今、想うこと

夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる   正岡 子規

梅雨まっただ中、厚い雨雲が空を覆う日が多く、春分をさかいとして、夏至の頃は夜が短くなり、午前4時には空は白々としてきます。そんな早朝まだベッドの中にはいるのですが、なぜかぼーっとしている時が幸せに感じ、朝の太陽に出逢うまでのひととき、物思いにふけります。

「人生百年時代をどう生きるか」

新聞や、雑誌などで最近よく見かけるテーマです。

現在私は74歳、秋がくると75歳になります。一般的に高齢者といわれているのは65歳以上で、私も立派にその範疇に入っているのですが、「若いころ想像していた74歳の自分」と「今の自分」はかなり違っています。

もちろん年齢を感じないというわけではありません。しかし、自分の親世代と比べれば一目瞭然、周りを見渡しても、同じ年齢ならば今の高齢者は、はるかにアクティブで、心身ともに高い能力をキープしている人が多いですよね。

さらに、医療衛生方面の進歩発展などで、今の60代、70代は90歳、100歳まで生きる確率が親世代よりも圧倒的に高いです。

”まさに人生百年時代”が始まっています。

気持ちの感覚は、実際の年齢の7がけともいわれます。お洒落を楽しむ、趣味に興じる。孫の世話をする・介護を担うなど家庭の中で役割を果たす。あるいは一人の時間を慈しみ味わう。あるいは現役として働き続ける・・・そういう生き方を享受している同世代の方々がたくさんおられます。

本当にいい時代になったと思う一方、私は自分の実年齢を受け入れることが大事だとも思います。

平均寿命、健康寿命が延び、気持ちも若い高齢層が増えているのは事実であっても、私たちは年齢の分だけ生きてきた。そのことを忘れてはならないと思うからです。

これからを生き抜くために、体が若いころとは違ってきたことを認めようと思います。疲れやすくなった。疲れが取れにくい。筋力が衰えた。意欲はあっても体がついていかない。人の名前がなかなか覚えられない。名前を思い出すのに時間がかかる・・・。

それが今の自分、その自分を受け入れ、あらためて長く大切に丁寧に自分と付き合っていきたいと思います。

私が今、大切にしていることのひとつに「筋肉貯金」があります。

高齢で元気な人ほど、体を動かしているといわれます。動くためには筋肉が必要。私は、そのためにも筋肉を増やそうと、心がけています。

以前にもこのブログでお話しいたしましたが、自分の年齢も考えず、準備運動もなしに、早朝からの山歩き。無理を重ねてしまい脚を痛めてしまいました。

足の専門家から、70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうと教えられました。適正なプログラムを続ければ筋肉は再生できると教えられ、ストレッチと筋肉運動を毎朝30分行うのが日課となり、1時間ほどのウオーキングも再開しました。

『無理をしない。甘やかさない』ことをモットーに、これからも筋肉を貯金していきたいです。

「食べることも料理も大好き」

できるかぎり料理は自分でしたいです。食事で体は作られているのですもの。いくつになっても、バランスよく食べることは大事ですね。でも、料理する気力がわかない場合や、買い物になかなかいけないという場合には、自宅に食事を届けてくれる宅配サービスなど利用してもいいと思うんです。

今日食べるものが明日の体をつくる。高齢になっても体が弱らない食事習慣にしたいですね。

「高齢者になるほど、きょうようときょういくが必要」とよく言われます。

きょうようは、「今日の用」。
きょういくは「今日行く」。

「今日、いくところがある」「今日、用がある」外に出かけていき、そこで出会った人と言葉を交わしたり、何かに感心を持つことは大事だと私も実感します。

私はおかげさまで現役として、文化放送のラジオ番組「浜 美枝のいつかあなたと」のパーソナリティーを20年続けておりますし、地方に講演にお邪魔することもあります。プライベートでは、週に一度は映画や展覧会にも行きますし、落語家の柳家小三治師匠のおっかけも長年続けています。

そしてもうひとつ。こころをふるわせることは忘れないでくださいね。

人を好きになってどきどきする。明日が楽しみでわくわくする・・・。でもなかなか現実にはそういう機会はありません!けれど映画や美術館の作品がそうした疑似体験をさせてくれ、日常から少しだけ解放される。映画を観て恋したときのような気持ちになり、絵画を見て時代や国も超えて共感することは素晴らしいことです。嬉しいことにどちらもシニア割引があります。

一人旅もおすすめ。半日の旅でもいいですよね。日常を離れ、非日常を感じることが精神に刺激を与えてくれると思うんです。

そして、これは大事なこと!!ですが、高齢になると、怖い顔やどことなく不愉快そうな顔になりがち。肉の重力が落ちてしまうため、口はへの字になり、落ちてきた瞼が目を三角に見せてしまいます。

口角をあげ、微笑めば、優しい顔が戻ってきます。鏡を見て一日に一回でいいから、笑いましょう!

