日本美術の裏の裏

裏の裏?

どうゆうことかしら?そんな思いでサントリー美術館に行ってまいりました。肩のこらない解説にまず魅せられます。

”ごあいさつ”には「日本人にとって「美」は、生活を彩るものです。室内装飾をはじめ、身のまわりのあらゆる調度品を、美意識の表現の場としてきました。そのような「生活の中の美」を、ひとりでも多くの方に愉しんでいただきたい」とあります。

私が民芸や骨董に出逢ったのは10代のころでした。私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思い込んでいるわけではありません。ただ、私が「いいなぁ~」とため息をついたり、ちょっと無理してでもほしいと思うのが、骨董だったり民芸だったりすることが多いのです。

ものが長い年月を、生れたときの形を保ちながら生き続けているということは小さな奇跡だとおもいます。10代の頃読んだ「民芸とは何か」で柳宗悦先生は書かれております。

「真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を超えねばなりません。そうしてものそのものを直接に見ねばなりません」と。

今回の展覧会の会場はすべて撮影可です。皆さんにご覧いただきたく何枚も写真を撮ってまいりました。

展覧会は6つの章からできています。分かりやすい解説、見やすい構成、いわゆる”美術品”鑑賞ではありません。

第1章  「空間つくる」
江戸時代の絵師・円山応挙が描いた「青楓漠布図」がまず目に飛び込んできます。絵を鑑賞し語るよりも、その空間を想像します。「どこに飾ったらすてきかしら」。襖や屏風も昔の人々はその風景を空間の中に置くことで春夏秋冬を日常で感じてきたのでしょうね。絵巻を観て季節の移ろいを感じ、ひとつの場所で季節を愛でて・・・贅沢ですね。私が好きだったのは「武蔵野図屏風」薄の生い茂る武蔵野を描いた屏風。この季節に東京の真ん中で観る薄。遠くに富士山も見えます。

 

第2章  「小をめでる」
平安時代の作家・清少納言が著した「枕草子」には、「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくしき」という一説があります。と書かれています。つまりミニチュアです。指先でつまめるものばかり、乙女心をくすぐられます。

第3章  「心でえがく」
ウマイ・ヘタではないのですね。なぜか観ているうちにジワジワと心奪われていく作品にも出逢えます。

第4章  「景色をさがす」
私がもっとも見たかったコーナーです。壷や花入れなど焼き物には”裏の裏”がありどこからどのように見て、どのように景色をさがすか・・・私が京都の古美術店「近藤」で小さな手の平に納まるくらいの室町時代の古信楽の種壷に出会い「私にこの壷を分けてください」いまから思うと赤面のいたりなのですが、そこに「ある景色」をみてしまったのです。高温の炎で長時間焼成しますから、そこにはさまざまな”景色”が見えてくるのです。焼き物の面白さです。今でも私の大切な壷、10代で出会った私の景色です。

第5章  「和歌でわかる」
「生き物はみんなみんな歌を詠む」とは「古今和歌集」の序文の言葉です。かつての日本人は、動物でさえ和歌を詠むと考え、ラップのように和歌でバトルを繰り広げるなど、生活のいたるところに和歌があふれていました」と書かれています。文字と絵、工芸。和歌がわかればもっと愉しめるのに・・・

第6章  「風景にはいる」
江戸の浮世絵師・歌川広重は風景画の名手として知られていますが代表作「東海道五十三次」では小田原・箱根・沼津・江尻なども描き、まるで作中の「点」のような小さな人物と一緒に旅をしている気分になれますし、風景の雄大さを体感できました。

 

東京・六本木のサントリー美術館で11月29日まで。
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2020_2/index.html

