映画「さよならテレビ」

私はやはり、映画を見るのが好きです。年に20回くらいは映画館に行くでしょうか。伝説のロックバンド、クイーンを描いた「ボヘミアン・ラプソディー」から、柄本明さん主演の「ある船頭の話」まで、ジャンルはかなり幅が広いですね。

そんな私が新年最初に見た映画は「さよならテレビ」でした。これまで生番組やドラマなど、テレビにはいくつもの場面でお世話になってきましたが、私の場合は「出演者」という立場でした。

「さよならテレビ」はニュース番組が企画され、制作され、そして放送されるまでの一連の「現場」を、テレビ局員自らがカメラを回し、作品にしたドキュメンタリー映画です。

これまで、テレビに「出演」しながらも、なかなか見つめることが難しかった「現場の真実」を、改めて知りたいと思ったのが映画館に向った理由でした。

映画は冒頭から緊張感に包まれます。報道局の大部屋での場面です。皆が本音をぶつけ合う企画会議や反省会。中身は当然、辛辣なものにならざるを得ません。机の端にマイクを設置して、少しでも明瞭な声を拾おうとする撮影スタッフ。

「いくら仲間でも、いや仲間だからこそ、遠慮してもらいたい」と願う報道局のスタッフ。「ニュースの”現場”に、土足で踏み込まないでくれ」そんな空気も漂います。気まずい雰囲気の中、それでも撮影は続行されます。

なぜ、そんなことをするのか?

そこにはこの映画のプロデューサーや監督が抱えている、テレビの現在と未来に対する、大きな不安があります。かつてお茶の間の人気者として一世を風靡したテレビが、今やその勢いはない。テレビを見ないどころか、テレビを持たない若者が急激に増えてきている。その大きな原因の一つは、ネットの圧倒的な影響力です。

そんな中で「いま本気で番組を作らないと、テレビは見捨てられてしまう!」

このスクリーンには、製作者のそんな危機感が正直過ぎるほどストレートに描き出されています。

視聴者に伝えなければならないこと。
スポンサーと向き合うこと。
視聴率は避けて通れないこと。
理由なく人を傷つけてはいけないこと。

両立しにくい、あるいは矛盾する要素を同時に抱えての苦悩が、内幕として全編に流れます。この映画を製作したのは、名古屋の「東海テレビ放送」でした。製作者の皆さんはテレビの関係者、そして多くの視聴者にも「元気を出して、もう一度頑張ろうよ!」という熱いメッセージを伝えたかったのだと思いました。

そうですよね。テレビは決して「古くなった、時代遅れのメディア」ではないですよね。テレビにも、ラジオにも、そして新聞にも、もう一度エールを送りたくなるような、そんな映画でした。

映画公式サイト:https://sayonara-tv.jp/

新春の旅 沖縄

早いもので、1月も後半に入りました。
私の新年最初の旅は沖縄でした。

毎年2、3度はお邪魔しておりますが、今回は地元の友人たちから”浜さん、ゆんたく(おしゃべり)しましょ!”とのお誘いを受けての訪問でした。皆さんと喋り、笑い、そして食べ、楽しいひと時を過ごしました。

もう50年以上にもなる私の沖縄通い。いつの頃からか、「第二の故郷に戻ってきた!」という安堵感を覚えるようになりました。

私は、織物や工芸品などから「美の王国・沖縄」に触れ始めたのです。柳宗悦さんの書を読み「沖縄は民芸の故郷」という言葉も知りました。

10代にしては、かなり早熟だったのかもしれませんね。そんな私が一番心惹かれたのが「花織」(はなうい)でした。

沖縄には古くから「紅型」や「芭蕉布」、「宮古上布」など”美の極み”が数多くあります。その中でも、織りかたの複雑さ、微妙で奥深い色合いを誇る「花織」の美しさは、”沖縄の手仕事”の真髄とも思えたのです。

