映画「モロッコ、彼女たちの朝」

地中海に面するモロッコ最大の都市、カサブランカ。ここを舞台にしたハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの名画「カサブランカ」を、これまで何回見たことでしょう。

でも、先日の映画は同じカサブランカが舞台ですが、描かれる世界や登場する人々は全く異なりました。男女の物語というよりも、女性の生き方を女性同士が考え、悩み、そして自ら切り開いていくというものでした。

「モロッコ、彼女たちの朝」。
モロッコの劇映画が日本で公開されるのは、今回が初めてとのことです。

カサブランカの雑踏を、臨月のお腹を抱えた若い女性が一人歩いていきます。職も住居も失った彼女は、生活の糧を探し求めていたのです。ようやく一軒の手作りパン店にたどり着いたものの、すぐに色よい返事はもらえません。

お店の主人は女性でした。一人娘を抱えて、毎日を生きることに懸命です。しかし、臨月の女性の話を聞きながら、手を差し伸べてあげたいという気持が芽生えてきます。モロッコは昔ながらの男性中心社会。未婚の母は今もタブーなのです。それが容易に想像できる女性店主は、夫を事故で亡くしていました。

二人の女性が、これからどのような将来を目指していくのか?

この映画で、”心の介添え役”を演じたのが、店主の娘です。あまりに自然な演技は、監督が偶然にみつけたという、素人の少女でした。彼女なしには、この映画は成り立たなかったでしょう。女性二人の仲を取り持ったのですから。

そして、スクリーンに時折現れる、一枚の絵画を思わせるような映像。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の、まさにオマージュともいえました。監督はモロッコ生まれのマリヤム・トゥザニ。彼女は初めて長編映画に挑みました。

全編静けさが漂うスクリーンで唯一”心の躍動”を感じさせたのが、アラブ世界では有名な歌手・ワルダの歌声でした。彼女は夫に歌うことを禁じられたために離婚し、なお歌い続けました。聞く者の胸を揺さぶる彼女の愛と希望の旋律は、この作品の重要な”羅針盤”ともなっていました。

男性との対立を前面に押し出すのではなく、それよりも、女性の自立や自律を大事にしたい!「女性の、女性による、女性のための映画」。監督のそんな思いが、強く感じられました。

今から20年ほど前、私はカサブランカから車で2時間半ほどのところにある小さな集落を訪ねたことがあります。わずか4日間の滞在でしたが、そこではベルベル族(北アフリカの先住民)の女性たちが、家事の合い間に、アルガン樹の実を手で割り、オイルを採取していました。昔から食物であり、治療薬として大切にされてきたオイル。「生産協同組合」もでき、アルガンの木の保護や女性の自立支援、社会的地位向上も目指していました。

アルガンの実を”人生の実”と称されるほどです。

彼女たちは今、どうしているかしら?
コロナ禍が一段落したら、また行ってみたいと夢見ています。

映画公式サイト
https://longride.jp/morocco-asa/

藤戸竹喜  木彫り熊の申し子     ~アイヌであればこそ

木彫りの熊は離れて眺めても、その魅力が伝わってきません。近寄って見つめると、思わず触れたくなるようなリアリティーに驚かされます。毛一本一本の質感、そして何かを訴えかけるような表情にも、芸術性と熊の存在感が溢れ出ているのです。

今、東京ステーションギャラリーで「木彫り熊の申し子」と題された企画展が開かれています。”申し子”とは彫刻家・藤戸竹喜(ふじと・たけき)のことです。

「アイヌであればこそ」の副題が付けられた展覧会は熊を中心にした動物、そしてアイヌの先人たちの、まるで生きているかのような立像など、80点余りの作品が周囲を圧倒しています。

50年ほど前、東京・駒場の日本民藝館でアイヌの工芸品に出会いました。どうしても、その手仕事の現場を見たい!その後、テレビの仕事で北海道のアイヌコタン(アイヌの人々が住む集落)を訪れ、素敵な女性にお会いしました。

