この女性役を演じたカナダのアンドレ・ラシャペルさんは、微妙な心理の襞を実に丁寧に表現していました。70年近くにわたり、カナダの舞台やスクリーンなどで存在感を示してきた俳優です。

今回の作品に惚れこんだラシャペルさんは、出演依頼を直ちに承諾しました。撮影終了後のインタビューでは「この作品で引退するのは、素晴らしい幕引きです」と答えていました。俳優として、いえ、人としての生き方を改めて確認する”晴れ舞台”だったのです。

この映画は2019年に製作されましたが、撮影終了後の11月21日、ラシャペルさんは88歳で亡くなりました。誕生日の8日後でした。

「やすらぎの森」は出演者もスタッフも、ほとんどがケベック州出身者で占められていました。そこにケベックの大自然も参加して、この物語が完結したのですね。元ミュージシャンが奏でるギターの音色が、とても印象的でした。折に触れて挿入される音楽は、”隠遁者”たちの心の呟きでもありました。それは、ケベックの大自然との見事なコラボレーションとなっていたのです。

ケベックほど雄大ではありませんが、私も箱根の山中で山や森や湖に抱かれて暮しています。

これからの夢や希望、そして人生のしまい方などを静かに想いながら、少し元気になれそうな気がしてきました。

映画公式サイト
https://yasuragi.espace-sarou.com/

FOUJITA フジタ~色彩への旅

旅先こそがレオナール・フジタのアトリエと言われるほど、フジタは世界中を旅しました。今回の箱根町のポーラ美術館で開催中の展覧会はパリを離れ、中南北米、中国大陸や東南アジア、ニューヨークへと旅を続け、行く先々の色彩に興味を覚えたフジタ。その旅路と色彩に集点があてられ見ごたえのある展覧会です。

コロナ禍の中で自由に旅ができないことは寂しいのですが、箱根に暮す私は近くに美術館がいくつもあり、観るだけで旅気分を味わえるのは幸せなことです。強羅から木漏れ日坂を抜けると”ポーラ美術館”があります。緑に囲まれた初夏、新緑が眩しいほど美しい朝、バスで出かけてきました。(あなたもご一緒しませんか!)

1913年、26歳で渡仏したフジタは1920年にパリの女性をモデルに透けるような乳白色の肌の裸婦を描いてパリ画壇で人気の画家になります。晩年には少年少女の世界を描くのですが、それは何故なのでしょうか。

「戦争協力者」と指弾されても弁明をせず、祖国を去ります。ひたすら子供を描いたフジタ。でも、その子供たちは東洋人でも西洋人でもなく、つり上がった目に出っ張ったおでこが強調されただ可愛いだけの存在ではありません。私にはフジタが晩年、この子供たちに夢を託したように思えてなりません。

旅先で目にした風景や人物、その色彩はその国の歴史や文化、風俗などを身体で感覚的に受け止め、キャンバスに描きます。

会場に入るとまず目に入るのが「皮のトランク(遺品)」です。世界を旅したこのトランクには何が詰められていたのでしょうか。ここから旅気分を味わえます。「メキシコに於けるマドレーヌ」は白い帽子やドレスを身につけた姿。バックにサボテンや空の濃厚な色彩は、乳白色のフジタではありません。

会場を一点一点眺めながら、フジタと共に旅した気分が味わえます。ふっと、「あれは何年前だったかしら?」ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」展を見たのは。そして、パリ近郊エソンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・ハクルにあるフジタ晩年の旧宅「メゾン・アトリエ・フジタ」を訪ねました。『祈りの旅』でもありました。

2011年9月23日のブログに掲載しております。このブログをお読みいただいてる皆さまとご一緒にもう一度フジタのアトリエを訪ねましょう。

http://hamamie.com/2011/09/23/post_224/