そして「花織」の歴史を知ろうと読谷(よみたん)村を何度も訪ね、与那嶺貞さんという素晴らしい女性と出会うことができました。ご主人を先の戦争で亡くし、お子さんたちを抱えながら「花織」の復元に邁進された方でした。

「このままでは花織が忘れ去られ、消えていってしまう」

戦後の食料難で、子供に紅芋を与えながらの苦しい創作活動でした。でもそのような思い出話を語る貞さんは、決して嘆くわけでもなく、気張るわけでもなく、穏やかな琉球言葉でゆったりと話してくださいました。

この逞しさと明るさ!どんなに辛いことがあっても、空を見上げて、すくっと立ち続ける!その立ち居振る舞いに、私は沖縄女性そのものを見た思いがし、すっかり魅了されてしまったのです。こうして沖縄に教えられ、育てられてきた私。

痛ましい首里城の炎上からまもなく3ヶ月が経ちます。しかし、沖縄の皆さんは深い悲しみの中で、時間はかかっても、きっと立派な首里城を再建されるでしょう。

私も何か、お役に立ちたい。

再び起き上がろうと必死で痛みをこらえている首里城に直接激励の声を掛けたくて、新年の旅に出たのです。

先週、淡いピンクが可憐な「カンヒザクラ」が咲き始めました!例年より早いそうです。沖縄の春を代表する花の一つですね。

この春は沖縄にとって、いつも以上に”空を見上げ、そして城を見上げる”季節になることでしょう。

寒椿の似合う壷

「これから知り合いの店に行くんだが、ついて来るかい?」

それは、写真家土門拳さんの何気ないひと言から始まりました。

人生の重大事というのは、いつもそんな風にさり気なく、ほんの偶然という顔をしてやってくるのです。

16歳になってまだ間もない冬のある日、土門さんと私は雑誌の写真撮影のために京都に居ました。天候の関係で仕事は翌日に延ばされることになり、突然できた休日に土門さんは私を四条通りにある馴染みの骨董店に誘ってくださったのです。

「美枝ちゃん、本物っていうのはね、本物なんだよ」

その時の土門さんの顔は、京都行きの目的が私との仕事よりも、その店『近藤』を訪ねることの方にあるように輝いていらした。

「どうかされました、こんな所で」

薄暗い店の片隅、ひとつの壷の前でいつまでも動けずに居た私に、『近藤』のご主人が声をかけてくれました。何故だかは解らない。ただ何気なく見て廻っていた店内の品物の中で、その壷だけが私を強くひきつけ、その場から一歩も動けないようにさせてしまったのです。

この壷は一体どんな人が作ったのだろう、この店に来る前にはどんな所に暮していたのだろう・・・あれこれ興味は尽きず、しまいには「この壷は私のために作られて、ここでこうして待っていてくれたんだわ」と思い込むまでになっていました。

古い信楽焼で作者は不詳、名は”蹲”。

ご主人に説明されて、私は迷わずその壷を買うことに決めた。(東宝から1年分の給料を前借して)。”蹲”というその名が、そのままその時の自分自身のありようを言い当てているような気がして、もう離れられなくなってしまったのです。

中学を卒業後、憧れのバスガールになるためにバス会社に就職した私が、ひょんなことから身を置くことになった芸能界。女優という職業をはじめて、ほんの一年足らず。この世界が自分の居場所だと思い込むには無理がある・・・と、ただ立ちつくし、その場にうずくまっているしかなかった十六歳の私の心。それをそのまま形にして存在してくれているのが”蹲”という壷だったのです。

