今、想うこと

夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる   正岡 子規

梅雨まっただ中、厚い雨雲が空を覆う日が多く、春分をさかいとして、夏至の頃は夜が短くなり、午前4時には空は白々としてきます。そんな早朝まだベッドの中にはいるのですが、なぜかぼーっとしている時が幸せに感じ、朝の太陽に出逢うまでのひととき、物思いにふけります。

「人生百年時代をどう生きるか」

新聞や、雑誌などで最近よく見かけるテーマです。

現在私は74歳、秋がくると75歳になります。一般的に高齢者といわれているのは65歳以上で、私も立派にその範疇に入っているのですが、「若いころ想像していた74歳の自分」と「今の自分」はかなり違っています。

もちろん年齢を感じないというわけではありません。しかし、自分の親世代と比べれば一目瞭然、周りを見渡しても、同じ年齢ならば今の高齢者は、はるかにアクティブで、心身ともに高い能力をキープしている人が多いですよね。

さらに、医療衛生方面の進歩発展などで、今の60代、70代は90歳、100歳まで生きる確率が親世代よりも圧倒的に高いです。

”まさに人生百年時代”が始まっています。

気持ちの感覚は、実際の年齢の7がけともいわれます。お洒落を楽しむ、趣味に興じる。孫の世話をする・介護を担うなど家庭の中で役割を果たす。あるいは一人の時間を慈しみ味わう。あるいは現役として働き続ける・・・そういう生き方を享受している同世代の方々がたくさんおられます。

本当にいい時代になったと思う一方、私は自分の実年齢を受け入れることが大事だとも思います。

平均寿命、健康寿命が延び、気持ちも若い高齢層が増えているのは事実であっても、私たちは年齢の分だけ生きてきた。そのことを忘れてはならないと思うからです。

これからを生き抜くために、体が若いころとは違ってきたことを認めようと思います。疲れやすくなった。疲れが取れにくい。筋力が衰えた。意欲はあっても体がついていかない。人の名前がなかなか覚えられない。名前を思い出すのに時間がかかる・・・。

それが今の自分、その自分を受け入れ、あらためて長く大切に丁寧に自分と付き合っていきたいと思います。

私が今、大切にしていることのひとつに「筋肉貯金」があります。

高齢で元気な人ほど、体を動かしているといわれます。動くためには筋肉が必要。私は、そのためにも筋肉を増やそうと、心がけています。

以前にもこのブログでお話しいたしましたが、自分の年齢も考えず、準備運動もなしに、早朝からの山歩き。無理を重ねてしまい脚を痛めてしまいました。

足の専門家から、70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうと教えられました。適正なプログラムを続ければ筋肉は再生できると教えられ、ストレッチと筋肉運動を毎朝30分行うのが日課となり、1時間ほどのウオーキングも再開しました。

『無理をしない。甘やかさない』ことをモットーに、これからも筋肉を貯金していきたいです。

「食べることも料理も大好き」

できるかぎり料理は自分でしたいです。食事で体は作られているのですもの。いくつになっても、バランスよく食べることは大事ですね。でも、料理する気力がわかない場合や、買い物になかなかいけないという場合には、自宅に食事を届けてくれる宅配サービスなど利用してもいいと思うんです。

今日食べるものが明日の体をつくる。高齢になっても体が弱らない食事習慣にしたいですね。

「高齢者になるほど、きょうようときょういくが必要」とよく言われます。

きょうようは、「今日の用」。
きょういくは「今日行く」。

「今日、いくところがある」「今日、用がある」外に出かけていき、そこで出会った人と言葉を交わしたり、何かに感心を持つことは大事だと私も実感します。

私はおかげさまで現役として、文化放送のラジオ番組「浜 美枝のいつかあなたと」のパーソナリティーを20年続けておりますし、地方に講演にお邪魔することもあります。プライベートでは、週に一度は映画や展覧会にも行きますし、落語家の柳家小三治師匠のおっかけも長年続けています。

そしてもうひとつ。こころをふるわせることは忘れないでくださいね。

人を好きになってどきどきする。明日が楽しみでわくわくする・・・。でもなかなか現実にはそういう機会はありません!けれど映画や美術館の作品がそうした疑似体験をさせてくれ、日常から少しだけ解放される。映画を観て恋したときのような気持ちになり、絵画を見て時代や国も超えて共感することは素晴らしいことです。嬉しいことにどちらもシニア割引があります。

一人旅もおすすめ。半日の旅でもいいですよね。日常を離れ、非日常を感じることが精神に刺激を与えてくれると思うんです。

そして、これは大事なこと!!ですが、高齢になると、怖い顔やどことなく不愉快そうな顔になりがち。肉の重力が落ちてしまうため、口はへの字になり、落ちてきた瞼が目を三角に見せてしまいます。

口角をあげ、微笑めば、優しい顔が戻ってきます。鏡を見て一日に一回でいいから、笑いましょう!

