パリ・グラフィック・・・ロートレックとアートとなった版画・ポスター展

私が担当しているラジオ番組「浜美枝のいつかあなたと(文化放送)」の収録後はちょっと”寄り道”をしてから箱根の山に戻るのが習慣になっています。
映画や美術館、やはり東京駅周辺・銀座・品川エリアが多いです。今回は丸の内の三菱一号館美術館に行きました。
「パリ・グラフィック・ロートレックとアートになった版画・ポスター展」を観てまいりました。


ダンスホールや街角、まさに19世紀末のパリの様子の賑やかさがよみがえります。それまでは情報伝達や複製の手段でしかなかった版画が芸術表現となりました。そして大衆文化とともに発展したポスター。「グラフィック・アート」はまさに生活と芸術が人々の暮らしに根づいたのでしょうね。また、個人のコレクションとして興味をそそられる作品の数々も観ることができます。


今回は音声ガイド付きで観ました。当時の音楽を聴きながらのアート鑑賞はなかなか粋です。私はこの美術館が好きです。明治期のオフィスが復元された建物。230万個のレンガが使用された構造。窓一枚、柱一本、階段がもうアートなのです。小さな展示室が連なるため疲れません。一作ごとにゆっくり鑑賞できるのが嬉しいです
仕事のオン・オフができます。日常から離れ、新鮮な感動や喜びが体験できます。ひとりで誰にも気兼ねすることなく、自分らしい時間がたっぷりと味わえます。
今回の展覧会はオランダ・アムステルダムの「ファン・ゴッホ美術館」の19世紀末版画コレクションから、リトグラフ・ポスター等を中心に油彩、挿絵本なども展示されています。
そう・・・もう半世紀も前、ヨーロッパ一人旅をした時に、まだ現代のような立派な建物ではなく漆喰壁の小さなゴッホ美術館のきしむ階段を上り、天窓から射す光のなかで観た「馬鈴薯を喰る人々」や履きふるした「靴」を観たときの感動は忘れられません。
女優になって、自分の置かれた立ち位置に戸惑い、自信がなくなったときの旅でした。二枚の絵を観た時、テーブルに収穫した馬鈴薯とランプの灯りに労働の喜び。そして、履きふるした靴には汗の臭いをかぐ事ができ、働く勇気をもらいましたっけ・・・。そんなことが蘇ってきました。


夕暮れのひととき、外のランプの灯りの下のワインの美味しいこと・・・幸せ気分で山にもどりました。
“さぁ~明日からもまたがんばりましょう”
明日は横浜で「朝日カルチャセンター横浜教室」に招かれております。皆さまにお逢いできるのが楽しみです。

イギリスへの旅

旅の楽しみが、景色や名所旧跡だけを見ることだったら、その楽しみは半分だったのではないでしょうか。”人に逢える”・・・この喜びが加わることによって、旅は2倍も3倍も楽しくなるのです。
今回のイギリスへの旅は、鎌倉でアンティークショップ”フローラル“を営んでいる娘の買い付けに便乗しての旅でした。彼女が仕事の時は、教会や大聖堂に行ったり・・・と自由気ままに過ごしました。13日間のレンタカーの走行距離は1000キロはあったでしょうか。


最初に訪ねた街はロンドンから約100キロの港町・ライ。ここに住む素敵なA夫人にお逢いしたくてロンドンを早朝に出発しました。


今年86歳の夫人は、ライの町で長年大きなアンティークショップを経営し、今はリタイアなさり、素敵な可愛らしいお庭のある家に一人暮しておられます。白髪で細身で背筋がピンと伸びていてとても綺麗な方です。
昼間は庭の花や野菜の手入れ、一人の時間の過ごし方の名人です。ビスケットに紅茶を淹れてくださいました。その人生は背後にある厳しさが背骨になって凛とした美しさがあり、彼女に会うことがイギリス行きの楽しみのひとつです。
1泊してロンドンに戻る途中、今回の旅でどうしても行きたかった街・カンタベリーへと向かいました。

中世の美しい街並が広がる英国最古の巡礼地です。紀元前にこの地域を支配したローマ人が繁栄の礎を築いた街。英国国教会の総本山である宗教都市ではありますが、街行く人々は観光客も多く賑わっています。
荘厳な大聖堂を、ローマ時代に造られた城壁が取り囲みます。聖堂のステンドグラスは12~13世紀のもの。ローマ・カトリック教会から決別して英国国教会を立ち上げたヘンリー8世も登場します。映画「カンタベリー物語」を思い出しながら、中世の街を後にしロンドンへと戻りました。
今度は列車で3時間半南下してトットネスという街に行きました。息子家族に会うために。

