柳宗悦の「直観」美を見いだす力

箱根の我が家のまわりでは今、ロウバイが可憐な黄色い花びらを広げています。寒さはこれからが本番ですが、澄みきった青空の下で咲くロウバイの花を目にすると、冬の後には必ず春が来ると感じさせられ、心がぽっと温かくなるような気がします。

先日、東京で早めに仕事を終えた帰り、日本民藝館の『柳宗悦の「直観」美を見いだす力』展を見てきました。駅から民藝館までの道にもうらうらと日ざしが降り注いでいて、胸を弾ませながら、心地よく歩くことができました。

――美しさへの理解は、知識だけではなく「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事」、すなわち直観が必要である――。日本民芸館の創設者である柳宗悦先生はそのようにおっしゃっています。中学時代に柳先生の著書に出会い、お考え、美意識、生き方のすべてに感銘を受けた私は、以来、柳先生を心の師として、その足跡を追ってきました。

民藝館の前で、建物をカメラに収めているフランス人の50代のカップルに気が付きました。和風意匠を基調としつつ、随所に洋風を取入れた旧館は柳宗悦先生が中心となり設計された建物。石塀は国の有形文化財に登録されています。

「なんて美しいの」「素晴らしい」カップルから漏れ聞こえる感嘆と賛辞の言葉に、わがことのように嬉しくなりました。

今、欧米やアジアでも、日常の中の美が見直されています。王侯貴族だけに許される華やかな道具、あるいはお祭りや特別な日にだけ使うものだけではなく、毎日の暮らしに存在する道具の美しさを大切に思う、まさに柳先生が見出した美意識や価値観が静かに浸透しつつあります。

朝、起きて、顔を洗い、食事をし、家族と語らい、自分なりの役割を果たし、夜、安らかに眠りにつくという、意識にもあがってこないくらい当たり前の日々。けれど、美しい道具を大事に使うことで、ひとつひとつの動作が丁寧になり、その小さな積み重ねが日常を味わい深いものに変えてくれると、私も実感します。

日本民藝館の中には、中国や韓国からの方々もいらっしゃっていて、みなさん熱心に柳先生が集められた名品をご覧になっていました。最近、どの美術館でも海外からのお客様をお見掛けすることが増えてきたとは気づいていました。

確かに柳先生は朝鮮陶磁の美を見出した先駆者ですし、かの地でその存在をご存知の方もいらっしゃるとは思います。けれど、いわゆる観光地から離れた場所にこじんまりと立っている民藝館にまで足を延ばしてくれる海外からのお客様が増えていることに、感動を覚えずにはいられませんでした。

今回の展示は、柳先生の眼差しを追体験してもらうため、説明や解説が省かれていました。それもひとつの考え方であり、そうした趣向、展示方も理解できます。けれど一方で、はじめて民芸という思想に触れ、民芸の名品を目にする人にはやはり、直観を働かせるための手がかりのようなものが各国語であってもいいのではないかとも思いました。

多くの観光客が来日するようになり、その数はこれからますます増えるだろうと予測されています。そうした人々も視野に入れ、在り方を進化させている美術館や博物館も数多くみられます。

自然との共存、人との和の中で培われ、受け継がれてきた民芸は、効率、成果、結果を第一に求めがちな現代に、もうひとつ大きな幸福があることを教えてくれます。

日本で生まれ育った民芸という美、普遍的な価値観を、日本人のみならず、世界中の人に知っていただきたい、柳先生が唱えた美しい道具を使う美しい国を世界に発信していっていただきたいと切に願っています。

そして、未来を担う子供たちへも手渡していってほしいです。『美』を。

特別展公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/events/special/201901.html

小さな旅・鎌倉

小雪舞う箱根の山はそれは美しいです。先日も早朝いつものようにウォーキングをして芦ノ湖の畔まで行くと雪もやみ霊峰・富士が見え”キレイ”と思わず手を合わせていました。

しばらくすると青空も見えてまさに「三寒四温」。厳しい冬の中にわずかに寒さがゆるむ日。このような日は一番ウキウキする日なのです。

春を待つことば、「三寒四温」。このような日の私の頭は”小さな旅がしたい!”でいっぱいになります。『そうだわ・・・あの幻想的な竹林で美味しいお抹茶をいただきたい』、ということで山をバスで下山し大船乗換えで鎌倉へ。

鎌倉は娘が営んでいるアンティークショップ「フローラル」があるので時々訪ねます。

鎌倉駅から鶴岡八幡さままでの小町通りなどは観光客で賑わい歩けないほどですが、脇道に一歩入れば、細い路地にかつて文士たちが暮したであろう往時の気配が残る魅力ある街です。

