紙つなげ

パリ行きの飛行機に乗り込む時、一冊の本をバックに入れ機上の人となりました。
『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている。再生・日本製紙石巻工場』です。
パリまで13時間のフライト、一気に読みました。正直に申し上げて困りました。何度も何度も涙がこみ上げてきてハンカチで目を押さえました。機内は暗くライトをつけて読んでおりましたから・・・なんとかなりましたが。感動・・・そんな簡単な感情ではありません。
考えてみるといつも読んでいる本、書店にはたくさんの本が並び、それが当たり前のように思い、眺め手に取る。「この本の紙がどこからきたのか」・・・考えたこともありませんでした。『この工場が死んだら、日本の出版は終わる・・・』と表紙に書かれています。絶望的状況から、奇跡の復興を果たした職人たちの知られざる闘い。とも書かれています。
著者はノンフィクションライター・佐々涼子さんです。
佐々さんは、1968年生まれ。
早稲田大学法学部を卒業後、日本語教師を経て作家に転身。
2012年、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」で第10回開高建ノンフィクション賞を受賞。この本も知らない世界を丹念な取材で世に送り出してくれました。今回の本は東日本大震災で甚大な被害を受けた日本製紙石巻工場の復興を追ったものです。震災当日、日本石巻工場で何が起き、その後工場がどう復興したのかは私をふくめ知る人は少ないと思います。佐々さんご自身もそうだったそうです。出版界と製紙業界を襲った未曾有の大惨事。そこから立ち上がり、工場のため、そして出版社と読者のために力を尽くした人々を佐々さんは丹念に密着取材しました。
プロローグに「2013年4月12日。各地の書店の前に長い行列ができた。この日発売される村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をいち早く手にいれようとする熱心なファンの列である。発売日に花を添えるように、三省堂書店神保町本店の売り場には「多崎つくる」タワーが出現して、人々の注目を集めた。報道によると、これは前夜のうちに入荷した1000冊のうち200冊を積み上げて造ったもので、高さ140センチあるという。」と書かれています。書店の人の思いと使命と愛情を感じます。
壊滅的な被害に遭いながらも奇跡的な復興をとげ、「けっして美談にしないで」と言う彼ら。生半可な復興ではなかったでしょう。犠牲になられた方々も多くいらっしゃる。『今日も、がんばっぺ、がんばっぺ』っと言いながらの復旧作業。私が手にしているこの本も彼らが復興し造ってくれた紙。1ページ1ページめくると何とも優しい手ざわりがします。ノンフィクションですから本の内容は読んでいただくしか伝わりません。私は心から佐々涼子さんに「ありがとうございました。」と申し上げたいです。機内で流れた涙は「生きる力・・・東北の人が持つ特有のもの・・・」表現のしようのない涙でした。
本の中で書かれています。
作家森村誠一は震災後一年を詠んだ
       立ち腐るままに終わらず震災忌
本の帯には
「いつも部下たちにはこう言ってきかせるんです『お前ら、書店さんにワンコインを握りしめてコロコロコミックを買いにくるお子さんのことを思い浮かべて作れ』と。小さくて柔らかい手でページをめくっても、手が切れたりしないでしょ?あれはすごい技術なんですよ。一枚の紙を厚くすると、こしが強くなって指を切っちゃう。そこで、パルプの繊維結合を弱めながら、それでもふわっと厚手の紙になるように開発してあるんです」 本文より。
職人魂をみることができます。
直接お話を伺いたくてラジオのゲストに佐々涼子さんをお招きしました。
ぜひお聴きください。
そして、本を手にとってください。
 「文化放送 浜美枝のいつかあなたと」日曜日10時半~11時
放送は8月10日です。


普段着のパリ

パリから戻りました。
昨年は9月に遅い夏休みをアパートを借りパリで過ごし、とても快適だったので、今年は少し早い夏休みを昨年同様アパートを借り9日間過ごしました。着いたらすぐに荷物を置き近所のスーパーで、水・ミルク・くだもの、パン屋さんでクロワッサンとパン・オ・レザンを買います。これは大好きなパンです。今回見つけたコーヒー豆屋さんで1週間分の豆を挽いてもらい、日本から持参したテーブルクロスをテーブルにかけてできあがり。そうそう、お花屋さんで一輪のバラを買えば幸せな気分になれます。


翌日からはまず美術館めぐり。パリにいると一日、5~6時間はあるきます。20世紀初頭の印象派の殿堂「オルセー美術館」はかつての駅舎を再利用した美術館。ポール・セザンヌの「りんごとオレンジ」、ミレーの「落穂拾い」、ゴッホが療養のために過ごした村の教会を描いた「オーヴェルの教会」などなど。見逃せないのがアール・ヌーボーの家具。時間が経つのも忘れ4時間たっぷり見てからセーヌ川に沿ってシテ島へ。