まもなく私の手元に届けられました。またその日から、仕事以外にもうひとつ、私の人生を賭けるべく”もの”を探し求める旅が始まったのです。

毎年寒椿の咲く季節になると、この壷は一年に一度だけその顔に紅をさし、私の分身として生き続けてくれていることを確かめます。

「この壷には寒椿を一輪だけ活けよう」と頑固に決めたあの日から、ふと振り返れば、早や六十年の歳月が過ぎています。

初明り 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

夜が明けるか明けないか・・・の初明かりの中を箱根神社に初詣に行き、私の元旦は始まります。家族の一年の無病息災を祈ります。そして、二日、三日は箱根駅伝を沿道から応援。

”私は知っています。”まだ夜の明けない暗闇の山道をひたすら走りつづけて練習を重ねてきた選手たちを。「自分との戦い」に挑む選手たちを想うとき、順位よりも何よりも、あのひたむきさに心からの応援をおくります。

そして、松の内に上野の鈴本演芸場の正月初席に伺います。落語・漫才・講談・寿獅子舞・ものまね。紙切りは林家正楽師匠、トリは柳家三三師匠。もちろん私の伺う日は柳家小三治師匠の出演日。思いっきり笑い、お正月気分を味わいます。

お正月から読み始める本は、傘寿を迎え始めて語る、芸、友、人生 柳家小三治自伝「どこからお話ししましょうか」です。まさに現代落語界の至宝。楽しみです。

そして、本年の私の大きなテーマ「首里城」。与那原恵さんの『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』は、大正末期から昭和初期、大々的な芸術調査をし、琉球文化について書かれています。沖縄文化の復興。大変興味深い本、じっくり読み始めたいと思います。

どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。

年の暮れ

令和元年もあと少しで終わります。
今年も私のダイアリーをお読みいただきありがとうございました。台風の被害が相次いだ秋でした。
皆さまの日常生活が一日も早く戻ることをお祈りいたします。

首里城の火災もありました。
来年は沖縄行きが多くなると思います。

サザンカがほころび、冬のはじまりから庭の椿が咲き始め、本格的な冬の到来です。

皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

映画「私の小さなお葬式」

コミカルでチャーミングで、タイトルから受ける印象と全然違っていて、全編に、とぼけたおかしみが漂っている。正直ロシア映画にこのようなウィットがあることが嬉しくなる映画です。

いわゆる「終活」映画。

物語の主人公は長年、教師をして来て、73歳の今は一人で年金暮らしをしているエレーナ。健康に自信があった彼女に医師から「心臓に問題あり。いつ心肺停止になってもおかしくない」と言われてしまいます。

医師は教師をしていた時代の教え子。そして数日後には突然胸の痛みに襲われます。日本ばかりではなく高齢者にとって”終活”は大問題。

ロシアの小さな田舎町に住むエレーナには都会に出て事業を成功させた自慢のひとり息子オレクがいますが、迷惑をかけまいと、さっそく葬式の準備を始めます。

気丈に生きてきたエレーナに、教え子だらけの村人は頭が上がらない。「元・教師」という設定が映画の中で生きている。なによりも村人達がいい。とぼけたおかしみが漂っているし、なによりも私のお気に入りは村の風情です。

いまどきこんな素朴で、雰囲気のある村があるのですね。古びた木造の家のインテリア、小物、さりげない壁紙、テーブルに椅子。監督のこだわりが感じられますし、なによりも監督に乾杯!はよくこの2人の偉大な女優との仕事ができたことです。

「私は普段、人との付き合い方は気楽に考えていますが、今回は自分よりも何倍も本物で、プロフェッショナルな女優。監督には試練です。でも、二人はとても協力的でした。」と語っています。

監督:ウラジーミル・コット、1973年ロシア・モスクワ生まれ。

エレーナ役はマリーナ・ネヨーロア、1947年ロシア・レニングラード生まれ。ロシアでは知らない人はいない芸術家に選ばれています。

隣家に住むひねくれ親友リュドミラ役のアリーサ・フレインドリフは1934年レニングラード生まれ。自身70歳の誕生日にプーチン大統領からロシア連邦国家勲章を授与された名女優。