そこで、まず私はかねてから気になっていた、鎌倉駅のホームからも見える「チョコカフェ」に行きました。西口から徒歩1分。1階奥には木のぬくもりが感じられるカフェとショップ。2階席ではカフェから電車を見たり外の景色を見ながらホットチョコにエスプレッソを入れた飲み物をいただきながら、のんびりと寛ぎます。

目の前は桜の樹。春も素敵でしょうね。1階のショップでは美味しそうなチョコが並んでいました。ここのチョコレートはカカオバターや乳製品が入っていないとのこと。

カカオ豆の風味が楽しめます。
お店の名前は「ダンデライオンチョコレート」。

何でも発祥の地はサンフランシスコとのこと。『朝焼きたてのチョコレートクロワッサン』も美味しいそうですが、ボリューム満点。次回、挑戦してみましょう。

今回はチョコクッキーをおみやげにして東口に地下道を通り、駅前のバス乗り場へ。京急バス。(23・5番)太刀洗行きか(24・5番)金沢八景行きなど。

浄明寺下車(約15分)そして坂を少し上ったところが(徒歩3分)『報国寺(ほうこくじ)』。

足利氏、上杉氏の菩提寺として栄えた禅寺です。美しい参道に続く「薬医門」が迎えてくれます。苔むしたアプローチが美しく目を楽しませてくれます。茅葺で趣のある鐘楼(かねつき堂、)鎌倉将士の墓五輪塔郡、本堂には本尊、釈迦如来坐像、川端康成が「山の音」を執筆したといわれる小机が残されているそうです(ともに非公開)。

日曜日7時半から座禅会も開かれ初心者にもていねいに指導してくれるようなので、ご興味のある方はお調べください。

入場込み、お抹茶とお菓子付きで700円。木漏れ日が差し込む竹林の散策路を通り、「休耕庵」でお茶をいただきながらの午後のひとときは至福のときです。

美しい竹の庭には約2千本の孟宗竹が一年を通じて美しさと力強さが堪能できます。目を瞑りしばし・・・非日常的な空間に身を置くことで、身体の力が抜けていきます。『好きです私、こういうひとときが。』風の音、竹の葉のすれる音、日本の美ですね。

そして、またバスにのり娘のショップでひと休み。彼女のショップの品々はセレクトが私の好きな商品が多く、行くのが楽しみです。今回は友人へのプレゼントにカップ&ソーサーを選びました。

そして、日も落ちかけた夕暮れ時、行くと毎回うかがう「ガーデンハウス」へ。西口から歩いて3,4分のところにあり朝は9時~22時まで。朝のパンケーキ、フレンチトーストも美味しいの。一度早起きしてパンケーキを食べにいきましたっけ。

こうして、私の小さな旅は終わりました。東海道線とバスを乗り継ぎ帰路に着きましたが、この頃思うのです。この年齢になったら、思いついたら行動し、風や匂いに癒され、自分自身を解放してあげる・・・大事なことのように思います。

心にしみわたる映画と芝居

まずは映画から。

家に帰ろう

私は映画を観終わってからパンフレットを必ず買います。そして、帰路につく新幹線の中で、また家に帰ってからじっくり読み余韻に浸ります。出演した俳優、監督、スタッフ、プロダクションノートなどなど、映画を2度観たような気分になれます。

今回はプログラムを開いたと同時に目に飛び込んできた方、十代目・柳家小三治師匠のお名前。

誰にでも観てもらいたいけど
誰にも教えたくない気持ちもある。
たまたま観た人と良い映画だったねと
言えたら嬉しい。

泣けて笑えるアルゼンチン映画です。多数の国際映画祭で観客賞を受賞した感動的なロードムービー。

アルゼンチンから故郷・ポーランドへ向う88歳の仕立て屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。ナチスのホロコーストを生き延びた男性が、70年越しの約束、自分が仕立てたスーツを届けに最後の旅にでます。

家族から老人施設に入るように言われ、その予定の前夜にポーランド行きの列車に乗ります。カードに「ドイツを通らず」と書き。

スーツの届け先は、第二次世界大戦中にホロコーストから命を救ってくれた親友。でも70年の歳月がたっています。

寝坊して電車に乗り遅れたり、旅費を盗まれたりとトラブルの連続ですが、そこで出逢う人々とのユーモア溢れる、人情味あふれるシーンの数々に、涙がこぼれたり、笑いがこみ上げてきたりします。

