美術家・篠田桃紅さん

会場に一歩足を踏み入れると、そこには驚くほど静謐な空気が流れていました。そして、キリリとした墨の直線が私を迎えてくださいました。墨の色と形は、作者の凛とした生き方そのものであり、改めて滝に打たれたような想いがいたしました。

先日、美術家・篠田桃紅さんの展覧会にお邪魔いたしました。篠田さんと書との出会いは、もう一世紀以上も昔に遡ります。幼少時に父親から書の手ほどきを受けた篠田さんは、墨と筆の世界に没頭し、独学で研鑽を重ねます。

終戦後、文字を超えて、墨の色や形の本質に迫ろうと、アメリカへ旅立つのです。ニューヨークでの2年間は、「水墨抽象画」という独自の世界を切り拓く大きなきっかけとなりました。余分なものをギリギリまで捨て去る発想は、もはや、文字の意味には捉われない、”心のかたち”となっていったのですね。

会場に展示された80余点の作品には、タイトルなどの個別情報は一切省かれていました。それは、「見る人の想像を狭めてしまう」という篠田さんの配慮を尊重したもので、「先入観を除き、作品そのものを見つめてほしい」との強い信念に沿ったものでした。

それにしても、「墨」の色は決して黒一色で括れないことがよく分かりました。奥行きのある、繊細で微妙な違い。これが墨色なのですね。篠田さんがニューヨークで体験したことは、「墨の色合いを表現し生かせるのは、湿潤さに満ちた日本の自然と社会だ」との信念に結実しています。

篠田さんがこれまで著書に記された多くの言葉を、今回もかみしめました。新刊に、「これでおしまい」があります。そこで述べられた一言は、穏やかで優しく、そして背筋が伸びるものでした。

「春の風は一色なのに、花はそれぞれの色に咲く。人はみんなそれぞれに生なさいってことよ」

明治の世が終わって直後に生を受けた篠田さん。一世紀を超えるその創作活動は、世界の美術界に多大な刺激を与え続けました。

今回の展覧会には、「とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」という総合タイトルが付けられ、4月3日から横浜の「そごう美術館」で開催されています。そして篠田さんは展覧会オープンの直前、3月1日に凛とした気高い107年の人生を閉じられました。

作品に感動し、生き方まで教えて頂いた篠田さんの軌跡を今一度学びたい。5月9日の最終日までに再び、先生の謦咳に接したいと考えております。

感謝、そして合掌。

展覧会公式サイト
https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-shinoda-toko.html

映画「ノマドランド」

  • アメリカ西部の大平原を、一台の古びたキャンピングカーが疾走しています。運転しているのは60代に差し掛かった一人の女性。彼女は過去から逃げるのではなく、新しい人生を求めて走り始めたのです。

映画「ノマドランド」は経済不況で仕事も家も失い、夫まで亡くしてしまった女性の、精神的な旅立ちの応援歌です。

ノマドとは「遊牧民」のこと。「流浪の民」とも言われます。主人公の女性・ファーンは、これまで築いてきた人間関係や財産を恨めし気に振り返るのではなく、本当に必要なものを改めて見つけ出す旅に出ました。

ファーンは「ホームレス」という言葉に反発します。「ハウスレス」だ、と言うのです。家を失ったが、キャンピングカーがある。そして、行く先々のオートキャンプ場で、心の通い合える仲間とホームができる。そこが、ノマドランドです。

ファーンのキャンピングカーには、亡き夫の必要最小限の思い出が積まれているだけです。モノはそれで十分、そんな思いなのでしょう。この映画には、豊かな奥行きや幅を感じることができました。

単にアメリカ西部の「非定住者」に限定された物語ではないのです。これはアメリカ在住の中国人女性、クロエ・ジャオ監督によって作られました。そして、主人公のファーンを演じたフランシス・マクドーマンはアカデミー主演女優賞を2度も獲得したベテラン女優ですが、「ノマドランド」では制作陣の一員としても参加しました。その成果は、ファーンの人物設定にも見て取れます。

大平原に佇むファーンには、男女の違いなどを超越した静かで力強い、ひとりの人間としての決意が滲み出ていました。2人の”合作”は、この作品に文化や人種、更には性別までも軽々と飛び越えた普遍性をもたらしました。

