箱根神社へ参拝

早朝夜が明けるのを待ち、箱根神社に参拝に行ってまいりました。

森の中を抜け杉並木を歩き、芦ノ湖沿いを歩いていくと箱根神社があります。奈良時代の天平宝字元年(757)箱根へきた万巻(まんがん)上人が山中にあった神仏を習合し箱根権現を祭ったといわれています。

私にとって箱根神社は特別の神社です。
砂利道を踏みしめながら神社に着き、参拝いたしました。

新型コロナウイルスの感染により亡くなられた方に心よりお悔やみを申し上げます。
そして、一日も早い終息を祈願いたしました。

写真は『平和の鳥居』です。

『愛されすぎたぬいぐるみたち』

とても素敵な本に出逢いました。

この本は持ち主に愛されてぼろぼろになったぬいぐるみの本です。何十年もいっしょに過ごすうちに、かなりぼろぼろになってしまったぬいぐるみ。”テディ”は78歳。持主の父が1歳の誕生日にもらったもので、おばあちゃんがテディーのために洋服を縫ってくれたのだそうです。

一枚一枚ページをめくると、その横に年齢やエピソードが載っていて最高年齢100歳を超えた子や、手術をされた子も。どの写真も愛おしく、幸せな気持がしてきます。数々の受賞歴のある写真家マーク・ニクソンが撮影した、60体以上の動物のぬいぐるみたち。ぬいぐるみたちが若かったころに関する話と、年をとって劣化した今の姿が結びつき、ユーモラスであり、ほろ苦くもあり、自分自身の人生に重ね合わせてしまいます。


マーク・ニクソン著  金井真弓訳 (オークラ出版)

皆さんは子供の頃はぬいぐるみ派?それともタオルや毛布派?

私はとてもほしいぬいぐるみに出逢ったのですが、買ってもらえるような家庭環境ではなかったので、小さなお店の前を行ったり来たりした子供時代。でも、聞いてください!私が大好きだった”くまのプーさん”のぬいぐるみに出逢えたのは女優になって2年目、17歳の時のこと。ロサンゼルスにディズニーがオープンした時に東宝が連れて行ってくださいました。

そこで40センチほどの大きなプーさんに出逢ってしまいました。『もう、ぜったいに一緒に日本へ帰りましょ!』といって飛行機で一緒に帰国しました。あれから60年あまり、4人の子どもたちは鼻をつまんだり、足の上に頭をあずけてお昼寝したり・・・たくさんの思い出を与えてくれました。

そして、それから旅をする度に出逢ってきた私のぬいぐるみたち。愛おしい気持がこみあげてきます。いまではいつも食事をする横の椅子にみんな座っています。そして孫たちのお相手をしてくれます。

この本の最後に自分のぬいぐるみの写真を貼るページがあるのです。どの子にしようかしら・・・選べないは、と思いつつこの本も一緒に仲間入りしています。

展覧会『ハマスホイとデンマーク絵画』展

上野の東京都美術館でデンマークを代表する画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916年)を中心に、デンマークの近代絵画を初めて本格的に紹介する展覧会が開催されています。

2008年に初の回顧展が開催されたのですが、私は見逃してしまい、後悔をしており、いつか必ず出逢える・・・と信じて待っておりました。その夢がかなったのです。

”北欧のフェルメール”とも評されるハマスホイ。詩情豊かで、静謐と幸福を与えてくれる数々の作品。北欧の美しい自然やそこで暮す人々。そこには人々の何げない日常に隠れたささやかな幸福。静的な構図、モノトーン。19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したハマスホイにひと目で惹きつけられてしまいます。

彼が生きた時代は急速に近代化が進み、街中の古い建物や暮らしが失われてきました。そんな状況を嘆くよりも静かに受け止め、キャンバスに向う画家・ハマスホイ。

今回の展覧会には、ハマスホイの名品37点を含む19世紀デンマークの絵画など約90点が展示されています。

ハマスホイは首都の住まいの静寂の中で数々の素敵な作品を残しています。ほとんどが後ろ姿の女性。人影のない室内。古い室内。静寂な中で彼は何を描こうとしたのでしょうか。

「農家の家屋」、「若いブナ林」、そして肖像画も数々描いていますが、私が心惹かれたのは妻のイーダ・ハマスホイの肖像です。

手術を受け一月半病院のベットで過ごしたあとの不安定な精神状態で、目の下にクマができ、額には血管が浮き出た妻をありのまま描いています。

この肖像画の前に佇むと胸が締めつけられる感動がわいてきます。生死の境を乗り越えた妻へのいたわりが、そして愛情が伝わってきます。ハマスホイにとってかけがいのない女性。モデルとしての信頼、静かな暮らし。全てが表現されているように感じました。