貝沢トメさん。

アイヌの大切な祭り・イヨマンテ(クマ送り)で熊を寝かせるための”花ござ”を編んでいました。彼女はアイヌの人々の暮らしぶりや織物の素晴らしさなどを、3日もかけて丁寧に教えてくださったのです。

今回の木彫り熊の企画展は、衣装や装飾から出発した私のアイヌ芸術への関心を一層広げ、深めることになりました。

デッサンも下絵もないまま、たった一つの木片から熊を彫り上げていく。なぜ、このようなことが可能なのか?それは、アイヌの人々の精神性に因るものだと感じました。

お寺も神社も持たない彼らは、動物なども含めた山や川、つまり自然そのものを神と崇めているのです。彫刻家の藤戸竹喜は、一つの木から魂を彫り続け、そして堀り当てたのでしょう。

「木彫り熊の申し子」展の会場として、ステーションギャラリーはぴったりでした。

かつての東京駅のレンガ壁を利用した展示場は、出展作品との息遣いがとても似ていたのです。昭和の観光ブームでお土産物として主役の座を維持し続けた木彫りの熊は、今では芸術・文化作品として、アイヌの手仕事の魂を代表する存在になりました。

その立役者の藤戸竹喜は、決して頑固一徹の人物ではなかったようです。会場には、若い頃の彼が大型3輪バイクに乗って微笑む写真が照れくさそうに飾られていました。自宅の工房には、趣味でジャズ喫茶が開かれていたとのことです。

藤戸竹喜さんは3年前に、84歳で亡くなられました。

アイヌの歴史と伝統に限りない誇りと愛情を持ちながら、別の文化にも理解の翼を広げていらしたのですね。

尊敬と合掌

東京ステーションギャラリー
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202107_fujito.html

作家「山本一力さん」

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」が始まってから、かれこれ20年がたちます。

それ以前はTBSで「浜美枝のいい人みつけた」を15年。私はほんとうにラジオが好きです。いえ、本音を申せば”怖い”です。ラジオは映像がない分”声がすべて”です。

こちらの心もようが全てさらけ出されてしまいます。そして嬉しいことは、お聴きくださるリスナーの方々とはより親密に、近くに居て頂いている手ごたえがあります。だから演ずるという女優を40歳で卒業してからもラジオだけは続けたいと、願っております。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくることもあります。

現在はコロナ禍での収録になりますので、ゲストの方とはリモートでのご出演になります。直接お逢いできなくても目の前にいらっしゃるような感覚です。

今回のお客さまは、直木賞作家 山本一力さんです。

山本さんは1948年高知県のお生まれ。様々な職を経て、1997年、「蒼龍」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。2002年、「あかね空」で直木賞を受賞。

著書も数多く、「ジョン・マン」、「竜馬奔る」などのシリーズのほか、「大人の説教」、「男の背骨」、「旅の作法、人生の極意」といったエッセイも人気です。

ペンネームの「一力」(いちりき)は作家を始めたときに、あと一歩で賞がなかなか取れず奥さまのアドバイスもあり、姓名判断ソフトの中から候補を選び山本姓にあった名前で『山本一力に!』(本名 山本健一)

以前、文化放送が四谷の時代にご出演いただきましたが、その時は奥さまもご一緒に自転車でお越しくださいました。山本一力さんは大変な”自転車愛好家”でいらっしゃいます。

1962年の5月、中学3年生の1学期に高知から上京して、渋谷区富ヶ谷の読売新聞の販売店で住み込みを始めました。

新聞配達区域には外国人居住者も多く、当時NHKの人気番組「ルート66」でアメリカ文化に憧れたそうです。そこで新聞を配達しながら子供たちと仲良くなり必死で英語を学び、アメリカの女性と文通をはじめ、文通開始50周年の2012年、お互いの家族を連れて初めて面会した時のお話しや、コロナ禍の生活が1年半以上も続いているなかで何か楽しみを見つけていらっしゃるのか。

