種蔵棚田の村・宮川村を訪ねて

春の足音があちこちから聞かれるというのにこの大雪。
箱根に住んで40年になりますが初めての経験です。
家の前の道路は1m以上の雪・庭は歩けないほどの雪。
車も通れず、バスは運休。陸の孤島状態が5日間ほど続き、こういう時って”ご近所の力”ですね。皆さん総出でまず歩ける小路の雪かき。
私などはなんの役にも立たず息子に委ねました。
そんな中、中頓別から旭川、そして飛騨の奥へ、そのまま羽田のホテルに泊まり、サッポロへ。前日まで猛吹雪の札幌でしたが私が出発する日は晴天に恵まれ、結局すべての仕事をクリアできました。奇跡ですね。
でも・・・1週間は帰宅できず自然の猛威には人間はなすすべはありませんね。今でも孤立している集落があります。雪とともに暮らしている雪国の方は知恵もありますが、慣れていないとほんとうに大変です。
「棚田と板倉の里  ~伝えたいこの香り、残したい風景~」
板倉が並ぶ風景と石積みされた棚田は深い雪にすっぽり埋まり美しい冬景色。今回も「美の里づくりコンクール」の現地調査で伺いました。


岐阜県の北部、飛騨市宮川町にある種蔵(たねくら)集落は、石積みの棚田と板倉郡が特徴的な、日本の原風景とも言うべき農村風景が残り大変美しい山里です。
宮川町内の有志で組織される会「種蔵を守り育む会」はやはり高齢化が進み、地域では管理できなくなったた急峻な斜面や荒廃地などの草刈作業が、ボランティアの人たちによって行なわれています。
不耕作地の水田を利用し植虫環境のためのビオトープの造成、不耕作地は高冷地に適している蕎麦・あぶらえ或いは大豆など昔から種蔵集落にしかない紅かぶ等の栽培をしています。冬の3月には田の石積みの雪庇落などを行い、種蔵集落の保存に集落住民ボランティア・行政が一丸となって守る姿に頭が下がります。
この村で生まれ育ち、最長老のおじいちゃんは95歳、近くの集落から嫁いできたおばあちゃんは93歳。炬燵に入れていただきながら昔の集落、種蔵のことなどお話が伺えました。
人間の背丈ほど積もっている雪。
人口11世帯22人
この美しい集落を次世代に伝えていくために、周辺地域住民や都市住民とともに飛騨文化の原風景守っていただきたい・・・と切望いたしました。
春、深い雪に覆われていた石積み棚田が、雪解けとともに顔を出し始めます。雪解けに始まり桜、夏は深緑に鮎、秋は紅葉、冬は雪景色と自然豊かな村です。
以前お邪魔したのは夏、夕立を待っていましたとばかりにカエルが「ゲコゲコ」と鳴きだし夕焼けに映える棚田の美しさに息をのむ思いがしました。
風のように迫る緑に夏を感じ、ミズバショウの群生地、ブナ林・・・五感で感じることの素晴らしさ。
こうした”村の宝”を私たちはどう守り伝えていったら良いのでしょうか。
宮川村までのアクセスは高山本線坂上駅下車。列車の到着時刻に合わせて村営バスが運行されています。新宿からは車ですと約5時間です。
新芽がむくむくと伸びる音が聞こえてきそうです。
おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでもお元気で!

音威子府そして中頓別町へ

音威子府・・・と書いて「オトイネップ」と発音するその村の語源はやはりアイヌ語からきているのでしょうか。
旭川から宗谷本線の列車に乗り北上していきます。
アナウンスがかかり「途中野生の蝦夷シカが飛び出し、急ブレーキがかかることもありますからご注意ください」・・・と。
いいな~こういう旅って。
北海道の北の果て、そんな慣れない呼び名の森林の村。
人口826人の村。
列車は天塩川に沿って走ります。
一度は訪れたかった村です。


