Mie’s Living 開設のお知らせ

この度、Mie’s Living~浜美枝があなたに贈る素敵な暮らし方~を開設いたします。
箱根の森の中に家を建て、もう30年になろうとしています。ここでは、日時計がなく年時計があり、春がくるたびにひとまわりするような時計に支配されているような感覚があります。淡い春の訪れが、樹々の色みの変化で知らされます。若葉がチラッと目に付く前に、全山ぼおっと薄赤くなるんです。
箱根の山がふんわりと山法師(やまぼうし)の花でおおわれる初夏、見事な開花は十年に一度とか・・・。この山から子ども達は巣立っていきました。今は小鳥たちのさえずりが、”おはよう、朝ですよ”と起こしてくれます。
思い出がたくさん つまったこの箱根の家。
60代半ばを過ぎると、10年サイクルで物事を考えることは難しいかもしれませんが、箱根で静かに暮らすのが、私の今の幸せの形。それは確かなのですが、ただ静かにしているのを私はまだまだ望んではいないのでしょう。箱根には素晴らしい美術館やアートの世界が広がっておりますし、山の植物も素敵です。そんな私が大好きな箱根を一人でも多くの皆様に満喫していただこうと、4月より新しいプロジェクトを始動したいと思います。
日々の暮らしのなかで、ほんのちょっとの時間”自分へのごほうび”のためのステージを計画しております。まず最初は、箱根を訪れる旅から開始いたしますが、今後は30年前に建てたこの箱根の家を拠点に皆様の暮らしをほんのちょっぴり上質なものへの変化させるお手伝いができる企画をたてていきたいと思います。
年代を問わず私、浜美枝とご一緒いたしませんか。
“やまぼうし”は私の大好きな花です。
たちまち流れた30年の歳月。
私も”やまぼうし”のように、咲きたいものです、みなさまとご一緒に・・・。
アクセスお待ち致しております。
Mie’s Living ~浜美枝があなたに贈る素敵な暮らし方

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県美咲町」

今夜ご紹介するところは、岡山県美咲町です。
美咲町は岡山県のほぼ中央に位置する中山間地域です。さらにその中央にある集落が境地区。境地域は、岡山県三大河川の「旭川」、「吉井川」に流れ込む分水界に位置しています。地域の中心部は峠となっています。
この峠から見る集落の美しさは、まさに日本の故郷そのものです。その多くが棚田地域です。住民の手できれいに保存された棚田は全国棚田百選にも認定されていて、「日本のふるさとの原風景」が育まれています。
私はこの40年、日本の農山漁村を歩いてまいりましたが、伺った農村で、おばあちゃんやおじいちゃんと話したり、お茶を飲ませていただいたりするうちに、「日本の美しさは農村景観にある」と、しばしば思うことがあります。
民俗学者の宮本常一は著書「旅と観光」の中でこのように書いています。ご存じだと思いますが、宮本常一は、戦前から高度成長期まで日本各地をフィールドワークし続け、膨大な記録を残した人物です。 ときには、辺境と呼ばれる土地で生きる古老を訪ね、その一生を語ってもらい、黙々と生きる多くの人々を記録にとどめました。
「私は地方の村々をあるくとき、できるだけ高い、見はらしのよい丘や山に上がるようにしている。近頃はそういうところにも車のやっと通れる程度の林道はできている。そして、そういうところで、村人たちのひらいた田や畑、植林の様子などを見ていると、時の経つのを忘れる。そういう村で、村人たちに、春でも秋でもいい、晴れたよい日に村中の者が山の上に弁当を持って上がって、そこから村を眺めつつ、一日中団らんしてみてはどうかとすすめる。これを『国見』とよんだらどうか。」
そして
「その土地の名物や料理は食べておくがよい。その土地の暮らしの高さがわかる」
とも。傾斜地に広がる棚田を見ていて、ふっとそんな言葉を思い出しました。
この集落は「みんなで仲良く」が活動の合言葉になっています。素晴らしいですよね。農家戸数52戸・人口185人。
ここで平成15年に赤そば(高嶺ルビー)の栽培を機に、境地区農業生産者組合が組織され棚田のそば屋「紅そば亭」がつくられました。紅そば亭には年間約1万人が訪れ、棚田の見学やそば畑の景観を楽しみ、毎年新そばが出来る頃、「そばまつり」を地元民が開催しています。紅そば畑の花が咲くころは、県内外から特に県内では倉敷からのお客さまが多く、また写真家や多くの見学者が訪れるそうです。

