ルネ・ラリック展

落ち着かない日々が続きますね。
早い収束を願うばかりです。

なんとなく鬱々と落ち着かないときはには、美術館にひとりで行くのがベストですが、休館のところが多いですね。

私は休館数日前のまだ人の少ない平日午前中に目黒の東京都庭園美術館に行ってまいりました。”美しいものを見たいわ”とラリック展に。

全館撮影可なのでその時の作品を皆さまにご覧いただきたいと思います。私はお気に入りの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。

東京都庭園美術館もそのひとつ。
この建物も庭も本当に素敵です。

建物は旧・朝香宮邸で、アール・デコ様式。玄関を入ってすぐにラリックのガラスのレリーフや壁面をおおうアンリ・ラバンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフの面白さ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線・・・建物全体が宝石といってもいいほどです。

そこで、北澤美術館所蔵のルネ・ラリック、アール・デコ時代の作品220点が展示されております。

アール・デコ時代を切り開いたルネ・ラリック(1860~1945)。

アール・デコは、主として建築と工芸とファッション、グラフィックデザインなど、ある時代のすべての造形芸術です。この美術館は常設のものだけでも十分、見ごたえがあります。

いかがですか、美しいでしょ。2時間ほど一点一点作品を拝見しているとラリックの”自然観”が感じ取れます。日本の植物をモチーフにした作品も数多く残されております。

見終わり都会の真ん中にあると思えない静けさ、庭に出ると大きな木が春の陽光を浴び、早春の庭には初蝶の舞う姿を見かけました。ほんの数時間でしたが、のどかな気分を味わうことができました。

バスに乗り、家に戻る途中芦ノ湖の向こうに”春夕焼け”が。夕空を茜色に染め、ざわざわする心を優しく包み込んでくれました。

世界中一日も早い終息を・・・と祈っております。

東京都庭園美術館
https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/200201-0407_lalique.html

『愛されすぎたぬいぐるみたち』

とても素敵な本に出逢いました。

この本は持ち主に愛されてぼろぼろになったぬいぐるみの本です。何十年もいっしょに過ごすうちに、かなりぼろぼろになってしまったぬいぐるみ。”テディ”は78歳。持主の父が1歳の誕生日にもらったもので、おばあちゃんがテディーのために洋服を縫ってくれたのだそうです。

一枚一枚ページをめくると、その横に年齢やエピソードが載っていて最高年齢100歳を超えた子や、手術をされた子も。どの写真も愛おしく、幸せな気持がしてきます。数々の受賞歴のある写真家マーク・ニクソンが撮影した、60体以上の動物のぬいぐるみたち。ぬいぐるみたちが若かったころに関する話と、年をとって劣化した今の姿が結びつき、ユーモラスであり、ほろ苦くもあり、自分自身の人生に重ね合わせてしまいます。


マーク・ニクソン著  金井真弓訳 (オークラ出版)

皆さんは子供の頃はぬいぐるみ派?それともタオルや毛布派?

私はとてもほしいぬいぐるみに出逢ったのですが、買ってもらえるような家庭環境ではなかったので、小さなお店の前を行ったり来たりした子供時代。でも、聞いてください!私が大好きだった”くまのプーさん”のぬいぐるみに出逢えたのは女優になって2年目、17歳の時のこと。ロサンゼルスにディズニーがオープンした時に東宝が連れて行ってくださいました。

そこで40センチほどの大きなプーさんに出逢ってしまいました。『もう、ぜったいに一緒に日本へ帰りましょ!』といって飛行機で一緒に帰国しました。あれから60年あまり、4人の子どもたちは鼻をつまんだり、足の上に頭をあずけてお昼寝したり・・・たくさんの思い出を与えてくれました。

そして、それから旅をする度に出逢ってきた私のぬいぐるみたち。愛おしい気持がこみあげてきます。いまではいつも食事をする横の椅子にみんな座っています。そして孫たちのお相手をしてくれます。