ノマドの人々は別れる際に「さよなら」とは言わないのです。
「また、どこかで会おう!」。
やはり、「ホームレス」ではないという自負心と凛々しさが溢れています。

勇気づけられ、少しゾクっとする映画でした。

映画公式サイト
https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland.html

桜満開

箱根の森の中に家を建てて、かれこれ40年が過ぎました。ここでは日時計がなくて、年時計があって、春が来るたびにひとまわりするような大きな時計に支配されているような感覚があります。

淡い春の訪れが、樹々の色みの変化でしらされます。若葉がチラッと目につく前に、全山がぼおっとうす赤くなるんです。芽吹く前に一瞬の恥じらいをみせるかのような、こんな季節のひとときがたまらなく私は好きです。

前回もブログに書きましたが、山を下ると小田原の街があります。

ひと足早く季節を感じ、旬の食材を求め、山での暮らしを楽しんでおります。先週も桜満開のニュースを見て、「そうだ、小田原城の桜を見ましょう!」と出かけて来ました。

現在は満開ですが、先週は八分咲きくらいでした。人の少ない時間に出かけ満喫いたしました。小田原城は藤、菖蒲、ツツジと花々が咲き、いつも楽しんでおります。

箱根は標高差があるため長い期間桜が楽しめます。3月下旬から4月下旬まで、ソメイヨシノ、シダレザクラ、コメザクラ、そして私の大好きなヤマザクラが満開になります。庭の山桜は可憐な花がうつむいて咲き、愛しく想います。

子供が幼い頃は桜の木の下にゴザを敷き庭でのお花見を楽しみました。三月の土はもう充分柔らかく、あのときの”おむすびと卵焼き”は今でも懐かしいです。

小さな旅を含めたら、1年の半分は旅をしてきた私。仕事であったり、プライベートであったり・・・ほとんどが”ひとり旅”です。

桜が大好きな私。東京にもお気に入りの桜並木が何箇所もあって、「桜を一緒に見ない?」と女友達に電話して、一緒にお花見。今は不自由を強いられていますよね。

以前、小説「櫻守」をお書きになった作家の水上勉さんにお会いした時に、「桜は散って咲くから。春が来れば必ず咲く。散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに、憧れるのですよ」とおっしゃるのを聞きました。

なるほど、そうなのかもしれないと思います。桜は散り際がいいとか、桜の花のようにパッと散ろうとかいわれたりしますが、私も水上さんのように桜の花を見ています。桜の花は散っても、桜の木はそれから芽ぶき、緑の葉を茂らせ、小さな実をいっぱいつけ、やがて紅葉。葉を落とし、冬は眠ったようになります。

そしてまた次ぎの春が来ると、再び花をまとう・・・。散るというのは、季節が巡ることであり、花を満開に咲き誇らせている桜の木に、私は命の永遠を感じ、安堵しているような気がします。私たちの命は終わる日がきても、桜が咲く春の風景は変わらないと、無意識に感じているのかもしれません。

来年は皆んなで静かに桜を愛でたいですね。

春の訪れ

私の一日の始まりは4時半頃に起床し、軽くストレッチをしてからウォーキングに出かけます。

冬の時期はまだ夜明け前。月明かりを頼りに歩き始めます。しばらく歩くと芦ノ湖の湖面にその美しい月が映り、星も輝いています。静謐な空気の中の山歩きは私には至福のときです。

春になると同じ時間でも夜は明け、外にでて空を見上げながら深呼吸をしてから歩きだします。最初の30分は速歩、そして帰りの30分は樹木を眺めながら、足もとの草花を愛でながら、季節の移り変わりを楽しみます。

先日”土筆”を発見!わぁ~春が来た・・・と嬉しくなりました。

子供のころ、野原や空地には沢山のツクシが出ているのですが、成長が早く時期も短いので、大急ぎでまめに探して摘みました。持ち帰り袴を取り、母の帰りを待ちます。

私は「卵とじ」が大好きです。今の時代にはとても信じられないことですが、私の子供の頃は、卵が貴重品でした。『ツクシの卵とじ』 一個の卵を丹念に溶いて、ゆっくりと鍋いっぱいに広げ、それを家族みんなで「今日はツクシの卵とじ汁だからごちそうだ」と、分け合って食べたものでした。子供心に、そのほろ苦さが春の訪れを教えてくれました。