出発したところが”家”だったのか、向う先が”家”なのか・・・

70年ぶりの再会ははたせるのか。
そして迎えるラストシーン。

パブロ・ソラロス監督は、お祖父ちゃんがポーランド人で、アルゼンチンに移住し仕立て屋をしていて、監督が5、6歳の頃に「ポーランド人なの?」と聞いても沈黙が家族の中にはあったそうです。作品を観ることなくお祖父さんは亡くなっています。

物語の中盤で、ドイツを毛嫌いする頑固なアブラハムに手を差伸べるのが、ドイツとポーランドの女性という設定もニクイ!うならせてくれます。

少しづつ心を開いていく主人公。旅する中で他者との出会いによって、暗く深刻になる話がユーモアのある人間味あふれる映画になっています。

小三治師匠の『たまたま観た人と良い映画だったねと言えたら嬉しい』とのコメントに深くうなずく私。

旅の終着点で見せる主人公アブラハムの表情がすべてを語っています。親友に出逢えたのです。街灯で親友のポーランド人と出会って心ゆくまで抱き合って泣きます。

人はどこに生まれ、どこに帰りたいのでしょうか。泣かされました。人って愛しいと思いました。国境を越えて。

銀座シネスイッチで。

 

そして芝居

蝋燭の灯りだけの舞台に、ゴザをまとった老人が中央に静かに静かに歩いてきます。腰は曲がり、盲目のひと。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」。

民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」のなかの「土佐源氏」を戯曲化した独演劇。

著書の冒頭に「あんたはどこかな?はぁ長州か、長州かな、そうかなあ、長州人はこのあたりへはえっときおった。長州人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕ききで、みなええ仕事しておった。」で始まる宮本常一の「土佐源氏」。

私がこの本に出会ったのは20歳くらいの時だったと記憶しています。

日本全国をくまなく歩き、古老から話を聞き、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在。私にとって『宮本常一』という方の存在は驚きでした。

生涯地球を4周するほどの行程をひたすら自分の足で歩き続けた民俗学者。机上の空論ではありません。でも・・・私自身若かったから、どこまで理解できていたのかは定かではありませんが、本を読みあさり、足跡を追って旅に出て、土地の古老から「宮本常一」の人となりを聞き、故郷の山口県周防大島に通い、私の旅の原点になったのでした。

芝居の話にもどります。

演ずるのは初演から51年。1200回を超えてなお舞台に立ち輝きを放つ役者『坂本長利さん(88歳)』

1月5日と6日、座・高円寺で1200回突破記念公演がありアフタートークのある5日に行ってまいりました。
https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

(写真出典:和の心を伝えるイベンドプロデュース響和堂

はじめて拝見する芝居。
”圧倒されました”

初演は1967年、新宿のストリップ劇場だったそうです。それから今日まで「どんなところでも、その土地、その場所が私のひのき舞台」とおっしゃり出前芝居のはじまりでした。

ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、エジンバラ、最初はポーランドだったそうです。字幕ナシ、開演前にポーランドの俳優が、ポーランド語と英語であらすじを朗読したのです。すべて日本語での舞台。

ボン(ドイツ)では劇場支配人が舞台上で「サカモトが、私の劇場の床に汗を落としてくれた。こんなに嬉しいことはない。また是非来てくれ」といわれたとあります。

「土佐源氏」について坂本さんは語られます。「演り始めた初期のころ、あまりのつらさに爺さんを殺してしまいたい、と”殺せぬものへの殺意”をいだいたことが二度三度あった。」と。

四国山中に実在した者からの聞き書きです。

それを30代の坂本さんがなぜ、どこに惹かれ舞台にあげたのでしょうか。「役者の業の深さと言えるかもしらんが、人間の修羅場にひかれてしまったのだろう。」とも仰います。

盲目の老人、牛や馬を売買する商いに従事する姿。70分の舞台をひとり演じ続けます。客席は250席くらいでしょうか、満席です。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」・・・

宮本常一ご夫妻も1971年の7月、水道橋の喫茶店で演じたときにご覧になり「お前さん大変なことを始めたもんだなあー。(以下略)」と。

舞台終演後、素顔に戻っての対談の椅子に座った坂本長利さんにまた驚き。若々しい!ダンディー、チャーミング、その優しいまなざし、役者魂の姿。2011年に胃がんの手術後も毎朝散歩し、木刀を100回振って体を鍛えていると新聞に載っていました。

