セラピスト

うつ病患者は100万人を突破したといわれています。
今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できないという方が多いと言われています。
ラジオのゲストにノンフィクション作家、最相葉月さんをお迎えしお話を伺いました。
最相さんは、1963年の生まれ。兵庫県・神戸市出身。
関西学院大学・法学部卒業。
これまでの著書に、小学館ノンフィクション大賞を受賞した「絶対音感」、大佛次郎賞や講談社ノンフィクション賞などを受賞した「星新一 0一0一話をつくった人」、「東京大学応援部物語」、「ビヨンド・エジソン12人の博士が見つめる未来」などがあります。
この度、自らカウンセリングを受け、心の治療のあり方を綿密に記した本
セラピスト」を上梓なさいました。
私は約1週間かけてこの本を拝読しました。正直申し上げて、最初はまったく理解できず、しかし大変興味深く読み進めていくうちに今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できない方がこんなに多くいらっしゃることを知りました。
カウンセラーという人たちが何を考え、どんな風に患者さんと向き合っているのかを明らかにした一冊です。
箱庭療法、絵画療法、風景構成法・・・
河合隼雄さんを特集した雑誌に掲載されていた木村晴子さんの論文から「あなたもこの世界を取材するなら、自分のことを知らなきゃならないわね」と言われご自信もカウンセリングを受けました。
「心の治療のあり方」は簡単にはご説明できません。
自分のことってわかりませんよね。
なぜ最相さんは専門機関に通い、大学で講義を受け 「人はなぜ病むのかではなく、なぜ回復するのか」を知ろうとしたのでしょうか。
ぜひお読みください。
私の言葉の世界ではじゅうぶんにご説明できません。
ラジオでご本人の言葉でお聴きください。
カウンセリングが戦後日本に持ち込まれてから、まもなく65年になるそうです。セラピストの方々のそのご努力に心から敬意を表したいと実感した本でした。
そして・・・悔やまれることがあります。
文化庁長官でいらした、今は亡き河合隼雄先生に2度お目にかからせて頂いたのになんと無知な私だったのでしょう。
その至福の時間はあまりにも心地よく、懐の深さに甘えてしまったのでしょうね。
放送は3月30日「文化放送 浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時です。
ぜひお聴き下さい。


長野・善光寺への旅

「食アメ二ティー・コンテスト」がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は「アメニティーってなんですか?」というご質問をいただくこともたびたびでした。
私は40年にわたり、全国の農山漁村を歩いてまいりました。
そんな中で気がついたことがあります。
それは地域の活性化に果たす女性の役割が非常に大きいこと。
特に女性が司る食の果たしている役割が非常に重要であるということです。
新しいチャレンジは、なかなか理解されにくいものです。
それが大変素晴らしいことであっても、家族や近所の人は、日常を共にしているがゆえに、その素晴らしさに気がつかないこともあります。
もし、日本の様々な場所で、女性たちがそれぞれひたむきに活動していることに光りをあてることができたら、活動している人たちを元気づけ、今から活動したいと思っている人たちを励ますことができるのではないかしら。そして、そのような女性たちを指導している人、サポートしている人たち・・・皆んなで力をあわせれば、「日本の農業を元気にすることができる」・・・と思いました。
今でこそ、農村女性に光があたり六次産業化も普通になりました。それでも、表に出たくても出られない女性たちが大勢います。「農業を影で支えているのが女性」であっても。そこで国と農村開発企画委員会の方々のご賛同を頂き生まれたのがこの「食アメコンテスト」という事業でした。
伝統食を守り、地域の食を守り、新たなビジネスを起こし・・・などなど素晴らしい活動がこの20年で活発に動きだしました。
「自分の銀行口座」をもつ人も現れました。
自分たちのための変化だけではありません。
農山漁村の女性たちが、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したために、地域全体が活性化し、生きがいを見つけ、生き生きとした表情で都会の消費者との交流を持ち、意見交換を活発にし、この20年やってまいりました。
そんな中から「もっと勉強がしたいわ」と仲間が集い「食アメネットワーク」の会も生まれました。ヨーロッパや韓国などグリーンツーリズムの勉強や農村女性との交流など多くのことを学んでまいりました。
この会も「そろそろ卒業ね」と私は申し出て一昨年解散しました。
でもこの友情には終わりがありません。
「ハッピースマイルを訪ねる会」として80歳以上のお元気な仲間を訪ねる旅に変わりました。昨年は熊本・天草にお訪ねし、今年は長野で集合しました。
遠く、沖縄から、天草から全国から参集し幸せな2泊3日の旅でした。