「笑いは百薬の長」「一笑一若」「笑う門には福来る」などと言われますものね。

年を重ねることは、新しい自分に出会うこと。
昨日の自分と違う、今日の自分を発見すること。
経験をさらに重ねていくこと。

そうした良い面もある一方で、今、この瞬間にも時間が過ぎていき、やれることに限りがあることにいやおうなく気づかされます。

お世話になった人や友人との別れも多くなっていきます。自分の命にも限りがあることを実感としてわかります。

そして、これからは、生きることに伴う根源的な孤独と向き合わざるをえないと気づかされます。

孤独を知り、受け入れることで、大きな幸せをもらったような気がします。人を恋しく、いとしく思い、様々なことに感謝するようになりたいです、私。

すっかり夜も明け、朝陽が眩しいです。”時の精”が動きだしました。
ぼんやりと感じたことを綴ってみました。

日本民藝館

幼時の自分は、今の自分のオリジンです。

5歳頃にはかまどで上手にご飯が炊けた私ですが、今でも記憶に残る不思議な思い出があります。

夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減をみていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。

母は仕立てあがった着物をお客さんの所へ届けにいって留守。

オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいと泣いたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみをよく覚えているのです。

中学生になり、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちに言われるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するように、柳宗悦の『民藝紀行』や『手仕事の日本』をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。

西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さん、バーナード・リーチさんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。

無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。

中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、感激してしまった私。むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、<たしかなものだったように思います。

「美しいなぁ」と感じる風景。幼いころ、父の徳利にススキを挿し、脇にお団子を飾り、月明かりでみた夜・・・。幼かったころにみたオレンジ色のカマドの炎。美しさのなかに人の哀しみを感じました。「直感」でしょうか。

柳宗悦さんは「工芸の道」で、次のようにおっしゃっています。

直感には「私の直感」と云ふような性質はない。見方に「私」が出ないからこそ、ものをぢかに観得るのである。直感は「私なき直感」である。

うぅ~ん。「私」を捨て「無心」になる。そのような直感が直感。ものの本質を見抜くにはそうした「無」になること。との教えがありますが、今の私にはまだまだ無理なようです。

「手仕事の日本」を携え、追うように旅を続けたこれまでの私。古民家に出会い、壊される運命に胸が締め付けられ、箱根での古民家再生。

沖縄への旅もこの本での「民芸」に出逢ってからでした。まだ本土復帰前のことでした。小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、立派な文化が栄え、工芸品も染物や織物など「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と「手仕事の日本」に書かれています。焼き物、茶盆、漆などの沖縄の工芸。日本全国の無名の用の美の品々。

これらの「民芸品」を見られるのが『日本民藝館』なのです。
美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠です。

時には西館が公開されることもあります。栃木県からの移築した石屋根の長屋門(1880年の建造で、現在は本館と同じく登録有形文化財)と、柳の設計による母屋が生活の拠点とした建物です。2階の書庫も覗いてください。興味深いですよ。

現在、6月24日までは『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』展が開催されています。柚木沙弥郎氏は1922年生まれです。柳宗悦の思想と芹沢桂介の作品に啓発されて染色家の道を志し、現在なお意欲的に制作、また後進の育成に力を注いでおられます。

作品を拝見すると、その色彩は現代社会を生きる私達の渇きを荒原に湧いた泉のように潤してくれるようです。

時代が変わり、生き方も変わっていく。そのめまぐるしく変わる環境の変化についていけなくなる時に、私の原点『民藝館』に行きたくなるのです。

二階の椅子にゆったりと腰をかけその空間に身を置くと幼かった私の姿に出逢えるのです。

9月11日~11月23日までは『白磁』展
2019年1月11日~3月24日までは『柳宗悦の「直感」美を見いだす力』展が開催されます
京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。
月曜休館です。

公式ホームページ
http://mingeikan.or.jp

映画 ファントム・スレッド(米)

なんとスリリングで魅惑的な映画なのでしょうか。

1950年代、ロンドン。
高級ファッションの世界で生きる男をめぐる物語。

米映画界で独創的な映画をおくり続けている監督。ポール・トーマス・アンダーソン。彼はなんと脚本・撮影までこなしてしまいますが、映画を観ればわかります。この映画の繊細で完璧な”美”を撮るのは”自分”・・・と思ったのでしょうね。

主演は1957年、英国ロンドン出身で3度のアカデミー賞主演男優賞を受賞した国際的なスター、ダニエル・デイ・ルイストと組みます。ほんとうか・・・どうか・・・彼はこの映画で引退する、と語っていますが、困ります。だって私はとても彼が好き!