この本の最後に自分のぬいぐるみの写真を貼るページがあるのです。どの子にしようかしら・・・選べないは、と思いつつこの本も一緒に仲間入りしています。

老いた家 衰えぬ街 住まいの終活

東京で次々にマンションが建てられている一方で、最近全国的に、空き家の問題がニュースでも大きく取り上げられています。全国の空き家の数が過去最高を更新したとあります。

総務省の住宅・土地統計調査によると、昨年10月時点で首都圏(1都3県)でも約200万戸の空き家が存在しているそうです。今、戸建ての4軒に1軒が空き家予備軍というデータもあり、この問題を先送りしてはいけないところまできています。

そこで『老いた家 衰えぬ街』をお書きになった野澤千絵さんをラジオのゲストにお迎えしお話を伺いました。サブタイトルが『あなたの家は大丈夫ですか?』です。

「全国の空き家予備軍ランキング」が掲載されています。関東では1位が横浜市栄区と東京都品川区、そして練馬区へと続きます。全国では2013年の時点ではおよそ720万戸。ある程度の予測はしておりましたが、はるかにそれを越え、この問題は国民みんなで考えなければいけないのですが、”何が問題なのか”を詳しく野澤さんからお聞きいたしました。

野澤さんは兵庫県のお生まれ。1996年、大阪大学大学院・修士課程終了後、ゼネコン勤務を経て、2002年東京大学大学院・博士課程終了。現在は東洋大学・理工学部建築学科の教授です。

専門は都市計画・街づくりです。そもそも、どうしてこれだけ空き家が多くなってきたのか?と伺うと実家の相続をきっかけに空き家化することが多いそうです。

就職や結婚で実家を出る時から空き家化は始まり配偶者の実家などでも同時多発的に起るとのこと。もし、実家を相続して、そのまま住むなら問題はないのですが、住まない場合が多く、そこが問題だとか。

本当はその時点で、売却するなり、人に貸すなり、何か動いたほうがいいのですが、心の整理がつかず、『とりあえず、置いておくか』のケースが多いとか。コストがかかるから、相続放棄する・・・とにかくお話を伺うと問題山積!です。

ラジオではじっくりお話をうかがいました。ぜひ、お聴きください。そして、ご著書ではさらに詳しくアドバイスもされております。

放送は6月9日 日曜10時半~11時
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」

『骨まで愛して 粗屋五郎の築地物語』

ご存知、発酵学者の小泉武夫さんが、魚の頭や骨などの「粗」をテーマにした小説をお書きになりました。皮からジュルジュルコラーゲン、骨酒グビグビコピリンコ、目玉の周りはトロットロ!と帯に書かれております。

これが実に美味しそうで、読んでいるとお腹がグーグー鳴り、ヨダレがでてくるほどなのです。あらすじは福島県いわき市出身の主人公が集団就職で上京して以来、築地一筋。築地ナンバーワンのマグロ捌き職人として有名でしたが、55歳で勤めていた仲卸をやめて、子どもの頃から好きだった魚の粗だけを使うお店をオープンさせます。

場所は、築地四丁目の路地裏。鳥海五郎の人柄と腕にひかれた様々なお客さんがやってきて・・・という風に物語りは展開していきます。

小泉さんは東京農業大学名誉教授・農学博士で、鹿児島大学、琉球大学などの客員教授を務めるかたわら、食に関わる様々な活動を展開し、和食の魅力を広げ、辺境の旅を愛し、世界の珍味、奇妙な食べ物に挑戦する「食の冒険家」でもあります。

とにかく小泉さんは大変な”くいしんぼう”。といってもご自分で何でも料理をしてしまいます。このご本に出てくる料理のレシピはほとんど小泉さんのもの。

烏賊の腸煮、皮剥の肝和、煮こごりをぶっかけ丼・・・などなど食前酒にはヒラメの骨酒、河豚の鰭酒、暑い日にはキリリと冷やした日本酒に海鼠の腸をいれた海鼠腸(このわた)酒。

調味料にもこだわり、醤油は千葉・銚子や和歌山湯浅の老舗から。味噌も赤は仙台、豆は尾張・・・というように。

料理好きな小泉さんは「食摩亭」と名付けた自宅の台所でご自分で粗もさばいているそうです。福島県小野町出身。母を早くに亡くし、祖母のこしらえる料理で育てられ「うまい、からだにいい」粗料理で育てられました。