今回は宿坊に泊まりました。
善光寺永代宿坊・常智院。
夜はお寺の奥さまの手づくりの精進料理です。


弥生 桃の膳
お迎えは さくら茶 結びこぶ さくら餅 かきあられ
夕食は甘酒で乾杯
向付 くるみのおさしみ 生こんにゃく 生わかめ じゃが芋のなます
梅ぶ 胡麻豆腐 黒豆の含め煮 クコの実 山椒の佃煮
汁 おぼろ月夜汁 わらび豆腐 しら玉 菜の花 おぼろこぶ
そして桃ごはん
八寸風 湯麩田楽 ふきのとう天ぷら くず桜せんべい
煮物 生うど 高松産生うどの豆乳ピーナツクリームかけ
最後のデザートは杏仁寄せ いちごペースト添 杏のシロップ漬けでした。
朝食の精進おとしも、それはそれは美味しくいただきました。
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。



翌朝は早朝4時に起き「善光寺の朝」を静かに迎えました。
善光寺が一日のうちで最も生き生きとその本来の姿を見せるのは朝だといわれます。古(いにしえ)より伝えられてきた信仰の息吹を、五感で感じられます。太陽が昇ってきます。
法要の前には本堂前で「お数珠頂戴」といって導師を務める住職が数珠を頭に撫でてくださいます。
日の出とともに始まる「お朝事」一時間の毎朝のお勤め。私たちも本堂でご参拝させて頂き朝の清新な空気、静謐な空間。堂内に響き渡る読経や木魚の音を体いっぱいに取り入れ農村女性たちと、すべてに感謝し手を合わせました。
命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いかもしれませんが、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩んでいる貴女たち。
けっして派手ではありません。
華やかでもありません。
けれど、春が近づいたときに、くっと大地から首を伸ばして、寒風にもめげずに、あたり一面に甘い香りを漂わせながら咲き誇る、一本の水仙の花のように。これからも手をたずさえ、私たちの愛しい日本のために生きていきましょう。
みなさん、ありがとう。素敵な旅でした。

「おばさん 四十八歳 小説家になりました」

素敵なお客様をラジオのゲストにお招きいたしました。
歴史小説家の植松 三十里(みどり)さんです。
植松さんは静岡市出身。
東京女子大学・史学科を卒業後、出版社勤務、結婚を機にご主人の赴任先のアメリカへ。
二児の母になり、子育てにも悩みはいろいろあったそうですが、何しろ植松さんは、おおらか・・・いえ肝っ玉母さんで、子育てが終わった後に、何をしたらいいのか、分からなくなってしまう女性がいるというけれど、「人のためになる道を探すといいと思うの」・・・と。
植松さんはライター経験はあるものの、カルチャーセンターの小説講座に
通います。そして48歳でデビュー。子どものころから書くことが好きで、お話を書く人になりたかったそうです。本気で修業を始めたのが42歳。すごいですよね。それも歴史小説に焦点を絞ったそうです。でも、講師に罵倒され「もう、もう、それはむかっ腹が立ち悔しい思いをしましたが、指摘されたところを直すと質は格段に上がるの。」
植松さんの書くのは時代に翻弄されて名前も刻めなかった無名の人。こうも仰いました。読者から「元気を貰えました」とか「勇気がでました」と言われるけれど作品の中で「頑張れ」とか「元気出せ」とか、ひと言も
書いた覚えはない。私は無名であるけれど、実際に頑張った人を描く。つらさをこらえて頑張った結果が、たとえうまくいかなかったとしても、それは無駄ではなかったと結ぶ。
たしかに、無名な人には、自分を重ね自分自身を励ます力があるのかも
知れません。スタジオの植松さんには、人を幸せにしてくれるオーラがあります。そして、人生はいくつになってもスタートは切れるということですよね。
2003年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞。2009年、「群青―日本海軍の礎を築いた男」で第28回新田次郎文学賞受賞。「辛夷開花」、「黒鉄の志士たち」など、多くの作品があります。
これまでに、30数冊の本を出しています。
今回の本「おばさん四十八歳 小説家になりました」は植松さんにとってまた新たな挑戦なのではないでしょうか。
「年齢を重ねていくことで、幸せについて考えが変わってきた」とおっしゃいます。そうですね、私も歳を重ねたことで幸せのあり方が変わってきました。素敵なお話をありがとうございました。
どうぞ、じっくりラジオをお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時まで。
放送は3月23日です。