正岡子規にも「くれなゐの梅ちるなべに故郷につくしつみにし春し思ほゆ」とあります。

これは明治三十五年三十五歳の春、病床を慰めるため、伊藤左千夫が、紅梅に土筆を配した盆栽を贈った時、それを眺めつつ作ったと書かれております。伊予の生まれの子規は故郷を思い浮かべながら詠まれたのでしょうね。

なんだか”春の香り”がほしくなりました。

さっそく先日バスで小田原のいつも行くスーパーに出かけてきました。我が家から約1時間揺られて小田原に着きます。1週間に1度は買い物に行きます。ほんとうに幸せです。

まず、朝獲れの近海魚が並んでいます。アジや金目鯛など。

野菜も地元の旬の新鮮な品々が並んでいます。この季節、キャベツ・新玉ねぎ・新じゃが・アスパラ・そら豆・さやいんげんなど等。そして山菜。たらの芽・うるい・野ぶき・ふきのとう・こごみなど、てんぷらでも、蕗味噌も美味しそう。ウドも三杯酢や味噌和えもいいですね。春の旬はたくさんあり、みずみずしいし、体に良い成分がたっぷり含まれています。”季節の恵み”に感謝です。

よく「山暮らしはお買い物が大変でしょう」と言われるのですが、そんなことはありません。1週間に1度の買い物は私にとって欠かせない重要な時間です。「いつまで、こうして買い物をし、重い荷物を持って、料理ができるかしら」とも思いますが、私にとって料理をすることはとても大切なな日常なのです。

子供の頃から母の手伝いをし、カマドでご飯を炊き、八百屋さんにいってはキャベツの外側の葉をタダでいただいたり、イワシを3匹買い、お手伝いを経験できたことはなんと幸せなことでしたでしょう。

料理学校に通った経験もなく、母がしていたことの見よう見真似でマスターしてお陰さまでいつのまにかレパートリーもふえました。4人の子ども達、男の子も料理好きです。

私たちの体は食べもので作られます。体だけではなく、心のもちようも、食事の内容で変わってきます。

心も?

そう。食べもので、人の気持も変化するのです。コロナ禍にあって若い人たちが料理に積極的に取り組む姿はとても美しく感じられます。  ガンバレ!

 

日本人の原風景

素晴らしい本に出会いました。

今、コロナ禍が人と人の営みを分断しています。このような時期に、今一度私たちの暮らしを見つめ直すことも大切なのかも知れませんね。

先祖が長く営んできた暮らし。例えば自然の恵みを受けたり、四季折々の行事など、かつては人びとの暮らしの中に当たり前のようにあった文化や、自然の理にかなった習慣や四季の移ろいによって美しく変化する国の景観や・・・そうしたことの尊さは、人びとの心の拠りどころであったはずなのに知らぬ間に軽んじて、捨て去ってきてしまったようにも思えます。

時代はたえず変化しつづけます。情報化の時代でもあります。しかし、こうしてコロナ禍にあって『普通に暮す幸せ』をもう一度見直し、”美しい日本の暮らし”を考えることも大切なことではないでしょうか。

私は幼い頃にそうしたことを経験した最後の世代です。ならば次世代に引き継いでいく大事な使命を担っているように思います。

そこで、出会ったのが神崎宣武さんの「日本人の原風景」です。

神崎さんは1944年、岡山生まれ。

武蔵野美術大学在学中から、民俗学者・宮本常一に師事し、国内の民俗調査研究に、長年、携わっておられます。

また岡山県の宇佐八幡神社の宮司や「旅の文化研究所」の所長もお務めです。「社(やしろ)をもたない神々」「神主と村の民俗誌」など。

そして今回の「日本人の原風景」です。難しい話しではなく「田植え祭り」はなぜあるのか、神田祭り、浅草の三社祭り、6月には赤坂・日枝神社の山王祭り。都市でのお祭にはどんな願いが込められているのか。

また旅のお話ですと旅が大衆化された江戸時代「一生に一度のお伊勢参り」落語にもある「大山参り」など等。もう一つ、旅といえば、「男はつらいよ」の寅さん。

神崎さんのご専門の民俗学は人と人との営みがベースになっています。その営みが遮断された現在の私たちの暮らし。「普通に暮す」ことの大切さは昔も今も変わりません。不自由ですよね。辛いですよね。

