こよひ逢ふ人 みなうつくしき 生誕140年 与謝野晶子展

みなさまはゴールデン・ウィークはどのように過ごされるのでしょうか。

私は暦通りなので、1日は東京にラジオ収録で出かける以外はこの箱根の山でのんびりと過ごす予定です。まとまったお休み、”さぁ~何をしましょう”・・・と考えていた時にふっと普段なかなか出来ないことをしようと思いました。

以前に買い求め、斜め読みしかできなかった与謝野晶子の「新訳源氏物語」を読み始めよう!と思い立ちました。

初版発行は平成13年。その頃の私といえば、何だかバタバタと全国飛び回り、「この世でもっとも読みやすい源氏物語」と帯には書かれておりますが、それが、なかなか・・・。そこで、ちょうどよい機会なのでこのゴールデン・ウィークをスタートにしようと思ったのです。

ちょうど現在、横浜の港の見える丘公園に隣接している県立神奈川近代文学館で特別展『生誕140年 与謝野晶子展』(5月13日まで)が開催されておりますので行ってまいりました。

”こよひ逢ふ人みなうつくしき”

与謝野晶子は、1878年(明治11)、堺の町中にある和菓子商・駿河屋の娘に生まれ、体の弱い母にかわって、駿河屋の中心的な働き手として、帳簿つけ、菓子の販売など、店番の合間に膨大な父の蔵書をひもといて、奈良時代から江戸時代にいたる古典作品の数々を読み耽っていたそうです。

有名な歌集『みだれ髪』は、晶子は髪が豊かで、いつも幾筋かの髪の毛を垂らしていたことから、師であり、後に夫になる与謝野鉄幹が歌の中で晶子を「乱れ髪の君」と詠み、愛称となったそうですね。

鉄幹、晶子の相思相愛は生涯変わることなく続くのですが、妻であり、五男六女の母であり、一家の家計を支える大黒柱であった晶子の日常の暮らしは、想像を超えたエネルギーと鉄幹への尊敬と思慕がなければ続かなかったことでしょう。

うすものの二尺のたもとすべりおちて 蛍ながるる夜風の青き (みだれ髪)

そと秘めし春のゆふべのちさき夢  はぐれさせつる十三絃よ (みだれ髪)

恋をしている女性は美しい、とも書かれています。会場の直筆の手紙や書、不遇の日々を過ごす鉄幹を再生させるため、晶子は鉄幹の念願だった渡欧を実現させようと資金集めに奔走し、自ら屏風歌を詠み、パリに向かった鉄幹を送り出し、でもその不在に耐えられなくなり、子どもを鉄幹の妹に託し、自身もパリへと旅立ちます。

そのパリ滞在中に描いた「リュクサンブール公園」はその才能の豊かさにも驚きました。

男女の別なく「完全な個人」を目指していた教育を実感できる資料も見ることができます。

そして旅に彩られた晶子の後半生の中でも神奈川県各地への旅行は数知れず。箱根には「明星」「冬柏」の同人たちと例年のように吟行に訪れ、温泉で心身を癒し、森林や溶谷、湖で豊かな自然に親しんで詠まれた多くの作品には「深い歌堺がある」といわれています。何だか嬉しくなります・・・私の住む箱根を旅していた与謝野晶子がそこに存在しているようで。

鉄幹と出逢って35年の歳月。
苦労も葛藤も多かったはずです。
会場で目にした『半分以上』で
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。

で、始まる詩を読み、涙がこぼれてきました。

与謝野晶子はすぐれた歌人であり、自らの考えを信じ、男性社会においてもたえず”新しさ”を求め、自分自身の生き方を貫かれ後世へと夢を託した人。何よりも『母性のひと』だと実感した展覧会でした。

晶子30代で訳した「新訳源氏物語」は渡欧を挟んで3年で。自身「無理な早業」と語っていますが、『新新訳源氏物語』(全六巻)は鉄幹の死を挟んで約6年の歳月をかけた訳。