ゴシック建築の傑作「ノートルダム寺院」は観光客でいっぱいなのでパスし、裏側から見る寺院の美しさにいつも感動します。そして、サンルイ島に渡りウィンドーショッピング。お昼はオニオングラタンスープが美味しかったです。


私はパリでは友人と会っての会食はお昼。早寝早起きで快適です。最後の日の夕食をのぞいて、もったいないかもしれませんが夕食は抜き。軽く部屋でチーズと赤ワインを一杯でじゅうぶん。
翌日はオランジェリー美術館へ。オープン30分前に並び一番で入るようにします。静謐な空気の中で絵と向き合うと心が豊かになります。今回もモネの「睡蓮」の前でイスに座り「水平線も岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を表現したといわれる絵の前で、かつて戦争に傷ついた人々に自然の前で瞑想へと誘う安らぎの場を提供したモネ。淀んだ水に花咲く睡蓮の佇む風景には心が穏やかになり、私も疲れが肩からスーと抜けていきます。幸せ・・・。


帰りの骨董屋さんや、ギャラリーのお店が並ぶサンジェルマンデュプレまでの散歩も落ちつきます。


日曜日はオーガニック専門のビオマルシェへ。石鹸、ナッツなどをお土産に買いました。


パリに来たら1度は行くレトロな雰囲気漂うアーケード街、パサージュ。ガラス張りのドーム天井や足元のタイルのモザイクが美しいのです。今回は1826年にオープンしたギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。


そして7月14日の革命記念日にパリにいたので、凱旋門からコンコルド広場までのパレードを見るために、アパートから1時間近く歩き(周辺は地下鉄もストップ)シャンゼリゼ通り沿いの柵の近くでパレードが見れました。パリ人、地方からパレードを見に来た人、私のような観光客、人で溢れています。騎馬隊の美しい行進が大統領を乗せた車を護衛します。上空には戦闘機がフランスの国旗、三色の色を轟音とともに駆け抜けていきます。今年は第一次世界大戦から100年目の大きな節目の年。テーマは「戦争と平和」でした。各国からパレードに参列していましたが、日本も自衛隊が3名参加したことに私は少なからずショックを覚えました。初めての参加とのこと・・・。


夜は暗くなる11時からエッフェル塔を中心に花火大会。私もエッフェル塔が良く見える友人の家に招かれ花火を見学しました。テーマはやはり「戦争と平和」でした。夜空に月も美しく輝いていました。打ち上げられる花火を見ながら、”どうぞ、紛争のない平和な世界になりますように”と祈りました。


この季節はセールの時期でもあります。私はとても気にいった手袋を買いました。秋が来るのが楽しみです。今回の旅も移動はほとんどバスでした。外の風景を眺めながら楽しめました。疲れたらひとやすみ。カフェーでコーヒーを飲みながら街行く人を眺めながら時間が止まったような不思議な気分にしてくれるパリ。時に中世の路地の残る街に迷いこむと「ここがパリ?」という信じられない静けさに出逢います。


今回の旅は、平和について考える旅でもありました。日常生活に埋没しているとついつい忘れがちのこと・・・。
そして、長年の友情にも感謝した旅でした。

英国ポタリーへようこそ

今回も素敵な一冊に出会えました。
「英国ポタリーへようこそ」。
世田谷区深沢にある、現代イギリス陶芸専門店「ギャラリー・セントアイヴィス」店主、井坂浩一郎さんが「英国ポタリーへようこそ カントリー・スタイルの器と暮らし」を上梓なさいました。
井坂さんはかつてはロンドンのアメリカ系金融会社で働いておられました。
ロンドンで暮らしていた1998年初め、休暇を利用してはイングランド南西部へ車で出かけたとのこと。90年代後半は日本の銀行や証券会社が倒産し、日本企業担当だった井坂さんは突然解雇。金融業界にもどるよりも、イギリス陶芸の魅力をそれまで感じていたので、迷わずこの道におはいりになりました。
イギリスには2000以上のポタリー(陶芸工房)があり、ヨーロッパ随一の陶芸大国だそうです。この本は”窯元めぐりの旅”です。イングランド南西部やウェールズなどの息をのむような美しい田園風景の中で暮らす20人の陶芸家を訪ね、伝統的なスリップウェアをはじめ、日本人が馴染みやすい温かみのある陶器の数々が紹介されています。
不思議ですね、日本民藝館で開催されている「濱田庄司生誕120年展」をご紹介いたしましたよね。今から約100年前、英国の陶芸家、バーナード・リーチは東京で民藝運動の中心となった柳宗悦や河合寛次郎らと知り合い、そこで濱田庄司とも出会い、その濱田と一緒に帰国し、イングランド南西部の港町、セントアイヴィスに登り窯を築いたことなどお話ししましたね。その『リーチ工房』は今でも見学可能です。彼らからの影響を受けた陶芸家が数多く誕生し、現在にいたっています。
「日本の美の哲学」は、海を越えて英国にわたり、そして日本との交流によって進化し続けているのですね。使ってこその器、日常の暮らしを豊かにしてくれる器。美しい田園風景の広がる景色の中に工房があります。イギリスを旅して感じることはその農村風景の美しいことです。
このご本では陶芸家の手作りの暮らしを美しいカラー写真でみることができます。やはりお話が聞きたく、ラジオにお招きいたしました。井坂さんはおっしゃります。
「私が英国ポタリーのとりこになった理由は作品の魅力・陶芸家の人柄・多くの陶芸家が風光明媚な田園風景の中に住んでいること・・・など等、そしてもっとも魅力を感じるのは「無理のない暮らし」「ゆったり自分のペースで暮らしていること」「古いものを大切にする暮らし」です。」
そうですね、現代の日本での暮らしは少し忙しすぎますし、自分の物差しでは暮らし辛いこともありますね。ぜひご本を手にとりイギリスの田園を旅してください。そしてラジオをお聴きください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」8月3日(日)10時半~11時です。
それにしても、いつか窯元(ポタリー)めぐりの旅にでたいです。