そこでラジオのゲストにお迎えし、「日本人の原風景」を語っていただきました。何だか”幸せ”を感じられました。ぜひラジオをお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
4月4日 日曜日
9時半~10時

詩人 谷川俊太郎さん

詩人 谷川俊太郎さん

昨年12月に米寿を迎えられた谷川さん。そして、去年、未収録の作品と書き下ろしからなる31篇の最新の「ベージュ」(新潮社より)を発表されました。

1952年、「二十億光年の孤独」を刊行以来、2500を超える詩を創作し、海外でも評価が高く、詩集をはじめ、散文、絵本、童話、翻訳、脚本など創作活動は多伎にわたり、2016年、「詩に就いて」で三好達治賞を受賞するなど、これまでに数々の賞を受賞なさっておられます。

「ベージュ」は難しい言葉ではなく、普段の生活している言葉で綴られています。

読み進めていくうちに「これは谷川さんご自身にラジオで朗読をして頂き、お家にいる皆さんに聴いていただきたい」との思いにかられ無謀なお願いをしてしまいましたが、快くお受けくださり、なんと2編の詩を朗読してくださいました。

スタジオではパソコン越しにリモートで行いました。コロナ禍でこのようにリモートでのご出演がかない素敵でした。89歳なんて信じられない若々しいお声。このような時期、心が落ち着かないときの詩はなおさら染み渡ります。今回は2週分を収録させていただきました。

朗読は3月14日分で、21日はたっぷり近況や詩のお話、ご両親のお話などうかがいました。ぜひお聴きください。そして、朗読していただいた詩をお読みください。

ベージュ   谷川俊太郎

「明日が(あすが)」

老いが身についてきて
しげしげと庭を見るようになった
芽吹いた若葉が尊い
野鳥のカップルが微笑ましい

亡父の代から住んでいる家
もとは樹木だった柱
錆びた釘ももとは鉱石
どんな人為も自然のうち

何もしない何も考えない
そんな芸当ができるようになった
明日がひたひたと近づいてくる

転ばないように立ち上がり
能楽の時間を歩み始める
夢のようにしなう杖に縋って

 

「川の音楽」

私は橋の上に立っています
振り返ると川がどこからかやって来て
前を見ると川がどこか私の知らない里へ流れていく
川はアンダンテの音楽を隠しています

何十年か前にも麦藁帽子をかぶって
橋の上から足の下の川の流れを眺めていた
川が水源から海まで流れていくことをそのころは知っていた
でも今はそんな知識はどうでもいいのです

川が秘めている聞こえない音楽を聞いていると
生まれる前から死んだ後までの私が
自分を忘れながら今の私を見つめていると思う

夕暮れの光にキラキラ輝きながら
川はいつまでもどこまでも流れていきます
笹舟のような私の思いをのせて

「浜 美枝のいつかあなたと」
文化放送 日曜日 9時30分~10時
放送 3月14日と21日

風景画家・コンスタブル展

先日仕事で東京に出かけ、その帰りに丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「テート美術館所蔵 コンスタブル展」に行ってまいりました。

”あぁ~旅がしたい!”そんな日々を送っている私。

最初のひとり旅は、1961年10月末から約20日間。行き先はイタリア、フランス、イギリス、オランダ、デンマーク。

安いチケットを見つけ南回りで30時間近くかけての旅でした。ラフなプランのもとに旅立った当時の私ですが、なにぶん半世紀以上前のこと。自分のオリジナルツアーにしたいという一念で出かけた旅だったことは、現在でもよい思い出です。

ロンドンに着いてから最初に行ったロンドン・ナショナル・ギャラリーで初めて見たジョン・コンスタブルの風景画に魅せられました。

イタリアでの刺激的な旅のあと、穏やかな田園風景は旅の疲れを癒してくれました。19世紀イギリスの風景画家・・・という認識くらいでしたが、その田園風景は英国の「自然」が表現されていて”雲”の描き方に自分の暮す故郷への愛情が深く感じられ魅入りました。