完成して約半年ののち、晶子は脳溢血によって倒れ、2年後(昭和17年)63歳のいのちをおえました。私が生まれる前の年だったのですね。

まずは「ひかる源氏」編(角川書店)と「薫・浮舟」編から読みはじめましょうか。

神奈川近代文学館
東急東横線直通みなとみらい線、元町・中華街駅・6番出口徒歩10分

シニアは入場料300円。
休館日(月曜)4月30日は開館です。
お天気のよい日にお散歩がてら、海を眺め、帰りに中華街での食事なども素敵ですね。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

正直にいって映画を観終わったあと、しばらく席を立つことが出来ないほどの心地よい疲労感と、スピルバーグ監督からのメッセージを深く考えていました。

この作品の舞台となるワシントン・ポストのオフィスの再現は徹底的にこだわるスピルバークの世界。監督は語っています。

「今もワシントン・ポストに勤めている友人をセットに招待したんだ。おちこち見て回った彼の目には涙があふれていた。彼は『当時のオフィスそのものだ』と言ってくれた」と。

ヴィンテージのタイプライター、コード付きの電話器、記事のカーポンコピー、乱雑に置かれた灰皿、その匂いすら感じる編集現場。

監督・製作はスティヴン・スピルバーグ。
主演はメリル・ストリーブが演ずるキャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト社主・発行人)とトム・ハンクスが演ずるベン・ブラッドリー(ワシントン・ポスト編集主幹)。

半世紀近くも前の話です。米国の歴代政権が隠してきたベトナム戦争の実情を記す機密文書の報道を巡る政府と新聞の闘いが描かれています。スクープしたニューヨーク・タイムズが政府の力により差し止め命令を受けます。1971年6月、ワシントン・ポストが立ち上がります。

この映画には英雄は登場しません。内部告発者、メディアの経営者やジャーナリスト、彼らは皆、重要な登場人物。しかし、生身の人間。悩み、逡巡し、もだえる。

その時、彼らが立ち戻る原点は?

言論・報道の自由をとことん守り抜くと宣言した憲法修正1条。彼らの思想と行動を多くの市民は支持します。そして、裁判所も、政府の横槍を認めませんでした。

まだまだ若い米国には、もしかしたら強烈な”歴史意識”があるのかもしれません。『我々が日々、歴史をつくっている!』その感覚は政治家や官僚の専売特許ではない。多くの市民の無意識のうちに積み重ねている日常の所作かもしれません。

「最高機密文書」にはベトナム戦争での米軍の劣勢など報告されていたのです。それを知っていて、異なる発表を続けた歴代政権を、メディアや市民は許さなかったのです。多くの尊い命が奪われた戦争でした。

キャサリンを演じるメリル・ストリープの見事な演技は「クレーマー、クレーマー」(79)、「ソフィーの選択」(82)、「恋におちて」(84)、「マジソン郡の橋」(95)、「プラダを着た悪魔」(06)、「マンマ・ミーア」(08)、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(11)など、あげたらきりがないほどの多くの役を見事に演じてきた女優。

私生活では、夫でアーティストの間に一男三女のお母さん。キャサリン・グラハムも四人の子どもの母親で、家庭を守り平凡に暮らすのが一番の幸せ・・・と思ってきた典型的なあの時代の女性。父親の興した新聞社を夫が継ぎ、ところがその夫が鬱病で自殺してしまい、社主をつとめることになったキャサリンは、経験も浅く、男性優位の社会で礼儀正しさを保ちながらも筋を通すやり方を学んでいきます。

彼女は新聞社史上もっとも大きな決断を迫られた時に『いつも完璧じゃなくても最高の記事を目指す。それが仕事でしょ?』と言い放つのです。

正直にいって私はスピルバーグ監督は女性を描くのは苦手の人、と思ってこれまできました。今回の映画で見事に裏切られました。トム・ハンクスも中年になりますます素敵になっています。リズ・ハンナの脚本も女性の目が生かされていますし、ある意味では信頼のラブストーリーともいえます。

半世紀近くも前の話です。この記事は当時世界中を駆け巡り、私もはっきり記憶にあります。

しかし、「機密文書」自体の真贋が問われたとしたらいったいどうなるのでしょうか。極めて深刻かつ、今日的な問題です。

この映画は人事ではなく、アメリカ映画・・・では片付けられないメッセージをスピルバーグ監督から預けられているのです。

ラストシーンを見逃さないでください!