ご著書を拝読していて粗は無駄でなく立派な食材であると教えられます。そういえば、亡くなった私の熊本の祖母も「骨まで愛して」派、煮魚の残った骨にお湯をかけ美味しそうに最後まで食しておりましたね。

ぜひお話を直接お伺いしたいとラジオのゲストにお招きいたしました。

一番好きなのは書くこと。出された本は140冊は超えているそうです。小説の中に「食品廃棄物」の問題も出てきます。食には恵まれた日本。でも”フードロス”は国民みんなで考えなければいけない問題ですよね。

スタジオの小泉さんは「うま味と甘みがチュルチュルと」「ペナペナとしたコクが囃して」「見るだけで涎がピュルと沸きでて」など音で表現する様に、もう~たまりません。

ご本の中には千葉にある「粗神様」もでてまいります。

スタジオの小泉さんはおっしゃいます。「この本には5つの学問がある」と。

『調理学・環境学・民俗学・芸能・発酵学』

飽食社会への警鐘・・・とも受け取れます。かたや「子ども食堂」の問題が全国にひろがりつつあります。世界に目を向ければ飢餓に苦しむ子ども達がいます。『食の問題』は深いですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
4月14日 日曜日
10時半~11時 放送

辞世のうた – 先人たちが残した魂のメッセージ

歴史上の人物が、五・七・五・七・七の三十一文字に思いをこめてこの世に残した「辞世のうた」(ワニブックス「PLUS」新書)をお書きになったのは歌人の田中章義さんです。

涙が出てしまうようなうた、背中を押してくれるようなうた、ユーモアのあるうた、様々です。

田中さんは、1970年、静岡県のお生まれ。慶応義塾大学1年生の時、角川短歌賞を受賞し、その後、短歌にとどまらず、ラジオ、テレビの出演、絵本、紀行文、人物ルポルタージュの執筆など幅広く活躍し、現在、國學院大學で教鞭をとっておられます。

現代社会ではインターネット、SNSなど、ましてや遺言状は書いても”辞世のうた”を詠む・・・などありませんよね。31文字の中に先人たちの生き方や考え方を学びます。

ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」にお招きし、そもそも私など”短歌を詠む”なんてことはできませんし、日本人なら誰でもが知る人々が、人生の最後に何を語ろうとしているのかをお聞きしました。

まずは教科書で学ぶもの・・・と思っていた私。旅などしていて”あ~、短歌が詠めたらこの風景・光景、この感動をどのように詠むのかしら・・・”とたびたび思います。

「最初は好きなうたの真似で一文字自分の感じた言葉を当てはめ、それでもいいのですよ!音楽のリズムのように、歌うように詠んでもいいのですよ」と田中さんはおっしゃいます。

が、なかなか簡単ではありません。ご本の中で田中さんはおっしゃいます。

『辞世のうたと向き合うことは、今という時間の尊さと対峙することに他ならない』と。

そうですよね、あの時これをしておけば、と後悔しても始まらないのが人生・・・とも。分かっていてもなかなかできないものです。そこで、今回は田中さんのご本の中から先人の詠んだうたを一部ご紹介いたしますね。