「笑いは百薬の長」「一笑一若」「笑う門には福来る」などと言われますものね。

年を重ねることは、新しい自分に出会うこと。
昨日の自分と違う、今日の自分を発見すること。
経験をさらに重ねていくこと。

そうした良い面もある一方で、今、この瞬間にも時間が過ぎていき、やれることに限りがあることにいやおうなく気づかされます。

お世話になった人や友人との別れも多くなっていきます。自分の命にも限りがあることを実感としてわかります。

そして、これからは、生きることに伴う根源的な孤独と向き合わざるをえないと気づかされます。

孤独を知り、受け入れることで、大きな幸せをもらったような気がします。人を恋しく、いとしく思い、様々なことに感謝するようになりたいです、私。

すっかり夜も明け、朝陽が眩しいです。”時の精”が動きだしました。
ぼんやりと感じたことを綴ってみました。

日本民藝館

幼時の自分は、今の自分のオリジンです。

5歳頃にはかまどで上手にご飯が炊けた私ですが、今でも記憶に残る不思議な思い出があります。

夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減をみていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。

母は仕立てあがった着物をお客さんの所へ届けにいって留守。

オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいと泣いたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみをよく覚えているのです。

中学生になり、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちに言われるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するように、柳宗悦の『民藝紀行』や『手仕事の日本』をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。

西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さん、バーナード・リーチさんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。

無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。

中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、感激してしまった私。むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、<たしかなものだったように思います。

「美しいなぁ」と感じる風景。幼いころ、父の徳利にススキを挿し、脇にお団子を飾り、月明かりでみた夜・・・。幼かったころにみたオレンジ色のカマドの炎。美しさのなかに人の哀しみを感じました。「直感」でしょうか。

柳宗悦さんは「工芸の道」で、次のようにおっしゃっています。

直感には「私の直感」と云ふような性質はない。見方に「私」が出ないからこそ、ものをぢかに観得るのである。直感は「私なき直感」である。

うぅ~ん。「私」を捨て「無心」になる。そのような直感が直感。ものの本質を見抜くにはそうした「無」になること。との教えがありますが、今の私にはまだまだ無理なようです。

「手仕事の日本」を携え、追うように旅を続けたこれまでの私。古民家に出会い、壊される運命に胸が締め付けられ、箱根での古民家再生。

沖縄への旅もこの本での「民芸」に出逢ってからでした。まだ本土復帰前のことでした。小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、立派な文化が栄え、工芸品も染物や織物など「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と「手仕事の日本」に書かれています。焼き物、茶盆、漆などの沖縄の工芸。日本全国の無名の用の美の品々。

これらの「民芸品」を見られるのが『日本民藝館』なのです。
美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠です。

時には西館が公開されることもあります。栃木県からの移築した石屋根の長屋門(1880年の建造で、現在は本館と同じく登録有形文化財)と、柳の設計による母屋が生活の拠点とした建物です。2階の書庫も覗いてください。興味深いですよ。

現在、6月24日までは『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』展が開催されています。柚木沙弥郎氏は1922年生まれです。柳宗悦の思想と芹沢桂介の作品に啓発されて染色家の道を志し、現在なお意欲的に制作、また後進の育成に力を注いでおられます。

作品を拝見すると、その色彩は現代社会を生きる私達の渇きを荒原に湧いた泉のように潤してくれるようです。

時代が変わり、生き方も変わっていく。そのめまぐるしく変わる環境の変化についていけなくなる時に、私の原点『民藝館』に行きたくなるのです。

二階の椅子にゆったりと腰をかけその空間に身を置くと幼かった私の姿に出逢えるのです。

9月11日~11月23日までは『白磁』展
2019年1月11日~3月24日までは『柳宗悦の「直感」美を見いだす力』展が開催されます
京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。
月曜休館です。

公式ホームページ
http://mingeikan.or.jp

映画 ファントム・スレッド(米)

なんとスリリングで魅惑的な映画なのでしょうか。

1950年代、ロンドン。
高級ファッションの世界で生きる男をめぐる物語。

米映画界で独創的な映画をおくり続けている監督。ポール・トーマス・アンダーソン。彼はなんと脚本・撮影までこなしてしまいますが、映画を観ればわかります。この映画の繊細で完璧な”美”を撮るのは”自分”・・・と思ったのでしょうね。

主演は1957年、英国ロンドン出身で3度のアカデミー賞主演男優賞を受賞した国際的なスター、ダニエル・デイ・ルイストと組みます。ほんとうか・・・どうか・・・彼はこの映画で引退する、と語っていますが、困ります。だって私はとても彼が好き!