精力的に舞台に立ち続け、呼ばれたら全国どこえでも出かけて「出前芝居」を続けておられます。

”人を愛するこころ” がどれほどのものか”情”の大切さも教えられ、観終わり心地よい気持ちにさせられました。

『百歳になったら、もっといい芝居ができるんじゃないかと思う。それが楽しみ。』と坂本さん。

素晴らしい映画と芝居に出逢いました。

バラの香りとヌード展

初夏、どちらを向いても青々と茂れる緑。私たちの暮す日本の自然はこの時期はとくに”生命力”を感じます。

先日、お休みの日に早起きをして早朝のバラを観に横浜イングリッシュガーデンに行ってまいりました。

英国庭園をを思わせる素晴らしいガーデン。早朝はとくに香りがちがいます。正面を入るとローズトンネル。ローズ&クレマチス。ワインレッドやパープルやダーク・レッドのクレマチス。素晴らしいダマスクの香りを放っています。いい香り・・・ときめきガーデンの深紅のバラ。白バラを主役にした宿根草、純白、象牙色、青白などの植物が様々な白を楽しませてくれます。

ハーブの香りも素敵です。椅子に座り、その香りをじゅうぶん満喫しました。遅咲きのバラもまだ5月下旬ころまでは楽しめそうです。約300品種のアジサイとバラの共演。1800品種2000株のバラが見事です。

クレマチスも大好きな花。お花好きな女性連れの若い女性にカメラのシャッターを押していただき、しばらく長いすに座ってのおしゃべりを楽しみました。丹精をこめてこのような美しい花を見せてくださるスタッフの方々に御礼を申し上げます。

このガーデンは四季折々の草花や樹木を春の芽吹きから枯れゆく秋の自然の風景まで何年もかけて育ててくださるのでしょう。こうした空間が心の豊かさ潤いを与えてくれます。

そして、向かった先は「横浜美術館」。英国を代表する国立美術館、テートの所蔵作など134点。『ヌード NUDE-英国テート・コレクションより』展。

展示室には年代やテーマごとに絵画や写真。そして彫刻が並びます。アンリ・マティスが1936年に制作した「布をまとう裸婦」は豊満な裸体をあらわにし、ポーズをとる女性。花柄のガウンをまとう姿は、魅惑的で、エキドチックな植物が背景に描かれ、実に自然体のヌードです。

会場の8割がたが女性です。ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」。ターナーがスケッチブックに残した水彩画。この水彩画はターナーが旅先で遭遇した男女を官能的に捉えたもので、画家の死後、その名声を守るために多くは処分されたそうですが、廃棄を免れた貴重な作品です。

ピカソ、ルノアール、デルヴォーの「眠るヴィーナス」などの作品を観て最後に日本初公開のロダンの大理石彫刻「接吻」(写真撮影可)360度すべてを回りながら鑑賞できます。ロダンの人生も波乱万丈。どんな想いでこの作品に臨んだのでしょうか。

「ヌード」は根源的なテーマですよね。そして、そのヌードにどんな秘密があるのでしょうか・・・芸術表現としてどのような意味をもちうるのか。人間にとって最も身近なテーマに、西洋の芸術家たちは、美の象徴、愛の表現、内面にどんな思いを馳せて描いたかを想像するのも素敵です。

バラの香りとヌード。豊かな気持ちで帰路に着きました。

横浜美術館「ヌードNUDE 英国テート・コレクション」展は6月24日まで。

エミール・ガレ 自然の蒐集

ゴールデンウイークも終わり、また日常の生活にもどりましたね。皆さまはどのようにお過ごしでしたか。

私は日ごろ行き届かない掃除や読書。早朝のウオーキングは毎朝約1時間、芦ノ湖の周りを歩きました。皆さん、もう6時前から釣りを楽しんでいました。

富士山を見ながらのウォーキングは最高に幸せなのですが、もう少し出かけたくなり、強羅近くのポーラ美術館へとバスを乗り継ぎ、初夏の風を感じながら行ってまいりました。

観たかった『エミール・ガレ 自然の蒐集』です。

開館以来初となるエミール・ガレ展です。植物学や生物学など自然をモチーフに作品が素晴らしいガレ。今回、『ガレが魅せられた「神秘の森」「驚異の海」』と書かれています。

ガレが活躍した19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは日本植物ブームが起っていました。ガレは自邸の庭で、2500種あまりの植物を栽培していたとのこと。浮世絵などによる日本趣味だけではなく、「園芸のジャポニズム」も芸術に大きな影響を与えたことが良く分かる展覧会です。

