NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・日本のふるさとを歩く~遠野」(1月24日放送)

今回ご紹介するのは、木も草も石ころも「民話」の主人公に見えてくる岩手県・遠野です。
盛岡、花巻・・・仕事で岩手県に行くと、つい足を延ばしたくなるのが“遠野”です。いろりのそばで聞きたい民話。その民話の世界がそこここに感じられる田園地帯。そこに生きる人と暮らしとの出逢い・・・・懐かしさがこみあげてくるのです。
降るとも舞うともつかない小雪が遠野の里をけむらせる一月、小正月。
春、桜の頃の遠野でおいしい山菜をいただいたことがありました。山からの風がまだ冷たかったのを覚えています。夏、目が洗われるような緑のタバコ畑、たんぼの稲の波。カッパ淵におそるおそる素足を入れてみましたっけ。
でも、冬の遠野は特別。初めて冬の遠野を旅したのは、長女がまだ幼かった頃。
遠野に住む神々と、そこに暮らす人々がさまざまな儀式の中で向き合う正月。ここで暮らす人々がしばし仕事の手をやすめ、一年の労苦をねぎらい、また一年の意気を確かめ合い、神々に祈る小正月。
いつかは訪ねたいと、ずーと思っていました。訪ねたいと思った季節に、好きな所へ旅するのは本当に楽しいことです。
「寒いわ・・・」などと仰らないで。ひっそりと、しかし、ぬくもりいっぱいの遠野に自分自身の昔が重なるような気がするのです。
私が遠野を知ったのは、もちろん「遠野物語」。明治43年、柳田国男先生によって著わされたこの本は、素人ながらも民藝のカタチと心にひかれ、人の暮らしの手ざわりを求めつづける私の、大切な一冊でした。
野づらにも、川にも、山にも、石にも木株にも神様がいて、その神々がときに天狗だったり、雪女だったり、馬だったり、猿だったりしながら人々と出くわし、戒めたり、突き放したり、抱きしめながら、遠野の人々の暮らしに深く深く根ざしているのを、ひとつひとつの民話が語っているのです。
私も、そして多くの人々も生涯、生まれた土地で一生を過ごすことなんてなかなかできませんよね。遠野の方々も、進学、就職でここを離れていくでしょう。
それにしても遠野は不思議な吸引力で郷土の子らをだきつづけるのです。そんな遠野の磁力に、旅人は引き寄せられるのです。
お作立てといって遠野の小正月。お訪ねしたのは小水内家。旧暦正月15日から20日の小正月。ミズの木に栗や粟、マユ玉、豆、餅などを飾ります。農家の広い座敷にきれいな花をいっぱいつけた木が枝を広げて、それはそれは美しいのです。
そして、「お田植え」小雪が舞い、足元から冷えがズンズンと全身に伝わるような寒さの中。一家で前庭へ出て、松の小枝を稲に見立て雪の庭に整然と植えていきます。真っ白な広っぱに濃い緑の苗・・・・、一年で一番寒いこのときに、一年の豊作を祈るのです。
一心に手を合わせて祈るさまは感動的です。
『花巻より十余里の路上に町場三か所あり、その他はただ青き山と原野なり、人煙の希少なること北海道石狩平野よりもはなはだし。{中略}馬を駅亭の主人に借りて独り郊外の村々を巡りたり。{中略}猿が石の渓谷は土肥えてよく拓けたり。路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。{中略}附馬牛の谷へ越ゆれば早池峰の山は淡く霞み、山の形は菅笠のごとく、また片かなのへの字に似たり』
「遠野物語」の序文に、柳田国男先生が馬で遠野郷へ入って、ひとまわりした折の遠野の風景が書かれています。今なら、観光は馬ではなくサイクリングかウオーキングですね。
車で走り抜けてしまっては路傍の石や草むらや川に住む民話の主たちと出会えないかもしれません。
さて、遠野は岩手県の中央を南北に貫く北上山系の真ん中、標高1917メートル、山系のうち最高峰、早池峰山のふもとに広がる盆地です。遠野の昔々、そこにはアイヌが住んでいて、アイヌ語でトオヌップ=湖のある丘原といわれていたことが地名のおこりと言われています。
早池峰神社、駒形神社『昔あるところにサ、長者の家サあったどもな。そこの親父が一人娘に馬の子っこ買ってきたんだって。』・・・・ではじまるオシラサマ。馬を大切にする遠野らしい民話ですが駒形神社も馬産の神さまをまつる由緒ある神社です。
『昔あるところに、川サあったどもな。川のほとりの草っこかじりながら、馬の体サごだァごだァと洗ったり、昼食って、休んだどもな。』カッパ淵のはじまり。
民話の語り部  阿部ヨンコさんに聞いた民話。
「民話はね、母親が教えてくれたの。小学一、二年生の冬の間。囲炉裏のまわりで夜ね。三年や四年でなくて、一、二年生の冬の間だけなの。三年になると雑巾縫ったり本も自由に読めるからね。雑誌もテレビもないからね、母親の昔話は楽しみだった」・・・と語ってくださったヨンコおばあちゃん。
ヨンコおばあちゃんがそうであるように、母から子へ、民話は語り継がれて今日まで生きてきたのですね。夕暮れの遠野の野づらに立つとシンシンと底冷えする寒気が足から全身をはいめぐります。
遠野に来ると、この寒さの底で生きてきた人たちの民話を求めた気持ちが少し、わかります。
「銀河鉄道」の夢をのせて走る電車。メルヘンの世界をほうふつとさせます。
遠野は大人のドリームランド。夕暮れから夜へと移ろう頃、枯野を電車が通り抜けます。小正月の頃、冬は上りも下りも乗客などなく、灯りのついた車窓だけが快活で、あえぐように走る電車はせっせせっせと夜の闇へと向かいます。
冬の遠野。
人々に会う、岩手の冬の自然にふれる。あの初めての遠野の冬からもう何回冬が廻ってきたのでしょうか。私にとってもそうであったように、きっとあなたにとっても心象の風景に出会う旅になるでしょう。
旅の足・・・東北新幹線新花巻下車。遠野へは釜石線快速で45分。車で約1時間。宮沢賢治記念館へは新花巻駅から車で3分。詳しくは、遠野市観光協会のHPをご覧になると、「遠野ふるさと村」や「とおの昔話村」など昔の住宅を移築保存している施設などの情報がたくさんございます。
遠野から花巻へ  イーハトヴを巡る旅もお勧めです。