様々な職業を経験されておられるので、仕事との向き合い方、先輩からの教え、また夫婦円満の秘訣、など等たくさん素敵なお話しを伺いました。ぜひ山本さんから直接お聴きいただきたいと思います。放送は2週にわたります。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 9時半~10時
8月29日と9月5日 放送

映画「サンマデモクラシー」

沖縄を第二の故郷と思う私は、お邪魔する度に那覇市にある牧志公設市場に立ち寄ります。

そこには溢れんばかりの海や畑のものが顔を揃えています。そして店々からは”めんそーれー”(いらっしゃい!)と客に挨拶する、元気な”おばぁ”たちの掛け声が心地よい”伴奏”となって聞こえてきます。沖縄に帰ってきた!と実感する瞬間です。その牧志公設市場は現在、改修のため仮設の建物で営業中ですが来年の春にはリニューアルオープンするとのことです。

先日、沖縄の映画を見ました。笑ったり、考え込んだり、勇気付けられたり、とても魅力的な映画でした。

「サンマデモクラシー」

今から50年以上も昔の話です。当時の沖縄はアメリカの占領下にありました。その頃、牧志で魚屋を営む女性が当時の琉球政府を相手取り裁判を起こしたのです。つまり、アメリカと争うことになったのですね。

「庶民が食べるサンマに税金を掛けるのは許せない!これまで払った税金を返してくれ!!」というものでした。誰も考えなかった前代未聞の裁判。訴えたのは玉城ウシさん、当時60代半ばの女性だったのです。

さあ、ウシさんはアメリカを相手にどんな戦いを繰り広げるのか?

この映画は沖縄の噺家・志ぃさーさんがナビゲーターで登場し、俳優の川平慈英さんがナレーションを担当しました。沖縄のこれまでの苦難の歴史を改めて振り返り、ウチナーンチュ(沖縄人)の心の襞を知ってほしい!そうした製作者や出演者の皆さんの熱い思いが、スクリーンに溢れでていました。

私が初めて沖縄を訪れたのは、かれこれ半世紀も前のことです。”沖縄民藝”の魅力に心を奪われ、その後、”食の歴史”も学びました。そして、繰り返し通うことになった牧志公設市場。当時、ウシさんには直接お会いしたことはありませんでした。でも私は、ウシさんとお話ししたことがあると、思いたいのです。

「ハマさ~ん!ちゃーがんじゅうーねー?(元気でしたか?)」

これまで、何度となく声をかけてくださった市場の”おばぁ”の皆さんたち。様々な苦労を重ねながらも、怒り、笑い、泣き、行動し続ける。そんな何人ものウシさんの声が、今も耳に残っているのですから。

コロナが落ち着き、牧志公設市場が再びリニューアルオープンしたら、また伺います。必ず!

映画公式サイト
http://www.sanmademocracy.com/

世界報道写真展2021~私たちは生きる

物音一つしない会場に、突然閃光が走ったような気がしました。黄色で縁取られた光の中で、親子が抱擁している! でも、それは勘違いでした。

ブラジルのサンパウロにある養護施設で、看護師が85歳の女性を抱きしめているのです。コロナ感染予防のため、施設側には最大限の工夫が求められています。密着を避けながら、少しでも入所者の不安や孤独を癒す。

この難題を解決するために考えたのが、ビニール製の「ハグカーテン」でした。

デンマークのカメラマン、マッズ・ニッセンによるこの作品は「初めての抱擁」と題され、「世界報道写真展 2021」で大賞を受賞しました。

このコンテストは今年で64回目を迎えますが、私はここ数年、毎年のようにその写真展にお邪魔しています。今回は文字通りのパンデミック下、カメラマンの取材も困難を極めたことと思いますが、世界130の国と地域から、4300人を超える写真家が参加し、7万4000点以上の応募があったということです。

