「明日への祈り展」ラリックと戦禍の時代

ルネ・ラリック(1860-1945)が生きた20世紀は、世界が大きく揺れ動いた時代でした。1914年に世界大戦が、1939年には第二次世界大戦が勃発し、多くの命が奪われました。

大戦中は作品を制作することは叶いませんでした。そのような戦禍の中でラリックは国会からの要望で、兵士や戦争孤児、そして当時流行していた感染症・結核を患った人びとの生活向上のため、チャリティーイベント用のブローチやメダルを制作し、売り上げが困窮者へ寄付されたそうです。

『芸術で人びとの心を豊かにしたい』というラリックの願いが込められています。今回の展覧会は「箱根ラリック美術館」 で3月19日~11月27日まで開催されています。

フランスの苦難の歴史と戦争で傷ついた人びとのため、ラリックが制作した作品の数々が展示されています。

テーマは ”祈り”です。

コロナウイルスの収束がみえないなか、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始してから2か月がたちます。21世紀を生きる私たちも、何かに祈り、明日への希望を見出し、傷ついた人びとの心にそっと寄り添ったラリックの作品を見ながら ”祈り”を捧げたいと思います。

私は、ルネ・ラリックの作品がとても好きです。なかでもグラスはどれも造形的に美しく、思わず手にとってしまいたくなります。

ルネ・ラリックは当初、アール・ヌーヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博していました。豪華なダイヤモンドやルビーではなく、エナメル(七宝)細工や金といった身近な素材を使い、花や昆虫など身近なモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリーをつぎつぎに発表しました。

彼の作品は、それまでの宝飾界の常識を打ち破る斬新さに満ちていました。パリジェンヌたちは熱狂し、世界中の美術館や蒐集家は、彼の作品を争って買い求めたといわれます。あの、名大統領といわれるジスカールデスタン元大統領は、いつもラリックのアネモネシリーズをギフトに選んでいたというのも、よく知られたエピソードです。

ルネ・ラリックの”祈り”が世界中の人びとに届きますように。

箱根ラリック美術館公式サイト
https://www.lalique-museum.com/museum/event/index.html

映画「ひまわり」

どこまでも続く大平原は、息をのむような黄色に染められています。何かを見つけようと、その中を懸命に歩き回る女性の姿。目と心に染入る印象的なシーンを、これまで何回見たことでしょう。  

「ひまわり」。

イタリアの俳優、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した名画に改めて対面しました。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。ヨーロッパ、特にフランスのヌーベルヴァーグに極めて大きな影響を与えたイタリアの巨匠です。

私が「ひまわり」を初めて見たのが1970年でしたので、50年以上も前のことになります。今回はおそらく5回目か6回目になるはずですが、いわゆる”再放送”を見たという印象は全くありませんでした。

この作品の訴えるものが、ますます重みと厚みを増してきたと感じたからです。

時代は第2次世界大戦の末期から戦後にかけてのことです。主人公のイタリアの青年は、ソ連と戦うために極寒の前線に送られます。青年は激しい戦闘の末に行方不明となりますが、妻は夫の無事を信じ続けます。

女性の生き方を中心に、男女の愛と逡巡と決断を描いた作品ですが、今回の上映で特に目立ったことは、観客のほとんどが70代前後の方々で占められていたことです。

主人公のカップルを見つめながら、かつてを振り返り、ウクライナでの戦火の拡大に心を痛めていたことでしょう。見事に咲き誇る”ひまわり”のシーンは、ウクライナの南部へルソン州で撮影されたものです。この2か月以上にわたるロシアの侵攻で”ひまわり”たちはどれほど傷付けられたことでしょう。

ひまわりの咲き乱れる現場には、かつての大戦で命を落としたロシアやイタリアの兵隊、そして多くの市民の亡骸が実際に埋められているとのことです。

先日のテレビ・ニュースで、ロシア兵に食ってかかるウクライナの女性の声を聞きました。  

「ひまわりの種を持って国に帰れ!あんたが死んだら、花が咲くだろう!」
”ひまわり”は地元の誇りであり、国籍を超えた、魂の絆なのかもしれません。  

この作品の上映にあたっては、関係者の”目に見える努力”が大きかったといいます。半世紀以上も前の映画であるため、世界各国でもネガそのものがなくなっており、音声のノイズも相当目立ったようです。そのために、最新の技術を駆使した修復作業が求められました。  

