映画「ブータン 山の教室」

心洗われ、思わず自分の日常を見つめ直してしまうような映画。「ブータン 山の教室」。その感動が、いまだに消えません。

ブータンはインド、中国に囲まれた山の国です。舞台は富士山より1500メートルも高い小さな村、ルナナ。そこで繰り広げられる希望と現実の物語が心を揺さぶります。

人口60人に満たないこの村には、小学校がたった一つしかありません。そこに、新しい先生が赴任してきます。生徒は勿論、村人たちは先生の到着を静かに、そしてキラキラした熱気で迎えます。

生徒にとって学校の先生は、輝くばかりの存在なのです。なぜならルナナの子供たちは、「先生になりたい。先生は未来に触れることができるから」と固く信じているからです。一方、新任の先生はブータンの都会暮らし。海外での音楽活動に夢を膨らませる今風の青年です。つまり、先生はブータンの大都市から秘境の村に人事異動で派遣されてきたのです。

ブータンと日本は、そもそも文化も自然も全然違う!この先入観は、映画の冒頭で簡単に覆されます。老いも若きも男女の違いもなく、挨拶は丁寧に頭を下げることから始まります。そうした彼らの立ち振る舞いを目にするだけで、理屈ではない親近感や既視感を覚えるのです。

「世界で最も幸せな国」と言われるブータン。半世紀も前に当時の国王が「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を目指そう!と主張し、今ではそれが、憲法にも書き込まれています。

教室に黒板がなければ、それを自分たちで作る。物質面では決して十分とは言えないけれど、子供たちは目を輝かせて授業に向き合います。彼らは未来に夢や希望を見つけ出そうと懸命なのです。でも、この映画は楽観論だけに終始していません。村長さんは告白します。「多くの若者は都会や外国に出て行ってしまう」。そもそも、村に赴任してきた先生自身が、海外渡航への強いあこがれを捨てきれないでいるのですから。どのような授業が、そして、暮らしが展開するのか?伝統と明日を橋渡しする手立てはあるのか?

画面には地元の人たちが家族同様に接する「ヤク」が頻繁に登場します。そして、ブータンの民謡ともいえる「ヤクに捧げる歌」が繰り返し流れます。抜けるような歌声が、澄み切った山々に響き渡りました。

この作品はブータン出身のパオ・チョニン・ドルジ監督によって作られました。写真家としては既に名の通ったドジルさんですが、長編映画のメガホンを握るのは初めてです。故郷への愛着と外の世界への憧憬。監督は主人公の先生に自らの思いを投影させているのでしょう。

出演者の生徒は皆、地元の子供たちでした。映画やカメラそのものを知らない彼らへの演技指導などは、元々なかったと思います。未来に触れよう!という熱意だけが、生徒と先生、そして監督に共通する”約束事”だったのだと思いました。

そして最後に、監督は撮影機材でもある発電機を村に置いて帰りました。電気の通っていないこの村で、映画の完成試写会をする”約束”をしたからです。これからも、彼らは小さくとも、とても大事な”約束”を積み上げていくことでしょう。

この映画を拝見した岩波ホールは、「館内は12分で空気をすべて入れ替えております」と開演前に案内していました。

入場客に挨拶をし続けるホールの方に、「ご苦労さまです」と申し上げたら、彼女はガッツポーズをなさいました。「負けないで頑張る!」そんな無言の凛々しさが溢れていました。

大幅に減った座席は当然のように埋まり、静かな熱気に包まれていました。
スクリーンと似ていました。

映画公式サイト
https://bhutanclassroom.com/

日本民藝館

駒場の日本民藝館が改修されその記念に『日本民藝館改修記念 名品展 1』が6月27日まで開かれています。先日私も行ってまいりました。創設されて80年になります。この度本館と西館の建物が、2021年3月に東京都指定有形文化財に指定されました。

本館は「民芸」運動を主導した思想家・柳宗悦(1889~1961)自らが設計したそうです。一万七千点もの貴重な収集品が収められています。

私はこの民藝館には10代の頃から通っていました。「民藝」もよく分からずに「わぁ~素敵、いいな~」そして少しづつ学んできました。

今回の改修は柳が建てた当時の内装にできるだけ近づけることだったそうです。大展示室は今まで板張りだった床を大谷石にし、壁も静岡県産の葛布(くずふ)に張り替えられ、柳が創設したころの内装に近づけたそうです。右側の壁全体はガラスのケースになっています。以前よりもすっきりして作品も見やすくなっていると感じました。

