『老いの希望論』 

老いの希望論』 森村誠一(徳間文庫)
老いて人は、失う代わりに大いなるものを得る!
1月2日に83歳を迎える作家の森村さん。
仕事や家庭に尽くした日々は終わった。
これからが自分のための純金人生だ。
そうご本の帯に書かれています。
女性と男性では生活習慣も違うし、働き方も違います。そろそろ団塊の世代の方達は定年を迎え、退職後は本物のオフを独りで使いこなさなくてはなりません。よく定年後、夫が家族の中で孤立するケースもあると聞きます。
「リタイアは終着駅ではなく、第二の始発駅」とおっしゃる森村さん。女性として”男の本音”を聞かせていただきたく、ラジオのゲストとしてお越しいただきました。
森村さんは1933年、埼玉県のお生まれ。9年余りのホテル勤務の後、1963年「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞。
1973年「腐食の構造」で日本推理作家協会賞を受賞。
「人間の証明」「悪魔の飽食」、「忠臣蔵」など、多くのベストセラー作品があります。2011年には「悪道」で吉川英治文学賞を受賞。2015年には「運命の花びら 上・下」を発表し、昨年、作家生活50年周年を迎え、『老いの希望論』をお書きになりました。
男の定年後を中心に、第二の人生に入ったら、夫は妻との関係をどのように見直すべきか・・・などお話を2週にわたりお聞きいたしました。
スタジオに現れた森村さんはとてもお元気で、現在も旺盛な執筆活動を続けておられます。ダンディーでソフトな語り口。
朝6時半には起床。午前中馴染みの喫茶店へ。午後から本格的な執筆活動。夕方から散歩や病院(定期健診)など夕食は午後9時ごろから。深夜0時に就寝。昼間30分の昼寝も。
「老いる」ということは、言いかえれば人生の達成に近づくことです。たった一度限りの生涯を達成しきることは、理想的な生き方です。人生の達成こそが理想的な生涯であり、人間として生まれたからには達成したい。 人生八十年時代、誰もが長い老後と向き合わなければなくなりました。極度に恐れる人は、退職後のこの長さが耐え難いゆえに、身体ではなく心が老いていきます」 と本の始めに書かれています。
会社や職場に勤めていた現役時代と定年後で違うの、は人間関係や時間の使い方現役時代のオフは、どこか会社のしっぽが残っている。本物のオフを独りで使いこなさなくてならず、会社以外の人間関係もつくらなければなりません。・・・と。
たしかに男性は仕事ばかりで、地域や町内のことに関心のない方もおられます。まずは町内のイベントから参加してみるのもいいでしょう。祭りの世話役、選挙事務所に来た人の相談役、など。そして若者とのつながりを持ちたいですね。若者と交流することで、現代が見えてくるし、年齢の違いで生じるギャップを埋められます。
森村さんはカメラは若い頃からの趣味。登山、旅行、そして写真と俳句を合わせた写真俳句を公式サイトで発表していますが、やはり「人に見られる」ことは大事なのですね。新聞に投稿するとか。
たしかに妻側は夫抜きの生き方をすでに学んでいます。(今の若い方達は別です)いきなりオフになってもそれぞれの時間、居場所は持っている存在だと理解するから、”つかず離れず・・・がいいですね。そして、相手を”空気のような存在”ではなく、異性としてもみるべきです。
お話はいろいろ伺いました。
さまざまな経験を積み、これまでの人生が濃縮された果実であれば、第二の人生の始発駅からの旅には、この果実を携えていくこともできるのです。身一つで出発した第一の旅よりは充分安定しているのです。
ほんとうに内容の深いお話でした。男性、女性に関係なく人間としてですね。若者のように時間の浪費はできません。
具体的には本をお読みください。
そして、ラジオをお聴きください。
放送は1月10日と1月17日の2回
文化放送「浜美枝のいつかあたなと」
日曜10時半から11時まで


盛岡への旅

先日、北日本銀行様のお招きで盛岡に行ってまいりました。


『きたぎんレディースサークル連絡協議会』の主催でした。
ホテルの会場には220名ちかい女性の方々が出迎えてくださいました。
やはり、”女性同士”始めてお目にかかる気がせず和やかな雰囲気の中での講演会でした。テーマは「明日を素敵に生きるには」です。
今日11月20日は私の72歳の誕生日です。
しみじみ思うのですが、「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになること」を考えるほうが、前を向く行動になるように思います。そう、今日(こんにち)の私の足元を照らし、導いてくださった先輩たち。そんな”人との出逢いが宝もの”としみじみ思います。そんな出逢いのお話をさせていただきました。
子育て時代には「早く家に帰らなくては」と慌しい思いもすることもありましたが、4人の子どもたちが、みな社会に巣立った今は、旅の仕方も少し変わってきました。
これまでのように早く移動して・・・・・ではなく、それぞれの土地が持つ味わいを楽しみたいという気持ちが強くなってきたとも感じられます。
仕事で出かけるときにも、時間がゆるせば前日にその土地に入り、町や村を歩いたり、名所旧跡を訪ねたり、市場に寄ってみたり。夜には地元の居酒屋にふらりと立ち寄ったりすることも増えてきました。