この映画について、新聞の記事には『心の闇と優雅な狂気』と書かれていますが、愛を知らない男に総てを捧げた女が抱く、狂気の執着。

ふっと立ち寄ったレストランで出会ったウエトレスのアルマ。それまでのモデルに飽きていた彼はアルマ(ヴィッキー・クリーブス)に惹きつけられ心を移します。ロンドンのウッドコック・ハウスに住み込みモデルになります。

この役のヴィッキー・クリーヴスは1983年・ルクサンブルグ出身。注目をあつめる新人ですが、どこか土臭さ、強さ、そしてエレガントにも振舞える役にはぴったり。大スターに引けをとらない演技は素晴らしいです。

唯一心許せる主人公の姉を演じるのは1956年、英国出身のレスリー・マイル(シリル役)。

1950年代のイギリスは戦争の疲弊からようやく抜け出して、国内は豊かになっていった時代です。この時代のファッション、とりわけオートクチュールの世界はパリが中心でした。

クリスチャン・ディオールは代表されるデザイナー。同時代に活躍したイギリスの「ハウス・オブ・ウッド・コック」は経営は姉が。彼はデザイナーとして完璧を目指し、上質な生地と繊細なレースが華やかさと品格を醸し出します。上流階級の女性を虜にし続け、君臨してきた主人公に、訪れる「恋愛」。はたしてこれを「愛」とひと言では表現できませんが、この関係性が映画の魅力になっていますので、詳しくは書きませんね。ご興味がわいたらご覧ください。私のお薦めの映画です。

私が惹かれたのはハウス・オブ・ウッドコックの美術です。2017年の1月から4月にかけて、ロンドン、ヨークシャとコッツウォルズで撮影されたそうですが、レイノルズの住居兼仕事場である家は、18世紀の建築が並ぶタウンハウスが使われました。

高い天井、大きな窓、螺旋階段といったドラマティックな家は映画をいっそう観ている側をその時代へと誘ってくれます。部屋の壁紙は、自然光をより反射させるような、メタリックな光沢の帯びたものに張り替えられたそうです。

ジョニー・グリーンウッドの音楽もそれぞれのシーンにふさわしい曲で、シーンごとに生き生きとします。

主人公2人の関係の変化を見逃さないでください。後半30分には驚きました。監督は新聞のインタビューに語っておられます。

『アルマはウッド・コックに「弱って伏せってほしいけれど、強いあなたでもいてほしい」と矛盾した言葉を投げかける。「恋愛はお互いの気持ちの均衛がたもたれているのがベストだ。ただ、振り子のようにどちらかに触れる部分が、見るには面白い』と。

映画を通し、人間のもつ、脆さ、危うさ、そして温もり。銀座和光裏のシネスイッチで観て、しばらくは銀座の裏通りを歩きながら映画の余韻に浸りました。

映画公式ホームページ
http://www.phantomthread.jp

第13回・鎌倉路地フェスタ 4月21日から30日

毎年恒例のゴールデンウィーク前から開催される『路地フェスタ』が始まりました。

ご存知のように鎌倉の賑わいはそうとうなものです。海外からの観光客の方、日本人の観光客、週末などは、駅からの表通りと八幡さままでの”段葛”は大変な混雑です。

若いカップルの方、女性などが着物姿で歩いているのも素敵です。ですが、一歩路地に入ると、静けさ・・・とまではいきませんが、のんびり散策ができます。

先日、初夏を思わせる風に誘われて、私も鎌倉路地フェスタに行ってまいりました。

まず鎌倉駅に着いたら東口を出てすぐ左にある「みどりの窓口」内にある観光案内所で「マップ」をいただいてください。1から22までのショップが参加したフェスタで、スタンプラリーも実施されています。

まず1番は、正面の若宮大路を右に曲がり「ハーツイーズ」からはじまります。その前に私は市場で鎌倉野菜を見て、湘南の”わかめ”を買いました。掘りたての筍も美味しそう。「寄り道していたら回りきれないわよ~!」と自分に言い聞かせスタート。