”漆黒”の美

”漆黒”という色には、さまざまなニュアンスが塗り込まれているのだと教えられました。

ポルトガルの首都・リスボンで繰り広げられる静かな”心理劇”はカラー映画なのにまるでモノクロームを思わせるような画面でした。

映画『ヴィタリナ』は、塗炭の苦しみを味わいながらも、強く生きようと歩みだす女性を描いた、”告白劇”ともいえます。

リスボンのはずれに、”移民街”と呼ばれる地域があります。そこには、アフリカ大陸の北西沖に浮かぶ島国、カーボ・ヴェルデから出稼ぎに来た多くの人たちが住んでいます。

リスボンの空港に一人の女性が降り立ちます。初めてのポルトガル。彼女の夫が職を求めてカーボ・ヴェルテから単身この国にやってきたのは、はるか昔のことでした。しかし、夢にまで見た夫との再会は、ついに果たせませんでした。夫はすでに亡くなっており、葬儀も3日前に終わっていたのです。彼女は”移民街”にある夫の部屋に荷をほどき、”来し方”の回願を始めます。

私はただただ、あなたの帰国を待ち望んでいた!それも、気の遠くなるほどの長い時間!

夫の借りていた部屋に何人もの彼の知り合いがやってきては弔意を示し、思い出を語ります。彼女はそれを聞きながら、これまでの自身の不安や苦労、そして夫に対する憤りまでも口に出さざるを得ないのです。

涙と絶望の淵にいた彼女が、いかに自分の未来を切り開こうと足を踏み出すのか。彼女の独白と心境の変遷は、計算され尽くした”漆黒”の画面構成によって見事なまでに客席に迫ってきます。

そして、スクリーンから発散される”漆黒”は刻々と変化を示すのです。それは、彼女が苦悩から立ち上がろうとする姿に、必死に寄り添っているようにも思えました。

こんな感動的な映画を作ったのはポルトガルのペドロ・コスタ監督。彼は今回の舞台となったリスボンの”移民街”を題材にして、20年以上も前から数多くの作品を撮り続けています。

そして、主役のヴィタリナを演じたのは、カーボ・ヴェルデ出身のヴィタリナ・ヴァレラさん。今回の作品は彼女の名前をタイトルにしたのですね。血の色にも見える彼女の涙は、演技の域をはるかに超えていました。

ヴィタリナさん、強い意志が全身に溢れ出る、本当に美しい俳優です。

映画公式サイト
https://www.cinematrix.jp/vitalina/

花は野にあるように

これは、有名な利休の言葉だそうです。

この季節になると、思い出すのが今は亡き茶花の先生、楠目ちづさん。25年ほど前、逗子海岸近くにお住まいになっておられた先生をお訪ねしました。

玄関に一歩足を踏み入れると、ハッと息をのむような静寂が、私を迎えてくれました。そこには花はなく、ただ、花の気配だけが漂っています。窓辺に置かれた常滑の壷が待っているのは、むくげ?芙蓉?それとも、楓の一枝でしょうか・・・。

透明なまなざし、柔らかな笑顔、銀色に輝くおぐし、そして和服をさり気なく上品に着こなされた、その楚々としたたたずまい・・・。美を深め、美を極められるその方ご自身が、まさに日本の美そのものなのでした。

お茶を点てる席というものは、なぜかいつも俗世とは一線を画した小宇宙です。炉にはしずかにお湯が煮え、仄かにたなびく湯気に風の気配を知り、ふと、生けられた花に目が止まります。古い瓢箪掛に吾亦紅(われもこう)と女郎花(おみなえし)茶室にふっと秋が舞い降りたような景色です。

「その、はかなさと哀れさ、そこに花の美しさのすべてがあります。」

「ふだん花が野に咲くとき、枝が、葉が、幹が自然のなかに立つときの在りようを、まずよく見ることが大切ですね。」

と語られる先生は野歩き、山歩きが大好きな方でした。

私の一日の始まりは4時半起床、ストレッチをして夜明けとともに山歩きがはじまります。1時間は速歩きで。そして帰りの道は足元に咲く野の花を愛でながら、ゆっくり歩きます。

「早朝に咲く花は早朝に、夕暮れの花は夕暮れに見てこそ、最も美しいのです」と教えてくださったのも楠目先生です。時には虫の音を、野草の匂いを、早朝の静寂ななかの山歩きは私の暮らしを豊かにしてくれます。『野あざみ』が美しく咲いています。

私の若狭の家の周辺にも野アザミが何本か咲いていて、あぜ道にもポツンポツンと咲いていました。ある年の夏、もう少し寄せ集めて咲かせたらキレイだろうなと思い立ち、わが家のすべてをお世話してくださっている渡辺さんに頼んでおきました。