日本の植物を持ち帰ったドイツ人の医師であり博物学者であったフリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の存在は大きかったと思います。マツ、ソテツ、タケ、フジ、アジサイ、モミジ、ウメ、そしてユリにも魅せられたようです。ガレの植物リストにはテッポウユリを度々購入した資料もあります。ガレのガラスの作品の中で日本の花が見事に開花されています。

今回の展覧会でとても興味深かったのは、作品を彩るモチーフはただの装飾ではなく、ガレ自身の科学の観点からも捉えられているところです。

鉱物標本、昆虫、植物などの標本は「東京大学総合研究博物館」からの出品です。自然のかたちから多様なモティーフを工芸へと生み出された背景がとてもよく分かる展覧会なのです。

58歳という若さで白血病のために死去しますが、晩年のガレの作品からは、”自然の偉大さと生命の神秘”へのかぎりない愛が存在していたのでしょう。私たちより100年以上前にガレは環境保護の必要性を訴えています。

ガレの工房の扉には『わが根源は森の奥にあり』という言葉が掲げられていたそうです。

ときには喧騒を離れ、神秘の森に身をゆだねてみてもいいですね。

箱根はこれからアジサイが咲き、新緑のなか、箱根湯本から登山電車に乗り、終点の強羅で降り、「観光施設めぐりバス」に乗ると美術館の前に着きます。

そして、美術館を見終わったら、敷地内の「森の遊歩道」がお進めです。のんびり歩いても20分ほど。ブナ・ヒメシャラ(花は7月初旬に咲き、開花期は1週間ほど)ですが、5月~7月にはヤマボウシの花がまるで夏、真っ白の帽子をかぶったような姿がみられます。

初夏にかけてはメジロ、ウグイス、キビタキ、など美しい歌声が聴こえてくるでしょう。ペット連れの方もこの道はリードを使えばOKです。

「エミール・ガレ 自然の蒐集展」は7月16日(月)までです。
会期中は無休
開館時間午前9時~午後5時

美術館の公式ホームページ
http://www.polamuseum.or.jp

おにぎりと日本人

大型連休もあと2日で終わり。この連休中、おにぎりを握ってどこかえ出かけた、あるいはコンビニで購入してお出かけ、というご家庭もあったのではないでしょうか。

お子さまのお弁当に、受験の時の夜食におにぎりを握ったというお母さんもいらっしゃいますよね。いえいえ・・・この頃はお父さんが、という方もおられますよね。

私もお弁当作りはずいぶん長い期間いたしましたし、子どもが小さい頃は土曜・日曜などは庭にゴザを敷いて、おにぎり・卵焼き・ウインナーなどカゴにいれミニピクニックを楽しみました。

ところで”おにぎり”って日本にしか存在しない・・・って知っていました?

知っているようで知らない、日本人のソウルフード『おにぎり』について書かれた本に出会い、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在していたのか。稲作が中国大陸、あるいは朝鮮半島から伝わったことを考えると、中国や韓国にも当然おにぎりは食べられていたはずですし、「おにぎり」と「おむすび」の呼び方が違うのは何故?と謎は深まるばかりです。

そこで出会った素晴らしい本が、増淵敏之さんの『日本人とおにぎり』(洋泉社)です。

増淵敏之さんは1957年、札幌市のお生まれ。東京大学大学院・総合文化研究科 にて博士課程を終了。以前はFM北海道、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテイメントなどに勤務され、現在は法政大学大学院・政策創造研究科の教授。地域の物語性を観光資源として活用するコンテンツツーリズムの専門家でもあります。

海外、日本国内をフィールドワークする学者であり、歴史や地域性を研究する方でもあり、ぜひラジオでお話を伺いたいとお招きいたしました。

コンビニで販売しているおにぎりの具材の多さにびっくりしますよね。鮭・昆布・梅干など昔ながら定番に加え、炙りサーモン、大葉味噌、チャーハンむすびに、あさり混ぜご飯など。よく聞く”ツナマヨ”を私は食べたことがなく、先日買って食べてみたら美味しい!のですね。この商品の生まれたエピソードも伺いました。

さて、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在したのか。

1987年11月、石川県中能登町にある弥生時代の遺跡「杉谷チャノバタケ遺跡」から、奇妙な物体が出土されたそうです。真っ黒に炭化した、手のひらに載るくらいの塊で全体が円錐状になっていて人為的なもの。塊が蒸した米であったことから、増淵さんは「おにぎり」である、とおっしゃいます。

