『インドの仏』


上野の桜は三分咲きくらいでした。
東京国立博物館(表慶館)に特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏仏教美術の源流」を観にゆきました。
まるで”初恋のひと”に50年ぶりに出逢ったようなトキメキです。
私は20歳のころからインドに旅するようになりました。ガンダーラ美術の不思議な力に魅せられ、この美術が生まれた国を見てみたいというそれだけの理由で旅立ったのでした。スニーカーをはき、デイバックを背負い、簡易宿泊所のようなところに泊まり、ひたすら歩きました。


現地の女性たちにまじってガンジス川で水浴びをし、川面を渡ってくる風に吹かれました。インドでは川にはすべてが委ねられていました。川は産湯であり、飲み水であり、体を清めるものであり、遺体や遺灰も川に流れ、自然に戻っていく・・・・・。


頭上に広がる真っ青な空を感じながら、静寂に満ちた流れをみつめ、生きて今、自分がこうしてあることに感謝する気持ちがひたひたと心を満たすのを感じました。
インドの東の玄関口カルカッタ(コルカタ)当時の人口は約800万。失業者も多く道路整備も遅れ、雨季になると町中が水浸しになる(私の10年間の旅は乾季の1月がほとんどでした)しかし、そこには溢れるエネルギーを感じました。地面に吸いつくような力強さ、たくましさがありました。
私は鉄道、バスで地方の小さな美術館を訪ねることが多く言葉には困りました。英語はほとんど通じずヒンドゥ語しか読めない北インドの人たちも困るんです。
アープ カイセ ハイ (おはよう ナマステ)
ダンニャワード     (ありがとう)
ラーム ラーム     (さよなら)
ヤー アドヒク      (高すぎる)
とにかく50年ほど前のこと。農村部はのどかで治安も良く、最終のバスはいくら待っても現われずトラックの助手席に乗せてもらい埃まみれになりながら首都に戻ってきたこともありましたっけ。運転席にはヒンドゥ教の神さまがプロマイドのようにペタペタ飾ってあるのです。


コルカタ・インド博物館には何度も何度も通いました。
インドの仏教美術は日本とは異なります。仏教を開いたブッダの生涯を知りたくて、北インドを何度も訪ねました。29歳で出家し、菩提樹の木の下で悟りを開き、教えを説き、80歳で没するまで、ガンジス川流域を旅し続けました。


タージマハールで夜明けを待ったこともありました。紺、群青と空気の色が変わり、白い光と赤い光が空にさしこみ、白亜の建物がふっと浮かびあがりました。パタパタという鳥の羽ばたきがあたりから聞こえ、不意にその中にかすかな衣擦れの音も交じっていることに気づきました。目をこらすと、建物からまっすぐに伸びる水路のまわりを、色とりどりのサリーを着た女性たが10人ほど歩いていました。祈るように首をたれ、しずしずと歩みを進める姿は建物と一体となって見えました。
あれは夢だったかのか、幻だったのか。限りなく美しく厳かな光景に、地球と人の営みの神秘に肌が泡立つような気がしました。


今回の展覧会では、紀元前2世紀から14世紀の長い期間の仏教美術を観ることができます。私が10代で感動した、ガンダーラでつくられたもの、豊潤で彫りの深い顔立ち、優しさに満ちた仏から、入り口正面に佇む「仏立像」5世紀ごろサルナートでつくられたこの仏にはときめきます。各時代で大きく変化していく「インドの仏」をたっぷり観ることができます。
 インドでは13世紀ころに消滅した仏教美術がアジアに広まり、これから日本の仏像を見るときに今回の展覧会で観た『生命感に宿る美意識』(日本経済新聞)を肌で感じ取ることができます。
ブッダの姿が目に焼きつき、50年前の青春時代の自分自身とも出会え、至福のときでした。
5月17日まで。