全編に流れるテーマ音楽はヘンリー・マンシーニが作曲しました。スクリーンをじっと見つめながら心の中で口ずさんでいた方も、きっと多かったに違いありません。

この映画の冒頭とエンディングは”ひまわり”のクローズ・アップでした。愛と平和を求める名作は鎮魂の心も加え、また不死鳥のように蘇りました。

「入場料の一部をウクライナに寄付する」。
映画”ひまわり”は社会現象という新しい翼をつけて、大空へ飛び立ったのです。

横浜シネマリン公式サイト
https://cinemarine.co.jp/himawari/

映画「親愛なる同士たちへ」

ウクライナの惨事が解決の糸口を見出せないまま、今年の春が過ぎようとしています。

そんな時、一本のロシア映画が目に止まりました。
「親愛なる同士たちへ」。
アンドレイ・コンチャロフスキー監督の作品です。

監督は間もなく85歳を迎えますが、20代の後半に黒澤明監督の影響をうけ、初の長編映画を作りました。その後も、黒澤監督の脚本をもとに作品を制作するなど、現在は巨匠の名で呼ばれています。  

今回の映画は今から60年前に発生した工場のストライキ、そして弾圧の実態などを生々しく再現したモノクロ作品です。カラーではなく、敢えて白黒の画面にしたことに、監督の意思が現れているようです。

当時はまだ共産党の一党独裁、つまり旧ソ連の時代でした。そして、食料・日用品の不足、更に賃金カットなどが続き、工場労働者がストライキを起こしたのです。

旧体制下での労働者の反乱は極めて珍しいことで、国の対応も厳しいものでした。軍隊、警察、諜報機関などが総動員で弾圧を加え、多数の死者や逮捕者が出ました。  

この映画の女性主人公は、共産党の地方幹部です。娘と自分の父親と3人で暮している、いわば地元の実力者でした。しかし、労働者のデモの混乱に巻き込まれ、その中で娘は行方不明になってしまうのです。

母親は、まさかと思いつつ、死者が取り敢えず埋葬された墓地にまで足を運ぶのでした。   国家や党を信じて自らの道を歩んできた主人公は、娘の行方を探し求めながら、様々な疑念に駆られ始めます。

果たして、これまでの生き方を続けていいのか?

娘の身を気遣う母親の愛情との板挟みで、苦悩は深まります。

体制が一旦暴走を始めたら、市民はどうなるのか?
そして、どうすればいいのか?
結局、何を信じるのか?  

監督の視線は女性主人公に注がれて、共に歩み続けます。主人公・リューダ役に、監督は自分の妻・ユリア・ビソツカヤを起用しました。手を携えて、全力でこの作品に挑んだのですね。  

映画に出てくるストライキの現場は、ロシア南西部の町・ノポチェルカッスクで、ウクライナの東隣に位置しています。撮影が行われたのは、2019年の夏でした。  

この作品をロシアの人々は見ることができたのでしょうか。そして、どんな受け止め方をしたのでしょうか。

「親愛なる同士たちへ」のスクリーンや資料には、ロシア文化省とロシア1チャンネルの表示が記されていました。しかし、ロシアが抱え続ける負の遺産と、未来への希望という監督夫妻の複雑で微妙な心境は、この作品に十分注ぎ込まれていたと思うのです。

映画公式サイト
https://shinai-doshi.com/

湿生花園の”ミズバショウ”

春の晴れた日。暖かな一日、仙石原の湿生花園に”ミズバショウ”が見ごろを迎えたと聞き行ってまいりました。

山々はコメ桜が満開。モクレンも咲き、足もとには可憐なスミレ。寒暖の差が激しい初春が過ぎ、日差しが徐々に増してくると、吹き渡る風さえもきらきらと光り輝いているように感じられます。

箱根に暮らしはじめて45年の歳月が流れました。子供たちも巣立っていき、60代に入ると、身の丈に合う暮らしを意識しはじめました。50代のスピードでは走りつづけられない…と実感し、70代になると身体の声に耳を傾け、今日一日を丁寧に暮したい、と思うようになりました。

今秋は79歳。そして80代へ。体力の限界を受け入れながら、まだまだ学びたいことがいっぱいあります。早朝の山歩きをして、無理はしない…そして”美しいもの”に出逢いたいとの思いがいっそう深くなってきた気がいたします。時間に追われていた時には気がつかなかったことが沢山あります。