高杉晋作
「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり」

豊臣秀吉
「露と落ち露と消えにし我が身かな難破の事も夢のまた夢」

源義経
「後の世もまた後の世も廻りあへ染む紫の雲の上まで」

千利休
「提(ひっさぐ)るわが得具足の一つ 太刀今この時ぞ天に抛(なげうつ)」

新島八重
「若松のわが古里に来てみればさきたつものはなみだなりけり」

金田一京助
「道のべに咲くやこの花花にだにえにしなくしてわが逢ふべしや」

牧野富太郎
「朝夕に草木を吾の友とせば心さびしき折ふしもなし」

市川海老蔵(三代目)
「極楽と歌舞の太鼓に明烏 今より西の芝居へぞ行く」

近松門左衛門
「それぞ辞世さるほどにさてもその後に残る桜が花し匂はば」

石川啄木
「今日もまた胸に痛みあり。死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ。」

和泉式部
「生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける」

紫式部
「誰か世にながらへて見る書きとめし跡は消えせぬ形見なれども」

小林一茶
「ああままよ生きても亀の百分の一」

田中さんの「辞世のうた」はまだまだ興味深く、そして歴史背景、その詠んだ刻の心情などが綴られていて大変興味深いです。スタジオでのお話は、ユーモアをまじえ語ってくださいます。ぜひラジオもお聴きください。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
3月3日
日曜10時半~11時放送

映画『ヴィクトリア女王・最期の秘密』

歴史から消された、女王の感動の物語。

1837年に即位し、63年にわたって大英帝国に君臨したヴィクトリア女王。しかし、夫アルバートの死後、約10年もの間、公の場から姿を消します。

孤独な王室での生活。従僕を寵愛した逸話は「Queen Victoria-至上の恋」(1997年)として映画化されましたが、今回の映画も1934年生まれ、イギリス、ヨーク出身のジュディ・デンチが演じます。

数々の映画でアカデミー賞を受賞し、皆さんは007シリーズの”M”役でもご存知でしょうね。2005年には名誉勲位を授与されていますし、イギリスが誇る女優が見事に”ヴィクトリア女王”を、それも2度目の女王を演じています。

孤独な女王の晩年を輝かせたのは、インド人従者でした。近年になってイスラムの言語ウルドゥー語で書かれた女王の日記が発見され、これをもとに書かれた小説が映画化されたのです。

老いて孤独が深まる女王の前に即位50周年の式典に記念金貨を英領インドから贈呈役としてやってきた青年アブデュル(アリ・ファザル)彼が中々知的で長身の美男子。1986年インド、ラクナウ出身で、優しさに満ちた青年を演じています。私もひと目ぼれ。王室の作法を無視した振る舞いに周囲は反発し、女王の死後、皇太子が2人の関係を示す全てを破棄してしまったので、日記が見つかるまでこの事実は世の中には知られていませんでした。

「私は愚かな年寄り。生きている意味がある?」
「己のためでなく大儀のために生きるのです」
イスラム教徒のアブドゥルは、父を心の師「ムンシ」として慕ってきたという。
「ならば、あなたは私の先生”ムンシ”よ。」

こうして二人の絆が結ばれていくのですが、68歳の女王がまるで少女のように蘇り輝きを放つのです。笑って、泣けて、ときには茶目っ気たっぷりの女王の個性を監督が素敵に引きだします。「クイーン」を手がけたスティーブン・フリアーズ監督、さすがです。心を許し、階級、人種、宗教の違いを超え、身分を越えた絆の深さに胸が熱くなります。

この映画の見所の一つは繊細なファッション。刺繍・レース、それは見事です。そして、ロケーションが行われたところは女王の最愛の夫アルバートが設計した離宮「オズボーン・ハウス」で映画として初めて撮影が許可されたそうです。本物のもつ重量感はいっそう観る者を引き込んでいきます。実話にもとづいた作品。

女王のときめきや、人として素直に愛することの感情。人は孤独です。女王も同じ。

心をひらくこと、人生を愛おしく想うこと、信じること、いろいろ学んだ映画でもありました。2019年はヴィクトリア生誕200年にあたるそうです。

柳宗悦の「直観」美を見いだす力

箱根の我が家のまわりでは今、ロウバイが可憐な黄色い花びらを広げています。寒さはこれからが本番ですが、澄みきった青空の下で咲くロウバイの花を目にすると、冬の後には必ず春が来ると感じさせられ、心がぽっと温かくなるような気がします。

先日、東京で早めに仕事を終えた帰り、日本民藝館の『柳宗悦の「直観」美を見いだす力』展を見てきました。駅から民藝館までの道にもうらうらと日ざしが降り注いでいて、胸を弾ませながら、心地よく歩くことができました。