息子役にはエヴゲーニー・ミローロフ。1966年ロシア・サラトフ生まれ。ロシアを代表する演劇・映画人。

この3人のほのぼのとした温かさ、また哀しさ、コメディーともとれる映画を深みのある芝居、ほんわかした笑いを生む演技が、深刻になりがちな映画を”笑える終活映画”にしてくれました。

でも、この映画の一番のおかしみは「冷凍されたのに解凍したら生き返った鯉」です。鯉はデリケート魚だそうです。撮影中管理が大変だったことでしょう。こちらも”主役”。

ラストに流れるのはロシア語版「恋のバカンス」。63年にザ・ピーナッツが歌って大ヒットした曲。当時のソ連でも流行っていたのでしょうね。

「母と息子の情愛」を、母は一歩引いて、依存することなく凛と生きる姿にこの映画のテーマが見えて、後味はしんみり、でもほのぼのと・・・・ラストシーンは観る人に委ねた監督の想いに感謝です。正直、地味などこにでもあるテーマをこのような映画に仕立てた監督の力量に脱帽です。

やはり、映画は人生を豊かにしてくれます。いい映画を観終わった後はやはり一杯!ですかね~。し・あ・わ・せ。

映画公式サイト
http://osoushiki.espace-sarou.com/

高野山

南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅で降りると山の空気が違います。ここから高野山まで、ケーブルカーで一気に登ります。

真言密教の聖地、高野山は弘法大師・空海が約1200年前に開山し、世界遺産に指定されています。「祈りの対象に宗派は関係ない」というのが、空海の思想です。アフガニスタンで4日朝、銃撃された中村哲医師もこの思想があれば亡くならないですんでいたのに・・・胸がしめつけられます。

約4000人が住む標高900メートルの聖地。高野山駅からは宿坊まで山間を抜けバスで10分ほど。今回の宿坊は金剛峯寺近くなのでとても便利です。奥乃院までも歩いて1時間。

その日は夕方に着いたので宿坊でゆっくり精進料理をいただきました。高野山名物のごま豆腐をひと口。薄味で上品な味。こんにゃくや、刺し身に見立てた料理など。よく考えられた旬の食材も使われていて満足です。そして般若湯を一本。般若湯とは「知恵を生むお湯」。つまり、お酒。友人とお互い一本づつ。翌朝は4時起きなので早めにやすみました。

何度か訪れている高野山・奥乃院。御廟までの参道約2キロの間には、20万とも30万とも言われる供養等が建ち並んでいます。何げなく眺めていると不思議な気持になります。織田信長と明智光秀。徳川家と豊臣家。親鸞と法然。中にはキリスト教の十字架。真言宗の総本山でありながら、他宗派の供養塔も。”祈りの対象に宗派は関係ない”という空海の自由な祈りを体現しているのですね。

翌早朝、宿坊を出て奥乃院まで星空の明かりを頼りに歩きます。薄暗い、というより真っ暗な道は凛とした空気、樹齢数百年の高野杉が包みこんでくれます。この山を平地にした空海の苦悩が偲ばれます。

一歩一歩、足元を見ながらの奥乃院までの1時間は”幸せ!”と思わずつぶやいておりました。そうなのです。一度は赴ってみたかった、そして体験したかった「生身供(しょうじんく)」。

入定後の空海のために行なわれる配膳。5時半には御廟前の玉川に掛かる御廟橋のたもとでお待ちします。寒さに震えながら耳をすますと包丁のトントンという音、よい香り、空海の朝ごはんの準備をしている気配を感じます。

シャンシャンと鳴る半鐘の合図に引き戸が開かれ、黄衣の僧侶が3人現れます。先頭を歩く高僧、続く二人が白木の櫃を長棒で担いでいきます。気が付くと外国人女性の二人がじっと見つめています。

僧侶たちの後をついて御廟前の塔籠堂の中に招かれます。千年以上、毎日、毎日行なわれる365日続いている「お大師さまの朝ごはん」勤行を拝見し、”続けること”の深さをあらためて感じました。