恵比寿の「東京都写真美術館」で開かれた写真展には、その中から選ばれたおよそ60点の作品が、それぞれの”今の世界”を語っていました。

そして、会場入口を入ってすぐ右手に、”無言の存在感”を示していた「初めての抱擁」がありました。その一枚の写真には、コロナと向き合う人々の恐れや困惑そして同じ時を生きる人たちとの絆や温もり、更には自分自身への誇りまでもが凝縮されていたのです。

目にした瞬間、足がすくみ、胸が締め付けられました。どれくらい立ち止っていたでしょうか。この女性はおそらく、一瞬の安堵を感じたはずです。懸命に生きてきた証であろう白髪が、今も目に焼きついています。

恵比寿での写真展は先日終了しましたが、9月以降は立命館大学びわこ・くさつキャンパスなどで開催される予定です。

https://www.asahi.com/event/wpph/

朝の山歩き

箱根の山歩きをはじめてから15年ほどになるでしょうか。

スニーカーで足元をかため、ジーンズをはき、だいたい1時間半ほど歩きます。心と頭のの整理が、夜の音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩き。骨粗鬆症予防も兼ねての毎朝の山歩きは私にとって欠かせなくなっています。

我が家から10分ちょっと歩くと、杉木立の道に行き着きます。この道が、杉の枝の間から朝の光がスーッと差し込んで、とても気持がいいのです。

今は夏ですから富士山は冠雪はしておりませんが、真冬にはまだ暗いうちから月明かりをたよりに歩きます。空気は冴え冴えと冷たくなり、真っ白に雪化粧した富士山が水色の空を背景にくっきり見えるようになります。春夏秋冬どの季節も自然に抱かれて”自然に生かされている”ことを実感します。

紫陽花の花がぼちぼち終わりかけ、山百合が咲き始めました。(私たちはハコネユリとよんでいます)早朝澄んだ空気の中、山道で白く点々と咲く姿。甘い香りを漂わせて咲く大きな花。

ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきりと目覚める朝ばかりではなくなってきました。疲れを持ち越してしまう朝もあります。

でも、山歩きをしているうちに、身体のこりや疲れが不思議なくらいとれていきます。身体を動かすことによって身体が活性化して、不調な部分が解消されるのではないでしょうか。毎朝、歩きながら箱根のエネルギーをもらっているような気がします。この季節は甘い香りに癒されます。

コロナ禍にあって、巣ごもりが続く方もいらっしゃるでしょう。近くの公園でも、川原でも、ご近所だけでも早朝に少しだけでも歩き、朝陽を浴びてください。心からはよけいな澱(おり)みたいなものが剥がれおち、やがて心も体も活性化してきますよ。

なるべく”日常”を変えずに、この不自由を強いられる暮らしを元気に過ごしたいですね。終わりはかならずくるのですから。

山百合の花ことば    「人生の楽しみ」 「荘厳」

季節の変わり目に~変わらぬものを

長い間の夢が、ようやく叶ったのです。 ご尊顔を拝する!梅雨の終わる頃、心ときめかせながら上野の山に向かいました。

観音さまは凛々しく、堂々たる姿で出迎えてくださいました。「十一面観音菩薩立像」1300年もの間、奈良の山から人々の安寧と救済を、ひたすら祈り続けてくださいました。会場に入り、一歩ずつ歩み寄りました。2メートルを超す身の丈。目も耳も口も、極めて意思的で明瞭でした。後ろ姿を含め、前後左右から拝見できるのは、”十一面観音”のありがたさですね。

この立像(りゅうぞう)には勿論、逞しさや厳しさを感じますが、それと同時に、瞳の奥の優しさに気づかされました。

これまでも、数多くの方々がこの観音さまに心奪われています。写真家の土門拳さんは、「観音像を何時間も見つめているうちに、菩薩の慈悲というより、神の威厳を感じさせた」と書かれています。(古寺巡礼)

