映画『ある船頭の話』

先日、素敵な映画に出会いました。

オダギリ・ジョー監督の「ある船頭の話」。
スクリーンには”日本の原風景”がとても穏やかに、そして丁寧に描かれていました。

時は明治の終わり頃でしょうか。日本が急速に近代化の歩みを進める中、一人の年老いた船頭が山奥の川で、来る日も来る日も渡し船をこぎ続けています。

身元の分からない少女が船頭に助け上げられたことを除けば、特にドラマチックな展開があるわけではなく、淡々とした日常が繰り返されます。

船頭役の柄本明さんには、心を揺さぶられました。”演技”と表現するのが失礼なほど、山村の風景に溶け込んでいました。変りゆく社会、それに引きずられる人々の心。しかし、決して捨て去ってはいけないものがあるのだと、寡黙な船頭は話したかったのでしょう。

自然と一体になった船頭を一層際立たせたのが、ワダエミさんが担当した衣装デザインでした。”紺”という一言では括り切れない複雑で繊細な色模様が、スクリーンを奥行きのある空間に変えていました。

少女役の川島鈴遙(かわしま りりか)さんの衣装も象徴的でした。一見すると国籍不明の服は、西洋にはない、極めて日本的な深い赤に染められていました。この映画全体で唯一光を放った色は”赤”でした。

「ある船頭の話」はもちろんカラー作品ですが、モノクロと勘違いするような奇妙な感覚に何度も襲われました。水墨画の世界を思わせるような味わいのある映像が、所々で独特の”色彩”を放っていたのです。水墨画と赤、一見相対すると思われるようなものが、しっとりと同居していました。

オダギリ・ジョーさんが長編映画の監督をするのは今回が初めてです。参加したスタッフも実に多彩。撮影監督はオーストラリアのクリストファー・ドイル、音楽はアルメニアのティグラン・ハマシアン。そして、ワダエミさんが色と素材の深みで語ってくださったのです。

”日本の原風景”を描き切るために、東西の優れた感性が重なり合ったのですね。

この映画は先の「ベネチア国際映画祭」で公式上映されました。終了後、満員の客席からは暖かい拍手がいつまでも鳴り止まなかったと報じられています。おそらくそれは、国境や文化、そして時代をも飛び越えた、見事なコラボレーションへの惜しみない賛辞だったのでしょう。

声のサイエンス(NHK出版新書)

大変興味深い本に出会いました。

皆さんはご自分の声って意識したことはございますか?初めて自分の声を聴いた時、びっくりする人が多いのだそうです。

そうですよね、アナウンサーや私もですが、ラジオへの出演などで、自分の声を聴く機会があります。でも普通は自分の声を聴く機会ってありませんよね。そして、なんと「自分の声を嫌い」と回答した人が80%なのだそうです。

このご本を書かれた方は山崎広子さん。国立音楽大学を卒業後、複数の大学で心理学や音声学を学び、認知心理学をベースに、人間の心身への音声の影響を研究されています。

声には、いろいろな情報が含まれ、身長、体格、顔の骨格、性格、体調など山崎さんは初めて電話で話す人でも、声を聴けばだいたいどんな人なのか、イメージできるそうです。

ご本の中に『あなたの声は社会によって作られている』とあります。考えたこともありません。「生育環境やその人の職歴などがまるで履歴書のようにあらわれます」とあります。

「環境によって作られる民族の声の特性」

ヨーロッパの石造りの住宅の多い地域では、人々の声はおおむね低く深くなり、中東にさしかかると、むき出しの岩や低木が目立ち、現代の中東地域の都会部では高層ビルが林立しているものの庶民の住宅は伝統的に土、藁などで固めた日干しレンガで造られていて体格はヨーロッパの人々に劣りません。しかし、発声は、喉を絞めて砂漠の乾燥した風土、土でできた家で暮すわけですから男女ともに甲高いそうです。

では東に進んだアジアの街では?