――美しさへの理解は、知識だけではなく「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事」、すなわち直観が必要である――。日本民芸館の創設者である柳宗悦先生はそのようにおっしゃっています。中学時代に柳先生の著書に出会い、お考え、美意識、生き方のすべてに感銘を受けた私は、以来、柳先生を心の師として、その足跡を追ってきました。

民藝館の前で、建物をカメラに収めているフランス人の50代のカップルに気が付きました。和風意匠を基調としつつ、随所に洋風を取入れた旧館は柳宗悦先生が中心となり設計された建物。石塀は国の有形文化財に登録されています。

「なんて美しいの」「素晴らしい」カップルから漏れ聞こえる感嘆と賛辞の言葉に、わがことのように嬉しくなりました。

今、欧米やアジアでも、日常の中の美が見直されています。王侯貴族だけに許される華やかな道具、あるいはお祭りや特別な日にだけ使うものだけではなく、毎日の暮らしに存在する道具の美しさを大切に思う、まさに柳先生が見出した美意識や価値観が静かに浸透しつつあります。

朝、起きて、顔を洗い、食事をし、家族と語らい、自分なりの役割を果たし、夜、安らかに眠りにつくという、意識にもあがってこないくらい当たり前の日々。けれど、美しい道具を大事に使うことで、ひとつひとつの動作が丁寧になり、その小さな積み重ねが日常を味わい深いものに変えてくれると、私も実感します。

日本民藝館の中には、中国や韓国からの方々もいらっしゃっていて、みなさん熱心に柳先生が集められた名品をご覧になっていました。最近、どの美術館でも海外からのお客様をお見掛けすることが増えてきたとは気づいていました。

確かに柳先生は朝鮮陶磁の美を見出した先駆者ですし、かの地でその存在をご存知の方もいらっしゃるとは思います。けれど、いわゆる観光地から離れた場所にこじんまりと立っている民藝館にまで足を延ばしてくれる海外からのお客様が増えていることに、感動を覚えずにはいられませんでした。

今回の展示は、柳先生の眼差しを追体験してもらうため、説明や解説が省かれていました。それもひとつの考え方であり、そうした趣向、展示方も理解できます。けれど一方で、はじめて民芸という思想に触れ、民芸の名品を目にする人にはやはり、直観を働かせるための手がかりのようなものが各国語であってもいいのではないかとも思いました。

多くの観光客が来日するようになり、その数はこれからますます増えるだろうと予測されています。そうした人々も視野に入れ、在り方を進化させている美術館や博物館も数多くみられます。

自然との共存、人との和の中で培われ、受け継がれてきた民芸は、効率、成果、結果を第一に求めがちな現代に、もうひとつ大きな幸福があることを教えてくれます。

日本で生まれ育った民芸という美、普遍的な価値観を、日本人のみならず、世界中の人に知っていただきたい、柳先生が唱えた美しい道具を使う美しい国を世界に発信していっていただきたいと切に願っています。

そして、未来を担う子供たちへも手渡していってほしいです。『美』を。

特別展公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/events/special/201901.html

小さな旅・鎌倉

小雪舞う箱根の山はそれは美しいです。先日も早朝いつものようにウォーキングをして芦ノ湖の畔まで行くと雪もやみ霊峰・富士が見え”キレイ”と思わず手を合わせていました。

しばらくすると青空も見えてまさに「三寒四温」。厳しい冬の中にわずかに寒さがゆるむ日。このような日は一番ウキウキする日なのです。

春を待つことば、「三寒四温」。このような日の私の頭は”小さな旅がしたい!”でいっぱいになります。『そうだわ・・・あの幻想的な竹林で美味しいお抹茶をいただきたい』、ということで山をバスで下山し大船乗換えで鎌倉へ。

鎌倉は娘が営んでいるアンティークショップ「フローラル」があるので時々訪ねます。

鎌倉駅から鶴岡八幡さままでの小町通りなどは観光客で賑わい歩けないほどですが、脇道に一歩入れば、細い路地にかつて文士たちが暮したであろう往時の気配が残る魅力ある街です。