この映画について、新聞の記事には『心の闇と優雅な狂気』と書かれていますが、愛を知らない男に総てを捧げた女が抱く、狂気の執着。

ふっと立ち寄ったレストランで出会ったウエトレスのアルマ。それまでのモデルに飽きていた彼はアルマ(ヴィッキー・クリーブス)に惹きつけられ心を移します。ロンドンのウッドコック・ハウスに住み込みモデルになります。

この役のヴィッキー・クリーヴスは1983年・ルクサンブルグ出身。注目をあつめる新人ですが、どこか土臭さ、強さ、そしてエレガントにも振舞える役にはぴったり。大スターに引けをとらない演技は素晴らしいです。

唯一心許せる主人公の姉を演じるのは1956年、英国出身のレスリー・マイル(シリル役)。

1950年代のイギリスは戦争の疲弊からようやく抜け出して、国内は豊かになっていった時代です。この時代のファッション、とりわけオートクチュールの世界はパリが中心でした。

クリスチャン・ディオールは代表されるデザイナー。同時代に活躍したイギリスの「ハウス・オブ・ウッド・コック」は経営は姉が。彼はデザイナーとして完璧を目指し、上質な生地と繊細なレースが華やかさと品格を醸し出します。上流階級の女性を虜にし続け、君臨してきた主人公に、訪れる「恋愛」。はたしてこれを「愛」とひと言では表現できませんが、この関係性が映画の魅力になっていますので、詳しくは書きませんね。ご興味がわいたらご覧ください。私のお薦めの映画です。

私が惹かれたのはハウス・オブ・ウッドコックの美術です。2017年の1月から4月にかけて、ロンドン、ヨークシャとコッツウォルズで撮影されたそうですが、レイノルズの住居兼仕事場である家は、18世紀の建築が並ぶタウンハウスが使われました。

高い天井、大きな窓、螺旋階段といったドラマティックな家は映画をいっそう観ている側をその時代へと誘ってくれます。部屋の壁紙は、自然光をより反射させるような、メタリックな光沢の帯びたものに張り替えられたそうです。

ジョニー・グリーンウッドの音楽もそれぞれのシーンにふさわしい曲で、シーンごとに生き生きとします。

主人公2人の関係の変化を見逃さないでください。後半30分には驚きました。監督は新聞のインタビューに語っておられます。

『アルマはウッド・コックに「弱って伏せってほしいけれど、強いあなたでもいてほしい」と矛盾した言葉を投げかける。「恋愛はお互いの気持ちの均衛がたもたれているのがベストだ。ただ、振り子のようにどちらかに触れる部分が、見るには面白い』と。

映画を通し、人間のもつ、脆さ、危うさ、そして温もり。銀座和光裏のシネスイッチで観て、しばらくは銀座の裏通りを歩きながら映画の余韻に浸りました。

映画公式ホームページ
http://www.phantomthread.jp

鎌倉には青木さんがいる

老舗人力車、昭和から平成を駆け抜ける!
鎌倉に人力車の風景をつくった男、青木登。
と書かれた本に出会いました。

かねがね青木さんのお話は聞いておりました。
”すごい素敵な人が車夫として還暦を迎えても現役なのよ!それが、古希を迎えられたとのこと。

編集者の古谷聡さんとともに書籍化されたご本が出版されたので拝読し、どうしても乗せていただき、その人生哲学を伺いたいと、文化放送のラジオ「浜美枝のいつかあなたと」でご一緒している寺島尚正アナウンサーと共にスタジオを飛び出して”いざ鎌倉へ”。

青木さんは鎌倉の観光人力車のパイオニアです。駅前で待ち合わせ、さっそく乗せていただき、まだ人通りの少ない小町通りから静かで、緑豊かな住宅街を抜け、鶴岡八幡宮、そして西へと初夏の風を抜け人力車は奔ります。

あちこちで街の人から声をかけられる青木さん。藍染の半纏、茄子紺の股引、真っ白なはだし足袋。短く刈り込まれた頭髪、細くねじった豆絞りがきりりとしめられ、その風貌はまさに『職人』。人力車もピカピカに磨かれています。黒い車体と赤い座席の鮮やかさがなんともレトロですが、気品にみちています。

青木さんは、1948年、茨城県生まれ。
中学卒業後、ブリジストン横浜工場や他で勤務後、旅好きの青木さんが飛騨高山の観光人力車に魅せられ、独立。その後1984年、鎌倉で観光人力車の事業を始め、長年に渡り、鎌倉の商業、観光の振興に貢献されてきました。でもご苦労もあったようです。

大手の人力車業者のフランチャイズ店の参入など。でも「鎌倉にきていただいたからには、良い、思い出を持って帰っていただきたい」といっさいの客引きはしないこと、名所旧跡に関する豊富な知識と細い裏道まで精通した観光案内は、長年かけて培われたその技術はだれにも真似ができません。開業以来の無事故無違反。走りはどこまでも滑らかです。

開業した頃からずっと、「70歳まで人力車を引き続けるんだ」と公言していたそうですが、今は『生涯現役』を目指しているそうです。陰でどれほどの体力維持のためのご努力をなさっていることでしょう。『鎌倉の品格を大切にすること』これだけは絶対に曲げることはできません。と笑顔で語られる青木さんの顔が眩しく感じました。

本に書かれている営業のご案内
30分コース・・・・・2名様で3,000円
60分コース・・・・・2名様で10、000円

★事前予約制 電話 090-3137-6384
★通常運行時(ご予約がない時)は市内で客待ちをしております。
お気軽にお声かけください。(料金は予約と変わりません)
★7月下旬~8月下旬は夏季出張につき、草津温泉にて営業。

奥様が女将をしている「茶房有風亭」も落ち着いた和の空間が楽しめます。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
放送6月10日(日曜日)
10時半~11時