根津美術館

初夏を思わせるような爽やかな日、ラジオ収録後に南青山にある根津美術館に行ってまいりました。
特別展『国宝燕子花屏風』が開催されています。
この季節だけの公開です。(4月13日~5月15日)
本館は2009年、建築家・隈研吾氏の設計で改装され、切妻造の屋根は寺院建築を思わせる建物で入り口のアプローチは竹が植えられ和のテイストが素敵です。
実業家で茶人の初代 根津嘉一郎の収集品が展示されています。


根津美術館といえば、国宝「燕子花屏風」を毎年この時期思い浮かべます。総金地の大きな画面に青と緑をつかったカキツバタ。 尾形光琳筆のこの絵の前の椅子に座り何時間でも観ていたくなります。
江戸時代の半ば、18世紀初頭の京都で尾形光琳によって生み出された作品。その鮮烈な色彩、落ち着きのある構図や色使いは呉服商の家に生まれ育ったからでしょうか、どこか染織を思わせます。光琳のセンスは抜群だと思います。六曲一双の屏風の立体的な構成は静かさの中に、観る者を誘ってくれるようです。
光琳の名前から一字をとって「琳派」と名付けたれた流派。17世紀前半の京都の町衆文化の中で活躍した本阿弥光悦・俵屋宗達、19世紀光琳に憧れた酒井抱一など、琳派の影響を受けた同時代の作品も楽しめます。
 からころも
 きつゝなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ
               (伊勢物語より)
「歌をまとう絵の系譜」も存分に味わえます。


絵を堪能したした後は庭園の散策をしました。自然の傾斜を生かした池を中心とした日本庭園。茶室も4棟あり石仏、石塔、石灯篭などがあり、この季節の「燕子花・藤の花」が見ごろです。茶室でいただいた一服のお抹茶とアジサイのお菓子。季節を満喫いたしました。
都会にありながら、和の空間を楽しめ心静かな時間でした。
ゴールデンウイーク、都会にいらしたらお薦めです。
表参道から徒歩6、7分です。
根津美術館公式HP
http://www.nezu-muse.or.jp/

原節子さん

ノンフィクション作家の石井妙子さんが『原節子の真実』(新潮社)をお書きになられました。本の帯にこのように書かれています。
彼女が最も望んだのは何だったのか
その存在感と去り際、そして長き沈黙ゆえに生まれた数々の神話。埋もれた肉声を丹念に掘り起こし、ドイツや九州に痕跡を辿って浮かび上がったのは、若くして背負った「国民的女優」の名と激しく葛藤する姿だった。伝説や憶測に惑わされることなく、真実だけを積み重ねて甦らせた原節子の実像。
石井さんは、1969年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。白百合女子大学を卒業後、大学院修士課程終了。2006年、およそ5年の歳月を費やし、伝説の銀座マダムの生涯を浮き彫りにした「おそめ」が、新潮ドキュメント賞、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補作となりました。これまでの著書や共著に「日本の血脈」、「満映とわたし」などがあります。
原節子さんは私の憧れで、ちょうど私が女優になってすぐに砧の東宝撮影所で何度かお見かけしました。背筋を伸ばし、歩幅は大きく颯爽と撮影所の中を歩くお姿は大輪のバラの花のようでもあり、クレマチス、いえ楚々とした都忘れのようでもあり・・・15歳の私には眩しい存在でした。でも今回、石井さんの本を読みその時原さんは40歳。すでに引退を考えていらした時期だったのですね。
ラジオのゲストに石井さんをお招きし、原さんがどんなことで悩み、何を望んでいらしたのか・・・。じっくりお話を伺いました。石井さんは原さんのお誕生日には花束を持参し、手紙をそえて鎌倉のご自宅を何度もお訪ねになり、甥ごさんに手渡したそうです。そこでの暮らしは「原節子」ではなく「会田昌江」としての慎ましい暮らしだったようです。映画界を去ってから50年以上も沈黙を守り、その私生活は謎に包まれています。
去年9月、95歳で亡くなりましたが、石井さんも直接取材は叶わぬままでしたが、今回の本で、青春時代の戦争との関わりや、小津映画が代表作と言われることえの多少の不満。日独合作映画「新しき土」に出演した時の心模様。よくお調べになり、執筆にあたり、現存するすべての作品を観て、入手困難なものは市井の映画フアンの協力を得たそうです。当然原さんはご自分の本が出版されるのはご存知だったでしょう。恋愛についても私は納得できるものでした。
原節子さんは、「きっと喜ばれたと思います」・・・と思わず石井さんに申し上げてしまった私です。
私も演じる”女優”は40歳で卒業いたしました。
原さんは写真家の秋山庄太郎さんに「ことさら美しく撮ろうとしないでほしい。ありのままの私を撮ってほしい」と何度も念をおしたという。そこにも原節子の真実があるように思います。
ラジオをお聴きください。そして、「原節子の真実」をお読みいただきたいです。私自身、ようやく青春時代を過ごした映画界のことが分かったように思います。
文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
放送日4月24日 日曜10時半~11時