弥生時代中期から後期、水耕稲作が大陸から日本列島に伝わり、定着したころのものと増淵さんは推測されています。

「原始的なおにぎり」と現在の「おにぎり」とは異なり、私たちが食するおにぎりは炊いたお米を握ります。しかし当時は、殺菌効果がある笹の葉に巻いて加熱したようなのです。

それらは「お供えもの」、つまり神事に使われていたようです。日本文化のお米は、信仰の対象なのですね。そうか・・・。私たちが日ごろ食べているおにぎりは、実は神聖な食べものであることが本を読むとよく分かります。

『源氏物語』にも「握飯(にぎりいい)」として登場します。

稲作が中国大陸(または朝鮮半島)からやってきたならば、なぜ中国には「おにぎり」がないのか。それは、中国人は冷えた食事をする習慣がないから、とおっしゃいますし、韓国にも「おにぎり」としてはなかったそうです。

鎌倉時代、承久の乱では幕府の武士におにぎりが配布され、戦国時代に全国に広がり、江戸時代には庶民の食べものになったとか。そこで、「おにぎり」と「おむすび」の違い!は?地域性なのか、他の理由があるのか?

答えはぜひラジオをお聴きください。

みんなが大好きな”おにぎり”には物語があるのです。私たち独自の素手で食べる「おにぎり」や「お寿司」って、人の温もりが感じられますよね。

”お母さんの握ったおにぎり”

やはり子供達にはその温もりが、愛が大切なのではないでしょうか。
増淵先生からいろいろなお話を伺いました。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
5月6日 日曜日
10時半~11時の放送です。

綾小路きみまろさん

若い頃はよく愚痴をこぼしていました。
あれから40年。今はご飯をこぼすようになりました。
皆さまお元気ですか、綾小路きみまろでございます。

時が経つのは早いものです。
2002年に「あれから40年」のフレーズとともにブレイクした私ですが、あれから早15年。おかげさまで、こうしてまだ何とか芸能界で生き残っております。皆さまはいかがですか?まだ生きていますか?

こうしたフレーズではじまる綾小路きみまろさんのご著書「しょせん幸せなんて、自己申告」。帯には、山あり谷あり涙あり。売れない”潜伏期間”を経て、たどりついた「幸せのありか」と書かれております。

私がニューヨークタイムズの記事で綾小路きみまろさんを拝見したのは、7,8年前でしょうか。写真入りで大きく掲載されていました。

「中高年の女性の心を捉え、話術の巧みな漫談」というような記事だったと記憶しております。外国人の記者の目からも彼の才能と人間的な魅力が綴られており、その頃の私も「この方って只者ではないわ」との印象が強くありました。

”潜伏期間30年”ブレイクしたのは50歳を超えてからというきみまろさん。いつか、一度お会いしたいと思っておりました。今回のご本を拝読し、ただの苦労話ではなく、今、何かに悩んでいたり、迷っている人の背中を押す名言が散りばめられていて、ぜひ直接お話を伺いラジオをお聴きの皆さんにもご紹介したいと思いスタジオにお迎えいたしました。

ふるさとの鹿児島県志布志(しぶし)市を後にして上京します。「司会者」に憧れてのことでした。お父様は農耕馬の種付け師で、上京することには賛成し、背中を押してくださったようです。

最初は北千住の新聞販売店で住み込みで働き、その後キャバレーのボーイ時代に司会者に抜擢され成功しつつも自分が目指す「芸」の道とは違う!と思い、漫談の道をめざします。

高座にも立ち、自作のテープを観光バスに売り込み、2001年、寄席芸人「綾小路きみまろ」が誕生。”潜伏期間”にどんな思いで芸を磨いていたのか、学んでいたのか。人間、なかなか、これだけ長い期間潜伏!って出来ませんよね。そこには”山あり・谷あり・涙あり”きみまろさんならではの「幸せのとらえ方」を伺いました。

芸能の世界、”お笑い”の方々の努力は並大抵のことではないのですね。同じ時代を生きた、ビートたけしさんとの出会いも、初めてお会いしたのは、まだお互いに無名だった20代の頃。

当時の日本は、ちょうど高度成長期の終わる頃。人々の暮らしも豊かになり娯楽がもてはやされた時代。きみまろさんはキャバレーで活躍しつつ無名のどさ回りの芸人。

個性的な芸人など多彩だったそうですが、たけしさんは合方のきよしさんと舞台袖で掛け合いの練習を丹念になさっていらしたとのこと。

「オーラがあり近寄りがたい人」。”毒舌”の草分けで、早口で、政治や事件、芸能、ヤクザ、老人介護など、あらゆるタブーを一刀両断してしまう。ことごとく本質を突いているため、お客は眉をひそめながら、笑わずにはいられないのです。

