地元菓子

この本を読んでいたら、なぜか自分自身の子供の頃を思い出してしまいました。今思い出しても、なんて可愛くない子だとあきれてしまいます。
私は天然パーマだったから、ショートカットの頭はどちらかというとチリチリ。
そんな頭で半ズボンをはき、Tシャツのようなものを着ただけで、まっくろになって野を走っていた私は、自分の道は自分で切り拓くしかないという現実をまっしぐらに生きていました。
小学一年生でも、台所を預かり、それをなんとかやりくりする責任を担っていれば、それはある程度、対社会的行為になります。私はすでにそのとき社会人だった気がするのです。
その頃からお菓子屋さんでアルバイトをしていました、日曜日には。
アルミのお弁当箱にご飯をつめ、残り物のおかずを入れ、意気揚々と出かけます。でも、お店に立ち「いらっしゃい」・・・と言えなくてモジモジしているとお店の奥さんが「三枝子ちゃん、無理しなくてもいいのよ」と声をかけ、お昼のお弁当の時間が終わると、そっとその中に”もなかや、甘なっとう”を入れておいてくれるのです。
その最中を家に帰り祖母と食べた記憶・・・。
「美味しい~ね」と喜ぶ笑顔。
そんな懐かしさが蘇えってくる本です。
地元菓子』(とんぼの本・新潮社)
旅して見つけた全国地元菓子。若菜晃子さんのご本です。
若菜さんは、1968年、兵庫県生まれ。
学習院大学・文学部・国文科を卒業後、「山と渓谷社」に入社。
散歩雑誌「wandel」編集長、「山と渓谷」副編集長を経て独立。
これまでに、山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編修、執筆し、現在は「街と山のあいだ」をテーマにした小雑誌「ミューレン」の編集・発行人です。
全国津々浦々、そこでしか出会えない「地元菓子」の世界。
奥深かったです!おまんじゅう、アメ、お餅はもちろん、嫁入り菓子、お供え菓子、地域限定の袋菓子までたくさんありました。
☆この本はお菓子の民俗学だ!
と思いました。
お菓子はその土地の風土気候や歴史、そこで暮らす人の生活や思いを反映しているのだと気づかされます。
ラジオをぜひお聴きください。
文化放送日曜10時半~11時、7月28日放送です。

復興グルメ旅

東日本大震災によって被害を受けた街が、再び立ち上がろうとしています。
がれきの中でいち早く灯りがともったのは、飲食店でした。
「自分たちが営業を再開しなければ復興はならない」と、店主たちは口々に言います。今では、仮設商店街で地域の特産品をいかした料理を出品する「復興グルメ」の大会が開かれるなど、定着してきました。
被災地に行ってみたいけども、ボランティアはハードルが高い。
物見遊山で行っては迷惑がかかるのでは・・・と心配する方も、こうしたお店に足を運んでみてはいかがでしょうか。
(復興グルメ取材班)
この度、震災から立ち上がった東北のおいしいお店を数多く紹介している本「復興グルメ旅」(日経BP)をまとめた本が出版されました。
編集者のお一人、竹内康郎さんにラジオのゲストとしてスタジオにお越しいただきました。
竹内さんは、1975年、東京生まれ。
1998年、東京大学、理学部・物理学科を卒業後、日経BP社に入社。
これまで担当した主な本に、コピーライターの糸井重里さんが監修した翻訳本『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』、解剖学者の養老孟司さんと建築家の隈研吾さんによる『日本人はどう住まうべきか?』などがあります。
竹内さんを中心に、復興グルメ取材班が東北の被災地、50店舗を取材して、まとめた本です。お寿司、とんかつ、ラーメン、中華・・・どのお店も行ってみたいところばかり!
1回の取材で2~3泊。10店強は回るそうです。
1日に4、5食食べる日が続くのですが、お店の女将さんから「よくきたね。これも食べていきなさい」といわれるとなぜか、スルスルとお腹に入ってしまうのですよ(笑)とおっしゃる竹内さん。
リサーチは、クチコミ。
皆さん、明るく前向き。多くの方が
「うちがお店を再開しないと、復興はならない」
「代々受け継いできた味を自分たちの代で終わらせるわけにはいかない」
「とにかく来て下さい。それだけで町の人たちは元気になりますから」・・・と。
一方、お店を再開できなかった方も大勢いらっしゃいます。
復興グルメの取材は、今も継続中です。
この夏休み、こんなグルメの旅もいいですね。
放送は (文化放送・日曜10時半~11時) 7月21日放送です。