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映画 さざなみ

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切なく、しかし素敵な映画です。
原題は「45 YEARS」。
結婚して45年。夫と重ねた歳月の意味。
この映画は愛の問題。生き方の問題。妻はともに時を刻み続けようとしているのに・・・。
冒頭のシーン、イギリスの静謐でいかにもイギリスらしい小さな地方都市の風景に魅せられます。現役を退き穏やかな老夫婦に”さざなみ”がヒタヒタと・・・迫ってきます。
45年連れ添った夫婦はいつも通りの静かな生活。朝は愛犬を散歩させ、食事を楽しみ、夜はワインを飲みながらの穏やかな会話。多くを語らずともお互いに心は通じあっている。
そんなある日夫ジェフ(トム・コートネイ)に一通の手紙が届きます。妻ケイト(シャーロット・ランプリング)が手渡します。スイスの雪山で氷漬けの死体が発見されたとの知らせ。
それはケイトと結婚する前の恋人のカチャ。50年以上前、ジェフとの旅行で、クレパスに消えた彼女。
この映画で ベルリン映画祭主演女優賞と主演男優賞に輝いた二人。
45年、ともに年を重ねてきたふたり・・・それが根底からゆらぐのです。「僕のカチャ」と呟く夫。過去は知りたくない・・・と思いつつ、聞かずはいられないケイト。「もしもそんなことにならなければ結婚していた?」と聞くケイト。夫はためらうことなく肯定する。深夜、物音で目を覚ましたケイト。夫が屋根裏部屋でカチャの写真を探しているのです。自分達には思い出の写真などないのに・・・「見せて」と手を伸ばし出された写真をケイトはわずかに目を向け、「ありがと」とひと言。
月曜日から土曜日までのストーリー。警察からの身元確認の手紙が届いてからの夫婦の心模様が描かれているのですが、シャーロット・ランプリングの演技、いえ演技を忘れ彼女自身のストーリーのような、やはり演技なのでしょうが、老いと孤独と、男と女の違い、静かに静かに、その表情から”さざなみ”を隠しているものの、切ないほど・・・胸が張裂けるような思いを見事に演じているシャーロット・ランプリングに感嘆するしかありません。
全編、妻の視点からの演出。脚本・監督アンドリュー・ヘイは静かに控えめにしかし説得力のある演出。
男性にこれほどまでに女の気持ちがなぜ理解できるのか・・・と、思わず思ってしまった私でした。土曜日は結婚45周年の祝賀パーティー。はたして、どんなスピーチになるのでしょう。
愛と絆って何なのでしょうか。
年月の積み重ねって何なのでしょうか。
いくつになっても男と女。そして・・・孤独。
結婚って、夫婦って何なのでしょうか。
久しぶりに”成熟した大人の映画”を観ました。
1946年生まれのシャーロット・ランプリング。円熟した凄みのある演技。今演じるからこのような素晴らしい映画が生まれたのでしょうね。
1943年生まれの私が今観られたからなおさら感動するのでしょうね。
ありがとう!シャーロット・ランプリングさん。
銀座和光裏のシネ・スイッチ他で上映中です。
http://sazanami.ayapro.ne.jp/

江ノ電

藤沢と鎌倉を結ぶわずか10キロの路線に、年間の乗客の数が1700万人を超えるという江ノ電。
皆さまはお乗りになったことがございますか?