園内の木道を歩き木々に囲まれ、山の空気を胸いっぱいすい、風を感じ、ミズバショウの群生を見て、カタクリの花も美しく咲いています。昨年の夏は「ヒマラヤの青いケシ」が見られるということで、やはりこの湿生花園にまいりました。

なかなか自由に旅がまだできませんよね。どうぞ写真で箱根の春を感じてください。そして、昨年の夏の花もご覧ください。

https://hamamie.jp/2021/06/18/shisseikaen/

老桜樹の花  

ふるさとは水底となり移り来し この老桜咲けとこしえに    
高崎達之助

お花見の季節になると、行ってみたいなと思いださせてくれる桜の木が日本全国にいくつかありますが、水上勉さんの「櫻守」という小説にも登場する、御母衣(みほろ)の荘川桜もそのひとつです。

岐阜と富山の県境にある御母衣ダム。いまから半世紀以上前に、庄川上流の山あいの静かな美しい村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖の湖底に沈むことになったのでした。

三百五十戸にも及ぶ人びとの家や、小・中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命にあるなかで、樹齢四百年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせ続けることを許されたのでした。

私がはじめて御母衣ダムに庄川桜を見に行ったのは、いまから45年ほど前、移植されてからすでに何年か経った春のことでした。湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。ああ、これがあの桜……樹齢400年の老樹とは思えないほど花が初々しかったのが、とても印象的でした。

毎年、四月二十五日頃から五月十日頃までが見ごろです。桜の荘厳に咲き誇る姿は、その木の秘められた歴史を知るものには格別感動的です。

ずいぶん前、その桜の木の下でお年寄り数人がゴザを敷きお花見をしていました。樹の幹を撫ぜながら『あんた、今年もよく咲いてくれたね~』と、つぶやく姿に涙がこぼれました。  

満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがあるのです。桜は、散って咲き、春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのかもしれませんね。だから私たちは桜に特別な想いがあるのかもしれません。

もう、何年も伺っておりません。早く自由に旅がしたいです。先週の金曜日の箱根の山は深夜から雨が降り、早朝は霙まじりの雨に雪が降り始め、あっという間に庭の木々は真っ白。白銀の世界になりました。

山暮らしの幸せはこうして季節の移ろいを感じることができるからです。

”桜の花も震えているは、きっと”と思いバスで友人ご夫妻の待つ小田原に。雪の山が信じられないほど春うらら。小田原城の桜や相模湾を見下ろすカフェでは菜の花が満開でした。

”麗か”海も野山もすべてのものが春光に包まれ、ようやく訪れた春を満喫した一日でした。

ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展

桜満開の上野の東京都美術館に”フェルメール”を観に行ってまいりました。会場はレンブラントら同時代のオランダ絵画とともに展示されています。

今回の目的は『窓辺で手紙を読む女』(1657~59年頃)

修復により、画面奥の壁から”キューピッド”が現れたのです。

それまでも存在自体はX線調査で明らかになってはいたのですが、フェルメール自身が上塗りをしたとされていましたが、2017年に同館が作品の汚れを落とすクリーニング作業を進めていくと上塗りした部分とは異なっていることが分かり「誰が、何んの目的で姿を消したのか?」謎です。

今回の展覧会で「修復前」(複製)と「修復後」が見られます。でも、不思議ですよね!フェルメール以外の人が上塗りして”キューピッドを隠してしまう……いつか、真実がわかる時がくるのでしょうか。

これまでも「窓辺で手紙を読む女」は観たことはあるのですが、窓ガラスにうっすらと女性が映り静謐なイメージでしたが、”キューピッド”が現れたら作品がガラッと変わります。

カーテンを押さえているように見える”キューピット”の存在はフェルメールが何を意図して描いたのか、想像するだけでワクワクしました。  

17世紀のオランダを代表する画家、ヨハネス・フェルメール(1632~75)。

フェルメールの魅力は人々の暮す日常が多く描かれていることです。画商で宿屋を営む両親のもとに生まれ、デルフトの町中で育ち、20歳で結婚し11人の子供をもち、30代で主だった作品を描き、43歳で亡くなっています。

デルフトの小さな街で人の営みを見続け、市井の人々を描いたのは当然だったのかもしれません。300年たっても街はさほど変わっておらず、昔ながらの慎ましい人々の暮らし。

