クマのプーさん展

待ちに待った”クマのプーさん”に逢いに9日の初日、雪情報が出ている中、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに行ってまいりました。10時開場でしたがすでに長い列ができておりました。

今回は英国ヴィクトリア・アンドアルバート博物館から、クマのプーさん原画や資料も届き、物語が生まれた背景などがしっかり分かる素晴らしい展覧会です。

以前にもブログで映画のプーさんや、児童文学者の石井桃子展について書きましたが、私は大の”プーさんファン”です。

プーさんは年齢を問わず世界中の人々に90年以上も愛されてきました。私が始めてプーさんに出会ったのは「クマのプーさん・プー横丁にたった家」を図書館で見つけたのが、10代の半ば。

プーさんと仲間のピグレット、ティガー、イーヨ、ラビットにオウル、カンガとルー親子、そしてクリストファー・ロビン。A・Aミルン作、挿絵はJ・Hダウド。石井桃子訳。

ヴィクトリア&アルバート博物館は、シェパードが描いた鉛筆画や270点以上の原画や作品に関する手紙、校正刷りや写真などが寄贈され今回の展覧会となったわけです。

原画寄贈から40年以上を経て初となる企画展。ケンブリッジ大学の図書館からはA・Aミルンの手書き原稿もふくめ、”プーさんファン”にはたまらなく魅力的な展覧会なのです。開場では原画はもちろんそうした資料を間近でじっくり鑑賞している青年や女学生たち・・・私と同世代の方々。

そうなのです。私は石井桃子さんの訳に魅せられ、10代終わりの頃(以前にもブログに載せましたが)ロサンゼルスのディズニーランドで、原画に近い大きな”プーさん”の人形に出逢い、抱えて飛行機で一緒に帰国しました。半世紀以上が経ち、現在は孫の仲間になっています。

なぜ、これほどまでに愛されるのか・・・そこには友情と、他者を受け入れることの大切さを学ぶことができるのです。そして、挿絵の中の森や橋など実存する自然がより身近に感じられるし、ユーモアもあり挿絵と文字が一体となって心をポッと温かにしてくれます。

普通の暮らしから親子の在り方、空想や子供が大切に思っていること、自然が与えてくれる豊かさ・・・全てがこの物語にはあるように思います。だから世界中の人々がこれほど魅了されるのですね。

開場は一部撮影可です。スマホで撮る若者、私はいつも持参しているコンパクトカメラで撮りました。原画の可愛いクマのプーさんを見てください。

シェパードはインクで書く前に鉛筆で登場人物の輪郭をラフスケッチしています。登場人物の動きなど試行錯誤を重ねていることなどが分かります。

4月14日まで開催されていますから、時間があったら覗いてみてください。お薦めです。

なんだか・・・心がじーんときて幸せな気分になりました。

クマのプーさん展 公式サイト
https://wp2019.jp/

映画 『天才作家の妻-40年目の真実ー』

人生の晩年を迎える夫婦の危機を見つめる心理サスペンス。
完璧な”妻”が最後に下した決断とは!?
と新聞に載っていました。

1950年代のニューヨーク、60年代と90年代のコネチカット、さらに90年代のストックホルム。

現代文学の巨匠として名高いジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)と妻ジョーン(グレン・クローズ)のもとにスエーデンから早朝に電話がはいります。

「今年のノーベル賞はあなたに決りました」と。そして受賞式に出席するため夫婦は息子と一緒にスエーデンのストックホルムへと向かいます。

それまでは完璧な”妻”だった妻ジョーンは・・・この映画は心理サスペンスです。

詳しいストーリーは今回ブログには載せませんが、グレーン・クローズの表情で、目で語る静かではあるが、恐ろしいほどのリアルさでの演技には圧倒されました。

そして夫役のジョナサン・プライスの演技は舞台で培われた経験豊富な実力者らしい演技。40年連れ添った夫婦。60年代のアメリカという時代背景から、この映画を観ていかなければなりません。

