ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

梅雨も明け猛暑日の午後、ラジオ収録後に上野の国立西洋美術館を訪れました。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が開催されています。本来ですと3月3日からの予定でしたが、延期となりようやく観られるようになりました。

あらかじめチケットはネットで購入していたので、これまでだったら話題の大型展だったら大行列するでしょうけれど入場者を制限し、30分単位での入場ですからとてもスムーズに入ることができ、会場も人の頭越に作品を見ることもなく、快適に鑑賞することができました。

今回は感染予防対策としてのシステムですが、これからもこのような新しい方法での鑑賞ができたらいいですね。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、”みんなに開かれた誰でもが来られる美術館”を目指し1824年5月10日に開館しました。

市井の人の寄付、コレクターの寄贈などでできあがりました。そして、ロンドンでは入場は無料です。(私もロンドン滞在中には何度も訪れました)

今回の作品はすべて日本初公開の作品ばかり。ギャラリーはまもなく設立200年を迎えますがこれまで一度も外国で展覧会を開いたことがないそうです。

そして、これらのコレクションが、王室などを由来としたヨーロッパの美術館と異なり英国民の手で英国民のために作られたとか。今回は61点の作品に出会えますし、まさに西洋美術史の教科書を学べるように、イタリア・ルネッサンスが花開いた15世紀からポスト印象派に至る19世紀末までの名品ばかりが集まっています。

私は展覧会の鑑賞の仕方として、全て観てクタクタになるのは苦手ですので、あらかじめ自分が見たい作品を6,7点決めておいて真っ直ぐその作品と対面します。

一番観たかったフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」。

そしてフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」。

ゴッホが共同生活を送る親友ゴーギャンの寝室を飾るために描いたこの作品。歓びの後の哀しい結末・・・この絵を見つめているとゴッホの喜びが伝わります。

モネ、ルノアール、レンブランド、ターナー・・・宗教画・神話画・風景画・肖像画・風俗画。バルトロメ・エステバン・ムリ-リョの「窓枠に身を乗り出した農民の少年」これも見たかった一枚です。タヒチ時代にはヨーロッパから球根を取り寄せ育てた花の絵は以外にもゴーガン。花も好きだったのですね。

というわけで、あっという間の2時間でした。上野から東京駅に。新幹線で真っ直ぐ小田原に出て山に戻ってきました。”巣ごもり”でも工夫してこのような時間はやはり必要ですよね。

展覧会公式サイト
https://artexhibition.jp/london2020/

夏が似合う女性(ひと)

梅雨も明けて、まもなく灼熱の太陽がジリジリと肌を焦がす季節をむかえると、森瑤子さんを思い出します。

彼女は私が知っている女性のなかで、誰よりも夏が似合う女性でした。1993年7月6日。52歳という若さで天に召されました。四谷の教会で静かに笑みをうかべた瑤子さんとのお別れ・・・夏でした。同じ季節、私は森の中であなたを想っています。

それは、お知り合いになってまだ間もない頃に、与論島の彼女の別荘にお邪魔したときの印象があまりに強烈だったせいかもしれません。

「浜さん、ヨロンに遊びに来ない?裸で泳がせてあげる」

仕事を通じての出会いだったこともあり、まだお友達と呼べるほどの親しい会話も交わしていない瑤子さんから突然そんなお誘いを受けて、私は心底びっくりし、長いあいだ憧れ続けていた上級生から声をかけられた女学生のように、半ば緊張しながら素直にうなずいていたのです。

白い珊瑚礁に囲まれて熱帯魚の形をした、あまりにもエキゾチックな匂いのする与論島。サトウキビ畑の真ん中にある空港に降り立つと、真っ白なつば広の帽子を小粋にかぶり、目のさめるような原色のサマードレスを着た瑤子さんが待っていてくれました。