そう、この森林の村で、森の風倒木や海に流れ着いた流木を使って木の彫刻を続けている芸術家がいることを、しかもその人がイギリス人であることを、私はまったくしりませんでした。 衝撃的な出会いはいつもそんな風に、あの日鎌倉に吹いていた心地よい初夏の風のように、さり気なく、そして思いがけなく訪れるようです。
真っ白な雪の上で朽ちた木が赤々と燃える色彩のコントラスト。
積み重ねた流氷の炉の中で威勢よく炎をあげる立枯れた木々。そして、ナラやニレ、ダテカンパなどの風倒木を彫って作った数々の造形物・・・。
その鎌倉の展覧会で見たデビット・ナッシュの芸術世界は、木を素材に選び、自然界を制作の場に選びながら決してありきたりな自然主義者としては片づけられない、ダイナミックな、まさに人の心を魅きつけずにはおかないものでした。
英国はウエールズ地方の鉱山の町に生まれ育ったというナッシュ。
彼が日本の自然に魅せられて、音威子府の森を創作現場に選んだのは単なる思いつきではないようです。その地に生きる村人たちと深い交流を重ねながら、枯れ木や流木や風倒木といった死に行く木々に、新たな生命力を与え続けたナッシュの芸術世界。
鎌倉近代美術館でそれを目の当たりにした私は、何故かいつまでもその場を立ち去ることができませんでした。そう・・・20年ほど前のことです。
音威子府・・・いつかは訪ねたいと思っていました。
今回はさらにその先にある魅力的な町、中頓別町(なかとんべつちょう)に招かれて伺いました。列車は音威子府で降り車で40分ほど走ると宗谷地方の南部に位置する開拓の町。8割が森林です。
町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖からでる川)。
酪農の町でもあります。
人口1,911人。四方を山に囲まれ唯一海に面していない町です。


まず最初に迎えてくれたのは中頓別町で捕獲された大きな熊。
公民館には雪深い中、300名近い住民の方々が待っていてくださいました。


時には-37℃・・・などとニュースになる町でもあります。四季の自然の中で大地を耕しながら自分たちの暮らしの文化を大事に守り続ける人たち。
こういった町にお邪魔すると、拠って立つ所を見失いがちな都会に住む私たちよりも、豊かさの中に日本人の原点やアイデンティティを持っていらっしゃる・・・そう感じました。
帰り際、この会をお手伝いくださったお母さんたちと1時間ほどおしゃべりをさせて頂きました。手づくりのお新香や絞りたての牛乳、その牛乳で作った熱々のお豆腐のなんと美味しかったことか。


