東京の夜のよりみち案内

『夜の寄り道』という響き、いいですね!
仕事、子育て、介護など、毎日頑張っている自分にたまにはご褒美をあげたいと思いませんか?
アート鑑賞、落語、お酒、カフェ、陶芸、パン教室、そして銭湯など、それらは明日への活力になったり、ひと息つける東京のとっておきの場所を教えてくださる本に出会いました。私も最近は自分の時間が充分にとれるようになりましたが、子育て真っ只中の時は、もう逃げ出したくなり、一杯のカクテルだったり、美術館だったり・・・映画だったり、落語と”自分へのご褒美”でなんとかしのいできた時もありました。
今ほど案内書も豊富ではありませんでした。この度フォトグラファーの大阪ご出身の福井麻衣子さんが、ご自分の好きな行き着けの場所や、新たに探訪したりして素敵な”よりみち”スポットをご紹介してくださいます。
仕事の帰り道、ちょっと足を止めて静かにゆったり過ごしてみませんか。読書やアート鑑賞、手作り体験、ごほうびスイーツやヘルシーなご飯、かわいいお花や服、雑貨、星空観察やナイトカヌーまで!と帯に書かれております。ページをめくると、そう私の秘密基地もありました。(私の場合たいていお酒!かアートですが)
福井さんは、1983年、大阪生まれ。現在は東京を拠点に「日々の小さな感動を糧に」きらりと光る瞬間やその時の空気や感情が伝わる写真を目指しておられるそうです。
現在、雑誌や広告の撮影を中心に、執筆、展示、ワークシュップなど様々な分野で活動されています。ラジオのゲストにお迎えし、じっくりお話を伺いました。
東京の真ん中で寝転んで満天の星空を、通常の椅子席ではなく「芝シート」「雲シート」での鑑賞だったり、遅くまで(22時)開いている手塚治虫や藤子不二雄らが過ごしたアパート「トキワ荘」のあった場所にできた図書館や、毎年8月は開園時間を3時間も延長している上野動物園。涼しくなる夕方から夜にかけて散策するのもいいですね。動物たちの夜の行動もみられますよね。
そして、女性でも安心してロマン・ポルノ鑑賞可の名画座。最終回上映は19・20時台は200円割引もうれしい!ですよね。
東京都内のエリアを網羅しています。
本をお手にとってみて下さい。そしてラジオをお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
放送日8月13日


映画 「甘き人生」


(画像出典:映画公式サイト
久しぶりに本格的なイタリア映画の傑作を観ました。
監督は今年78歳になるマルコ・ペロッキオ。舞台はトリノ。1969年、裕福な家庭に育った9歳のマッシモは母親の愛情をたっぷり受けて育ちました。ところが、その母親が急死してしまいます。原題は「Fai bei sogni(よい夢を)」
実話にもとづいた近年イタリアでもっとも売れた小説の映画化です。神父が母親は天国にいると伝えても、少年にはその喪失感を受け止めることができません。
時が経ち90年代、ローマ。大人になった少年マッシモは、新聞記者となり、スポーツ記者を経て、サラエボの内戦を取材しますが、帰国後、パニック障害に襲われます。病院に慌てて電話し、それから病院で、精神科医のエリーザと運命的な出会いをします。
それまで人を愛することができなかったマッシモが、この出会いによって次第に心を解き始めます。父親の死、幼い頃の思い出がある家を売ろうとし、過去のトラウマとまた向き合うことになるのです。そして家の荷物を整理していてあるものを発見するのです・・・。
母の謎の死をめぐるミステリー、パニック障害、戦争のトラウマ、過去と現在、60年代から90年代のイタリア。社会の変貌を監督はその背景を見事に演出し、素晴らしい作品です。
それにしても、よく言われるイタリアの男性は大人も子供も「マンモーネ」つまり「お母さん子」。母親と息子の関係性はイタリアの文化であり、この映画の深層心理を知るうえで大変興味深いテーマでもあります。
主演のヴァレリオ・マスタンドレリア(マッシモ)
精神科医のベレニス・ベジョ(エリーザ)
母親のエマニュエル・ドゥヴォス
それぞれが見事な演技です。3人ともこれまで様々な賞を受賞しています。そして、私の関心は映像美です。室内のインテリア、窓外の雪、寺院の陰、川の流れ、それらすべてが物語には必然の見事なシーン。
私がマルコ・ベロッキオ監督の作品を始めて観たのは70年代末の『夜よ、こんにちは』だったと記憶しております。それは赤い旅団のテロと当時の首相モーロ誘拐事件を描いた作品でした。
偶然、モーロ誘拐事件が起きた日、私は一人旅でミラノのドーモ広場の近くに泊まっていました。街中が大騒ぎになり、何が起きたのか、イタリア語の分からない私は英語の通じるホテルに飛び込み事情がわかりました。『荷物をまとめて早く国境を出なさい!』とホテルマンに言われ大急ぎで駅に向かい、夜行列車でスイス経由パリへと脱出したのです。
正面から政治、社会問題を採り上げたこの作品は忘れられません。その監督が78歳にして今回このような映画を撮られるなんて・・・素敵すぎます。
映画の中でも忘れられない言葉・・・セリフ。
母を亡くし心にぽっかり穴のあいた少年に向かって神父がさとします。
『もし(だったら)ではなく、「にもかかわらず」で』と。
監督はイタリア北部の町で生まれ、ミラノの大学では哲学を学んでいて、途中で映画に転向したそうです。
素晴らしい映画を観せていただきました。
有楽町スバル座、渋谷ユーロースペースほかで。
スバル座は8月4日まで。(予定)
映画公式サイト
http://www.amakijinsei.ayapro.ne.jp/