高野山1200年の祈り。

夜も明け、早朝の参道を大急ぎで宿坊にもどりました。7時半の朝食に間に合うように。朝食のときに始めて顔を合わせる宿泊客。なんと20名の中で日本人は私たちだけです。欧米人、中国の若いカップル。フランス人母娘は海苔を珍しそうに眺めていました。皆さん畳の座敷で美味しそうに精進料理を召し上がっていました。

金剛峯寺、高野山霊宝館には空海の書、曼荼羅、仏画、仏像(最近判明した快慶作の)仏さまにも出逢えました。大きな曼荼羅の前の椅子に座り、密教の世界観、宇宙・・・わずかな陽光が射し込む部屋でしばらく自分自身と向かい合うことができました。

帰りは千メートル級の峰々に取り囲まれた盆地を見ながらわずか5分のケーブルカーで極楽橋駅到着。現実の世界です。

今回は”自分と対話する旅”でもありました。
旅ってやっぱりいいですね。

大和路 そして高野山への旅

長谷寺

今年の春頃から76歳を迎えたら、奈良の長谷寺・室生寺、そして高野山に行きたいと想い続けており、先週3泊4日で行ってまいりました。

室生寺、高野山には何回か行っていますが、長谷寺は初めてです。今回の旅は友人もご一緒で”おんな二人旅”でした。

小田原から京都に出て、京都から近鉄を乗り継ぎ長谷寺へ。お昼には着きましたので、宿に荷物を預けゆっくりお詣りができました。

ちょうど紅葉の美しい季節。長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半といわれています。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に建っています。また「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。梅、牡丹の季節にまた訪ねたいです。

入り口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付の階段)を一歩・一歩上がっていきます。本堂の西方の丘には「本長谷寺」といわれる一画があり、五重塔などが建っています。

正堂の前面は京都の清水寺本堂と同じく舞台づくりとよばれるテラスのような場所からの眺めは素晴らしいです。でも、奈良時代から室町時代までに7回焼失しているそうです。今回は特別展に出会えたので、「本尊十一面観音像」のお足元を触ることができました。

我もけさ清僧の部也梅の花   小林一茶

花の寺末寺一念三千寺     高浜虚子

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
紀 貫之

長谷寺を後にして、参道をのんびり歩き美しい柿葉寿司のお店を見つけ、夕食前なのにできたての柿葉寿司を2切れいただきましたが、これまでいただいた中で一番美味しく、この季節10日間ほどが美しい葉だそうです。出来立ての美味しさ、葉の美しさに感動です。

室生寺(女人高野)

私は旅する時には事前にあまり資料を見ないで出かけます。もちろんスマホで調べることもしません。ただ自分の足で歩き、感じ、しっかりと眼に焼きつけ、匂いを、風を感じ、身体全体で感じたいのです。

そんな旅を10代の頃からしてきました。お寺も、仏教も、仏像も私は詳しくありません。惹かれるままに出かけます。そうすると不思議に出逢えるのです。調べるのは帰ってきてからです。何故なんでしょうね~。

室生寺は写真家土門拳さんが伝説的な写真を残されております。室生寺門前太鼓橋。有名な「雪の鎧坂金堂見上げ」雪がうっすらと階段や葉、金堂に白くかかる写真は息をのむほどの美しさです。桜が咲く美しい「室生寺五重塔遠謀」。朝霧に包まれた樹木。優美な国宝金堂を正面から眺めると、きらびやかさのまったくない樹木にかこまれて建つ金堂や五重塔の美しさにただただ見惚れます。

とても残念だったのは一番好きな仏さま「釈迦如来坐像」「十一面観音立像」が展覧会に出品しているために会えなかったこと。土門拳さんの撮られた左半面相はふくよかなお顔にほんの少し笑みをうかべ、優しくいつも迎えてくださいます。山寺の中にあっての魅力なのでしょうね。「女人高野」とよばれるように女人を受け入れた寺で、たたずまいも女性的な優しさを感じさせてくれます。