映画公式HP
http://pentagonpapers-movie.jp

「ルドン 秘密の花園」展

ラジオ番組の収録で月に2回は東京に出かけます。

午後1時過ぎには終了するので、その日は待ち通しい、映画・展覧会のひとときです。映画は銀座界隈、展覧会も、東京駅から近い三菱一号館美術館はちょっとした時間に立ち寄れるし、明治期のオフィスビルを復元した建物は落ち着きがあり、小さな展示室が連なっているから疲れませんし、作品との距離も近く、じっくり向き合えるのが嬉しいです。

桜満開から数日たっていたので、葉桜になっていて新緑の眩しい内庭。建物に刻まれた歴史を愉しみながら”さあ~ルドンに逢いにいきましょう”とワクワク気分です。

印象派の画家と同世代でありながら、幻想的な内面世界に目をむけたオディロン・ルドン(1840-1916)。その特異な画業は、今も世界中の人の心を魅了し続けています。

私が始めてルドンの絵を観たのはパリのオルセー美術館だったと記憶しております。衝撃をうけました。「この画家は何を見つめ、何を訴えようとしているのかしら・・・こちらの心の奥を覗かれているようだわ」と思ったのが最初の印象でした。

今回の展覧会は植物に焦点をあてた世界で初めての展覧会とのこと。オルセー美術館、ニューヨーク近代美術館MOMAをはじめとする世界各地の美術館からルドンの作品が集まりました。

ルドンはフランス・ボルドー生まれ。病弱だったため生まれてすぐ、親戚の家に引き取られ、自然豊かな田舎で11歳になるまで育てられました。

その体験は画業に大きな影響を与えます。両親の勧めで建築家を目指しますが受験に失敗。その後、画家を目指しますが遅咲きで、最初の版画集を出版したのは39歳のとき。

40代後半まで木版画や石版画(リトグラフ)など「黒」を基調とした作品を発表します。私はこの時代の作品はとても好きです。40歳で結婚したルドンは、長男を生後半年で亡くしますが、数年後に待望の次男を授かります。それまでの黒一色だった画面は一転し、50代になってから次第に色彩豊かな作品を発表します。

今回の展覧会ではドムシー男爵の城館の食堂を飾った装飾で、三菱一号館所蔵の大きなパステル画『グラン・ブーケ(大きな花束)』、同食堂の15点の壁画など90点あまり。

中でも「目をとじて」(リトグラフ)は、黒から色彩への転換期以降、ルドンの新たな主題でもあります。この作品をどのように解釈するか・・・は観る側に委ねられているように思います。

それが『秘密の花園』なのですね。岐阜県美術館蔵の「目をとじて」(油彩)も素晴らしいです。人間の内面や精神性を描いているルドンの作品を観ていると理性や理論では表現できない・・・心の自由を感じます。

丸の内のオフィス街にひっそり隠れ、四季折々の花が咲く秘密の花園のようなガーデンでワインを一杯!・・・と書きましたが、季節が素晴らしいので外国の方々も、バギーに赤ちゃんを乗せたママなど、大勢の方で賑わっていました。

会期は5月20日まで。
http://mimt.jp/redon/

映画『しあわせの絵の具~愛を描く人 モード・ルイス』

「絵の具があるから。窓があるから。そこを鳥は通り過ぎ、枠いっぱいに、命があふれるから」。

「この手に筆、目の前に窓さえあれば、私は満足です」。

モード・ルイス自身のことば。
世界的には賞がらみの多いこの頃の映画界ですが、この真珠のような輝き、そして芯のある一作にくぎづけになりました。

カナダの東部の小さな村に、鍛冶職人の父、絵と音楽を愛する母にとって待望の女の子の誕生でした。しかし、子どもの時にリウマチにかかり、身体が不自由でした。父の死。そして最大の理解者だった母の死。叔母に預けられ厄介者扱い、失意の日々を過ごしていたある日、家政婦募集の新聞広告がモードの人生を大きく変えることになるのです。