今回は盛岡。
まず最初にすることは巡回バスに乗って一巡り。
盛岡は何度もお邪魔しているのですが、農村部が多く街中は数回です。盛岡都心巡回バス「でんでんむし号」は駅前から右回り、左回りと、15分間隔で出ています。1乗車100円、1日フリーは300円。お勧めです。行きたい場所はだいたいどこもバス停があります。


そして歩いて楽しむ街・盛岡。
街の中をサラサラと流れる中津川。このほとりや城址の公園がお気に入りの散歩コースだった宮沢賢治。「モリーオ市」と呼んだ、夢の中の盛岡。花巻市に生まれた宮沢賢治は、多感な青春の日々を過ごした盛岡を『ポラーノノ広場』で(うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎら光る草の波)と描いた夢の中の盛岡。花巻に戻ってからも、賢治は青春の地、盛岡をたびたび訪れたそうです。
この街で恋にめざめ、文学に夢を馳せた石川啄木。
新婚生活を過ごした家も(でんでんむし)バス亭からすぐです。


中津川をはさんで左岸は、城下町の商人街として栄えた街。周辺の「赤レンガ」の建物は重要文化財です。ザルやカゴ、箒にタワシなどの生活雑貨の店は入り口に箒がきちんと並べられています。江戸時代後期の建物が懐かしく温かみがあります。私は亀の子タワシを買いました。
盛岡名物南部せんべい(私はゴマせんべいが大好き!)、岩手を代表する伝統工芸品・南部鉄器のお店、ムラサキの根を染料につかう「紫根染」の伝統技法でつくられた染物のお店・・・など。


ちょっとお腹がすいたので「盛岡冷麺」もいいのですが、せっかく新そばの時期(わんこそば)が有名なお店ですが、さすがに私には無理なのでザルそばと出汁卵焼き、アナゴのそば巻き。ほんとうは、ちょっと”冷酒”といきたいところでしたが、がまんしました。そして、中津川沿いには素敵な小さなギャラリーがいくつもあります。産地から直接仕入れている紅茶専門店でほっとひと休み。
橋を渡って右岸へと。


とても行きたかったお店「光原社」
柳宗悦が提唱した「民藝」。柳と交流を深めた故・及川四郎氏創業の「光原社」。本店同様姉妹店でも『北の光原社』には、織物、陶磁器、漆器、鉄器など全国各地の逸品がそろっています。外国の民芸品もあるのでモダンな雰囲気がします。
陽も落ちかけた夕暮れ、北ホテルの近くの”ナイショ”にしておきたい小さな・小さな喫茶店「KARUTA]で、1杯目はオリジナルブレンド、2杯目は深入りのコーヒーをいただき「でんでんむし」に乗って駅近くのホテルに戻りました。
古都盛岡の情緒が残る町歩き、小春日和の一日でした。
旅は賜る(たまわる)もの。
人に出会い人から恩をいただく・・・遠くにいかなくても、驚きや発見、新たな喜びや感動を覚えることこそが私にとっての旅であり、人生の果実を味わうひとときではないかと今、感じています。
『きたぎんレディースサークル』でお逢いした方々、ありがとうございました。
そして盛岡の街なかで出会った皆さま、素敵な宝をたくさんいただきました。

