出雲への旅

今回は島根県浜田市で開催された「ルーラル・ミーティングin島根」のパネルディスカッションに参加するために行ってまいりました。
島根県には棚田百選に選ばれた美しい棚田がいくつもあります。
私たちを日本の原風景へと誘ってくれます。
しかし、過疎化や後継者問題で、それぞれの悩みもありますが、集落の方々は地域住民の熱心な町・村おこし運動によって再生に取り組んでいる姿に尊敬と感動を覚えます。
既に国の都市化政策が行き詰まりを見せるようになった近年は、若者の意識も大きく変化してきました。
人間が人間らしく生き、日本という国のこれ以上の荒廃を防ぐためには、農山漁村の再びの活性化こそが私たちに課せられた急務の課題という気がします。
私たちのアイデンティティーとは、一体何でしょう。
私たちの原風景はどこにあるのでしょうか?
素晴らしいディスカッションに参加させていただきました。
皆さま、どうもありがとうございました。
そして浜田から出雲市へと向かいました。
どうしても今年お参りをしたかった『出雲大社』
神々のふるさと、出雲の旅がはじまります。
祈りを結ぶ社・・・出雲大社。
神代の昔から古社、神話が語り継がれ、約六十年ぶりの大遷宮が行なわれている出雲大社。社殿の新築、修造にあわせご神体や御神座が移され社殿が蘇えりました。
縁結びの神さまとして知られる大国主大神がお還りになった年です。
今年のお正月は伊勢神宮に参拝しました。
私はいつもそうですが、できれば早朝のお参りがしたいのです。ですから遅くなっても前日の夜にはその町に入り、朝一番でまいります。駅前のビジネスホテルに泊まり、出雲市駅前からバスで大社へ。
(ちょっと余談ですが・・・前日の夜は居酒屋にひとりで行き、地元の食べ物、地酒をいただきます。そうして体ごとその町に馴染みます。今回もあたり!宍道湖で採れたシジミ、とウナギを食べました)

バスで約30分、正門前で降り、勢留の大鳥居を一歩踏み入れば、そこは神域です。
昔は、芝居小屋が立ち並び参拝客が足を止めて集まったことから、人の勢いが留る「勢留」と呼ばれたそうです。

静謐な早朝、神々が息付く参道の玉砂利を踏み締め御本殿へと向かいます。
やはり御本殿を仰ぎみるのには早朝がいいですね。
朝が生まれた瞬間の清々しい境内は、緑にあふれています。

国宝に指定されている本殿の大屋根は、松ヤニやエゴマ油、石灰を混ぜた伝統的な塗装、「ちゃん塗り」が施され色鮮やかな鬼板や千木がひときわ目をひきますし、檜皮(ひわだ)を重ねた屋根の枚数は約六十四万枚もあるそうですが、何よりも境内全体に匂う檜の香りに感動いたします。

そして、お参りをしている時です。
それまで雲におおわれていた空に太陽の光が射し、体中を包んでくれるではありませんか。
なんて幸せなの。

帰りは一畑電車に乗りのどかな小さな旅。
出雲市駅に戻り、天皇や皇族に献上した「献上そば・羽根屋」で出雲そば「割子そば三段」を食べて駅前からバスで飛行場に向かいました
そういえばいつからでしょうか・・・「出雲縁結び空港」と名前がかわったのは。

ルネ・ラリック『日曜日の庭・クレール・フォンテーヌへの招待状』

箱根に暮らして、何が幸せってやはり美術館が身近にあることでしょうか。
朝の陽射しが気持ち良いわ・・・そうだ、バスにのって美術館に行きましょう!
先日、仙石原のラリック美術館に行ってまいりました。
私は、映画も落語もショッピングも美術館も、もっぱら「おひとりさま」。
たまには、気の合う友人とご一緒しますが、ひとりなら自分のペースで誰にも気兼ねをすることなく、気ままに行動できます。
素敵な展覧会が始まったばかり。
ルネ・ラリックは当初、アール・ヌーヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博してしていました。豪華なダイヤやルビーではなくエナメル(七宝)細工や金といった身近な素材を使い、花や昆虫など身近な自然をモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリーなどつぎつぎに発表しました。
なかでも自然をモチーフにした、器、グラスなどはどれも造形的に美しく思わず手にとってしまいたくなります。
ラリック美術館の今回の企画展は
「ラリックが家族と休日を楽しんだパリ郊外のクレールフォンテーヌ。ラリック作品の原風景は、その静けさに包まれた自然の中にありました。水辺や庭で感じたイメージは、自然豊かな地で育ったラリックの創作意欲を駆り立たせ、ほどなく作品として私たちの前に姿を現したのです。」
と、書かれています。