最初のショップはいろいろなハーブがあり、私は「ハーブ入りソルト」を買い路地を歩きました。

小町大路から金沢街道の路を横にそれ、路地を歩くとイラスト工房や手づくり展やレストラン、カフェ、古布展や雑貨などなど・・・。

「ひとりで歩いても分からないわ」という方には「路地フェスタツワー」をおすすめします。鎌倉を知り尽くしたスタッフがご案内してくださるそうです。

次回は29日11時~16時まで(090-2738-6164)担当マスダさんまでお問い合わせくださいとのこと。詳しくは「路地フェスタ」で検索してください。

私の娘のショップ「フローラル」も参加しております。6番です。鶴岡八幡宮・源平池の横にあるイギリスなどのアンティークを扱っているショップです。小さな一軒家のショップ。

私自身このショップのファンなので、ついついお買い物。今回は小さな一輪挿しと、古い花のカードが額装された品を買ってしまいました(笑)

鎌倉ってちょっとした小さなショップが素敵ですよね。箱根の雄大さの中に暮していると古都に憧れ、時々訪ねたくなる場所です。

神社仏閣、四季折々の花、いつの季節も素敵です。フローラルでひと休み。そして、路地路地のショップを回り堪能した「鎌倉路地フェスタ」でした。少々疲れましたが・・・。

フローラルは28・29日は鎌倉山ハウスポタリー英国展に出展のためショップはお休みです。

ゴールデンウイークは遠出はしないわ!という方、一日鎌倉散策も素敵ですね。

こよひ逢ふ人 みなうつくしき 生誕140年 与謝野晶子展

みなさまはゴールデン・ウィークはどのように過ごされるのでしょうか。

私は暦通りなので、1日は東京にラジオ収録で出かける以外はこの箱根の山でのんびりと過ごす予定です。まとまったお休み、”さぁ~何をしましょう”・・・と考えていた時にふっと普段なかなか出来ないことをしようと思いました。

以前に買い求め、斜め読みしかできなかった与謝野晶子の「新訳源氏物語」を読み始めよう!と思い立ちました。

初版発行は平成13年。その頃の私といえば、何だかバタバタと全国飛び回り、「この世でもっとも読みやすい源氏物語」と帯には書かれておりますが、それが、なかなか・・・。そこで、ちょうどよい機会なのでこのゴールデン・ウィークをスタートにしようと思ったのです。

ちょうど現在、横浜の港の見える丘公園に隣接している県立神奈川近代文学館で特別展『生誕140年 与謝野晶子展』(5月13日まで)が開催されておりますので行ってまいりました。

”こよひ逢ふ人みなうつくしき”

与謝野晶子は、1878年(明治11)、堺の町中にある和菓子商・駿河屋の娘に生まれ、体の弱い母にかわって、駿河屋の中心的な働き手として、帳簿つけ、菓子の販売など、店番の合間に膨大な父の蔵書をひもといて、奈良時代から江戸時代にいたる古典作品の数々を読み耽っていたそうです。

有名な歌集『みだれ髪』は、晶子は髪が豊かで、いつも幾筋かの髪の毛を垂らしていたことから、師であり、後に夫になる与謝野鉄幹が歌の中で晶子を「乱れ髪の君」と詠み、愛称となったそうですね。

鉄幹、晶子の相思相愛は生涯変わることなく続くのですが、妻であり、五男六女の母であり、一家の家計を支える大黒柱であった晶子の日常の暮らしは、想像を超えたエネルギーと鉄幹への尊敬と思慕がなければ続かなかったことでしょう。

うすものの二尺のたもとすべりおちて 蛍ながるる夜風の青き (みだれ髪)

そと秘めし春のゆふべのちさき夢  はぐれさせつる十三絃よ (みだれ髪)

恋をしている女性は美しい、とも書かれています。会場の直筆の手紙や書、不遇の日々を過ごす鉄幹を再生させるため、晶子は鉄幹の念願だった渡欧を実現させようと資金集めに奔走し、自ら屏風歌を詠み、パリに向かった鉄幹を送り出し、でもその不在に耐えられなくなり、子どもを鉄幹の妹に託し、自身もパリへと旅立ちます。

