俳優 柄本明さん

以前、観た映画「ある船頭の話」をブログでご紹介いたしましたね。「俳優・柄本明さん」には様々な分野でのご活躍に大変興味深く拝見しておりました。映画や舞台のほか、大河ドラマ、志村けんさんとのコント、その存在感は抜群です。

ご両親が大変な映画好きで、柄本さんは少年時代に西武新宿線に乗って、野方や沼袋の映画館に3本立ての映画をよくご覧になる映画少年だったそうです。

ぜひ、ラジオのリスナーの皆さまにも素顔の素敵な柄本さんをご紹介したくスタジオにお招きいたしました。

チェックのシャツをラフにお召しになり、笑顔でご挨拶くださいました。とても、シャイな方ですね。お互いにマイクを挟んで5分くらいは緊張いたしましたが、映画や芝居の話になると距離はあっという間に(というより柄本さんが合わせてくださいました)近くなりお話を伺えました。

会社員だった柄本さんが1968年、早稲田小劇場「どん底における民俗学的分析」という作品を見て、翌年、会社を辞め、新演劇人グループ「マールイ」に入り、後に劇団「東京乾電池」を旗揚げします。

二人の息子さんが俳優の道に進み、活躍しています。今年4月、長男の祐(たすく)さん、次男の時生(ときお)さんと競演なさった映画「柄本家のゴドー」が公開されました。ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」を柄本さんが演出するドキュメンタリーです。

朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」は16回の連載インタビュ記事でした。その中で「恥ずかしいですね。どこか親子で恥じをさらしたような。純粋に役者として見ました。書かれたことをやればいいんですよ。書かれているんですから。それをやりなさい。だけど、書かれていることはできないですよ。人が書いたことですから。不自然になる。まず不自然なことをしているって認識からはじまるのですからね。ただ、見ている人がいる前でやるもんだから、心地よく見てもらいたいとか、いいところを見せたいとかなる。そしたら見抜かれますよ。人に見られるというのは、すごい怖いことです。親が見ていて、兄弟がやっているなんて、情けないっちゃ情けないんだけど、しょうがないだよな。」(10月2日の記事から)

ご本人も2000年に石橋蓮司さんとゴドーの舞台に立たれています。

”すごいな~、凄い俳優さんだわ。”と思いました。この映画の演出の素の柄本さんはカッコよかった!自然体で。芝居の本質論も語っています。

志村けんさんとテレビで定期的にコントをなさっておられます。芸者のコント、食堂や電車内で相席になったコントなど、どんなきっかけで、お二人がコントをするようになったのか・・・も伺いました。とにかく面白い!理屈ぬきに。でも、その背景をうかがうと”ナルホド”と納得です。よく”人間観察”をなさっておられます。

そして、俳優は「主役とか脇役とか言いますけど、それはそれぞれ主役でね。その時、その人が必要なわけです。スクリーンに映されるその時、その一瞬は主人公。悲劇というのは喜劇に変換するし、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」で最後の場面のソーニャのセリフ、「生きていきましょうよ、長い、はてしないその日を」。笑えるし、泣けるよね。」(朝日新聞10月4日 人生の贈りものより)

ラジオでもたっぷり2回に分けてお話をうかがいました。素晴らしいことばの数々・・・直接、柄本さんの言葉でお聴きください。充実した日でした。

文化放送 浜 美枝のいつかあなたと
日曜日 10時半~11時
11月10日と17日の2回放送

「麺の科学」(講談社) 山田昌治著

皆さまは”麺”というと、どんな麺を想像なさいますか。私たちの食生活には欠かせない麺類。うどん、素麺、蕎麦、パスタ、ラーメンなど、どんな麺類がお好きですか?

私はどれも大好きな麺好きです。これまで深く考えずに食べていた麺類。麺の原料としてもっとも使われている小麦粉と、それ以外の穀物など「麺の科学」を読むとまぁ~知らないことばかり。

このご本を拝読していると山田先生は『食の伝道師』です。山田先生の言葉を借りるなら「麺はもはや文化」ですね。科学的根拠に基づいたお話が書かれております。

山田さんは1953年生まれ。1979年、京都大学大学院・修士課課程終了後、秋田大学鉱山学部・資源科学工学科助手を経て、日清製粉に入社し、パスタなどの食品の研究開発に携わりました。2010年から、工学院大学の教授をお勤めです。

詳しくはラジオのゲストにお招きし、大勢の方にもお話を伺っていただきたいと思いました。

なんでも小麦という植物の起源は中近東の高原の砂漠地帯だそうです。そこに自生していた植物を人類が改良して、ヨーロッパやインド、中国に、さらにアメリカ大陸、オーストラリア広がっていったそうです。