写真提供:箱根ラリック美術館

今回の展覧会では、作品とともに、植物の押葉標本や、制作のヒントにした写真(複製)や詩などが一緒に拝見できます。自然の光あふれる空間で、陽の移ろいを感じつつ、背景の箱根の草花と一緒にラリックの世界を満喫いたしました。
伺うと、午後3時から4時くらいの光が美しいそうです。
6月1日~12月01日まで開催していますから、初秋の午後にでもまた行ってみましょう。

帰りは思わず深呼吸をし、カフェでランチをいただきました。・・・ワインを一杯だけ。こういう時間があるから頑張れるのですね、・・・と言い訳ですが。

奈良・唐招提寺への旅

大阪・近畿大学の授業があったので、大阪に前日入りし奈良に行ってまいりました。
目的は「唐招提寺・国宝 鑑真和上座像 御影堂障壁画」の特別開扉を拝見するためです。
大阪から近鉄で西の京駅下車、歩いて700メートルくらいです。
木陰を歩くと爽やかな風が。こうして同じ道を何回歩いたことでしょう。
唐招提寺は修学旅行生もあまりいないし、奈良の中では室生寺につぐ好きなお寺さんです。
今回の大きな目的は、奈良時代に渡来した唐の高僧、「鑑真和上坐像」の摸像を2年以上かけて制作し、当時の技法を忠実に再現し、いろいろその謎が解き明かされた・・・と知って、その模造の「御影像」も拝見しその謎が知りたかったことです。
そして、私の大好きな「鑑真和上」を参詣すること。
以前、NHKの番組で唐招提寺を取材させていただきました。
御影堂の室内は静謐そのもの。
画家・東山魁夷が構想から12年の歳月をかけて描かれた障壁画。
ただひとり静かに、心鎮めて拝見できたのは至福のひとときでした。

境内の木々の緑は初夏の陽光を浴び、白や淡いピンクの蓮。
菖蒲が池で花を咲かせています。
平成の大修理(00年~09年)も終わり正面に見える金堂(国宝)、参道の玉砂利を踏み締めて進むと、金堂の屋根の美しさ、偉容に圧倒されます。

金堂の横から苔むした庭を歩き、御影堂へと進みます。
今年は6月5日に開眼供養を行い、7日から公開。国宝像も5~9日まで特別公開されたのです。並ぶのを覚悟で行ったのですが、人は多いもののスムーズに入れました。
なぜ、私は「鑑真和上」に惹かれるのでしょうか。
慈愛にみちたお姿。
742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されますが、当時の航海は極めて難しく5度の失敗を重ね盲目の身になられても、意思は固く6度目の航海で来朝を果たされます。
辿りついた海岸が鹿児島の南”秋目”だったとされていますが、不思議ですね、私は007の映画のロケ地が同じ秋目の海岸だったのです。ご縁を感じます。
東山画伯が、日本の美しい景色の象徴として鹿児島上陸の地、坊津の秋目浦を描いた厨子絵「瑞光・ずいこう」などをみつめながら進むと、「鑑真和上」が静かに佇んでおられます。お焼香をする方、和上の前で静かに座禅を組む方・・・私も20分ばかりその前で正座しながら拝顔いたしました。
やはり”慈愛”にみちたお姿でした。
廊下に座りしばらく庭を拝見しました。
そして、謎について想いをめぐらせました。
日経新聞(夕刊)5月20日に掲載されていた記事をもう一度読み返しました。
和上の死期が迫っていることをさとった弟子たちは、容姿だけではなく、精神性をも映す御影の制作に取り組みます。
「和上像は興福寺の阿修羅像など他の脱活乾漆像とは技法、造形方法が違う」と新聞には載っていました。
漆は少なめ、素手で形づくられたこと、ひげの一本一本が、描かれ、衣の糸のほつれまで表現されていることが分かったそうです。袈裟も、様々な生地の切れ端を縫い合わせた「糞掃衣・ふんそうえ」だったことが判明されたと書かれています。
清貧にして質実な鑑真・・・なぜ私が惹かれてやまないのかが少しわかりました。
外に出て、帰りに模像の”身代わり像”を拝顔いたしました。美しい袈裟をまとい彩色された鑑真和上座像の模像のまつげや無精ひげの再現など、魅了されました。
奈良ホテルのラウンジでシャンパンを飲みながら緑深い庭を見てから大阪の喧騒の中へと戻ってまいりました。