翌年の夏の終わりに行くと、わが家の前庭は野アザミの群生地。まぁ、それは見事に赤紫色のボンボンが風に揺れ、私の到着を待っていてくれました。

ボンボンのところがとんがっていて、バリバリしていて、傍にも寄れないくらい。とてもつかめない。葉も茎も、バリバリ。私はつくずく思いました。あっ、この花は青春の私。いつも怒っていて、いつも燃えていて、いつも突っ張っていた。でも勢いがあって、そう最もテンションの高かった時代の私。何時間もみとれてしまいました。

私はあんなだったろうか。「ちょっと庭には痛そう。敷地のはしに移そうかしら。」という私に、「秋になれば、立ち枯れするんですよ。」と渡辺さん。まぁ、立ち枯れですって。枯れてもいたいのかしら。急に寒くなると、そのバリバリのまま立ち枯れるんですって。いやだな。野アザミのまま、肘はったまま立ち枯れてドライフラワーになるのは願い下げだわ。

77歳に近づいて、、早朝の山歩きをしながら野アザミや野の花に出逢って、いい秋が始まろうとする今、私はどんな野の花のように生きよう。そうね、どんな環境のなかでも”私たちは自然の一部”であることは忘れないようにしましょう。

太陽のテノール

31年ぶりの再会でした。今まであまり知られていなかった彼の魅力の原点を、改めて感じ取ることができました。”神の声”持つ天才テノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ。彼の心の奥底は、プライベートな領域にまで入り込んだ映像と最先端の音響技術とによって十分、伝わってきました。

「パヴァロッティ 太陽のテノール」

これは全編、ドキュメンタリー映画です。パン職人の家庭に生まれたパヴァロッティは、父親の希望で小学校の先生になりました。しかし、母親に「あなたの歌は心に響くのよ」と励まされ、音楽の道を歩み始めます。

まだ世に出る前の彼は、「あの声に恋しない人なんている?」という女性と家庭を持ち、3人の娘にも恵まれて、オペラ界の頂点を目指すのです。周囲の人々を引き付ける天性の明るさは、類まれな美声を世界中に広げる上で、とても大きな役割を果たしたことでしょう。

彼は一歩一歩、成功の階段を登っていきますが、金銭だけでは計れない、音楽と自身の社会的な責任にも心を向けるようになります。

イギリスのダイアナ妃と公演で知り合い、二人は親友となります。それをきっかけに、パヴァロティは世界各地で慈善運動に奔走します。

そして、これからのオペラの世界をどのように切り開いていくのか?パヴァロッティはロック界のスーパースター、U2のボノとのコンサートを実現させました。オペラ界からは当然のように猛烈な逆風が吹きましたが、彼は全くブレませんでした。チャリティー活動もロックとのコラボも、彼が広く世界に目を向けたいと願う、アリア(独唱曲)からの新たな旅立ちだったのですね。

こうした貴重なシーンが、スクリーンには絶え間なく登場します。プライベートな映像の多くは”ホームビデオ”で、撮影者は再婚した妻でした。20人を超える家族や友人たちへの貴重なインタビューは、まばたきすら許さないほど、リアリティーに満ちていました。

そして、パヴァロッティの驚くべき美声をあるがままに伝えた音楽技術の匠。それらをまとめ切ったロン・ハワード監督には、ただ感謝のブラボー!のみでした。

満面の笑みをたたえたステージのパヴァロッティさんにお会いしたのは1989年、東京ドームでしたね。もう、31年も前になります。

そして、今から13年前、僅か71歳で私たちの前から突然、姿を消されました。抱えきれないほどの生きる幸せを与えてくださった人生のアーティスト、パヴァロッティさん。

いつまでも、いつまでも、夢のようなあなたの歌声を聴き続けます。

映画公式サイト
https://gaga.ne.jp/pavarotti/

自分だけの時間を過ごせる ところ

先日念願がようやくかない小田原の「江之浦測候所」に行ってくることができました。

かつて蜜柑畑だった小田原市江之浦の地に現代美術作家杉本博司氏が設計したミュージアムです。2017年にオープンし、”ゆっくり過ごしてほしい”ということで最初から完全予約制です。今回は詳しく想いは綴りません。杉本さんの言葉で感じとってください。