今回のコンスタブル展はテート美術館所蔵の作品がメインで、国民的風景画家の、35年ぶりの大回顧展です。

ジョン・コンスタブル(1776~1837)は終生描き続けた故郷サフォーク州のイーストバーゴルド村周辺ののどかな情景は何だかイギリスの田舎を旅している気分にさせてくれます。

イギリスのもう一人の風景画家ターナーはずい分旅をして描いていますが、コンスタブルは生まれ育った故郷周辺をおもに描いているからでしょうか・・・とても懐かしさを覚える絵画なのです。

半世紀以上前に観たときの”雲”の印象は今回の展覧会でその意味を知ることができました。天候の移り変わりの激しいイギリス。私も一年だけですが暮してみて実感しました。

刻々と変化する空・雲。そして夕立を予告するような空・雲。よほど”自然”と向き合っていなければ描けない絵画です。そして、木々の表現。描かれるごくごく普通の人びとの表情。家族や友人と過ごした場所での制作。

ひたすら日常の中で自身の生活や環境から離れることなく描いた世界。暮らしを慈しみ、大切にしていること。

「イングランドの風景」の版画集も素晴らしいです。

コロナ禍の中での日々の暮らし。時には気分転換が必要ですね。特に私はイギリスの田舎が好きです。60年間に何度も訪れ、その”自然を美しく保つ”ことに国民が誇りを持っていることに感動を覚えます。

こうして、展覧会に行くだけでも旅ができるのですね。
展覧会は5月30日までです。
公式サイト
https://mimt.jp/constable/

『白い土地 ルポ 福島「帰還困難区域」とその周辺』

間もなく3月11日 東日本大震災から10年を迎えます。

そして、先日13日の土曜日深夜23時8分には震度6強の地震があり、また被害がでました。皆さんのお気持を思う時、”なぜまた”との思いがいたしました。

朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんが出版された本を読み、今まで報道されてきたこと以外に福島の現実を知りました。

ぜひ皆さんにも知っていただきたくて、ラジオのゲストにお招きしリモートでお話しを伺いました。

三浦さんは1974年、神奈川県のお生まれ。これまで震災報道や国際報道を担当したほか、『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞はじめ数々の賞を受賞なさっておられますが、「現場の人・職業記者」です。

現在、福島県南相馬市にお住まいです。福島の前はアフリカでの勤務。ぜひ生の声を、生のお話しをお聴きいただきたいです。

本のタイトルになっている「白い土地」とは白地(しろじ)といって帰還困難区域の中でも、国が復興を進める「特定復興再生拠点区域」に含まれない、将来的にも住民の居住の見通しが全く立たないおよそ310平方キロメートルエリアの隠語だそうです。

三浦さんは着任し、すぐに公立図書館に足を運ぶと無数の震災・原発の本があり、自分の取材する隙間が残されていなく絶望したそうですが、その後、避難指示が解除されたばかりの浪江町でたった一人新聞配達をしている人に出会い、「新聞配達をさせてほしい」と頼み、朝の夜明け前2時頃から手伝い、雨の日も雪の日も、新聞を自宅に届けていて初めて「生の情報」が得られたと仰います。

そうですよね、私たちはテレビの画像などでインタビューに答えておられる姿に「ご無理なさっている」と感じることがしばしばあります。本音で語り合い、話をじっくり聞き、取材なさって本ができました。

『どうしても後世に伝えて欲しいことがあります』浪江町の町長は死の直前、ある「秘密」を三浦さんに託します。

政府は「復興五輪」と位置づけ東京オリンピックの開催を決めました。この背景も三浦さんは取材しています。私はほんとうに知らないことばかりでした。オリンピック開催の象徴、聖火ランナーは原発事故の地からスタートします。

『復興五輪』・・・という言葉を三浦さんはどのように受け止めていらっしゃるのか、ぜひ本を、そしてラジオをお聴きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
放送は3月7日 日曜日 午前9時半から10時

この番組も20年を迎えました。毎回番組の最後にゲストの方に「忘れられないあの味」をお聴きしております。三浦さんは「震災直後に現場で頂いた塩をまぶした小さな”おむすび”です。」と。「家族や娘、息子を失った方々もいらっしゃいました。」と答えられました。懸命に握る姿を想像し、思わず私は涙がこぼれました。