また、随筆家の白洲正子さんも、「観音の姿は、今この世に生まれ出たという感じに揺らめきながら現れた」と表現されています。(十一面観音巡礼)

そうした本を読み、自分も行こうと思い立ち、奈良県の聖林寺に向ったことがありました。しかし、鳥居の前まで来ると足がすくみ、前に進むことができなくなりました。「まだ早い!」という声が聞こえたような気がしたのです。20年近く前のことです。一度は諦めたものの、諦めきれない気持を抱え続けていたのですね。そして今回、観音さまが初めて出座される(奈良を離れる)ことになりました。

今度こそ、お会いしたいと思ったのです。

国宝、天平文化の傑作。そうした歴史的価値を学びながら、同時に心の平穏を実感することができました。

聖林寺の近くに三輪山があります。この山は昔から自然信仰の聖地とも言われていました。草木山河、身近なもの全てに神が宿るという考えは、神仏が共に祀られていた長い時間を経て、今に至ります。「十一面観音菩薩」もそのような時代を過ごされてきたのですね。

人数制限や2時間という時間的制約には、何の不自然さも感じませんでした。会場には静かな感動の時が流れていました。

入場するときは、空一面に梅雨の雲が広がっていました。そして心満たされ退館するとき、上空には久しぶりの青空が顔を出していたのです。季節の変わり目の頃、時は足早に進んでいました。しかし、観音さまの立ち続ける館内には、時間の流れを超越した空気が穏やかに漂っていたのです。

やはり、お会いできて良かった!
この展覧会は9月12日まで開かれているとのこと。もう一度、国立博物館をお訪ねするつもりです。また、観音さまにお会いしたいのです。

国立博物館・特別展サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2013

映画『ベル・エポックで もう一度』

「ベル・エポック」、華やかで、何となく心ときめくような雰囲気です。

19世紀末から20世紀初めにかけて、パリが繁栄し輝いていた頃、その時代や文化を懐かしみ、今でも耳にする言葉です。”良き時代”、つまり、”古き良き時代”というイメージがそこにはあります。でも、映画『ベル・エポックで もう一度』は、単なる懐古趣味の”昔は良かった!”という物語ではありません。

かつて、主人公は売れっ子のイラストレーターでした。しかし、今は時代の流れに取り残され、ネットやスマホを決して受け入れようとしない老人になってしまいました。そんな彼に妻は愛想をつかし、三下り半を突きつけます。

追い詰められた主人公ですが、そこに救いの手が差伸べられました。息子からの素敵なプレゼント、「タイムトラベルサービス」。自分が望む、過去の”ある時期”に連れて行ってくれるというものです。しかし、これはSF的な話しではなく、デジタル技術満載の夢物語でもありません。”手作り”そのものの、”アナログ”企画なのですね。

主人公が希望したのは1974年5月16日、フランス・リヨンの「ベル・エポック」というカフェでした。その場を映画の大掛かりなセットのように精密に再現し、そこに主人公が舞い戻るのです。本人が覚えている会話や光景がそのまま忠実に再現されます。主人公を除けば、登場人物は全て役者が演じてくれるのです。

なぜ、元イラストレーターはこのカフェに戻りたかったのか?それは主人公が素晴らしい女性と出会った、まさにその時、その場所だったからです。そして、ストーリーは除々に思いもよらぬ展開を見せ始めます。

”古き良き時代”を単に懐かしむ映画ではありませんでした。男女の触れ合いや心模様が繊細に描かれ、大人向けのエスプリもふんだんに盛り込まれたお洒落な時間と空間が広がっていました。