『行ってみたい!』と思い2016年の7月、小さなホテルに1週間滞在しフェルメールの描いた路地や、きっと何度も横切ったであろう広場に立ち、カフェで昔ながらのエルデン(豆)スープにフェルメールの絵の中に描かれているパンを食し、300年の歴史がいっきに縮まりました。

 そのときのブログがありますので、旅の出来ない現在、その時の写真を見ながら『デルフトの街』へ皆さまをご案内いたしますね。

展覧会公式サイト
https://www.dresden-vermeer.jp/

上野リチ 「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」

”上野リチ” 
この名前を知ったのはおよそ半世紀以上前のことです。

女優になってしばらくしてから、日比谷にある日生劇場のレストラン「アクトレス」でのことでした。東宝の方に連れていっていただき、席に着き見上げると壁画やアール状になった天井にまで描かれている、草花、自由に羽ばたいている鳥たち、果物などが並ぶその美しさに息をのみました。

どなたが描いたのかしら……伺うと「上野リチと教え子の学生達」の作品と知りました。設計者は建築家の村野藤吾。ファンタジーで、ラブリーで心が暖かくなるようなデザインに包まれての食事でした。

それから「上野リチ」のことを少しづつ知りました。19世紀末ウィーン生まれの上野リチ・リックス(1893~1967)は「アクトレス」壁面装飾完成から4年後の1967年、京都の自宅で74歳の生涯を閉じました。

戦後の彼女の集大成ともいえる壁画。残念ながらレストランはなくなり解体され、でも美術館で大切に保管されているそうです。(その一部を会場で見ることができます。)

戦前から戦後にかけて、ウィーンと京都の都市で活躍したデザイナー。ラブリーで自由で絵画的で、ホップでかわいいデザインの数々が今、丸の内の三菱一号館美術館で開催されています。

今回は娘と待ち合わせ一緒に出かけました。三菱一号館といえば待ち合わせは”Cafe1894”。かつては銀行の営業室として利用されていた空間がカジュアルな雰囲気の素敵なカフェになり人気です。

天井高8メートルはあるでしょうか。私はひとりで行くときは鑑賞後にワインを一杯…余韻に浸ります。今回はデザートとコーヒー。(この頃は人気で待つこともしばしば)

この美術館の魅力のひとつ瀟洒なレンガ作りの建物は1894年、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの設計。「可能なかぎり復元しよう」ということで230万個のレンガが使用されたそうです。

窓・柱・階段、と当時の面影が残された建物は今回の展覧会にはぴったりです。回顧展では、京都国立近代美術館所蔵の京都時代の作品や、ウィーン時代の作品など370点あまりが展示されています。

テキスタイル、壁紙、布地のデザイン、七宝飾箱のデザインなど多彩です。  

サブタイトルに「ウィーン生まれのカワイイ」には思わず見ながら”可愛い”と心の中で何度もつぶやいていました。

上野リチ・リックスは裕福な家庭で生まれ、19歳でウィーン工芸学校に入学しました。当時のウィーンは絵画や工芸など新しい芸術様式が生まれていました。

クリムトや生活美を追求するヨーゼフ・ホフマンらの「ウィーン工房」もそうですね。リチのデザインが軽やかでホップでかわいい・・・また東欧っぽさは、オーストリア生まれということが影響しているのかもしれません。

その工房でリチは建築家上野伊三郎と運命的な出会いをし、翌年1925年に結婚し伊三郎のふるさと京都に降り立ったのです。

第二次世界大戦前はウィーンと京都を拠点とし製作を続け、戦時下でも美を追求しデザインを続けます。

戦後は夫とともに現在の京都市立芸術大学の教授となり退職後は、インターナショナルデザイン研究所を設立して後進の育成にも尽力し、大きな足跡を残します。

30年代後半から太平洋戦争も敗色が濃厚になってきても、彼女のデザインは変わることなく明るさと愛らしさ、そこには幸福感があり、花々や動物たち、自由に羽ばたく鳥たちが描かれました。