「民芸」誌の記念号の中で館長の深澤直人さんは「柳はものと空間の関係を大切にしながらこの建物をデザインしたことがよく理解できました。その場の持つ空気(雰囲気)と「もの」との相互の関わりを深く探求していたに違いありません。」と語っておられます。

正面の広くゆったりとした階段を上ると、今回は映像で「日本民藝館物語」が上映されています。そして階段を見下ろす場所に置かれた長い椅子。私は何十回もこの椅子に座り、ぼぉ~と、ただただ独りその空気に浸ってきました。

まず2階から、目的めがけて進みます。木喰上人の彫刻、木喰明満 江戸時代(1801年)の自刻像の微笑みに心が和みます。その部屋には円空をはじめ庶民信仰の神仏像が見られます。「美の法門」「初期大津絵」「朝鮮とその藝術」も興味深く見ました。

柳宗悦によって朝鮮時代に造られた木工品・金工品・石工品・絵画など1920年代から30年代にかけて朝鮮半島で収集されたものです。私はこの民藝館で見たことがきっかけでソウル近郊に小さな部屋を2年間借りて韓国の民藝を知る旅を重ねました。

そして1階に下り念願の「琉球の富」の部屋に入りました。琉球王国時代(19世紀)の衣装の数々。有名な古紅型(びんがた)など。

5月15日は沖縄が日本復帰から49年を迎えました。私の沖縄の友人は「インフラはかなり整備されましたが根幹の問題は解決されていないことが多いと思います」と語ります。私は50年前、復帰一年前に沖縄にまいりました。

「沖縄こそが民藝のふるさと」と柳宗悦が語っていたからです。緑濃く、青い海の美しい自然豊かな南国の風土から生まれた「紅型」や「芭蕉布」「琉球絣」など、柳宗悦たちが沖縄で出逢い戦火をまぬがれた作品の数々は、こうして民藝館で大切に保存されているのですね。

10代の頃に「民藝とは何か」「手仕事の日本」などの本に出会い、民衆的工芸、つまり名もない人々の暮らしに美があると説いた柳宗悦の考え、思想を追い続けて今日まできた私。

その温かな眼差しは、文化の多様性を問い直す現代社会にあってとても大切なことだと改めてこの展覧会で気づかされました。

コロナ禍での改修工事、現場はどれほど大変なことでしたでしょう。職人さんはじめ関係者の方々に御礼申し上げます。

館内の感染症予防対策はしっかりなされています。

皆さんもやはり心に潤いを求めてでしょうか、作品を食い入るように見つめておられました。

静謐なときが流れていました。

(一部撮影可)

日本民藝館公式サイト
https://mingeikan.or.jp/

満開のツツジ

コロナ禍で旅のできないあなたに!箱根のツツジとシャクナゲをご覧ください。

私の住む町から歩いて40分程のところにツツジの名所があります。例年のGW時期は大勢の方がみえるので、私はこの7,8年は行っておりませんでしたが、新聞に「箱根 花の名所も人出まばら」とありましたので行ってまいりました『山のホテル』に。

まず旧街道の杉並木を歩きます。この杉並木はいつ歩いても、どんな季節でも、静穏な時が流れております。我が家の息子たちは毎日この杉並木を歩いて小学校に通っておりました。樹齢400年近い杉が400本ほどあります。

この杉並木は箱根宿ができた1618年(元和4年)に幕府の命で川越藩主、松平正綱が植林したのだそうです。江戸の昔 東海道を旅する人を雨風や強い日差しから守ってきたのですね。

しばらくすると芦ノ湖湖畔に出ます。そこから湖畔沿いに歩き箱根神社を抜けてホテルに着きます。開園は9時なので早足に歩きます。旧岩崎男爵別邸跡地に建つ山のホテルの庭は男爵時代から植えられている約70品種3000株のツツジが一面に広がり美しく咲き誇っておりました。