「この島は川がないでしょう。だから海が汚れず、きれいなままなの。娘たちにこの海を見せてやりたくて・・・」私は瑤子さんの言葉を聞きながら、母親の思いというものは誰でもいつも同じなのだなと感じ、急に彼女がそれまでよりもとても身近な存在に思えたのでした。実際私の知る限り、森瑤子さんほど妻として母親としての役目を完璧にこなしていた女性に会ったことがありません。

長いあいだの専業主婦の時を経て、突然作家になられ、一躍有名人になられて、そして仕事がとても忙しかったことで、瑤子さんは絶えずご主人や娘さんたちに対して後ろめたさのようなものを抱え続けていらっしゃるようでした。

書かれている小説の内容や、お洒落で粋な外見の風貌とは裏腹に、娘たちにとっての良き母親であろうとする日本女性そのものの森瑤子さんがいつも居て、仕事も家庭も、どちらも絶対におろそかにすることのない女性でした。

そう、都会の男と女の愛と別れを乾いた視線で書き続けた森瑤子という作家は、個人に戻ればどこまでも子どもたちのことを思う、「母性のひと」であったのです。

私は四十代の中頃まで、そんな瑤子さんに対しても、自分自身の心の内の辛さや痛さなど他人(ひと)に打ち明けることのできない女でした。十代の頃から社会に出て働き続けてきたせいか、他人に甘えることのとても下手な人間だったのです。心にどんなに辛いことがあったとしても、涙を流すのはひとりになってから。肩肘をはって生きてきたような気がします。

そんな私が、「花織の記」というエッセー集を出版したとき、あとがきを瑤子さんにお願いしました。あの頃の私はさまざまな悩みを抱えていて、スランプ状態に陥っていたのです。

そんなある夜更け、突然瑤子さんからお電話がかかりました。「あとがきができたからいまから送るわね」という優しいお声の後に、FAXの原稿が流れてきたのです。

「私は浜美枝さんの母の顔を見たことがない。同様に妻の顔も見ていない、(中略)私の知っている美枝さんは、一人の素顔の女すらでもなく、仕事をしている時のハマミエその人だけだ。けれども仕事をとってハマミエを考えられるだろうか?今ある彼女を創ってきたのは、彼女の仕事であり、今日まで出逢ってきた何万人もの人々との出逢いである。そうして生きて来ながら、彼女はたえず自分自身に疑問を投げかけ、その自問に答えることによって、今日あるのだと思う。」

さらに瑤子さんは、妻であり、母親であり、仕事を持つ女性の苦悩をご自身の体験に重ねて書かれた後にこのようにしめくくってくださったのです。

「時に私は、講演会などで人前で喋ると、身も心も空になり、魂の抜けた人のように茫然自失してしまうことがある。あるいは一冊の長編を書き上げた直後の虚脱感の中に取り残されてしまうことがある。そんな時私が渇望するのは、ひたすら慰めに満ちた暖かい他人の腕。その腕でしっかりと抱きしめてもらえたらどんなに心の泡立ちがしずまるだろうかという思い。けれども、そのように慰めに満ちた腕などどこにも存在しないのだ。そこで私は自分自身の腕を前で交錯して自分自身で抱きしめて、その場に立ちすくんでしまうのだ。

おそらく、美枝さんも、しばしばそのように自分で自分を抱きしめてきたのではないかと、私は想像する。今度もし、そんな場面にいきあたったら、美枝さん、私があなたを抱きしめてあげる。もしそういう場面にいきあたったら———–」

ひとり温かな涙を流し続けたあの夜。

その瑤子さんがそのわずか二年後にこの世から消えてしまわれるなんて、どうして想像することができたでしょうか・・・・・?