「箱根やまぼうし」からのお知らせ


アメリカ出身の作家、リチャード・フレイビンさんの展覧会です。
約40年前に日本を訪れた際に日本の美術と文化の美しさに魅了され、1972年から74年まで東京芸術大学にて木版画を学びます。その過程で和紙に出逢います。和紙の伝統をふまえながら、その繊細さを大切にしながらもリチャードさんの和紙の世界が展開していきます。
時には大胆に、まったく想像を超えた和紙。埼玉県越生の工房では、仲間とともに材料の楮から育てます。寒い2月の朝、楮畑に仲間達と集まり楮を刈り取り、たばめ、蒸します。皮むきが終わると、冷たい川に長くゆったりと浮かぶ楮。
そんな工程を経て生まれたリチャードさんの和紙は照明であったり、襖であったり、ファッションであったり、建具であったりと変幻自在です。いにしえの和であり、現代のモダンなテイストであったり・・・美は国境を越え暮らしに彩りを与えてくれます。
紙衣(KAMIKO)とよばれるシャツや帯、バックなど、カキシブなのでしょうか、素晴らしい風合いの色です。
初日の21日には リチャードさんに私がお話を伺う「ギャラリートーク」もございます。
時間は13:30~
定員20名(予約優先)
参加費は無料
晩秋の紅葉の美しい箱根にお越しくださいませ。
お待ち申し上げております。
ギャラリートークへのお申込み、展覧会の詳細は
http://www.mies-living.jp/events/2015/lureofwashi.html

秋の京都

この季節は「秋思・しゅうし」とよぶとか。
実りの秋、収穫の秋。花は実となり枯れ葉となりどこか寂しい思いがいたしますが、心が幸せで満たされるような展覧会に行ってまいりました。
『石井麻子のニットアート展』です。


石井麻子さんには過去に何度か我が家の箱根やまぼうしで、展覧会をしていただき、そのたびに心惹かれる天使たちが舞い降りてきます。着るとラブリーな気持ちにさせてくださるセーターやベスト。私のクローゼットでは石井さんの天使たちが仲良く一年中微笑んでくれています。
今回の京都文化博物館でのニットアート展では2003年から製作をはじめたニットタペストリー27枚が展示されました。パリからスタートし「京都姉妹都市シリーズ」は9都市。春夏秋冬プラハ、グアダラハラ、韓国、キエフ、フィレンツエ、西安、ボストン、ケルン、京都など。
そして我が家のやまぼうしのために製作してくださった「箱根・HAKONE」。深い青の色が湖や空、そして寄木細工の文様。素敵です。宇(そら)で遊ぶ天使たち、天使の森深く迷いこんだような感覚にとらわれる素晴らしい手仕事。心がほっとして思わず微笑んでいる私。
世界の平和を祈り、そして古都の、歴史、文化、自然に学びながら、「畏敬の念」を持って製作に立ち向かうことは至福という言葉以外ありません。とおっしゃる石井さん。行く秋を足の赴くままに旅をさせていただきました。


そして、翌日は早朝京都御苑の周りを散策し、向かった先は今回の旅の楽しみのひとつであった千年の都に伝わる秘法を紹介する、秋の「京都非公開文化特別公開」のひとつ、来年生誕300年を迎える江戸中期の絵師、伊藤若冲(じゃくちゅう・1716~1800)の天井画が初公開されているのです。
10月30日~11月8日
江戸中期の奇才と呼ばれた若冲。謎の絵師です。
今回初公開された、浄土宗信行寺の天井絵「花卉図」。本堂の一画に、格子状に区切った167面は一枚が38㌢の角の板で、中央を円形の画面として植物が描かれています。
朝一番で行ったのですが、すでに1時間待ちの行列。頭上に花々が降り注ぐように描かれています。アヤメ、ボタン、ユリ、シュウカイドウ、ヒマワリ、キク、ナンテン・・・若冲らしいこだわりもうかがえます。ボタンは正面から描かず、後ろ姿。アヤメは茎をくるりと丸めて下をむいているのです。本堂で檀家のひとたちが祈る場所にはそのような構図がふさわしいのでしょうね。
それにしても・・・あの「若冲」の本来の作品とはかなり違います。最晩年のこの作品がもしかしたら、もっとも「若冲」の本質的な絵なのかもしれません。信行寺はこれまで、劣化を防ぐために公開せずにきたそうです。美術を学ぶ人たちから『拝観のチャンスを』との願いを受け一度だけの公開となりました。
本堂の一画にすべて異なる植物を外国人も京都の人も、私のような観光客も、若冲のその晩年の絵に魅せられました。


その足で錦小路の市場へと向かいました。
若冲は高倉錦小路の青物問屋の長男に生まれますが、15歳ごろから絵を学び弟に家業は任せ、絵に専念し動植物を描き続け、その手法はだれも真似のできない様々なアイデアで描いていきます。
私は今回の天井画を観て初めて「若冲の心」の入り口にたてたような気がしました。
謎の人物でもなく、奇抜でもなく「人間若冲」をかいま見ることができました。
紅葉にはもう少し・・・冬が間近まできている気配はありますが、心はぽかぽか・・・丹波の栗きんとんとお抹茶をいただき京都を後にしました。