伊藤若沖

江戸中期に京都で活躍した絵師『若沖』
没後200年だった2000年(平成12年)、京都博物館で開催された大回顧展で観て以来、夢中になったのですが、いまひとつ謎の部分が多くよく人物像がわかりませんでした。
この度、作家の澤田瞳子さんが『若冲』(文藝春秋)をお書きになりました。
夢中で読みました。もちろん小説ですからフィクションですが、その大胆な発想は「若沖」の人物像が変化した」ことが執筆の動機になったそうです。
澤田さんに是非ともお会いしたくラジオのゲストにお招きいたしました。
澤田さんは、1977年、京都生まれ、現在も京都にお住まいです。
同志社大学文学部・文化史学専攻卒業。
時代小説 アンソロジー(作品集)の編集などに携わったのち、2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。翌年、第17回中山義秀文学賞を最年少で受賞しました。
2012年、『満つる月の如し、仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。翌年、新田次郎文学賞を受賞。その他『泣くな道真』など、精力的に時代小説を発表しています。
日本美術の人気背景に、女性作家の江戸時代に活躍した絵師を題材にした作品が次々に発表されています。男性作家の描き方とは違うスケール、社会や歴史にも切り込んだ、そして直木賞候補にもなった澤田さんの『若冲』のように絵のもつ奇抜で強烈な印象をさらに”人間若沖”が読み取れ興味深く読みました。
澤田さんは京都暮らしなので子どものころから若沖の絵に親しんでいたそうです。歌手なら、路上ライブからいきなり日本武道館でのデビュー!的なブレーク。
小説を書くにあたって、過去帳などの資料を読み込み、そこに若沖の絵に「翳り」を感じたともおっしゃいます。書かれた記録が少ない中、私など素人は「どうしてこんなお話が生まれるのかしら・・・」まるで若沖そのまんま!のようなストーリー展開なのです。
京都錦市場の老舗青物問屋の長男として生まれますが、家業は2人の弟に任せて、絵を描くことに没頭。84歳で亡くなるまでが謎でしたが、この小説に描かれている『若沖』で小説ですが私自身は納得できる、そして魅力ある内容のお話が伺えました。2週にわたり放送いたしますので、ぜひ澤田さんのお話を楽しみにお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時まで。
9月13日、20日放送。


流れ星


初秋の夜半は一年の中で流れ星が一番見られる季節です。
箱根の森に住み40年近くがたちます。
流れ星は、探してもなかなかみつかりません。
でも、ふっと夜中目が覚め、庭に出て星空を眺めていると一時間もしないうちに見つけられます。
夜空を一瞬流れ飛ぶ「流れ星」。
「流れている間に願いごとをすれば必ず叶う」と聞いたことがあります。
下の息子がまだ赤ちゃんの頃、夜泣きが収まらず、おんぶして庭に出て、「ほら、お星さまキレイね」と背中に語りかけてみると、もうスヤスヤ寝ているのです。あのときも流れ星をみたように思います。
今はひとり、夜半の星空をひとり占めできます。
澄んだ夜空は心地よいのです。
ずい分以前のことですが、詩人でエッセイストの今は亡き松永伍一さんと教育雑誌で「子どもの個性を育てる」をテーマに対談をしたことがございます。自然のふところに親と子が立ち、そんな環境の中での子育てを願ってのことでした。
先生はおっしゃいまいた。
「自然によっていのちが生かされていることを、あまり論理的に言ってしまうと、逆に子どもの物差しが自然に目盛をつけてしまうから、流れ星を見て「流れ星って素敵ね」と子どもが言ったら「ほんとにいいね。でも宇宙の中であれも大変なドラマだよね」というぐらいで止めておくことが大切です。すると、それを受けて子どもは、自分なりに論理づけをしていきます。そうやって子どもが少し論理的に言ってきたら、ようやくこちらも論理的に対応するという「待ちの姿勢」が大事なのです。大人はせっかちに「こうあってほしい」「こうしなさい」と親の願望と命令形で目線が下を向いて言葉が出てきているんです。なるべく、親として子どもと目線を同じ高さにしなくてはいけませんね。」
こんなお話をしてくださいました。
『自然を相手にすると待たされるものです。』
子育てもそうでした。
今のお母さんたちは大変です。
情報はふんだんにあるし、物差しもたくさんあります。
おんぶして「お星さまきれいね」・・・というくらいのゆとりを差し上げたいですね。

