良いお年をお迎えください

寒気厳しく、星空が美しい季節となりました。

今年も残りわずかとなりました。
皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

今年も私のつたないブログをお読みいただきありがとうございました。

16歳で映画デビューから60年。この11月で私は75歳になりました。今の私があるのは、多くの方との出会い、支えられ、と感謝の気持ちで毎日を過ごしております。

人生100年時代を見据え、生活はシンプルに。毎日の暮らしを心豊かに・・・そして、モノより時間、感動、好奇心をもち、できたら無理をせず旅も続けたいし、映画鑑賞と美術館巡りは欠かせないし、アンテナをはり情報を集め来年も健康に楽しく過ごしたいと思っております。

仕事は今まで続けてきた『農・食・美しい暮らし』というライフワーク、そしてラジオのレギュラー番組・文化放送「浜美枝のいつかあなたと」などを中心に、これからも丁寧に歩んでいくつもりです。

今後とも変わらぬお付き合いをいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えくださいませ。
浜 美枝

美智子さまと星の王子さま

先日、本屋さんで素敵な本に出逢いました。

美智子さまと星の王子さま”です。
鮫島有美子さんの文章で彼女の歌と朗読のCD付きです(文藝春秋)。

美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディ、歌曲『星の王子の・・・・・』を知っていますか?と帯に書かれていました。

え、美智子さまが”星の王子さま”にメロディを? 『星の王子さま』の翻訳は内藤濯(あろう)氏。メロディは内藤さんの和歌にでした。

いずこかに
かすむ宵なり
ほのぼのと
星の王子の
影とかたちと
(内藤濯氏によるものです)

ねむれ ねむれ
母の胸に
ねむれ ねむれ
母の手に
(以下略)

「シューベルトの子守唄」の訳詩もされた方です。世界中で親しまれ、読まれてきた「星の王子さま」。中でも内藤さんの訳が私は一番好きです。翻訳された時は内藤さんは70歳になられておられたとのこと。なんと瑞々しく、優しく、どこかロマンチックで美しい日本語なのでしょうか。日本でも600万人を超える読者に親しまれているそうです。

内藤氏の訳本、『星の王子さま』が最初に店頭に並んだのは昭和28年でした。しかし一色刷りで、本来の美しさではなく内藤氏はお気に召さなかったとのこと。発売から十年の歳月を経て、昭和37年に現本通りに多色刷りの挿画が実現されました。そうなのですね~・・・私はこの愛蔵版が(岩波少年文庫版)出版された時に購入し、夢中になって読んだのですね。

昭和38年の春、当時皇太子妃であられた美智子さまのお手元に届けられたそうです。ご存知のように美智子さまは童話や絵本にも造詣がお深くていらっしゃいます。でも当時内藤さんの『星の王子さま』をご存知でいらっしゃらないと耳にした内藤氏が献上され、『星の王子さま』を読まれた美智子さまから内藤氏にお礼のお手紙が送られてきます。

「あまり美しい物語だったためでございましょうか、読み終えて少しさびしくなりました。よい御本を頂いて、本当にうれしゅうございます」(美智子さまと星の王子さまから)

こうして交流がはじまったお二人は親子ほどの年のひらきはあるものの”美しいことば”を通し、交流を深められていらしたのですね。美智子さまからのお手紙を女官が時折お届けの時は文箱の上には、東宮御所のお庭で摘まれた小さな花が一輪、さりげなく添えられていたそうです。美智子さまは時折小さな花束をお持ちになり被災地をお訪ねになられますね。

枯野の箱根の山で青空の広がる午後のひととき、こうして「「美智子さまと星の王子さま」を読み、まもなく訪れる「聖夜」に想いを馳せ、太陽の新生を祝いたくなります。バックに美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディが流れています。

素敵な本に出逢いました。

『平成』という時代に美智子さまと共に歩んでこられたことに深い感謝の気持ちでいっぱいです。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

師走に入りこの時期の旅は”静かに旅”ができるのです。草木も枯れはじめ一面の枯野。箱根から小田原、東京で北陸新幹線に乗りJR長野駅へ。さらに長野鉄道に乗り換え35分で小布施に着いてしまいます。

駅から徒歩約10分で町の中心へ。まずは「栗の町小布施」ですから小布施堂本店で栗蒸し羊羹とお抹茶でひと休み。この小布施は人口1万2千人あまりのところに今や年間100万人以上の観光客が訪れるそうです。

そんなことで私は”栗の季節”を避ければ素敵かも・・・との思いで初めて小布施に行ってまいりました。小布施の町づくりは有名で、一度は訪ねたいとは思っておりました。「豊かな自然に包まれた小布施らしい暮らし」をイメージし長い年月をかけて作り上げた美しい町、小布施。

以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」でゲストにお招きした神山典土さんの書かれたノンフィクション『知られざる北斎』(幻冬舎)を一気に読みました。帯にはモネ・ゴッホはなぜ北斎に熱狂したのか?日本人だけが知らない真実。「ジャポニスム」の謎を解く。とあります。2019年は北斎の170回忌!

