映画「ひまわり」

どこまでも続く大平原は、息をのむような黄色に染められています。何かを見つけようと、その中を懸命に歩き回る女性の姿。目と心に染入る印象的なシーンを、これまで何回見たことでしょう。  

「ひまわり」。

イタリアの俳優、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した名画に改めて対面しました。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。ヨーロッパ、特にフランスのヌーベルヴァーグに極めて大きな影響を与えたイタリアの巨匠です。

私が「ひまわり」を初めて見たのが1970年でしたので、50年以上も前のことになります。今回はおそらく5回目か6回目になるはずですが、いわゆる”再放送”を見たという印象は全くありませんでした。

この作品の訴えるものが、ますます重みと厚みを増してきたと感じたからです。

時代は第2次世界大戦の末期から戦後にかけてのことです。主人公のイタリアの青年は、ソ連と戦うために極寒の前線に送られます。青年は激しい戦闘の末に行方不明となりますが、妻は夫の無事を信じ続けます。

女性の生き方を中心に、男女の愛と逡巡と決断を描いた作品ですが、今回の上映で特に目立ったことは、観客のほとんどが70代前後の方々で占められていたことです。

主人公のカップルを見つめながら、かつてを振り返り、ウクライナでの戦火の拡大に心を痛めていたことでしょう。見事に咲き誇る”ひまわり”のシーンは、ウクライナの南部へルソン州で撮影されたものです。この2か月以上にわたるロシアの侵攻で”ひまわり”たちはどれほど傷付けられたことでしょう。

ひまわりの咲き乱れる現場には、かつての大戦で命を落としたロシアやイタリアの兵隊、そして多くの市民の亡骸が実際に埋められているとのことです。

先日のテレビ・ニュースで、ロシア兵に食ってかかるウクライナの女性の声を聞きました。  

「ひまわりの種を持って国に帰れ!あんたが死んだら、花が咲くだろう!」
”ひまわり”は地元の誇りであり、国籍を超えた、魂の絆なのかもしれません。  

この作品の上映にあたっては、関係者の”目に見える努力”が大きかったといいます。半世紀以上も前の映画であるため、世界各国でもネガそのものがなくなっており、音声のノイズも相当目立ったようです。そのために、最新の技術を駆使した修復作業が求められました。  

全編に流れるテーマ音楽はヘンリー・マンシーニが作曲しました。スクリーンをじっと見つめながら心の中で口ずさんでいた方も、きっと多かったに違いありません。

この映画の冒頭とエンディングは”ひまわり”のクローズ・アップでした。愛と平和を求める名作は鎮魂の心も加え、また不死鳥のように蘇りました。

「入場料の一部をウクライナに寄付する」。
映画”ひまわり”は社会現象という新しい翼をつけて、大空へ飛び立ったのです。

横浜シネマリン公式サイト
https://cinemarine.co.jp/himawari/

映画「親愛なる同士たちへ」

ウクライナの惨事が解決の糸口を見出せないまま、今年の春が過ぎようとしています。

そんな時、一本のロシア映画が目に止まりました。
「親愛なる同士たちへ」。
アンドレイ・コンチャロフスキー監督の作品です。

監督は間もなく85歳を迎えますが、20代の後半に黒澤明監督の影響をうけ、初の長編映画を作りました。その後も、黒澤監督の脚本をもとに作品を制作するなど、現在は巨匠の名で呼ばれています。  

今回の映画は今から60年前に発生した工場のストライキ、そして弾圧の実態などを生々しく再現したモノクロ作品です。カラーではなく、敢えて白黒の画面にしたことに、監督の意思が現れているようです。

当時はまだ共産党の一党独裁、つまり旧ソ連の時代でした。そして、食料・日用品の不足、更に賃金カットなどが続き、工場労働者がストライキを起こしたのです。

旧体制下での労働者の反乱は極めて珍しいことで、国の対応も厳しいものでした。軍隊、警察、諜報機関などが総動員で弾圧を加え、多数の死者や逮捕者が出ました。  

この映画の女性主人公は、共産党の地方幹部です。娘と自分の父親と3人で暮している、いわば地元の実力者でした。しかし、労働者のデモの混乱に巻き込まれ、その中で娘は行方不明になってしまうのです。

母親は、まさかと思いつつ、死者が取り敢えず埋葬された墓地にまで足を運ぶのでした。   国家や党を信じて自らの道を歩んできた主人公は、娘の行方を探し求めながら、様々な疑念に駆られ始めます。

果たして、これまでの生き方を続けていいのか?