そうね、時には弱音をはいたりすることが、恥ずかしいことではないと貴女が教えてくださいました。

心が落ち着かない日々が続いておりますが、こうして夕暮れ時に瑤子さんを想うとき、心があたたかくなります。いつまでも語り続けたくなります。

芦ノ湖の青春

早朝、雨の降らないかぎりウォーキングを楽しむ毎日です。杉の木立を抜け、芦ノ湖に向かいます。人とはほとんど出会わず、樹木の濃い匂いや風を感じ”幸せ”と、つぶやくことがおおいです。釣り人の背中越しに見る芦ノ湖。

時には正面に美しい霊峰富士を、時には霧に包まれた湖を、穏やかな湖面、荒波が立つ湖面、様々な光景が広がります。

湖の淵に腰掛け湖を見つめていたら青春時代の私に出逢いました。陽がようやく西に傾きはじめた時刻。目の前にひろがる芦ノ湖の湖面は先刻までより更にきらきらと、まるで宝石箱をひっくりかえしたように金色の輝きを放っています。

その眩しさにうっとりと見とれていると、美しい銀色の光の放射のなかを一艙のモーターボートが白い水しぶき上げて行き、その後ろを水すましが水面の上を跳ねるような水上スキーの男の姿が続きます。

考えてみれば、芦ノ湖の水上スキーが私を箱根に住まわせることになったその出発点だったかもしれないな、と水着の男性のダイナミックな滑りを見ながら、私の心はいつしか私自身の夏の青春の日々へと返ります。

待ちに待った十八歳、私は月々のお給料を長いあいだかけてためたお金で運転免許証を取り、そして念願の中古車を買いました。仕事に疲れて戻った部屋で、私は深夜になっても何故か気持ちが昂ぶって、なかなか眠りにつくことができません。

そんな夜は買ったばかりの車に乗って夜の第三京浜を横浜まで走ったり、都心の見知らぬ街を、ただあてなどなくドライブしたりして時を過ごすのが好きでした。また、たまたまいただいた休みの日には、湘南の海や箱根の山のなかまで足をのばして行くことも、楽しみのひとつでした。

車から降りてひとり散歩をしていた芦ノ湖湖畔、夕暮れどきの朱く染まった空と水の上、白い水着姿の女性が気持よさそうに水上スキーに興じている姿が目に止まりました。なんてすてきなの!・・・私もやってみたい・・・生まれてはじめて見る女性の水上スキーは力強く颯爽としていて、たちまち私を夢中にさせました。

中学の頃、バスケット・ボールをやっていた私は、社会に出てからスポーツをする機会がなくなってしまったことがとても不満でした。冬になったらスキーをやりたいと思っていたところ、日活の石原裕次郎さんがスキー場で骨折されるという事故が起きたのです。以来、会社から俳優と女優にスキーをやってはいけないという禁止令も出て、私の欲求不満は頂点に達していました。

「スキーは禁止でも水上スキーは駄目とは言われてないわ・・・」私は、芦ノ湖で白い水着の女性を見たその日のうちに、自分も水上スキーを始める決心をしていたのでした。

それからは休みになるとかならず箱根に出かけては、湖畔のボート屋さんでボート洗いのアルバイトをさせて貰いながら、夕方の三十分、一時間と夢中になって水上スキーを習いました。

そうして大好きな水上スキーがしたくて芦ノ湖に通い続けているうちに、お知り合いの人たちもたくさんできて、箱根という土地が私にとっていちばん心安らぐ場所となり、後年木の家を持とうと考えたとき何の違和感もなく「箱根に住もう」ということになったのです。その山の中で4人の子どもが育ちました。

湖の上に夜の帳がおちはじめるころワイン片手に静かに湖面を見ながら、私の青春時代に想いを馳せている私。

コロナ禍は自分自身と対峙する時間でもあるのですね。

苔庭の美しい美術館

日々落ち着かないなか、遠出の旅も控え、なるべく近くの”小さな旅”を楽しんでおります。3密をさけひとり旅です。幸せなことに箱根の山の中には何度もブログには書きましたが、美術館がいくつもあり、思いたったらすぐに行けることは、このような環境下ではありがたいと思っております。