今回の旅の目的はその北斎を訪ねることです。

83歳から小布施に拠点を置き、亡くなる90歳まで描いた肉筆画や祭屋台絵など貴重な作品が「北斎館」に展示されていることを知りました。

「江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)についてはある程度の知識はありましたが、今回はじめて観る肉筆画や祭屋台の天井絵の「浪図」2点。浮世絵はヨーロッパに大量に流失してしまいますが、肉筆画は小布施で堪能できます。

70歳代で描いた「富嶽三十六景」や「富嶽百景」などはよく知られていますが、当時の80歳代といえば平均寿命の倍近く、なぜ80歳代になり江戸から250キロも離れた小布施まで行ったのでしょうか。

そこには良きパトロンでもあった豪農商、高井鴻山(こうざん)の存在が大きかったのでしょう。詳しくは「知られざる北斎」をぜひお読みください。

北斎館と高井鴻山記念館をつなぐ「栗の小径」は栗の角材が敷き詰められていて足に心地よいです。そして、どの家々も塀をつくらず小路を抜けられるようにできているし、自動販売機は見当たりません。賑やかな看板もないし、ほんとうに落ち着いた街です。でも・・・100万人の観光客。住民のご苦労は大変なことでしょう。

北斎も小布施の栗を楽しまれたのでしょうね。江戸時代は小布施栗は将軍家への献上品だったそうですから庶民には高根の花。砂糖や寒天以外、餡にも小豆など使われていないのが小布施流だそうです。80代の北斎も栗羊羹など食べて一心不乱に画業に励んでいたのでしょうか。

文人墨客をもてなし、北斎も逗留した高井鴻山邸跡は記念館になっていて当時の面影を感じ取ることができました。

そして、最後に今回どうしても見てみたかった俳人・小林一茶ゆかりの古寺で天井には北斎が肉筆で描いた21畳敷もある「大鳳凰図」のある岩松院へと向かいました。

穏やかな農村風景の中、山門をくぐると、ナントナント「法要のため」午後の見学はできません!と書かれてありました。「う~ん、またいらっしゃいと言うことね~」とあきらめ街に戻り、最後に向ったのが「栗の木テラス」。こちらでモンブランとダージリン紅茶をいただき小布施の旅を終えました。

100万人もの観光客が訪れるのに、素朴で小さな駅舎がなんだか心をポカポカとさせてくれます。夕日の落ちかける中、町の人たちの穏やかで優しさに包まれた初冬の小布施。車窓からは赤く染まる山々が見送ってくれます。

『北斎さ~ん、またお逢いしにまいりますね』と。旅っていいですね!健康でいたい・・・としみじみ思った一日でした。

『ピエール・ボナール展』 オルセー美術館特別企画

「色彩の魔術師」と呼ばれるフランスの画家ピエール・ボナール(1867~1947)展を観に東京・六本木の国立新美術館に行ってまいりました。

今回の展覧会は画業を振り返る「オルセー美術館特別企画」。オルセー美術館はパリ、セーヌの辺にあるかつての駅を美術館した見やすく、光も感じられ、パリに行くとかならず立ち寄る美術館です。

そう・・・最初に<猫と女性あるいは餌をねだる猫>を観たのもオルセーでした。なぜか、このモデルの女性に興味を覚え、ボナールという画家の人生を知りたくなりました。女性の名は『マルト』。本を読むと二人が知り合ったのは路上とされています。

1893年。マルトは常にボナールの傍らにいて刺激を与えていた・・・と言われ後年に結婚届を出す際に初めて本名や年齢を知ったとありますが、そんなことってあるのかしら?

しかも<浴盤にしゃがむ裸婦>などは入浴という営みをボナールは写真に収め、キャンバスへ。さらに<男と女>では男女の営みのあとを描き、そのベットに腰掛ける女は光の中に。右に立つ男の姿からボナールと思われるその男の表情から何か・・・不思議な距離感を感じます。不思議な絵画だわ~でもフランスらしい優美さがある。

今回の展覧会ではフランスらしい愛情、性愛、をとても都会的に描かれた作品の数々に出会え、また都会から自然へとボナールの人生の遍歴を写真と合わせて観られることも素晴らしいです。

パリを離れてからは頻繁に旅を続けてイギリス、イタリア、スペインへと、時にはルーセルを持っての旅など「色彩の魔術師」と呼ばれたのは自然のなかで注がれる光の効果などを得たのでしょうか。

ゴッホなどと同じように日本美術にも深い感心をもち”日本かぶれのナビ”とも呼ばれていたそうですが、やはり「浮世絵」や「琳派」からの影響で絵画、木版画、工芸品など日本美術への感心の深さが感じられます。やはり、かつて、オルセー美術館で観た<格子柄のブラウス>はまさに日本の格子の柄をモチーフにしています。

今回の展覧会ではこうした絵画130点が観られます。瞬間・瞬間を・・・それは自然と対峙しても、ボナールならではの切りとり方で描かれています。

そして、最後に出会えるのが<花咲くアーモンドの木>です。絶筆といわれています。のびのびと枝を伸ばし、青空の中、白い花を咲かせるアーモンド。死が目前にあり絵筆も持てなかったといわれます。

甥に頼み作品に手を入れ続け完成させたこの絶筆には、生命への再生、生きることの意味、(第二次世界大戦を経験している)戦争を感じさせる絵画はいっさいありません。それは展覧会130点を見終わったあとに”生命・いのちの尊さ”を教えられたような気がするのです。

日常のなかから、自然のなかから、入浴から、性愛から・・・親友や妻など愛する人々を次々と失った喪失感を乗り越えての絶筆はこの展覧会で最後に出逢える幸福(しあわせ)の一枚の絵画でした。

12月17日まで。
国立新美術館公式サイト
http://bonnard2018.exhn.jp/