古川への旅

旅の空の下に友がいます。私を待っていてくれる人が・・・
今週末は飛騨、古川に行ってまいりました。
“古き日本の美”を感じる旅。
NHK朝ドラマ「さくら」の舞台となった飛騨の匠の街、飛騨古川は風情の漂うレトロな街。そこで、朝日新聞の読者の方々22名と「和ろうそく懐石の夕べ」をご一緒いたしました。
宴席は宮川沿いの老舗割烹宿。郷土料理を味わいながらの楽しい宴でした。
そして、クライマックスは友人所有の「円空さん」を抱かせていただいた事。

今年の飛騨の紅葉は遅れており残念ながら「息を呑むような素晴らしさ」とはいきませんでしたが、それでも秋の日差しを浴び萩や薄が遠来の客を迎えてくれましたし、奥飛騨から少しずつ紅葉が街におりてきておりました。
私と古川のご縁はもう30年近くなります。
これで飛騨古川を訪ねるのは何度目になるでしょう。
高山本線古川駅はいつも私を下車させてしまうんです。
私の心の故郷と呼べる土地がいくつもあるのですが、飛騨古川もそのひとつです。引き寄せられるように、何十回とこの町を訪れ、今では、この町に着くと、「帰ってきた」という感慨が胸に染み渡るまでになりました。
「浜さん、僕たち、映画を作りたいのですが、どうやって作ったらいいのか分かりません。相談にのってください」唐突に話しかけられたあの日から、古川の青年たちは私の大切な友になったのです。
当時、青年。いま、みんな中年の仲間。
題して、「ふるさとに愛と誇りを」という1時間30分ものフイルムでした。
大層みごとなものでした。彼らが生まれ育った町がくっきりみえてくる大作・・。
あなたは持てますか?ふるさとに愛と誇りを。
端正な町並み、人々の優しい振る舞いややわらかな言葉、美味しい山の幸の数々。水の清らかさ。町を流れる川には鯉が泳ぎ、遠くを見れば御岳山、乗鞍岳、さらに日本アルプスの山々が町の背景に悠々とそびえています。
木々の間をぬう風は凛と澄み切って、そこにいるだけで心身が浄化されるような町なのです。
私はこの町にいる間中、山や木に守られている・・・という、いわくいいがたい安心感に包まれ、心が素直になっていくのを感じます。以前、この飛騨古川への旅路で、円空仏に出逢ったとき、自分でも思いがけないほど感動したものです。
その”円空さん”をしっかりと抱かせていただけたのです。
ろうそくの灯りのもとで。
町の飛騨市美術館では「円空仏展」も開催されていました。
円空上人については、次回ゆっくりお話をしたいと思います。
昨年は胸にしみるような紅、光を封じ込めたような黄色、しかも葉の色は刻々と変化して・・・どこを見回しても錦絵さながらの風景が広がり、四季のある国に生まれた幸せを思わずにはいられませんでした。きっと、11月半ばか下旬にはこのような風景に出逢えるでしょう。
もう一度戻ってきたい古川を後にいたしました。

ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く」

今回ご紹介するのは愛媛県内子町・石畳地域です。
まず最初に内子町について少しお話しさせて頂きます。
明治の家並みの美しさ、白壁・なまこ壁の町並みは皆さんご存知のことと思いますが、内子町は愛媛県の西南部に位置し、東西15、5km、南北14、5km、に位置しており、68%を山林が占める農山村です。
松山市からは約40キロ
松山から内子まではJR予讃(よさん)内子線で25分
車なら松山インターから高速松山自動車道で約25分
平成17年1月1日に、旧内子町、旧五十崎町、旧小田町の3町が、合併し、新内子町が誕生しました。
町の目指すべき姿として、「エコロジータウン・うちこ」をまちずくりのキャッチフレーズに揚げています。
町中を小田川、中山川、麗川が流れ、農家と農地が散在し、標高200~300米の山腹や丘陵地には、かつては葉タバコから現在現在は果樹、施設園芸など、谷間に美しい自然と農村の景観が形成されております。
町内に目を向ければ「町並み保存地域」にみられるように家々は、見事な鏝絵(こてえ)が残り、漆喰芸術の数々が見られます。
江戸から明治期には養蚕業、木蝋、大正期は生糸で栄えてた町。今でも当時の繁栄がしのばれます。
私は早朝、町並みを歩いたことがございますが、人々が声をかけ合い清清しい空気がそこには流れておりました。
そして、なんといっても内子といえば「内子座」・・・。
地方に残る貴重な芝居小屋。文楽や歌舞伎も演じられる小屋です。昨年は、十八代目中村勘三郎の襲名歌舞伎公演も行われました。なにも開催されていない時には内部を見学できます。
私は舞台下の奈落を見学させて頂き、築90年、木造建築の2階建てのこの小屋をよく改修復元したと感心させられました。地元の方々の熱き思いが伝わってきました。
もともと、この小屋は農閑期に農民が歌舞伎や文楽などを楽しんだ小屋です。こうした背景には地域の人々の伝統文化の保存、継承、農村が持つ信仰の熱さ、念仏講や秋祭り、神社での神楽、子供相撲、炭焼きの復活など、地域の個性的な景観が人々の手で守られております。
「町並み」から「村並み」へをキャッチフレーズにして、”今”・・・という時代にマッチした町づくりが行われております。
さて、今回ご紹介する”石畳地域”は町の中心部から約12km、「小田川」の支流「麗川」源流域に位置する、農林業を主体とした人口380人の小さな地域です。
過疎、高齢化が進むなかで、「このままでは集落が消えてしまう」、「石畳に誇りに思える地域をつくりたい」と昭和62年、農家の若者や町職員12名の有志(現在25名の会員)が「石畳を思う会」を発足させました。
未来を担う子供たちに何を残すべきか・・・未来への投資のために汗をかこう!
そして、
地域の歴史を伝える水車小屋を自費で復元。
水車公園の整備
地域を流れる麗川の蛍の保護。
樹齢350年といわれる「東のしだれ桜」地元の石工職人によって美しい石垣が築かれ、毎年4月には、集落の人々が桜の下の民家で「桜まつり」を開催し多くの人で賑わいます。
そして、地域の名所は「弓削神社の屋根付橋」 杉皮で葺かれた屋根はそれはそれは美しいです。
橋脚も昔ながらの工法で改修され、「結い」の精神が残る集落。従来の「行政におんぶにだっこ」的な考えから自立し
た集落づくりに頑張っておられます。
「地域の文化を大切にしよう」
「自分たちでできることは自分たちの手でやっていこう」
そして、内子町全体では”グリーンツーリズム”に力をいれています。町内には宿が13軒あります。私も泊まったことがございます。
「ゆっくり農村体験をしてほしい」・・・とどこの農泊の方々も仰います。

石畳地域には町営民宿「石畳の宿」があります。明治中期の農家を移築復元し、懐かしい雰囲気が漂う宿泊施設。地域の農家主婦が地場の素材を使い手料理でもてなしてくださいます。
こちらは、JR内子駅より車で30分。
定員は12名。
囲炉裏を囲みながら田舎料理、旬の野菜の煮物や山菜のてんぷら、囲炉裏で焼く川魚・・・など山里でのんびりと、地元の人たちの温かなもてなしを・・・心あたたまりますよね。
そうそう、内子には幻の名酒といわれる地元の棚田米使用の純米大吟醸生酒もございます。
肌寒くなった秋、紅葉を見がてら旅がしたくなりました。

柳家小三治師匠

“これはもう「恋」なのかもしれません”
雑誌「ゆうゆう」にそう告白してから、4年がたつでしょうか。
友人に寄席に連れていってもらい、柳家小三治師匠の落語を聴き、すっかり感激し、魅せられ夢中になってしまいました。足しげく寄席に通い、気がつくと「追っかけ」に夢中です。
先日も上野の鈴本演芸場のトリを聴きに着物を着て出かけてまいりました。演目は「お茶汲み」でした。
独演会はもちろん出来るかぎり参ります。大変人気があるかたですから、チケットを取るのも至難の業です。
前売り券があるときはとにかく電話。気合でとります。立ち見で聴くことも。
だいたい、私はひとつのことにのめり込むたちなのですが、これほど胸をときめかせるものに出会ったのは、正直初めてかもしれません。
落語家は舞台の上に、しゃべりとしぐさだけで、ドラマの世界を作りあげるのですが、何が素敵かって、師匠の場合、そのドラマのふくらみが・・・ああ、言葉が見つからない・・・本当に素晴らしいの。豊かなの。
たとえば師匠がある人物の言葉を話すでしょう。すると、その言葉だけでなく、当の人物が持つ空気感というのかしら。そういうものまで、じんわりと、伝わってくるのです。
その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。
それから何といっても、師匠の人間性なんでしょうね、芸に品格も感じられるのは。
落語の本編が始まる前の”まくら”も楽しみです。師匠の横顔がのぞけて、フアン心理をも存分に満足させていただけるのです。
気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・・。扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも、胸がキュンとしたりして。
こんなふうに思いっきり”好き”っていえる人がいるって、本当に幸せ。”恋?”そうね。もうこれは「恋」なのかもしれません。
そこで、ご案内です。この度 落語研究会 「柳家小三治」全集 のDVDがTBS・小学館から発売
されました。10枚組みのDVDと写真集・インタビュー記事・・・「追っかけ」にとっては、まさに「宝物」・・・。
これからの人生、舞台とDVDで甘い夢がみられます。

