人生に、銀座に乾杯!

先日私が出演しております文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」に素敵なゲストをお迎えいたしました。(日曜10時30分から11時まで)
銀座「BAR5517」の80歳で現役のチーフバーテンダーの稲田春夫さんです。
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「シェイカーは五感で振る」と仰います。
ただの技術ではなく、絵画や演劇など芸術に触れて感性を磨く。それをシェイクに生かす。
世界各国を歩き、後輩を育て、半世紀以上、シェイカーを振り続けている稲田さんに「良いバーテンダーの条件は?」と伺うと 基本に忠実であること・整理整頓・掃除。これが全ての基本。と伺いました。
ご著書「銀座バーテンダーからの贈り物」を拝見していると「12ヶ月のカクテル」が載っていました。

銀座バーテンダーからの贈り物
銀座バーテンダーからの贈り物 稲田 春夫

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3月は”さくらさくら”シャンパンをベースにさくらのリキュール。花びらがグラスに揺らいでいます・・・ああ・・・飲みたい。収録後さっそく「BAR5517」に。
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静かに、静かに・・グラスに注いでくださいます。
東京の下町で生まれ、川崎で育った私にとって、銀座は憧れの街でした。16歳で女優になっても、銀座にはちょっと気後れするような響きがありました。銀座は大人の街。私にとって特別な街なのです。
その私に銀座の門を開けてくださったのは、画家の岩田専太郎先生でした。絵のモデルを頼まれたことがきっかけで、岩田先生は私を娘のように可愛がってくださったのですが、私が二十歳になったとき、岩田先生が誘ってくださったのです。「銀座に行こう」と。
そして、連れて行ってくださったのが当時、文化人が集まることで知られた銀座のバー。「この子に合うものをつくってやって」と黒服のバーテンダーに。あのときのカクテルはなんだったのか、残念なことに覚えていません。記憶に刻まれているのは、雑誌などに登場する文化人たちが、葉巻をくゆらせ、くつろいだ表情でなごやかに談笑する大人の空間に自分がいる不思議さを思いながら、ほんのりアルコールが加えられた、ちょっぴり甘いカクテルを、時間をかけてゆっくりと味わっていたということだけ。
そしてカクテルを飲み終えた私に先生は「ぼくはもうしばらく飲んでいくけど、君はもう帰りなさい」と車を呼んでくれたのでした。お話の中で、シンデレラは夜の12時までの魔法ですが、二十歳の私には、それよりずっと短い、夜9時までの銀座の夢気分だったのでした。
カクテルの味わいと同時に、大人の洗練と気遣い、銀座の優しさと豊かさを、二十歳になったばかりの私に岩田先生は、教えようとしてくださったのでしょう。以来、銀座は憧れの街から、私の大好きな街にと変わりました。
私がひとりの時間を過ごすために、訪れるのが、銀座六丁目にある上田和男さんのバー「テンダー」。 仕事を続けながら、育ててきた四人の子どもたちが、ようやく私の手を離れつつある時期。55歳の誕生日の夕方、家族との待ち合わせの前に「テンダー」によりたくなりました。
子どもたちが、まさに巣立っていくうれしさと寂しさが、私の胸の中で交錯していたのでしょう。これから私はどう生きようか、そんな思いがときおり、ふっと、胸をかすめたりもしていました。
あのとき、上田さんが私のためにつくってくださったカクテル。それは今でも忘れることができません。なにもいわずに、上田さんは見事にシェイクしたカクテルを私の前にすーっとさしだしてくれたのでした。透明感のある淡いピンクの色、口に含むと、ほどよく辛口で、ほのかなスイカの香りとともに、甘く、優しい味わいが広がって・・・。
“大人のスイート”とでも表現したくなるような味がしました。思わず「これはなんというカクテルですか」と尋ねると、上田さんはふっと笑みをたたえて「これは今、マダム・浜と名づけました」とおっしゃってくださったのです。
ウオッカ、グランマニエ、ライムジュース、ウォターメロンリキュール、グレナデンシロップをシェイクした、カクテルに、あの日どれほど慰められ、勇気づけられたことでしょう。
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大丈夫、そのままで。
そんなふうに、背中をそっと支えてもらった気がしました。そして、そんな粋な、素敵さが似合う銀座の魅力、その懐の深さ、温かさを、改めて感じました。
そう、春はカクテルが似合います。
 