「室内ー開いた扉、ストランゲーゼ30番地」には家具も人影も見えません。

「室内、蝋燭の明かり」には古い時代の簡素で洗練された物にかこまれた空間が描かれています。

これらの作品は、本に『寡黙で慎み深く、思いやりのある人物」と書かれているハマスホイの内面を描いているように思いました。

そして、今回の展覧会でもっとも出逢いたかった絵「背を向けた若い女性のいる室内」はハマスホイの代表作の一つです。洗練された室内、左のピアノの上には、ロイヤル・コペンハーゲンのパンチボールが、女性は左脇にトレイを持っています。

この本物2点が今回の展覧会では観ることができます。パンチボール(直径34cm高さ30cm)はハマスホイが所蔵していたそうです。蓋の破片が鎹でつなぎ合わされており、隙間からその時代、ハマスホイが慈しんでいた姿が浮かびます。このような身近に使われていた作品を見るとご本人の息づかいが、より身近に感じることができます。

展来会場には静かに魅入る観客。コツコツと靴の足音がするだけ。私は一枚一枚の絵と対峙し感動がこみあげてきました。でも、家に帰り”私、何か見落としている”と感じたのです。そして、もう一度会場を訪ねました。

壁にこのような文字が記されておりました。

『私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないことこそ、それは美しいのかもしれません。』 1907年、ヴィルヘルム・ハマスホイ

夕暮れどき、上野公園のはるか向こうに白梅・紅梅が咲き、清らかな香りを感じながら家路につきました。幸せなときでした。

東京都美術館公式サイト
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_hammershoi.html

映画『男と女 人生最良の日々』

私は、とても幸せでした。

歳を重ねることもいいものだなと、幸せを感じました。映画を観てこんな気持ちになるのは、久しぶりです。

「男と女 人生最良の日々」。

半世紀以上も前に世界的なヒットを記録した映画「男と女」が、同じ監督と俳優でまた戻ってきました。金曜日の午後でしたが、初日ということもあり、会場は中高年の方々でほぼ埋まっていました。

”ダバダバダ♪”

人気のカー・レーサー(ジャン=ルィ・トランティニャン)と一人の女性(アヌーク・エーメ)との結ばれぬ愛を描いた物語から、50年以上が経ちました。彼は今介護施設に入居し、徐々に記憶を失いつつあります。

彼の息子は、父親とその女性をもう一度会わせようと思い、彼女を見つけ出し、再会までこぎつけます。空想、現実、夢。彼の頭の中にはそれらが渾然一体となり、現れては消えていきます。

「他の女は忘れても、あの女だけは覚えている」と。茶目っ気たっぷりに詩を諳んじたりする彼。52年前も素敵だったけれど今のジャン・ルィには大人の男の色気を感じます。

その姿を見つめながら、彼女は静かにそして優しく、思い出を振り返るのです。

考えてみると、このような映画を観られること自体、まさに奇跡です。監督、俳優、皆さんの熱意で改めて完成させたのですね。「今こそ、人生最良の日々だ!」という監督(クロード・ルルーシュ)の制作意図を見事に作品にしたのです。

決して後ろ向きにならない、人生の穏やかな賛歌を伝えたかったのでしょう。この物語はあたかもキャストのその後の、そして今の人生の”ドキュメンタリー”のように感じるシーンもありました。

そのリアリティーは二人の俳優のアップでも感じました。彼らの目の表情は意思的であり、記憶のまばらな彼にさえ、隠された意志が存在することを暗示しているように思えました。

そして、髪をかきあげるアヌーク・エーメのしぐさは、「人生最良の日々」が依然継続していることを強く主張する姿なのかもしれませんね。

「どんな年齢でも愛し合える」という監督のメッセージが伝わってきます。

映画を観た後、乾いたのどを潤そうと行きつけのバーに向かいました。そこは若い女性がおいしいお酒をだしてくださるコーナーです。こんな素晴らしい映画を作った監督に乾杯!でも、シャンパンではなく、私の好きなウイスキー「山崎」をロックで。

私が当時観た「男と女」は52年前。フランシス・レイの音楽に強く魅かれ、「男と女」の心のひだまではとうてい理解できなかったと思います。それにしても当時26歳だったルルーシュ監督。観る私は24歳。フランス文化の違いなのでしょうかね~。

飲みながら、介護施設にいるジャン=ルイに対し、施設の女性は決して幼児言葉を使わなかったことに気づきました。記憶がおぼつかない彼に対しても、人格を認めて接している、これは監督の訴えたいことの一つなのだ、と強く感じました。

ユーモアに満ちていて、心を揺さぶるドラマ。

「素晴らしい俳優によって演じられる、二人の登場人物の旅を通して人生観を描きたかった」と語るクロード・ルルーシュ監督。

”ありがとうございます、感謝です”
やはり「山崎」をもう一杯。

あの頃はこういう時にはシャンパンを飲んでいたのかもしれません。

映画公式サイト http://otokotoonna.jp/