そのパリ滞在中に描いた「リュクサンブール公園」はその才能の豊かさにも驚きました。

男女の別なく「完全な個人」を目指していた教育を実感できる資料も見ることができます。

そして旅に彩られた晶子の後半生の中でも神奈川県各地への旅行は数知れず。箱根には「明星」「冬柏」の同人たちと例年のように吟行に訪れ、温泉で心身を癒し、森林や溶谷、湖で豊かな自然に親しんで詠まれた多くの作品には「深い歌堺がある」といわれています。何だか嬉しくなります・・・私の住む箱根を旅していた与謝野晶子がそこに存在しているようで。

鉄幹と出逢って35年の歳月。
苦労も葛藤も多かったはずです。
会場で目にした『半分以上』で
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。

で、始まる詩を読み、涙がこぼれてきました。

与謝野晶子はすぐれた歌人であり、自らの考えを信じ、男性社会においてもたえず”新しさ”を求め、自分自身の生き方を貫かれ後世へと夢を託した人。何よりも『母性のひと』だと実感した展覧会でした。

晶子30代で訳した「新訳源氏物語」は渡欧を挟んで3年で。自身「無理な早業」と語っていますが、『新新訳源氏物語』(全六巻)は鉄幹の死を挟んで約6年の歳月をかけた訳。

完成して約半年ののち、晶子は脳溢血によって倒れ、2年後(昭和17年)63歳のいのちをおえました。私が生まれる前の年だったのですね。

まずは「ひかる源氏」編(角川書店)と「薫・浮舟」編から読みはじめましょうか。

神奈川近代文学館
東急東横線直通みなとみらい線、元町・中華街駅・6番出口徒歩10分

シニアは入場料300円。
休館日(月曜)4月30日は開館です。
お天気のよい日にお散歩がてら、海を眺め、帰りに中華街での食事なども素敵ですね。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

正直にいって映画を観終わったあと、しばらく席を立つことが出来ないほどの心地よい疲労感と、スピルバーグ監督からのメッセージを深く考えていました。

この作品の舞台となるワシントン・ポストのオフィスの再現は徹底的にこだわるスピルバークの世界。監督は語っています。

「今もワシントン・ポストに勤めている友人をセットに招待したんだ。おちこち見て回った彼の目には涙があふれていた。彼は『当時のオフィスそのものだ』と言ってくれた」と。

ヴィンテージのタイプライター、コード付きの電話器、記事のカーポンコピー、乱雑に置かれた灰皿、その匂いすら感じる編集現場。

監督・製作はスティヴン・スピルバーグ。
主演はメリル・ストリーブが演ずるキャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト社主・発行人)とトム・ハンクスが演ずるベン・ブラッドリー(ワシントン・ポスト編集主幹)。

半世紀近くも前の話です。米国の歴代政権が隠してきたベトナム戦争の実情を記す機密文書の報道を巡る政府と新聞の闘いが描かれています。スクープしたニューヨーク・タイムズが政府の力により差し止め命令を受けます。1971年6月、ワシントン・ポストが立ち上がります。

この映画には英雄は登場しません。内部告発者、メディアの経営者やジャーナリスト、彼らは皆、重要な登場人物。しかし、生身の人間。悩み、逡巡し、もだえる。

その時、彼らが立ち戻る原点は?

言論・報道の自由をとことん守り抜くと宣言した憲法修正1条。彼らの思想と行動を多くの市民は支持します。そして、裁判所も、政府の横槍を認めませんでした。

まだまだ若い米国には、もしかしたら強烈な”歴史意識”があるのかもしれません。『我々が日々、歴史をつくっている!』その感覚は政治家や官僚の専売特許ではない。多くの市民の無意識のうちに積み重ねている日常の所作かもしれません。

「最高機密文書」にはベトナム戦争での米軍の劣勢など報告されていたのです。それを知っていて、異なる発表を続けた歴代政権を、メディアや市民は許さなかったのです。多くの尊い命が奪われた戦争でした。

キャサリンを演じるメリル・ストリープの見事な演技は「クレーマー、クレーマー」(79)、「ソフィーの選択」(82)、「恋におちて」(84)、「マジソン郡の橋」(95)、「プラダを着た悪魔」(06)、「マンマ・ミーア」(08)、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(11)など、あげたらきりがないほどの多くの役を見事に演じてきた女優。

私生活では、夫でアーティストの間に一男三女のお母さん。キャサリン・グラハムも四人の子どもの母親で、家庭を守り平凡に暮らすのが一番の幸せ・・・と思ってきた典型的なあの時代の女性。父親の興した新聞社を夫が継ぎ、ところがその夫が鬱病で自殺してしまい、社主をつとめることになったキャサリンは、経験も浅く、男性優位の社会で礼儀正しさを保ちながらも筋を通すやり方を学んでいきます。