そこで、まず私はかねてから気になっていた、鎌倉駅のホームからも見える「チョコカフェ」に行きました。西口から徒歩1分。1階奥には木のぬくもりが感じられるカフェとショップ。2階席ではカフェから電車を見たり外の景色を見ながらホットチョコにエスプレッソを入れた飲み物をいただきながら、のんびりと寛ぎます。

目の前は桜の樹。春も素敵でしょうね。1階のショップでは美味しそうなチョコが並んでいました。ここのチョコレートはカカオバターや乳製品が入っていないとのこと。

カカオ豆の風味が楽しめます。
お店の名前は「ダンデライオンチョコレート」。

何でも発祥の地はサンフランシスコとのこと。『朝焼きたてのチョコレートクロワッサン』も美味しいそうですが、ボリューム満点。次回、挑戦してみましょう。

今回はチョコクッキーをおみやげにして東口に地下道を通り、駅前のバス乗り場へ。京急バス。(23・5番)太刀洗行きか(24・5番)金沢八景行きなど。

浄明寺下車(約15分)そして坂を少し上ったところが(徒歩3分)『報国寺(ほうこくじ)』。

足利氏、上杉氏の菩提寺として栄えた禅寺です。美しい参道に続く「薬医門」が迎えてくれます。苔むしたアプローチが美しく目を楽しませてくれます。茅葺で趣のある鐘楼(かねつき堂、)鎌倉将士の墓五輪塔郡、本堂には本尊、釈迦如来坐像、川端康成が「山の音」を執筆したといわれる小机が残されているそうです(ともに非公開)。

日曜日7時半から座禅会も開かれ初心者にもていねいに指導してくれるようなので、ご興味のある方はお調べください。

入場込み、お抹茶とお菓子付きで700円。木漏れ日が差し込む竹林の散策路を通り、「休耕庵」でお茶をいただきながらの午後のひとときは至福のときです。

美しい竹の庭には約2千本の孟宗竹が一年を通じて美しさと力強さが堪能できます。目を瞑りしばし・・・非日常的な空間に身を置くことで、身体の力が抜けていきます。『好きです私、こういうひとときが。』風の音、竹の葉のすれる音、日本の美ですね。

そして、またバスにのり娘のショップでひと休み。彼女のショップの品々はセレクトが私の好きな商品が多く、行くのが楽しみです。今回は友人へのプレゼントにカップ&ソーサーを選びました。

そして、日も落ちかけた夕暮れ時、行くと毎回うかがう「ガーデンハウス」へ。西口から歩いて3,4分のところにあり朝は9時~22時まで。朝のパンケーキ、フレンチトーストも美味しいの。一度早起きしてパンケーキを食べにいきましたっけ。

こうして、私の小さな旅は終わりました。東海道線とバスを乗り継ぎ帰路に着きましたが、この頃思うのです。この年齢になったら、思いついたら行動し、風や匂いに癒され、自分自身を解放してあげる・・・大事なことのように思います。

心にしみわたる映画と芝居

まずは映画から。

家に帰ろう

私は映画を観終わってからパンフレットを必ず買います。そして、帰路につく新幹線の中で、また家に帰ってからじっくり読み余韻に浸ります。出演した俳優、監督、スタッフ、プロダクションノートなどなど、映画を2度観たような気分になれます。

今回はプログラムを開いたと同時に目に飛び込んできた方、十代目・柳家小三治師匠のお名前。

誰にでも観てもらいたいけど
誰にも教えたくない気持ちもある。
たまたま観た人と良い映画だったねと
言えたら嬉しい。

泣けて笑えるアルゼンチン映画です。多数の国際映画祭で観客賞を受賞した感動的なロードムービー。

アルゼンチンから故郷・ポーランドへ向う88歳の仕立て屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。ナチスのホロコーストを生き延びた男性が、70年越しの約束、自分が仕立てたスーツを届けに最後の旅にでます。