私は波の音に耳をかたむけ、空を見上げ、好きな場所に腰を下ろし、自然に抱かれて 古代人に想いを馳せていました。

杉本博司さんのことば

「私は小田原に負うところが多い。子供の頃、旧東海道線を走る湘南電車から見た海景が、私の人としての最初の記憶だからだ。熱海から小田原へ向う列車が眼鏡トンネルを抜けると、目の醒めるような鋭利な水平線を持って、大海原が広がっていた。その時私は気がついたのだ。「私がいる」ということを。」

「古代人は現代人よりも生きる価値を敏感にとらえていた」

「社会が進化し、世の中がどんどん便利になっていく一方で、人間がむしろ退化していってるんじゃないかと思うことがあるんです。忙しい日々の中で、自分と向き合う余裕もないまま時間だけが過ぎ去っていく。しかしながら、どうやったとしても人間の生命には限りがあるもの。古代の人々のほうが、現代人よりも もっと生きる価値を敏感にとらえていたのではないでしょうか。」

「紀元前に創建されたギリシャのアクロポリスやエジプトのピラミッドを見て、現代に生きる私たちがさまざまに思いを馳せるように、いま私たちがつくるものが、この先の時代に生きる人々の思いへとつながる。ならば廃墟になっても美しく、人の心を打つものを創造するミッションが私たちには託されている。」

いかがですか。

日本文化を身体で感じる場所が「江之浦測候所」でした。

小田原駅から東海道線、熱海方面に向って二つ目の無人駅が根府川(ねぶかわ)駅。そこから無料送迎バスが出ております。(約10分)詳しくはネットでお調べください。

幸せに満たされたひとときでした。

帰りに、どうしても買って帰りたかった干物。真鶴の海の見える坂の途中にある創業1877年(明治10年)干物専門店「魚伝・うおでん」に寄り、風情のある店構えでご主人が魚をさばいておられました。完全天日干し。鮮度といい、塩かげんといい絶品でした。

今回も身近なところの小さな”旅”をしてまいりました。

江之浦測候所 公式サイト
https://www.odawara-af.com/ja/enoura/

監督は80代の映画青年!

イタリアのシチリア島で勢力争いを繰り広げるマフィア。実在した大物マフィアの姿を描いた映画を見ました。

”マフィアもの”だからといって、全編、血生臭いだけの作品ではないはずです。やはり、その思いが裏切られることは、ありませんでした。

「シチリアーノ 裏切りの美学」

一人の男が生き抜く心情を、夫婦愛や家族愛を交えながら丁寧にたどった作品でした。

1980年代のシチリアでは、マフィア同士の派閥抗争が激しさを増していました。その中で逮捕されたのが一方の組織のボスでした。

彼は10代からあらゆる犯罪に手を染めて、マフィアのリーダーとしての頭角を現しました。しかし、時代の流れとともに、組織そのもののあり方やメンバーの意識の変化に、抜きがたい違和感を覚えるようになります。

さらに、対立する陣営は彼の兄や息子たちに手をかけてしまったのです。悩みに悩んだ末、彼は取り調べの判事に組織内部の情報を話し始めます。

”服従と沈黙”。

つまり、マフィアにとっての”血の掟”を、ボス自らが破ってしまったのです。

”誇り”と”脆さ”。

幾重にも続く複雑な心の波動をスクリーンは主人公に寄り添うように映し出していきます。その結果、逮捕され裁判にかけられた被告は476人。全員が特設の法廷に集められ、主人公との対決が繰り広げられます。このシーンは最大の見どころで、いわば「舞台劇」そのものでした。

拳銃や爆弾の音が鳴り響いても、映画全体のトーンはあくまで静謐でした。それは、間もなく81歳を迎えるイタリア映画界の巨匠、マルコ・ベロッキオ監督の心が強く投影されていたからでしょう。監督はこの作品を、”人間ドラマ”として描きたかったのだと、改めて感じました。