「旅は数珠球・・・壷と椿の花」

旅は自己発見である、とはよく言いますが、私にとって、旅こそ自己形成の場ではないかと今でも思えるのです。
学問も、才能も、家柄も、財産も、何もなくて、ただころがりこんできた時の運のようなものにおされて芸能界に入って、右も左も自分が立つ場所さえわからず、さあここですよ、右むいて左むいて、笑って泣いて、さあこの台詞・・・となにやら人形みたいに動かされて、16歳の私は、ただ渦の中に落とされた小石のようなものでした。
めまぐるしいスケジュールの中で、必死で何か杭があるならつかまりたい。なにか小さな木の葉でもいい、つかまっていないと押し流されそうな怖さだけは確実にあったように思えるのです。
この不安の思春期の中で何につかまられるか、何をつかむかで、その後のある程度の方向は定まってくるものではないでしょうか。
私にとって、それはひとつの”壷”だったのです。
いまになって、あれは私の人生の道標であったと思えるのです。
デビューして2年目くらいの冬のこと。
社会派のカメラマン、土門拳先生に雑誌の表誌を撮っていただけるという幸運に恵まれました。場所は京都・苔寺。その日は光がだめだというので、お休み。
「ついて来るかい?」
「これから本物というものを見せてあげよう」
16、7の小娘には何が本物なのかわかろうはずもありません。
ついていった先が、祇園石段下、四条通りに面した美術商「近藤」でした。
お香の匂いがかすかに漂ってひんやりしているけれど、どこか暖かな店。その店に入った途端、ひとつの”壷”の前で、私は動けなくなってしまったのです。誰の作品で、何焼きで、何年頃のなどということは何も分かりません。
ただその”壷”のありように胸打たれてしまったのです。
そこにある壷は、それを見ている私そのもののような気がしたのです。
身動きもならず、ただうずくまるだけの自分。
それでいてその内側に爆発しそうな力を秘めて、体でそれを表すすべもなく、うずくまるしかないという形の心をそこに見たのです。
身じろぎもせず、その壷を見入っている私に、近藤さんが教えてくださいました。
「この壷の名は”蹲”(うずくまる)。
古い信楽で、作者不詳」・・・と。
その壷にはどうしても寒椿を活けたかった。
何日かたつと、突然ポトリと花が落ちるあの姿、と”蹲”の無欲な姿。
結局、当時頂いていた東宝からのお給料を一年分前借して私のそばにやってきたのです。
夢のようなある冬の出来事でした。
今朝、庭に咲く椿を活けてみました。
あれから、かれこれ半世紀がたちます。
旅は数珠球・・・小さな旅から大きな旅まで、私を豊かにしてくれます。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
箱根の森の中に家をたてて、もう30年になろうとしています。
今年のお正月も”箱根駅伝”ではじまりました。早朝から富士山が青空のもと美しい姿を湖に映し、ランナーを迎えます。今年もドラマが生まれました。
悲劇や番狂わせ、箱根駅伝はいつもドラマティック。
「銀座百点」1月号にかつて早稲田大学の選手として箱根駅伝を走った映画監督の篠田正浩さんが、作家の三浦しをんさんとの対談でこのように話しておられます。
「正月を選ぶということは、基本的に神事なんですよ。箱根駅伝は、新しい年に精進潔斎した若人が神輿を担ぐように襷をつないで、箱根、つまり富士へ向かって走るでしょう。一種の富士講、イニシエーションだと思いませんか。選手たちが神さまの美しい魂というか神聖なものをわれわれの代表として富士山に取りに行き、それを都会に持ち帰ってきてくれる。駅伝は、日本の文化までもを孕んでいる」・・・と。
今年はどんな年になるのでしょうか。昨年気になる言葉が新聞、テレビなどで報道されるようになりました。
「限界集落」
 
消滅の危機にさらされている集落。そんな集落を救え・・と38都道府県の146自治体が「全国水源の里連絡協議会」を設立し、始動したと新聞記事にありました。たしかに高齢化が進み、田畑の跡地は荒廃し消滅の危機にさらされている現実は旅するなかで実感いたします。
しかし、「限界集落」・・・という言葉をそこに暮らす方々はどのような思いで聞かれておられ るのでしょうか。
人間の歴史の中には、絶えず過ちをおかします。しかし、その過ちを修正する能力はあるかも知れません。もう少し、ふっくらと柔らかな、優しい言葉はないものでしょうか。
日本全体が都市化現象にあります。自然と乖離した生活の中で、自分たちが食べているものの、姿が見えないような暮らしは果たして幸せといえるでしょうか。
見ることは知ること。今年も旅の下にいたいと願っております。
今年も良い年でありますように。