日々、心と体を整えて暮らす

世界各地で紛争や災害がたくさん起きています。これほど多くの人が苦しむ姿をほぼリアルタイムで目にするのは人類史上、はじめてかもしれません。近くに目をはせれば、芸能界における忖度といったスキャンダルなども次々にあきらかになるなど、表面の奥底に沈み込んでいた澱が時満ちてあらわになる、それが今という時代なのかもしれないと感じるほどです。

その中にあって、生々しい映像、解決策の見つからない状況に、不安やストレスを感じ、心を痛めている方も多いのではないでしょうか。

このところ、ふと心をよぎるひとつの思い出があります。

40年前、古民家が壊されていくのが忍びなく、せめて何軒かの家の廃材を使い、箱根に一軒の家を建てようと決めたころのことです。

「浜さん、もう一度、家を見にきてちょうだい」という連絡をいただき、北陸地方の山間にある、一人暮らしのおばあさんの家を訪ね、二晩、泊めていただいたことがありました。我が家を建てるために、12軒の古民家の廃材を譲っていただいたのですが、その中の一軒でした。

おばあさんが語る家の話は、家族の物語そのものでした。一緒に台所に立ち、ふたりで食卓を囲み、お茶を飲みながら、古い柱や梁からも人々の声や暮らしのさんざめきが聞こえてくるような気がしました。

おばあさんはちょうど今の私と同じくらいの年齢だったでしょうか。祖先と自分が長い年月を過ごしたこの家を手放し、息子さんの家に行く日が間近に迫っていました。

最初の朝、四時ころ、隣の部屋で起きる気配がし、しばらくしてテレビの付く音がしました。ふすまを少しだけ開くと、「おはようございます」というテレビのアナウンサーに、「おはようさん。ご苦労さま。今日も一日がんばってね」とおばあさんが答え、親しみとともにテレビをぽんぽんとたたいていました。

二日目の朝には、おばあさんはもうひとこと、付け加えました。「今日も一日がんばってね。私も、生きていくから」とテレビに向かって。

三週間後が家の解体でした。すべてを見届けたいと、私はもう一度、その家を訪ねました。梁一本、板一枚無駄にしないように、丁寧に作業は進められました。

ふと、気配を感じて何気なく後ろを振り返った私の目に、木の陰にたたずむおばあさんの姿が飛び込んできました。木にもたれ、木に体を支えられるようにして立っていたのです。家の最後を見守るために、息子の家のある町から山を登ってきたのでした。あれほど「私は見ないから。行かないから」と私にいっていたのに。

女優を卒業しようと決めたものの、なかなか踏ん切りをつけられずにいた私の背中を最後に押してくれたもののひとつに、この出来事があったのかもしれません。

人が暮らすということ、生きるということ、人につないでいくこと。自分はこれからそうしたことに向かい合っていきたいと改めて強く感じました。同時に、メディアとの関係の根源に、信頼とぬくもりがなければならないと、おばあさんの後ろ姿から教えられたような気がしました。

実は私にも、ここ数年、見続けている夕方のニュース番組があります。安心感のある声で事実をしっかり伝えながら、キャスターは視聴者が前向きになるような言葉をさりげなく添えてくれます。災害時や緊急時はもちろん、どんな悲惨なニュースが流れても「かわいそう、ひどい」だけでは終わらない。自分は自分のできることをしようという気持ちにさせてくれるのです。

映画でデビューし、テレビでワイドショーや美術番組のキャスターなどを長く務めさせていただいた私は、映画全盛期と衰退、テレビの曙と全盛期、映画の復活、さらにテレビの衰退と、人々が投稿した写真や動画などある意味、断片的な情報がSNSを通じ、ときにはマスメディアを超えて広まる……メディアの変遷をすぐそばで見てきました。

これからもメディアは変化し続けていくでしょう。
それでもやはり、そこに信頼とぬくもりがあってほしいと切に思います。

ところで、忙しい時代、キッチンペーパーを使っていましたが、何枚かの布巾でその用が足りることに気づいてから、近年、刺子の布巾を愛用するようになりました。

キッチンをむらなく拭き上げ、布巾を石鹸でこすり洗いして、水でよくすすぎ、きっちり絞ってぱんぱんと広げて干し、「ごくろうさま」と心の中で布巾に話しかけ、電気を消すのが今の私のひとつのルーティンです。

早朝に起きて、ストレッチをし、山歩きをするのが体を整えることなら、布巾を使うのは心を整えるものなのかもしれません。

世の中を見つめ、人に思いを寄せ続けるためにも、自分の心と体が健やかでありたい。
こんな時代だからこそ、こうした自分のルーティンを大事にしていきたいと思っています。

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