最近、苔が静かなブームになっていて、お部屋でカジュアルに楽しむ方もふえているとか。わが家も箱根という場所がら苔にとっては育ちやすい(自生)環境なので、庭や石垣にも生えています。

苔寺で有名な京都・西芳寺は境内一面をおおう苔の美しさから「苔寺」として有名ですね。私はこの梅雨の時期に何度か訪ねました。

先日、朝から霧雨の日、苔庭の美しい「箱根美術館」に行ってまいりました。霧におおわれ苔もしっとりと深緑。目にとても優しいのです。

美術館は強羅の斜面を活用し海抜630mにある美術館です。箱根湯本駅から登山電車の終点、強羅駅から歩いて15分ほどですが、上り坂がけっこうキツイので登山ケーブルで一駅「公園上」下車。徒歩2分で「箱根美術館」です。ちょっとした”旅気分”を味わえます。

エントランスを入ると苔とモミジに彩られた「苔庭」が目に入ってきます。

一朝一夕にはこのような庭は難しいでしょうね。モミジが紅葉する頃は人でいっぱいです。

まずは、茶室・真和亭でお庭を眺めながら一服のお茶をいただきました。そして庭園を散策してから美術館へ。

(フラッシュ無しのみ撮影可)

日本、中国、韓国などの”中世のやきもの”を中心に、縄文時代から江戸時代までの瀬戸や備前の壷、古伊万里など等、充実しております。のんびり半日を過ごし強羅からバスで帰路につきました。

嬉しいお知らせがあります。2019年台風で線路滑落後、工事が終了し長期間運休していた箱根登山電車が箱根湯本駅~強羅間で7月23日に運行が再開されます。

箱根山の風景には登山電車はなくてはならない存在です。
スイッチバックを繰り返し登る姿は愛しさを感じます。

どうぞ、のんびり登山電車に乗り、”小さな旅”におでかけくださいませ。

美術館公式サイト
http://www.moaart.or.jp/hakone/

大きなスクリーンで観る映画

先週の金曜日に国内の移動自粛要請がすべてなくなりました。これで人の動きもいっそう活発になっていくでしょう。でも、多くの方はそれぞれの思いを胸に、ゆっくりと静かに歩みを進めているのではないでしょうか。

私もこのブログに毎回のように書かせていただきました。行動の制限がなくなり安心も得られるなら、思う存分美術展や映画館に行ってみたい。そこで少しずつ、動きだしました。やはり、映画が気になります。大好きな映画を観るために、そして社会観察のためにです。

10代の頃からお世話になった東宝は、今年4月のグループの入場料収入が「前年に比べて97%減になった」とのこと。こうした衝撃的なニュースに接すると、やはり胸が痛みます。

いま、映画はどうなっているの?
映画館はどう変わってしまったの?

先週、『お名前はアドルフ?』を観ました。ドイツ映画です。大学教授の夫と国語教師の妻。そして妻の弟とその恋人。

映画のシーンは、大学教授のダイニング・ルームが中心です。談論風発の食事会が進む中、弟の恋人が出産を控え、生まれてくる子どもの名前で話は盛り上がります。父親となる弟は「男の子なんだ。名前はアドルフにした!」と宣言します。突然の沈黙に襲われる食事会。

なぜ独裁者、アドルフ・ヒトラーの名前を付けるのか?

果てしない論争がスタートします。そして議論の行く先は名前だけに留まらず、個人的な昔話にまで拡散し、収拾がつかなくなります。更には、大学教授の妻の大演説まで始まるのです。

仕事をこなし、家事もきちんとやる妻。しかし、夫は家庭の事にはほとんど関心を示さない。この妻は日頃の夫の行状に不満を募らせていたのでしょう。積もり積もった恨みが堰を切ったように溢れ出ます。この映画の見どころの一つとも言えますね。

舞台の芝居を思わせるこの熱演に私はぐいぐい引き込まれ、ある種の心地良さすら覚えました。それもそのはず、この映画の原作は10年前にパリで初舞台となった戯曲、『名前』でした。