妻のジョーンは才能溢れる作家志望の女性でした。しかし、日本同様に男女の社会格差があのアメリカでも現実にはけっして平等ではなかったことに驚きを覚えました。

「よき妻を演じる」「秘密を抱えた夫婦に・・・」さ~どのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。どこにでもいる夫婦。誰でもが積み重ねていく日常。それらのヒダを演じる役者の巧みな演技。

監督、シナリオ、共に見事です。そして、この映画の素晴らしいところは「理屈では語れない”愛”が存在していること」「自立とは・・・」と我がこととして考えることができ、観終わった後に深く人生を考えられること、それもポジティブに。

女優・グレン・クローズさんの素晴らしい演技に乾杯!アカデミー賞を受賞してほしい、と思いました。観終わったあとの開放感はまた特別でした。

映画 ボヘミアン・ラプソディ

伝説のバンド「QUEEN」

60年代後半から70年代。私はロックバンドの音楽やコンサートにはあまり行っていないし、聴く曲も何となく”聴いたわ、知っている・・・CMや映画で”程度のまったくの未知の世界でした。

今回映画を「IMAX」で観ました。音響、映像、なによりもワンフレーズを耳にした途端に鳥肌がたつような想いにかられ、吸い込まれていきました。

1970年、ロンドン、複雑な生い立ちや、容姿のコンプレックス、セクシュアリティを抱える若者フレディのスタート。

彼は1991年45歳という若さで他界しています。彼らを演じるのは現在活躍している俳優たちです。

正直に言って映画の中盤からでしょうか・・・なぜか涙が止まらない、バックからハンカチをそっと取り出し目頭をおさえ、エンドロールになってもその感動を抑えることができません。

ヴォーカルのフレディ・マーキュリー。魂が乗り移ったかのようにフレディを演ずるのはエミー賞にも輝いたラミ・マレック。音楽総指揮は、「フレディの意思を守るため」に全てに関わったというQUEENのメンバー、ブライアン・メイとロジャーテイラー。

観衆、人々に寄り添い続けた名曲の数々はこれほどまでに人の心を揺さぶるものなのでしょうか。ひと目で恋に落ちるフレディ。数々のヒット曲を世に放ち、大スターになっていく「QUEEN」そしてそこから生まれるフレディの苦悩の数々。

『これは伝記映画ではなく、純粋なアート』。

家族や人間関係、希望、夢、悲嘆や失望、そして最後には勝利と達成感が誰にとっても共感できるものがたりです、と語っていますし、制作したクラハム・キングは『この映画で私たちがやり遂げたことを誇りに思う』と。

10年近い歳月をかけて制作した彼の思いには尊敬いたします。そして、私はフレディ役を演じたラミ・マレックに拍手喝采!です。彼は語っています。彼の曲に共通するテーマは『愛だね、愛を求め、愛を見つけることへの切実なニーズ。そして、かなわない、その願い』・・・

フレディは大変な日本贔屓で、7回の来日のうち1回はプライベートできて、美術関係に造詣の深いフレディは日本の骨董品もずいぶん買われたようです。

1975年の初来日の羽田国際空港。大勢の日本人女性の歓迎をうけます。私は・・・といえばその頃、羽田空港国際線ターミナルからニューヨークやインドなど、また日本国中の旅の下。

ほんとうに残念です。当時のライブを生で観られなかったことが・・・。映画館にはその「QUEEN」のコンサートやCDなどを楽しんでいらした女性たちや若者も多く、すでに興行収入は100億を超えたとか。

この年齢で知ったロックの魂に触れられた幸せをかみしめながら、近じかもう1回観に行こうと思っています。

松の内

皆さまはどのようにお正月を過ごされたでしょうか。今日から「御用始」。挨拶回りや新年会、という方。まだもう少しゆっくりお休みという方。主婦の方は年末年始はゆっくりできませんね。ご旅行に出かけられた方もおいででしょうね。

「松の内」は関東では元旦から6日または7日まで、関西では14日または15日まで。

『初夢』はごらんになられましたか。元旦の夜から2日の朝にかけて見る夢。「一富士、二鷹、三茄子」は、縁起のよい夢の代表。私はこの古伊万里の大皿で元旦を迎えます。

年にたった一回、お正月の朝だけ、おせち料理の取り皿として使います。一年に一度の出番なんて贅沢のようですが、晴れがましい気持ちになりますし、心のなかでウフッとしてしまうような楽しさがあります。