高原の砂漠で進化したために、空気中の水分を吸収しやすい構造があるとのこと。窒素分を貯蔵タンパク質としてため込む。その性質は麺類にした時に弾力的に富むということです。

あたり前のように食べている麺。「こしがあるわね~」とか「喉ごしがいいわね~」とかはいいますが、科学的にみるとなるほど、とガッテンがいきます。そうそう、今年、大流行した「タピオカ」も麺に多く使われているそうですよ。タピオカはカッサバの根茎からえられるデンプンです。それでモチモチ感がでるのですね。

ご本の中には小麦粉・蕎麦粉・米粉・麺を作る粉の科学から、麺の栄養学、そして、科学の力で麺を美味しく食べるコツなどが書かれております。

皆さんは麺を茹でる時に、吹きこぼれてしまう時はどうなさっておられますか。

『うどん、冷や麦・スパゲッティ・日本蕎麦、いずれも沸騰状態を保つことが麺のゆで方の基本です。』と書かれております。でも、難しいですよね、沸騰し泡がどんどん発生し、吹き零れてしまいます。私は”さい水”をします。

ラーメン店などでも見かけますよね。でも家庭の場合とは違うのだそうです。そもそもなぜ吹きこぼれるのか、を教えていただきました。

「麺をゆでていると、麺に含まれるデンプンが溶けだします。その状態で沸騰が始まると、できた気泡がデンプンの膜によって壊れにくくなり、気泡が急激に増えます。気泡のサイズは小さく、それが嵩高くなります。その結果、気泡の体積が急激に増え、鍋の外にあふれるわけです。」

まだまだ科学的なお話は続くのですが、”さし水”ではなく温度調節をコンロでするのがよいとのこと。あとは灰皿!(もちろん新品ので)をひっくり返して鍋の底にいれる。これ、昔はやっていましたよね。灰皿に抵抗がある場合は100円ショップで灰皿に似た形状の吹きこぼれ対策専用グッズが売られているそうです(これはさっそく買いましょう)

お話を伺っておりますと、知らないことばかりです。当たり前に日常麺を茹でておりますが歯ごたえのあるあるうどんの増す方法など・・・スパゲティを茹でる時に、食塩を入れるのは科学的にはどうなのか、など等。たっぷり「麺の科学」を教えていただきました。

ぜひ、番組をお聴きください。
文化放送 10月27日放送
日曜日10時半~11時まで

映画『ホテル・ムンバイ』

かつてその町はボンベイと呼ばれていました。50年以上も前の記憶は、今も鮮明です。私は仕事の合間に少しでも時間ができると、躊躇なく旅に出ました。仏教美術、特にガンダーラの仏像に魅せられ、インドへと向ったのです。

”バックパッカー”という洒落た言葉がまだ一般には存在しない頃、文字通り、リュックサック一つで憧れの大地を歩き回りました。

いま、映画「ホテル・ムンバイ」が上映中です。ボンベイは現在、ムンバイに名前を変えました。

2008年11月、ムンバイを代表する「タージマハル・パレス・ホテル」がイスラムの過激派によって占領されました。これは駅や高級ホテルなど、人の多く集まるところを狙った同時多発テロでした。テロリストたちは3日にわたってホテルに篭城しましたが、この映画はその間の模様を、あたかもドキュメンタリーのようなタッチできめ細かく描いています。

宿泊客は多岐にわたりました。生まれたばかりの赤ん坊を抱えた米国人夫妻やロシア人の実業家、画面はそれぞれの人間模様や心の葛藤を丁寧に追いかけます。

理不尽な殺戮が続く中、何とか無事に脱出できたケースもありました。しかし、ホテル内には一時、500人以上が取り残されたのです。逃げ遅れた宿泊者を冷静・沈着に誘導し、その命を守ったのがホテルの従業員、つまり料理長やウェイター、そして電話交換手らスタッフでした。

彼らの献身的な努力で多くの人質は無事脱出、生還することができました。しかし、このホテルだけでも30人以上の命が失われ、そのうちのおよそ半数はホテルの従業員だったのです。

このように甚大な被害を受けたホテルでしたが、事件から僅か1ヶ月後には営業を一部再開されました。それは、テロには決して屈しないという経営者や従業員の決意、そして客からの強い応援があったからです。

この映画の監督は脚本・編集も担当したオーストラリアのアンソニー・マラス。インドとアメリカも加わる3か国の共同制作でした。テロへの怒り、人質への共感、そしてホテルの従業員への賛辞。