フランスでヒットしたドイツがテーマの舞台作品を、当事者が放っておくはずがありません。プロデューサーも監督も、そしてキャストも、皆ドイツ人でした。映画、舞台、テレビ界が文字通りの”ワンチーム”を結成したのですね。

90分間、私は揺さぶられ、思わず笑い、深くうなずき、そして翻弄され続けました。最後の大逆転に腰を抜かし、エンド・ロールが流れ出すまで、”波乱万丈”の時間を十分に堪能することができたのです。その中には新しい発見もありました。

私の昔の体験です。日本から農村女性たちとグリーンツーリズムの勉強でヨーロッパに15年ほど通いました。もちろんドイツにも毎回伺いました。ドイツ人といえば、実直で働き者という印象が強かったです。

そんな彼らのイメージは、ふれあいの旅を重ねる中で、ますます強くなっていきました。そして今回の『アドルフ』。新たにドイツ人のユーモアや笑いのセンスを見つけ出すことができました。先入観の見直しを迫られる快感に、思わず「ブラボー!」と叫びたくなりました。

館内は左右の席が空いており、ゆったりと座った皆さんはマスクを付け、静かに映画を楽しんでおられました。終了後、満足げに席を立ったのは20人弱。その横で次の上映に備え、パイプなどを手早く消毒するスタッフの方々の真剣な表情が、とても印象的でした。コロナ禍の映画は、こうして再出発するのですね。

私は大きなスクリーンに向かい、「ありがとうございました」と軽く会釈して会場を後にしました。

映画公式サイト
http://www.cetera.co.jp/adolf/

映画館再開

待ちに待った映画館が営業を再開し始めました。
私は3ヶ月ぶりに大きなスクリーンでの鑑賞。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のための休館でした。映画だけではなく、演劇、音楽、美術館、全てが休業していたのです。こんなに不安で味気ない時って初めての経験でした。

先日ブログに載せましたが、箱根の美術館へまず行ってまいりました。そして、東京のラジオ収録も再開されました。その帰りに映画館に飛び込みました。

感染予防のため、入り口には消毒液、マスク着用はもちろん、座席も3分の1の観客です。客席は前後左右を空けて間隔を確保し、清掃のためのスタッフの方々の仕事も通常より増加していることでしょう。

旧作や中規模作品が6月5日公開。大作や話題作はまだ公開が決っておりません。でも、とにかく映画ファンとしては、映画館を応援したい!そして一日も早く通常の映画興行に戻っていただきたいと願います。

さて、何を観たと思いますか?

あの名作『ひまわり』です。

これまでも何度か観ております。第二次世界大戦のさなか、ナポリの海岸で恋に落ち、結婚した二人。しかし男は、運命の悪戯によって過酷な雪の東部戦線へと送られてしまいます。

ひたすら夫の無事を信じて待ち続ける女ジョバンナを演じるのはソフィア・ローレン。夫アントニオ役はマルチエロ・マストロヤンニ。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。音楽はヘンリ・マンシーニ。

ソフィア・ローレンはデ・シーカ監督と組んだ「ふたりの女」(60)や「河の女」(54)など数々の名作に出演しています。96年没のマルチェロ・マストロヤンニは「甘い生活」(60)で世界的なスターになり二枚目、三枚目まで人生の悲喜劇を演じ分け私は大・大ファンです。デ・シーカ監督と組んだ「昨日・今日・明日」や「あ、結婚」も好きでした。

女は自ら冷戦下のソ連へと夫を探しに向かいます。写真片手に方々を探し歩き、ついに探しあてた先には・・・

地平線まで続く”ヒマワリ畑”。ヘンリ・マンシーニの哀愁漂う音楽が流れます。ほんとうに名曲ですね、涙がとまりません。

この映画は1970年公開から今年で50周年を迎えます。「ひまわり」は、オリジナルのネガが消失していてこのために今回は2015年にポジから変換されHDマスター版に修復を加え、明るさや色の調整、雑音も消去されているので、50年前の状況で観ることができました。