「花咲く ラリックと金唐紙」

箱根ラリック美術館 特別企画展で素敵なルネ・ラリックの作品と金唐紙作品のマリアージュ。
ご案内には「花咲き、鳥たちが歌う。「花鳥風月」の世界あふれるルネ・ラリックの作品。それは自然をこよなく愛する彼がたどり着いた美の境地でした。明治時代、西洋に日本からもたらされた日本工芸の粋、金唐紙。自然の草花から生まれたきらびやかに浮きたつ文様は、まるでラリックに直接影響を与えたかのようです。洋と和の名品が織りなすハーモニーをお楽しみいただけます。」
金唐紙については漠然とは知っていました。江戸末期から明治にかけて日本で発展した工芸和紙。旧岩崎邸や旧前田公爵邸などに使われていて海外に輸出品としてイギリスなど海外でも高く評価されていた和紙。日本国内でも鹿鳴館や国会議事堂といった建築物の壁紙としても使用されていましたが、アール・ヌーボーの衰退、ライフスタイルの変化、その後はあまり見かけることはなくなりました。
もともとはヨーロッパの金唐皮(ギルトレザー)をルーツとしてその皮の質感を手漉きの和紙で表現された高級和紙。1873年にウイーン万博で話題を集めたとの事。その後その金唐紙がどのような道をたどったのでしょうか。
今回の展覧会で謎がとけました。二十世紀半ばに生産が途切れた金唐紙を見事に復元したのが今年80歳になられる上田尚さんです。30年の歳月をかけ復元に取り込まれてきました。明治、大正期の金唐紙は上田氏によって新たな命を吹き込まれました。


強羅から施設巡りバスに乗り、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けるとポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森ミュージアムを経てラリック美術館に着きます。我が家からバスを乗り継いで約1時間。「花咲く ラリックと金唐紙」展に行ってまいりました。梅雨の日の合間の晴れた日、木漏れ日が心地よく「幸せだわ~」とつぶやいていました。室内に入ると「花鳥風月」の世界。ルネ・ラリックの花器「きんぽうげ」と金唐紙「鳥とアイリス」。春夏秋冬の上田氏の作品の前にラリックの花器。西洋と日本、和と洋がこんなに似合うなんて・・・明治時代にタイムスリップしたかのようです。

ラリック美術館の企画展にはいつも魅了させられます。ゆっくり時間をかけ拝見できました。そして・・・その後のお楽しみ。年に数回ではありますが、美術館に併設されてある”カフェ・レストラン LYS”でのひととき。遅いランチをいただきます。ひとり庭を眺めながらのシャンパン。至福のひとときです。「明日からの仕事頑張ろう~」などとかってにつぶやき、冷製トウモロコシのポタージュ、和牛フィレ肉グリエ香草マデラソース、そして・・・普段めったに頂かないデザートはタルトフロマージュ”ル・リアン”美味しいのです、とてもとても。チーズケーキでこんな美味しいの始めてです。山本シェフ、ご馳走さまでした。ティータイムも素敵そうですね。


美しい作品に出逢い、美味しい食事ができて・・・本当に幸せです。70代に入ってからはこのような時間を大切にしたいと心から思うようになりました。「本物と出会う」ことの大切さをしみじみ実感できた”小さな旅”でした。
皆さまも箱根ラリック美術館にお越しになりませんか。
期間 2014年6月14日(土)~12月7日(日)
夏の箱根、紅葉の箱根、初冬の箱根、どの季節でも素敵です。
http://www.lalique-museum.com/