夜はオーガニックレストランに連れていってもらいました。オーガニック農場と野菜の宅配の先駆けで有名なRiverfordの農場があり、レストランが併設されおり、採れたての野菜はみずみずしく味も濃厚でした。何もしなくても美味しいのでしょうが、ハーブやビネガー、フルーツなどと一緒に食べると絶妙な美味しさです。知らない人も同じテーブルに着き、大皿でシェアしていただくめずらしいスタイルで、楽しく会話もはずみます。よい家族との再会の夜でした。
その次は、ロンドンから北の街・リンカーンへ。ここでは典型的なイギリスの家を借り4泊しました。


旅での楽しみのひとつはスーパーマーケットでの買い物。自炊ができたので、野菜や牛乳、ヨーグルト、ソーセージ、パンなど買い、朝・昼はサンドイッチを作り、夕食はほとんど自炊ができたので身体のコンデションはとても良かったです。


あ、そうそう近所にあった2年連続全英で2位を受賞した「フィッシュ&チップス」のお店に行きました。夕方はテイクアウトの人々が並びます。私たちは食堂のようなところで食べましたが、今までイギリスで食べた中で一番美味しかったです。


娘は周辺のアンティーク・フェアで買い付け。私も少しだけ買い物をしましたが、世界中から、また国内からの人でとても賑わっていました。イギリス人はほんとうに古いものを大切にし、親から子へ、孫へとアンティークが受け継がれていきますが、年4回はある大きなフェアでよくこれだけモノが動くものだと感心してしまいます。
最後の日だけはちょっと優雅に!と、私がイギリスに行く時には必ず訪れる農園の中にあるレストラン「ピーターシャムナーサリー」へ。


2ケ月前には予約をいれたので昼食は3時の回がとれました。ロンドンから40分たらずのところにありますが、土曜の午後は満席でした。足元は土、室内は秋の花で飾られどんな季節でも美しいのです。旅先ではあまり飲まない白ワインを一杯・・・いえ、ロゼも一杯。
今回も何度も紅茶をいただきましたが、日本ではアフタヌーンティーなど高級な紅茶から、喫茶店で飲む紅茶まで最近は紅茶教室も盛んだそうですね。私は濃いめの紅茶にたっぷりのミルクを入れて飲むのですが、やっぱりイギリスのほうが自分でいれても美味しい・・・。
『牛乳』が違うのですね。ミルクを入れてキャラメル色の紅茶が最高!あちらのスーパーで買う安いティーパックの紅茶でもじゅうぶんに美味しいのです。もちろんポットを温め茶葉。ひと手間かけるのが一番でしょうが。スーパーで棚に並ぶパックの中で、イギリス人の主婦のような女性がサッと買っていらした紅茶をまねして私も買いました。
ロンドンに007の撮影でフラット(アパート)に滞在していたころ、まだ真っ暗な中、撮影所に向かう朝など淋しくなったりもしたのですが、このミルクティーにどれほど慰められたことでしょう。撮影中も10時と3時は必ずティータイム。私たち日本人は貧乏性ですから「あと少し頑張れば、このシーンが終わるのに」などブツブツいいながら紅茶を飲んでおりました。でも何度もイギリスに通ううちに分かりました。「ティータイム」は「コミュニュケーション」の大切な時間であること、仕事でも家庭でも、友人同士でも・・・。
紅茶 おいしくなる話し」の磯淵猛さんのご著書によると「お茶の文化は二つあって、一つは東インド会社から一気に船で渡ったビクトリア王朝時代からの「ティー」の文化で、もう一つはヒマラヤを越えてロシアやサウジアラビアまで渡った「チャイ」の文化です。」とあります。
私は10代のころからインドへ一人旅をよくしていました。夜明けとともに列車がホームに入ると「チャイ・チャイ!」とまだ5・6歳の少年が熱々のヤカンをはだしで持ち、素焼きの小さなカップに入れてくれるのです。5円もしなかったでしょうか。飲み終わると素焼きですから土のホームに投げ、土に戻します。お母さんが鍋か釜で茶葉とお砂糖で煮立たせたのでしょう。ミルクたっぷりの「チャイ」の味は忘れられません。トルコのカッパドキアで早朝、散歩をしていたら、穴からおじいさんが手招きし「チャイ」を飲んでいきなさいと・・・正直冒険です。でも洞窟に入ると鍋でチャイを作ってくれました。欠けた茶碗でミルクがふちにべっとり・・・もう~~美味しかったこと!
この二つの体験で私は「チャイ」が好きになったのでしょうね。もう半世紀も前の思い出です。
ここでも素敵な”出逢い”がありました。
あの幼い少年は中年になり、おじいちゃんは神さまのもとに。
私も74歳になります。
これからあと、どれぐらい旅ができるでしょうか。
ゆっくりと、旅を続けたいとは思います。
いつでも自分をとり戻せるのは”旅”ですから。