たった5日間の公開でしたが、コロナ禍で映画館は休業が続きましたが、やはり「オンライン化」では絶対に味わえないスクリーンの魅力を改めて感じ、感動し、幸せな気分に浸れました。

映画公式サイト
http://himawari-2020.com/

小田原城の花菖蒲

”巣ごもり”から3密をさけて少しづつ外に出始めました。

先日、小田原城に出かけてまいりました。”花菖蒲(ハナショウブ)”が見ごろを迎えたとのこと。

小田原は箱根に暮す私の玄関口です。旅に出かけるとき、ラジオの収録や映画を観たりと東京に出かけるとき。そして日々の買い物。地元の新鮮な魚、野菜、果物と何でもそろいます。

この”自粛”の間は週に1度の買い物に短時間出かけておりました。小田原はどこにいてもお城が見えます。”行っていらっしゃい!お帰りなさい!”と見送ってくれたり、出迎えてくれたり・・・と私にとっては心が落ち着くお城なのです。

ご存知のように小田原城は小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)。北条氏の本拠地としても有名です。

城跡は国の史跡に指定されていて天守の外観復元も終わり美しい姿を見せてくれます。城址公園内には梅、桜、つつじ、藤、そして5月下旬から6月下旬まで花菖蒲が美しく咲きます。同時に紫陽花も咲き始め7月上旬まで楽しめます。花いっぱいの城址公園です。

ハナショウブ、カキツバタ、アヤメを見分けるのは難しいですよね。ハナショウブは葉に白い筋がある。カキツバタは筋がなく葉が幅広い。アヤメは細長い葉。で見分けるようですね。

花菖蒲はアヤメ属に分類される多年草でいまや5,000種類以上の品種があるそうです。花の色も青、青紫、白、ピンク、黄色と咲き、陸から水辺の半乾燥~水湿地に生育し、すっとした草姿が古風でお城にはぴったりです。

花は早いもので3日間くらいで咲き終わってしまうとか。私が伺ったときも、地元のボランティアの方々が手入れをしておられました。見えないところでのご努力があるのですね。ご苦労さまです。

花ショウブの”花ことば”は「うれしい知らせ」「あなたを信じる」「心意気」「優しい心」だとか。どうぞ、花菖蒲と紫陽花をじっくり愛でてください。

睡蓮に囲まれて

箱根登山鉄道の強羅駅からバスで「こもれび坂」を過ぎると、ヒスイ色をしたガラスの外壁が見えてきます。およそ2ヶ月の臨時休業を経て再びオープンした「ポーラ美術館」です。6月1日、この日を心待ちにしておりました。

冬から春にかけての”自粛生活”では、たくさんの本に囲まれていました。その中でも、原田マハさんの「<あの絵>のまえで」には、強く心を揺さぶられました。

アート小説の名手によるこの本は、女性主人公が自ら求めて絵画を追い続ける姿を描く短編小説で、瞬く間に”原田ワールド”に引き込まれてしまいました。モネ、ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、東山魁夷、クリムト。6枚の絵画がそれぞれ別の美術館に展示されており、主人公が次々と訪ね歩くのです。

主人公は人生の悩みや苦しみを乗り越え、新たな希望を見いだそうと、絵画に向き合うのです。幸いにも私はこれまで、小説で描かれた6ヶ所の美術館に足を運んでおりますが、その中には「ポーラ美術館」も入っていました。

6月1日に始まった今回の絵画展は、「モネとマティス もう一つの楽園」と題されています。私は再開の知らせを聞いて以来、”また、モネに逢える!” その一心でした。初日に伺ったのも当然ですよね。