彼女は新聞社史上もっとも大きな決断を迫られた時に『いつも完璧じゃなくても最高の記事を目指す。それが仕事でしょ?』と言い放つのです。

正直にいって私はスピルバーグ監督は女性を描くのは苦手の人、と思ってこれまできました。今回の映画で見事に裏切られました。トム・ハンクスも中年になりますます素敵になっています。リズ・ハンナの脚本も女性の目が生かされていますし、ある意味では信頼のラブストーリーともいえます。

半世紀近くも前の話です。この記事は当時世界中を駆け巡り、私もはっきり記憶にあります。

しかし、「機密文書」自体の真贋が問われたとしたらいったいどうなるのでしょうか。極めて深刻かつ、今日的な問題です。

この映画は人事ではなく、アメリカ映画・・・では片付けられないメッセージをスピルバーグ監督から預けられているのです。

ラストシーンを見逃さないでください!

映画公式HP
http://pentagonpapers-movie.jp

「ルドン 秘密の花園」展

ラジオ番組の収録で月に2回は東京に出かけます。

午後1時過ぎには終了するので、その日は待ち通しい、映画・展覧会のひとときです。映画は銀座界隈、展覧会も、東京駅から近い三菱一号館美術館はちょっとした時間に立ち寄れるし、明治期のオフィスビルを復元した建物は落ち着きがあり、小さな展示室が連なっているから疲れませんし、作品との距離も近く、じっくり向き合えるのが嬉しいです。

桜満開から数日たっていたので、葉桜になっていて新緑の眩しい内庭。建物に刻まれた歴史を愉しみながら”さあ~ルドンに逢いにいきましょう”とワクワク気分です。

印象派の画家と同世代でありながら、幻想的な内面世界に目をむけたオディロン・ルドン(1840-1916)。その特異な画業は、今も世界中の人の心を魅了し続けています。

私が始めてルドンの絵を観たのはパリのオルセー美術館だったと記憶しております。衝撃をうけました。「この画家は何を見つめ、何を訴えようとしているのかしら・・・こちらの心の奥を覗かれているようだわ」と思ったのが最初の印象でした。

今回の展覧会は植物に焦点をあてた世界で初めての展覧会とのこと。オルセー美術館、ニューヨーク近代美術館MOMAをはじめとする世界各地の美術館からルドンの作品が集まりました。

ルドンはフランス・ボルドー生まれ。病弱だったため生まれてすぐ、親戚の家に引き取られ、自然豊かな田舎で11歳になるまで育てられました。

その体験は画業に大きな影響を与えます。両親の勧めで建築家を目指しますが受験に失敗。その後、画家を目指しますが遅咲きで、最初の版画集を出版したのは39歳のとき。

40代後半まで木版画や石版画(リトグラフ)など「黒」を基調とした作品を発表します。私はこの時代の作品はとても好きです。40歳で結婚したルドンは、長男を生後半年で亡くしますが、数年後に待望の次男を授かります。それまでの黒一色だった画面は一転し、50代になってから次第に色彩豊かな作品を発表します。

今回の展覧会ではドムシー男爵の城館の食堂を飾った装飾で、三菱一号館所蔵の大きなパステル画『グラン・ブーケ(大きな花束)』、同食堂の15点の壁画など90点あまり。

中でも「目をとじて」(リトグラフ)は、黒から色彩への転換期以降、ルドンの新たな主題でもあります。この作品をどのように解釈するか・・・は観る側に委ねられているように思います。

それが『秘密の花園』なのですね。岐阜県美術館蔵の「目をとじて」(油彩)も素晴らしいです。人間の内面や精神性を描いているルドンの作品を観ていると理性や理論では表現できない・・・心の自由を感じます。

丸の内のオフィス街にひっそり隠れ、四季折々の花が咲く秘密の花園のようなガーデンでワインを一杯!・・・と書きましたが、季節が素晴らしいので外国の方々も、バギーに赤ちゃんを乗せたママなど、大勢の方で賑わっていました。