特に日本では体格にあわせるように、住居も小さめです。天井は低く木と草(畳)と紙(障子、襖)で作られていて声は響きません。ヨーロッパの人々の声が石によって作られた声に対し、日本人の声は木と紙によって作られた声ということになるそうです。

西洋から東洋に向うほど街がうるさくなる、といわれます。たしかに・・・東洋の街にはさまざまな音が溢れ、澄んだ正確な音が作られないために、ハーモーニーが生まれなかったのですが、中国も韓国も賑やかな音は環境が左右するのですね。現代社会の日本はかつてのような住環境ではありませんが基本的にはベースは一緒です。

山崎さんのご本の中で書かれている部分で特に興味を抱いたのは『国内では異質なものに対する寛容度がどんどん低くなっている』ということ。

『日本人女性の声が異常に高い』とおっしゃいます。そうですね、私もそれを感じることが多々あり、なぜなのかしら・・・と思っておりました。かつては、もっと低い、落ち着きのある声で話していたように思います。

年齢を問わず。身長が低ければ声帯が短いので声が高くなる、しかし、今は背の高い人も声帯の長さに見合わない高音です。

そこで、ラジオのゲストに山崎広子さんをお招きしていろいろお伺いいたしました。

「女性同士でも男性と一緒でも、声の高さはあまり変わりなく、無理に高くしているのでハイテンションに感じます。周波数だと350ヘルツ前後で、これは先進国の女性のなかで信じられない高さです」とおっしゃられます。

「女性の声の高さは「未成熟・身体が小さい・弱い」ことを表します。女性がそのような声を出すのは、男性や社会がそのような女性像を求めていて、女性が無意識にそれに過剰に適合をしようとしているのでしょう。社会進出における男女格差を”ジェンダーギャップ”といいますが、日本は144カ国中114位です。日本女性が異常なほど高い作り声で話すのは、女性が素の自分でいられない社会だということです。そこにジェンダーギャップとの相関関係を感じずにはいられません。」ともおっしゃいます。

そうですね、接客業や営業職などマニアル通りの声ですものね。自分らしい声、個性があってもいいと私は思うのですが・・・。

『本当の自分の姿を出したくないという思いの表れです』ともおっしゃいます。”みんなと一緒”が安心なのでしょうか。

他方では人の声に心揺さぶられることもありますよね。『声』って不思議ですね。まだまだたくさん興味深いお話を伺いました。ぜひラジオをお聴きください。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
放送日 10月13日 日曜日
10時30分~11時まで

展覧会のご案内です。

『秋のアート三人展』

夏も終わり、秋草の花が咲き乱れる箱根の山の秋は澄んだ空気、穏やかな陽射し、爽やかで気持のよい日がつづきます。

とてもラブリーな展覧会を我が家『やまぼうし』で10月4日(金)~7日まで開催いたします。

ニットアートの石井麻子さんはグラフィックを学び、その後ニットデザイナーとして活動を続けておられます。京都・山科でショップを30年続け、世界を旅しながらその風景や花や天使など・・・誰からも愛されるニットを創り続けてこられました。

私も大ファンの一人です。カジュアルで着心地がよく、ラブリーな気持ちにさせてくださるニットやタペストリーなど、今回はどんな作品に出逢えるのでしょうか、今から楽しみです。

そして、考古学的なアクセサリーデザイナーの田部洵子さんの作品も楽しみです。ニューヨークで彫金を学び、イスラエルやシリア、インドなどを旅して探し出した貴重な石を細工し、豊潤を意味する葡萄を銀細工で表現し、ローマングラスのネックレスも魅力的で興味深いです。

もうお一人は石井さんのお嬢さんのAYUMIさん。まだ、誰も取り組んだことのない分野を開拓し繊細で透明感のある作品を創り上げておられます。素材は紙を用い糸で幾何学柄を刺繍すると、光線により濃淡が現れるそうです。私は今回はじめて出逢います。

