かりんとう-琉球新報「南風」

粟国島を訪ねてきた。農林水産省と財団法人農村開発企画委員会の共催で毎年、開かれている食アメニティ・コンテストに、粟国島の「きびもちかりんとう」が推薦され、私はその調査のために伺ったのだった。
きびもちかりんとうを作っているのは、粟国農漁村生活研究会の女性たちだ。粟国に特産品をという思いから生活改善活動が始まり、かりんとうだけでなく、ソテツの実を使った「そてつ実そ」や特産の小粒小豆を原料にした「あぐにようかん」を商品化。生産加工、販売活動を行っている。02年に琉球新報活動賞も受賞した元気いっぱいのグループだ。かりんとうの製作現場をご案内いただいた。成形したきびを油で揚げ、直火式製造の黒糖をからめる。すべてが手作業だ。普通のサクサクッとしたかりんとうとは異なる、カリッという食感、香ばしさ。そして黒糖の豊かな風味に驚いた。
かりんとうにかける思いや今までのご苦労などをうかがっているうちに、すっかり彼女たちに魅了されていた。今、沖縄は観光ブームに沸いているが、こうした小さな島はなかなかそうした恩恵に浴することはできない。しかし、過疎と高齢化が進む中でも、島と家族と仲間を愛し、特産品作りに精を出して、ちゃんと後継者をも育成している女性たちがいてくれるのだ。
沖縄には、きびもちかりんとう以外にも、さまざまな島に素晴らしい特産品があると思う。そして、それらを欲しいと思う人は全国にいるはずなのだ。沖縄のアンテナショップは全国で人気があるが、それに加え、さらなる流通のシステムを作り上げることが必要ではないだろうか。かりんとうをおみやげにさしあげたら、友人の間で今、大変な評判で、「どこで買えるの?」と私は質問攻めにあっているのだから。
琉球新報「南風」2006年11月28日掲載

もずく-琉球新報「南風」

数日前、箱根の我が家にどっしりとした包みが届いた。開いてみると、中には塩をしたもずくが『うちの前の庭でとれたもずくです』との言葉と共にぎっしり入っていた。うちの前の庭? まるで庭のように身近に海と接する暮らしぶりも、その文面から香ってきて、二重に嬉しくなってしまった。
このもずくを送ってくださったのは、沖縄の南部農業改良普及センターで働く安次富和美さんである。安次富さんは農業普及指導員として、農村女性たちの特産品開発のサポートや地域の活性化の支援し続けてきた。私が主催している「食アメニティ・ネットワークの会」のグリーンツーリズム・ヨーロッパ研修旅行に、安次富さんが参加してくださり、それがご縁でおつきあいがはじまった。今、安次富さんは、粟国村の「あぐにようかん」などの支援を行うだけでなく、アットホームな沖縄の魅力を伝えたいと、グリーンツーリズムの実現のためにも少しずつ動き出している。
早速、彼女のもずくでスープを作っていただいた。磯のかおりと食感の愉しさ、豊かな味わい。翌日は三杯酢で、またその次の日にはもずくスープに。こうして久々に沖縄のもずくの美味しさを堪能させていただいた。
もずくを味わいながら、昨年の食アメにティ・コンテストで優良賞に輝いた小浜島の細崎さわやか生活改善グループもずく加工部の大城ユミさんたちの顔が浮かんできた。シママースと天然もずくにこだわり小袋入りにするなど工夫もして、もずくを島の特産品として育てた女性たちである。
安次富さんも大城さんたちも、自分たちの住む土地を愛し、自分たちのまわりにあるものの魅力を見出し、アクションを起こした女性たちだ。地元を愛する心と強い意思がなければ続けられないことだと感じる。私はこうした女性に出会うと、エールを送らずにはいられなくなる。
琉球新報「南風」2006年11月14日掲載

京須偕充さんをお迎えして

お父様は東京で二代目、お母様は四代目の江戸っ子。というわけで、京須さんは足して二で割っても、四代目の、つまり生粋の江戸っ子です。
本職はCDの録音制作のプロデューサー。特に落語には造詣が深く、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」をはじめ、古今亭志ん朝、柳家小三治などの録音も担当なさり、本職以外でもTBSの「落語研究会」の解説もつとめ、「古典落語CDの名盤」などの著書もしるされていらっしゃいます。
そんな京須さんがこのたびお書きになったのが「とっておきの東京ことば」。この本の中には、懐かしい東京ことばがぎっしり入っています。
「自分の家で炬燵に入ったまま、相撲の本場所を見られるなんて夢にも思わなかったよ。いい世の中になったもんだ」
「遠くて近いは男女の仲、近くて遠いは田舎の道って言うけど全くだね。五分ぐらいで着くっていうからそのつもりで歩いたんだがね、どうしてどうして、たっぷり十五分もかかるんだ。一杯食っちまったよ」
  
「このごろは、どういうものか挨拶が変わってきたね。玄関開けて、『こんちは』だの『おはようござい』っていうのはまァ悪かァないんだが、『ごめんくださいまし』ってのを、ついぞ聞かなくなったねぇ」
「そう言えばそうだねえ。大威張りで入って来るってわけでもないんだろうが、ごめんくださいぐらい言えなくちゃ、ま、お里が知れるってもんさ」
「儲かるそうだよ、やってみるかい」
「ごめん蒙りましょう。うまい話は危ないから」
目で読むだけでなく、声に出してみてください。耳に心地よく、いいまわしが本当に洒落ているでしょう。
話し手がどんな暮らしをしている人なのか、どんな考え方をしている人なのか、どんな心意気を持っているのか、などなど、これらの会話から、伝わってくるような気がしませんか。
昭和三〇年代、東京オリンピックくらいまでの東京では、こういう豊かな言葉を生き生きと人々がやりとりしていたのですね。
今、東京で話されている言葉は東京ことばではなく共通語。やはり、比較すると、暮らしの肌触りがするりと抜けてしまっているような感じがします。暮らしから自然に生まれてきたことばと、そうでないものとの違いでしょうか。
東京ことばは「べらんめぇ」口調だと思っている人が多いことを、京須さんはとても残念がってもいらっしゃいました。
江戸東京の本来のことばは、相手を気遣い、尊重し、まずは柔らかく繊細丁寧にやりとりするもの。ことをあらわにせず、お互いのことを察しあい、譲り合い、必要があれば相手を傷つけることなく断り、きれいにことをおさめる……それが洒落や粋に通じていくのだとか。それでも通じなかったときには、辛らつな皮肉やちょっとした悪態をつき、それでも通じなければ、はじめて「べらんめぇ」に至るのだそうです。京須さんいわく、「朝から晩までべらんめェじゃ、「江戸文化」が聞いて呆れらァね」
東京ことばが失われていくのは、東京がかつてもっていた人と人とのおつきあいのあり方が消えていくというのと同意義だとも感じさせられました。なんとかして、東京ことばを残し、復活させられないものかしら。下町育ちの私としては、いてもたってもいられないような気持ちになってしまいました。

とっておきの東京ことば
とっておきの東京ことば 京須 偕充

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