いろどり-琉球新報「南風」

数日前、一冊の本が私の元に送られてきた。徳島にある立木写真館が創立123年を記念して自費出版した『いろどり おばあちゃんたちの葉っぱビジネス』というムック本である。タイトルにある通り、徳島の上勝町での葉っぱ(料理のつまもの)ビジネスをテーマとしたもので、実は私もこの本に一文を依頼されていたため、献本していただいたのだった。
上勝町は徳島の山間地域にある。かつてはミカンの町だった。しかし、昭和56年の記録的な大寒波により町の主要産業だったミカンの木が全滅してしまう。その後、高齢化と過疎化が進み、地域の活気は失われつつあった。
転機は61年、農協の営農指導員であった人が大阪に出張した折、寿司(すし)店で料理のつまものを見て、これを販売することを思いついたことからはじまる。売れる葉っぱと売れない葉っぱの違いの研究、見栄えのいいパッキングの工夫など、上勝町のおばあちゃんを中心に理解を深め、技術向上に努めた。その一方で販路も積極的に開拓した。そして、いろどり(料理のつまもの)ビジネスという新産業を花開かせたのである。
この本には、いろどりビジネスを担うおばあちゃんたちの笑顔が満載されている。自分が必要とされるときに、人は内なる自信を見出し、心の底から笑うことができるのだなぁと感じずにはいられない現役の笑顔である。私はいつしか、沖縄のおばあたちのことを思い出していた。公設市場で働くおばあ、そこに魚や野菜を持ってくるおばあ、土産物屋さんの看板娘になっているおばあ、果物を畑でビニール袋につめているおばあ……優しくおおらかで働き者の、沖縄の愛しきおばあたち。お年寄りのパワーあふれる笑顔が似合う町は、誰もが住みやすい町でもある。
琉球新報「南風」2006年10月31日掲載

韓国のたび

9月21日から25日まで食アメニティ・ネットワークの女性たちと、韓国の親環境農業とグリーンツーリズムの研修に行ってきました。
最初にお訪ねしたのは、ソウル郊外の八堂(パルタン)地域。ソウル市民の飲み水となる漢江(ハンガン)の上流にあたり、ハンガンの水質をまもるために、環境を守るための親環境農業が行われている地域です。
水質保全のための親環境農業への取り組みに対し、行政も低利融資をするなど、積極的に支援、農協もまたデパートや大型量販店、農協の店舗などに親環境農産物販売コーナーの設置を義務付けるなど販路開拓の支援を実施していました。
伺ってみて、「自分たちの飲み水の安全性を確保するために、農薬や化学肥料の使用制限をして作られている農作物」ということへの理解が消費者に広く進んでいることに驚きました。消費者の理解があるからこそ、若干価格が高い農産物も喜んで受け入れてもらえるという、流れがシステムとして作り上げられていたのです。この「わかりやすさ」が成功のカギではないかと考えさせられました。
韓国のグリーンツーリズムの現状を知るために訪れたのは、江原道華川郡の土雇米マウルとヨンホリ村。土雇米マウルでは廃校を宿泊所にして旅行客を呼び寄せ、ヨンホリ村では農家民泊用の建物を建設して、グリーンツーリズムを展開していました。ヨーロッパやわが国のグリーンツーリズムと異なるのは、農家民宿や農業体験といったプログラムで利益をあげるのではなく、宿泊を通して信頼関係を築き、その後に農産物の産直に力を入れている点です。そのため、宿泊者とはできるかぎりの時間を交流にあてられています。
私たちも2つの村で、思いがけないほどの歓待を受けました。共にキムチを作ったり、祭りに参加させてもらったり。言葉は違っても、両国に不幸な歴史があったけれども、人と人とが出会うことで、また新たな歴史の一ページが始まるのだと感じるほど、素晴らしい出会いがそこにはありました。人に熱い韓国の人たちが、こうしたグリーンツーリズムを通して、産直の農産物を手にするようになるというのも、納得できて、それぞれの文化や慣習にあったグリーンツーリズムのあり方があるということも感じさせられました。
日本の農村を40年に渡り、歩いてきた私にとって、アジアの農業がこれからのテーマのひとつになりそうだと予感させてくれるような、素晴らしい旅となりました。韓国の土雇米マウルとヨンホリ村から箱根の我が家に、農産物を送っていただくことはさすがにできませんが、年に1回くらいは親しくなった村の人たちの顔を見に行きたいなぁと思っています。