白州正子さんの「私の古寺巡礼」の本の中に「寺に行く前に、室生の前身ともいうべき龍穴神社を見た方がいい」とあります。今回はじめて行きました。天につきそうな杉木立はそこに居るだけで神秘的です。

拝殿の後ろは神体山になっていて、室生川は川幅も狭く、龍の祠があり今にも龍が現れそうです。万葉のころのことはこれから調べましょう。きっと物語がありそうです。箱根も杉の木立に囲まれていおりますし、箱根神社とよく似ているのです。室生寺が一時龍王寺と呼ばれていたそうですから、そこにも”何か”がありそうです。

と、いうわけで2日間の大和路の旅を終え、いよいよ高野山です。宿坊に泊まり、一番の目的は早朝奥の院で入定後の空海のために行なわれる生身供(しょうじんく)という仏事。1200年、365日一日もかかさず毎朝空海のために「朝ごはん」を供えるとのこと。晩秋の6時はまだ闇の中です。

続きは来週のブログでご報告いたしますね。御廟前の玉川にかかる御廟橋のたもとで待機いたしました。

印象派からその先へ

仕事を終えて帰りに男性だったら、”ちょっと、一杯!”と居酒屋さんへ、いいですね~。女性も軽くワインを飲んで帰る方も見かけます。

私も一日東京で仕事を終えて新幹線に乗る前に軽く一杯!ということもありますが、私の寄り道のなかには”美術館”があります。「あ~疲れた、ちょっと寄り道」でちょくちょく伺うのが東京駅に近い、丸の内にある三菱一号館美術館です。

ビジネス街のオアシスです。明治期のオフィスビルが復元されているため、展示室が小さく、作品をより身近に感じられますし、その日のコンディションで、椅子に座り一枚の絵をじっくり眺められ、絵と向き合えます。

今回の企画展は『吉野石膏コレクション展』です。ポスターの横にはたて文字で  「やさしくなれます」と書かれています。

ルノアール、モネ、シャガール、ゴッホ、コロー、ミレー、クールベなど19世紀フランスの絵画の数々。画家の人生、作品の背後にある歴史や社会に想いを馳せながらの鑑賞は至福のときです。

でも今回はちょっと疲れ気味で全てを見て回るほどの体力がなく、しかし・・・一枚の絵の前で釘づけになりました。始めて観る実物。フィンセント・ファン・ゴッホの『雪原で薪を運ぶ人々』。

「馬鈴薯を食べる人々」に魅せられ10代だった私。人生を大きく変える一枚でした。冬枯れの景色に薪を運ぶ農民一家。背後には赤々とした夕日が描かれています。ゴッホにとって太陽は、教会などの宗教的モチーフといわれますが、オランダ時代の作品では珍しいとのこと。

雪の上をもくもくと歩く農民。でも空の色は温かみのあるグレー。過酷な労働のように見えても、そこに”働く歓び”も感じます。”やさしくなれます”ってこういう気持なのね~、とつぶやく私。

そして、シャガールの部屋へ。1887年、白ロシア共和国(現ベラルーシ共和国)に生まれ郷土色豊かな東方ユダヤ文化の中で育ちます。1910年にモンパルナスに集う芸術家たちとの交流、運命的に出逢った伴侶べラ。作品の数々に登場します。

バイオリン弾き、恋人たちと花束。天使と恋人たち、翼のある馬、そして、最晩年(92歳)の時の作、「グランド・パレード」。美術館の小部屋で作品に囲まれているうちに、シャガールの歩んできた激動の道のり、ロシア革命、第二次世界大戦、アメリカへの亡命など、その絵からは葛藤や苦しみが微塵も感じられず、詩的で美しく、あくまでも優しさに包まれています。生きていくうえでの愛情と喜び・・・92歳にしての瑞々しさ。