家族から老人施設に入るように言われ、その予定の前夜にポーランド行きの列車に乗ります。カードに「ドイツを通らず」と書き。

スーツの届け先は、第二次世界大戦中にホロコーストから命を救ってくれた親友。でも70年の歳月がたっています。

寝坊して電車に乗り遅れたり、旅費を盗まれたりとトラブルの連続ですが、そこで出逢う人々とのユーモア溢れる、人情味あふれるシーンの数々に、涙がこぼれたり、笑いがこみ上げてきたりします。

出発したところが”家”だったのか、向う先が”家”なのか・・・

70年ぶりの再会ははたせるのか。
そして迎えるラストシーン。

パブロ・ソラロス監督は、お祖父ちゃんがポーランド人で、アルゼンチンに移住し仕立て屋をしていて、監督が5、6歳の頃に「ポーランド人なの?」と聞いても沈黙が家族の中にはあったそうです。作品を観ることなくお祖父さんは亡くなっています。

物語の中盤で、ドイツを毛嫌いする頑固なアブラハムに手を差伸べるのが、ドイツとポーランドの女性という設定もニクイ!うならせてくれます。

少しづつ心を開いていく主人公。旅する中で他者との出会いによって、暗く深刻になる話がユーモアのある人間味あふれる映画になっています。

小三治師匠の『たまたま観た人と良い映画だったねと言えたら嬉しい』とのコメントに深くうなずく私。

旅の終着点で見せる主人公アブラハムの表情がすべてを語っています。親友に出逢えたのです。街灯で親友のポーランド人と出会って心ゆくまで抱き合って泣きます。

人はどこに生まれ、どこに帰りたいのでしょうか。泣かされました。人って愛しいと思いました。国境を越えて。

銀座シネスイッチで。

そして芝居

蝋燭の灯りだけの舞台に、ゴザをまとった老人が中央に静かに静かに歩いてきます。腰は曲がり、盲目のひと。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」。

民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」のなかの「土佐源氏」を戯曲化した独演劇。

著書の冒頭に「あんたはどこかな?はぁ長州か、長州かな、そうかなあ、長州人はこのあたりへはえっときおった。長州人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕ききで、みなええ仕事しておった。」で始まる宮本常一の「土佐源氏」。

私がこの本に出会ったのは20歳くらいの時だったと記憶しています。

日本全国をくまなく歩き、古老から話を聞き、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在。私にとって『宮本常一』という方の存在は驚きでした。

生涯地球を4周するほどの行程をひたすら自分の足で歩き続けた民俗学者。机上の空論ではありません。でも・・・私自身若かったから、どこまで理解できていたのかは定かではありませんが、本を読みあさり、足跡を追って旅に出て、土地の古老から「宮本常一」の人となりを聞き、故郷の山口県周防大島に通い、私の旅の原点になったのでした。

芝居の話にもどります。

演ずるのは初演から51年。1200回を超えてなお舞台に立ち輝きを放つ役者『坂本長利さん(88歳)』

1月5日と6日、座・高円寺で1200回突破記念公演がありアフタートークのある5日に行ってまいりました。
https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

(写真出典:和の心を伝えるイベンドプロデュース響和堂

はじめて拝見する芝居。
”圧倒されました”

初演は1967年、新宿のストリップ劇場だったそうです。それから今日まで「どんなところでも、その土地、その場所が私のひのき舞台」とおっしゃり出前芝居のはじまりでした。

ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、エジンバラ、最初はポーランドだったそうです。字幕ナシ、開演前にポーランドの俳優が、ポーランド語と英語であらすじを朗読したのです。すべて日本語での舞台。

ボン(ドイツ)では劇場支配人が舞台上で「サカモトが、私の劇場の床に汗を落としてくれた。こんなに嬉しいことはない。また是非来てくれ」といわれたとあります。

「土佐源氏」について坂本さんは語られます。「演り始めた初期のころ、あまりのつらさに爺さんを殺してしまいたい、と”殺せぬものへの殺意”をいだいたことが二度三度あった。」と。

四国山中に実在した者からの聞き書きです。

それを30代の坂本さんがなぜ、どこに惹かれ舞台にあげたのでしょうか。「役者の業の深さと言えるかもしらんが、人間の修羅場にひかれてしまったのだろう。」とも仰います。

