素敵な”師”に囲まれて

今年の前半は、時間がいつもより駆け足で過ぎていったような気がします。この11月、私は80歳を迎えます。早いものですね。人生の様々な節目で、これまで教えや導きをくださった私の”師”は、出会いを重ねた多くの方々でした。

そして、大好きな映画や絵画、美術品などとの巡り合いにも恵まれ、それらが私の心と日常を実り豊かなものにしてくれました。振り返ってみると、特にこの3年間は感染症に注意を払いながらの”ワクワク、ドキドキ冒険”だったようです。

この春、少し早めの桜が東京に咲き始めた頃、「丘の上の本屋さん」という映画を見ました。

イタリア中部にある小さな村で古書店を営む穏やかな老人。ここで本を手にする客がどれだけいるのかと心配になるほど地味で小さな空間ですが、実は村人たちの心が通い合う大切な交流の場となっているのです。恋の悩みを打ち明ける青年。そして、国の歴史をあまり知らない若者に、もっと勉強をするようにと黙って本を手渡す店主。さらに、アフリカ移民の少年には、「読んだら返してね」と『星の王子さま』を貸してあげるのです。

その少年はある日、一冊の本を薦められます。国籍や肌の色が違っていても、人の権利や平等こそが一番の宝だと書かれた本です。次の時代に確実に手渡す必要があるという店主の信念は、本の表紙のアップで強調されました。『世界人権宣言』という書名は、文字通り、この映画のエンドマークでもあったのです。もの静かで確信に満ちた映画でした。

そして、関東各地に桜が咲き誇っていた頃、どうしても見ておきたい舞台がありました。『バリモア』、アメリカの名優ジョン・バリモアの晩年を描いた芝居で、90歳になった仲代達矢さんが8年ぶりに挑戦した一人芝居でした。

自らの思いを次の世代にバトンタッチするため、「若い人に負けてたまるか。卒寿も単なる通過点だ」と発声練習やストレッチに励み、階段の上り下りまでして体力をつけたということです。仲代さんの一人芝居は、やはり一人舞台でした。その気迫と熱気に、ただ圧倒されました。

先日、仲代さんが主宰する『無名塾』出身の一番弟子が快挙を成し遂げたことが世界的なニュースになりました。役所広司さんが主演した『パーフェクト・デイズ』で役所さんはカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞したのです。こうして仲代さんの情熱と信念は確かに継承されていきました。

もう一つ、心ひかれた映画が『生きる』でした。映画史に残る黒澤明監督の名作を、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚色したイギリス映画です。

ロンドンでの役所勤めを無事に終え、間もなく定年を迎えようとしている主人公は、医者から余命いくばくもないという突然の宣告を受けます。大過なく人生を過ごすことを身上としてきた老紳士は、悩んだ末に一つの決断を下します。

それは、若い世代に素晴らしいプレゼントを残すことでした。部下の心に寄り添いながら、最後の夢は未来へと引き継がれるのです。歴史も文化も大きく異なる日・英の間で、人の生き方に対する考え方にすれ違いが生まれることもあるでしょう。しかし、人生へのぎりぎりの思いを突き詰めれば、互いに通じあうものが見えてくるはずだ。製作者のそんな願いが浮き出てきました。

黒澤監督の『生きる』で志村喬さんが演じた病身の主人公が一人ブランコに乗って口ずさみます。「命短し、恋せよ乙女」。英国版『生きる』の主人公の葛藤と安らぎ、そして将来に向けての夢までも重ね合わせたブランコのシーンは国や人種の違いを乗り越え、見事な感動に昇華されたのです。

そして、今年の春もそろそろ終わりを迎える時期に、恵比寿の東京都写真美術館に向かいました。土門拳さんの『古寺巡礼』展が開かれていたのです。

土門さんの写真集『筑豊のこどもたち』は私がまだ10代の頃、ざら紙に印刷され100円で販売されていました。私はそれ以来の土門フアンだったのです。土門さんに直接お会いしたのは京都の西芳寺、通称・苔寺でした。『婦人公論』に掲載される写真を撮ってくださることになりました。

土門さんは撮影に際して、ひたすら対象を見つめ続ける方のようでした。土門さんの言葉が忘れられません。空、苔、そして私をじっくり見つめ、「今日の撮影は中止。光がよくない」とおっしゃったのです。そして、「君はこれからどうするの」。私は困ってしまい、「京都ははじめてなもので」とお答えすると、「それでは、ついていらっしゃい」と、タクシーを止めました。

「これから本物を見に行くよ。モノには本物とそうでないものの二つしかない。本物を見つめていれば、本物がわかる」。

行った先は四条河原町にある骨董店の『近藤』でした。それから、近藤さんと私のお付き合いが始まり、『近藤』で学ばれた若手が、飛騨・古川で父親の経営する骨董店を引き継でいることも知りました。その後、脳溢血で倒れられた土門さんが飛騨・古川の骨董店の様子を見に車椅子で訪ねた話は感動的です。『遂に来たぞ!』。飛騨の店に飾ってある土門さん直筆の色紙には、生きることへの限りない情熱と賛歌が溢れ出ています。

映画、舞台、写真。限りある命の継承と永続性、そして夢の続きも見ることができたこの春は、とても豊かな日々でした。