この映画に興味を持ったそもそもの理由は、40年以上前に遡ります。その時、私はイタリアのミラノを旅行中でした。モロ元首相の誘拐事件がローマで発生したのです。1978年3月16日のことでした。「何か大変なことが起きた!」その声に背中を押されるように、ミラノ駅からすぐにスイス経由でフランスに出国したことを、昨日のことのように鮮明に覚えています。

その事件から20年以上が経ち、”モロ元首相の誘拐・暗殺事件”が映画化されました。

題名は「夜よ、こんにちは」。監督はあの巨匠、マルコ・ベロッキオだったのです。もちろん見ました。テロリストたちの揺れ動く視線で事件を映像化し、高い評価を得ました。やはり監督は、「夜よ、こんにちは」でも、”心理劇”を描いたのですね。

「シチリアーノ」、初秋を迎えた平日の午後、有楽町の映画館で見ました。入場者も徐々に戻ってきたようです。会場の入り口に設置されたアルコール消毒液で丁寧に手を拭きながら入っていく女性が何人もいらっしゃいました。

見終わったあと、余韻に浸りたくてコーヒーショップに入りました。150分を超える大作をもう一度噛みしめるには、どうしても必要な時間と空間でした。

一人でコーヒーを飲みながら耳の中にこだましていた音楽は、日本でも有名なラテンの名曲「ある恋の物語」でした。この映画では、2度も流れていました。

まだまだお若いベロッキオ監督の次の作品、私は首を長くしてお待ちしております。

映画公式サイト
https://siciliano-movie.com/

”夏の終わり”に思うこと

とても素敵な映画に出会いました。

主人公は凛とした気高い女性。彼女は映画俳優で、今はゆったりと静かな日々を送っています。彼女がどうしても済ませたかった夏の終わりの”宿題”。それは、家族や友人たちに集まってもらい、自分の大切な思いを伝えることでした。

夫、元夫と息子、そして、仕事上の親友とその恋人。次々に登場する顔ぶれは実に多彩で、彼女にとっては皆、”肉親”なのです。

彼らと改めてふれあい、それぞれ悩みを抱える心に少しでも寄り添い、自分の夢と希望を手渡していきたい。そんな一日だけの舞台として彼女が選んだのは、ポルトガルの避暑地、シントラでした。

首都・リスボンの郊外にひっそりと佇むシントラ。ユーラシア大陸の西の果て、大西洋が眼の前に広がる古い歴史の街では、緑豊かな森が人々を包み込んでいます。世界遺産にも登録されたこの美しい街は、物語の展開になくてはならない、もう一つの”主人公”でもあるのです。

今回の映画は、「ポルトガル、夏の終わり」でした。

主人公の女性を演じるのはフランスのイザベル・ユペール。これまで、「カンヌ」、「ベネチア」、「ベルリン」の国際映画祭で受賞を重ねた実力派です。そして監督はアメリカのアイラ・サックス。彼は女性の微妙な心のひだを実に繊細に映像化しています。共演者もアメリカ、ベルギー、イギリス、アイルランド、フランスなど、各国から集まりました。

主人公が家族や仲間たちに伝えたかった思いとは何だったのでしょうか?

森の中を一人ゆっくりと歩む彼女の衣装は実に意思的です。パープルのスカーフとスカート、そしてブルーのジャケット。周囲の緑に吸い込まれそうな色彩が、最後まで背筋を伸ばして存在を主張しています。

来し方行く末へのさまざまな思いを受け止めながら、自分の足跡を見つめ直し、できれば、仲間たちがそれを受け継いでいってほしい。病の存在を知らされた主人公は、気丈さと優しさを込めて舞台にたったのです。

この映画のエンディングは、おそらく忘れられないでしょう。主人公と仲間たち全員が、大西洋を見下ろすシントラの山頂に登ります。大陸の果ては海の始まり、頂の大舞台に並んだ彼らへのカーテンコールは、繰り返し打ち寄せる大西洋の波でした。

それは、いつまでも命をつないでいくことへの、大自然の限りない賛歌でもありました。その時、主人公は目の覚めるようなオレンジ色のスカートを身に着けていました。

まだ見ぬシントラ。是非行ってみたいと心から願った、今年の夏の終わりでした。

映画公式サイト
https://gaga.ne.jp/portugal/

夏休みの旅、鎌倉

思い通りの旅ができない日々が続く中、私はやっぱり旅が好きです。

旅行・トラベル・旅・・・”旅”が一番しっくりきます。江戸期の庶民の旅は「寺社詣で」一生に一度の伊勢参り・・・など、今のように便利に自由に旅ができなかった時代の旅はむしろほんとうの旅を楽しんだのではないかしら。