私は娘のショップ”フローラル”が鎌倉にあるので時々山を下り東海道線で大船、乗り換えて鎌倉へと向かいます。江ノ電には鎌倉から長谷へ。長谷は長谷寺や鎌倉文学館に行きます。でもすご~い人・人。大仏様がおられるから外国の方も多いですね。でもほとんどが長谷で下車されます。
私はお隣の極楽寺が好きです。
長谷駅から極楽寺隋道(トンネル)を抜けると「ここって町中?」とおもえるほどの懐かしい駅が極楽寺駅です。駅を出て徒歩2、3分のところにある極楽寺は趣のある小さなお寺さん。静かにお参りができ人も少なくお薦めです。


そしてぜひ見逃さないでください「極楽寺の歴史的なトンネル」を。かつて鎌倉側の抗口で土砂崩壊が発生し、長時間にわたり運行が止まったこともあるそうです。それから昭和48年に蛇腹になったドームを11メートルほど突き出し防護されています。
鎌倉市の景観重要建築物に指定されています。この古い趣深い姿に、心が和みます。ここも緊急時以外は現場職員が夜間に点検をしているそうです。煉瓦造りのこのトンネルを守るだけでも大変なことでしょう。
江ノ電には何度も乗っているのに、藤沢から鎌倉までの10キロを乗車したことがありませんでした。今回、江ノ島電鉄(株)前社長・深谷研二さんのご著書「江ノ電 10kmの奇跡―人々はなぜ引きつけられるのか?」を読み、藤沢から鎌倉まで乗ってみたくなりました。観光気分で快適に乗れる裏には会社をあげ、社長自ら年末には徒歩で10キロの線路を歩き安全の確認をされるとか。根っからの鉄道屋・職人気質『鉄道は生き物』です。と語られます。
民家の軒先や駿河湾のそば江ノ島を通り、四季折々、いろいろな楽しみ方ができます。交差点の赤信号停車や住宅ぎりぎりの生垣からは生活の匂いもします。ゆっくりと走る江ノ電は土地と土地、街と街を結びます。何と魅力的な鉄道なのでしょうか。
お話を伺いたくてラジオのゲストにお迎えいたしました。
深谷さんは1949年のお生まれ。日本大学理工学科土木工学科卒業後、小田急電鉄に入社。その後、私の地元 箱根登山鉄道と江ノ電で社長を務め、昨年、江ノ電の相談役を退任なされました。


親子2代の「ぽっぽや」鉄道への愛情も人一倍です。運転士が指導者を「師匠」と呼ぶ職人の世界。かつては周辺の道路整備で通勤通学の足が鉄道からバスへとかわり、マイカーブームで一時は廃線の危機もあったそうです。江ノ電はどうして生き残ることができたのか・・・。たっぷりとお話をうかがいました。江ノ電を支える地元住民の方々との信頼関係も濃密だとお見受けいたしました。
さあ新緑の季節、江ノ電で小さな旅はいかがですか。
私は早朝のバスで下山し鎌倉で朝食を娘といただくのが嬉しいひとときです。(駅から2、3分のGADENN HOUSE)パンケーキにソーセージとたまご。美味しいのでお薦め。そして早い時間に江ノ電に乗ってください。


文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
放送日は4月17日
日曜10時半~11時

鎌倉・鶴岡八幡宮

先日(30日)鶴岡八幡宮の段葛(だんかずら)が舗装や桜の植え替えなど全面改修を終え、竣工式と通り初めが行われたので観に行ってまいりました。
まだ初々しい桜並木。かつての桜は老木になり根が傷んでしまったので全て植え替えられました。長さ465mの段葛の両脇に177本のソメイヨシノが見ごろを迎えていました。


人のいない、式典の前を鎌倉でアンティークショップをやっている娘に朝早く撮影してもらいました。約1年半ぶりの改修を終えた姿です。段葛は八幡宮から南に延びる「若宮大路」の中央を通る歩道で、この1年半は被いかぶされ歩けませんでした。「道の上に道を置く形式」の段葛。鎌倉幕府を開いた源頼朝が1182年、妻・北条政子の安産を祈願して造ったとされています。
神事の後、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんや宮司たちが通り初めを南側の鳥居から八幡宮に向かって歩き、舞殿では吉右衛門さんが祝いの舞を披露しました。厳かの中にも華やいだ舞台。素晴らしい舞いでした。


境内は人・人・人。その中で爪先立ちしながら拝見し、木遣師さんの歌声に送られ東の鳥居を出て右へ30mほど行くと娘のショップ「フローラル」があり、ひと休み。花曇の午後のひとときを堪能いたしました。


帰りはフローラルから鎌倉駅まで段葛を歩いてみました。土だった路面が雨水を吸収しやすい歩道へと変わり、とても歩きやすく”歴史の一歩”を踏みしめながら箱根の山に戻ってきました。