樹齢100年以上も経つ株や貴重な品種もあります。”玉仕立て”といわれる丸く刈り込んだツツジが、富士山に向って咲き誇っていたり、芦ノ湖に向って流れ込むように植えられていたり、と当時の職人のセンスがよく分かります。

奥にはシャクナゲ園があります。斜面は舗装されスロープになっているので歩きやすく、車椅子や年配の方でもゆっくり楽しんで見ることができます。

一株一株、名前を見ながら楽しみましたが、中に『白琉球』というツツジがありました。まだ開花前でしたが、江戸時代から栽培され100年ほど前に中国経由でイギリスに導入されたそうです。沖縄の友人にすぐに写真に撮りメールで送ったところ沖縄では見かけたことがないそうです。やはり琉球時代のツツジなのでしょうか。

奥のシャクナゲを堪能し、ホテルのラウンジでコーヒーをいただきながら、ふっと40年ほど前のことが蘇ります。4人の子育てにアップアップしていた頃、幼稚園や小学校に子供を送り出し、急いでラウンジに来て一杯のコーヒーを飲み、ひと息つき慌てて家に戻ったあの時代。このホテルにはお世話になりました。

都会を離れた暮らしでも、こうした時間が私を癒してくれました。今は思う存分に自分のための時間が持てます。帰りに箱根神社に参拝し、家族の健康とコロナの一日も早い収束を願い、同じよに杉並木を歩いて家路につきました。

山のホテル
つつじ・しゃくなげフェアー2021開催(4月29日~5月下旬)
https://www.hakone-hoteldeyama.jp/tsutsuji_shakunage/

アカデミー賞

アメリカ映画界最大のイベント、アカデミー賞の発表と受賞式が先日、開かれました。私は毎年楽しみにしていますが、今回はいつも以上にワクワクした気分を抑えられませんでした。先月、このブログでも2回にわたってご紹介した作品の前評判が、とても良かったからです。

ノマドランド」は、一人でキャンピングカー生活を続ける60代の女性が主人公です。演じたのはフランシス・マクドーマンドさん。彼女はこの作品で、3度目の「主演女優賞」を獲得しました。

監督は北京生まれの中国人、クロエ・ジャオさん。ジャオさんには「監督賞」が贈られましたが、非白人の女性が「監督賞」を受けるのはアカデミー史上、初めてのことです。そして「ノマドランド」はアカデミー全体の最高賞とも言える「作品賞」に輝き、文字通り”トリプル受賞”となったのです。

もう一つの映画は「ミナリ」でした。農業で一旗揚げようと韓国からアメリカに移住した一家の、苦労と助け合いを描いた物語です。

「ミナリ」とは韓国語で食物の芹(セリ)のことですが、親が苦労を重ねて子や孫に成果を手渡す、という意味もあるそうです。ギクシャクしながらも家族の絆や世代間のつながりを探し続ける中で、お婆ちゃんと孫の心の触れ合いが、演技とは思えないほど自然に描かれていました。

お婆ちゃんを演じたのはユン・ヨジョンさん。彼女はこの映画で「助演女優賞」を獲得しましたが、韓国人俳優としては男女を通じて初めてのことです。

こうした動きを受けて、翌日からマスコミ報道は当然、アジアの映画人の活躍にスポットが当てられました。アカデミー賞はこれまでの白人優位から多様性の重視へ大きく舵を切り始めている、というものです。

私もそう感じると同時に、女性達の豊かな才能がスクリーンに溢れ出ている光景にも目を奪われました。ジャオ監督やヨジョンお婆ちゃん。彼女たちは人種や国家や文化などの壁を前にして、私たちに問いかけているようです。「そんなもの、何とか乗り越えましょうよ!」と。

受賞式の会場は例年と異なり、ロサンゼルス市内の鉄道駅に設置されました。関係者はコロナの感染拡大防止に最大限の注意を払いながら、「映画文化は決して不要不急のものではない。必要不可欠なのだ!」と訴えたかったのかもしれません。

主演女優賞を獲得したマクドーマンドさんの受賞挨拶は、いつまでも記憶に残ることでしょう。

「この映画を大きなスクリーンで見てください。肩と肩を寄せ合って!」

映画への限りない愛と、コロナ収束への強い決意に満ち溢れていました。