初夢のめでたいもの尽くしのお皿一枚一枚、家族一人ひとりの前に並べながら、家族の息災と幸せを祈ります。調べてみましたら「一富士二鷹三茄子」の節はいくつかあることがわかりました。ひとつは「不死、貴、成す」つまり日本人お得意の語呂あわせからきているという節。またかつては冬のナスは高価な贅沢品なので、初夢に出てくるのは縁起がよいとされた説など・・・

平成最後の元旦、私は夜明けとともにわが家から歩いて30分ほどの箱根神社に初詣に向かいました。うっすらと茜色に染まった雲、山の稜線、澄んだ空気。元旦の初空は晴ればれとしています。

2019年が、災害のない平和な年になりますように。そして、家族の無病息災を祈願いたしました。

そして2日は箱根駅伝を沿道で観戦。小雪舞う芦ノ湖に選手が次々にゴール。あの山を上ってのゴールです。3日は早朝、まだ月、星の見える時間にスタート地点に行き、応援団の皆さん、「箱根駅伝」のスタッフの皆さん。地元わが町の皆さんのお手伝いする姿、スタート前にインタビューを受ける監督など。富士山の美しい姿も芦ノ湖の向こうに見えてきます。

一年間この日のために頑張ってきた選手、スタッフのみなさん!頑張れ!ゴールするまで応援を続けます。

そして、今日4日は毎年恒例の上野鈴本演芸場に新春の落語を聴きに行きます。お正月ならではの出し物。華やかな寄席です。自称”おっかけ”の小三治師匠もご出演なさいます。トリは柳家三三師匠。

こうして私のお正月は終わり、仕事始めは6日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」がスタートします。新年最初のお客さまは、政治学者の姜 尚中(カン・サンジュン)さんです。

この度、『母の教え 10年後の「悩む力」』をお書きになられました。姜さんは来年(2020年)、古希を迎えられます。これまでの生活をリセットされ軽井沢へと移住されました。

この放送は収録なので、年末にお話は伺いました。ご著書の中に『私は今、極寒の厳しい冬が巡ってくるにしても、「高原好日」の環境のなかにいる。生々しい下界の世界に片足を置きつつ、他方で、高原の緑に身を潜め、世界を揺るがすような出来事をじっと見つめている』・・・お母さまからの教えについてもたっぷり伺いました。放送は2回にわたります。ぜひ、直接、姜さんのお話をお聴きください。

放送は1月6日、13日
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

良いお年をお迎えください

寒気厳しく、星空が美しい季節となりました。

今年も残りわずかとなりました。
皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

今年も私のつたないブログをお読みいただきありがとうございました。

16歳で映画デビューから60年。この11月で私は75歳になりました。今の私があるのは、多くの方との出会い、支えられ、と感謝の気持ちで毎日を過ごしております。

人生100年時代を見据え、生活はシンプルに。毎日の暮らしを心豊かに・・・そして、モノより時間、感動、好奇心をもち、できたら無理をせず旅も続けたいし、映画鑑賞と美術館巡りは欠かせないし、アンテナをはり情報を集め来年も健康に楽しく過ごしたいと思っております。

仕事は今まで続けてきた『農・食・美しい暮らし』というライフワーク、そしてラジオのレギュラー番組・文化放送「浜美枝のいつかあなたと」などを中心に、これからも丁寧に歩んでいくつもりです。

今後とも変わらぬお付き合いをいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えくださいませ。
浜 美枝

美智子さまと星の王子さま

先日、本屋さんで素敵な本に出逢いました。

美智子さまと星の王子さま”です。
鮫島有美子さんの文章で彼女の歌と朗読のCD付きです(文藝春秋)。

美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディ、歌曲『星の王子の・・・・・』を知っていますか?と帯に書かれていました。

え、美智子さまが”星の王子さま”にメロディを? 『星の王子さま』の翻訳は内藤濯(あろう)氏。メロディは内藤さんの和歌にでした。

いずこかに
かすむ宵なり
ほのぼのと
星の王子の
影とかたちと
(内藤濯氏によるものです)

