沖縄への旅

私が初めて沖縄を旅したとき、まだパスポートが必要でした。
民芸に目覚め、そのふるさとともいえる沖縄へ行き、先人(柳宗悦や濱田庄司)の足跡を追ってみたかったのが、私にとっての初めての沖縄でした。
戦争で大きな痛手を受けながらも、多くの生活道具が残されていました。
もちろん生活文化のすべてが。
沖縄を旅して出会った道具は「用の美」そのもの。
ガラス器、焼き物、漆器、紅型、舞踊、琉球の歌の数々、屋根の上に置かれたシーサー。沖縄が激しい戦火に見舞われながらも、決して失われなかった美の継承をみるにつけ、「文化は決して占領されない・・・」と思いました。
今回は沖縄観光コンベンションビューローの企画。
『春のおきなわ 親子まご旅 』 の視察でした。
沖縄は どこよりも早く桜の季節が到来、ヒガン桜が本島北部から咲き始めます。そして、海開きと小さなお子さんを連れての旅にはふさわしい季節です。
私も子供が小さな時に4人を連れてゆきました。どうしても好きな場所に何十回も通ってしまうので、今回あらためて沖縄の魅力の再発見でした。
「わ~、孫を連れてきたいわ」と思わず叫んでしまいました。


最初に向かったのが本島北部の本部町(もとぶちょう)にある「海洋博公園」。
1975年(昭和50年)に「沖縄国際海洋博覧会」が開催され、海の万博ということで覚えていらっしゃいますか?その跡地に作られた公園です。広大な公園の中を電気遊覧車が走ります。
「沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館」ではジンベイ鮫やマンタが泳ぐ巨大な水槽。浅瀬に棲むナマコやヒトデなどには子供たちが直接触れて楽しめます。そして普段見ることのない深海魚もみれ、もう大人が夢中になってしまいます。


そして、それは美しい熱帯ドリームセンターの3つの温室には常時2000株以上の熱帯・亜熱帯の花々が咲きほこっています。ランの種類の多いこと。湿生植物、水生植物・・・今度は一日かけてゆっくり見たいです。
沖縄では、ご家族3世代に優しいホテルが充実しているのには正直驚きました。私もそうでしたが、子供が小さい時は食事や細かいことに気を使います。それをじゅうぶん楽しませてくれるプログラムは有難いですね。


そして、読谷村では陶器市が開かれていました。「読谷山窯」の赤瓦と青い空のコントラストが美しいこと。緑豊かな自然の中で出会う登り窯。日常に使える器が素敵です。
読谷村には20年以上通ったでしょうか。
今は亡き人間国宝・花織の与那嶺 貞(よなみねさだ)さんを訪ねて。


古民家を移築した百年古家 大家・うふやーでは沖縄そば、ソーキソバ。
子供たちが楽しめる工芸体験など・・・
春の沖縄・親子孫旅で、新たな発見、体験、学びができますね。
日常から少し離れ、家族の絆・思い出をつくれることができる・・・と実感致しました。
すぐには無理ですが、私も孫が二人います。
再来年の春には計画をたてたいと思いました。


沖縄には、本州にいては分からない、もうひとつの歴史があります。
一度や二度では分からない深い歴史ではありますが、やはり足を運んで、肌で感じて、沖縄が背負わされた歴史もまた、次世代の子供たちに知って欲しいと思うのです。
今年最後の旅が「沖縄」で締めくくれました。
心惹かれるものがたくさんあって、毎年何回も沖縄を旅します。
今年最後のブログです。
どうぞ皆さま、来年2014年も佳い年でありますように。

京都・「ギャルリー田澤のクリスマス」

『ギャルリー田澤』は私にとってずっとずっと憧れの場所でした。
お店の前を行ったり来たり・・・
京都は私を骨董の世界へと導いてくれた場所。
10代のころ京都に降りたったとき、思わず立ち尽くしたのを私は覚えています。そこには日本の美しく繊細な街並みが広がっていました。
木造の町屋がずらりと並び表通りには、昔ながらの看板やたたずまいを残したお店がつづいていました。
鴨川の流れが日差しに反射してキラキラと光っていました。
橋を渡り二条通りを歩いていたら「ギャルリー田澤」に出逢いました。
店の入り口のしつらえ、そのセンスの良さに目を奪われました。
それから数年はお店の前をやはり行ったり来たり。
ある夏の日、美しく打ち水がされた店内へと足がひとりでに向くのです。
にこやか迎えてくださる田澤ご夫妻。
そこには『和魂洋彩』を唱えるご夫妻の美の世界が広がっていました。


ガラス・ランプ・古伊万里やラリック・バカラのお皿やグラス・・・
卓上ランプに灯りがともり「なんて美しいの・・・」とつぶやいていました。
赤褐色のバカラのランプの肌にひじょうに細かく描かれた文様を見ているだけで、心が静かになごんできます。
和室には絨毯が敷かれ洋風のしつらえ。
お茶をなさっているからこその美意識。
世界で一番美しいギャルリーだと思います。
「西洋では、アール・ヌーヴォーあるいはアール・デコと決めたら、食器から家具まで全部を統一します。洋食のテーブルセッティングだって全部同じスタイルでフルコースをそろえますが、日本にはそういうのを嫌って、ちがうものを組み合わて、そこに調和のあるテーマを見出すという感覚を大事する傾向があります。これは日本独特の文化です」と、今は亡き田澤長生さんは語られました。
クリスマスの季節が来るのが毎年楽しみです。
美しく飾られた花々・・・昼間と夜とでは表情が変わるセッティング。
胸がぽっーとあたたかくなった気がする午後から夕暮れの時間でした。