松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出てゆくとき、住みなれた家を人手に渡しているのですね。人生五十年の時代と百年の時代では旅のしかたも違います。(芭蕉は五十一歳で歿している)

この頃の私の旅は”ゆっくり・のんびり”の旅が多くなりました。若い頃の旅は不安などなく好奇心のかたまりでした。そんな旅好きの私が自由に旅ができない!のはかなりのストレス・・・とコロナ禍の始めは思っておりましたが、実は身近に素敵な場所はいっぱいあるのですね。人ごみを避け、静かな旅です。

我が家からバスで小田原に出て東海道線で大船、鎌倉へ。2時間弱です。今回は娘と合流し、まずは鎌倉山のアンティークショップやカフェのある「House of Pottery」でのランチ。

とても素敵で大好きなところ。外国にいったような気分になれます。JR大船駅より京急バス4番で、鎌倉山下車。徒歩2分ほどです。オーナーの荻野さんと新しく始められた「Kamakurayama Holiday Flat」のお話などおしゃべりをしながらの楽しいひとときでした。

いつもは日帰りコースなのですが、”小さな旅”がしたい!と一泊。初めてでしたが、泊まると見えてくる風景、匂い、感覚も違うのですね。

”ゆったり・のんびり”今回の旅でどうしても行ってみたかったのは鶴岡八幡宮の境内にある神奈川県立近代美術館(現在は鎌倉文華館鶴岡ミュージアム)と、そして、稲荷山・浄妙寺。娘から枯山水のお庭が素晴らしいの、と聞いておりましたので。

JR横須賀線・鎌倉駅東口下車、京急バス5番線 浄明寺下車徒歩2分。鎌倉五山五位の寺格をもつ臨済宗建長寺派の古刹。

天生年間(1500年代)僧が一同に茶を喫した『喜泉庵』でいただく冷抹茶と美鈴さんの生菓子。庭園は杉苔を主とした枯山水。夏の朝、お茶室を抜ける風が心地よく、のんびりしました。

午後からはかつての県立近代美術館へ。日本初の公立近代美術館は土地の借地契約満了に伴い2016年にいったん閉館し、改修、耐震工事を経て19年に鶴岡ミュージアムとしてオープンしました。

70年前、この近代美術館の白い建物を設計したのが坂倉準三(1901~69年)20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエに学び日本の現代建築に足跡を残した坂倉準三のモダン建築がどのように生かされているのか・・・とても興味がありました。

彼の建築の空間は日本的で、屋根はあるけれど、風が抜け、平家池に面した天井は池の水面が反射し、ゆらゆらと揺れています。近代建築のモダンさに日本の詩情がうかがえる素晴らしい美術館に生まれ変わっていました。

旅の終わりは美術館に併設されているカフェで『カキ氷』でしめくくり。短い旅でしたが、充実した身近な旅を堪能しました。

「ゆっくり、とした旅」いいですね。

若いときのようにはいかなくとも豊かな自然と文化に満ちている日本の旅。

皆さんも、身近で見つけてください。美しい日本を。

堀 文子さんの「ブルーポピー」

日本画家の堀文子さんが、昨年2月5日にお亡くなりになられました。100歳でした。

私は10年前に読んだ”堀文子の言葉~ひとり生きる”を本棚から取り出して読みはじめました。私は堀さんの描く「野の花」がとても好きです。

そして堀さんの生き方に学びます。
「群れない 慣れない 頼らない これが私のモットーです」とおっしゃられます。

生前私は一度だけ軽井沢のアトリエに雑誌のインタビューでお邪魔しお目にかかりました。1960年にご主人を亡くし、その翌年、かねてから願望だった古代から世界の歴史をたどる旅に三年間出かけます。ご主人を亡くされての喪失感はそうとうなようでした。