ねむれ ねむれ
母の胸に
ねむれ ねむれ
母の手に
(以下略)

「シューベルトの子守唄」の訳詩もされた方です。世界中で親しまれ、読まれてきた「星の王子さま」。中でも内藤さんの訳が私は一番好きです。翻訳された時は内藤さんは70歳になられておられたとのこと。なんと瑞々しく、優しく、どこかロマンチックで美しい日本語なのでしょうか。日本でも600万人を超える読者に親しまれているそうです。

内藤氏の訳本、『星の王子さま』が最初に店頭に並んだのは昭和28年でした。しかし一色刷りで、本来の美しさではなく内藤氏はお気に召さなかったとのこと。発売から十年の歳月を経て、昭和37年に現本通りに多色刷りの挿画が実現されました。そうなのですね~・・・私はこの愛蔵版が(岩波少年文庫版)出版された時に購入し、夢中になって読んだのですね。

昭和38年の春、当時皇太子妃であられた美智子さまのお手元に届けられたそうです。ご存知のように美智子さまは童話や絵本にも造詣がお深くていらっしゃいます。でも当時内藤さんの『星の王子さま』をご存知でいらっしゃらないと耳にした内藤氏が献上され、『星の王子さま』を読まれた美智子さまから内藤氏にお礼のお手紙が送られてきます。

「あまり美しい物語だったためでございましょうか、読み終えて少しさびしくなりました。よい御本を頂いて、本当にうれしゅうございます」(美智子さまと星の王子さまから)

こうして交流がはじまったお二人は親子ほどの年のひらきはあるものの”美しいことば”を通し、交流を深められていらしたのですね。美智子さまからのお手紙を女官が時折お届けの時は文箱の上には、東宮御所のお庭で摘まれた小さな花が一輪、さりげなく添えられていたそうです。美智子さまは時折小さな花束をお持ちになり被災地をお訪ねになられますね。

枯野の箱根の山で青空の広がる午後のひととき、こうして「「美智子さまと星の王子さま」を読み、まもなく訪れる「聖夜」に想いを馳せ、太陽の新生を祝いたくなります。バックに美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディが流れています。

素敵な本に出逢いました。

『平成』という時代に美智子さまと共に歩んでこられたことに深い感謝の気持ちでいっぱいです。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

師走に入りこの時期の旅は”静かに旅”ができるのです。草木も枯れはじめ一面の枯野。箱根から小田原、東京で北陸新幹線に乗りJR長野駅へ。さらに長野鉄道に乗り換え35分で小布施に着いてしまいます。

駅から徒歩約10分で町の中心へ。まずは「栗の町小布施」ですから小布施堂本店で栗蒸し羊羹とお抹茶でひと休み。この小布施は人口1万2千人あまりのところに今や年間100万人以上の観光客が訪れるそうです。

そんなことで私は”栗の季節”を避ければ素敵かも・・・との思いで初めて小布施に行ってまいりました。小布施の町づくりは有名で、一度は訪ねたいとは思っておりました。「豊かな自然に包まれた小布施らしい暮らし」をイメージし長い年月をかけて作り上げた美しい町、小布施。

以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」でゲストにお招きした神山典土さんの書かれたノンフィクション『知られざる北斎』(幻冬舎)を一気に読みました。帯にはモネ・ゴッホはなぜ北斎に熱狂したのか?日本人だけが知らない真実。「ジャポニスム」の謎を解く。とあります。2019年は北斎の170回忌!

今回の旅の目的はその北斎を訪ねることです。

83歳から小布施に拠点を置き、亡くなる90歳まで描いた肉筆画や祭屋台絵など貴重な作品が「北斎館」に展示されていることを知りました。

「江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)についてはある程度の知識はありましたが、今回はじめて観る肉筆画や祭屋台の天井絵の「浪図」2点。浮世絵はヨーロッパに大量に流失してしまいますが、肉筆画は小布施で堪能できます。

70歳代で描いた「富嶽三十六景」や「富嶽百景」などはよく知られていますが、当時の80歳代といえば平均寿命の倍近く、なぜ80歳代になり江戸から250キロも離れた小布施まで行ったのでしょうか。