ラジオ深夜便―若狭から美山茅葺の里へ

たくさんの旅をしながらいつも思うのです。
旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・日常の生活時間とは全く違う時間と空間の中に飛び込むと、私という旅人は、現実の私から旅立ったもう一人の自分として旅しているのに気づきます。
旅する先が、何百年もの歴史のあとをひいた町で、しかも過去の歴史が現在も色濃く漂う場所に立つと、私はタイムマシーンにのってやってきたトラベラーという感じになります。
日本海・福井県若狭湾・小浜の町に出会ったのは20年以上前のことです。
今夜は若狭から、京都府美山町までの旅のお話です。
2月下旬友人3人と私・・・冬の日本海から小雪舞う茅葺の里美山町へ。冬の日本海は、美味の宝庫です。ありとあらゆる魚たちが寒流に身をおどらせ、その肉は海の滋養を存分にたくわえて、漁師の網の中に落ちるのです。
20数年前、始めて小浜の冬の市場は、凍てつくような寒さとは別の熱気が充満していました。前夜、宿で飲んだ濱小町という地酒との出逢いに気をよくした私。
濱小町、これを私の酒=自酒にしようなどと一人ぎめし、いつもより少し飲みすぎて{といってもお銚子2本くらい}ぐっすり寝込んでいました。
なのに、夜明け前。ガバッと飛び起き「なんとしても、市場に行こう」食いしん坊の私はまだ暗い朝の町を駆け出しました。
霧笛が俺を呼んでいる、どころじゃなく、塩焼きの匂いが私を呼んでいるのです。
セリ場のかたわらには、何本ものドラム缶に火がたかれ、商いを終えた漁師や仲買人たちが、暖をとり、コップ酒をチビチビやっては、ドラム缶の下のほうから、いい匂いの魚を取り出しては食べていました。
私も仲買のおじさんに頼んでエビやブリ、カマスなど買ってもらい、ドラム缶の中の焼きアミに乗っけてもらいましたっけ。とれたてのエビは、みるみる紅潮し、殻はてらてらと輝いてうまそうな匂いをあげています。
これが若狭との始めての出会いでした。
小浜・めのう細工の工房を訪ねるのが目的だったのですが・・・。小浜は寺と海産物の町です。
昔から中国の高僧の渡来が多く、今日、国宝級の古寺が132寺、別名海のある奈良ともいわれています。老杉木立に溶け込むように立つ、明通寺・本堂{国宝}と三重塔共に鎌倉時代の建築様式。
若狭最古の鎌倉建築として知られる 妙楽寺 僧・行基が若狭を巡礼した際に彫った「千手観音立像」{重文}等など・・・古寺・名刹が数多くあります。
そして
港町として栄えた頃の遊郭跡が千本格子や紅殻格子でしのぶことができます。それがきっかけで若狭通いがはじまりました。
福井県大飯郡大飯町三森に、私の家があります。この家もまた、取り壊される寸前に出くわし、譲っていただいたものです。別の場所にあったのですが、借りた土地が、私の理想の立地・・・”日本のふるさと”とよべる場所だったのです。
背後に竹林、前に田んぼと佐分利川。だから、家の方をこちらの土地によいしょ、よいしょと運んでもらいました。そうしたら、私が夢に描いた、”日本の農家”が出現したというわけです。
若狭・三森の家、ここで、まず、米を作ろう、そう決心しました。米作りは地元のベテランに手とり足取り教えていただきました。田植えは手作業で、苗を植え、雑草とり、カマでの収穫。田植え行事、収穫には大勢仲間が集まってくれました。
「自然に生かされている・・・」と実感し10年続けました。私のお米の先生・松井栄治さんと奥さん、よし子さんのお陰です。土と水と苗、それを支配する天候。見守る人間。こういう営みの繰り返しで人類は生き延びてきたことを思うと、神聖な気持ちになります。
福井県敦賀から小浜線に乗り若狭本郷へは何度も何度も通いました。ときには京都から山陰本線で綾部に降り立ち、松井さんの車に乗せていただき我が家へ。
今回の旅は日本海・若狭湾には白波が立ち、風が頬を打ち付けます。冷え切った体を我が家で温め、それから夕暮れとき、京都府南丹市美山{旧美山町}の北地区へ。この集落は今や”日本一美しい村””茅葺の郷”として、人口113人の村に年間70万人の人々が訪れるようになったそうです。「てんごり」・・助け合い・・精神もしっかりあり、つい長逗留したくなる村です。京都市内から車で1時間半、日本でも多く茅葺民家が残る村です。
「この風景が・この暮らしが出来上がるのに30年かかりました」・・・と友人の元助役、小馬勝美さんは語られます。地域の景観保全や、ボランティアガイド、田舎体験なども実施され京阪神を中心として春、秋の行楽シーズンは大勢の方が訪れます。
2月末はホッコリと雪に包まれ眠ったように静かな美山でしたが、もう春の訪れがそこかしこに。菜の花が芽吹き、蕗のとうもそっと顔をのぞかせているとか。
雪解け水が勢いよく滝から流れ、春の息吹が感じられると小馬さんは仰います。
今夜は欲張りすぎて、美山を充分にご紹介できませんでしたので、次回、田植えの頃か夏にでもご紹介いたしますね。
旅の足は敦賀から小浜線で小浜まで、その先が若狭本郷、そのまま行くと西舞鶴。
舞鶴線に乗って綾部へ。
そのまま山陰本線で京都へ。
美山へは園部駅から南丹市営バスで約1時間。
京都駅からJRバスで周山バス停まで。同バス停より南丹市営バスで計約2時間半。
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三浦三崎に春をもとめて