心ゆさぶられる2時間は、またたく間に過ぎました。

50年以上前のボンベイ。当時「タージマハル・パレス・ホテル」に泊まることなど考えられなかった私は「せめて見るだけでも」と、1階のラウンジに腰を下ろしました。そして、英国式の本格的な紅茶を注文し、ゆっくりと港を見ながら飲みました。私にとって、それは最高の贅沢だったのです。

機会があれば、もう一度「タージマハル・パレスホテル」を訪れたい。そして、開業以来110年を超える名門ホテルの苦悩と栄光の歴史に心からの敬意を表しながら、鮮明に記憶に残る紅茶の味を、もい一度味わいたいと思うのです。

東京ステーションギャラリー:没後90年記念 岸田劉生展

「ステーション」「駅」・・・という響きに皆さまはどのようなイメージをお持ちになられますか。

18歳でのヨーロッパひとり旅でローマを訪ねた時の「テルミニ駅」は「終着駅」の映画の舞台。イタリアの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督。主演はジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフト。1953年公開作品です。荷物を地下に預けてあのラストシーンのホームに立ちました。「終着駅」という言葉に郷愁・哀愁を感じたことを覚えております。

パリの「オルセー美術館」はもともと1900年のパリ万国博覧会に合わせてオルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅兼ホテルでありました。長距離列車のターミナルでかまぼこ状の大屋根の美しい建築が、1986年に現在の美術館として生まれかわったのです。

建物内部に鉄道駅であった面影が残っています。絵画・彫刻だけではなく、写真、グラフィックアート、家具、工芸品など19世紀の作品を観ることができます。かまぼこ型のガラスからは陽光が射し、美しい元ステーション美術館です。

そして「東京ステーションギャラリー」。

東京駅は生活の一部です。私は旅に出かける時、また仕事の時の出入りに映画を観たり、美術館巡りをしたり、友人とのおしゃべりで出会う時など東京駅もよく訪れます。

そんななかでの楽しみのひとつは駅構内にある「東京ステーションギャラリー」です。まずギャラリーに入る前に丸の内側の天井を見上げます。そして館内に。2012年秋に復元工事を終えて新しいスタートを切りました。

ギャラリーで絵を見る前に鉄骨レンガ造りが目にはいります。その美しさには震災、戦争をくぐり抜けてきたストーリーが秘められていることに気づかされます。関東大震災と第二次世界大戦を経てきた建設当時のレンガが使われていて、それが「アート」になっています。歴史的建造物としての100年の記憶を感じつつの絵画の鑑賞です。

今回の展覧会は「岸田劉生展」です。没後90年記念です。

大正時代に活躍し、今も人気の高い画家・岸田劉生(1891~1929)。今回の展覧会の見どころは多くの作品を年代順に並べられているので、その変遷が浮き彫りになり、私ははじめて「岸田劉生像」を知ることができました。

ある時期に集中して描く対象物、それが自画像であったり友人達の肖像画であったり、写実で細密な画風に変わり、雑誌「白樺」でゴッホやセザンヌの影響を受けたり、レンブランドやゴヤなどに惹きつけられていく行程。

そして、あの有名な「切通之写生」15年の「道路と土手と堀」に出会います。不思議な絵です。左手の石垣の細かい陰影。土の道が斜めになり天に突き出たような晴れ渡った青空。雑草や小石まで精密に描かれています。

そして16年から取り組んだ静物画。この年の7月に肺病と診断され、戸外での写生が出来なくなるのです。「林檎三個」は病と闘う劉生が自分と妻、娘の麗子の「一家三人の家族の像」だと気づかされます。

38歳で急逝した劉生の”祈り”を感じます。そして、あの「麗子坐像」19年8月23日に完成。愛する娘を細密描写で描いた油彩画。麗子のよこに置かれた赤い林檎が印象的です。

麗子はじっと動かずその姿でモデルになっていたので、うっすらと目には涙が浮かんでいます。深い愛情を感じます。早世の直前に渡った中国東北部を描いた風景画は光あふれ、未来を信じて描いたのでしょうか。それとも余命を感じて描いたのでしょうか。

それにしても38歳とは・・・もっともっと自己の道を歩みたかったことでしょう。そうした一人の画業、生き方を知ることができた展覧会でした。

個人的には日本的な椿を西洋風に描いた「竹籠含春 ちくろうがんしゅん」も好きです。二色に染め分けられた竹籠に六輪の大ぶりの椿がいれられています。

会場を出ると美術館に来た人だけが見られるギャラリー2階の回廊からのドームを見上げられます。干支の彫刻が繊細に描かれています。改札口からの人の流れを見ながら「ステーション」の床にも目がくぎずけになります。

このように満たされた日はステーションホテルのバーで軽くカクテルを・・・

“さぁ山に戻りましょう”と帰路につきました。

美術館公式サイト
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html