ヴィラデストへの小さな旅

日ましに春めくこの頃ですが、我が家の庭は落ち葉の中からクロッカスやスミレが可憐に顔を出し、もうしばらくしたら山桜も咲き本格的な春の到来です。
長野県東御市(とうみし)在住の玉村豊男・抄恵子さん。
「ヴィラデスト」と名づけた農園のオーナー。
その農園では洋野菜、ハーブなど栽培しレストランでいただく料理の野菜はほとんど自家製。2004年には「ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリー」も開設し、いまでは周りの農園でもワイン用ブドウの栽培が盛んに行なわれております。「豊男さん、抄恵子さんに逢いたいな~」と思い、上田まで出かけてきました。
上田から10分も車を走らせるとイタリアやフランスの田舎道のような、ブドウ、クルミの樹々が春を待ちわびています。抄恵子さんに上田の駅にお迎えをいただき、車中これまでのつもる話をしていると、アッというまに到着。
ご夫妻とは旅仲間です。上海、タイ、サンタフェ・・・たくさんの旅をご一緒させていただいてきました。飲み、食べ、笑って・・・とにかく楽しいのです、ご一緒にいることが。


2年ぶりにお邪魔させていただきました。前回は初夏だったのでガーデン一面に花が咲き、それはそれは美しく、さり気なく咲いているようで、実は庭作りの大変さはよく分かります。ナチュラルガーデンのように自然の中に自生しているように、さり気なく、でも計算された庭。花・・・・・花の世界がどれほど深遠か、神秘的か。春を待ち温室に咲くミモザやクリスマスローズはレストランのテーブルに幸せをはこんでくれます。
エッセイスト、画家、農園主、ワイナリーオーナーの豊男さんがみずからお客さまをもてなし、抄恵子さんがマダムとして店内のお客さま、スタッフとの心配りなど素敵なカップルです。


その日のランチコースメニュー(3,600円)
野菜づくし「春のヴィラデスト」
地元産の野菜のさまざまに黒酢のドレッシング。
鮮魚のポワレ 海老とレモングラスのスープ仕立て。
鮮魚の皮をパリっと焼き、海老の風味とレモングラスの香りを
生かした軽やかなスープ
メレンゲの中のアイスクリーム
すべて地元長野県産の食材にこだわっておられます。
ワインは一杯だけ!
カフェからの景色もご馳走です。
帰りは「ヴィラデスト・プリマべーラ・メルロー2012」を抱えて帰ってきました。まだ雪を頂いた鳥帽子岳がいつまでも見送ってくれました。


豊男さん 抄恵子さん、そして美味しいお料理を作ってくださったスタッフの方々「ありがとうございました」

『愛して飲んで歌って』

昨年91歳で亡くなったアラン・レネ監督の遺作。
愛して飲んで歌って』を岩波ホールに観に行ってまいりました。
世を去る前月のベルリン国際映画祭コンベンション部門に出品されアルフレット・バウアー賞を受賞しています。この賞は新しい視野を開いた映画に贈られる賞。
90歳で監督したこの映画。ちょっと意地悪な人間観察に素敵なユーモア、カラフルで大胆な演劇風のセット。舞台はヨークシャー郊外。ある春の日、ジョルジュ・ライリーという高校教師が末期がんで余命わずか、ということが判明した時から、彼をめぐって3組の男女の物語が始まります。
その昔、「去年マリエンバードで」を観たときは難解でちょっと戸惑った私。今回はレネの遺作だから・・・と思い観にいったら肩透かしをくわされたような軽やかな喜劇。物語の世界は実写で映しだされ、次ぎにイラスト、次ぎは舞台のような書き割りを大胆に使い、舞台空間へと観るものを誘う・・・。ここまで読んで皆さん、この映画のイメージってわきます?ただただレネのしなやかな感性に感嘆し、90歳にして監督は何を観客に伝えようとしたのか・・・
プログラムを読んでいたら翻訳者の南 弓さんが書いておられます。
「この映画が単なる軽いコメディに終わらないのは、うわべの陽気さの陰に、人生の甘くはない真実や過去へのノスタルジー、果たせなかった夢への思いが見え隠れするからだ、理想や情熱を捨て、現実と折り合って生きていく・・・それは誰でも身に覚えがあることだろう。それでも人生には喜びがあるということも、この映画は教えてくれる」と。
そうですよね、人間がもっている嫉妬、滑稽さ、ずるさ、そしてなによりも愛おしさ。『人生っていろいろあっても喜びがある』ことを教えてくれます。
映画ですからストーリーは詳しくは書きません。”ラストシーン”をお見逃しなく。
神保町の岩波ホール、朝の1回目でしたがほぼ満席。中高年の方々が、きっとレネ監督フアンなのでしょうね、エレベーターの中で首をかしげる人、満面の笑みを浮かべるご夫人、私は映画館を出てスキップしたくなるような気分で地下鉄に乗り、三越前で乗り換えの時に遅いランチを「白ワインとニース風サラダ」で乾杯しました。
レネは次回作も準備していたそうですよ、90歳にして。なんて素敵なの。素晴らしい人生に幕を下ろしたアラン・レネ監督に感謝いたします。
原作は、レネの大好きな英国の劇作家アラン・エイクボーーンの戯曲です。