自由が丘の贈り物

皆さまは”私の好きな街”ってきっとありますでしょ。
私も全国各地を旅していて”好きだな~この街”という町が何箇所もあります。
好きになる条件はだいたい駅前で分かります。
駅がない街でも名残があったり・・・人が集う場所であったり、つまり、無個性ではないのです。最近は郊外などの町は均一化され、一瞬、ここは何処?と思う町も少なくないのです。
「自由が丘の贈り物」
を出版したミシマ社はけっして大きな出版社ではありませんが、良書を出すことで注目されています。
今回ラジオのゲストにミシマ社の編集者をお招きいたしました。
長谷萌(めい)さんです。1983年、東京のお生まれ。
ミシマ社では、店頭で通りすがりのお客さんにどんな本なのかを手書きのパネルなどで説明する「仕掛け屋」に所属しながら、年に一冊のペースで編集を担当。
これまで編集した本は『自由が丘3丁目 白山米店のやさしいごはん
お米屋さんのお母さんが毎週水曜日だけ店の隣でお弁当を販売し、大好評。愛情たっぷりの家庭料理がお嬢さんの手書きでレシピと写真が載っていて、私もとても参考になります。
THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』 などがあります。
この度、『自由が丘の贈り物 私のお店、私の街』を編集されました。
渋谷駅から東横線に乗って15分ほどの自由が丘。
皆さんは「自由が丘」というとどんなイメージをお持ちになりますか?
オシャレな街、スイーツの街、美容院が多い・・・。
そういったイメージを持つ方が多いかもしれません。
事実私が10代の頃、東宝撮影所の帰りやお休みの日などは「モンブラン」でケーキをいただくのがとても贅沢で、店内の東郷青児さんの絵を見ながらの時間は10代の私を魔法の国に連れて行ってくれました。
帰りは本屋さんに寄って・・・。
昔からこの街に住んでいたり、お店をだしている人の声は少し違うようです。
歴史のあるお店もたくさんあり、かつては農村地区で、「自由が丘」と呼ばれるようになったのは、昭和2年だそうです。昔は赤ちょうちんの街だったとか。
自由が丘学園が誕生してから、文化人たちが集まり、自由が丘文化村が始まります。戦時中も、街の人は「自由が丘」という名前を守り抜きます。
街の人々が代々自分たちの暮らす街を愛し、誇りに思い、信条を守り抜く姿勢がこの本を読むとよく分かります。
駅前のロータリー周辺からマップが載っていますし、飲食店、雑貨屋さん、そして興味深いお米屋さんなど満載です。
帯に「この空気、なんだか気持ちいい」 と書かれています。
私は6・7年前にある居酒屋さんに行ったのですが、5時ですでに満席状態。
なんか、いいな~・・・ こういう街って。
近いうちにこの本片手にまた自由が丘に行きたくなりました。
文化放送日曜日 10時半~11時 (1月19日放送)
ぜひお聴きください。

北海道・置戸(おけと)町への旅

羽田から女満別空港に向かいます。
上空から見る釧路湿原、阿寒湖。
神秘的です。穏やかな午後の陽射しをあびまもなく迎える凍てつく冬を感じさせてくれます。こうゆう瞬間を天からの贈り物・・・と感動を戴きます。


今回はオケクラフト30周年記念「暮らしと文化を楽しむサロン」に招かれました。


農林業の振るわない過疎化の著しい町村に、住民自らが「心豊かな暮らし」をめざし、町おこしとして、置戸の町にクラフトを・・・と内外の100人以上の人々が学んできました。工業デザイナーの故秋岡芳夫の町づくりの提案がオケクラフトの誕生へと繋がっていきました。


とにかく”美しい町”なのです。
面積の87%が森林に囲まれた自然豊かな町です。
清らかな流れの川。
建物、一つ一つは個性的ですが、町全体に気品を感じます。
人口3300人という規模がちょうどいいのでしょうか、看板も木彫りでセンスよく掃除の行き届いた町。
住民が自分たちの暮らす町を愛しているのがよく分かります。
・・・風。ではなく「どま工房」にはどこか人の匂いと温かさが感じます。
オケクラフト共同工房では研究生が自立するまでサポートをしています。
工芸館で拝見した素晴らしい作品のかずかず。


1983年には「町民憲法推進大会」が開かれ秋岡さんが「木と暮らしのデザイン」をテーマに講演され、それ以来町づくりに貢献なさってきました。


工芸的な視点での町づくり・・・簡単なようで実はとても難しいことを全国をまわってきた私にはよくわかるのです。
得てして同じような駅、道路沿いの看板、田んぼの真ん中に大きな看板。
工場が丸見え。そのことを考えると、この置戸の町の何と美しいことか。
そして、美味しいのです。
NHK「プロフェショナル仕事の流儀」で話題になった”日本一”置戸の給食。40年味覚を育てるプロの技・佐々木十美さんを中心に素敵な器に数々の料理が盛られ、住民の方々とご一緒に昼食をいただきました。
「食器と食のつながり」美しい料理の数々。地産地消、地元で採れた馬鈴薯やタマネギ、ヤーコンなど秋の味覚。
どれひとつとっても、大人たちが「未来をになう子供たち」へ。という思いが伝わってきます。
豊かな自然があり、豊かな自然から生まれる暮らしがあり、季節ごとの祭りや行事を大切にし、そこに暮らす人の笑顔があり、大きく深呼吸したくなる町。私にとっては「手仕事」のある町に出逢う幸せ。


素敵な一日を過ごさせていただきました。
置戸の皆さま、ありがとうございました。
また春になったら伺いたいです。
買わせていただいたクラフトもさっそく使わせていただいておりますよ!