娘の身を気遣う母親の愛情との板挟みで、苦悩は深まります。

体制が一旦暴走を始めたら、市民はどうなるのか?
そして、どうすればいいのか?
結局、何を信じるのか?  

監督の視線は女性主人公に注がれて、共に歩み続けます。主人公・リューダ役に、監督は自分の妻・ユリア・ビソツカヤを起用しました。手を携えて、全力でこの作品に挑んだのですね。  

映画に出てくるストライキの現場は、ロシア南西部の町・ノポチェルカッスクで、ウクライナの東隣に位置しています。撮影が行われたのは、2019年の夏でした。  

この作品をロシアの人々は見ることができたのでしょうか。そして、どんな受け止め方をしたのでしょうか。

「親愛なる同士たちへ」のスクリーンや資料には、ロシア文化省とロシア1チャンネルの表示が記されていました。しかし、ロシアが抱え続ける負の遺産と、未来への希望という監督夫妻の複雑で微妙な心境は、この作品に十分注ぎ込まれていたと思うのです。

映画公式サイト
https://shinai-doshi.com/

湿生花園の”ミズバショウ”

春の晴れた日。暖かな一日、仙石原の湿生花園に”ミズバショウ”が見ごろを迎えたと聞き行ってまいりました。

山々はコメ桜が満開。モクレンも咲き、足もとには可憐なスミレ。寒暖の差が激しい初春が過ぎ、日差しが徐々に増してくると、吹き渡る風さえもきらきらと光り輝いているように感じられます。

箱根に暮らしはじめて45年の歳月が流れました。子供たちも巣立っていき、60代に入ると、身の丈に合う暮らしを意識しはじめました。50代のスピードでは走りつづけられない…と実感し、70代になると身体の声に耳を傾け、今日一日を丁寧に暮したい、と思うようになりました。

今秋は79歳。そして80代へ。体力の限界を受け入れながら、まだまだ学びたいことがいっぱいあります。早朝の山歩きをして、無理はしない…そして”美しいもの”に出逢いたいとの思いがいっそう深くなってきた気がいたします。時間に追われていた時には気がつかなかったことが沢山あります。

園内の木道を歩き木々に囲まれ、山の空気を胸いっぱいすい、風を感じ、ミズバショウの群生を見て、カタクリの花も美しく咲いています。昨年の夏は「ヒマラヤの青いケシ」が見られるということで、やはりこの湿生花園にまいりました。

なかなか自由に旅がまだできませんよね。どうぞ写真で箱根の春を感じてください。そして、昨年の夏の花もご覧ください。

https://hamamie.jp/2021/06/18/shisseikaen/

老桜樹の花  

ふるさとは水底となり移り来し この老桜咲けとこしえに    
高崎達之助

お花見の季節になると、行ってみたいなと思いださせてくれる桜の木が日本全国にいくつかありますが、水上勉さんの「櫻守」という小説にも登場する、御母衣(みほろ)の荘川桜もそのひとつです。

岐阜と富山の県境にある御母衣ダム。いまから半世紀以上前に、庄川上流の山あいの静かな美しい村々が、巨大なロックフィル式ダムの人造湖の湖底に沈むことになったのでした。

三百五十戸にも及ぶ人びとの家や、小・中学校や、神社や、寺、そして木々や畑がすべて水没していく運命にあるなかで、樹齢四百年を誇る老桜樹だけがその後も生き残り、毎年季節がめぐるたびに美しい花を咲かせ続けることを許されたのでした。