そこには良きパトロンでもあった豪農商、高井鴻山(こうざん)の存在が大きかったのでしょう。詳しくは「知られざる北斎」をぜひお読みください。

北斎館と高井鴻山記念館をつなぐ「栗の小径」は栗の角材が敷き詰められていて足に心地よいです。そして、どの家々も塀をつくらず小路を抜けられるようにできているし、自動販売機は見当たりません。賑やかな看板もないし、ほんとうに落ち着いた街です。でも・・・100万人の観光客。住民のご苦労は大変なことでしょう。

北斎も小布施の栗を楽しまれたのでしょうね。江戸時代は小布施栗は将軍家への献上品だったそうですから庶民には高根の花。砂糖や寒天以外、餡にも小豆など使われていないのが小布施流だそうです。80代の北斎も栗羊羹など食べて一心不乱に画業に励んでいたのでしょうか。

文人墨客をもてなし、北斎も逗留した高井鴻山邸跡は記念館になっていて当時の面影を感じ取ることができました。

そして、最後に今回どうしても見てみたかった俳人・小林一茶ゆかりの古寺で天井には北斎が肉筆で描いた21畳敷もある「大鳳凰図」のある岩松院へと向かいました。

穏やかな農村風景の中、山門をくぐると、ナントナント「法要のため」午後の見学はできません!と書かれてありました。「う~ん、またいらっしゃいと言うことね~」とあきらめ街に戻り、最後に向ったのが「栗の木テラス」。こちらでモンブランとダージリン紅茶をいただき小布施の旅を終えました。

100万人もの観光客が訪れるのに、素朴で小さな駅舎がなんだか心をポカポカとさせてくれます。夕日の落ちかける中、町の人たちの穏やかで優しさに包まれた初冬の小布施。車窓からは赤く染まる山々が見送ってくれます。

『北斎さ~ん、またお逢いしにまいりますね』と。旅っていいですね!健康でいたい・・・としみじみ思った一日でした。

『ピエール・ボナール展』 オルセー美術館特別企画

「色彩の魔術師」と呼ばれるフランスの画家ピエール・ボナール(1867~1947)展を観に東京・六本木の国立新美術館に行ってまいりました。

今回の展覧会は画業を振り返る「オルセー美術館特別企画」。オルセー美術館はパリ、セーヌの辺にあるかつての駅を美術館した見やすく、光も感じられ、パリに行くとかならず立ち寄る美術館です。

そう・・・最初に<猫と女性あるいは餌をねだる猫>を観たのもオルセーでした。なぜか、このモデルの女性に興味を覚え、ボナールという画家の人生を知りたくなりました。女性の名は『マルト』。本を読むと二人が知り合ったのは路上とされています。

1893年。マルトは常にボナールの傍らにいて刺激を与えていた・・・と言われ後年に結婚届を出す際に初めて本名や年齢を知ったとありますが、そんなことってあるのかしら?

しかも<浴盤にしゃがむ裸婦>などは入浴という営みをボナールは写真に収め、キャンバスへ。さらに<男と女>では男女の営みのあとを描き、そのベットに腰掛ける女は光の中に。右に立つ男の姿からボナールと思われるその男の表情から何か・・・不思議な距離感を感じます。不思議な絵画だわ~でもフランスらしい優美さがある。

今回の展覧会ではフランスらしい愛情、性愛、をとても都会的に描かれた作品の数々に出会え、また都会から自然へとボナールの人生の遍歴を写真と合わせて観られることも素晴らしいです。

パリを離れてからは頻繁に旅を続けてイギリス、イタリア、スペインへと、時にはルーセルを持っての旅など「色彩の魔術師」と呼ばれたのは自然のなかで注がれる光の効果などを得たのでしょうか。

ゴッホなどと同じように日本美術にも深い感心をもち”日本かぶれのナビ”とも呼ばれていたそうですが、やはり「浮世絵」や「琳派」からの影響で絵画、木版画、工芸品など日本美術への感心の深さが感じられます。やはり、かつて、オルセー美術館で観た<格子柄のブラウス>はまさに日本の格子の柄をモチーフにしています。