そして帰国後、ものづくりは自然のなかで暮らすべきと考えられ1967に大磯に転居。79年に軽井沢にアトリエをもたれます。その頃です、お目にかかったのは。

科学者になる夢をもちながら、女性の社会的な自立や自由が制限されていた時代、”縛られない自由”を求め画家になります。70年後半から80年にかけて日本はバブル狂乱の時代、そんな日本を後にし、69歳のときにイタリア・トスカーナへと脱出します。

最初は全くイタリア語は話せなかったそうですが5年間暮らし、美しいトスカーナの野の花などを描きます。そして、さらなる未知の世界を求め、77歳で(今の私の年齢)アマゾンへ。80歳でペルー、81歳でヒマラヤ山脈に幻の花「ブルーポピー」を求めて旅を続けます。馬にまたがり標高4500mの高地をスケッチの旅です。

ご著書のなかにこのように書かれています。

『自由は、命懸けのこと。
完全に自由であることは不可能ですけれど、私は自由であることに命を懸けようと思ったことはたしかです。自由というのは、人の法則に頼らず、しかしワガママ勝手に生きることでもなく、自分の欲望を犠牲にしないと、本当の自由はやってきません。ですから、命と取替えっこぐらいに大変なことなのです。

群れをなさないで生きることは、現代社会ではあり得ないことです。何をするにしても誰かと一緒にしなければならない。それを私はしないような道を選んで、モグラのように地下に潜って生きてきたと思います。そういう生き方を選びましたが、私のような職人にはよかったと思います。』

83歳のときに大病に倒れ奇跡的に回復し、停滞することなく画を描き続け、その瑞々しさに感動をおぼえます。そして人々へ勇気を与え続けてくださいました。

インタビューをさせていただいた時、

「よく聞かれるのよ(ひとりで寂しくありませんか?)ってね」

そして、しっかり私の目を見てこうおっしゃいました。

「みんなひとりが寂しいといいますが、人といれば本当に寂しくないのかしら?人はそもそも孤独なのです。」と。

忘れられないことばです。

私の家から杉並木を歩き30分ほどで隣町にある「成川美術館」に着きます。現代日本画美術館です。収蔵は4,000あまり。

現在「堀文子収蔵セレクション第1回~野に咲く花たち~展」が開催されていて「ブルーポピー」も出品されています。

何度目になるでしょうか、拝見するのは。標高4,500mに咲く花にはトゲがたくさんあります。幻の花を求め、82歳で筆を持つ堀文子さんからたくさんのエネルギーをいただきました。

成川美術館公式サイト
http://www.narukawamuseum.co.jp/exhibition/ongoing_2.html

沖縄

このたび、沖縄県観光功労者に選んでいただき、表彰を受けることになりました。このような光栄ある賞をいただくことができたのは、よきみなさまに恵まれたおかげだと感謝の気持でいっぱいです。

沖縄は私にとって、ずっと特別な場所でした。

民芸の師と仰ぐ柳宗悦先生の、沖縄こそ理想郷『美の王国』との言葉に導かれ、初めて沖縄の地におりたのはまだパスポートが必要な時代でした。

花織をはじめとする織物、八分茶碗などの焼き物・・・・・沖縄の手仕事の美しさ、その形にこめられた人々のありように心を奪われ、以来、時間をみつけては通うようになりました。

沖縄の女性たちの明るさとたくましさを知り、仲間と呼べる友人にも恵まれました。その中でごく自然に、沖縄の事業などの応援をし、沖縄の魅力をひとりでも多くの人に知ってほしいと行動するようになりました。

今、沖縄は首里城再建という大事業を控え、さらにはコロナ禍という思いも寄らぬ事態にも見舞われています。観光功労者の表彰式は、例年、観光が最も盛り上がる8月に行なわれていましたが、今年は表彰式も中止になりました。

素晴らしい歴史と文化を持つ沖縄。
過酷な時代も乗り越えてきた沖縄。
訪れる人を魅了してやまない沖縄。

沖縄に、両手を広げて人々を受け入れられる日常が一日でも早く戻ってくることを心からお祈りするとともに、これからも私は沖縄の皆さんの心に寄り添い、微力ながらも沖縄の観光発展のために力を尽くしていきたいと思います。