“ご馳走さまでした!”
またお会いしたいですね。

『闇学』入門

『闇学』入門 (集英社新書)
~日本人は「闇遊び」の達人だった~
大変興味深いお話を伺いました。
ラジオのゲストに体験作家の中野純さんをお招きいたしました。
中野さんは、1961年、東京のお生まれ。
「闇」に関する本を数多く発表する一方、夜の山や街を歩く「闇歩きガイド」としても活動中。主な著書に「闇と暮らす。」、「東京「夜」散歩」、「闇を歩く」などがあります。
光と闇だったら、私たちはどうしても光のある方に寄って行ってしまいがちですが、あらためて「闇」の魅力を考えました。
風俗、健康法から文学世界、信仰まで。
高度成長期以降の日本は、すべてが明るくなり、江戸時代やそれ以前の庶民の暮らしは、夜なべしごとがなければ、夕方に夕食をすませたら8時ころには寝ていたといわれます。
東日本大震災の後、東京の夜が暗くなり不安にかられましたが、今はそんなこともなく明るさが戻ってきました。私はあの暗闇の中で蝋燭の灯りで過ごしてみて、「あ~子ども時代の明かり、懐かしい」と思いました。
海外を旅すると、世界中で煌々とこんなに明るいのは日本だけではないでしょうか。それは、中野さんがおっしゃるには、戦時中のB-29の影響。闇の恐ろしさを味わい、それで高度成長期へ突入し、蛍光灯が普及したとのこと。
 ”昔は夜が豊かだった”・・・とおっしゃいます。
お祭りは夜やるもの、月待ち、蛍狩り、虫聴きなど。ささやかな光の闇の存在感をより強くしたと。花火大会、夜桜見物は江戸時代から広まったとのこと。
今も続く青森のねぶた(ねぷた)なども、光をとりまく闇を見せるもの。
講中登山(集団で夜明け前に登りご来光を拝む)
百物語(闇の部屋に集まり、百の怪談を語る)
などのレジャー、それに通夜。死者に付き添って夜を明かすものではなく、神仏への祈願、祈祷のためにお堂で徹夜する通夜も盛んだったそうです。
ささやかな光はあったものの、特別な夜には、いろんな闇へ繰り出して闇に親しみ闇と遊んだ、私たちの暮らし。「闇」があったからこそ、ささやかな光を五感でも感じられたとでしょう。
そういえば・・・私も「闇」を深く実感したことがあります。
私は箱根の山の中に暮らしていますから、夜バスを降り家までの道すがら、夜空を眺めれば星や月、虫の声を聴くこともよくあります。でも、それとは違う感覚・・・そうもう20年ほど前でしょうか。
金沢に行った時のこと。金沢城の門のところでした。
門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。
自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや、昔のひとのワラジ? 音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。
そして、次に金沢市内からすぐ近くにある大乗寺というお寺です。
そこもまっくら。夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。
真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんが出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中歩いていて、はたしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。
花虫風月、夜の虫を愛でる文化・・・・
ただ暗いだけで五感が敏感になる・・・と中野さんはおっしゃいます。
私たちの現代の暮らしは、スマホやケータイ、パソコン、携帯ゲーム、タブレット様々な光に頼っています。
中野さんはこうもおっしゃいます。
「夜の山では、自分自身の五感が鋭くなると同時に、人間活動がつくりだす騒音、騒臭、などからも遠ざけるために、微かな音やにおいを自分でもびっくりするほど感じ取ることができ、山百合のにおいも、梅の香りもよくわかるります」
志賀直哉も宮沢賢治もナイトハイカーだったそうです。
しかし、日本人は光が大好きだった。光をふんだんに使ったイベントを好むが
それはあくまで、深い闇の中の光だった・・・と。
『闇と音と匂い、そして光』
疲れたからだにこれほどの優しさはないように思います。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時まで
3月9日放送です。詳しくはラジオをお聴きください。

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テーブルウエア・フェスティバル2014

東京ドームで「テーブルウエア・フェスティバル2014」が開催されています。
暮らしらしを彩る器展~ (2月2日~10日まで)
テーブルセッティングによる食空間提案で、石坂浩二さんや料理研究家の江上栄子さんなど各界の著名人が、個性豊かなテーブルセッティングを披露されていますし、食空間コンテストも開催され会期中は約30万人の方々が入場されます。私も15年程前に4回ほど参加いたしました。


今回はその中に沖縄のブースが設けられ、沖縄の工芸品を使っての作品の数々を見ていただいています。
沖縄の工芸に魅せられ通い始めて40年以上がたちます。
柳宗悦の著書の中に「沖縄は民芸のふるさと」と記されていました。
織物・染色・ガラス・漆・焼き物・シーサーなど・・・魅力的な工芸がたくさんあります。


今回は私の大切な「パナリ焼き」をお貸しし会場に展示してあります。19世紀中頃まではつくられていたパナリ焼き。八重山に生まれた焼き物。素朴ですが、かたつむりや貝殻を練りこみ、手捻りてつくられているからでしょうか、素朴な中にも気品と暖かさがありとても好きです。
初日の日にトークイベントに参加いたしました。


沖縄では、「うとぅいむち(おもてなし)」の心で親子孫たびを応援しています。
ヒガン桜が咲く春キャンペーンとして三世代の方に沖縄の旅を楽しんで
いただきたいという趣旨で、私も昨年からお手伝いしております。
来年は二人の孫を息子夫婦と一緒に連れて行きたいと思っています。
そんな沖縄の魅力を会場でお話させて頂きました。
と同時に素晴らしい沖縄の工芸の魅力も一緒に。
週末、ご興味のある方はお出かけください。