曽我の梅林

寒さがゆるみ、春らしい気配がしてきました。
春の訪れを待ち望んでいる私。

この1週間ほど朝日新聞記者でルポライター・三浦英之さんの書かれた『白い土地・ルポ「帰還困難区域」とその周辺」』の本を読んでおりました。

ラジオのゲストにお迎えし、お話しを伺うことになっています。その様子は次回このブログで詳しく皆さまにお伝えしたいと思います。

間もなく東日本大震災から10年を迎えます。三浦さんはアフリカ勤務の後、2017年の秋、福島県に着任し、実際に南相馬に拠点を置きルポされた本です。深く考えさせられました。

春めくや藪ありて雪ありて雪   小林一茶

早朝のウオーキングでは霊峰富士もまだ雪化粧をしており白銀の世界です。

毎朝「白い土地」のことを考えながら歩いておりました。

ふっと春の訪れを感じたくて、小田原市東部の曽我梅林に行きたくなり、小田原から国府津へ。そしてJR御殿場線に乗り換え車窓から梅林が見えてきます。

一つ目の下曽我駅で下車し、白いマスクを着けた方々が数人一緒に降り歩いて梅林に向かいます。のんびりと散策しながら歩いていると白梅の香りがしてきました。

「いい香り!」と思わず嬉しくなりました。

満開に近い白梅に枝垂れ梅の紅梅も咲き始めていました。開花は例年より早いそうです。

新型コロナウイルスの感染防止のため、イベントなどは中止になり、申し訳ないほど人も少なくのんびりできました。

約3万5千本の梅の木が植えられているそうです。こうして巣ごもりの状態でも”春を見つけ”小さな旅を楽しんでおります。

そうそう帰り道、無人販売で曽我のみかんを買ったり、昔ながらの和菓子屋さんで美味しい「田植え餅」を見つけお土産に買って帰り、家でいただきました。

ポーラ美術館

コネクションズ
海を越える憧れ、日本とフランスの150年

立春が過ぎたものの、箱根の山はまだ”春浅し”。
朝はまだ零下4,5度であったり、時には春らしさを感じたり、春探しの日々です。

先日、穏やかな日差しの中観たかった展覧会に行ってきました。箱根の山はとても静かです。観光客もほとんどおりません。コロナ禍での自粛。私も仕事で東京に行く以外はこの箱根におります。

幸せなことに箱根には素敵な美術館がいくつもあり、40年暮していて、どれほどの幸福をいただいてきたことでしょう。

今回は「ポーラ美術館」で開催されている展覧会です。
ソーシャルディスタンスはしっかり取れました。

とても観たかった2枚の絵。

ラファエル・コラン(1850-1916)の<眠り>(1892)が120年ぶりに公開されています。

1900年のパリ万博で公開されて以来、個人蔵であったのか、様々なエピソードがありますが以降現存さえも知られていませんでした。私がコランの裸婦像を始めて観たのは多分オルセー美術館だったと記憶しています。

田園に横たわる柔和で優美でそこに降り注ぐ自然の光。コランの裸婦に惹きこまれました。そのコランを師と仰いだ「黒田清輝」が多分パリ万博でもその<眠り>を見たであろうと言われています。

今回の展覧会では、黒田の<野辺>と一緒に<眠り>が飾られています。黒田の女性は左手に野の花を持ちモデルは日本人でしょう。(今回の会場は一部の絵をのぞき、撮影が可でした。)

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本の浮世絵や工芸品はフランスの芸術に大きな影響を与え、ゴッホやモネなどジャポニズムの時代が到来します。また多くの日本人画学生がフランスへ留学します。黒田清輝もです。

展覧会場では、ユトリロと佐伯裕三、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、ゴーガンなど。そして日本人画家、岸田劉生、村山魁多、関根正二、安井曾太郎、戦後に祖国を追われ、最期はフランス人として生涯を終えるレオナール・フジタ。(藤田嗣治)日本人として誇りを持ち続けたフジタ。

皆さま、なかなか美術展には行かれない現状ですが、館内の静けさと写真でお楽しみください。


ポーラ美術館公式サイト
https://www.polamuseum.or.jp/

コネクションズ
海を越える憧れ、日本とフランスの150年
は4月4日まで。