その才能は多難な時代にも光輝き人々を魅了し続けました。  
リチがどんな困難な日々にも”美”を追求した芯の強さには励まされます。

展覧会公式サイト
https://mimt.jp/lizzi/

映画「国境の夜想曲」

黒いブルカを身にまとった女性たちが、古びた石の階段を下りていきます。そして、息子が戦争で捕らえられ、殺された部屋にたどり着きます。

まるで唄うかのように嘆き、悲しむ母親。
”お前が乳を吸う感触を思い出す”
世界共通の母の叫びです。

余りに静かで、そして、衝撃的な冒頭のシーンでした。  
映画「国境の夜想曲」。
過酷すぎる現実が、見る者を沈黙させるドキュメンタリー映画です。

監督・撮影はエリトリア出身のジャンフランコ・ロージさん。この監督の取材の進め方や製作手法は、これまでにないものでした。

取材地はイラク、シリアなどの4か国で、2年間、アシスタントと2人だけでカメラを持たずに人との出会いを求め続けたそうです。その後、3年以上かけて撮影した場所は、すべて”国境地帯”でした。

ドキュメンタリー作品ですが、、インタビューやナレーションはなく、字幕も登場人物の言葉の日本語訳だけに限られていました。

監督は戦場に残された言葉と情景を克明に積み重ねていったのです。人々がごく普通の日常を続けるには、耐え難いほどの厳しい世界が”国境”に存在しているのだ。

監督の発想の原点なのでしょう。撮影したフイルムは、およそ80時間でした。この作品は、人間が作り出した残酷すぎる現実を決して声高にではなく、”静かに”訴えかけています。国境など、そして戦いなど所詮は人間の手によるものなのだと。

砂漠の彼方に見える赤い炎は戦火ではありませんでした。採掘された石油が燃えているのです。戦いの中の、とても美しい映像。何と皮肉な光景でしょう。  

この映画の最後に、アリという少年が登場します。父親が連れ去られ、残された家族のために魚を取り、狩猟者のガイドなどで家計を助けている14歳の少年です。

彼がじっと遠くを眺める姿が、1時間40分のエンディングでした。 少年がどのような未来を描くのか?大人たちは彼に何をしてあげられるのか?これはイラク、シリアなどに限られた問題ではありません。

いま世界では、この瞬間も不毛な戦闘が繰り返されているのです。 暗闇の中から、何とか光や希望を見つけだしたい!アフリカ大陸の東岸の国で生まれ、アメリカとイタリアの国籍を持つジャンフランコ・ロージ監督。この作品で静かな、しかし力強い平和への訴えを世界に示したかったのでしょう。  

映画を見て外に出ると、生花店のウィンドウには春を告げるミモザの花が咲き誇っていました。思わず写真に収め、英国に暮す息子の嫁にラインで送りました。

そして、映画についても伝えました。「監督は日本の俳句に心を奪われているみたい。”松尾芭蕉のように、短い言葉で表現する”とインタビューで話していましたよ」。

ネットで映画の予告編を見た嫁が、すぐに返事をしてきました。「短い予告編だけでも素晴らしい。1分半で涙が出ました。映画館で観たいです。ミモザの花言葉は、感謝・友情なのに。」

メールのやり取りは、お互いの日々に感謝しながら、平和な世界が一刻も早く訪れるようにと続きました。   俳句とロージ監督。”古池や蛙飛び込む水の音”芭蕉の句の精神がこの映画にも強く影響しているのかもしれませんね。

映画公式サイト
https://www.bitters.co.jp/yasokyoku/

映画「金の糸」

とても小さな”文化大国”から、伝説的な女性映画監督の作品が届きました。

岩波ホールで上映すると聞き、すぐに飛んでいきました。

「金の糸」

心優しく、そして心美しくなるような映画でした。

舞台はアジアとヨーロッパが交わる ジョージアの首都・トビリシ。主人公の女性は小説家です。彼女が迎えた79才の誕生日を、同居する家族は誰も気づきません。娘は、アルツハイマーになった姑、つまり夫の母親を引き取ると宣言します。

そんな時、誕生祝いの連絡をくれたのは昔の恋人でした。スマホで電話をかけてきたのです。改めて、思い出の糸をほぐし始める二人。

トビリシの旧市街で若い二人が踊る回想シーンは、あまりに詩的で、美しすぎるほどでした。  

結局、姑は同居することになります。彼女はかつて、旧ソ連の支配体制側に身を置いた政府の高官でした。昔のカップルと旧体制の実力者。三人のそれぞれの思いが、夢も現(うつつ)も重ね合わせて紡がれます。  

物語の展開は、ラナ・ゴゴベリゼ監督の体験が色濃く反映しています。今年94歳になる彼女は、政治家だった父親をスターリンの粛清で亡くし、映画監督だった母親も10年間の獄中生活を送ったのです。