グリーンツーリズム沖縄-琉球新報「南風」

グリーンツーリズムをご存知だろうか。グリーンツーリズムは1970年代に、ヨーロッパのアルプス地方で生まれた。農家に都会の人たちを宿泊させることで、農家の収入を補い、農村を活性化させ、宿泊者は田舎の親戚に遊びに行くような気持ちで農村を楽しむという旅のあり方である。
韓国のグリーンツーリズムの現状を知るために、江原道華川郡の土雇米マウルとヨンホリ村を訪ねた。華川郡は中山間地で過疎化、高齢化が問題となった2000年ごろからグリーンツーリズムに取り組み始めた。農家民宿や農業体験で利益をあげるのではなく、宿泊者が都会に帰った後、農産物の産直という形で交流が続くようにプログラムを作っているという。
土雇米マウルでは廃校を宿泊所にして旅行客を呼び寄せ、ヨンホリ村では農家民泊用の建物を村のあちこちに建設して、グリーンツーリズムを展開していた。
2つの村で、私たちは思いがけないほどの歓待を受けた。ヨンホリ村では祭りも体験することができた。現地の人と共に私も一夜、食べ、飲み、太鼓や鐘の音にあわせて踊った。日韓に横たわる辛い歴史への複雑な思いがあったにもかかわらず、踊りながら笑顔を交しあい、私は深い魂の交感ができたような気がした。都会と田舎を結びつけるだけでなく、人と人が生の出会いを体験するグリーンツーリズムには国境をも越える力があるのではないかと思わされた。
ところで踊りの輪の中に誘われたときに、沖縄で同じ体験をしたことがふいに蘇った。三線の早弾きに乗せ、おばあやネーネーと一緒にカチャーシーを踊ったときのことだ。アジアはつながっていて、沖縄は歴史的にも地理的にも文化的にも、その要となる地なのだと感じずにはいられなかった。韓国の新たな友と踊りながら、私は沖縄の懐かしい友の顔を思い出していた。
琉球新報「南風」2006年10月17日掲載

親環境農業に思う-琉球新報「南風」

先週、韓国を訪ねた。目的地のひとつに、ソウル郊外の八堂(パルタン)地域があった。八堂地域は、ソウル市民の飲み水となる漢江(ハンガン)の上流にあたり、この地域では、ハンガンの水質をまもるために、環境を守るための親環境農業が行われている。「親」とは環境農業の親しむという意味である。
この地域で親環境農業がスタートしたのは1994年。水質保全のための、農薬や化学肥料の使用抑制、糞尿の排出禁止などの規制強化が行われ、12軒の農家で取り組み始めた。今では生産者会員が約90軒までに増え、それをソウル市の消費者がしっかりと支えている。
この地域の有機農産物はソウル市内のデパートやスーパーなどで積極的に販売。安全な農産物を食べるためには、農村の環境を守ることが不可欠だと販売を通して消費者に伝え、消費者も環境農産物だからと選択するまでなってきたという。
14~15年前まで、まったく認知されていなかった環境農業が韓国で急速に人々に浸透した現実を肌で感じ、正直、胸が熱くなった。この他にも韓国では、有機農産物をはじめとする親環境農業による農産物の生産、そして有機農産物の消費拡大のための活動などが実に積極的に行われている。一方、2001年4月から有機認証制度が始まったにもかかわらず、マーケットの広がりが思ったほど進んでいない日本の現実がある。
もちろん韓国では、国家主導の下、生産者へのバックアップが充実しているなど、条件の違いもある。それにしても、いずれ世界的な市場開放から免れないだろうとして、環境農業を生き残りのひとつの方向としていく見識には深い共感を覚えた。
沖縄はさんご礁の保全など、積極的に行っていることで知られる。その環境に対する温かなまなざしを、大地や水にまで今後、広げていってはどうだろう。豊かな大地が豊かな水を育み、その水が豊穣な海を育てるのだから。環境は循環しているのである。
琉球新報「南風」2006年10月3日掲載