そして、「紅そば亭」の お母さん達はいいます。
「この5年間で生活はガラッと変わりました。一人でこつこつ農業やっていたのが、接客業になったのですから。今では、このそばが生きがいになっています。活動のキャッチフレーズは何かと問われれば、『伝統文化とこだわりの味を伝えたい』となりますが、ひらたく言えば、『みんなで仲良く』で頑張っています。」・・・と。素敵ですよね。
何もない・・・といえば何もありません。しかし、そこには確かな”日本人の暮らし”があります。伝統文化がしっかり伝承されています。
岡山県無形民俗文化財「境神社の獅子舞」。
舞は男子と限られていたのが、最近は女の子も笛で参加するようになりより華麗な雰囲気で奉納されるようになったそうです。
岡山県三大河川の一つ「旭川」水系でおこなわれていた古武道の棒術、境神社宮棒も伝承されています。地元では棒使いといわれて親しまれ、代々引き継がれています。宮稽古に参加することは、地区民の仲間入りの第一歩でその意味はとても大きいのです。やはり少子化の問題はありますが、伝承され続けることを祈ります。
周辺にもみどころいっぱいです。
境神社の大杉は樹齢300年といわれ、境地区のシンボルであり、神木として崇められ大切にされています。
集落から、運がよければ「雲海」見られます。
二上山両山寺。
岡山県の中ほどに二つの峰をもってそびえる二上山の頂上にある両山寺は、開祖西暦714年といわれる古刹です。境内にそびえる千年の大杉は信仰の対象として崇められています。寺の「五智如来像」は、知恵を授かるご加護で子ども連れに人気があるそうです。
滝谷池は灌漑と水利保全のために作られた池。
桜と釣りの名所で、白鳥2羽がスイスイと泳ぎ「さくらちゃん」「たきちゃん」と名づけられいつも仲良く泳いでいる姿はなんともほほえましいです。桜の咲く頃にお出かけください。可愛い2羽の白鳥に出会えることでしょう。
今の農村景観は少しずつ美しさから遠ざかりつつあります。でも、今夜ご紹介した美咲町には、そんな美しい集落、人の営みがしっかりと根づいているのです。

旅の足
車で
国道53号で津山から・・・約30分
国道53号で岡山から・・・約60分
バスで 津山から・・・約30分
空港連絡バスで 岡山空港から・・・約60分
鉄道で
JR津山線で津山から亀甲駅・・・約15分
JR津山線で岡山から亀甲駅・・・約60分

浜美枝のいつかあなたと ~ 康宇政さん

先日も素敵なお客様をスタジオにお招きいたしました。
ドキュメンタリー映画「小三治」の監督、康宇政(カン・ウジュン)さん。
康宇政さんは1966年、東京のお生まれ。
東京写真専門学校芸術科を卒業後、90年代にデレクター・デビューされ、
これまでに数多くのテレビ番組、ビデオ作品を監督、演出されてきました。
本年、はじめての長編ドキュメンタリー映画「小三治」を発表いたしました。当代随一の落語家、柳家小三治師匠をモチーフにした1時間44分の作品です。私は公開前に試写会で拝見いたしました。
おりに触れ「元々、私は自分の落語の記録を残すのが嫌な人なんです。噺家なんて、どんどん変わっていくものですしね。」と語られる小三治師匠。そんな師匠が、上野・鈴本で「歌ま・く・ら」 のリサイタルをする際、「歌を録音してくれるかい」と監督にお願いしたのが始まりとか。
小三治師匠”追っかけ”の私としては、早朝箱根の山を下り東京の試写室へ・・・。
もう、たまりません!フアンには。
鈴本演芸場をはじめとする寄席、全国各地での独演会や落語会、北海道から九州までの旅の道中や舞台裏までありのままの師匠が描かれています。
今まで、自分のことを多く語らなかった小三治師匠でしたが、カメラは師匠に寄り添うように、静かに静かに、そっと奥深く「人間・小三治」に迫っていきます。ふっとした仕草、表情、語られる言葉に、ひとりの名人と呼ばれる噺家・小三治の心のうちを見事に映し出しているのです。
お客様には見せない苦労・苦悩の姿も。
「康監督、ありがとうございました」と思わず心の中で感謝いたしました。
小三治語録を少しだけ。
「芸はひとなり。技術で出来ることはたかがしれている。」
「言葉よりも、ひとの”こころ”ありき。」
名跡について。
「名前が人をつくるんじゃない。よい仕事をしていれば、それがよい名前に見えてくる。」
「遊びは真剣に。」
等々・・・心に染み入る言葉のかずかず。
映画のクライマックスには小三治師匠の落語「鰍沢」の模様がおさめられています。
監督のお話は文化放送「浜美枝・いつかあなたと」
2月15日(日曜) 午前10時30分~11時まで お楽しみに。
映画「小三治」は21日(土)から、「ポレポレ東中野」や「神保町シアター」などで公開されます。また映画のインターネット公式サイトもありますのでご覧ください。

寒椿の似合う壷

生きることは ひとすじがよし 寒椿
この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということです。
箱根の山々に吹く風も初春を感じるようになりましたが、まだまだ肌寒く、この季節に自然とその大好きな句が思い出されます。
朝、まだ冬枯れの庭にでてみると、霜柱が立っています。そんな庭に、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。寒風に吹かされながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれるようです。
モノトーンの風景のなかにあでやかに咲く寒椿にしばし見惚れ、そのひと枝を手折って家の内に戻ると、囲炉裏のある部屋の窓辺に、小さな壷が待っています。
すでに45年間私と共にあって、ずっと私の半生を見守り続けてきてくれた信楽の壷「蹲」うずくまる・・・。その素朴で荒削りな、それでいて繊細さも併せ持った花器には、冬の寒椿が一番似合うのです。
春や秋の季節にその壷に花が生けられることはほとんどなく、いつもただじっと窓辺の同じ場所に蹲って、寒椿の挿される冬を、ただひとすじに待ちつづけます。薄暗い部屋のそこだけに灯りがともったよう・・・、私はしばしその場に寄り添いながら、「蹲」と出逢った遠い昔の冬の日のことを思いだします。
この壷はかっては種壷として使われていたとか。