8時間睡眠のウソ

8時間睡眠のウソ
~日本人の眠り、8つの新常識~
皆さまは睡眠についてお悩みはありませんか。
なかなか眠れない・・・。
睡眠がこま切れになってしまう・・・。
そうした悩みを抱えている方って結構いらっしゃるのですよね。
でも、睡眠についての研究は、この20年で格段に進歩しているそうです。
個々人によって睡眠は違うし、ライフスタイルも異なるし、現代社会では朝、夜明けと共に起き、8時過ぎには寝る・・・なんて考えられません。それにパソコンの光やコンビニの光・・・24時間光の中で暮らす都会。体内時計はどうなっているのかしら。
地下鉄などに乗ると、男女とも、こっくりこっくりしている方の多いこと。「治安がいいから安心して寝ていられるのね、日本は」などと思っていた私ですが、”目からウロコ”の本に出会いラジオのゲストにお招きし、お話を伺いました。
文筆家の川端裕人さんが、国立精神・神経医療研究センター部長の三島和夫さんからの聞き書きの形をとって、またさまざまな資料や論文をもとに上梓されました。
三島さんは、1963年、秋田県生まれ。
秋田大学医学部・医学科を卒業後、助教授などを経てアメリカに渡りました。バージンア大学・時間生物学・研究センター研究員、スタンフォード大学医学部・睡眠研究センター客員准教授を務め現在にいたります。
「新常識」
日本人は世界屈指の睡眠不足
「深い睡眠」が「良い睡眠」とは限らない
睡眠時間は人それぞれ、年齢でも変化する
シフトワークは生活習慣病やがん、うつ病のリスクを高める
日本人の体内時計は平均で24時間10分
眠くなるまで寝床に向かってはならない
「不眠=不眠症」ではない
こま切れの睡眠はNG
高齢者の睡眠は、それほど眠る必要がないのに寝床にいる場合いが多いそうです。70歳近くなら正味6時間の睡眠が普通ですが、日本の65歳の平均は9時間も寝床にいるため、不眠が悪化するとのこと。トイレに行く回数など気にする必要はなし。昼間に問題なく生活ができれば心配はないそうです。出来たらお昼寝は20分から30分以内が理想的。

つまり、眠れなければ、絶対ベットにいてはダメ。
辛くても、正味眠れる就床時間まで寝ない。
そうそう・・・大事なこと
晩酌と寝酒は別で、アルコールを飲んで、バタン・キューはよくないそうで、できたら4時間はあけてから寝る。う~ん、これは難しいですよね。
子育てをしながら仕事も持っているお母さんが一番寝不足で、子どもの就寝時間も遅くなる。添い寝の際、可能なら一緒に寝たほうがいい。とのことですが、これも難しいのですが、家事は少し手抜きしても睡眠のほうが大事ですよね。私にも経験があります。なんだかいつも立って寝ていたような気がしたものです。
朝起きるタイミングをきちんと合わせ、午前中に光を浴び、食事、運動が大切だと先生はおっしゃいます。
睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安心。
「睡眠薬って、日本の皆さんは怖がるんですが、1950年代から70年代に使われた古いタイプの睡眠薬は、安全性や依存に陥りやすかったが、最近ここ10年くらいに開発された薬は、長期間飲んでも、耐性、つまり効果が減弱したりすることもなく、正しいやり方をすれば不眠症が治った時に減薬や休薬することもできます。」とおっしゃいます。
「すべてを完璧にはできませんが、たったひとつでもいいから手をつけてみてはどうでしょうか」とアドバイスをいただきました。無理は逆効果ですよね。
それにしても「睡眠科学は奥が深い」です。
そして「睡眠学は面白い」です。
私は医師から処方された軽い睡眠導入剤を飲み、寝る体制を整えてから、だいたい11時にはベットに入り、5時には起床し太陽が出ている時にはしっかり太陽を浴び、軽く山歩きをしてから一日がはじまります。
とにかく三島先生のお話をお聴きください。
そして、ご興味があったらご本をお読みください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日:10時半~11時)
放送は3月16日です。