雇い主は無骨で多くを語らない、孤児院で育ち字も書けない魚の行商で生計を立てている男・エベレット。俺が主人、犬が次。家政婦はビリ。そんなふたりがいつしかお互いを理解し結婚し、やがて彼女が小さな家の壁や外壁、窓に描く絵がニューヨークから避暑にきていた女性の目にとまります。

主演のサリー・ホーキンスとイーサン・ホークは町外れの家に住む天性の画家とその夫を見事に演じています。実力派女優のサリー・ホーキンスはもともと絵の素養があり、それでも役を演じるために画学校に通ったそうです。

モード・ルイス(1903~70)が描く絵、素朴派芸術(ナイーヴ・アート)とは、美術史、テクニック、観点においては正式な教育や訓練を受けていない人物が創作した芸術をさします。

簡素さと率直さ、心に響いた絵を描く彼女。無欲な彼女の絵はやがてカナダを代表する画家になるのです。5ドルから始まった絵は現在は美術館に入り途方もない値段になっているとか。

なによりも不器用な二人。このふたりの時間が育てた夫婦の愛は67歳で生涯を終えるまで、長年連れ添ったふたりだけに通じる強い精神と、寄り添い、貧しくとも豊かな、そして温もりのある家。家そのものが作品となっています。”ペインテッドハウス”は作品郡と共にノバスコシア美術館で見ることができるそうです。

人間、孤独な男と女は寄り添うことで愛はうまれるのですね。

実話をもとにアイルランドの監督アシュリング・ウオルシュとカナダの脚本家シェリー・ホワイト、女ふたりの協同作業がこのような素晴らしい映画を作り上げたのですね。

映画も多くは語りません。過去や心理描写には深入りせず、観る側に委ねてくれる心地よさ。

何も望まず、そっと今のままで・・・それでじゅうぶん。モード・ルイスが教えてくれる、人生で大切な喜びを・・・。

久しぶりに心が暖かくなりました。

私は東銀座の東劇で観ましたが、渋谷の文化村その他で上映中です。中高年の方々でいっぱいでした。

映画公式ホームページ
http://shiawase-enogu.jp

100歳まで動ける体になる「筋リハ」

「いつもお元気で何よりですね」。

そんな嬉しい言葉をかけていただくことが多いのですが、私も70代半ば。近頃は体調管理の必要性を切実に感じるようになりました。

年齢を経て気をつけなくてはならないのは転倒だとよくいわれます。実は私はその経験者。60代半ばの雨の日、ハイヒールをはいていた私は、濡れた大理石の床でバランスを崩し、背中を打ち、圧迫骨折してしまいました。

以来、足腰を鍛え直したいと、箱根の山を歩くことにしました。天気のよい日は富士山や芦ノ湖を見ながら、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、2時間ちかくも険しい山道をあるいていました。ところが、昨年アクシデントに見舞われました。突然、足があがらなくなり、歩くのが辛い、痛い。

すぐに整形外科の先生に調べていただいても、骨にも筋にもレントゲンでは異常なし。骨密度も問題なし。しかしかなりショックでした。『大変!このまま歩けなくなるのかしら』と、ちょっとしたパニックになり、体や足に関する本を読み漁り、マッサージも続け、歩きの専門家をも訪ね、ようやく理由がわかりました。

良かれと思って、山道を歩き回っていたことこそが原因だとわかりました。トレーナーに教えていただいたトレーニングとストレッチを朝の日課にしました。そんな時に出会った本が、筑波大学大学院教授の久野譜也さんの 『100歳まで動ける体になる「筋リハ」』です。

「落ちてきた体のさまざまな機能を”元気だったあの頃の状態”にまで戻すことができるのです。筋肉は、わたしたちの体の中で活力エネルギーを生み出している工場のような存在なのです」と書かれておりました。

70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうとか。でもその筋肉は無理なく再生が可能なのだそうで、運動が苦手な人でも日常生活の中でできる科学的なプログラムが書かれておりますし、「筋肉運動」と「ウオーキングなどの有酸素運動」の両方を行うことによってこそ、若さや健康を取り戻せます。と。

中高年の筋力運動、サルコペニア肥満、健康政策などを研究なさって著書も多数。

私は納得し、さっそく始めました。これは、ラジオお聴きのリスナーの方にもぜひ聴いていただきたいと思いゲストにお招きし、お話を伺うことにいたしました。収録は来週20日なので、次回のブログに詳しくご報告いたしますね。

きつくない、つらくない。がいいですね!