公式サイト http://crest-inter.co.jp/aishite/index.php

『食と農でつなぐ』

東日本大震災から、もうすぐ4年。心豊かな生活があった福島。そこでの生活を長年支えてきた女性農業者「かーちゃん」たち。その、かーちゃんたちがスタートした「かーちゃんの力・プロジェクト」。会長の渡邊とみ子さんはおっしゃいます。(彼女は飯館村から福島市に移りましたが思いは飯館村にあります)
「原発災害で全てを失ったかーちゃんたちが立ち上がりました。悔しくって沢山泣いたけれど、かーちゃんの味と技を埋もれさせたくないという強い思い!人間としての生きがいづくりのために頑張るかーちゃんの姿は地域を元気にします」と。
原発事故で避難を余儀なくされた町や村には「かーちゃんたち(女性農業者)」が地域の特産品や加工食品を作り販売する場所がありました。農家民宿で手料理でもてなし都会の人々との交流もはかってきました。厳しい自然環境のなかで生きていくための仕事の場、しかしそうした環境を奪われ、その知恵や技をどう生かしていったら良いのか・・・。
そこで福島大学小規模自治体研究所とともに「かーちゃんの力プロジェクト協議会」を立ち上げ、かーちゃんたちの力・知恵を活かす場をつくりました。その中心的役割を担っていらっしゃる福島大学教授・岩崎由美子さんをラジオのゲストにお迎えし、お話を伺いました。
早稲田大学大学院・法学研究科卒業後、1991年、社団法人「地域社会計画センター」研究員となり、 福島大学助教授に。現在は行政政策学類教授。この度、同じく福島大学の塩谷弘康教授と「食と農でつなぐ 福島から」をお書きになりました。
「福島の今を考えることが、日本の未来を考えることにつながってほしい」そんな思いで書かれた本です。
故郷はいま・・・・・・阿武隈地域は、26市町村にまたがる標高200~700mの丘陵地帯です。しかし、原発災害により、住居が制限されたり、県内外に避難している人もいらっしゃいます。飯館村には私は25年ほど前に何度かお訪ねしました。官民一体となって首都圏の人々の「田舎暮らし」をサポートし、素晴らしい町づくりをしてきました。
「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」では、世界のなかでも厳しいといわれているウクライナ基準(野菜1キロあたり40ベクレル未満)よりさらに厳しい基準を設け、1キロあたり20ベクレル未満の食品のみロゴ入りシールを貼って販売しています。
これまでつちかってきた、かーちゃんたちの技を活かし、「こころざし」とビジネスのバランスをとり、営利事業だけではなく、食文化の継承・発信や、仮設住宅支援など「経済的自立」のための仕組み作りもしている、と岩崎さんはおっしゃいます。
森の恵み、豊かな大地、澄んだ水・・・・・
自然と共にあった暮らしを突然奪われ辛く苦しい日々だけど、仲間とつながればなんとかなる!かーちゃんたち(女性農業者)は、手を取り立ち上がりました。あぶくま地域の味、かーちゃんの味をみんなに食べてもらって福島を元気にしたい。故郷の仲間たち、そして、とーちゃん、じーちゃん、ばーちゃん、こどもたち・・・みんなの笑顔のために今日も元気に腕をふるいます。(プロジェクトの活動より)
全国からも多くの応援があるそうです。
ラジオは2週にわたり放送いたします。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時 3月8日と15日
岩崎さんの本「食と農でつなぐ 福島から」は岩波新書から好評発売中です。
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年会費1万円で、かーちゃんたちが作った故郷の味を、夏と冬の年2回(1回につき3千円相当・送料込み)でお届けします。4千円分はプロジェクト活動費として商品開発や研究費。活動内容はHP内のブログなどに掲載されています。
TEL 024-567-7273
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