落語研究会 柳家小三治全集[DVD]
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小学館 2007-09
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日本酒で乾杯推進会議・フォーラム

“乾杯三態・日本のかたち 日本の心”が10月2日に開催され全国から多くの方が参集されました。
この会は平成16年に発足し、代表に国立民族学博物館名誉教授・石毛直道氏、歌舞伎俳優・市川団十郎氏はじめ各界からのメンバーで構成され、「100人委員会」が中心となり、「日本酒で乾杯!」という言葉を象徴にし、日本の文化のよいところを広く啓蒙していく活動を進めていこうというものです。
私も今年から100人会のメンバーに入れて頂き、先日のフォーラムになりました。今回のフォーラムはホストに民族学者の神埼宣武氏、銀山温泉藤屋女将・藤ジニーさん。
ゲストは歌舞伎俳優 中村富十郎氏、塩川正十朗氏、そして私、浜美枝でした。
中村富十郎氏からは、歌舞伎のなかでの飲酒の演じ方などをご紹介して頂き、塩川さんからは、酒宴の席に出られる機会の多い中で、どのような乾杯、献杯の形があるのか・・・・又神埼さんからは乾杯の歴史などの興味深いお話がありました。
私には全国を旅する中でどのような日本酒とのかかわりがあるのか・・・好きな酒器は?というようなご質問がございました。
そこで、こんな話をさせて頂きました。
日本酒は、私にとってほかのお酒とは一線を画す、特別なものという気がいたします。成人式に初めて飲む日本酒。結婚式の三三九度。家を新築するときに建て前の儀式の前に飲み交わすお酒。日本人の慶事になくてはならないのが、日本酒だと感じます。
と同時に、お神酒とよばれるように、日本酒は聖なるものという意識が私には強くあるんですね。
私は、古民家12軒を譲り受け、その材料を使って作った箱根の家に住んで30年になります。今でこそ、古民家作りは静かなブームになっていますが、当時はそんなノウハウはなく、設計から施工にいたるまで、すべて手探りの家なのです。
私も工事前から箱根の家の近くにアパートを借りて、そこに寝泊りし、とにかくできる限りのことをしました。施工に入る前に、古い柱や梁の一本一本を、自分の手で磨きました。そして、土地の神様である箱根神社のお神酒で一本一本、清めました。
日本酒で清める事で、土地の神様に守っていただけるような気がいたしました。
私は、今朝も箱根の山を約1時間歩いてきたのですが、その道筋にある箱根神社九頭龍神社の分院には、いつもお神酒が置かれています。日本酒が聖なるものであり、聖なる者にささげるものだという思いが、今も脈々と受け継がれているのを感じずにはいられません。
また、私は40年にわたって、日本全国を旅してきたのですが、旅をすると、いつもいろいろな方がお迎えくださって、地元のお酒で乾杯となります。
一期一会の出会いに、そしてその地を訪ねることができたことに感謝して、私も「乾杯」させていただきますが、そのときのお酒はまるで賜りもののような気がいたします。
美味しく場を楽しいものにしてくれるだけでなく、人生の句読点にもなる場に必ず登場し、杯を合わせる日本酒は、私にとっても非常に重要な意味を持つものであると、改めて感じます。
「日本酒で乾杯推進会議趣意書」の中にこのように書かれております。
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“最近のニッポン人には日本が足りない”と多くの心ある日本人は、今日の日本、明日の日本に危惧の念を抱いているのではないでしょうか。
日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していく作法や風習もグローバルスタンダードとか高度情報化社会というものの表面的な形にとらわれて次第に失われていこうとしています。
私たち日本人は集まって食事をするとき乾杯します。「みなさまのご発展とご健勝を祈念して」何に向かって祈るのでしょうか。
神様、仏様を対象とする特別の宗教心ではありません。
我々の人知や人間の力を超えたものすべてに対して謙虚に祈るのではないでしょうか。
「日本酒で乾杯!」という言葉を象徴にし、日本の文化のよいところを広く啓蒙していく活動を進めていくことが今程必要な時はありません。
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私自身、和服をさりげなく着て箱根の我が家で囲炉裏を囲み日本酒で”乾杯!”と言いながら仲間たちと酌み交わす時間は至福のひとときです。