いくつになっても『動ける体』・・・を目指したいものです。体は限りある資源。決して無理をせず、かといって甘やかさず、自分の体にちゃんと向き合っていかなければと今、改めて思います。

ジャンヌ・モローさん


2月17日から3月2日まで有楽町の角川シネマで『華麗なるフランス映画』が4K映像で初上映されました。

ドロン、ドヌーヴ、モロー、ベルモント!毎日4回。
太陽はひとりぼっち・昼顔・ダンケルク・哀しみのトスカーナ・エヴァの匂い・突然炎のごとく・・・など、毎日違う組み合わせで上映されるので観たい時間を選べばよいのですが、私はなんと言っても『ジャンヌ・モロー』の大ファンなので、「エヴァの匂い」と「突然炎のごとく」を続けて観たく早朝のバスで下山し、1回目と2回目を観ました。

ジャンヌ・モローさんは2017年7月31日、老衰により89歳で亡くなられました。1957年の「死刑台のエレベーター」「危険な関係」「雨のしのび逢い」、そして1962年の「突然炎のごとく」「エヴァの匂い」。

最後の作品は2012年の「クロワッサンで朝食を」。この映画については以前ブログにも掲載いたしましたが、モローらしい・・・いえ、彼女そのもののような毅然とした孤独なブルジュワマダムを見事に演じていました。

衣装のシャネルスーツは彼女自身の自前だったそうです。ですから、よりリアルに、役を演じている・・というより彼女の日常を垣間見ているようでした。女優、脚本家、映画監督、歌手、さまざまな分野で活躍されましたが、私はやはり『女優ジャンヌ・モロー』が一番好きです。

今回の「突然炎のごとく」は、男二人と女一人の三角関係。モローの小悪魔的魅力を監督のフランソワ・トリュフォーが見事に演出しているのですね。

モノクロ、この時代の映画をカラーではなく今モノクロで観ると、こちらの想像力を駆り立てむしろ鮮明な色・空気・匂いまでもを刺激され楽しませてくれます。

自由気ままな彼女に翻弄されつつ・・・三人の長きにわたる恋愛模様は、やはりフランス映画だからのシチュエーションでしょうか。彼女の可愛らしさ、女としての匂い、たしかな演技力、トリュフォー監督屈指の傑作です。

私が最初に映画館で観たのはもう半世紀以上前。まだまだ子どもで、でも生意気盛り、「やっぱりトリュフォー、モローだわ!」などとつぶやいていましたが、なにも分かってはおりませんでした。あたり前ですよね。ラストシーンがあまりにも有名で、ショッキングだったので鮮明に覚えてはおりますが。

モローは1928年・パリ生まれ。父はフランス人のレストラン経営者。母はイギリス人のキャバレー・ダンサーで母の影響を受けて育ち、パリのフランス国立高等演劇学校で演技を学び、1947年に舞台デビュー。劇団コメディー・フランセーズで頭角を現します。

以前、彼女のインタビュー記事を読んだとき「私の生まれたモンマルトルは歓楽街に近く、そこに住むダンサーや情婦たちの世話になり、お金のない私にごはんをおごってくれたり、いろいろ世話してくれたの。そんな彼女たちの恩は一生忘れられないわ」と語っていました。独特のかすれた声、ざっくばらんな話し方。

「反骨の人」「自由人」・・・ジャンヌ・モロー死去。
一人暮らしの自宅で亡くなっているのを翌朝、家政婦が発見したそうです。いつも、毅然としていたモローは人生の終焉をひとりで迎え、それは覚悟して”ひとりで暮す”ことを選択した彼女の人生。

寂しささえも、自分の一部になっていたのでしょうね。
孤独だからこそ、自由でいられたのでしょうね。
そして、孤独はけっして怖いものではない。・・・とモローに教わりました。

下町、モンマルトルのビストロの”オニオングラタンスープ”が忘れられなくて、白ワインとスープをいただき、暗い夜空に輝く星を眺めながら帰路につきました。

映画『ロング、ロングバケーション』

今週も映画のお話しです。

「最高の旅をした人生」にする。
大好きなキャンピングカーで二人は走り出した。
”そう、人生は上々だ!”