世界報道写真展


恵比寿にある 東京都写真美術館で開催されている「世界報道写真展」を見てまいりました。
オランダで毎年開かれるコンテスト。今回は世界各地の125の国と地域から約5千人のプロカメラマンが参加したそうです。大賞には、昨年12月、トルコ・アンカラの美術館でスピーチ中の駐トルコ・ロシア大使が暗殺される前後を写した写真が大賞を受賞しました。
テレビや新聞でこの報道は見ましたが、実際のオリジナルプリントの前に立つと、やはり臨場感が胸に刺さります。足元に撃たれて横たわる大使。壁の近くに大使がかけていたのでしょうか、眼がねが落ちています。組写真ですからなおさらその光景が「報道写真」として鮮烈に見えます。入り口を入ってすぐ右側にあります。
足を進めると「人々の部」ではイスラム国(IS)の恐怖と食糧難によってやむなく故郷を去ることになった5歳の少女。大きく見開いた瞳。「私には夢がない。もう何も怖いものはない。」と、静かに言う。このコメントを読み写真を見ていると涙が零れてきました。私には夢がない・・・なんと残酷なことでしょうか。写真のもつ力・・・カメラマンの目。
「自然の部」ではスペイン・大西洋北東、カナリア諸島沿岸で捨てられた漁網にからまったアカウミガメ。深いブルーの海とカメ。自然が人間の手によって傷つけられています。
私たちが普段目にすることのない写真の数々。ニュース性のあるものだけではなく、じっくり時間をかけての取材写真も見られます。崩れおちている建物、傷ついた人々。平和に暮している私たちの日常とは遠い光景ですが、これが「今」世界に起きている現実であることに衝撃をうけます。
会場には若い人たち。また外国人も多く、静かに目をこらして写真に見入っていました。
物音ひとつなく、世界の現実にふれる・・・毎回見にくる写真展ですが、「世界の現実」に接することのできる貴重な展覧会です。

追憶の旅 倉敷

十代の頃から旅を続け、訪ね歩いた町々はいったいいくつぐらいになるでしょう。一人旅で、帰りの汽車賃を心配しての旅もありました。おなかに子どもを宿しての旅。再び子を妊って、一人は手を引いての旅もありました。リュックを背負い二人になった子を連れての旅。やがて三人、四人めの子たちを引き連れての夜行列車やマイクロバスでの旅。なぜ、大変な思いをして旅に出るの?と。私自身、なぜと問われて明確に自分の気持ちを言い表せないのですが、言ってしまえばキザですが、どんな旅の空にも素晴らしい出逢いがあるから・・・なのです。
倉敷の町へ最初に訪れたのは十代の終わりの頃だったでしょうか。
倉敷・・・そこが大層美しい町であるという人伝えの話だけが私のガイドブックだったのです。急行も止まらない小さな町だった倉敷になぜ大原美術館があるのだろう。なぜこの町にたくさんの倉屋敷が建ち並ぶのだろう。この町のある秩序、この町で出逢った一枚の絵は二十代に入ろうとしていた私を今日まで生かしてくれた力だったと思います。そして、恐らくこれからも私の中の”美しさとは何か”を決定しつづけるでしょう。
倉敷をお訪ねする回数が増えるにつれ、私は気になりはじめたことがありました。倉敷の町の掘割の、ちょうど町の扇の要のような位置に素晴らしい趣のある旅館が建っていることに気がついたのです。
その名は「旅館くらしき」意を決して泊めていただいたのは、泊まってみたいと思ってから、十五年も後といえば、あきれられますよね。でも、待ったかいがありました。日本の美を体現しているような静謐な美しさをたたえている旅館でした。私が通されたのは、すがすがしく清められた和の空間でした。太い梁と壁に囲まれた部屋には、障子越しの光りがやわらかく差しこみ、床の間には力強くたおやかな花が生けてありました。


この旅館を取り仕切っていらしたのは、畠山繁子さん。五年前に旅立たれました。繁子さんのことを、いまは亡き司馬遼太郎さんは「旅館くらしきの女将は行を耐えるように倉敷を守っている」とお書きになっています。きれいに櫛のはいった白髪をひとつにまとめられ、白の半襟は、まぶしいほどの白さでした。倉敷の由緒ある仕出し料理の店の娘として育ちご結婚されて間もなく「砂糖蔵を守るためにも”旅館くらしき”をはじめてくれないか」と大原美術館当主の大原総一郎氏にたのまれます。
“繁子さんにお逢いしたい”・・・。そんな思いで旅に出ました。 玄関に佇むとそのお姿が現れます。あなたのいらっしゃらない宿には泊まることはできませんでした。お隣りのカフェであの時と同じようにコーヒーをご一緒にのみながら、たくさんの貴重なお話をうかがったことなどを思い出しておりました。遠い未来を視野に入れ、ものを見つめ、考え、育ててきた繁子さんの心のありようを、すこしでも頂戴したいと思っています。
この頃、このように「追憶の旅」がしたくなります。
放っておけば、美しいものもやがて死に絶えてしまいます。つねにその時代時代の人たちが、風を通し、磨きつづけないと、美は存続し得ないものだと私は思います。
大原美術館では、時を忘れたようにエルグレコの「受胎告知」のほか数々の作品に見入りました。そして隣接している工芸館では民藝の世界に浸れました。


柳の新芽が掘割に美しく映え、川をめぐる白壁の家や倉に初夏の陽が照りかえし、倉敷は変わらない美しさをたたえていました。


倉敷から出雲に行き、出雲大社に参拝し「追憶の旅」はおわりました。