信州・長野の旅

長野を2泊3日で旅をしてまいりました。
今回の旅は南健二さんの写真展、柳宗悦展、そして玉村豊男さんの”ヴィラベスト”を訪ねるのが目的の旅でした。
ラジオ収録後、東京駅から長野まで新幹線に飛び乗り南ご夫妻と松本へ。
南さんは何十年も、C.W.ニコルさんに寄り添うように、彼の写真を撮り続けてきました。今年はニコルさんの来日50年記念で、
「けふはここ、あすはどこ、あさつてはC.W.ニコル x 山頭火の世界」というタイトルで写真集を出版されました。
この写真集を見せていただいたとき、ニコルさんと南さんと共に、アファンの森を歩いた数々の日のことが走馬灯のように脳に蘇えり、胸が熱くなりました。

松本でのギャラリーで見る写真、一枚一枚の何と自然体なことでしょう。
お二人の間には深い信頼関係がなければこうはいきません。
素晴らしい写真展でした。

松本で宿泊し、翌朝向かった先は、喫茶店「珈琲まるも」です。
この「まるも」にはたくさんの思い出があります。
ありすぎて、とても書ききれません。
松本駅に降りると、いつも女鳥羽川沿いの喫茶店に向かいます。
信州・松本は、私にとって癒しの土地です。
心にふと迷いが出たとき、都会に疲れたとき、私はすぐ特急あずさ号に飛び乗って、信州・松本に旅立つのです。
香り高いコーヒー、そしてクラッシック音楽が静かに流れ、今着いたばかりの旅人をすぐこの土地の人としてさりげなくなごませてくれる、そんな喫茶店なのです。
尊敬する池田三四郎先生にお会いするのに、こうして心のウオーミングアップをいたしました。この喫茶店には英国ウインザー調のテーブルや椅子があり、かつて松本深志高校の青年たちが熱っぽく語りあっただろう雰囲気が伝わってきます。そして、使い込まれた松本民芸家具の椅子に座ると、こんな声が聞こえてきます。
「その椅子は、私がウインザー調の椅子にのめり込んだ最初の頃の作ですよ。50数年浜さんも含めて十万人もの人が座ったんじゃないかな。多くの人に使われても、ビクともしません。自然に磨かれて、皆さんに座っていただいて、なかなか味がでているでしょう・・・」
あのときの先生の声と笑顔が忘れられません。
先生には民藝の世界を30年近く教えていただきました。
先生にお会いするだけで心安らぐ思いがしました。
民藝運動の創始者、柳宗悦先生、濱田庄司先生たちのもと天国でどんなお話をなさっているかしら・・・興味深いです。
確か、私が「美しいとは何か」を問いかけたときでした。
「一本のネギにも、一本の大根にも、この世の自然の想像物のどんなものににも美があるんですよ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」・・・先生は、淡々と語っていらっしゃいました。私はまだまだ未熟だと思ったのでした。
先生はいつも高慢な精神を戒め、そこにあるものの、あるがままの美しさの会得を教えてくださるのです。
道端の名もなき草花や、すれ違う動物や昆虫。
私たちもそこに置かれている。それが大切なのだと。

お蕎麦を食べてから柳宗悦展ー暮らしへのまなざし」を観にゆきました。
「天然に従順なるものは、天然の愛を享ける」
無名の職人たちの手によって生み出された日用雑器に美を見出し、独自の審美眼により新しい美の概念と工芸理論を展開した、柳宗悦。私の十代のころからの憧れです。素晴らしい展覧会でした。

そして、松本民芸館へと向かいました。
ここからふるさとの山となる青葉 (山頭火)
人生の喜びを学んだ私の松本の旅でした。
そして一路黒姫へ。
四季の移り変わりを全身で感じる南さん宅に泊めて頂き、お酒と美味しい料理。とても嬉しかったです。とても幸せでした。
ありがとうございました。

翌日は黒姫から長野、そして上田へと向かいました。
駅には玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんがお迎えに来てくださり、『恵の雨』をお土産にヴィラデスト・ガーデンファームアンドワイナリーへ。
ガーデンには、ルピナス、ムスカリ、サクラソウ、アウリニア、セイヨウミミナグサ、黄色の可憐な花、ギンバカゲロウ、りナムが満開でした。
オダマキも色々な種類があるのですね。
クレマチスも竹の垣根に美しく咲いています。
ため息が出るほど美しいガーデンです。
ランチは農園のカフェで抄恵子さんと久しぶりにおしゃべりをしながらの食事です。ご夫妻が丹精こめてつくってきたガーデンを眺めながら、地元産の野菜の美味しいこと・・・もちろんお肉も。
次回は刻々と変化する夕やけの景色の中、豊男さんが葡萄から生産したワインを飲みながら・・・など想像してしまいました。
実りある豊かな旅でした。
今年は私にとって大きな節目の年です。
旅は「賜る」からきたとか。
たくさんの幸せをありがとうございました。