箱根三三落語会 


秋深い、この季節の箱根の山には大気も冷たさをまして、凛とした空気の中紅葉も見ごろを迎えます。
さて恒例の柳家三三師匠の落語会が「箱根やまぼうし」で開催されます。
1933年に柳家小三治師匠に入門し1996年には二つ目に昇進し三三に改名、そして2006年には真打に昇進。
その語りは”端正”のひとこと。
若くして古典落語を語る三三師匠は進化し続けています。
人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからでしょうね、大人が心から笑えるのは。三三師匠は全国を駆け巡っています。私は沖縄で師匠の落語に出会いました。ホールに笑顔と笑い声が響き渡っていました。
古民家での落語はホールで聴くのとはひと味ちがいます。
30名と限定されておりますが、お席がまだ少し残っております。
開催日時:11月18日(土) 12時から
詳しくはホームページをご覧下さい。
http://www.mies-living.jp/events/171118rakugo.html

朝日新聞 be 土曜版連載

6月から朝日新聞のbe土曜版でのリレーエッセイに寄稿させていただいております。
1ヶ月1回です。先日亡くなられた日野原重明先生(聖路加国際病院院長)は5月なかばに口述筆記で残された原稿です。そして憲法学者の樋口陽一氏、十和田市現代美術館館長の小池一子さん。そして、若輩の私です。そうそうたる先生方。お受けするのをためらいましたが、日ごろ思っている事を素直な気持ちで書こう・・・と思いました。今回は4回目9月30日に掲載された、”インバウンド”についてです。20代から旅を続けて出会った人たち。たくさんのご縁をいただきました。
『本当のインバウンドとは』
先日、飛騨古川を訪ねると、駅の改札口に「お帰りなさい」と懐かしい笑顔が並んでいて、ほっと心がほぐれていくのがわかりました。
40年ほど前、骨董や民藝、古民家を目的に町をめぐっていたときに「故郷を見直す映画を作りたいんです。相談に乗ってくれませんか」と声をかけてきた青年がいました。その故郷に対する熱意に打たれ、映画仲間を紹介するなどお手伝いをすることになり、2年半後、青年と仲間たちにより『我がふるさとに愛と誇りを』というフィルムが完成。青年は当時青年会議所のトップだった村坂有造さんでした。
村坂さんと仲間たちは、その後も飛騨古川の町並みの整備や地域住民の人づくりを進めていきました。彼らとの交流も今へと続き、いつしか飛騨古川は私の人生の一部になりました。
飛騨古川は今、全国でも指折りの町づくりを進める町として知られています。最近はアニメ「君の名は」の舞台としても有名で、若い人や海外からの人たちの姿も多く見かけました。
村坂さんたちの思いは今、国内外の旅行者向けのサイクリングツアーなどを行う『美ら地球(ちゅらぼし)』を営む山田拓さん・慈芳(しほ)さん夫妻たちが受け継がれています。山田さん夫妻は世界を旅し、飛騨の地域性に惚れこみ、ここに定住して10年。その山田さんを慕って若い人がさらに飛騨古川に集まっています。
翌日、村坂さんと志穂さんと石積造りの棚田が広がり板倉が点在する種蔵地区まで足を伸ばしました。昔ながらの農法で農作業がなされ、古民家を移築した宿泊施設もあり、飛騨市の魅力となっている地区のひとつです。今、日本全国、人口減が深刻ですが、ここでも後継者や石積の維持などの問題があると聞きました。
近年はインバウンドブームといわれますが、いかに外国人にお金を落としてもらうかという発想では、一過性のものに終わってしまいかねません。観光地として商品化とは一線を画した、飛騨古川のような本来の町づくりが求められていると感じます。
日本の田舎を後世に残していくために、10年後、50年後の住民の幸せを見据え、地域全体であるべき姿を探り、手を打ち、次世代を担う若者も含めた人材を発掘していくことが急務ではないでしょうか。