私がはじめて御母衣ダムに庄川桜を見に行ったのは、いまから45年ほど前、移植されてからすでに何年か経った春のことでした。湖のそばにひときわどっしりと立つ老い桜。ああ、これがあの桜……樹齢400年の老樹とは思えないほど花が初々しかったのが、とても印象的でした。

毎年、四月二十五日頃から五月十日頃までが見ごろです。桜の荘厳に咲き誇る姿は、その木の秘められた歴史を知るものには格別感動的です。

ずいぶん前、その桜の木の下でお年寄り数人がゴザを敷きお花見をしていました。樹の幹を撫ぜながら『あんた、今年もよく咲いてくれたね~』と、つぶやく姿に涙がこぼれました。  

満開の桜の下に立つと、何故か不思議なことに、その下で眠りたいと思うことがあるのです。桜は、散って咲き、春がめぐってくれば必ず咲く。そういう生命の長さというものに安心するのかもしれませんね。だから私たちは桜に特別な想いがあるのかもしれません。

もう、何年も伺っておりません。早く自由に旅がしたいです。先週の金曜日の箱根の山は深夜から雨が降り、早朝は霙まじりの雨に雪が降り始め、あっという間に庭の木々は真っ白。白銀の世界になりました。

山暮らしの幸せはこうして季節の移ろいを感じることができるからです。

”桜の花も震えているは、きっと”と思いバスで友人ご夫妻の待つ小田原に。雪の山が信じられないほど春うらら。小田原城の桜や相模湾を見下ろすカフェでは菜の花が満開でした。

”麗か”海も野山もすべてのものが春光に包まれ、ようやく訪れた春を満喫した一日でした。

ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展

桜満開の上野の東京都美術館に”フェルメール”を観に行ってまいりました。会場はレンブラントら同時代のオランダ絵画とともに展示されています。

今回の目的は『窓辺で手紙を読む女』(1657~59年頃)

修復により、画面奥の壁から”キューピッド”が現れたのです。

それまでも存在自体はX線調査で明らかになってはいたのですが、フェルメール自身が上塗りをしたとされていましたが、2017年に同館が作品の汚れを落とすクリーニング作業を進めていくと上塗りした部分とは異なっていることが分かり「誰が、何んの目的で姿を消したのか?」謎です。

今回の展覧会で「修復前」(複製)と「修復後」が見られます。でも、不思議ですよね!フェルメール以外の人が上塗りして”キューピッドを隠してしまう……いつか、真実がわかる時がくるのでしょうか。

これまでも「窓辺で手紙を読む女」は観たことはあるのですが、窓ガラスにうっすらと女性が映り静謐なイメージでしたが、”キューピッド”が現れたら作品がガラッと変わります。

カーテンを押さえているように見える”キューピット”の存在はフェルメールが何を意図して描いたのか、想像するだけでワクワクしました。  

17世紀のオランダを代表する画家、ヨハネス・フェルメール(1632~75)。

フェルメールの魅力は人々の暮す日常が多く描かれていることです。画商で宿屋を営む両親のもとに生まれ、デルフトの町中で育ち、20歳で結婚し11人の子供をもち、30代で主だった作品を描き、43歳で亡くなっています。

デルフトの小さな街で人の営みを見続け、市井の人々を描いたのは当然だったのかもしれません。300年たっても街はさほど変わっておらず、昔ながらの慎ましい人々の暮らし。

『行ってみたい!』と思い2016年の7月、小さなホテルに1週間滞在しフェルメールの描いた路地や、きっと何度も横切ったであろう広場に立ち、カフェで昔ながらのエルデン(豆)スープにフェルメールの絵の中に描かれているパンを食し、300年の歴史がいっきに縮まりました。

 そのときのブログがありますので、旅の出来ない現在、その時の写真を見ながら『デルフトの街』へ皆さまをご案内いたしますね。

展覧会公式サイト
https://www.dresden-vermeer.jp/