会期は5月20日まで。
http://mimt.jp/redon/

映画『しあわせの絵の具~愛を描く人 モード・ルイス』

「絵の具があるから。窓があるから。そこを鳥は通り過ぎ、枠いっぱいに、命があふれるから」。

「この手に筆、目の前に窓さえあれば、私は満足です」。

モード・ルイス自身のことば。
世界的には賞がらみの多いこの頃の映画界ですが、この真珠のような輝き、そして芯のある一作にくぎづけになりました。

カナダの東部の小さな村に、鍛冶職人の父、絵と音楽を愛する母にとって待望の女の子の誕生でした。しかし、子どもの時にリウマチにかかり、身体が不自由でした。父の死。そして最大の理解者だった母の死。叔母に預けられ厄介者扱い、失意の日々を過ごしていたある日、家政婦募集の新聞広告がモードの人生を大きく変えることになるのです。

雇い主は無骨で多くを語らない、孤児院で育ち字も書けない魚の行商で生計を立てている男・エベレット。俺が主人、犬が次。家政婦はビリ。そんなふたりがいつしかお互いを理解し結婚し、やがて彼女が小さな家の壁や外壁、窓に描く絵がニューヨークから避暑にきていた女性の目にとまります。

主演のサリー・ホーキンスとイーサン・ホークは町外れの家に住む天性の画家とその夫を見事に演じています。実力派女優のサリー・ホーキンスはもともと絵の素養があり、それでも役を演じるために画学校に通ったそうです。

モード・ルイス(1903~70)が描く絵、素朴派芸術(ナイーヴ・アート)とは、美術史、テクニック、観点においては正式な教育や訓練を受けていない人物が創作した芸術をさします。

簡素さと率直さ、心に響いた絵を描く彼女。無欲な彼女の絵はやがてカナダを代表する画家になるのです。5ドルから始まった絵は現在は美術館に入り途方もない値段になっているとか。

なによりも不器用な二人。このふたりの時間が育てた夫婦の愛は67歳で生涯を終えるまで、長年連れ添ったふたりだけに通じる強い精神と、寄り添い、貧しくとも豊かな、そして温もりのある家。家そのものが作品となっています。”ペインテッドハウス”は作品郡と共にノバスコシア美術館で見ることができるそうです。

人間、孤独な男と女は寄り添うことで愛はうまれるのですね。

実話をもとにアイルランドの監督アシュリング・ウオルシュとカナダの脚本家シェリー・ホワイト、女ふたりの協同作業がこのような素晴らしい映画を作り上げたのですね。

映画も多くは語りません。過去や心理描写には深入りせず、観る側に委ねてくれる心地よさ。

何も望まず、そっと今のままで・・・それでじゅうぶん。モード・ルイスが教えてくれる、人生で大切な喜びを・・・。

久しぶりに心が暖かくなりました。

私は東銀座の東劇で観ましたが、渋谷の文化村その他で上映中です。中高年の方々でいっぱいでした。

映画公式ホームページ
http://shiawase-enogu.jp

100歳まで動ける体になる「筋リハ」

「いつもお元気で何よりですね」。

そんな嬉しい言葉をかけていただくことが多いのですが、私も70代半ば。近頃は体調管理の必要性を切実に感じるようになりました。

年齢を経て気をつけなくてはならないのは転倒だとよくいわれます。実は私はその経験者。60代半ばの雨の日、ハイヒールをはいていた私は、濡れた大理石の床でバランスを崩し、背中を打ち、圧迫骨折してしまいました。

以来、足腰を鍛え直したいと、箱根の山を歩くことにしました。天気のよい日は富士山や芦ノ湖を見ながら、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、2時間ちかくも険しい山道をあるいていました。ところが、昨年アクシデントに見舞われました。突然、足があがらなくなり、歩くのが辛い、痛い。

すぐに整形外科の先生に調べていただいても、骨にも筋にもレントゲンでは異常なし。骨密度も問題なし。しかしかなりショックでした。『大変!このまま歩けなくなるのかしら』と、ちょっとしたパニックになり、体や足に関する本を読み漁り、マッサージも続け、歩きの専門家をも訪ね、ようやく理由がわかりました。

良かれと思って、山道を歩き回っていたことこそが原因だとわかりました。トレーナーに教えていただいたトレーニングとストレッチを朝の日課にしました。そんな時に出会った本が、筑波大学大学院教授の久野譜也さんの 『100歳まで動ける体になる「筋リハ」』です。

「落ちてきた体のさまざまな機能を”元気だったあの頃の状態”にまで戻すことができるのです。筋肉は、わたしたちの体の中で活力エネルギーを生み出している工場のような存在なのです」と書かれておりました。

70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうとか。でもその筋肉は無理なく再生が可能なのだそうで、運動が苦手な人でも日常生活の中でできる科学的なプログラムが書かれておりますし、「筋肉運動」と「ウオーキングなどの有酸素運動」の両方を行うことによってこそ、若さや健康を取り戻せます。と。

中高年の筋力運動、サルコペニア肥満、健康政策などを研究なさって著書も多数。

私は納得し、さっそく始めました。これは、ラジオお聴きのリスナーの方にもぜひ聴いていただきたいと思いゲストにお招きし、お話を伺うことにいたしました。収録は来週20日なので、次回のブログに詳しくご報告いたしますね。

きつくない、つらくない。がいいですね!