そうした子供時代の悲惨な体験を踏まえて、ゴゴベリゼ監督は60年以上も前に映画監督の道を歩み始めました。

人生の途上で傷つき、ひびが入っても、きっと再生できる!そんな思いを作品に投影させたのでしょう。

 タイトルの「金の糸」は日本の伝統的な工芸技術 ”金継ぎ” から着想を得たということです。陶磁器の欠損を漆で修復し、金などの粉で完成させる技法です。傷やほころびをただ嘆くのではなく、いかに再生させ、継承していくのか。監督は日本の精神的な価値観に惚れ込んだようですね。

歴史や文化を伝承しよう、そんな力強いメッセージでいっぱいのこの作品を見て、心が少し強くなったように感じました。

監督は次回作で、自分の母親について描くそうです。

日本の北海道より狭い国土に溢れ出る歴史と文化とプライド。ジョージアはやはり”文化大国”でした。

私が初めてジョージア映画に接したのは今から半世紀ほど前、もちろん岩波ホールでした。「ピロスマニ」。

一人の画家を描いた驚くほど魅力的な映像に、驚愕したのを覚えています。今回もまた、記憶に残る素晴らしい作品を見せてくださったジョージアと岩波ホールに、心から感謝いたします。

あと4ヶ月、映画の殿堂の空気を胸いっぱい吸い込むために、またお邪魔させてください。

映画公式サイト
http://moviola.jp/kinnoito/

ミモザの日

3月8日は「ミモザの日」。

イタリアではこの日は男性が女性に日頃の感謝や尊敬の気持を込めて、奥さま、お母さま、お婆ちゃん、友人、職場の人などにミモザの花を贈ります。

素敵な習慣ですね。もともとは女性の社会参画を願い、権利を守る日として1975年に国連が制定した国際女性デー(International Women’s Day)からきているそうです。  

まもなくミモザの花が咲きはじめます。西洋では春を象徴する色としての黄色。寒く厳しい冬が終わり春の訪れを待ちわびています。わたしの娘が鎌倉の鶴岡八幡さまのすぐ横でアンティークショップ・FLORALを開いており、ダイアリーにミモザのキャンドルの写真が載っていてあまりの美しさにもとめました。

このキャンドルはフラワーキャンドルアーティストのAtelier Comet作で生のミモザをドライフラワーにして一点一点手作りです。

イタリアでの花ことばは「感謝・幸せの花・エレガンス・友情」などと言われます。フランスでは「思いやり・豊かな感性」などだそうです。

夜ひとりになりキャンドルを灯していたら、ウクライナの犠牲になった方々、恐怖に耐え、首都に残る人。泣き叫ぶ子供を抱きかかえるお母さん。幼い子供が「僕は死にたくない」目に涙をためてカメラに訴える子。若者や女性も抗議デモに参加しています。なぜ、このような事態をまねいてしまったのでしょうか。

私は28年ほど前にモスクワ経由でウクライナ、ポーランドに行ったことがあります。農政の記者の方々のツアーに参加させていただいての旅でした。ウクライナでは都市を少し離れると一面小麦畑が広がる穀倉地帯。広大な土地に小麦を植え収穫します。

私たちが訪ねた農家では農夫の父親とまだ若い30代のお嫁さんが話しをしてくださいました。そして、足元に植えられている林檎をもいで私にくださいました。日本の林檎のように立派ではなく、1メートルくらいの木にたわわに実っている小さな林檎。瑞々しくて、ちょっとすっぱくて甘い林檎。彼女達家族はどうしているのでしょうか。  

そして、ウクライナは映画「ひまわり」のロケ地として知られています。1970年に公開され、私の大好きな映画でした。5回は観ました。

ソフィア・ローレン、マルチエロ・マストロヤンニが主演。ソ連戦線へと赴く夫。戦後行方不明になった夫を探しに単身ソ連に渡り、奇跡的に再会を果たすも……。切ないラストシーンでした。

死んだ兵士たちが埋葬されている場所、といわれる広大なひまわり畑の風景はウクライナで撮影されたそうです。この映画も戦争で引き裂かれた物語でした。あの美しい広大な風景は現在戦火にさらされています。  

毎日、夜”ミモザのキャンドル”を灯し一日も早い平和を…と祈っております。