今回の展覧会ではこうした絵画130点が観られます。瞬間・瞬間を・・・それは自然と対峙しても、ボナールならではの切りとり方で描かれています。

そして、最後に出会えるのが<花咲くアーモンドの木>です。絶筆といわれています。のびのびと枝を伸ばし、青空の中、白い花を咲かせるアーモンド。死が目前にあり絵筆も持てなかったといわれます。

甥に頼み作品に手を入れ続け完成させたこの絶筆には、生命への再生、生きることの意味、(第二次世界大戦を経験している)戦争を感じさせる絵画はいっさいありません。それは展覧会130点を見終わったあとに”生命・いのちの尊さ”を教えられたような気がするのです。

日常のなかから、自然のなかから、入浴から、性愛から・・・親友や妻など愛する人々を次々と失った喪失感を乗り越えての絶筆はこの展覧会で最後に出逢える幸福(しあわせ)の一枚の絵画でした。

12月17日まで。
国立新美術館公式サイト
http://bonnard2018.exhn.jp/

ドキュメンタリー映画『幻を見るひと』

東京・恵比寿の東京都写真美術館ホールで7日間限定公開のドキュメンタリー映画を観てまいりました。何しろ7日間だけのロードショーなのですから・・・。24・25・27~30日、12月2日の7日間です。私は25日の日曜日に紅葉の美しい箱根の山を下り東京・恵比寿に。

詩人の吉増剛造さん(79)が京都を旅し、思索と詩作の世界を浮遊・・・いえ、ふけるさまをカメラは追います。まさに「映像詩」ですね。やはり詩人の城戸朱理さんが「京都に、竜を探しに行きませんか?」と誘われたのだそうです。

東日本大震災後、被災地を訪ね、衝撃を受け、言葉を失った詩人。その吉増剛造を待ち受けていた京都。1200年の歴史を持つ古都で何に惹かれ、何を感じ、どう言葉で表現するのか・・・とても興味があり観に行きました。

客席はやはり中高年の方々でほぼ、いっぱい。『幻を見るひと』がタイトルですから、その幻を観て見たい・・・

なぜ「竜なの?」

パンフレットには「京都は琵琶湖の8割という豊富な地下水をたたえた、ベネッツイアに比すべき水の都でもある。東洋の水の神である竜は、京都の豊かな水脈のメタファーだった。」とあります。四季を通じてのそれぞれの舞台。それぞれの歴史、人・・・

そして「詩人は四季の京都を旅し、その水脈に触れた時、失った言葉をゆるやかにとり戻していく。この旅から、『惑星に水の木が立つ』という新たな詩編が生まれた。」とも書かれています。

実験映画の父といわれるジョナス・メカス氏は

『映画のフイルム自体が、詩になっているとでも言おうか。
剛造の思考が詩になるプロセスが見えてくる。
とてもよくできたドキュメンタリーだ。
詩と詩人についての、最高の映画だと思う』

と語っています。

過去の作家・詩人と交感しながら詩作を深めていく手法を、私はドキュメンタリー映画のくくりには入れられない、との想いもあり国際映画祭で8つの賞に輝いたのは納得できました。

とにかく”美しいのです”枯山水、杉木立、水の雫、寺院、など等。洗練された映像。監督・編集・プロデューサーは井上春生 エグゼクティブプロデューサーは城戸朱理。

けっして押しつけはなく、時にはユーモアもあり、いままで文字でしか知らなかった吉増剛造の世界を堪能しましたが、正直に言ってこの映画をブログに書き、皆さんにお伝えする能力を私はまったく持ち合わせておりません。

海外の人がこの映画を観たら、すぐにでも日本を旅したい!・・・と思われるのではないでしょうか。

公式サイト
https://www.maboroshi-web.com/

心のなかに静かな水脈が流れ、日本人である喜びや、誇り、また失われた生命への悲しみ・・・こちらも”幻”を見たような、そんな刻でした。

映画『ガンジスに還る』

神保町の岩波ホールで映画「ガンジスに還る」を観てまいりました。

まず、驚いたのがこの映画の脚本・監督が1991年の生まれ、27歳でこの映画を撮ったということです。

監督はインド・コルカタ生まれ。インドの小さなヒマラヤの街で育ち、ウッドストック・スクールに通い演技を学ぶが、演技より脚本や演出に興味を持ちはじめ、2013年からニューヨークで映画製作を学びます。