いくつになっても『動ける体』・・・を目指したいものです。体は限りある資源。決して無理をせず、かといって甘やかさず、自分の体にちゃんと向き合っていかなければと今、改めて思います。

ジャンヌ・モローさん


2月17日から3月2日まで有楽町の角川シネマで『華麗なるフランス映画』が4K映像で初上映されました。

ドロン、ドヌーヴ、モロー、ベルモント!毎日4回。
太陽はひとりぼっち・昼顔・ダンケルク・哀しみのトスカーナ・エヴァの匂い・突然炎のごとく・・・など、毎日違う組み合わせで上映されるので観たい時間を選べばよいのですが、私はなんと言っても『ジャンヌ・モロー』の大ファンなので、「エヴァの匂い」と「突然炎のごとく」を続けて観たく早朝のバスで下山し、1回目と2回目を観ました。

ジャンヌ・モローさんは2017年7月31日、老衰により89歳で亡くなられました。1957年の「死刑台のエレベーター」「危険な関係」「雨のしのび逢い」、そして1962年の「突然炎のごとく」「エヴァの匂い」。

最後の作品は2012年の「クロワッサンで朝食を」。この映画については以前ブログにも掲載いたしましたが、モローらしい・・・いえ、彼女そのもののような毅然とした孤独なブルジュワマダムを見事に演じていました。

衣装のシャネルスーツは彼女自身の自前だったそうです。ですから、よりリアルに、役を演じている・・というより彼女の日常を垣間見ているようでした。女優、脚本家、映画監督、歌手、さまざまな分野で活躍されましたが、私はやはり『女優ジャンヌ・モロー』が一番好きです。

今回の「突然炎のごとく」は、男二人と女一人の三角関係。モローの小悪魔的魅力を監督のフランソワ・トリュフォーが見事に演出しているのですね。

モノクロ、この時代の映画をカラーではなく今モノクロで観ると、こちらの想像力を駆り立てむしろ鮮明な色・空気・匂いまでもを刺激され楽しませてくれます。

自由気ままな彼女に翻弄されつつ・・・三人の長きにわたる恋愛模様は、やはりフランス映画だからのシチュエーションでしょうか。彼女の可愛らしさ、女としての匂い、たしかな演技力、トリュフォー監督屈指の傑作です。

私が最初に映画館で観たのはもう半世紀以上前。まだまだ子どもで、でも生意気盛り、「やっぱりトリュフォー、モローだわ!」などとつぶやいていましたが、なにも分かってはおりませんでした。あたり前ですよね。ラストシーンがあまりにも有名で、ショッキングだったので鮮明に覚えてはおりますが。

モローは1928年・パリ生まれ。父はフランス人のレストラン経営者。母はイギリス人のキャバレー・ダンサーで母の影響を受けて育ち、パリのフランス国立高等演劇学校で演技を学び、1947年に舞台デビュー。劇団コメディー・フランセーズで頭角を現します。

以前、彼女のインタビュー記事を読んだとき「私の生まれたモンマルトルは歓楽街に近く、そこに住むダンサーや情婦たちの世話になり、お金のない私にごはんをおごってくれたり、いろいろ世話してくれたの。そんな彼女たちの恩は一生忘れられないわ」と語っていました。独特のかすれた声、ざっくばらんな話し方。

「反骨の人」「自由人」・・・ジャンヌ・モロー死去。
一人暮らしの自宅で亡くなっているのを翌朝、家政婦が発見したそうです。いつも、毅然としていたモローは人生の終焉をひとりで迎え、それは覚悟して”ひとりで暮す”ことを選択した彼女の人生。

寂しささえも、自分の一部になっていたのでしょうね。
孤独だからこそ、自由でいられたのでしょうね。
そして、孤独はけっして怖いものではない。・・・とモローに教わりました。

下町、モンマルトルのビストロの”オニオングラタンスープ”が忘れられなくて、白ワインとスープをいただき、暗い夜空に輝く星を眺めながら帰路につきました。