きみまろさんもすでにこの頃から毒舌漫談で売っていた頃、「これは敵わないな」と思われたそうですが、80年に漫才ブームが到来し、たけしさんは時代の寵児としてスターダムを駆け上がっていきます。

そんな時代に木造アパートに住みながら、あいかわらずキャバレーまわりをして芸を磨いていたきみまろさん。

たけしさんとの最初の出会いは渋谷のパルコ劇場(当時は西武劇場)だったそうです。私も良く通った劇場です。正直、口にはだしませんし、頭では「自分は自分」と思っても夜、布団に入って目を閉じると、「ちくしょう・・・こんちきしょう!」という気持ちがこみ上げてきますよ、ときみまろさんはおっしゃいます。

そんな時には一人近くの公園に行き、疲れ果てるまでネタの練習をしたそうです。そこで「人生、多少の浮き沈みはあっても、みな平等に死んでゆく」「人間の死亡率100%」などのフレーズが浮かんだそうです。

腐ったら、終わり。
あきらめたら、終わり。
もう一度たけしさんと同じ舞台に立ちたい。

それから時代が巡って2015年。ある番組でたけしさんとご一緒し、馴染みの焼き鳥屋さんで飲みながら「昔からずっと憧れていたんです」と告白すると、たけしさんがこう言いました。「いや、違うんだきみまろさん。おいらがあんたに憧れていたんだ」と。

たけしさんは売れてからも、きみまろさんの出演しているキャバレーでやっている漫談をお忍びで観にいっていたそうです。「なんできみまろが表にでないんだ」と。

30年の時を経てこんにちのきみまろさんがいらっしゃるのですね。

人一倍照れ屋のたけしさんが、笑わずに、私の手を握りしめてくれました。たまらずうつむいた私に、たけしさんは穏やかな声で「よくぞ這い上がった。同じ時代を生きた男として、あなたを誇りに思います」と仰られたそうです。

「自分のことなんて、誰も気にしてやいない」そう思っても、どこかで必ず、誰かが見てくれています。そう本に書かれています。

しょせん幸せなんて自己申告』。
スタジオで孤独についても伺いました。

「人生終着駅では、みんな一人ぼっち。寂しいから笑うんです。」と笑顔でおっしゃるきみまろさん。ニューヨークタイムズの記者はそんなきみまろさんの人間的な魅力に魅せられたのでしょうね。

そして、全国の中高年の女性たちは、きみまろさんの毒舌を聞きながら「自分自身を励まして」いるのではないでしょうか。

ラジオは2週続けて放送いたします。
ぜひ、お聴きください。
そして本をお読みください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日 10時半~11時まで
3月4日と3月11日放送

熊谷守一 生きるよろこび

寒い日が続くなか、春を感じるような穏やかで暖かい日、先日ラジオ収録後、竹橋の東京国立近代美術館に没後40年を記念して開催されている『熊谷守一 生きるよろこび』展を観に行ってまいりました。


熊谷守一の絵を最初に観たのは、そう・・・かれこれ50年ほど前だったでしょうか。倉敷の大原美術館に行ったときです。

エルグレコの「受胎告知」が目的でしたが、熊谷守一の「陽の死んだ日」(15号の油絵)にまず出会いました。

最初は「何が描かれているのかしら?」と思う絵でした。赤い布を首のまわりに巻いた子どもが目をつぶっている絵。画面右下に「陽ノ死ンダ日」と書かれているのを見て、「子どもの死」であることに気づきます。

”わが子の死を絵にするの?”と驚き『熊谷守一』を知ることになります。それは熊谷の最晩年の時期だと思います。そして、その魅力に引き込まれていってから、半世紀がたつのですね。

今回の展覧会は明治時代後期から亡くなった1977年まで、約70年間も絵を描き続けてきた画家の200点以上が一堂に会します。

97年の長い人生 貧困や家族の死などさまざまなことがありながら、また絵がまったく描けなかった時代、それでも友情に恵まれ、愛され、妻秀子との出会いにより作風も変化し、大パトロンの木村定三氏の出会いも大きな存在でした。