盲目の老人、牛や馬を売買する商いに従事する姿。70分の舞台をひとり演じ続けます。客席は250席くらいでしょうか、満席です。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」・・・

宮本常一ご夫妻も1971年の7月、水道橋の喫茶店で演じたときにご覧になり「お前さん大変なことを始めたもんだなあー。(以下略)」と。

舞台終演後、素顔に戻っての対談の椅子に座った坂本長利さんにまた驚き。若々しい!ダンディー、チャーミング、その優しいまなざし、役者魂の姿。2011年に胃がんの手術後も毎朝散歩し、木刀を100回振って体を鍛えていると新聞に載っていました。

精力的に舞台に立ち続け、呼ばれたら全国どこえでも出かけて「出前芝居」を続けておられます。

”人を愛するこころ” がどれほどのものか”情”の大切さも教えられ、観終わり心地よい気持ちにさせられました。

『百歳になったら、もっといい芝居ができるんじゃないかと思う。それが楽しみ。』と坂本さん。

素晴らしい映画と芝居に出逢いました。

バラの香りとヌード展

初夏、どちらを向いても青々と茂れる緑。私たちの暮す日本の自然はこの時期はとくに”生命力”を感じます。

先日、お休みの日に早起きをして早朝のバラを観に横浜イングリッシュガーデンに行ってまいりました。

英国庭園をを思わせる素晴らしいガーデン。早朝はとくに香りがちがいます。正面を入るとローズトンネル。ローズ&クレマチス。ワインレッドやパープルやダーク・レッドのクレマチス。素晴らしいダマスクの香りを放っています。いい香り・・・ときめきガーデンの深紅のバラ。白バラを主役にした宿根草、純白、象牙色、青白などの植物が様々な白を楽しませてくれます。

ハーブの香りも素敵です。椅子に座り、その香りをじゅうぶん満喫しました。遅咲きのバラもまだ5月下旬ころまでは楽しめそうです。約300品種のアジサイとバラの共演。1800品種2000株のバラが見事です。

クレマチスも大好きな花。お花好きな女性連れの若い女性にカメラのシャッターを押していただき、しばらく長いすに座ってのおしゃべりを楽しみました。丹精をこめてこのような美しい花を見せてくださるスタッフの方々に御礼を申し上げます。

このガーデンは四季折々の草花や樹木を春の芽吹きから枯れゆく秋の自然の風景まで何年もかけて育ててくださるのでしょう。こうした空間が心の豊かさ潤いを与えてくれます。

そして、向かった先は「横浜美術館」。英国を代表する国立美術館、テートの所蔵作など134点。『ヌード NUDE-英国テート・コレクションより』展。

展示室には年代やテーマごとに絵画や写真。そして彫刻が並びます。アンリ・マティスが1936年に制作した「布をまとう裸婦」は豊満な裸体をあらわにし、ポーズをとる女性。花柄のガウンをまとう姿は、魅惑的で、エキドチックな植物が背景に描かれ、実に自然体のヌードです。

会場の8割がたが女性です。ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」。ターナーがスケッチブックに残した水彩画。この水彩画はターナーが旅先で遭遇した男女を官能的に捉えたもので、画家の死後、その名声を守るために多くは処分されたそうですが、廃棄を免れた貴重な作品です。

ピカソ、ルノアール、デルヴォーの「眠るヴィーナス」などの作品を観て最後に日本初公開のロダンの大理石彫刻「接吻」(写真撮影可)360度すべてを回りながら鑑賞できます。ロダンの人生も波乱万丈。どんな想いでこの作品に臨んだのでしょうか。

「ヌード」は根源的なテーマですよね。そして、そのヌードにどんな秘密があるのでしょうか・・・芸術表現としてどのような意味をもちうるのか。人間にとって最も身近なテーマに、西洋の芸術家たちは、美の象徴、愛の表現、内面にどんな思いを馳せて描いたかを想像するのも素敵です。

バラの香りとヌード。豊かな気持ちで帰路に着きました。

横浜美術館「ヌードNUDE 英国テート・コレクション」展は6月24日まで。