2014年にはアカデミー賞短編映画部門にも選出されています。企画の始まりは、「インドを再発見したい」「見たことのない土地を訪れたい」「自分を見つめ直したい」という好奇心からだとインタビューに答えています。

4ヶ月かけてインドを南から北へと旅を続け、最後の土地が映画の舞台となる”バナラシ”だったそうです。そこは「死を迎えるためのホテル」があることを事前に聞いていたので訪ね、ホテルの従業員、火葬場で薪を売る人たちなど様々な人から話しを聞き構想が膨らみ1年半かけてリサーチをしたそうです。

この若さで「死」をテーマとした映画、しかもユーモアもあり、死を待つ人が心の準備をし、現代社会・・・つまりよく言われるインドのエキドチックな世界ではなくごく日常を描けたのか・・・が驚きです。世界のどこにでもいる家族の物語です。

ある町の中流家庭でお爺ちゃんが突然、夢で自分の死を予感したからバラナシに行くといいだします。仕事盛りの忙しい息子夫婦、孫娘たちは、「お爺ちゃんはまだまだ元気なのに」と大反対しますが、聞きません。

息子は会社の仕事も忙しいのに仕方なくスマホを持ち「解脱の家」へと向かいます。そこは医療設備がなく、掃除、食事、も自分で。粗末な部屋を見た息子は帰宅をうながすのですが聞かない。

15日しか滞在できない決まりですが・・・しかしそこに18年も住んでいる未亡人がいたり、川で洗濯をする息子に書き物をしながら「挫折を人のせいにするな」など元気。熱をだし、死を覚悟するものの翌朝はケロリと回復。わだかまりのある父と息子は、ガンジスのほとりで一緒に過ごし、お互いを少しづつ知っていきます。人生最後に理解し合うのですが、このよくあるストーリーも構成が巧みなので、引き込まれます。

監督は「ちょうど僕の祖父は自分の老いを感じ始めて、今までの人生見つめ直しているようでした。そんな祖父をみながら、同時に、語り継がれてきた伝統と現代の生活にある溝を感じていました」と語っています。

映画の舞台となっている「バラナシ」は三島由紀夫『豊饒の海』、遠藤周作『深い河』沢木耕太郎『深夜特急』などの舞台にもなっていることで有名です。

バラナシ市内には、大小3000を超すヒンドゥー教寺院と1400のモスクがあります。そして全長約2,500キロメートルの大河、ガンジス河が流れています。

私ごとですが、私はこのバラナシには7年ほど10代から通いました。もともとは「ガンダーラ美術」に憧れインドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方を旅して歩きました。

1世紀から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代の仏教美術はギリシャ彫刻の影響を受けた仏さまなので、セクシーで(不謹慎ですね!)彫りが深く美しいのです。ニューデリーの美術館はもちろんのこと、むしろ列車で10時間近く行った地方の小さな美術館やガタゴトバスに揺られていくような村などに当時はガンダーラの仏像に出会えたのです。よくま~ひとりで・・・旅を続けたもんです。

そんな旅の最後に出会ったのが、監督と同じバラナシでした。川では早朝からヒンドゥー教徒が沐浴(髪・体を洗い清める)をしている光景がみられ、ガンジス河で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれます。そして「解脱の家」で安らかになくなった方が火葬され遺灰が河に流されます。

そんな空気感、風、匂い、人の息づかい・・・路地裏を歩いた記憶。様々なことを思いおこしてくれました。

ヴェネチア国際映画祭で10分間のスタンディングオベーションが鳴り響いたといわれます。温かさと優しさに満ち溢れ”死”について考えさせられた素晴らしい映画でした。

若き才能溢れるシュバシシュ・ブティアニ監督に、そして主演の息子役を演じたインド・アッサム生まれのアディル・フセイン、その他の俳優さんたちに、拍手喝采!

こうしてブログに書いていても、しみじみとした余韻が残ります。