会場にはモネの言葉が記されていました。「ここを訪れる人に、安らぎの場を提供できるだろう」モネの自然観、自然のとらえ方が端的に表現されていました。

そして歩みを進めたのは、「睡蓮」のブロックでした。そこでいきなり目に飛び込んできたのが、「睡蓮」の6枚の連作だったのです。モネの最初期の作品から晩年の作品まで。水面に同じ位置で配列されている睡蓮の花はモネのこだわりでしょうか。

「会いたかった!」私が心の中でそう呟くと、「お待ちしていましたよ、首を長くして!」と、6枚の「睡蓮」が声をそろえて応えてくださったような気がしました。フアンの心理は、やはり面白いですね!?

「睡蓮の部屋」はこの時、たまたま他の参観者の方々がいらっしゃらず、”独り占め”状態の空間となりました。”ラッキー”でした。私は目を閉じ、水の匂いを嗅ぎ、微かな風の音まで存分に聞くことができたように感じました。

それでも会場には子供連れのファミリーや若いカップル、そしていかにも絵画好きの男性など、様々方々が来場されていました。皆さんが周りとの距離を保ち、静かに見入っていらしたのがとても印象的でした。それぞれが、今日を待ち望んでいたのでしょうね。

好きな絵画に会えなくなっていた日常から少しは解放されたものの、やはりまだ戸惑いを感じている一日でしたが、そんな心をモネが優しく抱きしめてくれたようです。

ステキなチャンスをいただけた原田さんの本を抱えながら美術館裏手の”森の遊歩道”を散策しながら絵の余韻に浸ってまいりました。ブナ、ヒメシャラが群生し、野鳥の囀りも聞こえてきました。私の好きな初夏の花”やまぼうし”の花を愛で、美術館を後にしました。

 

本に囲まれて!映画に魅せられて!

家で過ごしましょう!という呼びかけは、私たちの生活に確かな足跡を残したようです。「新しい生活様式」は自分自身で一つ一つ見つけだし、続けていくことが大事ですね。

わずかな期間でしたが、この冬からの暮らし方はあたかも着慣れた洋服のように、私たちの身と心に寄り添ってきた感じがいたします。日々の積み重ねは不思議なものですね。

先日、本棚の整理に再び挑みました。やはり、この時だからこそ可能な”大掃除”です。時間がありますものね。「こんな本が隠れていた!」「わ~懐かしい!」など、大騒ぎ?の様子は、このブログでも一度ご紹介しましたが、何度繰り返してもわくわくするのが、”本との再会”です。やはり、私は本が好き!そして、本に囲まれているのが大好き!なのだと感じています。

そんな時に思い出したのが、映画「ニューヨーク公共図書館」でした。100年以上前にオープンし、現在6000万の蔵書数を誇る図書館に密着したドキュメンタリー映画です。

今年90歳を迎えたフレデリック・ワイズマン監督は、本を読む人や借りる人ばかりではなく、この図書館を行き交う様々な人たちにカメラとマイクを向けます。

著名人が参加する討論会、そして就職フェアやダンス教室など、多彩な催し物が企画されています。中には、イギリスの人気歌手、エルビス・コステロのトークショーやパンクの女王、パティー・スミスの講演会なども開かれるのです。

そのほか、経済的な理由でネット社会に対応できない人への機器の貸し出しなどもやっており、活字の分野に限定しない、様々な文化活動の姿が描きだされています。

世界で最も”敷居の低い”図書館といわれる理由が次々とスクリーンに現れてくるのですが、この映画にはもう一つの特徴があります。それは、会話やナレーションの翻訳を除くと、著名なゲストスピーカーや有名歌手などの字幕紹介がないということです。

図書館の職員も含め、登場人物はすべてこの空間に参加する一個人だという監督の強い意志なのでしょう。

「公共図書館」は運営費の半分が一般市民からの寄付によって賄われているそうです。「公立」ではなく、「公共」の理由がそこにあります。3時間半の超大作には、途中10分間の「背伸びタイム」も設けられていました。心優しく重厚で、そして、あっという間の200分でした。