この作品は、ニコラ・ブドス監督が脚本や音楽も担当しました。40代の彼は4年前に監督デビューするまで、俳優として活躍していました。とても多才で早熟?な方ですね。

そして、元イラストレーターを演じたのは、ダニエル・オートゥイユ。フランス映画界を代表する名優です。重厚で細やかな男性の振る舞いを、じっくりと見せてくれました。

彼の妻で、精神分析医の役は、ファニー・アルダン。ジャンヌモロー亡き後、成熟した大人の女性を演じられる、文字通りの”女優”さんです。なぜなら、70代になってもあれだけ”女”を演じられるのですから。魅力的で意思的な姿に、奥深さを感じました。

こうした若手やベテランたちが力を合わせて、とても勇気付けられる映画ができたのです。”新しい良き時代”を目指そうよ!年齢は関係ないですよ!!前を向いた、そんな元気宣言と受け止めました。

そしてそこには、高度化されすぎた情報化社会への、痛烈な皮肉も含まれているのでしょう。

さすがフランス映画でした!

映画公式サイト
https://www.lbe-movie.jp/

向田邦子さん

今年の8月22日で向田邦子さんが亡くなって40年になります。

向田さんは突然、私たちの前から姿を消してしまいました。昭和56年(1981)取材旅行の台湾で航空機の墜落事故に巻き込まれてしまいました。51歳という若さで。私は向田さんの大ファンでした。小説、エッセイ、そしてテレビドラマの脚本など。もう、40年になるのですね。

テレビドラマ「阿修羅のごとく」(NHK放送)、「あ・うん」など。「阿修羅のごとく」は四姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンさん達が出演)と老父母。父親役は佐分利信さん。誠実な人柄、しかし父親には実は愛人と子供がいた。

当時のホームドラマでは衝撃的な展開を見せるこのドラマのシナリオに私は魅せられてしまいました。何気ない日常の会話の中に、繊細な表現、人間の業、決め細かい感情描写。当時としては斬新的なドラマでした。仕事を終えると私はまっしぐらに帰宅しテレビを見た記憶があります。

先日亡くなられた小林亜星さん演じる「寺内貫太郎一家」は昭和のガンコオヤジが主役で、今までにないホームドラマでしたね。エッセイもとても好きでした。「父の詫び状」(後に単行本になる。文藝春秋)1978年。実父の話がベースになっていて、ユーモアを交えながら日常のひとコマの切り口など”スゴイ人だわ~”と思いました。ノスタルジーではなく”昭和の香り”が感じ取れました。食べることが大好きで料理上手。料理の話しなど随分学ばせていただきました。

小説では「思い出トランプ」で第83回直木賞を受賞されます。と、言うわけで没後40年になる向田邦子さんの文章に触れたくて、エッセイや料理本、小説などを読もうと思っていたら、素敵な、とても素敵な本を見つけました。

『少しぐらいの嘘は大目に・向田邦子の言葉』(新潮文庫)を出された方が碓井広義さん。

向田邦子さんの全作品の中から、碓井さんが「男と女の風景」「家族の風景」などのジャンルに分けて、370余りの名言、名セリフを選ばれました。多くの方々に向田さんの作品が今も読み継がれているのはどうしてか。

知りたくなり碓井広義さんにラジオにリモートでご出演いただきました。素敵なセリフはご一緒している寺島尚正アナウンサーが読んでくださいました。

碓井さんは1955年、長野県のお生まれ。1981年、番組制作プロダクション「テレビマンユニオン」に参加し、以後20年、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わり、去年3月まで上智大学文学部新聞学科の教授をお務めでした。

現在はメディア文化評論家です。今回のご本の資料書籍一覧を見るだけでも「脚本」「エッセイ」「小説」「対談集」「アンソロジー」「全集」など等、膨大な資料からまとめられました。

『向田邦子さんの世界』に没入できる本です。

ぜひ、碓井さんから直接お話しをお聞きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 放送日 7月18日
日曜日 9時半~10時

写真家・土門拳

先日電話で 朝日新聞の取材をうけました。

内容は1960年1月に出版された土門拳写真集「筑豊のこどもたち」についてです。私が2009年2月1日発売の「別冊太陽」(平凡社)に「土門拳ー鬼が撮った日本」の中で「本物を見る目を教えてくれた土門拳先生」というタイトルでエッセーを書かせていただきました。

「土門拳」という名前を始めて知ったのは「筑豊のこどもたち」を手にしたときでした。涙がとまりませんでした。それを読み、今回お声をかけてくださいました。出版から60年以上たって、写真集が現在なお、評価される理由など・・・詳しくは7月28日の紙面をお楽しみに!