身も心も空になり心の泡立ちを感じていた私に、シャガールは温かな手を差伸べ抱きしめてくれているようでした。ひとりの時間、ひとりの空間。その空間に身を置くだけで肩の力が抜けていきます。一枚の絵との出逢い。

そして、美術館に併設されているカフェでワインを一杯いただき帰路につきました。

三菱一号館美術館公式サイト
https://mimt.jp/ygc/

キノコ狩り

毛無山に広がる上ノ平高原を抜けて車が進むとブナの原生林。箱根とはまた違う奥信州にキノコ狩りに家族と出かけてまいりました。

宿泊は野沢温泉。江戸時代から湯仲間という制度があり地域ごとに守られてきた共同浴場(外湯)

そんな中にキノコ名人がいる宿に泊まり、その名人にご案内いただきました。”キノコ狩り”は始めての経験です。一緒に行った孫たちももちろん始めて。

ブナ林を分け入り上っていくと空気が違います。豊かな水、澄んだ空気、山の豊かさを身体ごと感じることができます。山道を少し歩くと朽ち木や土の上にキノコ・キノコ。

食用・有毒、みわけはまったくできません。名人が「これは毒キノコ、手の平ほど食べたら天国に行っちゃうよ!」と。ブルブル。そして、始めて見る天然のなめこ。「え~こんなに大きいの、丸まっていないの?」と私。「八百屋で買うのとは違うでしょ!天然は美味しいよ~」と名人。

奥信州の味覚、なめこは雪深い山奥でブナの大木に自生しているのです。ちょうど晩秋の紅葉の頃より発生し降雪期まで採取できるそうです。根のほうから静かに採ると香りが違います。「え~これ、しめじですか」と私。普段はオガクズより人口栽培されたものをいただいておりますが、自然しめじは原木に発生しています。時間を忘れ夢中になってしまいました。

ナメタケ・シイタケ・クリタケ・ムキタケ・ヒラタケ・アミタケ・ナラタケ・・・など等。なめこや、しめじの料理の下準備、料理方法も教えて頂きました。

下準備1:きのこの石突き(軸の末部分)をはさみで切る。
2:きれいに水洗いする(なめこは数時間水に漬けておくと簡単に洗えます)

料理方法:沸騰した湯の中へ1分ほどつけてから取り出し、傘の裏側へレモン汁と醤油をかけていただく。なめこ汁・酢の物・吸い物・寄せ鍋などいろいろ。

保存方法も教えていただきました。
石突きを切り取りよく水洗いしたきのこを2時間ほど水につけておきフリーザーパックへ1回に使用するだけ入れ冷凍保存・解凍方法は、凍ったまま沸騰した湯の中にいれ解凍。

夕食は寄せ鍋・酢の物・しいたけ・ひらたけ・くりたけの天ぷら。これがとても美味しかったです。物質的には恵まれた豊かさの中にある現在の暮らし。名人からは山の現状など、様々なことも教えていただきました。

8割が森林の日本。戦後山々に杉の木が植林されました。しかし、現在は安い、ということで国産材を使うことが少なく、海外の材料が多く使われています。山は荒れています。下草を刈り、間伐をし、太陽を浴び、風を通し、”健全な森”にしなければなりません。

山の管理のあり方はとても重要です。経済優先だけでは山は守られません。動物や植物の生態系も変化し続けています。情報もふんだんに溢れ、平和も、自由も、世界の国々に比して少しも引けをとらない程に手にしています。

でも・・・心からの「豊かさ」を実感できないこともあります。自然の中に身を置く、時には必要ですね。

赤々と燃えていた木々の葉がすっかり落ちて、秋の終わりを告げるころ白銀の世界がひろがり、奥信州にも本格的な冬がやってくるのでしょう。