ところで、この映画には図書館の中で子どもたちが声を上げながら喜び楽しむ姿や、赤ん坊の泣き声までも収められています。物音一つ立てず、静かに本を読み続ける環境はこれも大切でしょうが、語り合い、表現できる自由な空間も同時に求められるのではないかと思ったのでした。

この映画は昨年の5月に公開され、地味ながらも大きな反響を呼びました。その感動を、やはりこのブログに書かせていただきました。そして1年後の今、これからは新しい生活の仕方、これまでとは違う考え方が登場してくるでしょう。

公平で自由で平等な知的空間!「ニューヨーク公共図書館」の試みは、意外に早く私たちの前にも姿を見せるかも知れませんね。

だから私、「もう一度観たい映画」にリストアップいたします。

映画公式サイト http://moviola.jp/nypl/

もう一度見たい物語

私、映画館には3ヶ月以上行っておりません。
普通ですと、少なくとも年に20本は観ますので、まさに”自粛”の日々ですね。

最近スクリーンを見つめたのは1月31日、渋谷でした。「男と女~人生最良の日々~」。クロード・ルルーシュ監督も主演のアヌーク・エーメさんも、とても素敵でした。半世紀以上前の大ヒット作の単なるリメークではありませんでした。時を経て、変わるものと変わらないもの。それらが穏やかに、時には淡いユーモアを交えて描かれていました。いい映画でした。以前、このブログで紹介させていただきましたね。

しかしそれ以降、わたしの映画館巡りは中断しているのです。
特にこの一ヶ月は”家篭もり”状態が続いています。

そんな中、映画を観たいという願いを何とか実現しようと、「私の、もう一度観たい映画」を思いつきました。これまで観た中で是非とも見直したい映画を、DVDで改めてじっくり鑑賞する。今のように時間があればこそ可能な、ある意味では贅沢な”企画”です。

まず取り寄せたのが、あの「カサブランカ」でした。ハンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンが登場する、誰もが知る名画です。パリとモロッコのカサブランカを舞台に繰り広げられるこのロマンスは「君の瞳に乾杯!」という不朽の名訳や「As time goes by」の心に染みわたる主題曲なども加わり、映画史に残るものとなりました。

(c)WARNER BROS

私が初めて観たのはおそらく30代の前半、もう40年以上も前のことだったと思います。場所は銀座の「名画座」でした。モノクロ画面に釘付けとなり、光と影の深みに吸い込まれていったことを、今も記憶しています。その後も何度か映画館に通い、文字通りの”リピーター”になっていきました。

何年か後になって私がモロッコへの短いひとり旅を経験したのも、どうしてもカサブランカの街をこの目で見てみたい!という一念からだったのです。そしてDVDによる、「自宅映画館」のトップバッターとなったわけです。

今回は歴史の年表を横に置きました。なぜなら、「カサブランカ」が制作・公開されたのは1942年(昭和17年)、私の生まれる前の年でした。その頃、欧州各地だけではなく、南太平洋では日米などが激戦を繰り広げていたのですね。

ラブストーリーの装いで、マイケル・カーティス監督は何を伝えたかったのでしょう。多国籍の人々のつながりを通じて、祖国への想いと人としての生き方を訴えたかったのかもしれません。「カサブランカ」がアカデミー賞の3部門を受賞したのは昭和19年春のことでした。そして、日本での公開は終戦の翌年、昭和21年だったそうです。

70年以上たっても色褪せない作品とはどのようなものか?一時停止が可能なDVDの画面を前に、心ときめく幾つものシーンを一つ一つ見つめ直しました。

自粛の期間は、まだしばらくは続きそうです。私の「もう一度観たい映画」のリストは、これから何本くらい増えるのでしょうか?外に出たい!と叫びたい反面、実は楽しみな気分も同居しているのです。