先日、文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時30分から11時まで)の収録で三浦半島・三浦市に行ってまいりました。
三浦半島には、伝統的な食材ですとか、地域に調和した農業・漁業が今も息づいています。三浦・・・といえば「三浦大根」!私は自称”三浦大根を守る会”会長。会員は私ひとりですが・・・。
中太りで、昔ながらの白首。大きいのは長さ60cmほど、ずっしりとした重量感もあります。
味は当然ながら、最高。柔らかくて甘みがあり、煮物にすると、味がよくしみて美味しいのです。
我が家では家族みんな「三浦大根」が大好きで、毎年、季節になると生産者の方から直接送っていただいて、おでんのタネにしたり、フロフキ大根にしたりしています。
しかし、「三浦大根」は太らせるのに時間がかかり、しかも重い(太いと7キロくらい)というので、最近では東京などで見かけることがほとんどなくなりました。いまや、幻の大根・・・といっていいほど。
作り手も次第にへっているそうです。
大正14年に三浦産のダイコンが「三浦ダイコン」と正式に命名されて以来、三浦特産の冬大根として長年にわたって名声を維持してきました。
しかし、昭和54年の10月に大型20号台風が三浦地域を襲い、三浦大根が大きな被害を受け、これをきっかけに、「青首ダイコン」が三浦のダイコンの座に取ってかわるようになりました。
今回は生産者の木村陽子さんにお会いしに伺いました。
文化放送の寺島尚正アナウンサーが畑から抜いた大根は7キロもあり、びっくり。
木村さんとは20年来の親友。
日本全国を旅する中で、その土地ならではの野菜に出会うことが、しばしばあります。木村さんの畑には春の風が爽やかに抜け、帰りにキャベツ・ブロッコリーなど頂いてしまいました。
寺島さんは早速帰宅し、家族にキャベツの千切り・塩もみ、芯は餃子の中身・・と料理したそうです。えらい! 
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