箱根に暮して40年の私。近くには美術館や素敵なカフェもあります。”ちょっとお洒落して”の箱根暮らしにはラブリーなこのような作品が似合います。カジュアルに着られ、優しい気持になれるニットやアクセサリー。女性はいくつになってもお洒落を楽しみたいですよね。

10月4日はお三方と私のギャラリートークが「やまぼうし」で行なわれます。(参加費・無料)

ご予約はメールまたはお電話で。予約優先で、満席になりしだい締め切らせていただきます。お三人にはアートに対する想いなどを伺います。もちろん会場には作品も展示しております。

「秋麗・あきうらら」そんな秋の箱根にお越しくださいませ。お待ち申し上げております。

展覧会ホームページ
http://mies-living.jp/events/artexhibit.html

奈良大和四寺のみほとけ

東京国立博物館本館で「奈良大和のみほとけ」展が9月23日まで開催されております。

安部文殊院・長谷寺・室生寺・岡寺。奈良県北東部にある4つの古刹の名宝があつまりました。国宝4点、国の重要文化財9点が一堂に会しました。

奈良市内の大寺に比べれば地味なお寺さんです。これら四寺はいずれも7~8世紀に創建された古刹です。その中でも私が一番心惹かれるのは”室生寺”。それにはわけがあるのです。

写真家の「土門拳の古寺巡礼・第五巻 室生寺」に出逢ったからです。もう半世紀ほど前のことです。「室生寺はいつ行ってもいい。ぼくは ただ室生寺のあれこれを、また撮られずにはいられない」と記され、「釈迦如来坐像」(国宝)を「日本一の美男子」と称えた平安初期の仏像です。

10代だった私が土門先生に出逢い『本物と出会う』ことを教えられてはじまった骨董や仏像に出会う旅。今回の展覧会でも流麗な衣文線がなんとも美しく、女性的で優しい雰囲気をたたえた十一面観音菩薩像(国宝)など・・・時のたつのを忘れて魅入りました。このような”みほとけ”を拝観できるなんて・・・なんと贅沢なことでしょう。

「魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーンとしみて、僕なりの見解が沸く。要するに余計なことを考えず、ただ胸にジーとこたえるまで相手をじっと見る。見れば見るほど具体的にその魅かれるものが見えて来る。よく見るということは対象の細部まで見入り、大事なものを逃さず克明に捉えるということなのである。」(土門拳「私の美学」あとがきより)

古寺も仏像も、土門さんにとっては、ひとしく、美たりうるものであったのでしょう。

写真集「古寺巡礼」の撮影中に一度倒れられ、不死鳥のように立ちなおり、強い意志でもって復帰なさったのですが、再度、倒れられ、車椅子の不自由なおからだになった土門さん。

奈良の病院で療養をなさりながら、1939年(昭和14)初めて室生寺に行ったときから30回近く通うも「雪の室生寺」が撮れない、撮りたいとの執念で3月に寒波到来を知り、定宿にしている橋のたもとの橋本屋に移り、雪を待ち続けました。

12日、二月堂のお水取りの日の早朝、橋本屋の女将が「先生、雪が・・・」と。土門さんは涙を流したといわれています。うっすらと雪の鎧坂が表紙になっております。私の宝ものです。

雪降るなかの五重塔、杉の木立の階段、梅の匂いに包まれた季節、椿、石楠花、そして紅葉、と何度訪れたことでしょうか。”みほとけ”に出会うために。

今回は博物館でこんなに身近で出会えました。優しいほとけさまたちと。

そして、みほとけ のなかから土門先生が現れました。先生が仰られた「胸にジーンとしみてきました」

もう次の旅を計画している私。箱根から室生寺、そして高野山への旅を・・・晩秋かしら、初冬かしら、令和になったのですもの、やはり大和の紅葉の季節かしら、万葉の心にふれる旅をしたいです。

東京国立博物館サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1966