半世紀以上連れ添う70代の夫婦が、キャンピングカーでアメリカ縦断の旅にでる。

夫・ジョン(ドナルド・サザーランド)の運転する年季の入ったキャンピングカーに乗り、ルートは1号線を南下しキーウェストのヘミングウェイの家へと二人は旅に出る。

妻・エラに扮するのは、アカデミー賞に4度ノミネートされ、「クイーン」で主演女優賞を獲得したヘレン・ミレン。ジョン役のドナルド・サザーランドも2017年、アカデミー賞名誉賞に輝いています。

そして、監督は今やイタリアのNo.1のパオロ・ヴィルズイ。

「私はイタリア映画の申し子ですし、イタリア映画界の一部であることを誇りに思っています。ですから、アメリカで撮影するというプロジェクトは、半ば賭けのような気持ちでスタートしたのです。」と監督は言います。

原作の素晴らしさと主役の二人が快諾してくれ、その時点で作品への情熱がさらに駆り立てられました、とも語っています。

妻は末期ガンを患い、文学教師だった夫は認知症が進むなか、ハンドルを握り東海岸の陽光を浴び、ひたすら走ります。

敬慕するヘミングウェイの家を見せてあげたいと願う妻エラ。人生を共に歩んできた二人にも秘めた出来事があり、思わぬところで露呈し、絶望し、また再生し、希望をもち、老夫婦はそのトラブルまでも謳歌してしまう、旅を続けます。

『哀切』ってこういうときに使われる言葉なのでしょうか・・・。

「最後の瞬間まで自分の人生を選ぶという問題にたいしてどう向き合うか」を考えさせられる映画です。

最期の瞬間まで、息子達の意見を、理解ある医師たちの考えを尊重しますが、自分の人生を選ぶ自由は自分達本人です。

そこにはアメリカのヘルスケアシステムがあると言われています。人生の最後に多額のお金が使われる仕組みになっているとか。そのような背景を監督はどのような形で示したかったのか。

名優二人の演技は、演技をしていることをも忘れるほど自然体で、ユーモアがあり、人間的な魅力溢れる芝居なのです。だから名優なのですね。

唐突なラストは申し上げませんが、心に深く余韻を刻んでくれます。

”そう、人生は上々だ!”

そう・・・こんな愉快な旅ができたら人生最高ですね。たとえ何があったとしても。
いい映画でした。至福の1時間52分でした。

TOHOシネマズ日本橋などで上映
映画公式ホームページ
http://gaga.ne.jp/longlongvacation/

映画 ベロニカとの記憶

1月20日から公開された『ベロニカとの記憶」』を観てまいりました。

上質な大人の映画。

監督は世界中で大ヒットしたインド映画「めぐり逢わせのお弁当」のインド・ムンバイ生まれのリテーシュ・バトラ。そしてキャストはイギリスの名優ぞろい。

私の大好きな1946年生まれのシャーロット・ランプリング。
「さざなみ」(15)でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。
この役は彼女しか考えられませんでした。と言う監督。
納得です。

主人公のトニーを演じるのは1949年生まれのジム・ブロードベント。他にも素晴らしいキャストの皆さん。原作「終わりの感覚」は読んでおりませんが、ぜひ読みたくなりました。

原作に基づいているとはいえ、映画では他の観点が加えられています。
主人公を演じるジム・ブロードベンドは語っています。

「原作は台本を受け取る前に読みました。素晴らしい作品ですね。自分の”主観”と他者が見る”客観”にはずれがあるというテーマに惹かれました。」と。

青春時代の思い出、初恋の真実、自殺した親友。美しい青春の物語。でも残酷です。

人間って、とくに若い頃の記憶は過去を美化し、意とせずに記憶を正当化し、記憶を塗り替えてしまう側面があります。ストーリーを詳しく書きたいのですが、この映画は人生の”ミステリー”です。