映画「あの日のように抱きしめて」

「東ベルリンから来た女」の監督ペッツォルトの今度の作品も衝撃的です。画面転換は淡々としておりますが、アウシュヴィツに収監された女性のベルリンへの帰還という、大変デリケートなテーマでホロコーストの直接的な影響を見せつけられ、心は乱されますし、ドイツでこのような映画が製作されることに驚きます。
主演の二人の芝居が素晴らしいのです。「東ベルリンから来た女」同様主演女優はニーナ・ホス。夫役にはやはり前作と同じロナルト・アフェルト。
ル・パリジャンの評には「心を乱す、胸が張り裂けるような力強いメロドラマ。狂気の愛と失われたアイデンティティー、裏切り、そして残された希望の物語」と書かれています。
漆黒の闇の中を痛々しく包帯に顔を巻かれたネリー。
アウシュヴィツから生還した妻と、変貌した妻に気づかない夫。
再会を果たした二人は、悲しみを乗り越え再び愛をとり戻せるのか。
失われた愛を探すニーナが感動的に演じています。
優しくも切なさすぎます。
明日8月15日、文化村ル・シネマで封切られます。
私は試写で観ましたが、もう一度大きなスクリーンで観ます。
それにしてもドイツ人たちの癒えない傷を引きずっている、そのことに胸が痛みます。
削ぎ落とされたセリフと無駄のない演出、愛の真理。
亡命作曲家による”優しくささやいて、愛を語るときは”という歌詞。
戦争というテーマの中に心が大きく揺さぶられました。
明日は8月15日。
終戦記念日に私たちは何を思うのでしょうか。
公式サイト http://www.anohi-movie.com/

長岡の大花火

戦後70年の今年の長岡花火にはどうしても行きたくて、昨年から計画しておりました。「子どもたちに繋ぐ平和の願い・70年祈り続けたふるさとの花火」とあります。いままで何人かの人から聞いておりました。「長岡の花火は一度は観るべき」と。
長岡生まれ、長岡育ちのノンフィクションライター、温泉エッセイストの山崎まゆみさんの著書「白菊」を読みますます観たくなりました。
1945年8月1日午後10時30分から1時間40分もの間にわたった空襲。市街地の8割が焼け野原と化し1486人の尊い命が失われました。花火が空へ向ける花「白菊」。夜空に白一色のきれいな円を描き静かに消えていく様には涙がこぼれました。
長岡花火は空襲で亡くなった人への慰霊・鎮魂の花火です。一日の蒸し暑い日が終わりに近づき、薄くくれ始めた夜空に向け、女性のアナウンスが響きわたります。「平和への祈りと戦災殉職者への慰霊をこめてお送りします。」


食べていた「花火弁当」とお米の里・長岡のお酒スパークリングワインを飲み終え静かに迎えます。
『打ち上げ、開始でございます』


「ドン、ヒュー、バーン

花火音がゆっくりと、ゆっくりと、静かに鳴った。
花火玉が炸裂する音とともに、白い花弁が飛び出し、白い尾を引く。
空に咲いた一輪の白い花は、ふんわりとしていて、やわらかいで、丸くて、清楚な印象すら残す。
一発目の後、間をあけて、もう一輪の花が咲く。
ドン、ヒュー、バーン。
観客は歓声をあげることはない。胸の前で手を合わせて、まるでじっと見守るように、空を見上げる。」

山崎まゆみ「白菊」より
この「白菊」は伝説の花火師の生涯をたどり、感動の真実にせまるノンフィクションです。
この花火大会は毎年8月2日、3日の2日間開催され、2日間で2万発が咲きます。全国各地からバスを仕立てて見学に訪れ、市内は大混雑になり、車は全く動かなくなります。訪れる人は30万人近くとか。朝から桟敷席を取る人、信濃川の土手沿いに観覧席が用意されるも全くたりません。ビルの屋上や家の屋根、路地に座る人・人・人。


正三尺玉花火は直径90センチメートル、重さ300キロ。巨玉が上空に打ち上げられるのは1日2発、2日間で4発です。そして「ナイアガラ」信濃川に架かる長生橋と大手大橋延長650メートルの花火はナイアガラの滝を再現しています。
復興祈願花火「フェニックス」は平成16年10月23日に発生した中越大震災からの復興への祈りを込めて空高く上がります。
シンセサイザーの曲にのり軽やかに打ち上げられる花火。
そんな長岡花火を「裸の大将」の愛称で知られる放浪の画家・山下清が1950年に「長岡花火」と題して貼り絵で描いています。河川敷に座る人は小さく、そして繊細に描かれています。花火は大きく咲いています。川面に映る花火の色の美しいこと。山下清はどんな思いでこの花火を見たのでしょうか。
慰霊と平和への願いを込めて打ち上げられる花火。
私は1943年11月20日生まれ。下町の亀戸の我が家も空襲で全てを失いました。全国で尊い命が奪われました。戦争はぜったいにあってはなりません。
今回、私はお弁当・送迎バスがある宿に泊まることができました。1年前から計画し、この花火を通し、平和への祈りを捧げることに感謝した花火大会でした。
帰りのバスから漆黒の闇の空に星が輝いていました。