小さな島の小さな挑戦~沖縄・伊是名島

伊是名島(いぜなじま)に行ってきました。

名護・運天港から船で約50分で伊是名島の仲田港に到着。
なんと・・・途中「ざとうくじら」を見ることができました。
沖縄本島の北方、周囲約16km、人口約1600人。
島に着くと暖かな風を感じます。

オジイ、オバアの笑顔。
「まあ~茶でも飲んで」と屋根の先の雨はしの下の縁側にはサンピン茶と黒糖のお茶うけが用意されています。朝起きると「一番に茶を入れる」と話してくださったのは仲田初江さん(80歳)

この島は家に鍵をかける習慣がありません。
村の中を元気に走りまわる子供たち。
「豪華ではないけれど、贅沢ではないけれど暖かい島民の息遣いが伝わる島。この島を旅人が訪れたとき現代社会の中でどこかに置き忘れてきた、落っことしてきた大切なものが見つかるようなな、そんな島づくりをめざします」
(古民家再生プロジェクトを行っているNPO法人・島の風より)
琉球王朝文化、尚円王生誕の地で歴史・文化のある島です。
おもに農業ではサトウキビのほか、各種野菜が栽培され、水産業はモズクの養殖が盛んに行われ、美味しいモズクをたっぷり頂きました。

なんといってもこの島には伝統的沖縄民家がまだまだ残されています。
珊瑚の垣根と常緑広葉樹。
自然との折り合いををつけての暮らしが島民たちの笑顔になるのでしょう。
離島振興法が施行されてから約60年。
このような美しい島でも離島が抱える問題は決して解決していません。
離島人口は2000年にはほぼ半減したと言われますし、高齢化も進行しています。空家もでてきました。老朽化も進んでいます。
そこで始まったのが「古民家再生プロジェクト」です。
変わりゆく島の風景を守り、老朽化し放置されている家を再生し、まず島の人たちが大事にしてきた「暮らし」を維持し、島民の生活やそこに流れるコミュニティーの文化を含め残し伝えることを大切にしながらの再生です。

伊是名島には宝がいっぱいありました。
人、歴史、文化、自然や景観 かけがえのないものばかりです。
はじけるような笑顔の子供たちにつないでいってほしい・・・そして観光客はそっと「おじゃまさせていただく」ことを大切に。

あんまー(お母さん)の普段の食事、美味しかった!!!。
ご馳走さま。
また行きますね。
その時は昔ながらの古民家に泊めてくださいね。
そして「島のこしが島おこし」になりますように。

うたたねの湯・古湯温泉

佐賀市富士町・古湯温泉に行ってまいりました。
38℃ほどの「ぬる湯」が湧く、山あいの静かな温泉郷です。

旅館主、地域住民、商業者の皆さんを中心に行政も一体となり、どうしたら来てくださったお客さまたちに喜んでいただけるか、どのような「おもてなし」ができるのかを官民一体となり熱心に研究なさっています。
そんな勉強会にお招きをいただきました。
温泉地域活性化をテーマに「田舎らしさ」をアピールしていきたい。
地域住民が自主的にまちづくりをしていきたい。と、皆さん本当に熱心です。

旅館の女将会が中心となり、地域の農家と連携し「日曜朝市」も開催しています。千曲荘の若女将・岸川恵女さんは、女将仲間と市内のアロマサロンとアロマオイルを共同開発。アロママッサージの研修も終えてお客様に施術もしているそうです。
佐賀市街から30分~40分くらいで到着。
約2200年前から湯治場として栄え、画家の青木繁や歌人・斉藤茂吉らにも愛されたと伺いました。

当日は佐賀では珍しい雪景色でした。
嘉瀬川沿いに12軒の旅館があります。
15分も歩けば一周できるほどのこじんまりとした温泉地です。

古湯には「もてなしの心」がありました。
歴史も文化もあり、そして何より豊かな自然があります。
とかく日本人はもてなし下手といわれますが、この「喜んでもらえたら嬉しい」という気持ちこそ、本来日本人が昔からもっていたものではないでしょうか。
そして、今回、素晴らしい出会いがありました。
出発するまで宿でコーヒーを飲みながら話をした行政の若者達です。
佐賀市商業振興課の 田代 健二さん、辻田 朋群さん。
佐賀市保険年金課の 菅 祐亮さん
どの地域でも官民一体というのは非常に難しいものです。でも全国を歩いていて感じることは、ネクタイを外し、住民の中に飛び込み情熱をもってその町のために汗をかいている若者達が必ずいるということ。心強いではありませんか。
今回もそんな爽やかな若者達にお会いできたこと、とても嬉しく思いました。
どうぞ、これからも頑張ってください。
そして貴方達が描く「ふる里・古湯」にまた伺いたいです。