詳しくは公式ホームページをご覧ください。

私自身も観終り自分の思い出の扉をあけてみました。
初恋のこと、自分自身の青春時代、そしてそれらは歳を重ねて今思うと、生きて来た時間の中でその”記憶”は正しかったのか・・・と。

『奇妙な遺品が、40年前の初恋の記憶を呼び覚ます』・・・と書かれています。でも、観終わったあとの清々しさ、そして、人生に新たな希望と輝きを与えてくれる、元気になれる映画ですし、”人生って素晴らしいものだわ”と感じさせてくれます。

そして、老いてからの”許し”についても考えさせられました。

いかにもイギリス映画ですし、インド生まれの監督は世界中で映画を製作していますが、イギリスの歴史、文化、人々の営みを知り尽くされておられる・・・とも思いました。

アメリカ映画では実現できなかったでしょう。男と女、なかなか理解し合えないけれど、いつか寄り添うことで理解できるかも・・・とも思いました。秀逸の映画でした。

映画公式ホームページ http://longride.jp/veronica/

詩とオードリー・ヘプバーン

友人から一冊の詩の本をお借りしました。

倚りかからず』(ちくま文庫) 茨城のり子著

よりかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
自分の耳目
自分の二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

そうですね・・・そうそう。
椅子の背もたれだけで充分ですね。
他に倚りかかって生きていくのは美しくないですね。

この年齢になって、この詩の偽りのない、美しい日本語が理解できるようになりました。他にも素敵な詩が収められています。

先日、日本橋三越本店 新館で開催されている『写真展オードリー・ヘプバーン』に行ってまいりました。22日(月)まで。

オードリー・ヘプバーン(1929~1993)は「ローマの休日」、「麗しのサブリナ」、「ティファニーで朝食を」、「マイフェア・レディー」など数々の名作品に出演し、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞など受賞しているのは皆さんもご存知ですよね。

痩身、大きな瞳と長い脚。ファッションセンスも抜群。世界中の人たちに愛されたオードリー。亡くなってからすでに25年が経とうとしているのに、会場は中高年と若い人も多少・・・いっぱいでした。

おちゃめな姿。妖精のようなしぐさ。会場の男性も女性もご自分の青春時代を重ねるように「あの映画・・・素敵だったわね~」などとお話ししながら一枚一枚を眺めていました。

スイスでの家族とのプライベート写真、ご主人のメル・ファーラと息子ショーンとの姿。そして、撮影の合間の写真など素顔のオードリーに出会えました。

私はシャンプーをしている姿や、セットの片隅で出を待つ姿。また自室で台本を手にしている姿など、今までに見たことのないプライベート写真など素敵な写真に出会いました。

会場には映画音楽が流れ私自身も青春時代に戻っていました。

私は幸せなことに、偶然二度彼女をお見かけしました。

一度は私が007の映画出演のため、ロンドンの格式高いドーチェスターホテルにかんずめにされ(笑)英語のレッスンに明け暮れていた毎日。

夕方終わり、クタクタになり格式あるホテルですのでジーンズというわけにはいかず、着替えてロビーに降りてゆきソファーに腰掛けひと息入れていたとき、回転ドア(現在はオーナーも変わり当時の面影はありません)が開きドアマンがレディーを迎えいれていました。

その周りには”オーラ”が輝き・・・そうなのです”オードリー・ヘプバーンさん”が入っていらしたのです。ジパンシーのベージュのコートをエレガントに着こなし、妖精のような大人の女性の気品があり、周りの人たちも静かに彼女を迎えていらっしゃいました。私はただ見とれているだけ。ため息がでそうな美しさでした。