この人ほど人生の節目節目で素晴らしい人に出会えているのもきっと彼の人間性でしょうか。生涯、名利に背を向け、文化勲章も辞退したそうです。

田村祥蔵さんのお書きになった『仙人と呼ばれた男』(中央公論新書)をお読みになるとその生涯がよく分かります。「誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つでも十分暮せます」と帯に書かれていますが、田村さんはご本人にまた奥様からも直接お話を聞かれておられます。

書から水墨画、デッサン、日記、スケッチなど、また個人蔵で普段みることのできない作品もあり、その人生を深く知ることができます。

雨滴、豆に蟻、蝋燭、ヤキバノカエリ、猫、土饅頭、畳、そして私が50年前に衝撃をうけた「陽の死んだ日」も大原美術館からきていました。晩年は自宅の庭でネコ、カエル、蟻や雨の粒・・・小さなものへの愛情があふれます。

最晩年の「朝の日輪」には言葉ではあらわせない”生きるよろこび”を体ごと感じることができました。会場には外国人・中高年・若い方々など幅広い層の人たちでいっぱいでした。

私の住む箱根の山は雪が消えるまであと少し。
春の足音を感じながら帰路につきました。

東京国立近代美術館
3月21日(水)まで
10時~17時
土曜日は20時まで。
休館日(水・祝)
竹橋から徒歩5分
美術館公式ホームページ
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/kumagai-morikazu/

 

第三回『箱根三三落語会』

「箱根三三落語会」を今年も、箱根やまぼうしで開催いたします。
今年36歳の三三師匠。
若手落語家の筆頭を走り、お若いのにその芸はまことに正統派。
師匠の柳家小三治師匠は「芸は自分で磨くもの」とおっしゃっておられます。
三三師匠の魅力は、その「口調の良さ」といわれます。
4月22日。
箱根の我が家・やまぼうしはコメ桜が満開の季節を迎えます。
うつむき加減に下を向いて咲く可憐な桜。
古民家の柱や梁、イギリスの家具・李朝のたんすに水屋。 
みんなこの日を待ち望んでいます。
噺が始まるとそれらが、噺に引き込まれていくようです。
1回・2回・・・その空間は寄席とも違う空気で師匠のお噺がきけました。
さあ、3回目が楽しみです。
そして、終わってから三三さんを囲んでの食事をしながらの”おしゃべり”。
ほんとうに魅力ある・優しいお人柄。みなさんがその魅力に感動なさいます。
ご一緒にいかがですか、お待ち申し上げております。
なにより私がワクワクしております。
http://www.mies-living.jp/events/2012/hakonesanzakai1204.html

那須への旅

あれは秋深い、風の心地良い朝のことでした。
那須を訪れた時のことです。那須は十数年ぶり。
朝食をとるために階下のレストランに行くと、目に入ってきた美しい「ワインクーラー」。シャンパンが入れられ、グレープジュースと一緒に飲みました。
「このワインクーラーはどなたが作れれたのでしょう」と伺うと那須在住の若手作家とのこと。魅せられました。ダイナミックで、そしてエレガント。色は軽やか。
「このワインクーラーにシャンパンをいれクリスマスに飲みたい!」
そんな思いがいたしました。
そこで今週はじめに、その作家の方をお訪ねしてまいりました。雑木林の中にたつアトリエ。でも、作品からは海の香りがするのです。
沓沢佐知子(くつさわさちこ)さんは1976年三重県尾鷲のご出身。
子供時代を海のそばで暮らされたとのこと。
全関西美術展 彫刻 第一席受賞。
京都教育大美術科 大学院終了。
かずかずの立体個展をなさってこられたのです。
ご縁って不思議ですね。美しいものを探すきっかけってこうして出逢うのですね。美術館に収められている作品ももちろん素敵です。でも、私は毎日使うことが大事で、そこに遊び心があったら申し分なし。新しいとか古いというよりも、「自分の好きなもの」に心惹かれるのです。
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アトリエの作品を拝見すると、海の匂いと森の空気が融合しているのです。そして、横には素敵なバーがあるのです。声楽家だったご主人が料理を学び、カクテルをつくり、そこには”大人の空間”がひろがります。
箱根の森の「やまぼうし」で展覧会をしてください!佐知子さんの作品、ご主人のカクテルに料理で。とお願いをさせていただきました。「湘南の海で貝殻や砂など素材をさがしますね」と佐知子さん。
再来年の夏の終わり虫のすだく声を聞きながらの展覧会。
きっと素敵だと思います。
楽しみにしていてくださいね。
その前に・・・来年のクリスマスイブまでにキリッっとシャンパンを冷やすワインクーラーをお願いいたします、佐知子さん。