『柳家三三師匠落語会』のお知らせ

『柳家三三師匠落語会』のお知らせ
箱根「やまぼうし」で4月3日三三さんの落語会を開催いたします。
ご存知のように三三さんは柳家小三治師匠のお弟子さんです。
小三治師匠の”追っかけ”の私は、三三さんの落語もよく聴かせていただいておりました。
お若いのにその芸はまさに正統派。
小三治師匠とはまた違った芸風に見えます。
しかし、やっぱり師弟。
どこか似ています。
ここ箱根で以前、小三治師匠の落語を聴かせていただいた時には会場となった大広間の時計が止まっていたのです。
そこから師匠の自在な「まくら」から始まりました。
三三さんが同じ空間でどんな落語を聴かせてくださるか・・・。
楽しみです。
会場の都合で30名限定とさせていただきます。
落語終了後、師匠を囲んで軽いお酒と食事をご用意しております。
もちろん、私もご一緒させていただきます。
詳しくはやまぼうしのHPをご覧ください。
http://www.mies-living.jp/events/hakone_sanza_rakugokai.html

伊勢市横輪町をお訪ねしました

この桜、ご覧ください、見事でしょ。
と言っても今年の桜ではなく昨年、見事に開花した横輪桜です。横輪桜は、今から150年ほど前に、集落の桂林寺にあったものを村人が各々の家に持ち帰り増やしていったそうです。特徴はおしべが変化し、花びらになり、開花とおなじくして葉も付き始めるとのこと。花の大きさもソメイヨシノの2~3倍はあるそうです。

横輪町は三重県伊勢市の南部に位置する山々に囲まれた谷あいの隠れ里。人口は97人で、その4割が65歳以上の高齢者です。
「このままでは自分達の地域が崩壊してしまう」
という危機感から立ち上がりました。
「地域を、文化を次世代に継承していきたい」
「経済的に活性化し、若い人達の就労場所を確保したい」
前回ご紹介した周南市もそうですが、こうした気運が全国に広がり始めました。地域の活性化は一朝一夕にできるものではありません。何よりもそこに住む住民の「熱き思い」が大切です。この横輪にはそうした人達ばかりなのです。
その道のりは簡単ではなく、苦難の道のりも「地元を良くしたい、何とかしたい」という強い思いがあったからこそ。この町の石垣の景観は見事です。それは強風から家屋を守るだけではなく、田畑にも多く存在します。よく見ると、石組みの間には風穴があり先人の技がしっかりとあります。しかし、そうした石工もいまではいなくなりこれからが大変です。
「正直、活性化を始める前は辺地であるという劣等感が多くありました。しかし、活性化がマスメディアで報じられると自信につながるのです。最近は「横輪の人達頑張っていますね」・・・と声をかけられると、自信と誇りがもてるようになりました」と皆さんがおっしゃいます。いまでは桜の季節には7万5千人ほどの人が集まるようになりました。

四季を通じたイベントを開催し、横輪の桜まつり、夏にはホタルまつり、秋にはお月見会など、また活動拠点「郷の恵・風輪」もオープン。積極的に情報発信をし、都市との交流も行われています。
「しかし・・・これからが大事です。今は過渡期です」とおっしゃいます。
そうなのです。ゼロからスタートし、来訪者の増加は地域への経済的メリットにとどまらず、耕作放棄地の減少や「景観の保全」「高齢者の生きがいづくり」などにつながります。相乗効果が増加するでしょう。
今回も「美の里コンクール」の審査でお邪魔させていただきました。
その日は珍しく横輪の冬の西風もなく穏やかな一日でした。
横輪のお芋で伊勢うどんや、五平餅も美味しかったです。
風と共に生き、人の手と知恵によって美しい風景が創られてきました。
皆さん住民の方々の”ふるさと”です。
日本中が、熱気を欠き、心の拠りどころを失って、ポカン顔しているような昨今。横輪の方々のいきいきした表情の、なんと眩しかったことか。他力本願せず、おもねず、甘えず、寄り掛からず、人のせいにせず、しっかりと自分達の足で立つことで、「横輪」という誇らしい集落を作りあげてきたのでしょう。
今の日本人に、今の日本に、必要なことはこうした自立のありようだと思うのです。戦後60年、日本が政治・経済・私たち一人一人の意識も変革を求められている今日。
これからも美しい横輪の町が都市の方々との交流の輪を広め”ふるさと”を守ってほしい・・・と願いました。