もう一度は、彼女が女優を引退されユニセフの活動を熱心にされていらした時代。東京駅で偶然お見かけしました。

新幹線のエスカレータを上がると何か雰囲気が違い、どなたかいらっしゃるのかしら・・・と思いました。ちょうどオードリー・ヘプバーンさんが新幹線に乗る時でした。

スーツケースを関係者の人が持とうとしたら「ありがとう、これは私の荷物、自分で持ちます」と仰り新幹線の入り口に入れておられました。

私は感動しました。年を重ね、もう若くはなく、でも顔のシワすら美しく、背筋を伸ばして乗り込んだ彼女を”本当の大人の女性”だと思いました。

写真展を見ながら彼女の人生も順風満帆というだけではなかったはず。

しかし、”倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ”の詩が脳裏に浮かびました。

詩、写真。

豊かな一日でした。

寒中お見舞い申し上げます。

皆さまはお正月はどのように過ごされたのでしょうか。

私は、2日、3日の「箱根駅伝」で始まります。私の住むところが往路のゴールから5分のところにあり、往路では少し前に下りて行き、選手を迎えます。

駅伝には毎年ドラマがあります。若者が青春をかけ母校の襷を繋げる、その姿にいつも胸が熱くなります。往路は東洋大学、復路は青山学院が4連覇達成。シード権をかけての若者達の走りには毎回大きな声で応援します。

3日のスタートは夜明けとともに芦ノ湖辺りを、応援団の元気な声を聞きながら、散歩します。夜明けの富士山は凛とした神々しさを感じます。

三が日は箱根神社は大変な混雑なので、避けて初詣にまいります。早朝ですと人もほとんどおらず、ゆっくり参拝できます。

今年はどんな年になるのでしょうか。世界を見渡せば、問題山積、どうぞ”平和を”と祈りました。

そして、昨年12月から読み始めた原田マハさんの『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)をお正月でようやく読み終えました。

そして読み終えたら行きたかった、上野の東京都美術館で1月8日まで開催されていた『ゴッホ展・巡りゆく日本の夢』へ。

もっと早くにでも行けたのですが、なにしろ本を読んでから!と思っていましたから。正解でした。

1880年代のフランスを舞台にした長編小説。画家ゴッホと、日本美術を欧州に広めた美術商・林忠正。そして、兄ゴッホを終生支え続けた弟のテオ。

実在の3人に原田さんは架空の日本人を絡ませ、傑作が生まれる過程を描いています。もちろん小説ですからフィクションの部分もあるでしょう。でも、展覧会をじっくり観ると、数奇な運命を辿り、自らの命を絶ってしまった描写がより理解できましたし、これほどまでにゴッホが「日本への憧れ」をもった背景も良く理解できました。

南仏のアルルに滞在中に書かれた自室やひまわり・・・私はそのあと、サン・レミ時代の「オリーヴを摘む人々」など風景画も好きです。いかにまだ見ぬあこがれの日本、浮世絵版画に影響をうけたかが分かります。

新聞のインタビューに原田マハさんは答えられています。

「ゴッホは情熱と狂気という枕ことばがつくけれど、彼の数奇な人生を超えた所に『星月夜』のような名作生まれ落ちている。それがアートの素晴らしさだと、小説を通して分った」

「私の作品を読んで、アーティストが面白いと思った人は、美術館や展覧会に足を運んでほしい。それで私の小説は完結すると思っています」・・・と。

かつて、10代の頃、女優としてこのまま続けていくべきか、と迷ってヨーロッパ一人旅をし、最後に辿り着いたのがまだ古い木造建てのゴッホ美術館でした。

軋む階段を上ったところに飾られていた「馬鈴薯を食べる人々」や履きふるした「靴」を、またアルル時代の絵に出会い感動して涙がとまりませんでした。

それはなぜなのか・・・

55年の時を経て原田マハさんの「たゆたえども沈まず」を読み、何度も観ていたはずのゴッホの作品を改めて観て、私の心の奥深くにある「日本」への憧れがオマージュとして迫ってきました。

芸術って、時にその人生を導いてくれますね。

美術館から歩いて「鈴本演芸場」へ。恒例の「新春爆笑特別興行」の夜の部へ落語を聴きに行きました。

太神楽社中の獅子舞、追っかけをしている柳家小三治師匠、紙切りの林家正楽さん、はじめ漫才、講談、粋曲の小菊さん、他落語家の皆さん。トリは柳家三三師匠。大いに初笑いでお正月の締めくくり。

2018年 お正月も終わり、新たな年のはじまりです。
皆さまにとって良き年でありますように。

今年も宜しくお願い申し上げます。