京都の骨董の店「近藤」での出会いから60年以上がたちます。

「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。自分の目でしっかりとみつめること」。

あの日からずいぶん月日が経つのに、まだ耳元に先生の低い声が聞こえてきます。それから、土門先生の後を追い続けるように原爆写真集「ヒロシマ」、ライフワークとなった「古寺巡礼」などを見ました。最後の第5集を完結するまでに12年の歳月がかかったそうです。

途中二度目の脳出血に倒れられ、不死鳥のようにたちなおり、再度、倒れられ車椅子に乗っての撮影を続けられました。

私の好きな「室生寺」。

40年にわたってレンズを向け車椅子生活になってからもつづきます。平安時代初期に創建された室生寺の五重塔が平成十年(1998)9月22日、近畿地方南部に上陸した台風七号により甚大な被害を受け樹齢六百五十年の杉の大木が五重塔を直撃し破壊されたとニュースで知った時には「どうしよう・・土門先生が心血を注いだ塔が」と言葉を失いましたが、国宝の五重塔は全国から早期修復を願う手紙が殺到し見事に蘇りました。

桜吹雪の舞う中、うっすらと雪をかぶった鎧坂石段の写真に魅せられ、また土門先生が「日本一の美男子仏」(釈迦如来座像)と語った写真に感動し、春夏秋冬何度通ったことでしょう。

気にいらなければ撮らない。「真の美しさとは何か」を学びました。

山形・酒田の「土門拳記念館」には何度も足をはこびました。かつて画家になろうとして果たせなかったからでしょうか、古美術とくに古信楽には造詣が深く、写真集は京都の近藤のご主人と一緒に世にだされました。

魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーとこたえるまで相手をじっと見る。見れば見るほど具体的にその魅かれるものが見えて来る。よく見るということは対象の細部まで見入り、大事なものを逃がさず克明に捉えるということなのである。(土門拳『私の美学』あとがきより)

ドキュメントも古寺も骨董も、土門さんにとっては、ひとしく、美たりうるものであったのでしょう。

車椅子の不自由なおからだになった土門さんが、必死の思いで訪ねた骨董店が飛騨古川の「駒」。店主は京都「近藤」で学び お父さまの骨董店を継いで店主となられた方です。

その駒に『遂に来たぞ』と、土門さんが書かれた色紙が飾ってありました。車椅子生活になられた土門さんがここまでたどりついたという思いを、まさに心血を注ぐようにして書いた文字です。骨董に対する思い、生きることへの強靭な思いが、色紙から伝わってきます。

そして、座敷の囲炉裏の上にかかった自在鉤から目が離せなくなった私。「これ、いいですねぇ」「いいでしょう、これはおゆずりすることができないものです・・・土門さんが、これはいいものだねぇ、と気にいってくださったものだから」と。納得でき、嬉しくもありました。「土門さんと同じものに魅かれた」ことに。

何年か後に、京都の「近藤」で「あ、これ・・・」私はしばし呆然としました。土門さんが「いいものだねぇ」とおっしゃった、あの自在鉤と同じようなものが見つかりました。亀甲竹でできたフォルムがとても美しいのです。

自在鉤は箱根のわが家の囲炉裏の中心にかかっております。これから何代にもわたって使われていくことでしょう。

朝日新聞のインタビューを受け、土門拳先生にお会いしたくなりました。