「藤井勘介・藤井蓮 父子展」へのお誘い

箱根の我が家「やまぼうし」で7月20日(土)~ 28日(日)まで素敵な展覧会が開催されます。そのお誘いです。
5年ほど前に、ばったりと新幹線の中で片岡鶴太郎さんにお会いしました。
「浜さん、箱根のご自宅にかかっている絵は藤井勘介先生の作品ですか?」とおっしゃられました。
私が藤井先生の作品ですとお答えすると「そうですか、僕もとても好きなのです。野菜など描かれた絵の中に、エネルギーがあり、繊細で、多彩な画材使いと技法はとても勉強になります。」と鶴太郎さんはおっしゃいました。
それがご縁で鶴太郎さんにも我が家で1年に1回展覧会を開催していただくようになりました。
藤井勘介先生の作品は「くつろげる」絵なのです。
野菜も花も・・・その作品の前にたつと、ゆったり休息できる、のびのび
過ごすことができる・・・そんな作品ばかりなのです。
我が家の広間には藤井さんの作品の数々を飾らせて頂いております。
先生の描く野菜には「命」が、花には「温もり」があり、古民家の我が家が優しさに包まれます。
今回も新作を描いていただいております。
ご子息の蓮さんの作品も楽しみです。
初日の7月20日(土)は勘介先生、蓮さんと私がご一緒に”ギャラリートークをいたします。詳しくはHPをご覧ください。
http://www.mies-living.jp/events/2013/fujii.html
ぜひお越しをお待ちいたしております。
箱根の山は、あじさいの花がさみだれに濡れ、紫の深まる季節です。
たまにはのんびりと緑の匂いを楽しんでくださいませ。

伊勢湾に浮かぶ「答志島」への旅

大阪の近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持って、今年で4年目になります。
私が大切にしていることは、机を前にして考えることも大事ですが、自分の足で歩き、体感し、考えることです。
最初の年から最も取り組みたかったフィールドワーク。
今年も「寝屋子制度」(ねやこせいど)を学びに答志島に学生達と行ってまいりました。

授業を終えて、近鉄で三重県鳥羽市へ。
そこから離島・答志島へは船で約30分です。
大都会で暮らす彼らはまず、その自然の風にふかれ磯の匂いに心地良さそうです。
答志島の答志町答志地区に古くから伝わる寝屋子制度。
この制度は何時からかは判明していませんが、百年以上前からこのしきたりが続いています。
かつては西日本には何箇所かあったようですが、現在はここだけに残っている制度です。
寝屋子という若者宿は、高校(かつては中学校)を卒業した同年齢の子を集め仲間を作り、受け入れを承諾してくれた寝屋親の自宅で寝起きをし、夜の共同生活を一緒に体験し、適齢期を迎えるまで共に暮らします。20代半ばとされる解散後も親密な関係は継続されます。

農業や漁業が生活の基盤であった時代には、人びとはお互いに助け合わなければ生きていけなかったのです。
現在は少子化で形は変えていても存続している制度です。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも話題の海女漁ですから夫婦単位の漁業です。「命綱」を夫に託して潜ります。何かが生じた場合は、仲間が駆けつけます。
『血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のようにつきあいます』
ネヤコ同士も死ぬまで兄弟です。
なぜ、このような制度が現在まで続いているのでしょうか。
社会構造の変化などで、共同体の崩壊が進み、地域の子供は地域が育てる
という「地域の教育力」が低下しているといわれますが、学生達と泊まった民宿の下が空き地になっていて、元気な男の子達の遊ぶ声がし、見守る大人たち。

毎回私たちを迎えてくださる、かつて寝屋親の山下正弥さんはおっしゃいます。
「自分勝手な人間にならん様に生きているのは自分も誰かに支えられていると言う事。それを忘れずに助け合いながら生きていくのが寝屋子です」・・・と
学生たちに優しく語りかけてくださいます。

一日、島を案内してくださり、島の人たちに声をかけられ、心のこもった料理を食べ、学生達の心のなかに”何かが”残ったはずです。
現地に赴き、その人たちの話を聞く。その実際を肌で感じてみる。
そこで得た知識、知恵、経験をもとに、共同体的な関係を切り捨てる近代化ではなく、共同体的な関係が生きている近代化をもう少し模索しても良いのではないでしょうか。
私はとても大切なことだと思います。
一泊二日でしたが、今回も学生達と素晴らしい旅が出来、優しさに包まれ幸せな時を過ごせました。

島の皆さん! ありがとうございました。